今日は、キリスト者と教会生活という対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
先週金曜日の鳥梨祈り会を通して、私たちはキリスト者の成長、成長することが大事だということを分かち合いました。
イエス様を信じて救われたということは、赤ちゃんが生まれたということと同じです。
このよう的には、年が何歳か関係なく、イエス様を信じて救われたその日が、霊的な誕生日です。
霊的に新たに生まれた日になります。 その時、霊的な世界には驚くほどの変化が行いました。
以前は私たちはサタンの奴隷だったんですけど、そのイエス・キリストを受け入れ、救われるその瞬間から神の子供になります。
以前は自分の罪によって地獄に行くものだったんですけど、これからは天国に行くものに変わりました。
以前は罪によって呪いを受けるべきものだったんですが、イエス・キリストを信じることによって祝福の源として変わりました。
この以外でも、神の子供になったところから私たちが受けられた祝福は数え切れないほどたくさんあります。
ところが赤ちゃんは何にも分かっていません。 何にも分かっていないから何にも味わうことができません。
ですから救われた私たちに一番大事なのが成長することです。
父母は赤ちゃんが成長するなら喜びます。
しかし成長ができないなら、なぜ私の子は成長がこんなに遅いのかと悩まれます。
赤ちゃんが生まれて成長するところで一番大事なのは家庭です。
同じように救われたそして新たに生まれたキリスト者に一番大事なのは礼儀的な家庭である教会です。
今日はキリスト者が教会でどのように生活しなければいけないのか、それを一緒に考えていきたいと思います。
教会はキリシア語でエクレシアと言います。
エクレシアはこの世の中から選ばれて招かれた人たちの集まりという意味です。
教会は建物ではありません。
教会は二人、まだ三人が集まるところですから、私たちが教会の一部分です。
これはイエス様が弟子たちを呼び集めたことを考えるとわかりやすいです。
マルコ3章2、3章15、3節にイエスは山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると彼たちはそばに集まってきた。
なぜイエス様が人々を集められたのか、自分のそばに置くため、また発見して、選挙をさせ、悪霊を追い出す力を彼たちを通して使うためだった。
ところが弟子たちをよく見ていますと、彼たちの身分が良子たち、小贅人、罪人、また問題がたくさんある人ばかりでした。
その人がどのように発見されて、選挙をさせ、また悪霊を追い出すパワーを持たせることができるんですか。
彼たちを通して、これが全然期待できないように見えます。
しかしイエス様は彼らの前に傍観を見せられ、教えられ、彼たちを癒やされながら、彼たちを変化させ、変えられたんです。
それで変えられた彼たちは、イエス様がなさった働きも自分たちがやりました。
それを書いておいたところが、使徒行伝というところでしょう。
今、私たちの教会も同じです。
神様が私たちをこれと思う人々を呼び集めてくださいました。
ところが私たちを見てください、何とか物足りない、いろいろな物足りないことばかりです。
しかし神様は物足りない私たちですけど、教会生活を通して変えようと思っています。
立派な人と変えることを神様が望んでおられるんです。
ですから教会生活を通して、私たちは神様が願われる成長、変化、それをぜひ一人一人が頑張ってそれを行わなければなりません。
もし皆さんが自分に気に合う教会を探していきたい、皆さんみんなそうですよ、一番良い教会、一番完璧な教会に行きたい。
これはみんな当たり前の頃ではありませんか。
私も教会をたくさん変えました。
昔私は本当に大変な人間でした。
私が目指したのは何とか完成された教会、完成された神徒たちの群れ、そこに私も参加して、何とか私もうまくできた神徒になりたかったです。
ところがこの教会に行ってみたら僕先生が気に合わない。
また他の教会に行ったら神徒たちが私はこの教会嫌だ、またある教会に行ったら雰囲気が良くない。
まあいろいろ聞いてああその教会立派な教会一番良い教会だよと言って行ってみたら何とかまた問題がありました。
一体世の中で立派な防犯的な理想的な教会はないんでしょうか。
ありません。
今教会は救われた人々が集まったんですけど、救同者もいます。
だから悪人から善人まで全員が集まっているところが教会だと考えていいでしょう。
また信仰によって初心者から成熟した人まで作り上げていくこの段階にある人たちがみんな集まっています。
だからこのような成長していく段階にいる人たちの集まりに行って完璧なことを求めたら何とかこれがうまくできないんですね。
そうです。
世の中には完璧な教会はありません。
どこに行けば完璧な教会があるのか天国に行けばあります。
神の国に行けばあります。
ところが物足りない教会ですけど地上の教会に対して神様はものすごい大きい計画を持っている。
これが今日一緒に読みましたエピソード1章中節です。
こうして時が満ちると及んで救いの技が完成されあらゆるものがかしらであるキリストのもとに一つにまとめられます。
天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられる。
神の身実は全世界がキリストのもとにみんな集まることです。
キリストをみんな中心として集まること。
だから天使訓練の目標は中心であるキリスト、キリストに従う。
これが天使訓練の目標です。
それをどのように成し遂げられますか。
これが教会です。
教会はイエスキリストが頭であり私たちはこのイエスキリストの体の一部分として集まっている。
この教会がだんだん大きくなったら周りの人たちがキリストの頭であるキリストの体の一部分としてまた集められ、また集められ、また集められ、
このキリストのもとで全世界がみんな入ってこられるとその教会が神様が願っておられるその教会になります。
ですから教会は二つあると考えていいでしょう。
神様が願っておられる、イエス様がかしられている、全世界の人々がイエス様のもとに集められるそのような理想的な宇宙的な教会があり、
しかしその教会はいつ集まって恋愛しましょうと言うとどこに集まるんですか。
またその人たちを面倒見ようとしているのはどのように面倒見ればいいんですか。
だからこの理想的な教会でありますけどその教会は天国で成し遂げられます。
地上ではそれができません。だから地上では弁儀場、ローカル聖地と言って地域地域教会があります。
地域にある人たちがある教会に集められてその教会で神に礼拝しまた訓練を受けて成長していく、
そのような働きがローカル聖地にはできるからです。
私たちは今ローカル聖地としてこの大阪のところで今私たちの役目を果たしているところであります。
だからいつもこのローカル聖地は神様が求める宇宙的な教会、一つになる教会をいつも考えながら
ローカル聖地お互いに助け合ってそれでそのような教会を目指していかなければなりません。
そうするためには私たちがまた正しい教会になり隣の教会が正しい教会になり
そのような教会がずっと協力していけば神様が願われるその教会になるでしょう。
いつもそのようなことを考えながら協力する心を持っていかなければなりません。
イエス様の当時イエス様がこれと思う人々を集められました。
この人たちを見て一体この人たちを通して立派な教会になれるか、宗教主導たちは全くそうは思いませんでした。
初めは可能性がないように見えました。しかし3年間イエス様から訓練を受け
聖霊様が来られたら彼らが変わりました。そして初代業界の指導者としての働きができました。
中二人問題だらけの弟子たちが集められて初代業界になり、初代業界から世界的に宣教をするようになりました。
それで今私たちがその福音を人たちが伝えた福音を私はいただいて救われまた教会をやっているところです。
私たちも中二人まだ少ない人数ですけど、初め弟子たちの中二人に比べたらはるかに良い業界だと思います。
弟子たちもできたので私たちもできます。なぜなら神様の熱心が必ずそれを成し遂げてくださるからです。
神様はこの世の中の信徒たちを大切に思います。また物足りないように見える地域業界だとしても
ローカルチャッチューだとしても大切に思われる。 皆さん神様の身分が未信者たちを通して成し遂げられますか?
神の計画は信者たち、教会を通して成し遂げられるんです。ですから神様は教会を大切にし、私たちキリスト者たちを大事にします。
信者たちは神様の前で素晴らしい存在です。
聖書の中でたくさん出てくる言葉が何か。あなたは私のものと言います。
イザヤ43章1節です。イスラエルよ、あなたを創られた主はこう言われる。
恐れるな、私はあなたをあがなう。あなたは私のもの。私はあなたの名を呼ぶ。
第1ペトロ2章9節、しかしあなた方は選ばれた民、王の系統を引く妻子、聖なる国民、神のものとなったものだ。
他の聖書では神の宝だと言います。神様は私たち、もの足りない私たちですけど、神様の宝だとお話しします。
神様はご自分の宝である私たちを大事に思うだけではなく、神様が願うレベルまで必ず作り上げ、成長させ、立派なものにしたいと思います。
このために神様は教会生活を通して私たちを変えられるんです。
私たちが毎週行う教会のいろいろな働きは意味があります。
まず私たちはいつも主の日に礼拝を捧げます。
礼拝は何でしょう。神様に礼拝を捧げる。これは意味は何かというと、神様と私たちの関係性をもっともっと強くする、親しくする。
礼拝を通して神様と関係が良くなります。
礼拝を守る人、礼拝を守らない人、礼拝を軽んじる人、礼拝を大切に思う人、違います。
礼拝を通して神様と私たちの関係が強くなります。ますます強くなります。
神様と関係が強くなればなるほど、神の命と力がものすごいその人に与えられます。パワーができます。
聖書はキリストイエスの信仰を通して、救いに導く知恵をあなたに与えることができるからです。
皆さん、世の中でどこで聖書を学ぶことができますか?
日本全国でどこで聖書を教えてくださるところがあるんですか?
教会しかありません。
ミッションスクールが日本に及んだいろいろな影響力、本当に素晴らしいです。
先週、リオちゃんが来てくれたんですけど、私は本当に祝福された学生だと思いました。
世の中どこでも神の見事を聞くところがない。
どのように神の身実を悟り、どのように神様が願う人として変わっていくんですか?
できません。
だから自分勝手に過ごしながら、結局地獄に行くしかないでしょう。
神の身実を悟り、神様が願っておれる人として変わって持ちられる。
これがものすごい大きな神様の報いと祝福があることですけど、世の中の人はできません。
だから、見事ばを聞くことができるという、これがどれほど大きな祝福なのか、私たちは考えなければなりません。
また、鳥なしの祈り、神とたちの交わり、報し、また、仕えること、これがみんな、これはなんと言いますか、
自分のために生きるんじゃなくて、隣人のために、他の人々を助けるために生きることだから、
神を愛する、隣人を愛する、このような人になるのに非常に大事です。
神様は私たち一人一人が、神様が願われる生活を通して、私たちが変わっていく訓練を行っています。
神様の訓練はどのように行うのか、皆さん、私たちが強く見えます。私は大丈夫よ、心配するな。
私は大丈夫と言いますけど、もし皆さんにトラブルが生じた、問題が生じた、
健康に問題が来るか、まだビジネスとか、まだお仕事とか、家庭の中、子供の中で、何かトラブルが起きた、問題が起こったら、
皆さん、いきなり私たちが弱くなる。自分の力でできるのはいいけど、お金で解決できればいいんだけど、
それによって解決できない問題が生じたら、私たちはどうすることもできないから、どうしますか。
だから、何とか助けてくれと言いながら、神様の前に求めます。ある時は早く解決できる場合もあるでしょう。
しかしまた問題は、もう問題が起こって、この後また問題、この後山を越えて、また山のように問題が来ます。
しかしこの問題が、なぜ完全に解決できないのか、皆さんご存知ですか。
私たちは祈るだけで、見事ばどおりいかないからです。神様からの祝福される方法は、聖書にちゃんと記録されています。
新明記28章1節、もしあなたが、あなたの神主の御声によく聞き従い、今日私が命じる今しめをことことく忠実に守るならば、
あなたの神主は、あなたを地上のあらゆる国民に遥かに勝ったものにしてくださる。
要するに、神様は、神の見事ばどおり生きる人を祝福され、よくなるようにしてくださると言います。
しかし私たちは神の見事ばどおりいかないで、自分勝手に生きながら問題があれば、主よ助けてくださいと言います。
それで助けてくださるなら、また自分勝手に過ごします。これが問題が消えない理由でもあります。
ある時、祈るのに神様からの答えがない、解決がないように見えます。
だったら皆さんどうされるんですか。神様に対して申し訳ない、寂しい心を持つようになります。
そして神様に祈っても何もない、私を愛してないかな、そうしながら自分勝手にします。
ある時はもう教会も辞める、私教会行かないということもあります。
祈ってみた、しかし何もなかったと言います。苦労します、悩みます。
問題の中にいる人はもう幸せはありません。苦労苦労しながら神様の助けによって問題が解決できたら、
ハレルヤ、主よ感謝しますと言います。そして問題解決できたら、また自分勝手な自分のやり方で生きます。
一体私たちの問題は、いつどうすれば解決できるのか。天国に行ったら解決できると思いますけど、
この地上では私たちはこの問題がいつまでもいつまで続けられるようになります。
それで祈りの中で苦労しながら見言葉が何なのか、神様が何を願っているのか、そこに自分自身を合わせていくなら問題がだんだん少なくなって、
それである程度安全な、また勝利の人生を味わうことになります。
このように神様の見舞いで私の考えと言葉と行動を聖書的に一つ一つ直していくことが教会生活であり信仰生活であります。
神様がいろいろな苦難問題の中で、私たちが神様の見舞いに従って、神の見言葉に従って私自身を直していく、変化していく、これを神様が願っておられるんです。
それで神様が何年間私たちを訓練されるのか、何十年間神様が今訓練しているところです。
神様の訓練される時に私たちが自由意志を持って神の身胸を悟り早く協力してあげれば私たちは早く良くなります。
しかしそれをわからなくて自分のわがままで続けていくなら、皆さん問題はいつまでも続くでしょう。
この問題を解決するところには、牧師のメッセージも役に立つと思いますけど、もっともっと役に立つことがあります。
これが神徒たちの交わりです。牧師のメッセージは難しいです。
しかし神徒たちの交わりの中でいろいろな証、また体験談を聞くのは優しいです。
ああ私も同じなんですけど、ああこの方はこのように問題解決したね、この経験学を聞いて私もそうしてみようかと思いながら、それをやりやすくなります。
だから神徒たちの経験談を聞いてこれをやっていくことよりもっと優しいことはありません。
ですから教会が大事であり、神徒たちの交わりが大事です。
もう最近はインターネットが発展して、また各教会でインターネットで礼拝をいつも送り出すから、
だからインターネットで礼拝する人がたくさんいます。
その人たちができないことは何か、交わりができない。
立地意識できには分かったとするかもしれないけど、自分の生活が変わらない。
また自分の人生が変わらない。なぜ?交わりを通してそれを解決する方法をお互いに分かっちゃうことはないからです。
私は牧師ですけど、私が一番難しいと思っているのは私の家庭の問題です。
特に今息子と一緒に過ごしているから息子との問題は難しいです。
今皆さん息子が私より力が強いんですよ。息子はわがままです。よく怒りますね。
またある時には私にも無礼な働きもします。
私の息子じゃなければ二度も会いたくないやつですけど、息子だから仕方がなく抱えていかなければいけない。
神様は私が仕方がなく抱えていかなきゃいけないこの息子を通して私を訓練しておられます。
神様は私が息子に対して息子とのすべての関わりに対して神の御言葉通りやっているのかを見ておられます。
あなたはメッセージをうまくやるんだ。しかしあなたはやっていないんじゃないかと言われることもたくさんあります。
もし私が息子に対して感情通りパクッとするなら危なくなります。難しい。もっともっと難しくなります。
ですから私が今やっているのは教会学校から学びました。
イエス様だったらどうされるかなという。イエス様からだったらこのような状況の中でどうされるかな。
私は工夫工夫しながらその時思われる通り私は息子にやります。
だったらよくなりますし仲良しもなるし問題解決できるしよくやっていきます。
日本で10年間息子と一緒に今生活しているんですけど私は息子を通して訓練されていることを私は感じています。
ところがそのスピードが遅いです。なぜなら私が私のやり方を変えないからです。
私のやり方をそのまま持っていてある時悟ったことを少し少しやるだけで
私が自分自身を変えなければいつももうこのままでしょう。
私が神様に協力して早く私のスタイル私のやり方を諦めて
神様の働き方神様の身胸通り息子に反応するなら
もう早く訓練が終わるのではないかと思います。
それが何年ぐらいか息子と今十何年続けています。
神様は毛瀬を訓練されるのに80年間かかりました。
初めの40年間次の40年間そして80歳から120歳まで毛瀬を使ってくださって
出地エジプトというような奇跡的な働きを成し遂げられました。
皆さんは今信仰生活何年目ですか。
昔に比べて皆さんは今どのぐらい変わったんですか。
私たちが変わるなら神様は私たちを使われて神の驚く御業に使ってくださるでしょう。
ところがもし私たちの信仰の焦点が
自分自身が神の御言葉を聞いて変わる
この成長と変化にポイントを合わせるんじゃなくて
礼拝を儀式的に形式的に守ろう習慣的に守る