1. 東京ぶどうの木教会 メッセージ
  2. 「絶対善の神様を信じる家庭に..
2025-05-25 40:41

「絶対善の神様を信じる家庭になりましょう。」2025年5月25日のメッセージ

spotify apple_podcasts youtube

東京ぶどうの木教会 2025年5月25日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)ペテロ第1の手紙5:7-9 思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。8. 身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。9. 信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなたがたも知っているとおりです。 

メッセージ題 : 絶対善の神様を信じる家庭になりましょう。(Ⅰペトロ5:7-9)
*この世には心配、悩みが沢山あります。その心配のほぼ殆どが家庭の問題、子供の問題です。親は子供の為にいつも心配します。私の母は心配が多かったのですが、それを私が引き受けているような状況です。しかし信仰持っている家庭と言いながら、心配悩みを解決できなければ?
*家庭の月、最後の週、ぜひ覚えておきたいことは…神様は素晴らしいお方、絶対善のお方!
1.先ず、霊的な問題があります。
*創世記3章以来、原罪の下にいる人間、問題と苦しみがあります。特に信仰の家庭も。ヨハネ15:18,19 このとき私たちがやるべきことは?祈ることです。 *ここで、霊的な法則があります。ローマ6:16即ち、信仰によって祈ると神様が働かれ、不信仰の祈りにはサタンが働くということ。
*祈りは非常に大事です。しかし殆どの祈りは?答えがありません。なぜなら、ヤコブ4:2-3
*イエス様の口癖があります。あなたの信仰通りなりますように?要点は信じながら祈りなさい!#それにも私たちの祈りの問題は?神様を知らないで祈る。心配、不信仰の祈る=祈りの答えがない
*Ⅰペトロ5:7-8思い煩いは任せなさい。思い煩いのまま祈ると?敵である悪魔の餌食になる

2.ここで大事なのは、信仰をもって祈ること!
*その為、私たちが信じている神を知って祈るのが大事。使徒19:14‐15悪霊が何と言いますか#神様はどんなお方ですか? 
1)神は愛である。アガペー?無条件的、犠牲的、無限な愛の神・・・
→そのような本性を持って私たちを愛されるということ。例)過ちを犯して帰ってきた子供に?
→子供を・・・父母がもっと愛されますか?神様がもっと愛されますか?ローマ5:8,詩編27:10
2)神は全知、全能の力で愛される。*神は全知という意味は?過去と将来まで全部知って現在助けられる。*神は全能という意味は?無から有を創造されたその力で私たちを助けられる。→この全知、全能の力で愛によって、災いを転じて福とされるし、必ずハッピーエンデイングさせる
3)ここで大事なのは、神の主権的な働きと私たちの自由意思は共に行くので・・・畏れ敬いながら謙遜に神の主権に従うことで・・・一人の人の永遠な幸せがある。その為に、私たちは神を知り信じる!

3.ここで、神様は絶対善であるとは?
*神様は私たちに善くないことはくださらない!良いことだけを与えて下さる。私たちが過ちを犯しても福に成らせて下さり、結局は善にならせてくださいます。#その為に、信じる私たちに助け主聖霊様を!ローマ8:28→従って、Ⅰペトロ5:7 例)子供たちが大きな間違いを犯したのなら?
*使徒たちの働きを見ると?Ⅰコリント1:26‐28。ある方が持っている弱さ、障害?結局は祝福に#イエス様のお生まれ、十字架の苦難、復活と昇天、失敗の人生のように?それを勝利と救いで
*神に任せるとはどうすること?お祈りを持って頼み、親の役目をし、このことをきっかけで有益になることを信じ、落胆しない,希望を持つ!故清本さんを覚える。@絶対善神様を信じて幸せな家庭、教会を@神の働きは共同体を?悪魔の仕業は共同体を?教会を大切に。

サマリー

このエピソードでは、家庭の悩みや心配を解決するための信仰の重要性について語られています。特に、絶対善の神様を信じることで、家族の幸せを取り戻すことができると強調されます。また、神様が全知全能で私たちを愛し、私たちの失敗を通して祝福へと導いてくださることについて考えられます。家庭における子供への接し方や、神にすべてを委ねることの重要性も強調されています。最後に、家庭が持つ愛と責任、そして神様に全てを任せる大切さが語られ、神様の絶対善とハッピーエンディングを信じて、家庭や教会の中で互いに支え合うことが力強く訴えられます。

家庭の悩みと信仰の重要性
今日は、「絶対善の神様を信じる家庭になりますように。」という対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
世の中には心配・悩みがたくさんあります。
考えてみますと、その心配の悩みはほぼ
家庭のため、家族のためです。
親は子供のためにたくさん心配・悩みをします。
子供がうまくできていても、うまくできていなくても、親は子供のことが一番大事です。
また、結婚するなら孫のことまで心配しなきゃいけないから、この心配・悩みから私たちは自由になることはできません。
これが非常に非常に難しいので、度々思います。
子供がない家庭はどれほど幸せなんだろうか。
本当そうです。子供の心配が多すぎて、多すぎて、本当に難しいです。
私の母は本当に心配症、心配が多い。
心配がなくても、母に電話してみれば、心配が転移されてきて、私も心配しなきゃいけないほどになります。
私は母のそっくりです。ですから心配が絶え間ないです。
皆さん、心配するなら、人は無気力になります。
また情けない状態になってしまいます。
心配ばかりしている私自身を見たら、これで日本宣教とか宣教師とかいうことを言うのが恥ずかしくなります。
この心配と悩みを解決できなければ、その家庭はキリスト者の家庭と言えるでしょうか。
では私たちはこの心配・悩みをどうすればいいでしょう。
心配と悩みに対する祈りの力
家庭の月を迎え、最後に私たちが肝に銘じるべきこと、
この心配を解決するためには、私たちを、私たちが信じている神様がどんなお方なのかをしっかり覚えなければなりません。
神様は素晴らしいお方、また神様は絶対善のお方であることを信じなければなりません。
この神様を信じることによって、家庭の幸せを取り戻すことができればと思います。
まず私たちが覚えるべきことは、礼儀的には法則があるということです。
創世紀3章以来、現在のもとにある人間は問題がたくさんあります。
苦難がたくさんあります。苦しみがたくさんあります。
キリスト者の家庭は問題がないのか?
いいえ、キリスト者の家庭は世の中の心配、悩み、難しさ、プラス、
キリスト者だからこそ、担うべき問題、心配、難しさがあります。
要はね、中古書18節、19節、
世があなたたちを憎むなら、
この世ということはサタンでもできるし、世の中の雰囲気、
まだ世の中の人々にも当てはまるでしょう。
世があなた方を憎むなら、あなた方を憎む前に、
私を憎んだということを覚えなさい。
イエス様を憎んだということを覚えなさい。
あなた方が世に直しているなら、
世はあなたたちの身内として愛したはずです。
たが、あなた方は世に直していない。
私があなた方を世から選び出した。
だから世はあなたたちを憎むのだと言います。
いろいろな理由で信じる過程には問題がたくさんあります。
このとき私たちはどうすればいいですか?
祈ればいい。神様に祈ればいい。
信じる人でも信じない人でも、
みんなに当てはまる霊的な法則があります。
ローマ書6章16節
知らないのですか?
あなた方は誰かに奴隷として従えば、
その従っている人の奴隷になる。
つまり、あなた方は罪に従う奴隷になって死に至るか、
神に忠実に誓える奴隷になって義に至るか、どちらからです。
簡単に申しますと、
信仰によって行うなら、神様が働きます。
それで義に至ります。
不信仰のまま行うなら、悪魔が働きます。
それで死に至ります。
そこで祈りは非常に大事です。
祈りの中でも、信仰の祈りもあるし、不信仰の祈りもあります。
祈るは祈るんですけど、不信仰の祈りをする場合がある。
それによって、不信仰の祈りには悪魔が働きます。
信仰の祈りには神様が働きます。
神の愛と私たちの信仰
これをよく考えなければなりません。
イエス様の口癖があるということをご存知ですか?
あなたの信仰通りになりますように。
あなたの信仰があなたを救った。
私たちの信仰通りになります。
よくできると信じますか?
じゃあ、よくできます。
よくできないと信じますか?
よくできません。
これです。
なぜこの話をされるのか?
だから、よくできると信じて、信仰を持っていけなさいということです。
マルコ公書でカイドウ長ヤイロがいました。
娘が死にかかっている病気です。
ですから、カイドウ長という人は当時宗教主導者のレベルなので、
イエス様のところに行くのは難しい。
しかし、娘が死にかかっているので、どこでも解決できないから、
イエス様に尋ねていきます。
イエス様に行って対話をする間に、娘が死んでしまいました。
どうしましょう?
その時、イエス様が、恐れることはない。
ただ信じなさいと言われました。
あなたは、この意味は、あなたは今、恐れを選択することもできる。
信仰を選択することもできるけど、
恐れを選択しないで、信仰を選択しなさいということです。
彼は信仰を選択しました。
だから、信仰によって、死んだ娘が生き返られました。
信仰はパワーがあります。
信仰は信じるとおりできます。
だから、私たちは信じなければなりません。
ところが、一番大事な、信仰で一番大事なお祈りの中で、
信じて祈るのか、心配で祈るのか、
ただ宗教的な儀式で祈るのか、
私たちの祈りに問題がたくさんあります。
祈りの中で一番大きな問題は、祈りながら心配することです。
なぜ、祈りながら心配しますか?
神様がそれを解決する能力がないと思うからですか?
もしかして、神様が過ちを犯したら、どうするかということを考えますか?
また、私が願うのはこれなので、神様はこれをくださらないで、
他のことをくださらないのか、それで心配するのですか?
とにかく、私たちが不信仰によって祈るなら、
私たちの祈りは成し遂げられません。
なぜなら、不信仰には悪魔が働くからです。
さあ、今日の聖書、第一ペテロ五章七節八節に、
重い患いは何もかも神にお任せしなさい。
神があなた方のことを心にかけていてくださるからです。
身を慎んで目を覚ましていなさい。
あなた方の敵である悪魔が吠えたける獅子のように、
誰かを食い尽くそうと探し回っています。
神様がなぜ、重い患いは何もかも私にお任せしなさいと言いますか?
なぜなら、任せないまま、私たちがそれをもって心配し続けるなら、
これをイコール不信仰するなら、
食い尽くそうとしろ悪魔の餌食になるということです。
皆さん、悪魔は臆病の霊と言います。
この言葉通りです。
悪魔はまずその人に心配を入れます。
心配をもらって、心配し続けるなら、この人を支配します。
悪魔が心配を入れるとき、イエス・キリル・ミドによってそれを追い出すなら、
悪魔が私たちを攻撃できません。
占領すること、洗礼することはできません。
悪魔はまず私たちに心に何かを入れます。
心配、悩み、何か神様に対して何か、いろいろなことを入れます。
それによってその反応を見るんです。
アダムとエヴァも同じでしょう。
エヴァの心に、神は本当にこのエデンの園の全ての木からトテヤは食べないと言っているのか?
このエヴァの心からどんな反応が出るのか見ていました。
しかし彼女は間違えたことを言いました。
だから心配ない。
食べても絶対問題ない。
食べなさい、食べなさい。
それで食べてしまいました。
悪魔は心に何かを入れます。
ふっと思い出すときに、どうしよう、心配だ。
これは悪魔が入れるものです。
悪魔はたびたび皆さんの心に心配、不信心、何かうまくできない心を入れます。
それを私たちがどうするのかを反応を見ます。
それで支配するんですけど、臆病の霊は私たちが心配するとき、恐れるとき、どうしよう、どうしようとするときに入ってきて、それで強く攻撃します。
だから皆さん、心力、心の力、弱い人は少し何があっても、もっと恐れます。不安症になります。
もうすでに悪魔に支配されている状況です。
その中で信仰を持ちましょうと、いくら言ってもなかなかできません。
そのとき私たちは旧説にあるでしょう。
信仰にしっきり踏みとどまって、悪魔に対抗しなさい。
イエス・キリストのように皆によって対抗するんです。
そうするなら、悪魔は逃げていきます。
悪魔は実は力ありません。
だから悪魔は怖い姿で現れる。
怖がる姿で現れて怖がるように、力がないから騙すんです。
正々堂々として戦うのではなくて、騙して働きます。
このような悪い働きをしている悪魔です。
だから私たちはイエス・キリストのように、皆によって信仰を持ってしっかり立って、聖書通り信仰を持って対抗しなければなりません。
ここで大事なのは、信仰による祈りです。
どうすれば信仰による祈りができるのか。
それは私たちが信じている神様をどんな方なのかを知ってから、知るなら信仰ができます。
それで私たちは神様に強く祈ることができるでしょう。
ところが皆さん、悪魔は私たちが神様を知っているのか知らないのか、知るとしてもどのくらい知っているかを悪魔は知っています。
霊的な霊物だからです。
使徒行伝中級書でエペソーの地域にリバイバルが来ました。
パウロが精霊に満たされて、悪霊を追い出し病気を癒されるんですけど、ハンカチを持って人にサッと振ってもその人が病気を癒されたほどでした。
驚くほどのパワーがありました。
だからその地域の人々はみんなパウロみたいになりたいと思いました。
そこで使徒行伝中級書の14節を読みますと、ユダヤ人の最長スケワという者の7人の息子がいた。
その7人の息子がパウロがやっていることを見て、パウロの真似をして人々に手を置いて祈りをしました。
その時の15節を読みますと、悪霊は彼らに言い返した。
イエスのことを知っている。パウロのこともよく知っている。
だが一体お前たちは何者だと言いながら飛びかかってきたので、彼らは逃げたということが書いてあります。
スケワという息子たち、最初の息子たちなんだけど信仰はなかった。
パウロがやるから私たちもパウロみたいにやりたいと思ってやるだけで、中身を見たら何もなかった。
だから悪霊が彼を追いかけたということがあります。
私たちは神を知らなければいけない。神を知ることから信仰ができるしパワーができます。
ですから私たちは神を知らなければいけないんですけど、神はどんなお方ですか。
今日は簡単に3つだけ。神は愛です。
皆さん神は愛だと全部知っているでしょう。この愛ということはアガペの愛です。
聖なる愛、無条件的な愛、既成的な愛、無限の愛です。
代価を求めない愛、自己中心的な愛ではなく、相手の幸せと相手の有益を求める愛です。
神の本性が愛ということは、神の働きは全て愛によって行われることです。
神様が私たちを教える時も愛によって教える。神様が私たちを叱る時も愛するから叱られる。
神様が私たちに命令する時も愛するから、これは必ずやればいい。やるならいいよ。
それで愛を持ってくださることです。神様は心の動機から全ての過程、結果まで、神の愛と善を持って働くお方。
この意外としては働くことができないお方ということです。このような愛を持って神様は私たちを愛しておられます。
私たちの弱さ、過ち、罪と関係なく私たちを愛してくださり、憐れんでくださるお方です。
例えば今日子供が大きな過ちをして帰ってきました。
そうするなら親は心が痛いんです。私の子供はなぜこんなに
過ちが多いのかと思うでしょう。気の毒になります。
だからお母さんが子供にいろいろ叱ったり、いろいろします。もちろん愛が豊かな。そして子供がよくできることを願って、皆さん、親は子供をいろいろ面倒見るでしょう。
ところが、お母さんが子供をもっと愛してもっともっと憐れむんですか、神様がもっと愛してもっと憐れむんでしょうか。
私たちは、お母さんが謝って帰ってきた子供をもっと憐れむんじゃないかと思いますけど、
また神様はもう私の子供に対しては無関心じゃないかと思うんですけど、
神の愛と全知全能
皆さんはどう思いますか。お母さんがもっと子供を愛するんですか、神様が子供をもっと愛するんですか。どっちが正しいと思いますか。
ダビデの詩編27の10節にこう書いてあります。
父母は私を見捨てようとしても、主は必ず私を引き寄せてください。
ダビデが経験しました。父母は自分を捨てた。しかし神様は私を引き寄せてくださった。
ダビデの率直な心です。皆さん、お母さんが私たちのために、子供のために、子供が地獄に行かないように、子供の罪を全部背負って十字架で死んでくれたんですか。
お母さんが子供のために、私が全ての罪を背負って十字架で代わりに死んであげる。
と思うかもしれないけど、お母さんは子自身に対する自己本能ということ、保護本能があるので、人間が子供を助けるには見解があります。
私たちを愛して私の代わりに死んでくださることができる方は神様だけです。
ですからローマ社講師の話です。しかし私たちがまた罪人であった時、キリストが私たちのために死んでくださったことによって、神は私たちに対する愛を示されたと言います。
お母さんよりお父さんより世の中の誰より子供たちをもっと心配し、もっと愛し、もっと憐れんでくださる方。
この方がイエス・キリスト。この方が神様。神様はそのような愛をもって私たちを今面倒見ておられる。
また神様は私たちを愛されるんですけど、全知全能な力で愛しています。
まず神様は全知です。私たちの過去、今、将来のすべてを分かってから助けてくださるお方です。
親は過去のこと、今のことを少し分かっているんですけど、将来何が起こるか分かりません。
だから今助けるのが過ちが多いんです。しかし神様は将来の起こるところまで全部分かってから今助けてくださいます。
だからその助けが確かです。また神様はすべてが可能な全能の力で私たちを愛します。
神様は全世界に何もなかった時、今の全世界を作られました。
また作ったとしても一回作って永遠に変える必要がないほど完璧です。
この完璧な全能な方が私たちの過去、現在、将来のことを全部分かって
予知予定の中で私たちを愛して、私たちに一番良いことを与えてくださいます。
このすべてを踏まえて絶対全と言います。ここで大事なのはこのような神様、全知全能、絶対全能神様は主権を持っています。
私たちには自由意志があります。私たちが神の主権に従えば神のすべての働きが私たちに及びますけど、
失敗を祝福に変える
私が自由意志を持って神様を拒むなら、神様の全知全能、絶対全能愛は私と関係がありません。
だから私は神の働きに対して喜んで喜んで、同情同情と言いながら私の自由意志を下ろして神様の働きを受け入れるとき、
全知全能、絶対全能無限のパワーが私に役に立ち、私の力になります。
自由意志を持ってそれを嫌だなぁと思われたら、それが私と全く関係なくなります。
だから私たちは神の働きを喜んで受け入れる、この恐れうやまう心、姿勢が必要です。
じゃあここで神は絶対全ということをもっと詳しく考えていきましょう。
絶対全とは、神は愛なんですけど、その方の働きは全て良いということです。
全だということです。
神様は私たちに良くないことは絶対くださいません。
また私たちが悪いことした、過ちをしたということを神様は全に変えてくださるお方です。
日本語でこの言葉があるのか。
災いが転じて祝福になる。
災いが転じて祝福になるように働いてくださるお方。
過ちを犯しました。過ちをきっかけとして、良いことに変えてくださる力あるお方。
今は何か何か難しいんですけど、最後は必ずヘッピーエンディングになるように働いてくださるお方。
この全てが絶対全という言葉に働いています。
神様はこの絶対全ということを成し遂げてくださるために、私たちに送ってくださった方が聖霊様です。
聖霊様は助け主です。
聖霊様はどんな働きをされるのか。
ローマ書8章28節。
神を愛する者たち、つまり公元教国に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを私たちは知っています。
助け主聖霊様によって、全て万事が益となるように共に働いてくださる
この方が、この聖霊様の働きです。
ですから、第一ペテロ5章7節に、思い患いは何もかも神にお任せしなさい。
神があなた方のことを心にかけてくださるから。
心にかけてくださる、これは英語の聖書では、あなたをケアしてくださるから。
ケアしてくださるからと言います。
じゃあまたもう一度、今日子供が外で大きな過ちをして帰ってきました。
だったら親はどうすればいいですか。
お前そんなことするのか。嫌だお前、出て行け。
私たちの親はどうすればいいでしょうか。
まず、子供が犯した過ちを神様に、ああ、子供が今日このような過ちを犯したと言います。
主よ、神様、これをどうすればいいのか、あなたにお任せします。
神様にまず祈りとして、すべて打ち明ける、告白します。
そして、神様の絶対前の働きが、この子供に助けの働きができるようにお任せします。
そして、今日あなたが間違えたと言ったら、
間違いを通して、今私たちが何を学ぶべきかを、まず子供と一緒に考えることがいいでしょう。
それと、子供を慰めていきます。
子供は私のものですか。
叱ったらしょうがないでしょう。
子供を慰めていく。大丈夫、大丈夫。
あなたは間違いをするんだけど、神様はあなたのためにいいことをしてくださることを信じましょうね。
これからこれを持ち入って、これから過ちをしないようにしましょうね。
神様に委ねる。
神様は私たちの失敗を通して、次は必ず二度も失敗しないように、
失敗をきっかけとして、これからよく働きができるように、
災いが転じて祝福になるように働いてくださるお方だからです。
ですから神様にお任せしてから、私たちは静かに神の働きを待ちながら祈り続けることが大事でしょう。
私が大好きな聖書があります。
祈りと信頼の大切さ
マタイの中二章二十節。
傷んだ足を折ることなく、くすぼる刀身を消すことなさらなく、生かしてくださるイエス様。
マタイ中二章二十節。
この傷んだ足はもういい、これは使えない、ダメだな、
これはもう必要じゃないからこれを燃やしなさいと言うはずなのに、
それを折ることなく生かし助けてください。
くすぶる刀身、もう消えて煙がシューと出ているこの刀身、もうダメだ、もう可能性がない、
これは捨てるべきなんですけど、神様は、イエス様は、そのくすぶる刀身に火をもう一度つけてくださるお方なんです。
神様は弱者、罪人の味方です。
私たちの足りなさ、弱さ、弱くしておられるし、足りなさ、弱さに力を加えてくださって、
私たちを生かして助けて、使ってくださるお方です。
ですから人たちはこう告白しました。
第一コリント1章26節から、
兄弟たち、あなた方が召された時のことを思い起こしてください。
人間的に見て、知恵のある者が多かったわけでもなく、能力のある者や家柄が良い者は多かったわけではありません。
ところが神は、知恵のある者に恥をかかせるために、世の無学者である私たちを選び、
力のある者に恥をかかせるために、世の無力の者たちを選ばれました。
また神は、知恵のある者たちの無力な者とするため、世の無に等しい者、身分がいやしい者を見下される者たちを選ばれました。
人たちみんなが世の中にはもう何か使える道がないような弱さ、また生涯、いろいろな問題を持っている人でした。
しかし神様は彼たちを使って、それで神の身分を教えてくださり、
この人たちを大きく、世の中誰よりも大きく使ってくださいました。
これを見るときに、神様の働きは一体何でしょう。
またイエス様は神様でした。
神の栄光を捨てて、この世に来られて、貧しい人、病んでいる人、抑圧されている人、人々たちの味方になりました。
そうするなら、賞を受けるべきなのに、十字架に鞭を打たれ、血を流しながら悲惨に死んでくださいました。
世の中のすべての人は、イエス様の人生は失敗だ、もうかわいそうだと言うしかなかったのですが、
これが失敗ではなく、全人類を救うための贖いの死であり、復活されて死の地から悪魔を滅ぼし、
万王の王、万主の主に恋愛を受けるのにふさわしい方とさせてくださいました。
イエス様の十字架と復活によって見ています。
神の全世界の救いの計画を完全に成し遂げることを見たら、
神の働きは、私たちが見るときに失敗だ、ダメだと思うことを通して、
それを通して神の完全な世界救いの計画を成し遂げることを見たら、
災いが転じて祝福になる、また、ヘッピーエンディングというしかないということです。
神の働きは必ず、私たちを生かしてよく使ってくださいます。
今、私たちの子供を見るときに、この子供、弱くて競争力もない、
この子供、どうしようかという、嘆きが出る場面があるかもしれないけど、
皆さん、この神様を、この子供たちを、神にお任せしてください。
神様が面倒を見て、ケアしてくだされば、
この私たちを見るのに、もう何か力がないように見える子供たちだとしても、
神様はこれを大きく変えて、世界的に大きな人物として使ってくださるでしょう。
人たちは何もありませんでした。
しかし、人たちを神様に任せたら、この人たちを世の中で一番偉い人と使ってください。
イエス様がこの世に来られたときには、本当に痛んだ足であり、もうぐつぶる刀身のような存在でした。
しかし、聖霊によって力をつけられ、それで十字架と深町を通して、
万王の、万宗の主として、全世界がその前にひちゃまずいて、礼拝する存在にさせてくださった。
神様の働きはこんなに素晴らしいです。
神に任せるということは、神様に祈りとして頼み、親としてやるべきことはしっかりやるんですけど、
神様がこの子供の過ちの子供を通して、絶対全の力で、
災いが転じて祝福になるように、ヘッピーエンディングになるようにさせてくださることを信じるから、絶望しない。
ダメになった子供を見ながらも、絶望しない、楽観しないことです。
また、この失敗を通して、もっと良くしてくださることを信じて、希望を持つことです。
また、それを通して、私たちの家庭の中に心配、不安を入れようとする悪魔を滅ぼすこと、追い出すこと、力です。
そして、祈り続けること、希望を持って、信仰を持って、祈り続けることです。
これが、主にお任せしなさいという言葉の意味なんです。
私が初めに1979年の新校に入ったんですけど、その時、私を導いてくださった牧師夫人の方がいます。
この牧師夫人の方は、両親は早く亡くなられて、弟と一緒に暮らしたそうです。
結婚する時になって、自分が嫁になっていくなら、この自分の弟はどうするかと心配になって、
この弟のことを主にどうかどうかと言いながら、ある日、山に登って祈ったんです。
当時の人は山によく登りましたね。
山に登って祈って、私の弟を主にお任せします。
私の弟を主を預かってくださいと当時は祈ったんですけど、
夜真っ暗になったら、この目の前にある何か木があって、
この木を持って主にお任せします、お任せしますと祈ったんです。
もう祈ってみたら、この木がパーッと抜けられて捨てられるほど、主よと思いながらよとしている。
その間に心に平和が来て、心配がシャーッとなくなったんです。
この後はもう弟並みに心配することはなかった。
祈ることはちょっと祈ったでしょう。
その後、弟はどうなったのか。
アメリカに行って音楽の勉強をされて、
これからは教会で聖火隊の指揮者としていろいろな働き、立派な働きをされたそうです。
自分がケアしたらアメリカに留学できません。
しかし神様がケアしたら、もう何にもない、お金もない弟をアメリカに留学までさせてくださって、
また教会で立派に使ってくださったということ。
皆さんその証を聞いて、私たちの重い荷物がありますか。
皆さんの重い荷物、親はほとんど子供ですよね。
子供のことを皆さんに神に任せましょう。
子供を通して、子供が弱さを持っているから、
弱さを通して親にいろいろ心配、悩みをかけ、
そして支配しようとするこの悪魔の勢力があります。
家庭と神様への信頼
悪魔に負けないでこの子供を神様にちゃんと預かることです。
神様がケアするように私たち祈りで預けていきましょう。
そうなら神様がこの私たちの子供たちにケアして、
何かすべての条件、喚起を与えて、
神様が立派に立派にさせてくださることを信じましょう。
それが主は絶対善、主はヘッピーエンディングをくださるお方なんです。
私たちにはこんな素晴らしい神様が私たちの父であります。
この素晴らしい神様が私たちを助けていってくださるし、
今隣で私たちが共におられることを信じて、
私たちは神様に任せながら、
いつも賛美し感謝する私たちになりましょう。
私は今日のメッセージを準備しながら、
天国におられる清本さんがいつも思います。
清本さんはいつも賛美。
主は素晴らしい、主は素晴らしい、
主は素晴らしい、私の主。
その方はいつも主は素晴らしい、主は素晴らしい。
いろいろ証があるでしょう。
一生が主は素晴らしい、主は素晴らしい、主は素晴らしいと言いながら天国に行きました。
皆さん、私たちを世の中で作られた理由は何か知っていますか。
イザヤ43章21節4321
神様が私たちを賛美するために作られた。
主を賛美するように作られた。
そうです。心配、悩みをするように作られたのではありません。
賛美するためには、神様を体験したことが大事でしょう。
どんな方だから賛美するんですか。
主は素晴らしい御業を起こしてください。
絶対善の御方、ヘッピーエンディングを下さる御方。
過ちを起こしてもそれをもってきっかけとして善を作って下さる御方。
素晴らしい素晴らしい御方。
その神様を主は素晴らしい、主は素晴らしい、主は素晴らしいと
いつも賛美しながら私たちも天国に行きましょう。
5月最後の週ですけど、
皆さん家庭、私たちに与えられている家庭。
家庭は愛する人が全部集まっているところです。
私の妻、私の旦那さん、私の愛する子供たち。
もう目の中に入れても何かが惜しいと思わないほど、
痛みがないほど大切な私の子供でしょう。
この子供が集まっているところが家庭なのに、
今私たちの家庭、家庭が一番難しい、一番辛い。
家庭のことを思ったら溜め息が出るほどの今状況ではありませんか。
他の子供たちはそうですけど、私の子供の弱さを見たら、
どうして心からこの嘆きが出てくるんでしょう。
愛するからもっと心が痛いんです。
さあこの私たちの大切な私たちの家族、どうしましょうか。
今日の御言葉通り、神様にお任せしましょう。
神様がケアするように、神様が面倒を見られるように、神様に預けていきましょう。
そして私たちは神様がなさる絶対善、ヘッピーエンディングを期待しながら、
いつも賛美し感謝し、あなたは良くなるよ、神様がやるから、
過ちを通してもっと素晴らしい善を成し遂げてください。
二度も過ちがないように立派にさせてくださるよ、神様。
信仰を持って神を崇め、礼拝する私たちになりましょう。
教会のコミュニティと愛
それが礼拝する過程。
それがその過程が神様が思い存分働いて、私たちは全部幸せにくださるんでしょう。
また教会は礼的な過程。
皆さん、礼的な過程は何が大事なのか。
もしかして世の中の過程は、共に居て、共に生きて、
もしかして世の中の過程は、共に天国まで行かないかもしれません。
しかし、教会の家族はみんな天国まで一緒にいて、
これから永遠に天国で一緒に暮らす大切な存在です。
この方たちのために、私たちはどうするべきなのか。
皆さん、カラディア六章二節、互いに重荷を担いなさい。
そのようにしてこそ、キリストの立法を全うすることになります。
お互い愛しなさい、全うする。
だから、教会の家族はお互いによく仕えて、よく助け合って、愛し合って、
これから見事ばとおり、私たちは美しい家庭、美しい教会を作り上げる私たちになりましょう。
5月、大事な大事な家庭の月。
今日、神にお任せしなさい。
どうお任せするのか、今日のメッセージを通して、
皆さん、しっかりこれからの働きを覚えて、
子どもたちを見るときに希望が湧き出る、
子どもたちを見るときに喜びが湧き出るような、
私たちの教会、家庭になりますように。
じゃあ、お祈りします。
主よ、家庭の月、5月を通して、
私たちの家庭、また、礼的な家庭である教会の大切さを教えてくださって、ありがとうございます。
私たちの家庭の大きな大きな重荷だと思っていることを、神様にお任せします。
ケアしてください。
心配、悩み、恐れを、私が家庭を攻撃する悪魔を、イエス様の皆によって追い出します。
私たちの家庭を守ってください。平安を与えてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
アーメン、アーメン。
40:41

コメント

スクロール