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2023-07-23 36:03

「神様を喜ばせる為に生きましょう」2023年7月23日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2023年7月23日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
▼教会へのお問い合わせ:tokyo.vine.church@gmail.com
▼メッセージの自動文字起こしはこちら
https://listen.style/p/tokyovinechurch/hwffw6yy
▼動画によるメッセージ:
https://www.instagram.com/reel/CvBhssDpZlC/?igshid=Y2I2MzMwZWM3ZA==

ルカ-46あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」41.そこでペト ロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、42.主 は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人 は、いったいだれであろうか。43.主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。44.確 かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。45.しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思 い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、46.その僕の主人は予想しない日、思いが けない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。

サマリー

「神様を喜ばせるために生きる」という考え方で、メッセージを分かち合いたいと思っています。私たちが神様の見えない招きに応えるために、より良い結果を得ることができるのではないかと思い、今日はメッセージを準備しました。私たちキリスト者としては、神様が私たちを救い、招き入れる目的があります。アーブ王とイゼベルが神様の預言者たちを殺し、アーブ王が罰を受ける可能性を考えましょう。神様を喜ばせるために祈ることや、リーダーとしての責任を果たすことが重要です。もし私たちが彼らのために何かできるのであれば、大規模な教会にたくさんの信徒がいるという資源をどのように活用しますか。私たちが本当に有益に使える人数を預かって、彼らのために全力を尽くすことが、正しいリーダーの姿であり、活用できる人々の心の姿勢が重要な要素です。

キリスト者の目的
今日は神様を喜ばせるために生きましょう という対応を持ってメッセージを分かち合いたいと思います。
今非常に暑いです。 非常に暑い中で外に出てみれば
本当に熱心に働いておられる方たちが目に見えます。 私はこんな暑さの中で
熱心に働いておられる方々を見るなら 心から
神様その人たちは祝福してくださいという気持ちになります。 みんな
仕事を熱心にやってますね。暑さ寒さ関係なく熱心にやっています。 そのお仕事によって
給料をもらってそして家族を養う方もいるし また自分の願っている目的を達成して
そして幸せになりたいと思っている方もいるでしょう。 とにかく皆さん熱心に働いているところであります。
そこで私は熱心に働くことも大事ですけど
人生の目的を正しくして熱心に働くなら もっともっといいのではないかという心で今日のメッセージを準備しました。
特にキリスト社である私たちは 神様が私たちを救われ招かれた目的があります。
その招きを年度において 私たちが働くならもっともっといいのではないかと思って今日はメッセージを準備しました。
ですから今日のテーマは 自分を喜ばせるよりは神様を喜ばせるためにいきましょうというメッセージを
申し上げたいと思います。 神様は私たちがどのように過ごす時に喜ばれるでしょうか。
皆さんここにマイクがあります。 立派なものでしょう。
マイクの目的は何ですか? このマイクは今ジュームで参加しておられる方たちがいます。
このジュームで参加される方たちにこの礼拝堂、私たちの声をこれを通して 今ジュームを見ていらっしゃる方たちは聞いておられます。
だからこのマイクがなければジュームで見ておられる方たちは声を聞くのは難しいでしょう。
ところがこのマイクが 音をうまく伝えることができなければどうしますか。
何回何回聞きながら聞こえませんよ。 怒ったりして、そしてこのマイクかっこいいけどこのマイク使えますか。
音が確かに出る他のマイクを使わなきゃいけないでしょう。 ここで大事なことはこれなんです。
私たちの人生の目的、私たちの人生の役目、 これをうまく成し遂げるとき、みんなの喜びになり、その人は大事な人だよと思われる、そのような存在になるでしょう。
神様が私たち人間をなぜ作ったんでしょうか。 これはもう創世紀初めから今まで変わりはありません。
創世紀1章26節、神は言われた、我々に偏り、我々に似せて人を作ろう。 そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這う者すべてを支配させようとしました。
神様が作られたすべての万物を管理する、神様の代わりに管理する、 神様の代理者、使命人として私たちを作られたんです。
その働きのために神様の見姿で作られたんです。 またこれを担う人間に創世紀2章で見てますと、
エデンの祝福、人間のすべての満足、幸せ、豊かさをただで与えてくださいました。
ところが創世紀3章で人間は蛇の誘惑を受けて 神様に従うよりは
蛇、悪魔、悪魔に従うようになりました。 それによって人間は神様から与えられたエデンの園を失ってしまい、
それから欠乏、貧しさのゆえに苦労しながら最後は死ぬ存在になってしまいました。
その呪いが創世紀3章17節から書かれて、神はアダムに向かって言われた。
お前は女の食えに従え、取って食べるなと命じた木から食べた。 お前のゆえに土は呪われるものとなった。
お前は生涯食べ物を得ようと苦しむ。 お前に対して土は茨と狭みを張り出させる。
野の草を食べようとするお前に、お前は顔に汗を流してパンを得る。 土に帰る時までお前はそこから取られた土に、
地理に過ぎないお前は地理に帰る。 人間はこれから
狭みと茨と狭みの畑の中で 生きるために苦労しながら
たくさんの傷をいただき、また汗と涙を流しながら 世の中で死ぬほど苦しみの中で過ごすようになった。
また死んだら 身体は土になりますけど
霊魂は地獄に堕ちるようになった。 皆さんこれが罪の結果なんですけど
申し訳ないがこれが今全人類がこんな熱さの中で 今それを担っているところではないかと思います。
この世の中は罪によって苦しみと呪いの世界になりました。 この苦しみと呪いの世界
そこで死ぬほど頑張っている人間 私たちはあれに思ってくださって
神様はイエス・キリストを救い主として送ってくださいました。
いわゆる3書中6節、神はその一人子をおあたえになったほどに 要愛された一人子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためであると言います。
一人子イエス様を送ってくださり 十字架で私たちの罪を代わりに背負って死んでくださることによって
イエス様の父親によって神様を逆らった罪を全部許してくださり 新しく生きる道を開いてくださりました。
その道って何でしょう。イエス様はこう言われます。ヨワネ14章6節
イエスは言われた私は道であり真理であり命である 私を通らなければ誰も父のもとに行くことができない
道であり真理であり命であるイエス様が具体的に私たちにどう生きなさいと言われているのか
神様に喜ばれる生き方
これがマタイ6章31節から33節 だから何を食べようか何を飲もうか何を着ようかと言って思い悩むな
それは皆違法人が切実に求めているものだ あなた方の天の父はこれらのものが
皆あなた方に必要なことをご存知である 何よりもまず神の国と神の木を求めなさい
そうすればこれらのものは皆食わえて与えられる 何を食べるか心配するなぁ
それは世の中の人々が心配することである あなたたちは救われた神の子供ではないか
神様が人間を作られた本来の目的を回復しなさい そうすればあなたたちの必要は私が全部満たしてあげると言います
皆さんこれが罪と呪いの中にいるこの世の中 そこでキリスト社たちの生きる道生きる方法なんです
キリスト社の生きる道と方法はこの世の中の人々の生きる道と方法とは異なります
本来神様が人間を創造された目的があるんですけど その目的通り生きるなら神様があなたの必要を満たしてくださる
だからキリスト社になったとするなら 生きる道と生きる目的方法を変えなさいということです
そしてこう言います マタイ6章26節28節 空の鳥をよく見なさい
種もまかず狩猊もせず 蔵に納めもしない
だがあなた方の天の父は鳥を養ってくださる あなた方は鳥より価値あるものではないか
なぜ威服のために思い悩むのか 野の花がどのように育つのか注意してみなさい
働きもせず紡ぎもしないのではないか 神様はこれをイスラル民にアラノの聖火鳥を通してそれを見せてくださいました
アラノというところは何もないところです 神様はそのアラノで200万人のなる
神の民イスラルの民をどのように養ったのでしょうか 天からマナーが毎朝
降りてきました 時々天から渦が飛んできて水から落ちてお肉を退去してくれました
またついに岩から水が沸き上がって それで200万人を飲ませてくれました
またその前に海があったらそれを分けて渡るようにしてくださり 昼の太陽の暑さを雲の柱で塞いでくださり
夜の寒さを火の柱で暖かく保護してくださいました 皆さんこれをどうして神様が私たちにくださるメッセージは何ですか
これが神明記8章2節3節に書かれてあります あなたの神主が導かれたこの40年のアラノの旅を思い起こしなさい
最後の時期の指導者と反省
こうして主はあなたたちを苦しめて試し あなたの心にあることすなわち
ご自分の忌ましみを守るかどうかを知ろうとされた 主はあなたを苦しめ飢えさせあなたも先女も味わったこともない
マナーを食べさせられた人はパンだけで生きるのではなく 人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたたちを知らせるためであったと言います
あなたたちは私の民ではないか私の子ではないか 私の御言葉に従うなら私はあなたたちの必要を全部満たしてくださるんだということを
アラノでずっと見せてくださったんです ですからあなたたちは信じない人たちが自分を喜ばせるため自分の努力で自分を満たすために
頑張るそれを真似するのではなく神の子供らしく 神の御言葉に従って神様を喜ばせるために生きなさい
また何を食べるかどう生活するか心配することではなく 私があなたたちに頼んだことを
それをやりなさい それをやれば私たちの生き方はこれで神様によって生きることになります
じゃあこれが何でしょうこれをこれから申し上げたいと思います さあ今は終わりの時です皆さん終わりの時っていうことは非常に大事な時期です
今までうまくやったとしても最後うまくできなければ大変なことになる 今までうまくできなかったとしてもこれからうまくやれば神様の祝福に預かることもできる
終わりの時最後のこの瞬間これが大事です 今は最後の時期です終わりの時期災いの時期
今の時期に私たちはどうすれば神様を喜ばせることができるのか これが今日読んでくださったルカの12章40節からずっと書いてあります
じゃああなた方ももう一度読みましょうあなた方も用意していなさい 人の子は思いかけない時に来るからである
イエス様が再び来られるのは私たちが思いかけない時に来られるという
主は言われた主人が召使いたちの上に立てて時間通りに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は一体誰であろうか
主人が帰ってきた時言われた通りにしていることを見られる下部は幸いである 確かに言っておく主人は彼に全財産を管理させるのに違いない
しかしもしその下部が主人の帰りが遅れると思い
家難また女中を殴ったり食べ物飲んだり 食べたり飲んだり酔うようにことをするならばその下部の主人が予想しない日
思いかけない時に帰ってきて彼を厳しく罰し不忠実な者たちと同じ目に合わせる
これが最後の時のことを想定してルカの福音書で私たちに教えてくださることです この部分を通して私は今日3つのことを皆さんと考えていきたいと思います
これを見てますと皆さん何を思い出されますか 何より個人プレイ
個人中心の信仰より教会中心の信仰生活しなければいけない 今日のことをよく見てください
神様はいつも信仰共同体を前提としてお話しされていることがわかります またここで厳しく注意するのはこのリーダーです
指導者です 指導者が教会に使えることそれが神様が願っておられる神様の御心をもって正しい姿勢で使えなければいけないことを教えてください
皆さん人生の最後を振り返ってみながら 今まで私はどう生きたのか
反省することは非常に大事です それで聖書全体を通して
一人の人生の最後を振り向いてみて 皆さん一番裁かれるべきこの人は必ず罰を受けるべきだと思っている人はどなたですか
アーブ王とイゼベルの行動、神様の裁き
私はイゼベルとアーブ王だと思います アーブ王というものはイスラエルの王様なのに妻イゼベルと共に神様の預言者たちを皆殺した人です
神様の預言者たちを皆殺してエリアさえも殺そうとする人です 皆さんも考えられませんか
こんな人がいるなら必ず罰を受けるべきだと 裁かれるべきだと思うでしょう
ところが彼が最後に 最後が大事です 最後にどうしたのか レチオキ城の21章の29節です
アーブが私の前に減り下がったことを見たのか 彼が私の前で減り下がったので私は彼が生きている間は災いを下さない
その子の時代になってから彼の家に災いを下す 彼が減り下って反省するから神様が悪いことしたアーブ王には災いを下さないということです
災いはいつ下すのか 彼じゃなくて彼の次の世代
次の世代に災いを下す こんな悪いことしたアーブ王は殺すべきなのにこの世は裁かれるべきなのに
最後の時神様の前で減り下って自分自身が間違えたと反省していることを 神様が見て
神様の判断を次に伸ばす 皆さんこれが大事なんです
私たちが今までどのように生きたのか また指導者として業界のリーダーとしてどのように生きたのか
減り下って反省すること これが皆さん人生の最後の時に一番大事なことです
また大事なのはお互いのための取りなし祈りだと思います 神様は取りなし祈りを喜ばれます
なぜなら自分のために祈るのはうまくやるでしょう しかし他人のために 共同体のために 種のために祈るのは私たち少し物足りないではないでしょうか
この部分を自分のために祈るのは誰もうまくやります しかし自分だけじゃなくて皆さんのために祈る取りなし祈りが神様を喜ばせるんです
孟瀬はリーダーとして取りなし祈りをよくしました イセラル民が
シチュエリプト30章31章を見ていますと 孟瀬が神の山で登って神様からの忌ましめ実戒を受けるためにいた時
40日が経っても下ってこないんですよ 降りてこないんです だから孟瀬は来ないのだと思ってその間に空城を作って
これから私たちを導く神様がこの空城だと思いながら 空城崇拝をしている時に神様が怒られたんです
そしてこのイセラル民を全部滅ぼしてしまおうと言いました その時孟瀬はどんな取りなし祈りをしたんですか
これがシチュエリプト32章の32節 今もしあなたが彼らの罪を許してくださるのであれば
もしそれが叶わなければ どうかこの私をあなたの書き記された命の賞から取り消してください
どんな祈りですか 孟瀬自身が
神様イセラル人と裁くんじゃなくて私を裁いて地獄に送ってください 代わりにイセラル人たちを救ってください
皆さんこの祈りを神様に言う孟瀬ですから 神様は34節を見ますと
わかった私がこの民たちを許す そして民を導いていくと言いました
私がたびたび私の子供たちが勝手に喋ることを見て怒り怖いんですよ
それで孟瀬のように祈る時があります 神様私の子供の代わりに私が地獄に行くから
子供たちは天国に送ってください しかし皆さんこの祈りは誰ができますか
自分も地獄に行くくせに子供たちは私を地獄に行かせて子供を天国に行かせてください 話にならないでしょう
自分は神様の前で天国に行くような存在だったら 私が代わりに地獄に行くから子供たちを天国に行かせてください
この話が受けられるのではないでしょうか だから取りなし祈りをする人が
神様を喜ばせるための生き方、リーダーとしての責任
神の前でどんな存在なのかこれが非常に大事なんです だから聖書は偽人の祈りは効き目がある
悪人の祈りはこんな取りなし祈りしてもしょうがないんです 偽人の祈り
だからリーダーが神の前でふさわしい 認められる
神様の前で正しい人じゃなければなりません リーダーが神の前でどんな人なのかが大事なんですよ
リーダーはいつも神様の前で自分の救いを確かめなきゃいけない そのために毎日悔い改めることが大事
悔い改めることは今まで行く道を取り 行く道から取り戻して
正しい道に行くこと道を変えることなんですよ 倫理道徳的な部分もありますけど
リーダーが今までどんな姿勢で人々に仕え 教会に仕えたのか
自分を喜ばせるために教会に何とかしたと言ったらこれは大間違いなんです 皆のために神様のためにそのために生きるべきでしょう
自分を喜ばせる目的が少しあったとしたらリーダーとしてふさわしくないんです 神様はリーダーの心を見ていらっしゃるから
だから教会のために皆のために神様のために生きる この道があなたの神様の見舞いで正しいのか
これが今問われることです 皆さん時間あまりありません
一人の人の人生 明日はどうなるか分かりません
だから今日の間に私たちの人生の目的を 皆のために神様のために生きる
神の喜びのために生きる人として生きたいという 人生の目的を確かにすることが一番大事
ではこれから神様を喜ばせるために私たちは何をするのか 神様が一番願っているのは命の救いなんです
人を助けることなんです 神様の見姿で作られた人間が悪魔と共に地獄に行くのは
もう与えられないんです だから人を救うために自分の人生を捧げる人は神様は非常に喜んでおられます
先週も申し上げましたけど私の人生が変わったきっかけがあります 私の前の会社は
第一修行をもとにする会社でした 私もその会社に入って本当にこの会社は私と本当に似合うと思って
それで精一杯頑張りました そこでみんなから認めてもらう最高の人になるために頑張りました
職場の生活がもう戦争の場に戦いました それで疲れ果ててしまって辞職願いを出しながら辞めようと思っている時に
ある知人が私に伝道訓練に参加したらどうですかって言われ 伝道訓練をしながら私の人生の目的が変わりました
これから私は最高になるために会社に行くんじゃなくて 命を救うために会社に行くんだと
人生の目的を変えました そうしたら辞職願いを出した私にチャンスが来て
社内で有名になり出世の道が開かれ そして日本の駐車員の間で出てくるようになりました
皆さん神様がなさったら簡単ですよ 私が有名になりたい私が出世したいと
そんなに願った時にはできなかったんですけど 神様がなさったらすぐ簡単にできました
人生の目的を変えてみてください また伝道訓練の中でどれほどたくさんの体験をしたのか
一生伝道していきたいと思いました 先週伝道師さんと一緒に日本で教会がない未伝地
その地域に伝道に行きました 暑い日一度も行ったことがない地域に行って伝道したんですけど
その結果がどうなったのかみんなに喜びがありました 皆さん知らない人の家に入って
この家で平和のために来ました 平和を祈るために来ました とんでもない話をして誰が対話に応じてくれるか
半信半疑で参加したんですけど 結果的にはある人は平和の子に見つかりましたよ
ある人は自分に祈ってくださいと言った人がいてびっくりしたと言う 私たちはこれからどうすれば私たちは神様を喜ばせる人生ができるか
その希望が見えて驚きました またイエス様はこう言いますイエスは聖霊によって喜びあふれて言われた
天地の主である神様 あなたを褒めたたえます
皆さん伝道訓練を通してイエス様がこの結果をもって神様を褒めたたえるようなこの喜び
神様の喜びが私たちに与えられるから 伝道訓練に参加した全ての人の心に喜びと確信と希望が生じた
私はこれが命の働きだと思います その命の働きがこのところに参加するなら 私は私たちが持っている病気は全部治るんだと私は信じています
また最後になるほど神様を喜ぶのは命の救い またそれと神の子供たちをケアすることです
これは個人的な話ですけど いつも私はアメリカにいる妻と娘の心配がいっぱいある
最近家族たちが今まで私に言ってくれなかった話を聞いたんですけど 妻がアメリカに行くときに韓国に持って行ったお金財産を全部持って行きます
でも韓国のものをアメリカに送るのは優しくありません その間に何があったのかわかりなさいけど
全部失ってしまった 詐欺をされたのかわかりませんけど
一生懸命集めたお金がアメリカに行くときに全部なくなってしまった
私はもうかっかりして これから妻がどう生きるのかかわいそうでたまらなくて
かっかりしました 皆さん私が家族に対してこんなにかっかりする心
神様がこの世の中に住んでいるキリスト社 神の子供たちに対して同じ心を持っています
神様は神様の子供たちをいつも心配しています これはイエス様が表現してくださいました
なんでしょう 狼の群れの中に子一児がいる
神の子一児が狼の群れの中にいる どうしようということは神様の見心なんです
皆さんとりあえず危ないでしょうか 狼の群れの中から神の子一児を守ることはどこですか
どなたが守るべきでしょうか このために教会があるのです
皆さん教会は信徒たちをケアして助けて教えて導いて癒して 信徒たちをうまく守ろうとうまく伝えること
これが教会の役目なんです 信徒たち2人3人がいるところに私もいる
私の心がそこにあるんだよ 皆さんこの教会はどれほど神様の心があるところ
教会をうまく使えるなら神様はどれほど喜ぶでしょうか いつも江戸物の家のことを言いますけど
サムエル経の6章11節12節でこう言います
3ヶ月間神様の契約の箱が江戸物の家にあった 死は江戸物とその家のもの一度祝福された
神の契約の箱がそこにいるゆえに 江戸物の家とその財産も全て死は祝福された
それをダビデが聞いて彼は直ちにそこに行って 契約の箱を運んで自分の城に入っていった
ダビデは神様を喜ばれるのは他の人に譲りたくない
だから彼は神様を喜ばれることを自分は先にやりたくて これを熱心に頑張った人ですけど
神様は神様に礼愛を捧げる人だけじゃなくて 神の子供たちをうまく使える人たちを祝福します
今日6話の12章42節 神の子供たちをうまく使える人たちがいたら
神様は彼たちに自分の全てを与えるのに違いないと言います
しかし神の子供たちを預けておいたのに
その子供たちを利用して自分の利益のためになんとかするものがいるんだとしたら
神様は彼らを裁くのに違いないと言います
ですから皆さん最後になるほど 大事なのは何かというとリーダーの心なんですよ
なぜ大きな教会を願いますか 大きな教会に信徒たちがたくさんいることを自分の誇りに思いたいでしょう
使える人たちの心の姿勢
この一人一人の信徒たちを使えてその人たちのためになんとかしてあげたいと思ったら
大きな教会にたくさんの信徒たちを自分はどのように使いますか
自分が本当にうまく使えるその人数 それを預かってもらってその人たちのために自分の全てを捧げる
それが正しいリーダーの姿ではないでしょうか
まず大事なのは使える人たちの心の姿勢 これが大事なんですよ
また命を救う働きが神様はどれほど願っておれるのか
だから人を救う人を助ける人の役目のためになんとかする
神の子供たちを預かっておいてその人のために生きる
このことがどれほど素晴らしいことでしょう また2人3人が集まるこれは教会ですから
教会がしっかりするならそこに出入りを入りながら祝福預かり出るながら祝福預かり
出入りする時に祝福を預かって全ての問題解決できる
その教会を立ててその教会に使える人がいたら
神様が終わりの時期どれほどどれほど喜ぶのでしょう
だから44節に確かに言っておくが主人は彼に全財産を管理させるのに違いないという
ですから皆さん最後になればなるほど 私たちが目を探して
主が何を喜んでおれるのかその働きにもっともっと忠実にやっていきたいと思います
今暑いところでみんな 頑張っています熱心にやっています
本当にお疲れ様ですと言いたいところです
しかしその中で残念と思うのは 私たちの人生の大事な目的
神の栄光のため 神を喜ばせるために私たちは自分の何かお仕事をしても何をするんだとしても
神を喜ばせるために 神様の人々神の子供たちをうまく使えるために頑張ればいいのに
それを信じない人は分からないでしょう しかし信じている私たち
神の栄光のため主の喜びのために生きる私たちになれればと思います
このような働きをされる方のすべての苦労 神様がどれほど喜んですべてを報いてくださるでしょう
そのような人たちを支援の一辺では いかに幸いな人なのかと言います
また福音書の三尊の推訓では 岩の上に家を建てる人と同じだと言います
ですから皆さんこれからは自分を喜ばせるために働くのではなく
神様を喜ばせるために人々を使えるために これから私たちの今熱いところ
みんな今疲れているところでも主を喜ばせるために また神の子供たちをうまく使えるために
私たちの力 私たちのすべてを尽くしてこれからやっていきましょう
これが私たちの人生がこの世だけではなく これから永遠に生きる世界で永遠に祝福される道なんです
じゃあ熱いところ皆さん本当にお疲れ様です しかしその中で神様から喜ばれる祝福されるこの道は
ぜひともぜひとも忘れないでそれをやっていきましょう お祈り出します
主よ この世の中で皆さん本当に熱さにもかかわらず本当にお疲れ様でいます
その方たちがみんな祝福に預かることができるように祈る心でいっぱいです しかし残念ながらその苦労がただ自分を喜ばせる
自分が食べて生きるためだとするなら何の意味があるんでしょうか 主を喜ばせるために主の身胸を持って命の救い
また2人また3人が集まるその教会 信徒たちをうまくうまく助けることをつなげるこのような役目働きになるなら
その働きがどれほど価値があり祝福されるのでしょうか どうかどうか私たちが神様が喜ばれるこの働きを終わりの時
うまくやって神様からよくやった 祝福される私たちにならせてください
イエス様の皆を通してお祈りいたします アーメンアーメン
36:03

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