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2022-09-19 35:30

「忠実で賢い 、 神様の管理人」2022年9月18日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2022年9月18日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

ルカ-44 「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。

00:00
今日は 最後の時一番大事なことは
忠実で賢い神様の管理人になることだということを申し上げたいと思います。 じゃあ皆さん、皆さんは何かを深刻に待ち望んだことがありますか?
私は軍隊に行って3年間 非常に苦しくて苦しくて苦しくて
招待するその日をいつもいつも待ち望んでいました。 軍部隊の人は毎朝6時に天候をとることがあって、毎朝6時
寝る時間は10時。これ決まっているんですね。 夏でも冬でも同じです。
そして朝6時起きて天候をとるその場所の前に山があります。 そこにはジュジュジの花もあるしレンギョウの花もあるし
私はその花が咲いて散って咲いて散るなら
帰るということをいつも考えました。 その花が咲いて散って咲いて散って
そうするなら帰る。 その時まで待ち、今楽し、何て言うんですか、
耐え忍ぶこと。 ずっと苦しみの中でそれを待っていたんです。
そうしたら ある招待の日が来ました。
今私は その時その気持ちで
私の人生の最後の時を準備しています。 皆さん考えたことありますか。若い方にはあまり考えないでしょう。私も67歳と言って
体の中で一つ一つ弱さが見えてくるとき 私も年取っていくんだなという気持ちがあります。
先輩たちもおられるので、経路の皆さんもおられるんですけど、
その時一番申し訳ないことは妻に私が何にもしてあげることがなかったということ。
まだ子供たち、まだ教会に対して考えても、今教会は何にもない状態で、私は本当に
神様に見えされて私が死んでしまえば、 妻、息子がまた教会の皆さん、私をすごく非難されるんじゃないかという気持ちが私にはあります。
その中で私は今、私のレベルを遥かに超える 教会回復とか
リバイバルと大収穫とか、またイエス様の再臨を待ち望んで準備しているところであります。
いつも皆さんが見られたらビジョンばっかりの話をして、実際できているのは何もないということを皆さん考えておられるんじゃありませんか。
03:08
とにかく私は日本でこれを準備しながら最後の時を迎えたいという覚悟でいっぱいです。
多分、イエス様の再臨、私が先に死んで、イエス様の再臨は後々になってくるでしょう。
それで今私が一番気にしていることがあります。ヘブライション9章27節には、また人間はただ一度死ぬことと、
その後に裁きを受けることに定まっていることが決めているということです。
一度死ぬこと、そして必ず裁きがあるんだということを気にしています。
私は裁きの前で、どんな判決を受けるか、本当に本当に今心を慎んでいるところであります。
ですから私は今の時期に、私の人生の誠意句であるマタイの6章33節、
何よりもまず神の国と神の気を求めなさい。そうすればこれらのものは皆加えて与えられる。
見言葉通り、私が任せているこの牧師の役目を上手くするために最善を尽くしているところであります。
今日は6章の12章を通して、人生の最後の時をどんな気持ちで、また何を準備していかなきゃいけないのか。
これは皆さん、私たちはただ人類の終わり、世の終わりだけじゃない。
私自身の終わりが近づいているところだから、これは誰でも準備していかなければいけないことです。
これを皆さんと分かち合いたいと思います。
今日一緒に読んでくださった6章の12章には、イエス様が何項目のたとえとして、終わりを待ちながらやるべきことを教えてください。
その中で始めが35節のことです。
腰に帯を締め、灯火を灯していなさい。
ここには2つのことを教えてください。
まず腰に帯を締めること。
当時の人は丸ごと作った衣服を着ていたのです。
それは活動するのには非常に難しい服です。
ですから仕事をする時には必ず腰に帯を締めて、
そして体がよく動けるように、そのようなことをやりました。
次に灯火を共にしなさいということです。
06:00
当時、昔は街道という光がありませんでした。
だから夜になれば世界が真っ暗になってしまうのです。
だから灯火をつけておけばその道が見えるし、家に帰ってくることができるからです。
このように腰に帯を締め、灯火を灯して、
それは何をするためにこれをやりなさいということでしょうか。
これは家に戻ってくる主人を迎える準備ということです。
当時、ユダヤ人たちは結婚式を夕方から始めたそうです。
結婚式を終えて披露宴を終えてみれば、真夜中になりました。
しもべの立場から見ていますと、主人が何時に戻ってくるのか分かりませんでした。
38節を見ていますと、主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても目を覚ましているのを見られるしもべは幸いだと言います。
真夜中ということは夜9時から中2時までのこと。
また、夜明けということは中2時から朝3時までのことです。
当時は電気がありません。テレビもありません。
もう夜は何もないんです。だから日が暮れるなら、そこから寝床に着くことが一般的なことでした。
しもべたちは夜中や夜明けまで待つということは、すごく大事なことです。
眠気がきても、頑張っていかなければなりません。
灯火の油が消えなくなっても、暗くなります。
日々眠気が来ても頑張っていかなきゃいけなかったし
灯火の油が消えなくなったらそれを満たしなきゃいけなかった
それで待ちながら眠り込む人もいました
しかしイエス様は主人が戻ってきて塔をたたくとき
すぐ扉を開ける準備ができるしもべになりなさいということです
このように準備して主人を迎えるなら
主人はどのようにしてくださるのか 37節です
はっきり言っておくが主人が帯を締めて
このしもべたちを食事の席につかせ
そばに来て休止するであろう
みなさんこれは想像できますか
主人としもべの立場が変わったんです
主人が戻ってくるときまで頑張って頑張って
主人をうまく迎えるそのようなしもべがいるなら
09:04
しもべが帰ってきて彼を主人の席につかせて
主人がしもべの立場になって
そのしもべにいろいろもてなしをするであろうということです
多分大勢の主人たちはそんなことをやらないけど
イエス様はそうなさるということです
イエス様は今何を念頭においてこの話をされることでしょうか
婚礼の家に行って家に戻ってくる
そのことはイエス様の再臨のことを意味します
イエス様はイエス様の再臨の時を待ち望んでいる
このしもべたちをこのようにして
もてなしをしてあげたいとお話しします
その意味は再臨の準備をしっかりして
イエス様が再臨なさるときすぐ迎えるような
このようなしもべになりなさいということです
皆さんイエス様がいつ来られるのか私たちは分かりません
その時はイエス様自身も分からないという
父なる神様の主権
節利にすべて直供されていることだと言います
しかし婚礼の家に行って戻ってくる主人のように
イエス様は必ず戻って来られるのは確かです
今年来られるか来年度来られるか
10年後来られるか分かりません
私たちは分からないから
世の中のすべての人が眠り込んで
今眠っているんだとしても
私たちは目を覚まして
イエス様を待ち望まなければなりません
イエス様が再臨なさるとき
そのようになさった忠実なしもべは
イエス様を大きな祝福 報いを与えてくださると言います
私たちは指導行伝立書で表れる
諸大教会に対する憧れがあります
指導行伝立書の諸大教会は
私たちの教会のモデルケースです
その教会には聖霊のリバルブボルが来ていました
また 信徒たちはみんな
聖霊の充満な状態になって
主の宮座に用いられました
ところがその状態の諸大教会は
事実は聖書がありませんでした
皆さん 聖書の整形化は後々になってできたことで
当時はパピルスとかいうことに書いてある
川に記録している聖書全部の一部が
ある教会があるし ほとんどない状態でした
今 私たちは聖書をどれほどたくさん持っていますか
12:00
私が持っている聖書も10冊以上あります
いろいろな聖書を持っています
また当時は迫害がありました
今 私たちは迫害がありません
だから今 私たちが信仰生活をしようとしたら
昔よりはるかにうまくできる状態ですけど
諸大教会は今 私たちより
はるかに立派な信仰生活をしていました
その差は何でしょうか
何がその差をつくることでしょうか
いろいろあると思いますけど
そこで一番大事なのは
イエス様の再臨に対する期待感
イエス様はすぐ再臨なさるんだという
期待感が諸大教会にはありました
私たちにはその期待感がどのくらいあるでしょうか
指導行伝1章9節からずっと読んでいますと
私は11節読んでいます
その時 天使が イエス様が
信徒たちが見るところで昇天されます
その時 天使が隣に立っていて
その天使がこう言います
彼らの人たち なぜ天を見上げて立っているのですか
あなた方から離れて天に挙げられたイエスは
天に行かれるのをあなたたちが見たのと同じありさまで
またおいでになると言いました
諸大教会の人々は
イエス様が昇天された同じ姿で
おいでになるという約束
それを信じていました
だからイエス様は来られる
イエス様は来られる
再び来られる
だから当時の挨拶が
マラナターでした
主よ 早く来てください
期待感がありました
諸大教会の信徒たちは
イエス様が再び来られることを信じたから
世の中のこと
世の中のしばらくあってなくなる
世の中のことにあまりこだわりをしませんでした
ひど恐れませんでした
イエス様だけを恐れました
世の中の心配ごとに落ち込まないで
まず神の国と神の気を求める生活をしました
なぜでしょう
イエス様すぐ来られて
すべて報いてくださることを信じたからです
私たちに今必要なのは
イエス様の再臨に対する期待感です
諸大教会の信徒たちが持っていた
イエス様の再臨に対する期待感があるなら
私たちもこの世に
世を愛する世に落ち込むではなくて
目を覚ましてイエス様の再臨を待ち望む
私たちになれると信じます
15:01
2番目のイエス様の例えで39節です
イエス様は少し違う側面から
目を覚まして待つことの大事さをお話しします
39節にこのことをわきまえていきなさい
家の主人は泥棒がいつやってくるかを知っていたなら
自分の家に押し入ることを許さなかったでしょう
ということです
泥棒が入るのは
家にいる人が分からないとき
予測されないときに泥棒がいつも入ってきます
だから泥棒が入ってきて
盗んでいくことがないように
家の主人はずっと警戒しています
だから油断してはいけません
私が軍人の生活をするとき
軍隊でこんな話をたくさんします
作戦に失敗した指揮官は許されるけど
警戒に失敗した指揮官は許されない
皆さんこれは私たちにも同じように当てはまります
私が主の技に私が頑張りたいと思いながら
失敗したりうまくできなかったり
過ちを犯したりします
神様は絶対そこを叱ることはありません
励ましながら慰めながら
もう一度頑張れと言います
しかし神様は
再輪なさるイエス様を迎える準備がうまくできなかった
これは絶対許されないと言います
仕事をうまくするの
それはうまくできなくても
主はいくらでももっと頑張りなさい
もう一度やりなさいと言います
しかし警戒をうまくできなくて
イエス様が来られるのを見逃してしまった
下部は許されないと言います
今の時代私たちの責任は確かです
予測されないときに来られる
イエス様の再輪を準備すること
イエス様が再輪なさったら何をしますか
裁きを行います
イエス様が再輪なさる瞬間から
瞬間まで恵みの時期と言います
しかしイエス様が来られたら
恵みは終わりです
それからは裁きに入ります
私たちは裁かれる準備ができていますか
裁かれる準備ということは
救われたのか救われていないのか
命の賞に自分の名前があるのかないのかということです
私たちイエス様を信じること
イエス様と親しい間取りの関係を維持すること
非常に大事です
しかし私たちは今
救いと裁きと言ったら
非常に軽んじる傾向があるのではないかと思う
世の中の仕事が忙しいから
今は世の中の仕事を頑張って
18:02
天国地獄の話は後々になって
死ぬ前に信じればいいのかということです
またイエス様の再臨
そこに対する確信があるのですか
ほとんどありません
ですからほぼほとんど
みんなが自分勝手に世の中のことを過ごしながら
最後の時イエス様信じますと言えばいいでしょうと言います
皆さんそれは錯覚です
このようにつるかしこい人に
神様の救いが現れるのでしょうか
もしかして救いは得られるかもしれないけど
報いを受けることはないと思います
イエス様はいつ再臨されるか分かりません
また私がいつ死ぬかも分かりません
去る知恵をめぐらしながら
救いの機会を逃してしまう可能性もあります
ですから私たちは毎日の生活の中で
イエス様を迎える準備
また私が裁きの罪人になったら
これからどうするのかということも
皆さんが考えて準備しなければなりません
救いの確信がありますか
いつでもこの世を去ったら天国に行くことができますか
という質問を自分にいつも問いかけることはいいでしょう
信仰とイエス様との親しみ
また良い関係を持つこと
これができているのか
これをいつも考えなければなりません
3番目の例えは
イエス様の再臨を準備しながら
具体的にどんな生活をしなければいけないのかを教えてください
42節43節です
主は言われた
主人が召使い立ちの上に立てて
時間通りに食べ物を分配させることをした
忠実で賢い管理人は一体誰であろう
主人が帰ってきた時
言われた通りにしているのを見られる下部は幸いです
多分主人は遠くの国に旅行に行かれて
留守になっている間に
下部の中で一人を主人の代理人をして立てて
彼に家の人々を任せて旅立っていくような状態です
この時代理人がやるべき役割は何ですか
聖書はその家の人たちに
時間通りに食べ物を分配させることをした
これをうまくするために
イエス様は忠実で賢い人になりなさいと言っています
21:04
代理人管理者の第一の資質は忠実さです
忠実さということは変わりがない
持続的に任せられた仕事を行うことです
皆さん生活してみれば
ある時はコンディションが良い時もあるし
悪い時もあります
コンディションが悪い時疲れる時
忠実な人は自分のコンディションと関係なく
最後まで責任を全うする人です
そうすれば主人はその人に
全てを任せることができるでしょう
以前私の先輩牧師がこう言いました
今週は牧師が風邪ひいたから恋愛ありません
もしそのような牧師がいないでしょう
もしそのような牧師がいるなら
その牧師神様が用いられるかということですね
私たびたびそんなことあるじゃないですか
手術恋愛はないんですけど
鳥なし祈り会は今週は状態があまり良くないから
放送でやりましょうということが
最近たびたびありました
以前福岡にいる時には
私は韓国に行きませんでした
もし韓国に行ったら
日本にいる私は日本で朱の美技に用いられる
私の心が弱くなるからなと心配して
韓国は一切行きませんでした
そのような覚悟が
今少し弱くなっているんじゃないかと思います
牧師が風邪ひいちゃって
今週は恋愛ありませんという
このような立場にだんだん近づいているような
私の状態を考える時に
本当に情けない牧師だなと思うんです
管理者の代理人の第一の資質は忠実さです
何があっても自分の体の状態
どんな状態になっても
任せられたことはマットすることです
今日太陽の中で皆さん
教会まで来てくださってありがとうございます
皆さん本当に忠実な方で感謝します
反面管理者のもう一つの資質は
賢くならなければいけない
任せられた働きに忠実することも大事だけど
知恵がなければ無鉄砲に働きながら
牧師の主人の働きに損害を及ぼす可能性があります
ここで知恵ということは何でしょう
まず神の身分を知って行うことです
24:01
また時を分別すること
優先順位を分別すること
神様をまず知ること
神様がなぜこのことを私たちにやらせるのかを
確かに知ることが大事だと思います
そのような賢い管理者は
神様の代理として
家の財産と人々をうまく管理して
大きな有益を残すことができるでしょう
では終わりの時
イエス様のサイリンを準備しながら
忠実で賢い管理者として
私たちは何をすればいいでしょうか
私たちはもう終わりが近づいた
仕事をやめて教会に集まって
これから教会で祈りましょう
また東北の国に行って
選挙地に行ってそこで選挙をしながら
残りの人生を過ごしましょう
これが正しいでしょうか
いいえ
私たちは私たちなりに神様から任せられた
神様の御業があります
まず主の教会です
また皆さんの家庭です
また皆さんの職場があります
これが神様から任せられたことです
神様から任せられた
教会と家庭と職場
その中で私に任せられた役目
責任を忠実に担うこと
これが主のサイリンを準備することです
私たちの教会は開拓教会ですから
お仕事がたくさんないように見えます
いいえ そうではありません
教会学校の教師
それが任せられたのは
皆さんに命を預かって
命にメッセージを語る
資格 特権を与えたことです
今日のメッセージが
今の私のメッセージと
非常に似ているところでありますけど
今日私がやっているこれを見てください
本当に大きな意味があります
皆さんに任せられたことを
忠実に行うことです
牧師じゃないから
私は見言葉 メッセージ
これはあまり気にしなくてもいい
そうではありません
牧師より皆さんがもともと立派です
大事です
また教会に頼まれた
虜の祈り
祈りの力は
私たちが遠くの国まで行かなくても
祈りを通して遠くの国を動かすパワーがあります
そうするんだとするなら
虜の祈りの役目を
私が参加して
うまく行うことはどれほど大きいでしょう
また教会を立てること
27:01
皆さん 教会には
あちこちいろいろ手間がかかることが
いっぱいあります
そこに私たちの
私がやるべきことがないのか
何より大事なのは
礼拝者です
主に対する礼拝者として
日本で存在すること
これは大事です
日本はほとんどの方が
信仰生活していません
しかし日本にも
礼拝者がいるということ
神に礼拝する人がいるということ
私は日本で唯一の礼拝者だとしても
日本は神様の国ですよ
私は日本で礼拝しますよという
礼拝者が存在していること
素晴らしいことです
また神徒たちを使える役割
賢老の皆さん
本当に大事なのは
神徒を励まし
慰め
教会を強くするのは
賢老の皆さんの役目です
これは賢老の皆さんからできます
いろいろな経験を積んで
私が教会を支えていることは
教会が大きな力になります
特に今私たちに大事なのは
ネットワークです
遠くのいる人たちと
道路者として
結び合わせられて
一緒に働くこと
これこそ
終わりの時の一番の力です
教会の役目を皆さん考えて
お家でも祈りを通しても
いくらでも働きができます
それを神様は見ておられます
どんな心で働くのか
見ておられるから
忠実に行うことです
また皆さんの家庭は
神様が任せてくださった家庭です
家庭で親としての役目
神の子供を預かっているものですから
私の子供ではありません
神の子供を預かっているところだから
その子供に対して
私はどのような役目を
行わなきゃいけないのか
よく考える
それが大事です
しかし
管理人の役目は優しくありません
みんな家庭の生活をするでしょう
職場生活をするでしょう
社会の生活をするでしょう
その上
私たちは教会の役割も
行わなきゃいけない
一人は何人の役割をするのでしょうか
以前の私が職していた
専教団体は
大抵他の国に行って留学します
博士の勉強をします
そうしながら家庭を持っているから
アラバイトして家庭を養います
それでも精一杯なのに
その大学の
海国人の人を
フィッシングをするんだと言うんですけどね
伝導して
その人を万数万で教えるんです
だから一人が何人の役目をするのか
30:02
大変ですよ
暇がないほど
びっしり精一杯頑張っています
その一日一日が積み重ねられて
弟子たちが育てられ
そしてそれで
海国のところで基盤作りをして
それでそこで
続けて選挙をすることができます
だからこのようなことをうまくした
しもべは
43節44節
主人が帰ってきたとき
言われた通りにしているのを
見られるしもべは幸いである
確かに言っておくが
主人は彼に
全財産を管理させるのに違いない
皆さん
主人がその人を認めて
あなたは責任がある
責任感がある人だと認めて
主人の全財産を任せる
これよりもっと大きな
大きな祝福はありません
全財産を任せるほど
私はあなたを信頼する
あなたを愛する
その褒められる
そのしもべになること大事
考えてみてください
私は地獄に行くべき罪人なのに
天国に行くことになったということを
それで感謝して感謝して
主の御業に用いられただけなのに
主は私たちに
こんな素晴らしい
祝福と恵みを下さい
ですから皆さん
大事なのは
救いの確信なんですよ
神様が皆さんに与えてくださった
救いの確信
そこで救いの恵みと
救いに対する悟りがあるなら
このすべての祝福は
そこから生み出されるようになるんです
今日の三つのたとえを通して
イエス様を下さった見言葉は三つです
これが終わりの時に
私たちが目を覚まして行われるべきです
イエス様がいつ来られるか分かりません
しかし婚礼の家に行かれた主人は
必ず戻ってきます
だからイエス様のサイリーも必ずあるから
イエス様を迎える準備を
確かにしていきましょう
お仕事はうまくできない可能性もあります
しかしイエス様を迎える準備は
確かにしなければいけません
これを準備しましょう
二番目
来られるなら確かに裁きがあります
私が救われたのか
救われたのかに一番大事なのは
イエス様と親しい関係性があるのか
調べてみましょう
私は確かに救われたと信じていたのに
イエス様が来られて
私はあなたを知らない
あなたのことを私は知らないよと言っちゃったら
その人どうなりますか
その人は天国に行けません
33:01
だからイエス様が私を知っているのか
それをいつも親しい交わりの中で
確かめていくこと
これが毎日毎日大事です
三番目
イエス様が来られる待ち望みながら
私たちがやるべきことは
人々に福音を見言葉を伝えることです
また人々に仕えて
みんな天国に行くように助ける役目です
マタイ6章33節
まず神の国と神の機を求めなさい
そうするならこれらのことすべて
加えて与えられると言っています
皆さんこの3つ大事です
終わりだ終わりだ
私は早く天国に行きたい
そんな話をやめて
本当に天国に行きたいなら
この3つをいつもいつも考えていきましょう
終わりだ終わりだ
天国に行きたい
早く死にたい
それで天国に行きますか
行けません
この3つをしっかりすることが
確かに天国に入ることであり
その天国で神様の祝福恵みを
たっぷりいただくことになります
このように忠実に行う人には
イエス様が来られて
イエス様が帯を締めて
下人の立場になって
下人を主人の席につかせて
もてなしを料理を作って
もてなしをしてあげる
そして神様の全財産を
その人に任せる
皆さんこれよりもっともっと
大きな祝福があるのでしょうか
これがすべてイエスキリストを迎える
準備をすることと関係があります
年取った私だけじゃなくて
若い方でも
イエス様いつ来られるのか
いつもいつも待ち望みながら
準備をしっかりしていく
私たちになりましょう
私たち教会になりましょう
お祈りいたします
終わりだ終わりだ
早く天国に行きたい
話だけではなく
神様今日
三つの準備をしっかりして
みんなが天国に入り
みんなが神様から
大きな認めと祝福をいただく
私たちにならせてください
イエス様の皆を通して
お祈りいたします
アーメン
35:30

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