1. 東京ぶどうの木教会 メッセージ
  2. 「イエス様に見習った子供とな..
2023-05-07 32:51

「イエス様に見習った子供となるように」2023年5月7日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2023年5月7日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 動画によるメッセージ:https://www.instagram.com/tv/Cr7QkAbBE8O/?igshid=NTc4MTIwNjQ2YQ==
教会へのお問い合わせ:tokyo.vine.church@gmail.com

ルカ-31 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしてい た。20. この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、21. その食卓から落ちる物で腹を満たした いものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。22. やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴 席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。23. そして、金持ちは陰府でさいなまれなが ら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。24. そこで、大声で言った。『父 アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこ の炎の中でもだえ苦しんでいます。』25. しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間 に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむの だ。26. そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできない し、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』27. 金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の 家にラザロを遣わしてください。28. わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないよう に、よく言い聞かせてください。』29. しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を 傾けるがよい。』30. 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってや れば、悔い改めるでしょう。』31. アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生 き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」
子供の習慣と継承の働き
今日は、イエス様に見習った子供になるように という対応をもってメッセージを分かち合いたいと思います。
今週は子供の習慣として守ります。 子供たちは私たちの希望であり、私たちの将来です。
子供たちの心は白い白紙と同じような状態です。
その白紙に何を書くのか それによって
この世を明るくする大人にもなる場合もあるし 間違えればこの世を暗くする大人と成長することもできるんですけど
そのすべての責任は私たち大人にあります。 今日は子供の日、子供の習慣ですけど
このメッセージを聞く子供はここにはいません。 大人だけが聞くものですから
私たちがどのように子供たちを正しく 聖書的にうまく育てていくことができるのか
必ず肝に銘じることがあります。 それを分かち合いたいと思います。
まず神様の御業は継承の御業ということです。
初めに今日教会学校の創世記1章分かっちゃったんですけど 初めに神様が人間を創造されながら創世記1章28節
埋めよう増えよう地に満ちて地を従わせようと言われました。 ですから人間の歴史は
埋めて増えてそれで繁栄し続けました。 ところが
ユダヤ人たちはマタイ福音書1章で このように書いてあります。
アブラムはイサクを設けイサクはヤクブを設け そして設け設け設けたとそしてイスラル民族は繁栄したと書きながら
その分岐点ということをマタイの1章17節にこう書いてあります。 こうして全部合わせるとアブラムからダビデまで中4代
アブラムからダビデからバビロンに移住まで中4代 バビロンに移住されてからキリストまでが中4代であると言います。
イスラエルの歴史を3つに分けながら 何を基準として分けるのか
アブラムダビデイエス様です。 それを中心として分けられる理由は何でしょうか
イスラエルは民族が埋めよう増えようそしてずっと繁栄し続けたんですけど その継承の分岐点という一番大事なところには
アブラムとダビデとイエス様がおられたということです。 継承する人々のモデルケースが何かと言いますと
アブラムとダビデとイエス様だということです。 特にイエス様は大選挙命令マタイ28章19節で
全ての民を私の弟子にしなさいと言われることを見ますと 神様の働きは継承の働き
その継承の一番大事な誰に似て誰に見習って継承するべきか イエスキリストであることが分かります
私たちは埋めよう増えようという意味で ずっと子供を埋めよう増えようやってますけど
私たちがやっている対象は 肉敵 系統敵には子供です
また霊敵には弟子なんですけど 結局神様私たちが儲ける子供も
イエス様に見習った弟子として成長させること これが大選挙命令に含まれた内容です
皆さん一つ聞いてみましょう 弟子は教えてできますか 見せてあげてできますか
弟子は見せてあげてできるんです また弟子は勉強してできますか
精霊の照らしによってできますか 精霊の照らしによってできます
イエス様に見習った弟子として育てる
では私たちの子供たちは イエス様に見習った弟子として成長しているのでしょうか
うまくできていなければ 何が今足りないのでしょうか
皆さん子供たちは親の後姿を見て学ぶと言うでしょう
ですからこれは私たちが子供たちに 何を見せてあげているのかと直結されます
結局親がどんな人かによって 子供がどんな人になるかが決められます
親が何を求めている人でしょうか ビジネス 商売
それでお金お金を求めるなら 子供もそうなるでしょう
また倫理 道徳 理想的なことばかり求める人なら 子供たちもそのようになる可能性があります
また親が神に仕える 神様のために生きている人なら 子供もそのようになるでしょう
この世が全てだと思って生きる人なのか そうなのか 子供もそのように生きるようになると思います
なぜなら子供たちは毎日親に抱きあわれ そしておんぶされて連れて行かれながら
言葉ではなく親がどのように生きるのか その生活を見ながら感じながら学ぶからです
そして親と同じような息子と娘として成長していくんですけど 私は2人の子供を育てて
今になって見ていますと 子供たちには
親の家計の流れ また親の影響力が大きく働くことを切実に感じています
ですから親が何を見せてあげるのか 何を教えるのか これは非常に大事です
親が子供たちに見せるべきもの
全ての親の心はどうですか 家族のために 家族をうまく食べてうまく生きて安定的に幸せに生きるようにするために
親たちはみんな頑張ります その頑張ろうこの姿のその空間に子供たちも共に生活します
ですから親の生活が全て子供たちに見えてきます
心配しているのは傍観にならない場面がたくさんあるということです 特に子供教育の側面では
親が自分自身が成し遂げられなかった 何か恨みを子供を通して解決しようとする親の欲が働きます
ですから無理やり強要させ また無知を打たれながら こんな人になりなさい こうやりなさいという場面が多いので
それを見て子供たちが反感を持って 悪い道に歩む場合もあります
子供に皆さんどうですか 子供にひどいことをたくさんやったんでありませんか
自分の気持ち自分の感情を子供たちに全部発散させてしまって それで子供たちに傷をたくさんつけられ
それで親は後になって間違えた ごめんなさいという悔い改めをするかもしれないけど
親の発散されるその言葉と感情 それに傷をつけられて
何か子供たちが誤った道に歩みながら 間違えると地獄に陥ってしまう子供を 私たちが見ることがあるかもしれません
ですから絶対そんなことはないように 親は子供たちに何を見せてあげ何を教えなければいけないのか
これ今日3つのことをぜひ思って考えていきたいと思います
イエス様の教え
まず大事なのはイエス様を教えていかなければいけません 聖書は私たちの救いのために記録された本ですけど
聖書の中心はイエス様です ですから永遠の命は神様とイエスキリストを知ることだと聖書は教えてください
私たちがいくら教会に熱心に通ったとしても イエス様を知らなければ救いはありません
私たちはイエス様の十字架と復活の驚くほどの出来事を 必ず教えなければなります
その十字架の功労によって救われ罪から許され サタンに勝利する子供になるように私たちは必ず教えていかなければなりません
またイエスの霊 キリストの霊 聖霊様から知恵と啓示を受ける子供をさせることは大事です
これは神様を愛しイエス様を愛するなら自然にできることですけど 第一の今しめ
神様とイエス様を愛する子供になるように助けることが大事です
二番目 子供たちに必ず人生の最後は裁きがあるということ
そして裁きの結果として天国と地獄があるんだということを必ず教えなければなりません
以前の私が神学校の時にある方が
子供たちには地獄の話をしてはいけないよ 子供怖がるんじゃないかと言われます
本当にそうですか この世はしばらく100年です
しかし天国と地獄で私たちは永遠に生きるんだということを教えなければなりません
この世の100年は天国に行く準備をする期間だということを教えなければなりません
そのために一番大事なのはイエス様を知り イエス様を愛することです
必ずこの世は100年 天国地獄は永遠 この100年の意味が何なのかを
私たちは必ず教えなければなりません
また三番目 私たちの国籍は天国です
ですから人たちはこの世は旅人 この世の生活はカリスマへの生活だと言いました
この世で長く生きるよりは早く私のふるさと天国に行きたいと思っていました
皆さん私たちの目標は この世でうまく食べてうまく生きることではありません
天国に入ること そこで永遠の命を味わうことが私たちの目標です
これを親が教えなきゃいけないんですけど 親がいろんな意味で教えるのは難しいなら
教会が教えなければなりません なぜならこんなことは
学校社会のどこでも教えてくれないからです 親しか教会しか教えることができないからです
人生の目的
最近年取ってから私がいろいろ思うことがあります 若者たちは出世したい成功したい
そして熱心に頑張っているんですけど そしてこの世の中でたくさん何かを得ようと頑張っている姿を見ながら
昔私もそうだったのにと思います その時私は人々を軽んじて偉そうに傲慢になったんですけど
今考えたら そんなことはどれほど虚しいことかと思います
サラリーマンは いい会社いいサラリーマン給料何か余裕を持ってプライドを持って過ごしました
しかしサラリーマンは下手です 主人に用いられる下手ですそれ以外も何にもありません
会社辞めたら皆さん会社と私と何の関係もありませんでした 知恵業
サラリーマンよりはもっと長く働くことができるだけで いつかその働きもできない日がきます
人生は短いんです 考えるじっくり考える暇もないほど
みんな忙しく余裕はありません そうしながら死ぬと
人生は一体何だったろうだろう 皆さんこの世で成し遂げたたくさんのもの
何にも持っていけません またどこから来てどこに行くのかもわからなければ
人生100年 一体何をしたんだろうと
そしてこの後の人生を準備できなければ 結局虚しいことしかありません
子どもたちにそんなことを教えるのは難しいと思いますけど 永遠に祝福される子どもにならせるために
私たち親が それを感じてそれでそれを教えなければいけません
ですから私はそのことのために ルッカの16章のこの例えをいつも考えます
ルッカの16章 金持ちとナゼロの例えは
その中で金持ちは死んで読みに行きました 読みということは天国の前の段階ですけど
最後の裁きを受けて地獄に入るようになる まあ同じところです
この世でたくさん飲むものを持ってたんですが 読みに落ちてしまえば炎の中で
水一滴得られなくて苦しみます その時遠く楽園が見えるんですけど
じゃあ皆さん楽園の説明するとき いつもこの隕石のところのアブラム ラザロといいます
アブラムが出るとき いつも隕石という言葉が出てくるのを見たら
天国は毎日パーティーをするような雰囲気ではないかと思います
じゃあそこにいる アブラムとナゼロを見ながらこの金持ちがこう言います
ルッカの16章28節からです 私には兄弟が5人います
私はこの兄弟が5人いますということを私が読むときには 私には子供が5人いますというように見えます
あの者たちまでこんな苦しい場所に来ることがないように よく言い聞かせてください
しかしアブラムが言った お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる
教会の牧師伝道師がいるんじゃないかと 彼らに耳を傾ければよいと言います
そしたら金持ちが言います いいえ 父アブラムよ
金持ちは地獄に行ったのにもかかわらず アブラムの父というのは少しこの矛盾的なことがありますけど
じゃあこれでこう言います もし死んだ者の中から誰かが兄弟のところに行ってやれば悔いを改めるでしょう
その時アブラムはこう言います もしモーセと預言者に耳を傾けないのなら
たとえ死者の中から生き返る者があっても そういうことを彼らは聞き入れてくれないでしょうと言います
そうです 私たちは刺激の場面が来るなら 私たちの信じない兄弟たちがそれを信じるようになるだろうと思うんですけど
子供たちに大事なことを伝える
違うということです 私たちの子供たちが
金持ちの兄弟のようにならないためには 私たちは子供たちに100年の人生で本当に何が大事なのかを教えなければなりません
以前の私の父はいつも勉強でした 勉強勉強勉強
勉強できない子供はもう人生の失敗のように いつも私たちを押し詰めていきました
無知を訴えながら でも後から見てますと そんなことでは必ずそういうことではありませんでした
勉強がうまくできる人はそれなりの道があり 勉強がうまくできない人はそれなりの道があることをわかりました
父親の考え方が歪曲されていたこともわかりました 父が元人生の大事なことを
それを父が教えてくださったなら 私の考えの範囲がもっと広くなったんじゃないかと思います
ですからまず親がまず悟らなければなりません 今日読んでくださった金持ちとナザロの例えで何を言ってますか
金持ちはこの世では成功した人でした しかし永遠な人生の観点から見てますと
天国に入る準備ができていない人でした ですから彼は読み地獄に行きました
たぶん彼はこの世で生活するときはこの世は全てだ 死んだら終わりだ
私はこの世で成功してうまく生きているんじゃないか 自分の成功に満足して油断して
永遠な人生のための準備ができたかったような気がします 反面ナザロは本当にかわいそうな人生を過ごしました
彼に初めから障害があったんでしょうか 彼は出来物だらけ
皮膚病で深く患っていることが聖書に見たらわかります とにかく彼は人生の中では病気によって
悲惨な人生を過ごしたんですが 悲惨だからこそ
神を求め人生で一番大事な神様との親しい交わりができました 彼はこの世の中ではうまくいけなかったんですが
永遠の人生のために一つの準備はよくできたんですけど それは神様との関係性
神を愛することです ですから神様は彼の名前ラザローということを知っていました
結局私たちの人生で一番大事なことは何でしょうか それは神様との親しみ
イエス様を知ること愛することだということをわかります 皆さんこの例えはこの世の中の人々の観点でうまく生きることが
金持ちとラザローの例え
必ずしもうまく生きることではないということを教えてくださいます 私たちは短いこの100年の間に
永遠に生きる準備をうまくやらなければなりません それを
子どもたちに教える責任が私たちにあります その責任を持って私たちはその人生を過ごさなきゃいけないし
そのように過ごす姿を後ろ姿を子どもたちに見せてあげなければなりません 私は4月25日長島さんを手に召され
5月5日 優子さんを手に召されながらこの牧師は何を考えたんでしょう
この世の100年ということの虚しさ 長島さんは90歳の時に手に召されました
優子さんは40代の時に手に召され 人生の長く生きるのは多分神様が召された瞬間
世の中のことは全く意味がなくなります これから大事なのは永遠に生きること
天国で永遠に生きるのか地獄で永遠に生きるのか それしか残っていないことを
私はこの2週間間に考えることができました だったら私たちがどのような生活をしどのような人生を見せてあげなきゃいけないのか
一言で言いますと マタイの6章33節です
何よりもまず神の国と神の木を求めなさい そうすればこれらのものは全て加えて与えられる
もちろんこの世で生きるためには何を食べるかどこで生きるか 経済的なことはもう優先です最優先です
そのために聖書はまず神の国と神の木を求めなさい そうするなら経済のことは私が責任を持ってあげるから
と言っています じゃあでは神の国神の木って何でしょう
神の国を求めるということは神の国の世の中の模型があります これが教会です
主の教会 教会のために生きなさい
また神の国で一番大事な恋愛中心として生きなさいということです 教会と恋愛です
また神の木を求めるということは何が正しいですか イエス様を愛し
主が任された私たちに与えられた使命を最後まで担っていくことです
これがこの世の中でうまく食べてうまく生きて成功して出世することより はるかに大事だということです
一言で申しますとイエス様をよく信じてイエス様をよく拝み イエス様を伝えることが命を救い
業界を立てることです 人生の目標をそこに置いて過ごすなら
私たちがこの世で自分が精一杯頑張って成功するより 神様がすべてを加えて与えられると神様約束されることです
ここで大事なのは神の国 神の国のこの世の模型である教会です
皆さん命の救いも大事です 命の救わ作ったということで終わりですか
いいえ 皆さん子供を産んだということで終わりですか
いいえ 子供を産むよりはるかに大事なのはその子供をどのように育てて
そして一人前の人になってそれで結婚してまた子供を産む こんな人にならせるかという
このすべてが勝手にで行われるんじゃありませんか 私たち人を助けて伝導したとそれは終わりではありません
その人がもうイエス様に見習った弟子になって そして他の人を助けるレベルまで行くために
業界の役目が大事だということです ですからこの業界のために
自分が生きる献身する人を神様はどれほど喜ばれるでしょう 特に
1%しかいない日本で
今日朝地下鉄を乗ってここに来る時に 日本に来て初めに
ある小さな中学生くらいの姉妹が 私のすぐそばで地下鉄で乗って
聖書を開いて読んでいるんじゃありませんか 嬉しくて嬉しくて
親の責任と使命
一言書きようと思ってたんですけど失礼かなと思いながら 私は彼女を思い存分祝福して
その彼女が祝福されている業界祝福 されている ぜひともぜひとも
日本でたくさんの大勢の方が 地下鉄で聖書を読むようなそのような場面がたくさん現れればいいなと思います
それがどこでできるのか 業界の教育でできることです
私たちが子どもたちをうまく育てる その礼儀的な家庭 業界になりたいと思います
四辺の九十一篇の一節 糸高き神のもとに身を寄せて隠れ
善能の神の影に宿る人よ 善能の神の影に宿るところがどこですか
これは業界です 業界に直され業界生活を熱心にやっている人よ
その人は神様から守られ祝福され コロナの中でも私たちを豊かに神様を祝福してくださる約束が
四辺の九十一篇の一節ではないでしょうか 神様は神の子どもが
みなしごのように見捨てることではなく 保護され教えられうまく成長できるように
神の教会 主の教会に対して神様がどれほど期待されているでしょうか
1%しかキリスト社がいない日本でこの教会のために力を尽くして 大切に働く方がいるなら神様はどれほど喜ぶでしょう
このすべてのために親が大事です 親が何を大切にして過ごすのか
子どもは今私たちをどのように見ているか私たちは今わからないけど 子どもたちは毎日皮膚
体で親の考え 親の教え 親の生き方を見て
分かっています 私たちが子どもがこうなってほしいなと思っていること
ぜひとも自分が過ごしながら見せてあげ 子どもたちも私たちが求めるそのような生活ができるように
とりなしのりでしっかり見守って生きる私たちになりたいと思います 私はこのことをぜひ申し上げたいんですけど
私たちは親が期待される通り子どもがうまくできなければ 優しく落胆して絶望して子どもにひとい言葉をかけながら
諦める場合があるんじゃありませんか しかし事実
子どもたちが自分がそのような弱さを持ちたくて持って生まれたんですか そうではありません
子どもたちも自分自身が病気を持って弱さを持って頭があまり良くない場合がある かもしれません
子どもたち自分がそうなりたくてなったことではありません このすべての原因は親にあるんですよ
ですから成長の過程で 子どもがうまくできない時
うまくできなくて子どもが下手なことをやっている時 腹を立てることはダメですよ なぜ腹を立てるんですか
自分が全部親従事として子どもに与えたのに 優しく落胆して諦めることではなく
弱さが見えるたびに 慰めて励ましてうまくやっていけるように助けていきましょうよ
家計に流れるこの流れ呪い全部断ち切ってあげるのは私たちの責任です そして子どもたちが明るい
子どもたちを祝福される子どもに育てる
生き生きする人生を過ごすことができるように助けていきましょう それだって
私たちが子どもの人生をいつまで責任を持っていけますか できません
だから 子どもたちを神様に委ねます
私は生きるか死ぬか祝福なのか災いなのかすべては神様にあるものですから 神様に任せて神様から祝福される子どもにならせるために
子どものために私たちは死ぬまで 祈ってあげる
子どもは親のアキレス権です 子どもに勝つ親はいません
子どもたちがうまくできることを願うなら また永遠な天国に入って永遠な祝福される子どもになることを願うなら
これからでも 正しいことを見せてあげましょう
願うはルカの16章の金持ちのように この世ではうまく生きたんですけど 永遠の人生は失敗したような人にならないで
なぜらのようにこの世では失敗して 永遠な命だけ得て天国で生きる このような人生にならないで
この世でも成功して福音を立派に伝えられる そして永遠な天国で
たくさんの報いとともに神様から祝福される子どもになるように 私たちは最後まで祈り続けて子どもたちを助けていきましょう
私たちの目標は私たちをどうしてイエス様に見習った 子どもになるように
聖書的な価値観をしっかり持っている子どもになるように 私たちが助け育てて生きることです
これが親の使命です 100年間私たちに与えられたこの使命を熱心に果たして
天国に行く私たちになりましょう お祈り致します
神様4月25日 長嶋さんが天に召され
5月5日 裕子夫人が天に召されたことを 神様が私たちに見せてくだせた理由があると信じます
この世は100年 天国地獄は永遠ですが
特に今世の終わりの時 私たちはどこに
焦点を置いて 特に目標を置いて生きるなのか
私たちの人生の目標を改めて直してくださって感謝します 天国に行く私たち
天国に行く子どもたちにならせてください この世でイエス様をよく信じて
イエス様の見業をよく行いながら みんなが天国に生きる私たちにならせてください
私たちの子どもたち一人も残らず みんな天国で神様の永遠な祝福
たくさんの報い イエス様の愛をいただく 私たちの子どもにならせてください
イエス様の皆を通してお祈り致します アーメン アーメン
32:51

コメント

スクロール