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2025-11-16 31:52

「収穫の法則」2025年11月16日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2025年11月16日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)ガラテア6:7-9思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。8 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。9 たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。

 

メッセージ題 : 収穫の法則 (ガラテア6:7-9)
 *来週が収穫感謝週ですが、来週は子供祝福式がありますので…秋、収穫の時期です。一年間、植えて、水を注ぎ、管理されるのにお疲れさまでした。*ところが私たちにどんな収穫があるのでしょう?

子供たちは勉強で…会社人はお仕事で…自営業される方は…運動選手は… 私たちは、どんな?

1.神様が創造されたこの世には法則がありますが…種蒔きと刈り入れの法則です。
*元々エデンの園では、創世記1:29,2:9,15 しかしノアの洪水以後、8:22種蒔きと刈り入れが?

*聖書は、すべてに時があると。コヘレト3:2植えるとき、植えたものをぬくときが!時宜に適って…
*しかし、注意するべき?ガラテア6:7神は人から侮られることはないと?蒔かないのに、悪いことを捲いたのに?特に、キリスト者…神は愛だ、恵みだといいながら?<-神様は人から侮られることはないと
#神の御業と私たちの働き?恵みと知恵を賜る。それを持って働く。神の100%、私たちの100%で…

2.ところが、気をつけるべきこと。マタイ15:13天の父が植えなかった木は、抜き取られる?
1)今日の聖書、ガラテア6章ではキリスト者の倫理問題を
救われたとして倫理の問題を軽んじては。
キリスト者の過ち?イエス様の十字架の恵みで、既に救われ天国を所有しているから?この世での生活は?大間違い。大勢の人に悪い影響力、躓かせます。マタイ18:6たまに聞こえてくる牧師たちの?
=伝道の道が塞がれ、神様は恥を受けられる。人間の存在目的が主の栄光の為なのに。Ⅰペトロ1:16
*救われた後の信仰生活は非常に大事!ガラテア6:7‐9自分の肉に蒔く?滅びを、霊に蒔く?永命を

2)使役面で、どのように蒔くし、刈り取るのか?
私たちは主と福音の為に、何とか熱心にやろうと頑張る
熱心であるなら神様は喜ばれるのか?いいえ、正しくやらなければ!=神様が願われることを聞いて
*私の失敗事例!2001年、神学校卒業後北九州の教会に赴任、「すべての民をイエス様の弟子にする為」・・しかし、1-2年が経っても?なぜなのか!先生に出会って、マタイ7:17,18悪い木は悪い実を
→何が間違いで?これからどうすれば良いのか?韓国で浪人するとき、十字架の福音を学びながら・ヨハネ5:17,19-20の御言葉で、イエス様はどうされたのかが照らされた!なのに私は?大間違いを
*マタイ15:13神様は私の使役に対して、何回も警告をしてくださった。失敗の体験で→主の道に!

3.主の御前で、謙遜で真実な姿勢を持つなら、主は回復の道を教えて下さる。
*歴代下7:13,14私の信仰と使役のすべての面で、自分なりに沢山、熱心に蒔きましたが実りが13節
「わたしが天を閉じ、雨が降らなくなるとき、あるいはわたしがいなごに大地を食い荒らすよう命じるとき、あるいはわたしの民に疫病を送り込むとき」 →しかし、回復の道を教えてくださって感謝。14節、「もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。」 *ひざまずいて?
*祈り、わたしの御顔求め?*悪の道を捨てて立ち帰るなら?→わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。=実りがない私たちの地を癒され、罪を赦され、実を与えて下さる約束を!
*神様の立場で?聖書で確かに書かれてあるし、イエス様の生涯を通して正しい道を示されたのに!
@今は、今年の最後、収穫の時期。何を植え、何を刈り取るようになったでしょう。豊かな実りを祝福します。

サマリー

収穫の法則に関するメッセージでは、行動がどのように成果をもたらすかが考えられています。特に、神の法則である種まきと刈り入れについて深く掘り下げ、倫理的な生き方の重要性が強調されています。このエピソードでは、神の恵みを受けた後の倫理的な生活の重要性について語られています。また、イエスの働き方から学び、神との関係性を深めることが真の実りを生む鍵であるとされています。収穫の法則に基づき、神の心を求めることが重要であるとされています。特に、今年の最後の収穫の時期に、個人や教会、ビジネスの発展を願い、神の恵みを求めることが重要です。

収穫の法則について
今日は収穫の法則という対応をもってメッセージを分かち合いたいと思います。
来週が収穫感謝日です。でも来週のメッセージは、来週子どもの祝福式があるので、
そこのために準備した別のメッセージがあります。 ですから来週のメッセージを今日、収穫に関するメッセージを今日行いたいと思います。
今は秋の秋収穫の季節です。 一年間熱心に植えまいて、それで水を注ぎ管理されるのにお疲れ様でした。
私は農業はしてませんけど、私なりに 植えて刈り取ることを私たちがやっています。
子どもたちは一年間勉強をやりましたね。 受験の準備をする子どもたちもいるし、まだ学校で熱心に勉強しています。
その勉強をまいて、それで良い成績、また 功績という本当に素晴らしいものを勝ち取ることができます。
サラリーマンはお仕事で熱心にやること、それが巻くことです。
そうしたら会社で昇進、プロモーションもできるし、 またボーナスもたくさんもらうようになるでしょう。
ビジネスをやっている人はビジネスで巻きます。 それでたくさんの収入とまた良い強績を得ることができます。
スポーツマンは運動で巻きます。 今年また大谷さんがMVPに
アメリカのプロ野球でMVPが日本の方がそれを借り取るということは、 本当に日本の誇りですよね。
本当に人間面も素晴らしいし、素晴らしい人が日本で生まれたなと思っています。
私たちにはどんな収穫があるでしょうか。 私たちは今日は収穫と神の恵みについて一緒に考えていきたいと思います。
種まきと刈り入れの法則
神様が作られた全世界に法則がいろいろあります。 その中で種まきと刈り入れの法則があります。
皆さん、これを考えたことはありますか。 もともとエデンの園には創世記1章2章で見ていますと、
そこには私たちが巻くものがありませんでした。 なぜなら神様がすでにもう植えておられました。
エデンの園で人間が巻いたことはありません。 エデンの園はすでに木がいっぱいありました。
人間がやるのはこれを管理すること。 収穫することは人間がやったでしょう。
いつから巻くこと、植えることが始まったのか。 これはノアの洪水の後です。
ノアの洪水の後に創世記8章22節を見ますと、 地の続く限り種まきも刈り入れも寒さも暑さも、
夏も冬も夜も昼も夜も止むことがないと言いました。 その時やっと種まきという言葉が出てきますね。
ノアの洪水の後、人間が巻く働きをしなきゃいけないのか。 でもその前は何だったのか。神様がすべて巻いてくださいました。
すべて神様が木を与えてくださった。 良かったですね。
ところが聖書はすべてが時があると言います。 コエレット3章2節。
生まれる時、死ぬ時があるように、 植える時もあるし、植えたものを抜く時があるんだ。
植えることも、 植える時に植えなければいけない。
植える時、植えなければ、 刈り取る時に刈り取るものがない。
これは本当に深刻なことです。 勉強も同じです。就職も同じです。
就職する時期に就職しなければ、 あと就職が難しくなる。
いろいろ皆さん、子供たちを通して経験されているでしょう。 その部分があるので、時が大事だということをまず考えていきましょう。
ですから、ヘブライ書4章16節には、 だから哀れみを受け、恵みに預かって、
慈儀にかなった助けをいただくために、 大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
慈儀にかなった恵み。 その時その時、慈儀にかなった恵みを、
私たちはいただくために、 主の前に、礼拝に出なければならない。
じゃあ、今日注意するべきことがあります。 今日大事なこと、カラディア6章7節です。
思い違いを知ってはいけません。 神は人から侮られることはありません。
人は自分が撒いたものを、また借り取ることになるのです。 神は侮られることはない。
神様を騙そうとする人がいます。 人間、頭がいい人間です。
自分は撒かないで、何とか借り取ろうと思います。 これは全部泥棒ですよね。
自分は撒かないで、他の人のものを盗もうとする。 これは大間違いです。
また、悪いことを飢えながら、良いことを撒こうとする。 これも許せない。
ですから聖書は、自分が撒いたものを、 自分は借り取るようになるんだ。
事実を考えてみますと、これほど怖い見言葉はありません。
あなたが撒いたものを、あなたは借り取るんだ。 だから撒く時、気をつけろよというような、本当に大事な警告です。
特にキリスト者たちは問題があります。 神様は愛だ。神は恵みだと言いながら、
キリスト者たちは、もちろん恵みは大事ですよ。 恵みはなければいけません。
しかし、飢えないものを借り取ろうとする人がたくさん、 キリスト者たちの中にたくさんいます。
例えば皆さん、子供たちが勉強はしないのに、 教会で熱心に祈ります。
良い成績をください。 これは大間違いですよね。
その時、神様は人から侮られる方ではない。 だからあなたが撒いたものを、あなたが借り取るのだ。
だから、撒くごとに熱心にやりましょうということです。 人間がやることがあるし、神様がやることがあります。
神様は何をされるんですか? 神様は恵みを与えてください。
力を与えてください。知恵を与えてください。 人間はそれを持って働くんです。
ですから、全てが成し遂げることは、 人間の100%、神様の100%。
神様は全力尽くして私たちを助けてください。 その助けをいただいて、私たちはその恵みによって全力尽くして働く。
倫理の重要性
これは神様の御業を成し遂げる方法です。 それから見てますと、
撒かなければ借り取ることができないのに、 私はまず撒いたのか?
また何を撒いたのか? これが収穫の時期に一番問われることです。
今年撒いてないのに、今何か期待していることはありませんか? 悪いことを撒きながら、いいことを借り取ることをいつも期待していることはありませんか?
これは神を侮られる、人から侮られない方を騙そうとすることだと考えれば、 これは収穫の時、気をつけなければいけないですね。
ところが、もっと気をつけるべきことがあります。 マタイの中古書13節です。
イエスはおこたえになった。 私の天の父がお植えにならなかった木は、すべて抜き取られてしまう。
私たちが植える、蒔く、そして借り取るようになるんですけど、 そこに気をつけるべきことがマタイの中古書13節の言葉です。
この見言葉は、カラディア6章は、キリストシャーの倫理問題を取り扱っています。
私たちは1年間熱心に信仰生活しました。
ところで、その中で倫理的な部分を見落としてはいけないということです。
なぜなら、キリスト者たちは倫理の問題を軽く考える可能性があります。 なぜなら、私たちはすでに
イエス・キリスト十字架の恵みによって、罪を許していただきました。 救われました。
天国を手に入れたと思うこともあるでしょう。 私はすでに救われたから、天国に行くから、
これからどう生きるべきか、自分勝手に生きる可能性があります。 そうしながら人々をつまずかせたり、悪い影響力を与えたりする場合があります。
聖書は人をつまずかせることを厳しく取り扱っています。 マタイの中八章6節
しかし、私を信じるこれらの小さな者の一人を つまずかせる者は、大きな石うすを首にかけられて、
深い海に沈められる方がましである。 私が牧師ですから、たまに
牧師たちの性的な問題と言いましょうか、いろいろな過ちに対して、 なかなかないんですけど、
メスコムから出てくる場合があります。 ただ牧師たちの世界ではいろいろなニュースが出てくるので、
私がアメリカで尊敬するある有名な先生が、 最近何かスケンダルに巻き込まれたという話があって、
残念だなと思いました。 牧師たちも人間だから過ちをする可能性があります。
しかし、メスコムからそのニュースを聞いた人は、 教会に悪口をするでしょう。
まだ教会に来ないかもしれません。 これはみんなに知らされてしまえば、これから伝道はできなくなります。
本人は主の前で熱心に悔いを改めて、徹底的に罪を捨てて、 それで神様から救いは与えられるかもしれませんけど、
神様を恥をかけることになります。 人間の存在目的は何ですか?主の栄光のために。
人間の目的は主の栄光のために、 主を喜ばせるために生きることは人間の一番の目的です。
しかし、一番の目的がダメになってしまったということです。 これが私の天の父が応援にならなかった気はすべて抜き取ってしまうという
御言葉に当てはまるのではないかと思います。 ですから神様は三乗の推訓で、
いつもは聖なるものになれ、私は聖なるものだからと言います。 救われた私たちに
非常に大事なのは清い生活です。 ですからパウルはキリストシャーの倫理についてお話ししながら、
収穫の法則とつながってメッセージをします。 カラディア6章7節から9節です。
思い違いをしてはいけません。神は人から穴取られることはありません。 人は自分の撒いたものをまた刈り取ることになるのです。
自分の肉に撒くものは肉から滅びを刈り取り、 霊に撒くものは霊から永遠の命を刈り取ります。
頼まず禅を行いましょう。飽きずに励んでいれば時が来て身を刈り取ることになります。
自分の肉に撒くということは何でしょう。 これは自分の肉が願う、欲する、
その通り自分が何とかやることです。 結局自分の肉に従って生きる人は滅亡と言います。
この滅亡ということは救いを失うことなんでしょうか。 生きている間にダメになるということでしょうか。
いろいろな意味があるでしょう。 滅亡になってはいけません。だから自分の肉に撒く人はダメなんです。
霊に撒く人、霊に撒くということは 精霊様に敏感になって精霊によく従おうと言います。
精霊によく従っていくなら精霊様は私たちに 永遠の命を与えてくださろうと言います。
神の恵みと倫理
ですから私たちは神の栄光のために まだ福音伝道に邪魔にならないように
救われた後、神道たちとしての 聖なる群れとしてのふさわしい生活をしなければなりません。
そうしなければ天国に行けない。 これではありません。
ところが私たちを救うために十字架で すべての血を流し犠牲になってくださった
イエス様の恵みに感謝して この感謝の心で私たちは聖なるものになろうと
頑張っていくことなんです。
これが聖徒としての当たり前の生活であり 神の恵みが自粛的に私たちに与えられる秘訣です。
この時神は栄光を受けられ また伝道の道が開かれます。
ですから救われた後の 神道たちの倫理的な生活は大事です。
倫理的な生活を巻いて神の栄光を勝ち取る。 命の救いを借り取る。
素晴らしいじゃありませんか。
だからキリスト者の倫理をしっかり 私たちが頑張ってやっていきましょう。
では私益の面でどのように収穫するのか。
救われた私たちは主の恵みに感謝して 何とか熱心にやろうと頑張ります。
何でも熱心にやれば神様は喜ばれるのか そうではありません。
救われた後の私益の面で 私たちがよくやらなきゃいけないことがあります。
これがすべて神様から何とかをいただいて それで働かなければいけない。
私は新学校を2000年度1年度4月に卒業しました。
3月に卒業して4月に九州のある教会に赴任しました。
あなたたちは行ってすべての民を私の弟子にしなさい。
はめ!
それで教会に行って熱心に弟子訓練とか 弟子にする働きをしました。
向こうの教会は平均年齢が65歳なんで 65歳の何かお年寄りの方たちを
弟子訓練とか何とか言いながら とにかく熱心にやりました。
初めは人が集まるように見えたんですけど だんだんだんだん来なくなり
いつもの方以外は教会に残らなかったと言いましょうか。
私は焦りがあって こんなに熱心に弟子訓練をするし
熱心に祈っているのになぜこれがうまくできないのか 私の熱心が足りなかったのか
これでもっと熱心にしようと思って頑張りました。
その中で韓国で選挙主たちの集会があると
それで私はそこに参加しました。
そこには私を教えてくださった 私の先生のような方が一緒に参加して
今その方はアレンティーナの選挙主で やっていらっしゃるんですけど
その方に出会って 日本で頑張ったのに何にもできませんでした。
実りがありませんでしたと言いました。
その方は初めは私に
あなたが日本で礼拝者として神を礼拝する これがまず大事だ。
日本でも神を礼拝する人がいるってことを あなたがいるところでやりなさい。
そうしながらずっと話をしているところで
三蔵の水君のマタイの七章中七節を 私に教えてください。
すべて良い木は良い実を結び 悪い木は悪い実を結ぶ。
良い木が悪い実を結ぶことはなく また悪い木が良い実を結ぶことはない。
だったら皆さん実りがないってことは何でしょう。
私が今悪い木っていうことです。
ショークを受けました。
しかし問題は私が悪い木なんですけど 何が悪いのかがわからなかった。
何を間違えて何が悪いから今私には実りがないのか これがわからないんです。
結局わからないまま苦労しながら
僕は5年目に教会の中で問題がありすぎて
辞めました。
それで韓国に追い出されたと言っていいでしょう。
韓国で2年間浪人しました。
それでいつも神様に尋ねることがあります。
何が問題でしょうか。
私が何が問題で日本で私は献身したのに 実りもなく教会の問題が3席で家族もみんなダメになり
私はこのような状態になってしまったんですかと。
その時私は韓国で十字架の福音という若者を 群れの中に行って一緒に勉強しました。
そこで
イエス様はどのように働いたのか見ろ。
何か見せてください。
これはヨハネ公書17節と9節は20節です。
イエスはお答えになった。私の父は今なおお働いておられる。
だから私も働くのだ。
そこでイエスは彼らに言われた。はっきり言っておく。
子は父のなさることを見なければ自分からは何事もできない。
父がなさることは何でも子もその通りする。
父は子を愛して子自分のなさることすべて子に示してくださる。
私は教会のために主のために何でも熱心にやってました。
何でも。
何があったら全て熱心にやりました。
しかしイエス様は私みたいに何でも熱心にやったことではありませんでした。
神様の働きを見て
神様から示されることを熱心にされた。
自分は何でもかんでも熱心にやるんじゃなくて
神様との関係性の中で
神様の御声を聞いて従ったということです。
今まで私はこんな概念さえありませんでした。
私が働いたことはイエス様も働いたことでもないし
聖書が教えてくださることは全く違うものをやりました。
正しい働きの重要性
ショックを受けました。
それでこれからイエス様のように働こう。
神様との親しい交わりの中で
神の御声を聞いて従う。
これをやろうと今教会形成をして新しい教会を建てて
その働きを私たちが熱心にやっているところです。
皆さん、私たちは神様のために何でも熱心にやれば主が喜ぶだろう。
違います。
神様との関係性が一番大事で
その中で神様の御胸をして
神様の御声を聞いてそれをやることです。
これが神様が願われる働きの方法なんです。
これが聖書に書いてあるし
イエス様の福音書で私たちに教えてくださったのに
私みたいな人間は熱心がありすぎて
何でもかんでも主のため、教会のため、福音のため
命を捧げると言いながら自分だけ頑張ります。
それで家族ためになり、教会もためになり
自分自身もためになって
今問題の中にいる人がいる
牧師たちがどれほど大勢いるのでしょうか。
ですからマタイの中号書、中三説
私の天の父が上にならなかった木は
すべて抜き取ってしまう。
これは本当に怖いお話です。
私の牧会をずっと考えてみますと
神様が、私は熱心にやるんですけど
神様が私を何回も指摘してくださったことがわかります。
警告もしてくださったことがわかります。
失敗を通して、家族の問題を通して
いろいろな教会のトラブルを通して
私が今大間違いをしているんだということ
わからなくて自分はもっと熱心が足りないかなと思って
もっと熱心にやっているんです。
間違えたことを熱心にやる
このような働きがどれほど大勢あるのでしょう。
神様は神の身実通り
神様が願われるものを
私たちが熱心にするべきなのに
これを私たちがこれから考えていかなければいけないと思います。
私は神様から予備試験を受けたような気がして
皆さん最後の裁きの座で
私が間違えたことをわかったら
遅すぎるでしょう。
あらかじめ警告を通して教えてくださったから
私もそのことが間違えたと思って
正しい働き方が何なのかと
聖書をまた読んで読んで
イエス様についていく
今働きをしているところです。
働きは自分勝手に最善を尽くしてやるなら
神様は喜ぶだろう。
絶対そうではありません。
正しくやらなきゃいけないんですけど
ヨハネ5章19節
はっきり言っておく
子は父のなさることを見なければ
自分からは何事もできない。
父は父がなさることは何でも
子もその通りする。
実はこのヨハネ5章19節20節が
私の牧会の
人生誠意苦と言いましょうか
私の人生の誠意苦として決めて
俺を守ろうとしているところです。
私たちが神様の前に正直に謙遜に
そして神様に求めるなら
神様は必ずやり直し
回復新しくやる道を示してくださいます。
私たちが何か間違えた
間違えて植えたり
蒔いたりしてしまった時に
必ず悪い木を結ぶようになりますけど
その時正直に私は間違えたことを
告白するなら
悟るなら
神様が生きる道を示してください。
これが歴代家の7章の13節14節
私が天を閉じ雨を降らなくなる時
あるいは私が稲子を大地に喰い荒らす時
荒らすように命じる時
あるいは私の民に疫病を送り込む時
もし私の名をもって呼ばれている
私の民がひざまずいて祈り
私の顔を求め悪の道を捨てて立ち帰るなら
私は天から耳を傾け
罪を許し彼らの大地を癒す
私が昔を考えるなら
私の信仰生活も私の私益も
自分なりに熱心になりました
皆さん私はね
教会出席初めの日から
今まで
蒼天の祈り会をやめたことはありません
熱心でしょ
素晴らしいでしょ
その時間何を祈ったんでしょう
とにかく私なりに熱心に信仰生活しました
しかし実りがない
まるで13節です
私が天を閉じ雨が降らなくなった
まだ稲妓に命じて大地を喰い荒らす時
あるいは私のために疫病が送り込まれる時
このように実りが全くなかった時
14節
もし私の名をもって呼ばれている私の民が
ひざまずいて祈り
私の顔を求め
悪の道を捨てて立ち帰るなら
神の心を求める重要性
私は天から耳を傾け罪を許し
彼らの大地を癒す
回復をしてくださると言う
まず謙遜に自分の過ち
自分が間違えたことを認める
そして今までやってきたことが
間違えたからそれを捨てる
これは悔いを改めることです
そして神の手をではなくて
神の三日を求める
皆さんこれが大事な理由は
神の手は
皆さん何か願いがあったら神様を求めるでしょう
それから神様は何を見るのか
神の身胸を聞こうとする
問題があったら必ず問題の理由があるんですけど
問題の理由を聞こうとするんじゃなくて
私の問題が解決できるようにしてください
問題解決に目を注ぎます
いつも手を見る
手を見るなら神の心が見えない
三日を見えることが
神様がなぜこんなことがあるのかを教えてくださっても分からない
なぜなら問題解決に関心があるから
だから手を求めるんじゃなくて
神の三日を神ご自身を求める
これが大事
これをする時に
神様が何が原因なのか問題が何なのかを
教えてくださることができるからです
そうじゃなければ
神様が問題を教えてくださっても聞く意味がない
問題解決解決ばっかり求めている
収穫と感謝の準備
そのような信仰は発展がありません
ですから神を三日を求める
このような姿勢で求め続けるなら
実りがない私たちの血を癒してください
罪を許してくださり
そして私たちの働きを回復してくださいます
この時神様が良い地にまかれた種のように
30倍60倍100倍の収穫を
回復してくださればと思う心がいっぱいです
今今年の最後の収穫の時期です
今年私たちの生活の中で
まだ子どもたちの学びの中で
まだ私たちの働きの中で
神様の豊かな収穫が与えられることを祝福します
私は今年を振り返ってみますと
天道と関連して何にも巻いていない
天道と関連して何も植えたこともないような気がして
1年が経っても今椅子が空いているところがあるように
天道の実りが見当たらない
これが私の大きな大きな間違いだと思って
悔い改めながら
これから天道のために種をまく木を植えることを
これから私が熱心にやらなきゃいけないんじゃないかと反省しています
とにかくこれから神の御胸に沿って
種をまいたり木を植えたりして
これから主の御胸通り豊かな身を結ぶ
それを通して個人と教会と皆さんのビジネスが発展するように願います
今今年の最後の時です
最後のあと1ヶ月半
今年足りなかったことが何なのかと考えてみてください
そして今日何か今年植えることまたまくことが何か間違えた
何かできなかったうまくできなかったとするなら
来年度のために準備していきましょう
また収穫の法則を心にしっかりとめて
今日学んだことを通して
来年度はより良い一年度になるように準備していきましょう
そして今年与えられたことを皆さん数えてみて
神様に感謝して神を褒めたたえるこの時期になれればと思います
来週は収穫感謝の週としてメッセージを打ち付けたいと思います
お祈りいたします
神様この世の中で一番怖い話
人は自分が蒔いたものをまた刈り取ることになるという
御言葉を分かっちゃいました
願わくは私たちの教会の家族皆さんの生活とお仕事の上
また私たち子供たちの学びの上
豊かな身を結ぶことができるように祝福します
これによって成長し発展する私たちになりたいと思います
恥ずかしいんですが僕は今年転道ができませんでした
得ることが全くないことに恥ずかしく思います
これから転道も熱心にできるような恵みを与えてください
イエス様の皆を通してお祈りいたします
アーメン アーメン
31:52

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