1. 東京ぶどうの木教会 メッセージ
  2. 「成功的な人生を過ごす秘訣」..
2025-02-02 32:59

「成功的な人生を過ごす秘訣」2025年2月2日のメッセージ

spotify apple_podcasts youtube

東京ぶどうの木教会 2025年2月2日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書) マタイ-40 そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。36. 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」37. イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』38. これが最も重要な第一の掟である。39. 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』40. 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

メッセージ題 : 成功的な人生を過ごす秘訣、第1の戒め、第2の戒め(マタイ22:35-40)
*人は皆、成功と幸せを求めて熱心に過ごしています。まさに必死です。例)地方大出身の私・・
*大勢の人は自分の人生、熱心に過ごし、成功して富と名声をもって100年人生を幸せに過ごそうと・・引退して老後の生活を安定的に、そして去っていきます。それが本当に幸いな人生なのか

1.聖書は何を言っていますか?何が成功であり、どのように過ごすことが幸せになると言われていますか?
*聖書は、人間が必ず守るべき大きいな戒めがあると・・・マタイ22:35―40それを第一、第二の戒めで、神を愛しなさい、隣人を愛しなさいて!なぜ、そうしなければいけないのか?それは人間の当然の義務であるから。また、申命記10:13には、そうすることによって人が幸せになるから
#どうして幸せに?人が神様を愛するなら?神様の愛と恵みを頂くことができる!また、人が隣人を愛するなら?隣人の人との関係性が良くなる、親しくなる。お見上げを与えると恩返しをされる
#では神様を愛するなら、神様は何を下さるのでしょう?申命記28:1-6世の中で一番偉くなるし、何処でも入るときも出るときも祝福される?―>実際、モセ、ヨシュア・・・ダニエル神の祝福で。また新約聖書では、神様は私たちを罪と悪魔から救われ、助けを与えられ、天国まで永遠の命を。*隣人を愛するなら「成功する人の7つの習慣」本で、隣人が私を成功の人にならせる?win-win

2.では、神を愛する、隣人を愛する・・・どのようにすれば良いでしょう?
*神様をどのように愛するのか?簡単に父母をどうすればと考えると・・・親孝子、お話を聞き従うなら。神様も同じです。真の礼拝者になり、親しい関係の中で御声を聞き従うなら、一番喜ばれる
#聖書で、神の愛、隣人の愛をまとめて教えることが・・・十戒です。1-4,かみをあいするなら、5-10隣人を愛するなら。第1戒「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」第2戒「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」第3戒「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。」第4戒「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」
5-10,第5戒「あなたの父と母を敬え。」第6戒「殺してはならない。」第7戒「姦淫してはならない。」第8戒「盗んではならない。」第9戒「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。」第10戒「あなたの隣人の家を欲しがってはならない。」 ―>十戒は古い戒めではありません。今も

3.イエス・キリストは、神を愛する、隣人を愛することを、模範的に・・・見せて下さったお方です。
*フィリポ2:5-11はイエス様の人生をまとめ・・・イエス様は神様を愛して、2:5-8そのように神の切なる願いの為に自分自身を捧げると・・神様はイエス様に、2:9-11を驚くほど報いられます。*人類を愛して、マルコ10:45、マタイ4:23十字架の贖い、教え、宣べ伝え、癒しを通して神様との和解を実現されました。イエス様は十字架で十戒をすべて成し遂げられました。仲介者の役目。*私が良く用いる聖書、箴言16:7主に喜ばれる道を歩む人を/主は敵と和解させてくださる!@神様は、御姿の人間が幸せになること、またすべての人が天国に来ること、その為に御言葉を

サマリー

成功的な人生を過ごすためには、神を愛し、隣人を愛することが重要です。聖書はこれらの教えを伝え、本当の幸せへと導く道を示しています。成功的な人生には、神を愛し、隣人を愛することが不可欠であり、それを実践するにはイエス・キリストの模範に従うことが強調されています。このエピソードでは、神との関係を深めることの大切さや、隣人との関係を修復する方法について話されています。和解と愛によって、成功的な人生を送るための秘訣が紹介されています。

成功と幸せの定義
今日は、成功的な人生を過ごす秘訣、これが第一の忌ましめ、第二の忌ましめという対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
世の中で人々、みんな熱心に過ごしています。 なぜ熱心に過ごしているんでしょう。みんな成功したいでしょう。
成功するなら必ず幸せになると思っているんじゃありませんか。 ですからみんな頑張っています。
どのぐらい頑張るのか。朝早くから夜遅くまで。
実りちゃんの受験を考えたら、何年前からこのように精一杯精一杯頑張って頑張って、それでご自分の希望を成し遂げて、そうするなら成功するし、そうするなら幸せになるんだと、私たちみんな思って応援しているんじゃありませんか。
今は無限な競争の時代です。 勝ち抜くことがなければ生き残れない。
また成功しなければ幸せになれないと思っています。 ですからみんな頑張っています。
必死に過ごしています。 自己中心的な世界の中で
みんな成功、出世、幸せ、それを得ようと朝から晩まで精一杯頑張っている世の中。
昔私もそうでした。 韓国は地方大学とソウル大学の間の差が大きくて、
地方大学出身として大企業に入って、そこでなんとか競争の中から生き残るために精一杯頑張りました。
でもなかなかうまくできませんでしたね。 そのために私はどうすればいいのか、もっともっと自分を何か叩き出して、
それで頑張りました。 職場の中で私の宛名はサイでした。
みんなが相手にしたくない奴、そうしながら私は、私なりには頑張っていると思いました。
でも私のこの能力の限界、力の限界、いつも感じながら私は絶望したりしました。
世の中の人々、みんな自分の才能、努力によって成功しようと、出世しようと頑張っています。
それでうまくやった人はたくさんいます。 富を得て名声を得ます。
周りの人たちから憧れます。 そうしながら年を取ったら
お仕事を辞めて、次の世代に譲ってあげます。 私、その間に詰めておいた富、
また名声を持って老後を楽しみながら、そしてどこか消えていきます。
どこから来て、どこに行ってしまうんだろう。 またそれで忘れられる世代になります。
私たち一人の個人の成功と幸せ、 これでいいんでしょうか。
頑張って得たことを味わいながら、成長しながら、 いつかは自分の名前さえ全部消えてしまっていなくなる。
これが人生の成功と幸せなんでしょうか。 聖書はそれを何と言いましょう。
聖書の教え
何が成功で、どうどのように過ごすことが、 永遠に幸せに行く道だと言われるんでしょう。
じゃあまず聖書は、人間が守らなければいけない 大事な忌まし目があると言っています。
今日読んでくださった全22章の35節から40節ですけど、 聖書は一貫的に始めからずっと同じようなメッセージをくださいます。
聖書に最も大事な忌まし目がある。神を愛しなさい。 それは何より大事だと。
また同じように大事なことがあるので、 それが隣人を愛しなさいと言う。
これは第二の忌まし目だ。 第一の忌まし目は神を愛しなさい。
第二の忌まし目は隣人を愛しなさい。 なぜそうしなければいけないのか。
これは人間の当たり前の義務だと言っていることもありますけど、 今日読んでくださった新明記10章13節を見ますと、
私が今日あなたの幸せのために 命じた忌まし目を守りなさい。
忌まし目を守ることは結局私が幸せになるために 神様が命じられたということです。
考えてみますと第一の忌まし目、第二の忌まし目は 人間が一番正しい人生を過ごす道であり、
またそのように生きるとき人間が一番幸せになるから 神様はそれを私たちに強調してくださるんです。
忌まし目としたら負担を感じますね。 忌まし目を守ることは難しいと見えるんですけど、
それによって私たちが幸せになる。 本当に幸せになるのでしょうか。
じゃあまず第一の一番大きな忌まし目、 私たちが神様を愛するならどのように幸せになりますか。
私たちが神を愛するなら神様から愛され 神様から恵まれるんです。
同じように隣人を愛するなら私たちは隣人から愛され また恵みを受けるようになります。
いつか私は隣の家、今川口の隣の家の方に 果物を何か何個与えたことがありました。
それがきっかけになって、私が与えた恩返しとして また私に何か買ってくれましたね。
それと隣の家と親しくなりました。 だから何があったらまた分け与えて、
愛の実践
また何か買ってくれました。 隣の家とおばさんとは私が親しくなりました。
だんだんこれによってもっともっと親しくなれば 私が川口を離れる前にイエスキリストを伝える心をしっかり持って祈っているところであります。
親しくならなければイエスキリストを伝えることもできないんですね。
やっぱりお土産とか周りの方に色々愛する、親しくなろうとするなら、やっぱり親しくなりましたね。
私は日本で親戚もいないし誰も知り合いがいないんですけど、 日本の方々をたくさん親しくなる方をたくさん作りたいんです。
そうするためにまず私が愛しなきゃいけないと思います。
では私たちが神を愛するなら、聖書は神様が私たちに具体的に何をくださるんだと書いてあるのか。
新明記ではこう言われます。新明記28章1節から6節です。
もしあなたがあなたの神、主の御声によく聞き従い、 今日私が命じる今しみをことことく忠実に守るならば。
神様が言われた今しみを私たちが忠実に守ること、これが私が神を愛することになります。
愛するならあなたの神主はあなたを地上のあらゆる国民にはるかに勝るものにしてください。
世の中たくさんの人がいるし世の中でたくさんの国々があります。
その中で神様が私たちをまたイスラエルをはるかに良い、はるかに偉い、勝ったものにしてください。
神を愛するなら神様は私たちをはるかに勝ったものにしてください。素晴らしいことでしょう。
また2節、あなたがあなたの神主の御声に聞き従うならば。
聞き従うということは神様を愛し、神様を喜ばせるなら、これらの祝福はすべてあなたに臨み実現するであろう。
あなたは町にいるときも祝福され、堂にいるときも祝福される。
あなたの身から生まれた子どもも、土地の実りも、家畜の産むもの、すなわち牛の子、羊の子も祝福され、
あなたが入るときも祝福され、出ていくときも祝福される。
私がある家に入ったらその家が祝福され、ここから出てまだ他のところに行ったらその家が復旧される。
だから私は祝福の源になるように神様は私を大きく祝福してください。
皆さん、神を愛するなら一番偉い人になり、まだ私たちがどこにいても何をしても神様の祝福が私を通して全世界に流れる。
いいことではありませんか。私たちが神を愛するなら神様が私をそのような存在として救ってくださろうということです。
実際、神を愛されたモーセ、ヨーシュワ、サーメル、ダビデ、ダニエル、ダニエル。
ダニエルの神様が世の中で一番高い位まで引き上げてくださる。本当そうですね。
神を愛する子供、神を愛する二世たち、神を愛する私たちになりましょう。アーメン。
また神学聖書では神を愛するなら神様が私たちを罪と悪魔から救ってくださり、この世の中で助けてくださるんですけど、私たちを保護し、導き、守り、教え、もう全て悟らせ、神様はこのように私たちを助けてくださると言います。
私はこの世の中で何が一番必要なのかを目指している中で、イエス・キリストの救い、聖霊様の助け、また神様の永遠の命、天国。皆さん、救いと助けと天国の永遠の命、この以外に何が必要でしょうか。
救いの中で全部入っているし、助けの中で全部入っているし、この世だけじゃなくて天国の永遠の命、そこに全部入っています。私たちが必要なこと、全部神様が、三位一体の神様がくださったんです。素晴らしいでしょう。
また隣人を愛するなら、隣人が私を助けてくださいます。成功する人の七つの習慣という本を書いたスティーブン・クービーという人がいます。彼はこの本の中で、自分が成功したいと頑張って自分だけ頑張る人はなかなか成功できなかった。
しかし、他の人を助けて他の人が成功できるように助けた人は、その人が私を助けてくれて私は自然に成功するようになったと言いながら、ウィンウィン、私がその人をうまくやってあげるなら、その人が私を助けて私がうまくできるようにしているから、お互いに良くなる。
人を助けるなら、そのような立派なことがあると言って、彼がびっくりして本を書いたものが、成功する人の七つの習慣ということです。
そうです。隣人を愛するなら、隣人が私を助けて私が成功できるようにしてくださるんです。
では、神様の愛、隣人の愛をどうすればできるのか。
私たちが神を愛することをどのようにできますか。
父母はどのように喜ばせることができますか。
私たちが親孝行する、また父母が言われるお話通り、うまく従っていくなら、父母が喜ぶでしょう。
神様も同じです。
私たちが心を尽くして神様を礼拝する、誠の礼拝者。
礼拝ということは、神様と私たちの関係を整える一番素晴らしいことです。
私は拝みます。神は恵みを与えてください。
この関係の中で、私の拝む神様、私を愛する子供よ、いうような親孝行のような関係性。
それが、礼拝をすることです。
これは、親孝行するなら、親が一番喜ぶように、礼拝するなら、神様が一番喜ばれます。
また、神様は、神の御声を聞いて、従う人を喜んでおられます。
そのようにすることが、神を愛することです。
皆さん、隣人をどのように愛することができますか。
隣人を愛して、一番いいエティケット、礼儀正しく隣人を接すること。
また、隣人といい関係を保つこと。
また、隣人のために祈ること。
また、隣人の中で何が足りなければ、それを助けてあげ、補ってあげること。
そのようにしてあげるなら、いいでしょう。
また、そこで大事なのは、その方も天国に行けるように、イエスキリストの福音を伝える。
そうするなら、隣人を愛して、私たちがやることになります。
それを聖書で分かりやすく、具体的に教えてくださったことがあります。
これが、実戒というものです。実戒。
愛の今しめ
実戒の第1から第4の今しめまでは、神様と私たちが愛するなら、必ず守るべきこと。
第5今しめから中今しめは、人と人との間で愛するなら、必ずやるべきこと。
これが書いてあります。
人が神を愛するなら、必ずこれを守るでしょう。ということですけど、第1の今しめは何ですか。
あなたには、私の他に他の神々があってはならない。
そうでしょう。私が妻がいます。
私は妻以外に他の女性を愛してはいけない。
当たり前でしょう。
神様は、神以外の他の神々があってはいけない。
あなたは私を愛するなら、そうするだろうと言われています。
第2の今しめ、あなたは自分のために空城を作ってはならない。
第3の今しめ、あなたはあなたの神、主の皆を乱れに唱えてはならない。
第4の今しめ、安息美を覚えて、それを性別に守りなさい。
そうでしょう。神を愛するなら、これを第1、第2、第3、第4まで、その今しめを守るようになるでしょう。
当たり前なんです。
また、私たちが隣人を愛するなら、隣人に対してどうするべきでしょうか。
大公の今しめ、あなたの父と母を敬え。
皆さん、私の隣人の中で一番大切な隣人はどなたですか。
私の父と私の母です。
私以外に一番大切な方は父母です。
父母を敬うこと、親孝行すること、当たり前でしょう。
父母を愛するなら、やることでしょう。
また、隣人を愛するなら、人を殺してはならない。
肝炎してはならない。盗んではならない。
隣人のために希少の証言をしたらいけない。
また、隣人のものを欲しがってはいけない。
これは隣人を愛するなら、当たり前のことをやることです。
皆さん、この実戒というものは、
孟子の時代、秩父の時代に作られた古い今しめではありません。
今も私たちが神を愛するとき、何をすればいいのか考えるときに、
第一の今しめから第4の今しめまで。
隣人を愛するなら、何をすればいいのか、
第5の今しめから第10の今しめまでをよくよく考えながら、
それを実践することが、神を愛する、隣人を愛することになるんです。
人生の成功の秘訣
私は、はじめに神様の助けが欲しかったんです。
ですから、教会をはじめに来たのは、ご利益的なマインドで、
神様に熱心しました。
自己中心的ですね、ご利益的に。
それを考えたら、一割の信仰に、自己中心的な信仰になりますけど、
神様に対しては、正しい信仰を持てませんでした。
熱心はあったんですけど、その方向が正しくありませんでした。
人々に対して、私は正所と正反対的なことをやってきました。
私の利益のために、人を裏切ることを私は優しくやりました。
私は人との関係がダメになることに対して、あまり気にしませんでした。
人と関わりをしながら、あ、私にあまり利益にならないと思ったら、
シャッと裏切ることもありました。
もうこれは皆さんご存知だと思います。
いろいろやりました。
今考えてみますと、これがどれほど愚かなことなのか。
皆さん、人生で一番大事なのは、人を得ることです。
私が出会った人を、私のフレンド、私の身内として全部得ることができたら、
私は人生で成功した人です。
しかし、私と出会った人がみんな敵として回してしまったら、
みんな私を非難する。
このヤツは悪いヤツだと言われるように、
そのような評判を受けるようになってしまったら、
私は人生で一番愚かなものになります。
人生で一番いいことは、人を得ることです。
私と出会った人は、全部私をいい評価して、
いい友達になり、私の身内になること。
これが人生を一番うまくやることなんですけど、
私はそれを知りませんでした。
私の道、私の利益になるのか、
私がうまくなるために、この人が必要な時は使う。
必要じゃなければ、パッと裏切る。
今、いろいろ見たら、若い人たちはよくわからなくて、
昔、私みたいになりますね。
ああ、愚かだなあ、それを早く悟らなきゃいけないのに、と思うこともあります。
会社の時にそうしたんですけど、
福祉になってからもそうしました。
皆さん、私が他の教会を助けるなら、
神様が私を助けてくださって、
私の墓会が成功できるようにしてくださるはずなんですけど、
私は他の教会に対して、競争心がありました。
それで、他の教会に対して、何かうまく施すことはできませんでした。
私の教会だけ、周りを敵として、競争として考えて、
この愚かな愚かな私でした。
ですから、私は職場の生活でもうまくいかなかったし、
イエス・キリストの模範
牧師になって牧会をしながらも、何回も失敗し続けました。
私は考えました。
私は熱心に努力しているのに、
なぜ私はこのような何回も失敗するのか、
何が問題なのか、よく分かりませんでした。
今、70歳になって人生を振り返ってみますと、
ああ、その一番大事なのは第一のいましめ、第二のいましめ、
隣人を愛するべきなのに、私はそのような心がなかった。
今になって、後悔しているし、悔い改めしていることです。
聖書がなぜ第一のいましめ、第二のいましめを
共通しておられるのか、今分かっています。
それにもかかわらず、今まで振り返ってみますと、
私が生きていて、まだ牧師をやっていることは、
本当に神様の恵みです。
私の数多い罪、過ち、
その中でも、神様が私を憐れんで思ってくださって、
かわいそうに思ってくださって、恵みを与えてくださって、
今、私が牧師をやっていることは、
本当に本当にこれは神の恵みです。
私の罪、過ち、この悟る時まで、
神様が我慢してくださったことは分かります。
これから私は、神を愛する、隣人を愛する、
できれば一人と一人でも、私はこの人を得る、
そのような気持ちを持って、
人と関係性をうまくやっていきたいと思っています。
この神を愛する、隣人を愛すると、
模範的に実践された方がいます。
イエス・キリストです。
イエス・キリストは、私たちの完全な模範になります。
イエス・キリストは、神様を愛して、
神様を愛する、神様の切なる願いを、
イエス様はご存知だったのです。
それは、神の見姿である人間を救うことでした。
そのために、イエス・キリストは、
天皇の中で神の栄光を捨てられ、
この世で赤ちゃんの姿で来られ、
十字架で苦しみながら、
贖いの使用になってくださって、そして復活されました。
イエス様がなさった全ては、神様を愛して、
神様の切なる願いを叶えてあげたいと思って、
成し遂げたことでした。
聖書の中で、イエス様の人生を、
生涯をまとめて表現する聖書があります。
ピリッポ2章の5節から11節までです。
まず、ピリッポ2章の5節から8節です。
6節です。
イエス様は、神の身分でありながら、
神と等しいものであることを拘束しようと思わず、
かえって自分を無にして、
しもべの身分になり、
人間と同じものになられました。
人間の姿で現れ、
へり下って死に至るまで、
それも十字架の死に至るまで、
中旬でしたと言います。
イエス様は、神様の願いを叶えてあげたいと思って、
神様に献身しました。
そうしたら、神様はどのように報いてくださったんですか?
ピリッポ2章9節から11節。
このため、神はキリストを高くあげ、
あらゆる名に勝る名をお与えになりました。
こうして、天上の者、地上の者、地下の者すべて、
イエス、イエスの皆にひちゃまずき、
すべての下が、イエス・キリストは主であると公に述べて、
父である神に仰をたたえているのですと言います。
ご覧ください。神様もイエス様を愛して、
こんなに高く高く、イエス様をあげてくださったんです。
また、イエス様は隣人を愛して、
この世の罪人のために、
マルコ445節。
人の子は使えられるためではなく、
使えるために、また多くの人の身の代金として、
自分の命を捧げるために来たのであろうと言います。
また、イエス様は人々を救うために、
教え、また述べ伝え、
癒しながら、
そして最後に、
十字架の苦難、贖いの死を通して、
私たちの罪を全部許されて、許してくださいました。
結局、それによって、
私たちは神の身姿を失ったんですけど、
神の身姿が取り戻されました。
イエス様は十字架で、
実戒を全部成し遂げてくださったんです。
人が神様と関係が悪くなれば、
この世で幸せになりません。
天国にも入りません。
その関係性のために、
私たちは何ができますか。
私たちは何にもできません。
イエスキリストが十字架で苦しまれて、
血を流してくださって、
私たちは罪を許してくださったから、
私たちは神様との関係が取り戻され、
神の子供としての特権、資格を回復できました。
それで私たちは、
神の恵みを味わうものになりました。
またイエス様は、
私たちが人と他の人の関係が悪くなれば、
隣人の助け、
祝福もいただくこともできないだけじゃなく、
神の祝福もいただくことはできません。
その時、イエスキリストを十字架に委ねて、
悔いを改めるなら、
私たちをすべて許してくださり、
関係を取り戻してくださいます。
私は個人的に、
神との和解の重要性
神言の中六章七節の見言葉の助けをいただきました。
神言の中六章七節、
主に喜ばれる道を歩む人は、
主は敵と和解させてくださると言います。
事実は、私の人生を振り返ってみますと、
私が過ぎてしまったこの間に出会った、
ほとんどの人が、
皆さん、私の敵の関係になっていました。
私が過ぎた人生のほとんどの時期、
ほとんどの大事な方たちが、
私と敵の関係になってしまったと言ったら、
私の人生は大間違いなんです。
だったら今、
その人たちとのように、
関係を取り戻すことができますか。
私は徹底的に、
神言の中六章七節に委ねています。
主を喜ばせる道を歩む人は、
主が私の敵との和解をさせてくださる。
今までもいろいろ、
神様を和解させてくださる経験がありますけど、
これからも私と関係が良くない、
ダメになっている方たちとの関係を、
主が取り戻してくださるように、
私はもっともっと悔い改めて、
もっともっと神様に祈って、
また神様が願われる道を、
熱心にその道に通して過ごしていきたいと思います。
そして私は天国に行く前に、
私と関係がダメになっている全ての人、
できれば私は、
跪いて悔い改めながら、
その関係を取り戻したいなと思います。
皆さん大事なのは、
神を愛する、隣人を愛することです。
そのような人は神の助けをいただき、
隣人の助けもいただくから、
結局この世の中で一番うまくできる、
うまく成功できる、
一番立派に過ごす人になります。
皆さんぜひぜひ覚えてください。
今まで皆さんと関係が良くない、
なぜ関係が良くなるようになるんでしょう。
自分が何かを狙っていることがあるからではありませんか。
自分と何か意見が違うなら、
その意見を受け取ってくれればいいのに、
自分が正しいと思って喧嘩しようとするからではありませんか。
喧嘩が一番馬鹿な人がやることです。
全ての人を受け入れ、
全ての人と仲良しできればいいのに、
そして自分の人生、
人との関係がダメになったら、
人の助けもいただけないし、
神様も祝福してくれない。
なぜその道を歩むしかなかったんでしょう。
これが愚かな人がやることではありませんか。
これから皆さん約束しましょう。
私は悪いことを間違えてました。
これから神様との関係をよく持っていきましょう。
また人との関係、
人との関係をよく持っていきましょう。
私があるところから文章を見たんですけど、
口が早ければ敵が多い。
耳をよく聞いたら親しい友達が多くなる。
よく聞いてあげること。
そうしたら友達が多いんだけど、
早く早口で何か喋りたくて、
喋ってしまったら敵が多くなる。
ああそうだなと思いながら、
いろいろ教訓を受けることがあるんですね。
じゃあ今日私たち考えていきましょう。
私と関係性が悪い人がいたら、
神様に祈りましょう。
神様、私は何か若いからよくわからなくて、
私の執著が多すぎて強すぎて、
人との関係がよくダメになりました。
取り戻したいです。
主よ私の罪を許してください。
その方を神様恵みを与えてください。
どうかどうか、
これからも良い関係を持つようにしてください。
もし神様との関係が良くない場合は、
これは私たちが神様に徹底的に悔い改めて、
神様が何を願っておれるのか、
よくよく見極めて、
神様に聞き従うものにさせてください。
この祈りを私はこれから切実にやって、
神を愛する、隣人を愛して、
この世の中で一番祝福され、
また天国に入る私たちになれればと思います。
隣人を愛することの意義
お祈り出します。
神様、今まで私たちは神のいましみだということを後悔しました。
後悔しました。
神のいましみは、
普段と思ったことを悔い改めます。
これから私たちの幸せのために来た神様のいましみ、
第一のいましみ、第二のいましみをよくよく従って、
神様から恵みと祝福をいただき、
隣人からも助けをいただいて、
もっともっとたくさんの方を愛する私たちにならせてください。
これを通して私たちの教会は、
全ての人に祝福を与える、
全ての人を愛する教会にならせてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
アーメン。アーメン。
32:59

コメント

スクロール