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【聖書からはじめる信仰入門⑫】 立ち上がって歩けるようになった中風の人(マルコ 2:13-17)
2026-08-22 18:12

【聖書からはじめる信仰入門⑫】 立ち上がって歩けるようになった中風の人(マルコ 2:13-17)

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プロテスタント教会に興味がある方へ向けて、その入り口となるメッセージをお届けします。
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【概要】 体が麻痺して動けない…中風の人を癒やされたイエス様を通して… 
人生のあらゆる問題は…罪から来る!   罪の問題が解決されなければ…完全な癒やしはない。 霊的な問題→精神的な問題→肉体的な問題。イエス様だけが、罪とサタン、呪いから私たちを解放してくださる。(キリストの意味?=「油注がれた者」で、王、祭司、預言者の役割を果たされるお方!)イエス様に近づくには…信仰が必要!イエス様は信仰を見て御業を行われるが…病人の本人の信仰であれ、助ける人々の信仰で…     #4人の友人の信仰によって中風病人が癒やされるのを見て…私たちもこのような協力者を得ることができれば…力を合わせて多くの人々を救うことができるという希望!  このような協力者を神様に求めれば、神様が送ってくださる。(ルカ10:2)

【聖書の箇所】マルコによる福音書 2:1-12
数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、 大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、 四人の男が中風の人を運んで来た。 しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。 イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。 ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。 「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒瀆している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」 イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。 中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。 「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」 その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。

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みなさんこんにちは。東京ぶどうの木教会のファンと申します。 私たちの教会は、神様の御言葉、聖書を用いて、グッドニュース、福音を伝えているところであります。
前回、私たちは、創世記三章を通して、初めの人間が蛇の誘惑を受けて、神様が禁じられた、善悪の知識の木の実を食べて、罪を犯し、エデンの園から追い出されたことを学びました。
その時、神様は、罪を犯した人間に、創世記三章十五節で、女の子孫を約束されました。
女の子孫は、少女を誕生されたイエス・キリストです。
今日は、マルクの福音書二章を通して、体が麻痺になって動けない、中部の病者を癒されたイエス様を通して、人生のすべての問題はどこから来るのか、また、私たちはどのように癒され救われることができるのか、一緒に分かち合いたいと思います。
マルク二章一節から十二節までです。
イエス様がカリラヤのカパールナウムに行かれた時に、イエス様が来られたと言う噂が大勢の人々に広まって、大勢の人たちが集まりました。
その時、イエス様は何をされたのか、どのようにその人たちを助けたのか、ここで福音書の記録パターンがあります。
イエス様がどこに行かれるなら、人々が集まってきた。
そうするなら、イエス様は教えられた。
なぜ、イエス様がどこに行かれると、人々が集まってくるのか、当時問題がたくさんあるのです。
ローマの植民地、また貧しかったです。
まあ、いろいろな病、悪霊とかいうものすごい患われているところで、助けをいただくところがなかった。
その人々を助けるために宗教主導者がいるはずなのに、彼らはそのような役割はできなかった。
しかし、イエス様は大勢の人々を癒してくださり、悪霊を追い出してくださった。
ところが、イエス様が集まってくる群衆に、なぜ教えられたのか。
神の道、神の身分を知らなく、勝手に過ごしながら問題が来たからです。
ですから、御言葉を教えることによって、悟って取り戻すために。
皆さん、癒し、奇跡だけでは人は救われないし変わりません。
03:01
御言葉の種がばかりだと。
御言葉が人々を癒され、救われ、奇跡を起こすような働きをします。
ですから、民を救うため、生かすために、イエス様は3つの働きをした。
マタイの福音書4章23節に、イエス様が教えられ、延べ伝えられ、癒された。
この3つがイエス様の大きな働き、御業だと思っていいでしょう。
その時、大勢の人々がイエス様に、大勢の群衆が集まっているところで、
カパラナムのある家に、イエス様がおられる話を聞いて、
大勢の群衆がそこに集まってから、家の中がもう入る余地が全くないところ。
その時に、4人の人が、中部の人を運んできた。
皆さん、中部の人、今その言葉があるんでしょうかね。
今の言葉としては、脳出血とかいうことによって、全身麻痺の状態のある人。
全身麻痺の状態、動けない。
感覚はない。
この状態です。
霊的な中部の病気もありますよ。
罪を犯すんですけど、罪に対して無感覚な人。
怖いですね。
この人が、イエス様のところに行こうとしたら、人々に阻まれて、イエス様のところに行くことができなかった。
ここで私たちは、信仰生活。
イエス様のところに出て行く時には、必ず邪魔があるということを考えていいでしょう。
また、信仰の成長の過程、主の御業に用いられる過程には、必ず壁、邪魔がある。
それを乗り越える時、イエス様に出会うことができます。
家のところで、イエス様がおられる話を聞いて、運んできたこの中部の人を、イエス様のところまで何か行かなきゃいけないんですけど、
人々に阻まれて、もう前に進めない。入ることさえできない。
その時、彼らはどうしたのかと言いますと、聖書では屋根を剥がして、屋根から上から穴を開け、そこから中部の患者が出ているところをすり下ろしたと言います。
こんな働きができますか。
その働きの裏には信仰があった。どんな信仰ですか。
愛によって働く信仰。この人は必ず生かさなきゃいけない。この人は、本当に愛するこの人は必ず生かさなきゃいけない。
また、イエス様に出会うなら必ず治る。
もしイエス様に出会っても治らないと言ったら、屋根を剥がしてすり下ろすとありえないでしょう。
06:01
3番目、彼らはイエス様のところに行こう。
じゃあ、どこにどうしましょうか。
もう、東西南北全部塞がれています。
上、屋根を剥がしてそこからすり下ろそう。
だったら、ある人は、ダメだよ、ダメだよ。
この家を剥がして、これはイエス様嫌がるかもしれない。
言うべきですけど、彼らは、そうだ、そうだ、上からすり下ろそう。
このような方法論まで一つになる信仰。
皆さん、愛によって働く信仰。
イエス様に出会うなら必ず治るんだと信仰。
イエス様に出会うためには、上からすり下ろす方法論まで一致するこの道路者。
本当に皆さん、この道路者、素晴らしいですね。
じゃあ、このような道路者をどのように得ることができるか。
ローマ書16章には、パウロがローマまで占拠ができた。
そのきっかけとして、自分の道路者の名前をずっと書いてある。
ブリスカーとアキラという人が、ここに紹介しているのです。
この人たちは、私のために自分の命さえも惜しみなく与えてくださるほど、私を助けてくれた。
こんな道路者がいるなら、素晴らしいでしょう。
では皆さん、こんな道路者をどのように得ることができますか。
神様が送ってくださらなければいけない。
ですからイエス様は、ルカの福音書10章2節に、収穫が多いが働き手は少ない。
だから収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主、神様に祈りなさい。願いなさい。
神様に祈るなら、助ける道路者を送ってくださるんだということが、私たちは分かります。
皆さん、道路者のために、是非これからも祈っていきましょう。
屋根を剥がして、上から釣り下ろす。
だったら、お家の中は大変だったと思います。
イエス様は彼らの行動を見て、何を見ておられたのか。
では皆さん、イエス様は、ご自分の前に来る人々に対して、一つだけ見ます。
これは信仰。
私たちは何を見ますか。
開面的な姿、態度の質下があるのかどうか。
これを見るんですけど、イエス様は、このようなことを見ていません。
信仰があるのか、これだけ見ます。
ヘブナー書11章6節。
信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神様が存在しておられること。
また、神はご自身を求める者たちに報いてくださる方であることを信じなければならない。
神様は信仰を見て働かれる。
では信仰はどのようにできますか。
09:02
ローマ書10章17節。
実に信仰は聞くことにより、しかもキリストの言葉を聞くことによって始まるんだ。
美言葉を聞く、説教を聞く、メッセージを聞く。
聞くことによってできます。
イエス様の時には噂を聞いて信仰ができて、イエス様のところに集まってきた人がたくさんいました。
とにかく聞かなきゃいけない。
キリストの言葉を聞かなければいけない。
この時イエス様は宗父の描写に何を宣言されたでしょうか。
運んできた4人の人も含めて。
その時イエス様は、癒しが必要でイエス様に来た人々に、罪の許しを宣言されます。
あなたの罪を許された。
皆さん、病と罪との関係があるんですか。
イエス様は全てのご自分に集まってくる人に、全人的な癒し、霊的な問題、精神的な問題、体の問題、関係がある。
霊的な問題から精神的な問題が来るし、それからまた体の問題が来る。
だから、霊的な問題である罪、罪の許しがなければ、まともな癒しはありえない。
では、宗父の人の心にある罪って何でしょう。
自己憐憫、猜疾感と言いましょうか。
私みたいな人間、他の人々に世話にならなければ何にも動けない。
ざま、ざま、私みたいな人間、死ななきゃ。
いろいろな自己憐憫を知って、また自分自身に対して何か大変な思いをしているでしょう。
特にユダヤ人たちは、天地万物を守る、管理するために人間を作られたものを分かっているものですから、
自分自身は、地の果てにまで福音を伝え、命が支配する、このような働きが全くできていない、自分自身に対していろいろな在籍が持っていたのではないかと思います。
ところが、イエス様、あなたの罪は許されたと宣言されたら、
そこに密かにイエス様のところに隠して、そこで聞いていた立法学者たちは、
自分が神様なのか、神以外に誰が罪を許すことができるか、自分は神なのか、このような心を密かに持っている人がいたと、
イエス様はこの心を見ておられたので、イエス様はこう言われます。
人の子は地上で罪を許す権威を持っていることを皆さんに知らせようとして、そこから中部の人の病気を癒してくださる。
12:08
皆さんここで私たちが理解するべきことは、イエス・キリストといった時に、このキリストの意味が何なのか。
イエスはキリストだということでしょう。
ある人は私は牧師なんですけど、私が牧師だということは、私の役目が分かるようになるんですね。
キリストということはどんな役目をする人ですか。
キリストはもともとキリシャ語です。ヘブライ語ではメシャという同じ言葉です。油注がれたという意味です。
旧約聖書で油を注がれた時には三つの職を最初、預言者を任命する時に油を注いで人々を建てるんですけど、主な役割は何ですか。
全世界を平和で治める。この霊力の意味では、この世の神と言われる悪魔を滅ぼすことができるお方。
最初は罪、病、呪い、また神様に対する礼愛を捧げる。
預言者は神の御声を人々に伝える。
そしてイエス様は私は道で死んでやって命だと言われた時には、イエス様のこの預言者的な働きを強調したことではないかと思いますけど、
とにかくイエス様は最初としての働きを示してくださったということです。
ところがこっちだけではなく、イエス様は罪の許しのことがどのように明らかになる、示してくださったのか。
イエス様は病気が癒されることをもって、罪が許されたというメシアとしてのこの力を示してくださった。
その人はこの話を聞いて立ち上がって、すぐに徳を担いで、みんなの見る前に出て出かけていった。
今、運んできた人が立ち上がって徳を担いで、みんなの見る前に出ていった。
これはまさにイエス様はキリスト、神の子であることを示してくださった事件です。
イエス様は罪を許してくださる、この罪の許しの牽制者だけではなく、癒しを与えてくださる牽制者でもあります。
ここで知ることができるのは、イエス様の癒しは全身癒しです。
霊的な癒し、罪の許し、また精神的な癒し、体の癒し、この全てを行われること、イエスキリスト、ですからイエスはキリスト、イエスはメシアのことを示してくださった事件です。
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主婦の人を通してそれをみんなに見せてくださった。
ここで少しまとめてみましょう。
人生の全ての問題はどこから来ますか?
色々ありますけど、罪から来ます。
罪の問題解決なしには、まともな癒しはありえない。
イエス様だけが、罪とサタンと呪いから、私たちを救うこと、解放される、癒すことができます。
しかし、イエス様のところに進み出ていく時には、信仰がなければいけない。
この信仰は、患者、病者の自分自身の信仰も必要なのか、また同僚者の信仰なのか。
今日のマルコの2章では、この中部の患者の信仰があるのかないのかは書かれておりません。
とにかく4人の同僚者たちの信仰が書かれてあります。
ですから、聖書の中では、やいろは父の信仰によって娘が癒され、また長子の信仰によって家来が癒され、色々なことが書かれてありますけど、
本人の信仰があるかないか分かりませんけど、それは導く同僚者たち、助ける人の信仰によっても救われるんだということを見ているなら、
私たちも教会の家族、また大勢の愛する人々を、私たちは同僚者と力を合わせてこのような4人の同僚者になるなら、
いくらでも世の中、日本で大勢の人々を癒すことができるのではないかと、これを考えて希望が生じるんですね。
イエスはキリストです。イエスは王様。
イエスは最初、預言者の役割をされるお方だと、これを聖書で明らかにしてくださいました。
では、私たちもこのイエスキリストによって日本の方々を救う、こんな素晴らしい美業を行う私たちになりますように。
お祈りいたします。主よ、ありがとうございます。
イエスはキリスト。イエスはメシア。イエスは王。
イエスは最初、預言者の役目をされて、今も働いておられることを感謝します。
どうか私たちの周りに、大勢大勢、問題、悩み、罪、苦しみになっている、病気に患っていらっしゃる方が大勢います。
この方たちを助けることができるように、私たちに力を与えてください。
特に、今日の四人のお友達のように、私たちに登牢者を与えてください。
登牢者と力を合わせて、主の御業に用いられるよう、私たちにならせてください。
イエスキリストの皆を通してお祈りいたします。アーメン。
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