田中健士郎
働き方ラジオ始まります。株式会社セッション・クルー代表、働き方エヴァンジェリストの田中健士郎です。
田中健士郎
このラジオは、誰もが自己表現をするように、情熱を持って働く、そんな世界を目指す、仲間づくりをしていくポッドキャスト番組になります。
皆さん、自己表現していますか?
津田賀央
森のオフィスっていうものが現象だとしたら、この現象は不死身だからできたのか、
それとも別の地でも再現可能なのかっていうのは、ずっと自分の中での問いとしてあって。
やっぱりこれぐらいの田舎じゃないと、こういう人の繋がり、場所が生まれて、そこに人の繋がりができて、
いろんな仕事だったりとか、その繋がりの中から取り組みが生まれたり、プロジェクトが生まれたりっていうことが起きていく。
プロジェクトだけでも、数えられるだけでも200超えてるんですよね。森のオフィス関連で生まれたものって。
そういうものって不死身みたいな圧倒的な田舎町だからできたのか、都市部でもできるものなのかっていうのは、自分の中で問いとしてありました。
もう一つは、世の中本当にコワーキングスペースが増えたなと思ってて、
ただ自分が見る中で言うと、コワーキングスペースの子がCEOじゃなくて個人の子で、本当にコワーキングスペースで誰とも喋らない。
密閉で、本当にリモートワークするにはいいけれども、
田中健士郎
コミュニケーションやコラボレーションはあまり生まれにくいっていう場所がすごく多いなって見ていて思って。
津田賀央
で、そういう場所じゃないようなものって何かないのかなって思ったところに、森のオフィスを見に来てくれた横浜の鉄道会社で、
総鉄っていう会社さんが、そこの事業、再開発事業になることになったヤドカリっていう会社の方々が来てくれて、
ヤドカリさんは元々森のオフィス知ってて結構好きでいてくれたので、
その当時、総鉄の駅の天王町と、それから隣の星川駅っていう駅があるんですけど、そこの間の高架下を再開発して、商業ゾーンにするっていう事業をヤドカリが手がけていて。
総鉄さんから、ここにコワーキングスペースを入れたいけど誰がいいと思うみたいな話の中で、ヤドカリが森のオフィスやってるルートデザインがいいと思いますっていうふうに言ってくれて、オファーが来たんですよね。
当時そういう話があったので、これは何か自宅で業務委託として何かやれるのかなと思って、ぜひぜひお話聞いてみた。
田中健士郎
大手さんの。
津田賀央
大手さんの何かコワーキングスペースの運営の依頼かなと思って聞いてみたら、ぜひテナットとして出てほしいみたいな話で。
待てよと。横浜市知ってて、天皇庁も高校の頃とかよく遊んでたので、知ってはいるけどそんな家賃払えませんと。
コワーキングスペースなんて全然儲かんないので無理ですっていうので断ったんですが、一方で総鉄さんから天皇庁駅、星川駅の再開発事業に対する思いだったりとか。
ここを文化的な場にしていきたいんだっていう話を聞いた後で、自分の中でもう一つの思いが出てきて。
どうせさっきみたいな問いに答えることをやるんだったら、東京には全く正直興味はないけれども、出身地の横浜はやっぱり好きだし、どうせやるんだったら横浜でやりたいなと。
さらには今こうやって、長野にわざわざ横浜の人たちが来てくれて、そんなオファーをしてるのに横浜の話を無言にしたらバチが当たるなと思って。
ちょっとここはもうリスク背負っててやってみようかなと思って、横浜で新しくコワーキングスペースを立ち上げようという決意をして。
その時にやっぱり似たような、どこもかしこも似たようなコワーキングスペースがある中で、ヨーロッパとかアメリカとかニュージーランドのコワーキングスペースとかも結構見に行ったり、仲良しのコワーキングスペースとかもあって情報交換していく中で、
結構本当にヨーロッパのコワーキングスペースとかってすごくいろんなタイプがあったり、もっとラフだし、すごい汚いんだけどかっこいいみたいな場所がいっぱいあるんですよね。
田中健士郎
そうなんですね。
津田賀央
そういうものを作りたいなと。やっぱりメジャーなコワーキング路線ではなく、もっと違う場所があってもいいはずだと。
その時ずっと思ってたのは、もっと汚してクリエイティブなことができる場所。
コワーキングスペースよりも、もっと共同作業によって新しいアートやクリエイティブが生まれるような場所。
もっとアートスタジオのような場所で、さらには24時間使えて、ものもいろんな形で動かして、常にレイアウトが変わっていてっていうような妄想が始まって。
よく考えたら、自分が大学から社会人20代ずっとVJやってる中で、その頃なんてコワーキングスペースなかったんで、仲間と一緒に会社を終えた後に地元のデニーズに集まって、朝の4時ぐらいにずっと映像制作したり。
私から普通にクラブイベント行って、VJして、また朝帰ってきてみたいなことをしてたんですよ。その会社に行ってとか。
よくその時にVJのチーム組んでた仲間と、東横線の線路のシカード下に倉庫とか借りて、そこで制作とかできたら、そこをアジトみたいにできたら面白いよねみたいなことを話してたんですよ。
そういえば20代の頃そんな話してたなと思い始めて、だったらここは新しく高架下に作るコワーキングスペースは、アーティストやクリエイターのための自由な共同空間で24時間。
汚してもOKな、でもデスクワークもできて、いろんな機材が揃っている。でもファブラボではなく、あくまでアートスペースっていう形でやってみたいなと。
名前もいろいろ迷った挙句、ふと思い出したのが、僕がやってたVJのチームってパエルっていう名前だったんですよ。
津田賀央
どうせ横浜に戻って、横浜でまた新しくそういったクリエイターのための場所をやるんだったら、自分がやってたVJチームの名前をつけたいなと思って、パエルっていう名前にした。
田中健士郎
暑い。そうだったんですね。それも初めて聞きました。パエルは、じゃあその時に高架下でなんか、アジトみたいなの作れたらいいよねって言ってた場所が、アジトができたわけですね。
津田賀央
そうですね。そういう場所としてのコワーキングスペースってどうなったのか。
田中健士郎
皆さんに。はいはいはい。面白い。なるほど。
そこでいわゆるコワーキングスペースって、それこそ森のオフィスとかもフリーランスとか、今だと副業でリモートワークでみたいな方が使うわけですけど、やっぱパエルの方はそういう意味だとまた少し入ってくださってる方も違うんですか?
津田賀央
はい。傾向としてはまた全然違って、コンセプトも違うのでもちろんなんですけど、平日はやっと2年経って、この4月末から3年目に途中なんですけれども、平日はエンジニアの方とか、ウェブデザイナーの方とか、会社の仕事をしてる人もいればフリーランスでやってる方が使っていただいたりしていますね。
土日になると、普段は会社員なんだけれども、自分のライフワークとして、あと副業として創作活動だったりとか、例えばバッグを作ってる人とか、版画で紙芝居の作家さんをやってるとか、そういうような人たちだったり、最近のまた木屑でヒノキの木屑を使ったアートを作ってる人とかが入ってくれたりもしたし、
本当に土日はかなり創作が行われている場所でもありますし、スタッフもみんなアーティストで、日本がやってる人とか、振付家として活動してる人とか、インディーズの映画の制作をしている監督をやっている子だったりとか、いろんな人たちがいて、
みんな大体が横浜市のほどがや区内に住んでる人たち、総鉄沿線に住んでる人たちが集まってきてるんですけど、みんな近場の人たちでもあるので、場所を使いながら本当にみんな仲良くなって、だんだんコラボし始めるっていうようなことも生まれてるし、
地元のお祭りに出展して、いろんなワークショップをやるっていうようなものの一つの拠点だったりハブになったりしてきている。
さらにはパイルとして、新人のアーティストを支援するプログラムっていうものをやっていて、そのパイルがある総鉄線の高架下の壁を使って、最終的にはそこに作品を掲示できる。
そのための制作を3ヶ月間パイルで無償でやってもらったり、その間に横浜市内のいろんなアート関係の人たちをつなげたりするっていうこともしながら、高架下のパブリックアート展に向けて頑張ってもらうっていうような取り組みを立ち上げの1年目からやっていて、今年3年目もあるんですけど、
そういうものが結構高層して横浜市だったりとか横浜界隈のいろんなアート関係者からすごくご支援いただいたりご注目していただいたりしているので、だんだんそういったみんなそれぞれ超プロ級とか超有名なアーティストではもちろん全然ないんですけれども、
みんな生活の中でやっているっていう感じですけど、そういう人たちとのつながりがまた森のオフィス的な温かい生態系を作りつつある。
田中健士郎
なるほど。だからタイプはちょっと違うんですけれども、やっぱりさっきの森のオフィスは富士見以外の首都圏でも成り立つのかっていう問いに対しては、できるっていうのが結構見えてき始めたっていう感じなんですか?
津田賀央
そうですね。見えてきたし、やっぱり東京の本当に大手松とかってちょっと分からないですけど、どこに行ったってみんな生活はあるし、基本みんな生活の中の大体2キロぐらいですよね。
その中でみんな何かしらの営みだったりとか生活、それから生活にまつわるコミュニケーションを生んでいて、その中での生活が豊かなりすれば、みんなそこはどんどんそこにいること自体が楽しくなってくる。
僕らはそのコミュニケーションの活性だったりとか、誰かと誰か繋がってたり、ここにいていいんだっていう安心感をきちんと作って、それをアートをここで作っていいんだよとか、自分の作りたいものを作ったり活動をしていいんだよっていうことを言っていることによって、誰かとの後押しになって、その人の活動や創作がどんどん加速していく。
それを見てた隣の人もどんどん加速していくみたいな形で、みんな心理的安全性をちゃんと確保しながら、一つの共同体、生態系って言ったほうがいいのかなとして、だんだん成長していくっていう感じなのかなって思って。
また森のオフィスの最初の頃の、もう一回見てる感じですね。
田中健士郎
やっぱりそうなんですね。いいですね。パイル一度行かせていただいて、本当に工具とかがいっぱい置いてかかってあったりとかして、やっぱり僕も子どもとかを連れて行きたいなっていうのを今ちょっと思ってて、
まだ行けてないんですけど、やっぱり物を作る楽しさとかって、子どもとかってずっと学堂とか小学校の保育園とかでもすごい楽しそうにやってるし、
人間の根本的な喜びとして創作活動ってやっぱあるんだろうなと思って、そういう環境が意外にそう簡単にはなかったり短いなかったりする中でパイルがあるってすごいいいなと。
やっぱりそこで創作してもいいよ、汚してもいいよとか、そこでね、これはダメあれはダメってやっぱり言われちゃったり、これは上手くないとかこの人の方が上手いみたいなのでいつの間にか創作をやめちゃったりとかしてきちゃうなって思って、
やっぱり子どもとかにはそういう何やってもいいから描いていいんだよみたいな環境ってすごい大事なんだろうなってちょっと最近僕も思ってたので、すごいパイルみたいな場所本当に素敵だなと思ってます。
ありがとうございます。
ちょっとじゃあその、今森のオフィス、パイルの話もいろいろと聞いたんですけれども、最後に働き方ラジオでいつも聞いている質問になってくるんですけれども、津田さんが自己表現していると感じるときはどんなときですかという質問をちょっと最後にしてみたいなと思うんですけども、はい、いかがでしょうか。
津田賀央
いろいろあるし、抽象的な時間だったりとか感覚だったりもするので、すごく一個に縛れないんですけれども、一つがさっきみたいに僕はコンセプトを、コンセプトが思いついてそれが言語化されるとき、
自分の中でこうではなくてこうなんだみたいなことをひたすら文章で書こうとしているときってやっぱりすごく、それがクライアントワークであっても自分のプロジェクトであってもすごくそこはやっぱり自己表現だなと。
お金をいただいているっていうものだったとしても、やっぱりそれは一つの自己表現だと思っているし、自分の中でクライアント関係なく多分社会ってこうあるべきだとか、次の生活ってこうあるべきだみたいなことを少し自分の表現として形づけられているのかなと。
さらにはそれをいろいろ言っていないで早く実行しようということで少し報道に起こしていったり、何か作ってみるっていうところも自己表現かなって思いますね。
特に2017年に隣の原村でカフェを立ち上げるプロジェクトがあって、そこのコンセプトメイキングプラス実際の施工も初めて経験したんですけど。
そこでDIYのスキルを身につけて、同い年ぐらいの大工さんに教えてもらいながらみんなでそこを作ったときから、やっぱりコンセプトを思いついて手っ取りバイク早く作っちゃえばいいんだっていうところでのショートパッドがそこですごくできて、
結構そこからは本当家の小屋作ったりとか、パイルも結局は本当は一部DIYとかもあったりするので、そういうものが加速化していますね。
田中健士郎
確かに。だからそのコンセプトを作るっていうところから実際にものづくりをするところまで一貫して表現として何かやらなきゃいけないからじゃなくて、
田中健士郎
自分の内側から来るエネルギーでやっていけているみたいな。ここはパイルにもつながるところで。他にもあるんですか?
津田賀央
他は全く違うベクトルの話で、僕はマウンテンバイクとスノーボードがすごく好きで、昔から好きだったんですけど、今本当にまたこの2,3年でのめり込んでいて、
結構これがあるからこそ日々の辛い仕事とか大変なこととかも乗り切れるっていうぐらい、それがあるからいられるっていうことぐらいの存在なんですけど、
別に決して上手いわけじゃないんですよね。めちゃめちゃ転ぶし、別にスノーボードでトリックがすごいできるわけでもないですし、マウンテンバイクでもこの前も怪我したしあるんですけど、
やっぱりあれにひたすら自分の足で登ったり、登りながらここのラインをこう乗ろうとかいうことを考えて、実際に例えばマウンテンバイクだったら4,50キロぐらいのスピードを出してトレイル下っているときとかって、
本当は他のことに気を取られたり、過去の悔やみとか未来の不安とかにとらわれていると転ぶじゃないですか。転ぶときたら下手すりゃ死にますよね。それぐらいの感覚の中でいると今に集中するんですよ。
だからすごいスピードなんだけど、今に集中しているもう瞑想のような感覚。スノーボードもそうで、ただこの雪の雪面に集中してふわふわ感を味わいたいとか、あそこをこう滑ってみたいなことを考えると、過去も未来もあんまり関係なくなる。
田中健士郎
この時間をすごく大切にできていて、ずっとそれを半日ぐらいやって、仲間とか子供たちとかうちの妻とかとあそこ良かったねとかこう話をしているのが、すごく自分の中での一つの瞑想でもあるし、これは結構自己表現に近いのかなと思って。
だから僕は全然上手くはないけれども、やっぱりマウンテンバイカーだしスノーボーダーだっていう。それを言うのは決してなんか超上手い人だけが言うんではなく、やっぱりみんなそのマインドを持っている人はそう言うみたいなこと。
津田賀央
そんなことをしてたら、いつの間にかスワ八ヶ岳マウンテンバイク協会っていうのを今共同代表をやってて、八ヶ岳からスワエリアでトレイルビルディングをしてます。
田中健士郎
めちゃくちゃ気になりますね、それ。なんかでもやっぱり自己表現っていうのを僕もずっと考えている中で、さっきのキーワードで言うと今に集中するっていう言葉って、なんか本当にキーワードだなと思っていて、
田中健士郎
やっぱり、もちろん仕方ないことなんですけど、やっぱり仕事をしていると未来とか過去にあまりに囚われすぎてしまう。本当に未来のために今これをやらなきゃいけないとか、過去にあれをやったから繰り返さないようにとか、いろんな後悔とか囚われて、今幸せになることを結構忘れちゃったりすることってやっぱり多いなっていう時に、
田中健士郎
やっぱりその自己表現しているなーって感じるのってある意味その今に集中して、そこになんか楽しさとかワクワクとか心地良さを見出していることなのかなーってなんか最近思っていて、
田中健士郎
常に今に集中するってことじゃないと思うんですけど、バランスをとって今に集中する瞬間を少しでも自分の中に取り入れると、なんか自分の軸がしっかりするのかなーとか思っている中で、確かにマウンテンバイクとかはそういう、もうある意味そういう環境になりますよね。
田中健士郎
もう今に集中するしかないっていうのがそうさせるっていうのは、なるほどなーと思いました。