津田賀央
でも、ここに住もうみたいな感じ。
本当に、確かその時の雑誌の特集で村特集っていう雑誌があって、ブルータスだったかな。ブルータスに出てた村特集っていうのがあって、そこにペラペラめくってたら原村っていうのが出てきたんですよ。
田中健士郎
八ヶ岳の元の。
津田賀央
そうですね。今の富士町の隣なんですけれども、軽井沢とかはお金持ちの町でスノップな感じがしたけれども、原村の写真を見た時に、すごくアットホームな落ち着いた感じで、でも綺麗でいいなと思って。
そんなもうミーハー気分で、妻と小っちゃかった子どもたち連れて家の方に遊びに行ってみようと。
行ったら本当に景色も綺麗で、行った時にパッと見たのが八ヶ岳だったんですけど、それ見た時に、小っちゃい頃に見たワシントン州のカスケドシャンプー山脈とか。
すごくダブったんですよね。森が広くて、森があって、向こうにそびえ立つ山々があって。それを見た瞬間、なんかアメリカみたいだと。
ここに住みたいなっていうふうに思えて。
うちの妻も本当に自然大好きだったので、こういうところに育てしたいって言い出して、だったらここに住んでみてもいいんじゃないかと。
でもその時は全然まだ単に住むっていうだけで、森のオフィスみたいな話も全然なかったんですが、
何かでも、ただ住むだけじゃ面白くない。何かここでしたいなと思いながら、その旅行の帰りに家帰ってから、隣の藤町ってとこもすごく良かったので、
藤町の役場のホームページを覗いてみて、なんか空き家とかそういうのないかなと思ってみたら、たまたまそこに出てた情報が藤町テレワークタウン計画っていうPDFが載ってて。
それは当時の町長が、どんどん藤町も人口が減少している中で、仕事がないので、だったら仕事が悪い人たちをこっちに住まわせる。
リモートワークで仕事してもらいながらこっちの住民になってもらうっていうのを当時の町長が計画していて、そういうPDFが載っていたんですよね。
見て、これはいいなと。原石。ただ、そのPDFに載ってる内容だとちょっと情報物足りないし、進んでる感じがしないし、なんかちょっとダサい感じなので、なんとかこの企画書書き直したいなと思って。
30分後にはもうメールしてて、僕これこれこういう人間で移住したいなと思ってるんですけど、この企画書を僕に書き直させてくださいっていうのをメールして。
田中健士郎
そしたら、1週間後に役場の人たちがわざわざ東京まで来てくれて。
津田賀央
会社の会議室借りて、僕のほうからプレゼンをして。そしたら1ヶ月後には町長に会うことになり、町長に会ったら開講一番、いきなり君何人連れてこれんだって言い出して。
いくら推しの君はみたいな。その後に最後に言われたのが、君、こういう企画に入るんだったらこっち住まなきゃいけないけど、いつから住めるんだって。
田中健士郎
当時の町長73歳とかだったんですけど、もともとNECの元役員で、ガリガリのトップダウンな人なんですよね。
なんかすごい企業感を感じますよね。
津田賀央
そう言われちゃったんで、本当の中では4年後ぐらいのイメージだったんですけど、そう言われちゃったので、ライフルですって答えて。
田中健士郎
本当に10ヶ月後にこうしてました。
すごい。そこから2拠点生活が始まって森のオフィスのプロジェクトも始まっていくという。
津田賀央
当時はまだ森のオフィスみたいな話はなかったし、町長はサテライトオフィス1個企業連れてくればいいじゃんって考えたんですけど。
田中健士郎
だから何人連れてこれるんだって言われたんですね。
津田賀央
町長って、その時の町長はフリーランスっていう職業を見たことがなかったので。
田中健士郎
そういう時代ですよ。
津田賀央
フリーターだと思ってたんですよ。
フリーターではなくてフリーランスって人たちは本当に個人事業主としていて、みんな適当した仕事を持ってますと。
そういう人たちがフットワーク軽いから、そんな人たちが集える場を作りましょう。
当時、コワーキングスペースっていうのがだんだん渋谷でも3,4件出てきてて。
田中健士郎
TWDWとかやってた。
津田賀央
あの頃、そうですね。
田中健士郎
あの辺ですよね。工場さんとかもありましたね。
津田賀央
そうですね。
ああいったコワーキングスペースっていう業態が3,4件出てきてた頃だったので、
これからコワーキングスペースっていうのが増えてくるので、こういうものを不審にも作りましょうと。
で、移住した人たちが一人にならずに家でなんかこもってるだけじゃなくて、
一緒に何か集まりながらも仕事ができるような輪を作っていくべきだっていう話をして、
割とすぐにそういうコワーキングスペースを立ち上げるっていうような話になってきましたね。
僕は2015年のゴールデンウィークに引っ越したんですが、2015年の末に森のオフィスはもう立ち上がった。
田中健士郎
なるほど。
僕2015年のゴールデンウィークにクラウドワークスに入社してます。
5月にちょうど。
結構割と近いことを考えて、2013年に自身にいきなり移住して、みんなから理解されずに、
いや、地方の方が面白いって言って、2014年に地方のサテライトオフィスとかめっちゃ回ってたんですよね。
四国とかに結構あったんですよ。なんか廃坑をリノベして、サテライトオフィス。
まだコワーキングスペースって言葉もそんなに流通してなかった頃に。
そういうとこ行ったらフリーランスっていう存在がいて、フリーランスっているんだと思って、
そういう人がこういう地方で働けるのね、めっちゃ面白いと思って、クラウドワークスにたどり着いて、
その翌年ぐらいにセミナーがあるからって言って、塩尻に行ったら津田さんに会ったっていう感じです。
ようやく時間軸が会ってきましたね。
でもこの間10周年で森のオフィス行かせていただいたんですけど、本当に地方の公的な拠点っていうイメージと全然違う。
本当に若い人たちがたくさんいて、そこでご飯作ったりとかもしてたり、
本当に地元の方が、しかも若い方が活気がある感じで、
やっぱりあの状況を本当に、いわゆる本当に地方ですよね、藤見って。
商業ビルがあるとかっていう街って全然ないんですけど。
津田賀央
田舎もいいとこですよ。
田中健士郎
本当にそうですよね。
周りには全然そういう雰囲気ないんですけど、あのオフィス入ると、
割と2,30代の方とかも含めてみんなパソコンで仕事されてて、
やっぱでも、そうなるのは簡単じゃないというか、
やっぱ今10年経ってそうなってるけど、最初はなかなかそうはならなかったとかいう感じなんですか?
津田賀央
本当に最初はあれもいなくて、もう半年ぐらいほとんど人いなかったですね。
田中健士郎
いやー、そうですね。
津田賀央
特に最初にオープンして、2015年の12月にオープンしたので、
本当に今年の12月っていうのが初めて10周年経つっていう形なんですけど、
2015年の12月から本当その春まで、翌年の春までは本当に誰もいない状態で、
僕と立ち上げたメンバー、地域おこし協力隊として来てくれたメンバーたちだけで、
ひたすらでもいろんな準備とか、もう本当にととわならない中でオープンしてるので、
ひたすら忙しいけど、僕らだけっていう状態。寒い中で。
外なんてね、マイナス10度とかですから。
いや、寒いです。
ガンガン炊きながらって、ストーブの音だけがひたすら響くっていうような感じ。
田中健士郎
結構な広さのあるモビスですもんね、あそこ。
津田賀央
そうですね。
田中健士郎
5人。
津田賀央
本当に1年目に来てくれた人たちっていうのが、本当にやっぱり当時で言うと、
僕自身の働き方に興味を持って見に来てくれた人もいるし、
何かしらどっか新しいことをしたいなとか、地方っていうところにもっと自分も越したいなっていうように思ってる人たち。
本当に感度の高い人たちが見に来てくれたり、使いに来てくれる人が1人2人と増えてって、
最初の年だと、実際に使ったのって20人ぐらいですよね、年間で。
田中健士郎
年間で20人。
津田賀央
それぐらいしかいなかったですけど、やっぱりかっこいい人たちで。
こういう人たちが最初の本当にアリアダプターとして、また次を連れてきてくれる。
なるほど。
僕らもそういった人をがっつり語ったり、何でこういう場所を作ったのかって話をしたり。
あと地元の人たちも、最初はもう本当にそんなものに全機使っていいのかっていうような反対運動まで起きるぐらいだったんですけど、
本当にちょっと興味ある人とかが見に来てくれる中で、僕らもとうとうと何で作ったのかっていう説明をして、
どんなことをしていきたいのかっていう説明をする中で、徐々に話せる人が増えてきたっていう中で、
田中健士郎
そこから逆に時代が働き方改革っていうことができたり、副業とか。
津田賀央
17年ぐらいからですよね、徐々に。
っていう中で、また人が来て、また人が来てっていうことがどんどん増えていったっていう感じですね。
田中健士郎
何かターニングポイントというか、あったんですか、この時が結構。
津田賀央
でもやっぱり、本当に電通の悲しい事件で自殺の事件があって、働き方改革っていうのがあったときに、
急にその前からも変な働き方をしてる、大企業に勤めながら会社を立ち上げて地方に引っ越してコワーキングスペースを運営してる変な人がいるっていうのが、
ちょっとメディアに乗ったりもしたんですよ。
田中健士郎
締めようと。
津田賀央
すぐに締めて、その間にできる対策はしようというので、レイアウトを変えたりとかパーティションをつけたりとか、それまでは森のオフィスは全部開放的にみんな見えるようにするっていうのが自分たちの中で引いてたガイドラインだったんですけど、
それをやめて、パーティションを設けて、ある程度見えないようにしようっていう形でやって、それでもある程度交流ができるようにしたいと。
徹底的に館内のルールとかも変えたりしたんですけど、本当に庭に常連さんと一緒に来ちゃうんですよ。
暇だし、誰かと喋りたいから。
かわいい。
中でレイアウトとか作業してると、外見たら、覗いたら、会員さんが3,4人集まって話してて、休館なんですけどって言ったら、ちょっと暇だから来て、外でもWi-Fi広げるし、来ちゃったら別の人もいて、お喋り始まったとか言って、そのままピクニック始まったりとかして。
で、いろんな非常事態宣言とかもあったんだけど、その後オープンしてからは、すごい人でした。
常連さんたちもそうだし、とにかく東京から脱出したい人たちが。
田中健士郎
移住。
津田賀央
はい、移住したいっていう人たちが。検索すると、地方リモートワークとか検索すると結構森のオフィスが上位に出てくるんで、それで来る人たちがすごく多くて。
ちょっと僕らもあの時は戦々恐々としてましたね。
もう本当に座れない状態になってて。
ここでもし感染者出したらやばいねっていうぐらい、ちょっとビクビクしながら、2020年とか21年は運営してました。
田中健士郎
いやでもやっぱすごいですね。やっぱりその、全国でテレワーク事業が広がって、たくさん立ったけどコロナで潰れちゃったみたいなのも多い中、
森のオフィスはすぐに閉めて再開したらもう前代未聞ぐらい人が来るっていう。
津田賀央
そういう時に全部また外も整備して、外でも仕事できるように。だから庭先もWi-Fiがちゃんと飛んで、外で仕事できるように整備したりとかして、
キャンプサイトみたいなものもできるようにしたし、宿泊もできるようにしたりとか。
田中健士郎
そうですね。この間宿泊も使わせていただいて、非常に広いリビングがある宿泊施設でみんなで薪ストーブ焚きながら、
会社の合宿でやったんでめちゃくちゃいい時間過ごせたんですけど、あれもコロナ後ぐらいに作ってるんですか?
津田賀央
あれは2019年の秋に公布したんですけど、なのですぐにコロナが来て、ほとんど運営できない、稼働できない状態が続いて、
やっと2022年ぐらいからちゃんと稼働を発車しました。
田中健士郎
そうなんですね。
津田賀央
23年ぐらいですね。
田中健士郎
あれは結構いろんな方に伝えたいというか、やっぱり森のオフィスはすごい有名だと思うんですけど、
実は横にある宿泊棟がめっちゃいいっていう。
津田賀央
ぜひラジオを聞いてる皆さん、ぜひ泊まりに来ていただけると。
田中健士郎
本当に、合宿とか、あと一人で行って、自然の中で何か考えたいみたいな人にもめちゃくちゃいい。
冬だったら薪ストーブ使えるし、目の前すぐに山がバーっと広がっていて、
宿泊ってだいたい自分の部屋狭いじゃないですか。
でもそこで出たリビングスペースみたいなのがめちゃくちゃ広くて、キッチンもあってバーカウンターもあって、そこも全然使えるので、
すごいいいんですよね。ずっと宿泊棟に居たいぐらいの気持ちに。