1. 田中健士郎の働き方ラジオ
  2. #187-2 都市から地方へ。2013..
2025-06-15 26:17

#187-2 都市から地方へ。2013年に描いた未来の働き方と富士見森のオフィス立ち上げ物語(Route Design代表 津田賀央さんゲスト回)

津田さんゲスト回第二部は、八ヶ岳に誕生したコワーキングスペース「森のオフィス」の立ち上げ物語。

都市から地方へと「働く場所」の価値観が変わり始めた2010年代。

一冊の本との出会い、サンフランシスコの開発チームとの対話、子育て環境としての八ヶ岳の魅力…。

これらすべてがつながって、「暮らしと働き方が重なる場づくり」へと動き出しました。


オフィスの設立背景から、人口1万人の町に2,000人が登録するまでの軌跡、そしてコロナ禍を経た今の姿まで──

「未来の働き方は、どこで、誰と、どう働くか?」を改めて考えるエピソードです。


▼ゲストプロフィール

津田 賀央サービスデザイナー|Route Design合同会社 代表|コワーキングスペース運営者

企業のブランド戦略から新規事業開発、ソーシャル/コミュニティデザインまで幅広く手がけるサービスデザイナー。長野県富士見町と横浜の2拠点で、地域とクリエイティブをつなぐ場づくりを実践。

広告会社・東急エージェンシーでデジタルコミュニケーション領域のプランナーを務めた後、ソニー株式会社でクラウド技術を活用したサービス開発・UX設計に従事。2015年に長野県富士見町へ移住し、プランニング/デザイン会社「Route Design合同会社」を設立。同町役場と連携し、移住促進施策の一環としてコワーキングスペース「富士見 森のオフィス」を立ち上げ、現在も運営代表を務める。

2023年には横浜にクリエイター向けコワーキングスペース「PILE -A collaborative studio-」を開設し、2拠点の運営を行う。地域コミュニティとビジネスを融合させた場づくりに取り組みながら、企業のサービスデザインやブランド戦略支援を行っている。

主な活動:Route Design合同会社 代表(プランニング・デザイン支援)富士見 森のオフィス 運営代表(地域とクリエイターの交流拠点)PILE -A collaborative studio- 運営代表(横浜のクリエイティブ拠点)趣味はマウンテンバイク、スノーボード、クライミング、音楽制作。

サマリー

このエピソードでは、都市から地方へ移住し、新しい働き方を模索する経験が語られています。特に、富士見の森にオフィスを設立する過程とその背景が詳しく説明され、リモートワークやフリーランスという新たな労働形態の重要性が強調されています。津田賀央さんが地域での働き方改革と富士見の森のオフィスの立ち上げについて語り、コロナ禍での変化に対応するための工夫や地方移住を希望する人々の増加について触れています。

働き方の未来を考える
田中健士郎
働き方ラジオ始まります。株式会社セッション・クルー代表 働き方エヴァンジェリストの田中健士郎です。
このラジオは、誰もが自己表現をするように情熱を持って働く、そんな世界を目指す、仲間づくりをしていくポッドキャスト番組になります。
津田賀央
みなさん、自己表現していますか?
ライフシフトの1個前の本ですね。そのワークシフトを読んだときに、そこに書かれていたのが、その本のテーマが2025年の働き方。もう本当今年ですけれど。
田中健士郎
おー、そうでしたっけ。そうだそうだ。
津田賀央
その次の15年先を予測するっていうのが、琳寧グラットンのその中での本だったんですが。
そこで書かれていた世界観が、悪い方で言うと、人口はどんどん過密化していって、都市部はオートネーションに置き換えられない仕事でも低賃金というものがあふれて、そこに群がる低収入の人たちみたいな、そういう世界が描かれてたり。
逆に、大きな会社はより大きくなるけれども、普通の会社はあまり会社の手をなしていかなくなって、そこに台頭してくるのがフリーランスで、プロジェクトベースでいろんな人たちが世界でつながっていって仕事をするようになった。
琳寧グラットンがそのとき描いてたのは、みんなホログラムとかである程度バーチャルに会うことができるから、同時通訳もある程度進んでいて、結構言語関係なく働けるようになるとか、そんな世界があって。
クリエイティブクラスというものは、だからこそ都市部から脱出して郊外にするようになる。それを読んだのが2013年の末ぐらいで、読んだら、俺2015年まで待ってた。2025年まで待ってたんですよ。
来月ぐらいにこうしたいなと思い始めて。来月ぐらいにこんな世界になってないかなと思って。
田中健士郎
一気に包まれましたね。
津田賀央
そのときに得ていた自分の中でのインスピレーションとして、まずソニー時代に一緒に働いてたタブ所の人たちが、みんなサンフランシスコの開発チームだったんですよ。
サンフランシスコのアメリカのチームとかは、そのときのサンフランシスコのマネージャーがマットっていう人で、彼の仕事スタイルは、月から木まではベイエリアにちっちゃな部屋借りて住んでて、
金曜日は隣の州のユタ州にカキアスコックで飛んで、スキーリゾートのふもとのお家に家族で住んでるんですよね。金曜日はリモートで、土日はアウトドア三昧みたいな感じで、めっちゃいいね、それみたいな話をしてて。
田中健士郎
日本だったらそれ多分長野とかに住んでるイメージだよね、みたいなことをマットと話をしていたのと、あとは東急時代にお世話になったプロダクションの社長さんが、同じく八ヶ岳に家族は住んでて、僕はワンルームマンション、風呂なしのところを会社の近くに借りてるんです、みたいなことを言ってて。
津田賀央
それも本当、当時からすると4,5年前の話だったんですけど、そんなことをふと思い出して、こんな世界になるんだって、働き方をこう変えるんだったら自分どこを住んでもいいよなと。むしろ時差がないだけ全然大丈夫なんじゃないかと思い出して。
田中健士郎
で、だったら自然がある場所に住みたいなと思って、ふと、八ヶ岳とかいいんじゃないかと。
津田賀央
そういう思いが、働き方を変えていくっていうことを目的とした時に、どこに住めばいいかっていうところで、そういう場所がふと頭の中で浮かんできて。
何の縁もないですけれども、ちょっと見に行ってみようっていう風に家族で行っちゃったっていう感じですね。
富士見の森のオフィス設立
津田賀央
でも、ここに住もうみたいな感じ。
本当に、確かその時の雑誌の特集で村特集っていう雑誌があって、ブルータスだったかな。ブルータスに出てた村特集っていうのがあって、そこにペラペラめくってたら原村っていうのが出てきたんですよ。
田中健士郎
八ヶ岳の元の。
津田賀央
そうですね。今の富士町の隣なんですけれども、軽井沢とかはお金持ちの町でスノップな感じがしたけれども、原村の写真を見た時に、すごくアットホームな落ち着いた感じで、でも綺麗でいいなと思って。
そんなもうミーハー気分で、妻と小っちゃかった子どもたち連れて家の方に遊びに行ってみようと。
行ったら本当に景色も綺麗で、行った時にパッと見たのが八ヶ岳だったんですけど、それ見た時に、小っちゃい頃に見たワシントン州のカスケドシャンプー山脈とか。
すごくダブったんですよね。森が広くて、森があって、向こうにそびえ立つ山々があって。それを見た瞬間、なんかアメリカみたいだと。
ここに住みたいなっていうふうに思えて。
うちの妻も本当に自然大好きだったので、こういうところに育てしたいって言い出して、だったらここに住んでみてもいいんじゃないかと。
でもその時は全然まだ単に住むっていうだけで、森のオフィスみたいな話も全然なかったんですが、
何かでも、ただ住むだけじゃ面白くない。何かここでしたいなと思いながら、その旅行の帰りに家帰ってから、隣の藤町ってとこもすごく良かったので、
藤町の役場のホームページを覗いてみて、なんか空き家とかそういうのないかなと思ってみたら、たまたまそこに出てた情報が藤町テレワークタウン計画っていうPDFが載ってて。
それは当時の町長が、どんどん藤町も人口が減少している中で、仕事がないので、だったら仕事が悪い人たちをこっちに住まわせる。
リモートワークで仕事してもらいながらこっちの住民になってもらうっていうのを当時の町長が計画していて、そういうPDFが載っていたんですよね。
見て、これはいいなと。原石。ただ、そのPDFに載ってる内容だとちょっと情報物足りないし、進んでる感じがしないし、なんかちょっとダサい感じなので、なんとかこの企画書書き直したいなと思って。
30分後にはもうメールしてて、僕これこれこういう人間で移住したいなと思ってるんですけど、この企画書を僕に書き直させてくださいっていうのをメールして。
田中健士郎
そしたら、1週間後に役場の人たちがわざわざ東京まで来てくれて。
津田賀央
会社の会議室借りて、僕のほうからプレゼンをして。そしたら1ヶ月後には町長に会うことになり、町長に会ったら開講一番、いきなり君何人連れてこれんだって言い出して。
いくら推しの君はみたいな。その後に最後に言われたのが、君、こういう企画に入るんだったらこっち住まなきゃいけないけど、いつから住めるんだって。
田中健士郎
当時の町長73歳とかだったんですけど、もともとNECの元役員で、ガリガリのトップダウンな人なんですよね。
なんかすごい企業感を感じますよね。
津田賀央
そう言われちゃったんで、本当の中では4年後ぐらいのイメージだったんですけど、そう言われちゃったので、ライフルですって答えて。
田中健士郎
本当に10ヶ月後にこうしてました。
すごい。そこから2拠点生活が始まって森のオフィスのプロジェクトも始まっていくという。
移住の背景と地域活性化
津田賀央
当時はまだ森のオフィスみたいな話はなかったし、町長はサテライトオフィス1個企業連れてくればいいじゃんって考えたんですけど。
田中健士郎
だから何人連れてこれるんだって言われたんですね。
津田賀央
町長って、その時の町長はフリーランスっていう職業を見たことがなかったので。
田中健士郎
そういう時代ですよ。
津田賀央
フリーターだと思ってたんですよ。
フリーターではなくてフリーランスって人たちは本当に個人事業主としていて、みんな適当した仕事を持ってますと。
そういう人たちがフットワーク軽いから、そんな人たちが集える場を作りましょう。
当時、コワーキングスペースっていうのがだんだん渋谷でも3,4件出てきてて。
田中健士郎
TWDWとかやってた。
津田賀央
あの頃、そうですね。
田中健士郎
あの辺ですよね。工場さんとかもありましたね。
津田賀央
そうですね。
ああいったコワーキングスペースっていう業態が3,4件出てきてた頃だったので、
これからコワーキングスペースっていうのが増えてくるので、こういうものを不審にも作りましょうと。
で、移住した人たちが一人にならずに家でなんかこもってるだけじゃなくて、
一緒に何か集まりながらも仕事ができるような輪を作っていくべきだっていう話をして、
割とすぐにそういうコワーキングスペースを立ち上げるっていうような話になってきましたね。
僕は2015年のゴールデンウィークに引っ越したんですが、2015年の末に森のオフィスはもう立ち上がった。
田中健士郎
なるほど。
僕2015年のゴールデンウィークにクラウドワークスに入社してます。
5月にちょうど。
結構割と近いことを考えて、2013年に自身にいきなり移住して、みんなから理解されずに、
いや、地方の方が面白いって言って、2014年に地方のサテライトオフィスとかめっちゃ回ってたんですよね。
四国とかに結構あったんですよ。なんか廃坑をリノベして、サテライトオフィス。
まだコワーキングスペースって言葉もそんなに流通してなかった頃に。
そういうとこ行ったらフリーランスっていう存在がいて、フリーランスっているんだと思って、
そういう人がこういう地方で働けるのね、めっちゃ面白いと思って、クラウドワークスにたどり着いて、
その翌年ぐらいにセミナーがあるからって言って、塩尻に行ったら津田さんに会ったっていう感じです。
ようやく時間軸が会ってきましたね。
でもこの間10周年で森のオフィス行かせていただいたんですけど、本当に地方の公的な拠点っていうイメージと全然違う。
本当に若い人たちがたくさんいて、そこでご飯作ったりとかもしてたり、
本当に地元の方が、しかも若い方が活気がある感じで、
やっぱりあの状況を本当に、いわゆる本当に地方ですよね、藤見って。
商業ビルがあるとかっていう街って全然ないんですけど。
津田賀央
田舎もいいとこですよ。
田中健士郎
本当にそうですよね。
周りには全然そういう雰囲気ないんですけど、あのオフィス入ると、
割と2,30代の方とかも含めてみんなパソコンで仕事されてて、
やっぱでも、そうなるのは簡単じゃないというか、
やっぱ今10年経ってそうなってるけど、最初はなかなかそうはならなかったとかいう感じなんですか?
津田賀央
本当に最初はあれもいなくて、もう半年ぐらいほとんど人いなかったですね。
田中健士郎
いやー、そうですね。
津田賀央
特に最初にオープンして、2015年の12月にオープンしたので、
本当に今年の12月っていうのが初めて10周年経つっていう形なんですけど、
2015年の12月から本当その春まで、翌年の春までは本当に誰もいない状態で、
僕と立ち上げたメンバー、地域おこし協力隊として来てくれたメンバーたちだけで、
ひたすらでもいろんな準備とか、もう本当にととわならない中でオープンしてるので、
ひたすら忙しいけど、僕らだけっていう状態。寒い中で。
外なんてね、マイナス10度とかですから。
いや、寒いです。
ガンガン炊きながらって、ストーブの音だけがひたすら響くっていうような感じ。
田中健士郎
結構な広さのあるモビスですもんね、あそこ。
津田賀央
そうですね。
田中健士郎
5人。
津田賀央
本当に1年目に来てくれた人たちっていうのが、本当にやっぱり当時で言うと、
僕自身の働き方に興味を持って見に来てくれた人もいるし、
何かしらどっか新しいことをしたいなとか、地方っていうところにもっと自分も越したいなっていうように思ってる人たち。
本当に感度の高い人たちが見に来てくれたり、使いに来てくれる人が1人2人と増えてって、
最初の年だと、実際に使ったのって20人ぐらいですよね、年間で。
田中健士郎
年間で20人。
津田賀央
それぐらいしかいなかったですけど、やっぱりかっこいい人たちで。
こういう人たちが最初の本当にアリアダプターとして、また次を連れてきてくれる。
なるほど。
僕らもそういった人をがっつり語ったり、何でこういう場所を作ったのかって話をしたり。
あと地元の人たちも、最初はもう本当にそんなものに全機使っていいのかっていうような反対運動まで起きるぐらいだったんですけど、
本当にちょっと興味ある人とかが見に来てくれる中で、僕らもとうとうと何で作ったのかっていう説明をして、
どんなことをしていきたいのかっていう説明をする中で、徐々に話せる人が増えてきたっていう中で、
田中健士郎
そこから逆に時代が働き方改革っていうことができたり、副業とか。
津田賀央
17年ぐらいからですよね、徐々に。
っていう中で、また人が来て、また人が来てっていうことがどんどん増えていったっていう感じですね。
田中健士郎
何かターニングポイントというか、あったんですか、この時が結構。
津田賀央
でもやっぱり、本当に電通の悲しい事件で自殺の事件があって、働き方改革っていうのがあったときに、
急にその前からも変な働き方をしてる、大企業に勤めながら会社を立ち上げて地方に引っ越してコワーキングスペースを運営してる変な人がいるっていうのが、
ちょっとメディアに乗ったりもしたんですよ。
働き方改革の影響
津田賀央
インタビュー受けたりとかして、そういう中から多分クラウドワークスさんとかでも発見していただいたんでしょうか。
働き方改革っていうのが出てきて、僕らが東洋経済の表紙になったんですよね。
田中健士郎
そうだったんですね。
津田賀央
関東特集で組まれて、それがすごくセンセーショナルで、あれ見たっていう人が結構。
そこからフリーランスだけじゃなく、ちょっと働き方を変えたい会社員の人も少しずつ来るようになってきたっていう感じでしたね。
田中健士郎
それが2017年ぐらいですか。
津田賀央
17年か2016年の末か、でも2017年入ってましたかね。
田中健士郎
じゃあもう始まって2年ぐらい経つ中で、やっと世の中の風向きが変わってきて。
でもそのタイミングで地方でコワーキングをあの規模でやってるところって少なかったですもんね、まだ。
津田賀央
少なかったですね。
田中健士郎
テレワーク事業みたいのもまだそんなに、その後国がいっぱい動いて、日本中に拠点作るっていうのはあったの、僕も覚えてるんですけど。
津田賀央
やっぱりテレワークとかリモートワークで施設作るぞっていうのは、僕らが立ち上げた後から4,5年後で、2019から20ですね。
でも同時にコロナがヒットして、本当に亡くなったところもあれば、逆にそれを頑張ってその後追い上げてったところもあればって感じですけど。
僕らからするともう5年やってんだけどなみたいな感じでした。
田中健士郎
そうですね。僕もクラウドワーク生その辺は結構テレワーク事業のハードじゃない部分のお仕事は割と高級事業でやってたのでめちゃくちゃわかるんですけど。
やっぱり一歩早くやってたから、だからコロナもそういう意味では持ちこたえられたっていう感じなんですか。
津田賀央
コロナの時は一早く締めました。
締めたんですね。
結構周りの長野県内のところもみんなどうしようかっていうふうに判断してた。
判断に迷ってたみたいなんですけど、僕らはもう締めようと。
パンデミックになったらエリア内であそこで感染者出たよみたいな話がある中だったんで、本当に風評被害がすごいので。
田中健士郎
そういうことですよね。
コロナ禍の対応
田中健士郎
締めようと。
津田賀央
すぐに締めて、その間にできる対策はしようというので、レイアウトを変えたりとかパーティションをつけたりとか、それまでは森のオフィスは全部開放的にみんな見えるようにするっていうのが自分たちの中で引いてたガイドラインだったんですけど、
それをやめて、パーティションを設けて、ある程度見えないようにしようっていう形でやって、それでもある程度交流ができるようにしたいと。
徹底的に館内のルールとかも変えたりしたんですけど、本当に庭に常連さんと一緒に来ちゃうんですよ。
暇だし、誰かと喋りたいから。
かわいい。
中でレイアウトとか作業してると、外見たら、覗いたら、会員さんが3,4人集まって話してて、休館なんですけどって言ったら、ちょっと暇だから来て、外でもWi-Fi広げるし、来ちゃったら別の人もいて、お喋り始まったとか言って、そのままピクニック始まったりとかして。
で、いろんな非常事態宣言とかもあったんだけど、その後オープンしてからは、すごい人でした。
常連さんたちもそうだし、とにかく東京から脱出したい人たちが。
田中健士郎
移住。
津田賀央
はい、移住したいっていう人たちが。検索すると、地方リモートワークとか検索すると結構森のオフィスが上位に出てくるんで、それで来る人たちがすごく多くて。
ちょっと僕らもあの時は戦々恐々としてましたね。
もう本当に座れない状態になってて。
ここでもし感染者出したらやばいねっていうぐらい、ちょっとビクビクしながら、2020年とか21年は運営してました。
田中健士郎
いやでもやっぱすごいですね。やっぱりその、全国でテレワーク事業が広がって、たくさん立ったけどコロナで潰れちゃったみたいなのも多い中、
森のオフィスはすぐに閉めて再開したらもう前代未聞ぐらい人が来るっていう。
津田賀央
そういう時に全部また外も整備して、外でも仕事できるように。だから庭先もWi-Fiがちゃんと飛んで、外で仕事できるように整備したりとかして、
キャンプサイトみたいなものもできるようにしたし、宿泊もできるようにしたりとか。
田中健士郎
そうですね。この間宿泊も使わせていただいて、非常に広いリビングがある宿泊施設でみんなで薪ストーブ焚きながら、
会社の合宿でやったんでめちゃくちゃいい時間過ごせたんですけど、あれもコロナ後ぐらいに作ってるんですか?
津田賀央
あれは2019年の秋に公布したんですけど、なのですぐにコロナが来て、ほとんど運営できない、稼働できない状態が続いて、
やっと2022年ぐらいからちゃんと稼働を発車しました。
田中健士郎
そうなんですね。
津田賀央
23年ぐらいですね。
田中健士郎
あれは結構いろんな方に伝えたいというか、やっぱり森のオフィスはすごい有名だと思うんですけど、
実は横にある宿泊棟がめっちゃいいっていう。
津田賀央
ぜひラジオを聞いてる皆さん、ぜひ泊まりに来ていただけると。
田中健士郎
本当に、合宿とか、あと一人で行って、自然の中で何か考えたいみたいな人にもめちゃくちゃいい。
冬だったら薪ストーブ使えるし、目の前すぐに山がバーっと広がっていて、
宿泊ってだいたい自分の部屋狭いじゃないですか。
でもそこで出たリビングスペースみたいなのがめちゃくちゃ広くて、キッチンもあってバーカウンターもあって、そこも全然使えるので、
すごいいいんですよね。ずっと宿泊棟に居たいぐらいの気持ちに。
地域交流と活動の盛り上がり
津田賀央
そうですね。宿泊棟、森のオフィスリビングっていうんですけど、リビングの周りは会員さんたちが中心に庭部っていうのをやっていて。
田中健士郎
そうなんですね。
津田賀央
県庁さんが来ていただいたときはもうまだ冬なんで、まだまだ全然稼働してないですけど、そろそろもう今年の庭部の活動に向けてハーブ何育てるとか、畑何育てようとか。
田中健士郎
庭部。
津田賀央
ジャガイモやろうとかサツマイモやろうとかそういう話になってるし、結構みんなあそこを頑張っていろんなハーブガーデン、野菜のガーデンとしてみんな育ててますね。
田中健士郎
やっぱいいですね。自然発生的にそういう活動がまた生まれて、その場の価値が上がってみたいな。
津田賀央
嬉しいですね。去年のちょうど年末で会員登録者数が2000人超えたので、本当になんか嬉しいなと思って。
田中健士郎
人口何万人の都市ですか。
津田賀央
14000人を今ちょっと切るか切らないか。
田中健士郎
だから14000人の街で、もちろん市外から来てる方もいるでしょうけど、2000人登録するって相当すごいことですよね。
津田賀央
当然別に全員が今使ってるわけではなくて、これまでにこの10年の中で登録して使ってくれて過ごしてくれた人たちがそれだけいるっていうことは本当に僕らの活力になりますね。
田中健士郎
本当そうですよね。なるほど。
やっと森のオフィスが非常に盛り上がってきて、10周年を迎えてみたいなところで、同時並行で横浜の方にパイルっていうスタジオ、ワークスペースを作られたのを知っていて、
そこもちょっと行かせていただいてめちゃくちゃ良かったんですけど、ここにはどんな思いを込めて、ある意味2拠点目ですよね、作られてるんですか。
津田賀央
ここはまた全然違う軸で考えてはいたんですけれども、ただ一つあったのは。
田中健士郎
今回もお聞きいただきありがとうございました。
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