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2024-09-02 2:25:23

068. 自分のできなさからはじまる世界

@takumanakata さん(BASSDRUM 所属)をお迎えして、これまでの経歴や普段の活動、コードが読めない自分な話、模様替えがしたくなってしまう性分の話、幼少期の海外生活とそこからつながる作品づくりの話、作品制作をどういう時間的スパンで捉えているのか、いつか作品としてプロダクトを出したいと思っている話、続けることでなら勝てるのかもしれない話、過去の自分を超えることと物理的な空間で起こる作用、自分自身で展示をやってみることの大切さ、ひとに教えたり与えたりするということについて、ネガティブが出発点となって作りたいが生まれることについてなどお話しました。


* そもそもなにをやっているひとなのか

* VVVV を使っている理由や背景

* いまだにコードが読めない

* BASEDRUMM 内での立ち位置や役割

* すぐ模様替えしたくなる

* 幼少期に海外で過ごした話

* 万バズ狙いのインフルエンサーになれるひと

* 制作をどういう時間軸の上で捉えているか

* 最近は音に関することを勉強している

* 仕事をすることが向いていないという視点

* なにかを作りたいという衝動

* なにも飛び抜けてはいないからこそ作品と向き合う

* 過去の自分の作品を超える

* 物理的な空間があることの強さ

* 実際に自分で展示をやってみることの大切さ

* なぜスクールのような活動を続けているのか

* ネガティブなときにこそ作りたい気持ちが湧く

* Takuma Nakata


## show notes


* 現在のおしごと

* VVVV のこと

* アーティストとして、あるいはクリエイターとしての興味やその源泉


サマリー

このエピソードでは、ベースドラムの中田拓真さんがゲストとして参加し、彼のクリエイティブな背景やインタラクティブ作品の制作について語ります。プログラミングや映像制作における彼の経験や挑戦についても触れます。また、ルックやコーディングの技術、映像制作に関する経験が話され、特にベースラムの広報活動や場作りの重要性が強調されます。模様替えを通じて思考が切り替わることも紹介されます。 模様替えの衝動や家庭環境が自己形成に与える影響についても語られます。異文化体験や多言語環境で育った経験が、彼の創作活動や人とのコミュニケーションにどのように影響を及ぼしているかが探求されます。SNSの時代における作品制作や自己表現についても話され、特に反応や評価に振り回されないことの重要性が強調されます。制作過程での自分の信念を持つことが、作品においていかに大切かにも触れられます。 やる気の乏しさや自己表現に関する葛藤が描かれます。アーティストとしての技術や自信の不足を感じる中で、作品のアイデアが生まれる瞬間や成長への期待感が語られます。アーティストとしての成長や葛藤、自分の能力に対する不安についても話されています。特にアートに対する情熱と成功のために継続する重要性が強調されます。 展示やアートに対する興味から得られた学び、人が空間にどのように反応するかについても語られます。展示を通じて自分がどう見られるかを理解する重要性が強調されます。教えることの楽しさや人の役に立つことへのモチベーションについても掘り下げられます。WebGLコミュニティや教育に対する情熱が語られ、個々の経験や挑戦が共有されます。 WebGLに関する経験とその学習環境がどのように開発者を育てているかが話されます。技術者としての道のりや熱意、コミュニティの重要性について深く探ります。個人の能力の限界と、それを乗り越えるための挑戦についても考察されています。特别にフリーランスとしての経験や、アートと音楽への関心が深まり、それが自己表現に与える影響が探求されます。 過去の嫌な記憶を抱えながらも、楽観的な気持ちを持つことの重要性が語られます。SNS上の人々が抱える見えない姿についての考えや、強い個人との対話から得られる学びの価値についても触れられます。

ゲストの紹介と背景
はい、始まりました。normalize.fmの今日は第68回になります。
ちょうど今収録している日が台風とかも来ていて、若干心配な時期ではあるんですけども、今日も元気にいつも通り撮っていけたらいいかなと思っております。
はい、今日ちょっと久々になっちゃったんですけども、今日のゲストはですね、多分皆さんご存知の方なんじゃないかなと思うんですけれども、ベースドラムに所属されている中田拓真さんにゲストで来ていただきました。中田さん今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、私の中ではかねてよりお話聞いてみたいなっていうのがあったんですけど、なんていうか接点が全然ないんで、今回もぶっつけ本番でDMしましたけど。
いや嬉しいです。ありがとうございます。
そうですね、今日ちょっといろいろ、あんまり知らない中でいろんなお話聞けたらいいかなっていう感じでもお声掛けしたところもあったんで、
気さくな感じで話してくれそうな空気がね、今の時点でも漂ってるんで、いろいろ聞いていけたらいいかなと思っておりますので、早速始めていきたいと思います。
はい、じゃあ中田さんちょっとまずは簡単にでいいんで自己紹介からお願いしてもよろしいでしょうか。
そうですね、ちょっとどういうふうに自己紹介しようかなと思って悩んだんですけど、
悩んだんですけど、ドクサさんがご紹介いただいたように、今ベースドラムに所属しているテクニカルディレクターが中心に集まる集団。
これがベースドラムの呼び方なのかな。
今そこに所属させていただいてるんですけど、それ以前もう10年ぐらいフリーランスとしてずっと活動してインスタレーション作ったり。
自分が専門にというか得意としているのがリアルタイムグラフィックスっていう分野なんですけど、そういうことをやりながらフリーランスとして活動して。
その間でアドビのクリエイティブレジデンシーっていうアドビがアーティストイネジデンシーみたいなことをやっていて、そういうのに選ばれて1年間ぐらい活動していたりだとか。
あと世界っていう映像系のところにも所属してた時期があったりとか、いろいろ動きがあるんですけど。
今はベースドラムというところでテクニカルディレクターとして活動しています。
正確にはちょっと違って、先月からライゾマティックスがやっているフライング東京っていうアーティストイネジデンシーみたいなものに参加させていただいていて、来年の2月まで作品を作るという機会をいただいてますという感じですね。
すごい、その話全然私知りませんでした。
すごい流動的な活動ばっかりしてる人間なんで。
インタラクティブ作品への道
先にちょっと私のイメージをお伝えしちゃうんですけど、私の中では中田さんってやっぱりコンピューターグラフィックスっていう界隈を大きく思い描いた時にそこの中にがっつり入ってらっしゃるイメージだったんですけど。
でも一方でなんかそのポートフォリオとか拝見すると結構アーティストっぽいこともされたりしていたりして、なんかどういう人なんかなって。
たぶん自分のことを知ってくれてる人でもこの人は一体何をやってるんだろうっていう疑問符がいっぱい出てくるような活動ばっかりしてるのは事実かなというふうに思いますね。
自分の場合はもともとどっちかというとアーティスト?
なんか少し自分の今なんでこんなことやってるのかっていうバックグラウンドだけ説明させていただくと、もともとモーショングラフィックスとかそれこそFlashとかで育った世代というか。
自分の場合かつ国内で育った後に結構海外を点々として育ったっていうところもあって、本当にパソコン越しに見れるFlashの映像とかだけで自分のカルチャーみたいなのが構成されてた。
Flash映像とかMADとかあの辺ですよね。
みたいなのがすごい流行った時期にちょうど中学生だったり高校生だったりとかしたんで、そういうのを見て育って映像かっこいいな、映像をやりたいなとか、そういうので映像に興味を持って大学で映像を学び始めたんですけど。
大学で学評とかっていう形で、それまで好きだったのがみんなが一緒に見てる感みたいなのが好きだったんですけど、大学で映像作ると学評じゃないですけど教室の中で見せておしまいみたいな。
まだYouTubeとかもそんなに大きくなかった頃だったんで、その閉塞感みたいなのがすごい個人的に嫌で。
その中でちょうどインタラクティブな作品。自分が一番影響を受けたのは、ライズマンのマナベ・ダイトさんがニュージーランドでいろいろ有名な人たちと作ってたNight Lightsっていう作品を見て、
プロジェクションマッピングだったりインタラクティブに映像を楽しんでもらえる機会があるんだ、方法があるんだって知って、そっからメディアートとかインタラクティブなものに興味を持っていったっていう感じですね。
なるほど、なるほど。じゃあ結構、推定するマインドじゃないですけど、ずっとその根本的なところにはそういうものの起源があるというか、その延長線上でずっと活動されてるっていうイメージなんですか?
そうですね。本当にやっぱり映像が好きで、インタラクションデザインっていうのをオランダに、それに興味を持ってからオランダに2年間ぐらい留学してたんですけど、
その時インタラクションデザインっていうのを専攻して、そういうことを勉強して、その中で技術にどんどん詳しくなってくるんですよ。
インタラクティブなものを作っていくとプロジェクターのなんちゃらかんちゃらだったりとかタッチパネルがどうやったら制御できるんだみたいなことを知ってって技術に詳しくなってくるんですけど、
本質の部分としてはそこじゃなくて、あくまでインタラクティブな作品だったりとか、メディアートって呼ばれる携帯の作品だったりとかが好きだったっていうのが根底にはありますね。
へー、なるほど。そっか、なるほど。
でも、何ですかね、すごい、最近じゃないのかな、ずっと中田さんの活動されてるものの中にVVVVとかもあると思うんですけど、
ああいうのもやっぱり、そういう自分の考えだったり思いだったりを実現していくにあたって、ちょうどいい道具としてVVVVみたいなものがあるっていう感じなんですかね、イメージ的には。
そうですね、そこもしょうもない話はちゃんとあって、インタラクティブなものに興味を持ってプログラミングを持つんですけど、もともと別に数学が得意なわけでも何でもないんですよ。
ちょうどオープンフレームワークスプレセッシングみたいなのが流行ってた時期で着手しようかと思ったんですけど、コードが読めないんですよ、文字が苦手で。
プログラミングできねえわって挫折した時期があって、どうやったらできるんだろうって路頭に迷ってるときにちょうどそのとき一緒にルームシェアしてた知り合いとかにVVVとタッチデザイナーっていうソフトを教えてもらって、
これだったら遊べるってなって、そのときにタッチデザイナーは有料、VVVは基本無料で全部全機能が使えるよっていうのでVVVを選んだだけなんで、本当に袋コーチに乗り込まれて最終的に選べたのがVVVだけだったっていう。
なるほど、そっか、なるほど、そっか。でも、コード書くのプログラミングするの苦手だなみたいなのはやっぱり今もそういう意識あったりするんですか?それとも克服できてきてる感じなんですか?
いや、全く克服できてる感じはしなくて、時々挑戦したり、それこそノーマライズFM聞きながらWebGLスクールかこういうの受講したら書けるようになるかもなとかって皆さんの話聞いてるんですけど、WebGLってなんだ?みたいな。わからんみたいな。ちょっと調べたりするんですけど、やっぱりわからんみたいな。
そういう話聞いちゃうと、例えばVVVみたいなものとか使うにせよ、ツール使うにせよ、なんかしら自分が表現したいものがあったときに、どっかで絶対接点ができてしまうというか、プログラミングゼロではいけないのかなっていうのも思ったりはするし、
私なんかもそうなんですけど、物理とか数学と向き合わなきゃいけない瞬間って出てきちゃう気がするんですよね。そういうときはどういうふうに克服していくんですか?
たぶんみんなが3日で解決するものを1ヶ月かけて勉強したりして、ない頭を駆使しながらたどり着けるのが1割、たどり着けないのが9割みたいな感じでやってます。もちろんVVVも一応プログラミング言語なんで、ベクター3だったりとかGPUってこういう仕組みでみたいなことのロジックはもちろん共通してるはずなんですよ。
共通してるはずなのにWebGLだったり他の言語のベクター3って書いてあるな、RGBに変換して、分かる分かる分かるみたいな感じで読めるんですけど、いざ書くってなると、ん?みたいな、ん?環境構築なんだそれみたいになって、いつも止まる。
なるほど。でもその感覚はわかるっていうのは、もしかしたらその中田さんが感じてるものと私が感じてるものもしかしたら違うのかもしれないんですけど、より表現に注力できる領域に軸足を置いておく状態の方が作りやすいっていうのは絶対あると思うんですよ。
なんかおさほ的なプログラミングのおさほ的な部分を一生懸命綺麗に整えながらコードを書いていくよりも、例えばシェーダーだけを書いてるみたいな時の方がクリエイティビティは高く発揮されるような気がするんで、なんかそれに近いものなのかなってちょっと聞いてて思いました。
そうですね。たぶんそれに近いもの、まさにその通りだと思うし、もしかしたらちゃんとこういう学校とかに通ってプログラミングをちゃんと勉強したら、もしかしたらできるようになるかもしれないのに、そこを避けてるだけかもしれないし、はたまた先ほどドクターさんがおっしゃってたように、人によってたぶん選べる得意なツールっていろいろあると思っていて、自分みたいにビジュアルドリブンにものを作りたい人は、もしかしたらリアルタイムにコンパイルとかが必要ないVBみたいなものを作るかもしれない。
そうじゃない、もっとロジック回りだったりとか、文章がそもそも得意な人たちはもしかしたら行動が欠けるのかもなみたいな。ある意味でいい時代でもあるなと思ってて、自分みたいな人間もプログラミング的なことを応用しながら映像が作れる時代ではあるんで。
プログラミングと克服の過程
確かにそれは間違いないですね。
いないんですか、例えば学校とかされてるとドロップアウトするじゃないですけど、プログラミングが向いてない顔みたいな人って今までいたりしなかったんですか。
いやもう全然普通にいます。
やっぱそうなんですね、やたら早い人っているじゃないですか。
どっちもある、結局苦手だなーとか難しいなーが強すぎる場合って、そう言ってくれるケースって少ないというか、それを表明してくれる人って多分すごく少なくて、
自然とフェードアウトしてった感じでいつの間にか姿も見えないし、何考えてるかもうまくこっちが読み取れない状態になっちゃうってことがやっぱ多くて。
なるほど、確かにできない身からしたらできないとは言いたくないから極限まで頑張ろうとは思っちゃうよなー。
そうなんですよね、だから結構スクールやるときとかも私は気をつけてるのはできないイコール自分がダメとか、
あとよくある感情として恥ずかしいっていう感情もあると思うんですよ普通に。
周りができてる人たちいる中で、自分はこんなこともわからないですって表明するのって勇気がいると思うんですけど。
その恥ずかしさを感じてる人たちに対して勇気を与える言動で言うと、本当にコーディングも何にもできないですけど、
ベースドラムっていうある種、超人的なテクニカルディレクターが集まってる集団にいさせていただいてるので、
勇気を与えられる話ではあるかなと。
本当そう思います。本当だってベースドラムってスター集団というか、どの方もそれぞれ専門性がすごく高いというか。
すごいですよね。
すごいですよね。すごいと思います。本当に肌から見ててもそう思うし。
自分はそこを背負えるほどベースドラムのみんなのすごさの話もできなければ、ただただすごいっていう抽象的な言葉しか使えないんですけど、すごい人たちばっかりだなと思って。
でも中田さんは全然引き取らないっていうか、外から見てる感じでは全然引き取らない感じに見えちゃいますけどね。
引きしか取ってないです。ベースドラムに入ってからの話で言うと、やっぱり最初VVVVを使ってフリーランスでインスタレーションとか散々作ってて、
テクニカルディレクターという役職でベースドラムに入らせていただいて、よっしゃ実装といろいろやるぞと思って1年目実装したんですよ。
実装した結果、挫折しました。
ベースドラムであまり実装はしないようにしてます。
なるほど。
周りがすごすぎる。
そうですよね。だいたいそうなると、今の現時点だと中田さんが担っている部分っていうのはどっちかっていうと表現とかの部分になるんですか?
そうですね。逆に表現周りが強い人が意外といないんだなということも同時に知れた。
技術と制作の経験
もちろんデザインがそもそもできるけどやってない人たちも何人かいるんですけど、バックグラウンド見てたら超人的なデザインできるみたいなのが見え隠れする人たちも何人かいるんですけど、
そういう人たちもテクニカルディレクターに専念してたりとかするんで、その中でルック周りとかコーディング使ってルックだったらこういうの作れるんじゃない、ああいうの作れるんじゃないとか、
プロジェクター1つ投影するにしても、ルーメン数で見え方とか映りがいい質感とかって結構違ったりとかするじゃないですか。
メディアとかによっても、そういうところは自分も強かったりするのと、あと企画考えたりアイデア出しみたいなところもかなり得意ではあるので、
フリーランス10年ずっとやってきたので、その辺を担わせていただいてるっていう感じですかね。
なるほど。そっか、まあそうですよね。
あのメンバーの中でどうやって光り輝くかって、自分で考えたらちょっとどうしたらいいか分かんなくなっちゃいそうな感じがします。
分かんなくなりました、ひたすら。1年目だから実装に挫折して、2年目映像を結構作ってたんですよ。
元々アンリアルエンジン、まともとっていうかコロナ禍に結構アンリアルエンジンを触ってて、アンリアルエンジンを使って映像制作だったりとか、
ブレンダーも結構その時期に勉強してたんで、ブレンダーを使ったフルプリレンダーの映像とかを納品させていただく制作とかもやってたんですけど、
よく考えたらベースドラムそもそも映像のメンバーがいないんで、ベースドラムの中でやるとすごい危ない状況になるんですよ。
お世話に一緒にやってるプロデューサーとかも、映像制作の進行がもちろん得意なわけではなかったりとかする中でそれをやっちゃうと、
危うく事故にかけるじゃないですけど、みたいな状況に頻繁に遭遇しちゃったりとか、そもそも制作を専門にしてる会社じゃないんで、
制作をしてる会社風に見えるのもなみたいなところもあったりとかして、あんまり映像制作もこの組織の中でやるべきじゃないなみたいな1年が実はあって、
最近は広報みたいなことやってます。
広報と場作りの重要性
なるほど。
だから私が中田さん、発信もいろいろされてるから目に留まりやすかったっていうのもあったのかもしれないですよね、よくよく思い返してみると。
ハードウェア的なこととか、あるいは日曜大輝的なこととかも結構やられてたりするじゃないですか。
そうですね、やってます。
だからなんか面白いことやってるなって結構、やっぱり見てて感じたっていうのはあったかもしれないです。
時間があればああいうことだけをやっていたいタイプの人間ですね。
なるほど。
聞き切ったりするの楽しいなとか。
いいっすね、いいっすね、いいっすね、いいっすね。
そっか、いやでもなんか面白いっすね。
何が共通して通定してるのかなって考えると、何なんでしょうね。
やっぱなんか場作りとか、さっきの一番最初の方に話していただいた部分で、教室で見てるだけじゃつまんないなみたいなところも、
やっぱ場作りとか、やっぱ人がたくさん関わっていろんなことが起こるっていうのが楽しいみたいなとこもあるんですかね。
それはあるかもしれないですね。
ベースラムでだからそれこそ広報みたいなことをやってるっていうのは若干語弊はもちろんあって、
ベースラムってテクニカル集団で案件においては超人的な能力を発揮する人たちなんですけど、
普段何やってるかってマジで見えないですよ。
はいはい。
本当に見えづらくて。
でも普段からやっぱりいろんな技術のR&Dとかをベースラムの中のメンバーは常々やってて、
スラックの中にチャンネルがあったりとかして、我々は見れるんですけど、
絶対外に出したほうがいいみたいなのを今年に入ってからベースラムのXアカウントだったりインスタアカウントだったりとかで解説して、
そういうのを発信していくSNSアカウントを立ち上げたりだとか、
先月の半ばぐらいにもベースラムのオフィスの1階で実は展示を3日間だけ企画させていただいて、
そこでみんなが作ってるデモ展示して見てもらうみたいな機会作ったりだとか、
っていう意味では確かに先ほどおっしゃったように場作りじゃないですけど、
みたいなのは好きなのかもしれないなと思いましたね。
そうっすよね。そういうのも才能というと大げさかもしれないですけど、
できない人はとことんできないというか、結構両立するの難しいスキルだったりもしますもんね、そういう部分って結構。
そうなのかもしれないですね。
これはちょっと私の個人的なイメージになっちゃいますけど、
やっぱ職人っぽい人ってそういう場作りだったりとか、コミュニケーションを円滑にしていくみたいなのを苦手な場合が結構多いのかなっていう気もするんで。
確かにインタラクションデザインとかもそうですけど、場作りも確かに主観的に物事を見すぎると多分成立はしなくて、
お客さんがここに立った時に展示台の高さが全部ばらつきがないなとか、
ライティングによってあの辺に誘導されていくなみたいなことって、
すごい客観的に場を見ないと多分設計できない部分ではあるかもしれないですね。
そうっすよね。なんかそういうの、私も全然自分でそういうことやったことないんで、
ノウハウ全くないから、なんかそういうことも向き不向きじゃないですけど、できる人とできない人いるし、
中田さんはそういう意味では組織の中ですごいバリを発揮してるんだなっていうのが。
果たしてその仕事はテクニカルディレクターの仕事なのかっていう。
そうですね。
でもやっぱり照明がどうしたとか音響がどうしたとか、
結局どこかで技術につながってくる部分ではあるんじゃないですか、そういうところも。
でもそれはそうだと思います。
展示実際やっててもみんな何だかんだいろんな技術使った展示やるんで、
模様替えと思考の切り替え
センサー同士が干渉しない距離感だったりとか、
プロジェクターがちゃんと見える面の選び方だとか、
細かいところでもちろんテクニカルディレクターとしてやってきた知見は間違いなく役に当たっていて。
本当にすごいですね。
そういうふうに何でも結構いろいろ興味が出たらまずやってみようみたいなタイプですか。
多分そうだと思います。
今映像は見えないかもしれないけど映像の後ろ側を見ても3Dプリンターがあって楽器があってよくわかんないことになってるんで、
そのままかもしれないですね。
多趣味というとちょっとまたニュアンスが違うかもしれないですけど、
興味があったらどんどんまずやってみようみたいな感じのマインドが喋ってても伝わってくるというか、
そういう感じがしますね。
そうかもしれないですね。
そしてお金がなくなっていきますね。
そうですね、そうだな確かにな。
結構これ最終的に収録音源に入れるかわかんないですけど、
トバログのYouTubeチャンネルとかにも出てらっしゃったじゃないですか。
ああいうのとかも拝見してて、めっちゃいいなって俺見てて思ったんですけど。
やはりいい動画にトバログさんにまとめていただいて。
めっちゃいいなって思います、やっぱりああいう。
結構そのなんて言うんですかね、
この話今お金がなくなるっていうところからちょっと連想しちゃったんですけど、
やっぱ東京とかでああいう場所作ろうと思ったらとんでもない金かかるなっていうふうに思うし、
やっぱりいろんな土地というか地域の条件みたいなのとかもあったりするんで、
一概にお金と結びつけて話すことではないのかもしれないですけど、
でもやっぱりああいう場を作って自分の好きな空間どんどん作っていくみたいなの、
私はやっぱり憧れちゃうというか、すごい良いなって思っちゃいますね。
面白い、その話で言うとあれかもしれないです。
自分は部屋の模様替えを年に10回以上するタイプの人間なんですよ。
もともとあの事務所世界っていうところで、
千愛陽介っていう映像作家だったりとかに誘われて出入りするようになった場所なんですけど、
千愛くんとかに聞いたらたくさんって呼ばれてるんですけど、
何回模様替えすんねんっていうぐらいひたすら模様替えをしてる印象がたぶん残ってるはずです。
それはご自宅とかでもそうってことですよね。
いや、もうしちゃいます。ひたすら物のレイアウトとか、
これがここにあると落ち着かないみたいなのを常々やっちゃったりだとか。
それはどういう動機なんですか?やっぱり飽きちゃうみたいなとこなんですか?
自分の中で最近、つい最近模様替え実はしたばっかりで、先月かな。
それこそベースラムの業務からフライング東京っていう、
作品制作みたいなのにシフトさせていただけるってなったときに、
まず最初にやったのが模様替えでした。
1週間ぐらいかけて模様替えをひたすらするっていう。
面白い。じゃあなんか精神的な部分のこの環境が変わったことによって気持ちが切り替わるぞっていうタイミングで、
それに連動して模様替えもしたくなるみたいな感じなんですかね。
なのかもしれないですね。模様替えを逆にしないと思考が切り替えられないっていう立ちなのかもしれないなっていう。
フリーのときはもしかしたらプロジェクト細かくいろいろやってたから、そのタイミングでもしかしたら毎回模様替えをしてたのかもしれない。
面白いな、なんかその話めっちゃ惚れそうなんだけど。難しいな。めっちゃ面白そうな匂いがするんだけど。
そっか、なるほど。いやなんか、俺自身は一方で俺自身はどうかっていう話ちょっとしちゃうんですけど、結構模様替えあんましないタイプというか、
一回きれいに、だから何だろうな、引っ越しするとかってなったときに、
もうガチで本当に最強の状態っていうのを最初にすっごい時間かけて考えて、
ここにこれ置いとけば一番綺麗に収まるなみたいな最適な部屋の配置みたいなのを一番最初にめっちゃ時間かけて作って、
あとは極力触んないっていう感じなんですよね、私結構。
逆にそういう環境ってどうやったら、その状態で何年もやっていくイメージが湧かないんですよね。
いやーなんすかね、だからなんかもう、引っ越し先のその部屋の長さ、壁の幅とか全部測って、
で、Amazonとかでそのラックの幅とかを何ミリみたいなのを見て、全部足し算していって、
このぐらいの隙間ができるからここにこれを置いてみたいなパズルみたいなのを最初に全部やって、
その配置の通りにピタッと決めて、あとはもうひたすら同じ空間で同じ毎日を過ごすみたいなのが結構平気なタイプですね。
それって前の家で買ったもの捨てるってことですか?
捨てるは本当に結構捨てられるタイプですね。
あーなるほど。
捨てちゃえるタイプですね。
まあなんだろうな、なんか思い出の品とか捨てるかって言われるとそこはやっぱり強度がある、
あんま捨てられないものとかももちろんあるんですけど、
家具とかはいいかなって思ったら結構取っ替えられちゃいますね。
自分の場合あれかもしれないです。家具基本捨てないというか、同じものを引っ越しても、
なんか天板変えたりとかして、よし机の天板をこっちに変えて、この机の天板をこれに使ってみたいな、
もう切るかみたいな切っちゃって、組み合わせなるべく、
まあ金はかけてるんですけど、結果的にお金はかかるんですけど、
買い替えとかあんまりしないかもしれないですね。
同じものを使い回しちゃうタイプかもしれない。
いやなんか、この話ほんとすげー面白い人間性が出てくる部分だと思うんですけど。
そうですね、リスナーさんとしては面白いのかどうかよくわかんないですけどね、部屋の模様替えの話。
そうですね。
いや俺結構できない、そのめんどくさいが勝っちゃうというか、全然できないですね。
で、結構うちの読めとかは、あのなんかわかんないですけど急に始めるんですよね。
タイミングがこっちで読めないんですけど、いきなり始まって、なんか衝動的にやり始めるんですよね。
それもあります、自分の場合は全然。
なんか朝起きたら急に何かが始まってて、どうしたどうしたってなって、なんか気に食わなかったのかわかんないけどやってるみたいな。
そこまでかな、なるほど。
うちの奥さんの場合は多分日々何か気に食わないことがたまっていて、一定の指揮地を超えたところでもう嫌だ、模様替えしてるって多分なってるんだと思うんですけど。
いや、俺結構そういうの全然ないからびっくりしますね、急に始まってて。
模様替えの衝動と家庭環境
確かにうちの妻も結構しょっちゅうびっくりしてるかもね。やたら模様替えしたがるやん、こいつみたいな。
リビングとかも可能なんだったら今すぐにでも模様替えしたいみたいな気持ちが使ってると出てきちゃって。
なんなんすかね、なんかほんとその衝動の正体が気になりますね。なんでそうなっちゃうんすかね。
飽きなのか、刺激が足りないのか。
人によってもちろん違うとは思うんですけど、自分の場合は、自分の場合はってかこれも人と比較してないとわかんないんですけど、
独生さんとちなみに老いたちってなんかご実家があったりとかそういう感じの環境で育ったりとか。
そうですね、一応うちはいわゆる団地とか昔の昭和の団地で兄弟3人の長男なんですけど。
団地育ちで、でも団地なんでそこら中に同じ世代のちびっこが大量にいるみたいな感じで育ったって言えば育ったって感じですね。
なるほど、いやなんか自分もだから人と比較したわけじゃないんで、答えとしてはっきり出てるわけじゃないですけど、自分のこのやたら模様替えする自分の中で何なんだろうって考えることはもちろんあって。
やっぱりその、結構その点々と育ったタイプの人間なので。
なるほど。
なんかそのわかんないですけど実家があるとか決まった部屋でずっと育ってきた人ってそれは一生模様替えしてるわけにもいかんだろうし、みたいなことに思いを馳せた瞬間もありました。
なるほど、いやそれあるかもしれないな。なんかやっぱり3兄弟の長男とかってなると、これも比較したわけじゃないから私の感覚で喋っちゃうんですけど、長男って結構我慢しなきゃいけないというか。
親からすると一番お兄さんだから当然一番早くでっかくなるんで、なるべく広いスペースを割り当てようとしてくれたりとか、家族の中ではそういうふうに扱ってはくれる一方で、
やっぱり兄は兄で、弟妹のために遠慮する気持ちも同時に持ってるんで。だからなんかこう、ここ弟とか妹に譲るか自分が使うかってなった時に結構譲る心理が私の場合は強く働くから。
長男と自分は次男なんですけどそこでも違いはあるのかもしれない。
そうですね。だから結構自分のスペース、自分が好きなように装飾はしたいし整えたいしみたいな部分はありつつも、でもなんか他人のためだったら我慢できちゃうみたいなのはあるかもしれないし、なんか変化しなくても平気っていうのが原性にあるかもしれないですね。
ありそうだなって今聞いてて思いました。自分はもしかしたら長女であるうちの妻にかなりそういうのを強いてるのかもしれないなってちょっと反省しました。
やるかもしんないっすね。やるかもしんないっす。
そうですね。自分がだって家で、一部屋今あてがってここを自在宅ワークスペースとしてるんですけど、多分相当贅沢なというか、自分のものに囲まれた理想的な環境が出来上がってるんで、
それこそトバログさんの動画に映り切らなかったような本とかそういうのも全部自分の好きなものに囲まれてて、やった最高だっていう状況なんですけど、よく分かる妻の部屋って別にないんで、
リビングにいらなくなった棚とかを今使われてるんで、あれこれ実質家中に俺の空間しかないやんみたいなの。
そうなっちゃいますよね。
よくないよくない。ちょっと反省しよう。
いや逆にだから俺は今住んでる家の中で一番狭い部屋で住んでますね。
あー。
妻と子供がでかい部屋を使ってて、
なるほど。
自分は一番狭い部屋に本当に最小限のものをギチギチに詰め込んで生活してますね。
だから出て行こうっていう気持ちないですね、自分のものを外の部屋に置かせてもらおうとかっていう感覚ないから、置ききれんかったら買わないっていう選択になっちゃいますね。
なるほど。
そういうことかもしれないですね。
そういうことかもしれないんで、このままだと反省会に突入しそうなんで。
そっか、なるほどな。でもそうかもしんないわ。
なるほどな。ちょっとこれどこまで聞いていいのかわかんないですけど、海外を転々とされてたっていうのは普通に親御さんの都合でとかっていう感じなんですか?
そうですそうです。父親が木を植える仕事って言ったら変な響きです。木を植える職人?職人だけじゃないですけど、木関連の仕事をしていて、それで生まれてすぐブラジルに行ったりだとか、
セネガルで3年間過ごしたりだとか、インドネシアに4年間、みたいな感じで結構。
間で日本に1年とか2年帰ってきてたんですけど、もうまたすぐ向こうに飛んでみたいなことをずっと繰り返して育ちましたね。
なるほど。じゃあ結構生活のベースは普通に日本語でやるけど、みたいな感じなんですか?
記憶としては定かじゃないんですけど、ブラジルは少なくとも現地の学校にいてポルトガル語で幼稚園とか通ってましたし、父親が言語のスペシャリストなんで、
10カ国語を超える言語を平然と喋るタイプの人間で、とかもあったので、家の中もあと、そういう都城国、元都城国って呼ばれる地域とかに行くと、
メイドさん雇ったりだとか運転手さん雇ったりみたいなのが普通だったり、そういう人たちとコミュニケーション取ったり育ててもらったりもしてたんで、そういう意味では日本語だけじゃなかったですね、多分。
なるほど。いや、なんかそういうのもすごい人間性に大きく影響しそうだなっていう感じもする。
それはあると思いますね。たぶん自分のこのある種の無遠慮さみたいなのは、そういうところからもきっと来ていて。
はい。
でもそんな別に、いやまぁわかんない、そのプライベートはちょっと私は全然知らないからわかんないですけど、
表面に出てきているもの、まぁでもどこなんだろうな、やっぱ作品とかにもうっすら言われてみたらそういうのが滲み出てきたりもしてるんですかね、もしかすると。
でもそれはあると思います。なんか自分は逆にだからそこへの憧れが結構作品作りの人はずっと葛藤としてあって、
自分はそこの、なんかわかんないですけど、生まれてこの方見てきたものってどうしたって自分が作るものに影響を与えるじゃないですか。
はい。
たぶん自分はすごい日本が好きで、今日本でもうかれこれ10年ぐらい過ごしてるのかな。
それが理由で日本でやってるんですけど、やっぱり日本の人たちのを見てもらいたいじゃないですけど、日本でもいろんな人に認知されたいみたいなことを思って作品を普段から作ってるんですけど、
たぶん生まれてこの方見てきた同世代が見てきたものみたいなのと、自分が見てきたものがどうしても違ったりとかするみたいなところを自分の中で言い訳というか、
ありにもしながら、どうやったらそこに追いつけるんだろうとか、みんなが気持ちいいと思えるところって、どうやったら自分の中で育てられるんだろうみたいなことは常々葛藤してるというか、悩んでるところではありますね。
異文化体験の影響
いや、それ結構難しいテーマっすね。難しいな。分かんないですもんね。ずっと日本で育ってる人の感覚が、逆に中田さんは分かんないわけだし。
そうですね。自分はそれを教養って呼ぶようにしてるんですけど、だから例えば分かんないですけど、マーベル映画をどっかのところで見てるとか、アメリカと日本で多分カルチャー的にも似たようなところがあったりするんですけど、
そういうのを脈々と見てきた人たちが、今30代になって作ったものが同年代だったりとか、同じようなものを見てきた人たちに響くって、ごくごく当たり前のことだと思っていて。
やっぱり見たことないものに対しての興味と、多分無意識の状態ではそんなに発生しないものだと思ってて。
意識をそんなに立ててないときに見て、これかっこいいって思うものって、多分今まで脈々と見てきたものの中にヒントがきっとあるはずで。
ものを作ってる人間として、やっぱりそこをどうしたらいいんだろうみたいなことはずっと悩んでますね。
なるほど。いやぁ、掘り甲斐のあるテーマというか、やり甲斐があるテーマですね。それは結構。
具体的にここに刺さってくれたら嬉しいなみたいな、結構狭いスコープがあるイメージなんですか?それとも、ざっくりこのぐらいの世代とかっていうふうに。
そういうのは絞ったことが実はなくて、逆に皆さん絞られてるんですかね、そんなに。
いやぁ、多分そんなことはないとは思うけど、今の中田さんのお話だと、自然体でいるときに思わずかっこいいなって思っちゃうものって、結構世代によって、私の中のイメージでギャップって結構あるのかなって気もしたんで。
多少はあるかもしれないですよね。多少はあると空気感だったりとか、なんだかんだ街行ったらCMが流れてるとか、スマホをスワイプしてたら出てくるものとかって、なんかわかんないです。
ベースとなるものとしては結構共通してるものも多いのかなって思ったりもしている。
なるほど。結構そうですね、私なんかちょっと、すいません、今の話は私のすごい最近よく考えてることのバイアスがすごいかかっちゃったなと思うんですけど。
なんかその、ちょっと自分の話しちゃうんですけど、最近すごい写真を結構ちゃんとやってるというか頑張って勉強したりしながら撮ったりもしていて、
なんか特に最近の写真、Z世代っていわゆる呼ばれてるような20代前半の人たちの写真って、なんていうかもうちょっと今までの写真文化とは全然違うものすぎて、
例えばそのSNSで本当に息を吸うように写真がシェアできる時代だからこその写真表現みたいなものってあって、
結構多分、本当にちくしくに尖っているアーティストさんとか写真作家さんは特別なスペシャルな人として、
その人たちは特例として、いわゆる普通のアマチュアで写真ずっと好きで撮ってきたフィルムからやってますみたいな人たちって、
多分そのSNS前世紀の写真って全く魅力がわからないというか、
多分興味も持てないし、模倣もできないし、良さもわからないし、みたいな状態になっちゃう人って結構いるのかなってすごい感じがしていて、
そういうのを最近グルグルグルグル自分の中で考えてたんで、
中田さんの話も結構この辺の世代みたいなのに刺さる映像とかっていう感じがあるのかなって聞いてしまったんですけど。
でもその悩みはすごいわかるというか、自分もSNSをやってる以上は、これは別にマンバズしたいとかいう話ではなくて、
やっぱり多くの人には見てほしいじゃないですか。自分も一時期デイリーとかって言ってたんですけど、ひたすらVVでグラフィックを作り続けるみたいなことをやってて、
その視聴者がやたらドイツとかアメリカとかにいるなってなった時に、日本の人たちは誰も見てくれないんだなみたいな気持ちにもちろんなって、
VVってソフトを誰も使ってないんで、日本でちょっと普及活動したほうがいいかなと思って、YouTubeでチュートリアル、英語でやってるんで、
日本語でも何回か配信した時のコメントゼロの視聴者数300とか見た時に、なんだろう、こう辛くなってきてやめちゃうんですけど。
それでも何か時々見たっていう人には街で会うことがあるんで、そういう人たちには届けられたらいいなと思いつつ、労力をかけてやってる以上はある程度の人たちから見てほしいじゃないですか。
自己表現の葛藤
どんなものであっても。
ただSNSの属性、若い人たちが多いのかもしれないとか、実は若い人たちが多いわけじゃなくて、自分たちより上の世代がめちゃくちゃ多いのかもしれないとかわかんないですけど、
最近だとグラフィック投稿しても、ビュー数が、ビュー数じゃなくて、いいねが12とか、12でも十分すごい方ですよね、3とか、なった時にフォロワー数って何人だっけみたいな。
何なんだろうみたいな、なる瞬間もちろんあって、その中で悩むんですよね、同じような悩みを。
どうやったら、最近の人たちは俺のグラフィックなんかに興味ないのかもしれないとか。
あるいは写真も自分も好きで写真撮るんですけど、ビビットにしたらいいのかなみたいな、とりあえずビビットなやつあげてみる瞬間あるんですけど、
多分そういうことでもないんだろうなっていう。
そうですね。難しいですよね。
自分がどういうふうに見られているかとか、見えているかっていうことを気にしすぎるのもダメなのかもしれないですけど、
一方でそういうことにあまりに無頓着すぎると、自己満足で終わっちゃうというか、
だったら別に発信する意味なくないって感じになってきちゃうと思うんで、難しいですよね、そこら辺のバランスを取るのって。
難しいなと思うんですけど、自分の中の答えとしては最終的に自分を信じるしかないというふうに思ってて、
多分SNSを見てビビットの色にドクサスさんの写真がバーって振り切られて、それでドクサスさんがすごいバズを生み出したとして、
多分それまでのドクサスさんを見てる人は、これすごいストレス感じてやってるんだろうなみたいな。
そうですね。
SNS時代の自己表現
でも、ちょっとこれは脱線しちゃうかもしれないですけど、SNSとかでいつものタイムラインがあって、
その中で時には作品的なものとか、写真、映像、グラフィック、いろんなものが流れてくると思うんですけど、
結構そのややもすると、なんかいつものタイムラインを見るスピードでスルーってスクロールして、
特に気も止めずに流れていっちゃうものって多分たくさんあって、
で、なんか私の中ではそこで思わず、おって、こう無意識、ほんと反射の無意識でもいいから、
おって思わず一瞬手を止めて、思わずクリックして拡大した状態で見たくなるような写真がいいなって思ってはいるんですけど。
分かります、分かります。
思ってはいるんですけど、実際それがどこまでじゃあそうなってるのかってやっぱ分かんないし。
で、なんか変な天の弱なところもあって、あんまりいいねつきすぎると、
これなんかちょっとこのままやってたら自分調子に乗っちゃいそうだなって思っちゃうこともあるんですよね。
なんか変にこう、変に刺さりすぎちゃったなみたいな感じに思うこともあって。
なんか写真のUV伸ばしてこうビューって伸ばして、
はいはいはい。
こうただの写真じゃなくてちょっとした作品っぽい見た目になってるものとかって、
やっぱり目を引きやすいし、みんなすごいいいねしてくれるんですけど、
なんかそれで、あ、なんかすげー嬉しいなって安易にこう感じてしまうことって果たしてなんかいいのかなってちょっと考えちゃったりとかもするし。
わかります。一方で満髪を乱せる人はたぶん、これでいいんだと割り切って、
それを繰り返せる人がインフルエンサーになるんだろうなと思いました。
いやーそうですね。ほんとそうだと思うわ。
自分も独卒さん側なんで、なんかちょっと実験的に試したやつがいいなってなったら絶対同じことをやらないタイプの人間なんで、
多分反省点は間違いなくそこにあるんですけど。
そうですね。難しいなって思います。だから、本当にいいものだから、
なんていうか、言葉では説明できないけど、本当に多くの人の共感を読んでるから純粋にいいねが伸びてるのか、
なんか物珍しさで、いつもよりちょっと多いいいねがついただけなのかってわかんないんで、
自分の中ではすごいバランス取るの難しいなって思うし、
あんまりいいねつきすぎるようになってくると、なんかちょっと逆に投稿できなくなっちゃう気持ちが、
個人的には働いちゃったりもしますね。
作品制作のプロセス
しかもこの話、ヨシア氏以外にもアルゴリズムとかいろんなことが絡んでくるんで、余計ややこしくて、
そうですね。
結論多分振り回されないっていうのが正解なんだろうなと、
自分が正しいと信じることを、ある程度アルゴリズムに乗るんだったら毎日コンスタントに投稿してみるだったりとか、
自分のルーティーンに返してくるのは多分いいことだと思うんですけど、
それの影響を受けすぎると、自分の作りたいものって結局何なんだっけとか、
ある種SNSで見えるバズってるもんってすごい質感が似てたりとかもすると思うんですけど、
そっちに行って、果たして自分の未来はそこにあるんだろうかみたいな。
難しいな。中田さんは結構どれぐらいのスパンで、制作だったり作品作りみたいなものを結構捉えてるんですか。
例えば普段の生活の中でパッと思いついたことをまず作品にしてみるっていうようなやり方もあると思うし、
一方で、それこそ学生さん、大学院とか経営大とか行ってる方たちみたいな、
何年かかけて卒業制作を作っていくぞみたいな、そういう長いスパンで作品を捉えてるのかというと。
難しい質問だな。いい質問だね。難しいところで自分としてやるべきだと思ってるのは校舎なんですよ。
それこそフライング東京とかに応募した理由の一つは、そういう長いスパンの作品を作んなきゃいけないなって思ったっていうのがでかくて、
2019年ぐらいから1年か2年ぐらい間、コロナ禍ですね。コロナ禍はデイリーっていうのをやって、本当に毎日ひたすら、
スケッチって今は読んでるんですけど、スケッチをひたすら起こすみたいなことをInstagramとかでやってたんですよ。
それはもう本当に毎日1時間って決めて、その中で作れるものをVVでひたすら絵として作ってってInstagramに上げていくみたいなことをやってた時期があって、
最初それが作品制作なのかなみたいなことを思ってたんですけど、それをやめた期間から1年半ぐらいかけてじっくり考えてみたときに、
あれはきっと作品ではないんだろうなっていうことが分かって、あくまで自分がVVで描ける絵みたいなののクオリティレベルを上げられるように、
スクリアップのために始めたことだったなっていうことを思い返したりだとか、
結果的にそこでできた絵はもちろん印刷しても面白いんですけど、印刷して売るみたいなことも時々考えたんですけど、
それってでもデッサンとかクロッキーとかと一緒で、なんとなく線引いてみていい感じの線が出る訓練をしてただけだなみたいな。
あれを作品として呼ぶのは少なくとも自分のやりたいこととしては違う。むしろインタラクティブな作品だったりだとか、
それを通じて何かに対する疑問を感じてくれるとか、問いかけになってるとか、
新しい作品を誰かが作りたいと思ってくれる、それにインスパイアされてみたいな、いうレベルのものをちゃんと作っていかないと、
そういうものじゃないと作品とは呼べないなっていうのが最近の自分の考えてることですね。
自分の信念を持つこと
なるほど。面白いっすね。なるほど。
じゃあまさにそういうふうに思ってることが今のちょっと違う形になってきてるというか、
まさに今がその時、まさに今この瞬間がその時みたいな感じなんですかね。
自分の作品作りに目を向けている瞬間というか。
そうですね。自分の場合今音に結構、フライング東京庁は音に結構注力するという形でひたすら音の勉強を今してて、
もともと音楽全くやったことないんで、エイブルトンライブの基本的な使い方からひたすら音の勉強をして、
エイフェクスツインはどういう風に音楽作ってたのか、コード進行とはなんぞやみたいな基本的な音楽理論をまず知らないんで、
ミュージシャンになりたいわけではなくて、ただそれをやってる理由っていうのがミュージシャンになりたいわけじゃなくて、
自分があくまでインスタレーションを作りたいんで、そのインスタレーションを作る中で構成する要素ってビジュアルもあれば、
音も当然毎回つきまとうもの。これをいつも人にお願いしたりとかして、コラボレーションという形で毎回人にお願いしてたんですけど、
よくよく考えたらやっぱりそこも自分でコントロールできるようにならないと、多分自分の作品としてはまとまった形にならないだろうなっていう風に思って、
音をちゃんとやろうっていうのが今の期間。
なるほど、なるほど。じゃあまあ、わかんないですけど、やっぱり中田さんの中で次のステージに行こうとしてるっていう感じなのかもしれないですね。
そうですね。なんかデイリーみたいなことやって、ビジュアルは自分が憧れてる映像作家の人たちとかとまでは行かないけど、
映像としてはいいものができるようになってきた感覚があって、それをもっと次のステップに上げていくためには音もコントロールできるようにならなきゃいけない。
ただ欲望に負けると、この毎日作ってる実験的な音楽ってSNSにあげたくなるんですよ。
よし、とりあえずなんかいい感じのやつできたし、SNSにあげてもいいかもしれないなみたいな。
迷うんですけど、違う、違うって自分を忌めながら、今はあくまで勉強期間だってやってますね。
なるほど。めっちゃいいっすね。めっちゃいいと思います。
いや、ただこれ言ってる翌日にはもうSNSにあげてるかもしれないんで、やらない理由を言語化してみると別にあげない理由があるわけではないじゃないですか。難しいところですよね。
そうですね。でも多分、まだ客観的な評価が自分自身でできてないうちに出してしまったときの、本当の客観の人たちからのいろんなことが変に作用しちゃう不安とか。
それはわかります。
いろんなものがあるんでしょうね、きっと出さない理由としては。
ただ一方で誰も見てないっていう事実も知ってるわけじゃないですか。
まあまあまあ。
だから、出したところで言うと何もないんだけど、俺はなんでこんなにカッコつけようとしてるんだろうみたいな風に悩むこともあります。
いや、わかるわ。いや、俺も写真がそんな感じでしたね。別に貼ったっていいわけじゃないですか、写真なんて。今時誰だって写真なんてSNSに貼ってるわけで。
でもなんか自分の中でちょっとやっぱ出すまでに時間かかったし、今もなんかそんなに自分の中では積極的に出してる感じはなくて、相対的に見たら昔より全然回数とか頻度は増えてるんですけど、自分の主観的にはそんなに出してるつもりはなくて。
特にそのドクサスという文脈の活動の中ではおふざけ写真くらいしかあんま出してないつもりではあるんですけど、でもやっぱなんかそこは自分のガチの本気のものを出したときに、現実を突きつけられる恐怖みたいなのもあるのかもしれないし。
確かに。
あるのかもしれないし、なんかやっぱ自分の中で納得できてないものを出すの怖いなみたいな感覚はやっぱある気がします。
わかります。その感覚はもう古いんじゃないかなみたいなことで悩んだりもするし。
そうですね。どんどんメタになってっちゃうんですよね。
そうなんですよね。すごく難しいところで。一方で自分みたいなインタラクションデザインみたいなの好きというか、やりたいみたいなふうに思ってる人間からすると、実は全部出すってことは間違ったことじゃきっとなくて。
デイリーもとりあえず下手くそでもいいから出すって形でやってった結果伸びたのは間違いないし、いろんな意見とかあれいいこれいいとかチュートリアルとかってコメントにはついたりとかしてたんですけど、いらねえやつは無視すりゃいいだけだったんで。
取捨選択する能力も我々にはもちろんあるし、ってなったら、結局自分が傷つきたくないだけとか、あげてない理由って実はそこだけなんじゃないかなって。
そうかもしれないけど。
それでまた落ち込むっていう。
そうですね。まあ難しいとこだなあそこは。人によって違いそうですしね。
そうですね。
感じ方とかも。そっかなるほどなあ。でもいいっすね。自分でやっぱり全部自分の手で生み出したいっていうところで音楽が必要だなって思えば音楽もやるし、多分もしかしたら何年後かには音の次のステップにまた行ってるかもしれないですもんね。
そうですね。プロダクトをやりたいとはずっと思ってて、次のステップは自分の中でプロダクトって決めてるんですけど。始めるにしても10年後だと思ってるんですけど。
はい。なるほど。そっか。でもそれはやっぱり作品っていう形として最終的には出てくるんですか?そのプロダクトにしても。それともそこは作品というよりはなんか純粋にプロダクト自体として出てくるんですか?それって。
なんか難しいところで、多分作品、答えとしては作品なのかなっていうふうに思うんですけど、その理由も、今ベースドラマでも働かせてもらってるんですけど、今までもフリーで仕事やっていく中で、仕事の向いてなさみたいなのが毎度こう自分の中で出てくるんですよね。
向いてなさすぎるっていう。協調性だったりとか周りに合わせるみたいなことに対するこう、自制能力みたいなのがなさすぎる葛藤みたいなのが自分の中でずっとあって、なんで仕事っていう形で物事をやっていくのが極端に向いてないタイプの人間だと思ってるんですよね。
はい。
そういう方それなりに多分このラジオにも出てるかなって思うんですけど。
そうですね。
誰が悪いとかではなしに、自分はいない方がいいとか、自分よりこれは得意な人が大量にいるみたいな葛藤がやっぱ常にあるんですよ。仕事を、いわゆる仕事っていうのをしてると。
なとすればなんか自分がこれが正しいって信じるものを出していって作っていって、それをいいと思ってくれる人たちと何かをした方がきっとお互いにとって幸せになれるだろうなっていう感覚は自分の中でずっとあって、それが多分作品という形で作るしかないんだろうなと思ってるゆえんですかね。
なるほど、そっか。なんか私全然具体的にイメージできないんですけど、例えばみたいなのはもう今の時点であるんですか、こんなものになったらいいなっていう。
プロダクトですか。
はい、ビジョンは。
空間支配の発想
プロダクトそのものに具体的なイメージはまだいくつかはあるんですけど、明確にあるわけじゃなくて、動機としてはけど、いわゆるインスタレーションとかを作るってなったときに、空間を要は支配したいわけですよ。
空白画を支配するときにもちろん映像と音ができるようになったらある程度の支配力は手に入るんですけど、結局空間の見え感を決めるのって造作的な部分だったりとかして、
LEDスクリーンをもちろん立てて、スピーカー置いて、Kinect設置して、人が前通るみたいなのもいいんですけど、なんかもっとインタラクションってデザインできるはずなんですよ。
例えばよくわかんないオブジェが手前にあって、その前に立つことで何かが起きるとか、なんかそういう空間とかそういう造作とか使ったインタラクションってまだまだ探れることがたぶんいっぱいあると思ってて、
デジタルになるとどうしてもその辺が省かれるんですけど、インタラクションデザインしようと思ったらちゃんと導線が設計できるような空間造作があるべきで、そういうところにたどり着きたいなっていうのが自分がプロダクトをやりたいと思っている理由ですかね。
なるほどなあ、なるほど。最近写真というものを足掛かりに結構現代アートとか、インスタレーションとかも含めてメディアを使った表現みたいなものにすごい個人的な興味がいろいろある中で、
なんかその私自身について自分を客観的に観察してみた時に、なんか強い動機がまずないんですよね。作品で表現したいものがまずないみたいな状態だなって自分を自分で観察した時に思っちゃう時があって、
なんかそう、私は私で弱気になっちゃうというか、アーティストとしての素質がないのかなみたいな風に自分では思っちゃうんですけど、なんかその中田さんの場合はじゃあ最終的にプロダクトができて、
そのありとあらゆる全ての面を自分で掌握した時に、やっぱ何か結実してその表現したいものみたいなのがやっぱりあるってことなんですよね、きっと。それは何か時と場合によって変わるみたいな感じなんですか。
そうですね。なんかそれらが組み合わせてこういう世界ができたらいいっていう具体的なイメージがあるわけではないです。ただ、なんだろうな、自分の場合やっぱりさっきの仕事ができないみたいなところの葛藤とかの裏で作品のアイディアが出てくるというか、こんなの作りたいみたいなのが基本ストレスの裏で必ず発生するタイプの人間なんですよね。
今もベースドラムに3年目になるのかな。ベースドラム自体は素晴らしい組織であれど、自分の仕事の向いてなさみたいなので、自分自身と戦う瞬間がかなりあって、その裏でこんな作品あったらいいなっていうのが街を歩いてて思い浮かんだりだとか、こういうのってもっとアーカイブされるべきなんじゃないかみたいなことが自分の中に出てくるんで、それらをひたすらメモしておく。
みたいな形でこういう作品作りたいなっていう形にどんどんなっていくっていう感じですかね。
そっか、でも自然とそうなるってことっすもんね、きっと。
なんかこう、しなきゃいけないみたいな、そういう切羽詰まったものがあるんじゃなくて、自然と作りたいなっていう気持ちが湧いてくるっていう感じですよね、きっと。
そうですね。それこそ、でも多分同世代の、それこそこのラジオに出演されたバック君とか、すごい作品作ってるじゃないですか。
彼の映像とか見ると、どうやったらそれを超えられるのかみたいな、一生超えられない気も一つ、超えたいなっていう気持ちはもちろんあるんで、60、70ぐらいになったら、どっちが長生きしてるから超えられるかもなみたいなテンションで考えたりするんですけど。
なんかでも、とか見るとやっぱり自分の中では、そこに負けてるわけにはいかないなみたいなのはちょっと出てくる。
そっか、なるほどな。いや、なんかほんと最近すごい、割と深刻に自分の中で悩んでて、なんか作んなきゃなとか作りたいな、表現したいなみたいなのないっていうか、何を糧に俺は頑張ったらいいんだろうっていうのが。
あんまうまく思いがけないんですよ。写真始めてちょうど今2年、もうすぐ2年になるかなぐらいの感じで、最初の1年目は本当になんていうか、カメラという、現代のカメラというデバイスの凄さ。
あ、こんな綺麗に写っちゃうんだみたいなこととか。いや、それで続けられてるのがまずすごいと思いますけどね。
いや、なんかその、すごいなんか無邪気に楽しいだけで1年ぐらい過ごしてきて、で、なんかちょっと欲が出て写真のショーとかに応募してみたりしよっかなとかってなったときも、
ただ欲が出てるだけだから、なんかその表現したい、写真でこれを俺は表現したいみたいなのが先行してるわけじゃなくて、なんか自分が良かれと思ったものは果たして一般の人たちにはどう見えるんかなっていうなんか興味みたいなものが勝っていて、
で、なんか最近その2年ぐらい経って、その無邪気さと自分がどう見えてるかの現在地に対する興味みたいなのが、なんかひと回りしたときに、なんかこううっすら自分の中で写真で作品とか作れたらいいなっていう、なんか夢じゃないんですけど、
慣れたらいいなみたいな気持ちは湧いてきてるんですけど、じゃあ何をどうするみたいなところが、何がしたいみたいなところが、なんかいまいちまだ見えてなくて、まあただなんか見えてくるんだろうなって期待半分思ってるから、続けることはできるんですけど、なんか悩んじゃうというか。
学び直しの必要性
でもね、自分は今話聞いてって思わしたよ、そっち側です。今でこそこういう作品が作りたい、ああいう作品が作りたいっていう葛藤がありますけど、やっぱりこう例えば20数代のときに、なんだろう、まあ自分のフリーランスのポートフォレットも時々見返すんですけど、基本的にやりたいことってよりも、なんか自分の場合なんか何か人と違うことがやりたいだけで10年間走り継げてきたタイプの人間なんですよ。
そこに具体性は全くなくて、で多分いろんな人から話をもらう中で、これだったらこう組み合わせた方がいいんじゃないってなってポートフォリオが出来上がってたんですけど、そこに自分の作りたいはなかったんですよ。
で、なんかアドビのアーティストインレジネスが2018年から1年間ぐらいあった期間も、なんか周りはすごい作りたいものが明確にあって、応募のコンセプトとかもはっきりしたんですけど、自分の場合応募のコンセプト何度も変わってるんですよ。
なんとなくぼんやりとやりたいことはあるけど、まだこれだって言い切れるような形になってなかったみたいなのが多分デイリーとかをアドビのアーティストインレジネスの後とかアドビのアーティストインレジネス期間中も作品を作んなきゃいけなかったんで、なんかそういうのを作って経て今やっと、なんかこうはっきり言語化できるようになってきたのかもなって今話にかかってて思いましたね。
なるほど、なるほど。なんか私にとってはその行行じゃないですけど、いつか見えるかもしれないなってちょっと安心できる部分ではあるかもしれないですね。
なんか前半かっこいいこと言いましたけど、よく考えたら多分そっちです。だから多分10年ぐらいカメラを写真を続けてきたら多分コンセプトだったりだとか、なんか見えてくるのかなとか。
そうですね、なんか結構私、ちょっと違う話に聞こえちゃうかもですけど、割と大会系な学生時代だったんで、私は剣道やってたんですけど、なんかその剣道やってて、私は中学から部活で始めたっていう、部活で始めた勢なんですけど、中には小学校からやってる勢みたいな人たちがいて、
なんかそこの格差ってとんでもなくでかいんだっていうのが、学生時代に思ってたというか、なんか同じ年なのにその磨かれ方の順度が違いすぎて、もう全然違うステージにいるなっていうふうに、中学生なりにわかってしまうというか、
今すぐ追いつけるものじゃないな。それは何年も経てば、もしかしたら差は縮まっていくのかもしれないけど、この中学3年間で追いつけるようなものじゃねえなってすごい感じた部分があって。で、なんかそれと一緒でやっぱりこう、やればやるほど、写真とか新しく始めてみて、やればやるほど本物のすごさがわかってくるというか、
あーこれとんでもないとこに俺足踏み入れちゃったわみたいな感じがしてきて。
写真は確かにそうっすよね。
なんか本当にそんな感じがしてきて、やっぱ悩んじゃうというか、もうなんならちょっと真面目に芸大行ったほうがいいのかなと思い始めてる感じっすもん最近。わからなすぎて。
自分も音楽一時期そうですけど、フライング東京受かる前は大学に行こうかなって。サウンドデザイン勉強しに行きたいなって思ってました。
いや本当そうっすよね。なんかその、ちゃんと歴史とかコンテキストみたいなものも含めて、自分の中で一回取り込んだ上で、じゃあ何が出てくるんだっていうことを確かめたくなっちゃうというか。
わかります。もっと勉強したらよかったなとか思いますよね。
そうそうそうそう。
もっとちゃんと授業聞いてたらよかったなとか。
いや本当にそう。私は高卒だから、大学からやり直すとしたらやり直しっていうか、学び直すとしたら大学からって感じなんですけど。
いや本当に、なんか後悔はしてないですよね。高卒で仕事し始めたことに後悔はない。そういう人生を巡ってきたことに後悔はないですけど。
ただやっぱりなんか違う未来もあったのかもなみたいなことは思っちゃうし、だったら今からでもやったほうがいいんじゃないかなって思ったりも。
それはすごい、自分は後者派でやるべきだと思う派ですね。違う未来、なんか妻とも最近話してたんですけど、来世はこれやるとかっていうのがわからなくて、来世あるかどうかわからんやみたいな。
だとしたら後悔するのって現世ですべて完結するから、今から大学に行きたいんだったら大学に行くべきだなって自分は思うし、自分の場合、族さんさんの場合大学に行くっていう選択肢が今悩みとしてあるんだってやっぱり行くべきだと思うタイプの人間なんですよね。
今もだから会社員やりながらフライング東京とアーティストインレジデンシーと応募させていただいたのは、もちろん会社員の話をさせていただいた上で応募もして受かったんですけど、
なんかそれも多分応募してなかったら後悔しただろうなと。
そうですね。
そういうのは常に後悔しない選択肢として、今生一度きりだっていう意思を持つようなしてますね。
いやーほんと、ほんと悩んでますね最近。
だからちょっと一丁前に本とか読んで考えたりしてみて、でもわかった気になるだけだなってやっぱ思っちゃうし。
わかります。
なんかわかった気になっただけで、それが本当に身になってるのかどうか確かめられない不安と戦わなきゃいけないし、
まあ大学行ったからといって何かが変わるかどうかはまあわかんないけども、
でもそういうことを一回やってみたほうが安心というか後悔がなくなるというか、
やんなかったことに対する後悔は絶対出てくるなって思うから。
そうですよね。
うん、行ったほうがいいかなって思っちゃったりもします、最近。
それもわかります。あと自分の場合は、いわゆるメディアアート的な、いわゆるメディアアートの世界だとSFCっていう大学だったかな、
KOだったかな、とかIAMASっていうところが有名なんですけど、そういうところは出てないんですよ。
そういうところは出てない中で、ある種美大卒みたいな感じでいると、
フライング東京ってどっちかっていうとライズマティックスって会社だったりとか、
今回採択された人たちも自分以外はSFCで、IAMASの出身だったり今在学中の子たちで、
メディアートといえばその2項だっていうことを思い知らされるんですよ。
ただこれって自分の後悔は、さっきの読者さんの話に戻ると自分の後悔もそうなんですけど、
周りの見え方も多分違うんだろうなと思ってて。
そうですね、そうですね。
写真をやっぱり大学で専攻してたっていう、その事実が醸し出す匂いっていうのも多分。
そうですね。
で、それに寄ってきてくれるようなものっていうのも必ずあるんだろうな。
そうですね。
本当なんか、仮に自分に何か、出すとこに出せば評価されるだけの何かが自分の中に眠っていたとしても、
出すとこに出す方法も分かんないし、
分かります。
出すとこに出すための接点もないし、
やっぱりなんかそういうのってちゃんとそういう世界に足踏み込んでいかないと、
その接点が生まれないというか、
SNSで運がよくバズったらもしかしたらね、
何もないところからサクセスストーリーみたいなことってゼロではないのかもしれないけど、
なんかそういうものを求めちゃうのはなんかやっぱ違うなって思うし、
そう考えると学業の方に行くしかないのかなって思っちゃうけど。
行かれます。
一方でやっぱすごいなって、多分ドクサスさんもその世代だと思うんですけど、
フラッシュ世代の人だって。
アーティストとしての葛藤
ベースドラムにいるものすごいフラッシャーの人も、
高卒って言ってたかな。
で、なんか高卒の傑作みたいなのもあったりとかする。
はいはい。
高専だったかな。
はい。
でもその、多分フラッシュとかやってる人って別に美大出身じゃない人もかなりいるじゃないですか。
そうですね。
デザインは別にやってないけど、フラッシュっていうのが出てきて、
その人もっと美容師だ。
もっと美容師でフラッシュやってるみたいな人で、化け物みたいな人とかも見ると、
なんかそのかっこよさみたいなのもある。
ありますね。
ありますね。
あります。
本当に。
やっぱ自分が好きな作家さんとかの中にも、
アカデミックな背景はないけど、今こうなってますみたいな人もやっぱ中にはいて、
かっこいいなーってやっぱ思っちゃうし、
なんかね、自分にはどうしてその才能がないんだろうってすごい思っちゃったりとかもするんすよね。
それもすごいわかります。
本当に最近だからすごい、やっぱ自分がなんだろうな、
アーティストとして成功したいっていうとこまではなんかまだ文不走歩というか、
それを描いてしまうにはちょっと自分がまだあまりに未熟だなって思っちゃいますけど、
でもなんか、
特にそのウェブジェルスクールみたいな教える側の立場である人間のその感覚で言うと、
やっぱできない、やらないっていうのは単なる諦めっていうか自分自身の問題なんですよね、常に。
諦めずにやり続ける人だけが成功していく感じだなってやっぱ見てて思うから。
なるほど。
やっぱそのスクールっていうすごい狭いスコープで見ても、
わかんないなりにずっと頑張る人も中にはいて、
そのスクール終わった後もツイッターとかで見てて、
まだ地道にやってんだなって思う人とかってやっぱ中にはいるし、
なんかそういう人たちがやっぱ成功していくんだなって思うんですよね。
続けてってる人。
そうそうですね、継続して。
で、たぶんその継続する理由は人それぞれだと思うんですよ。
なんか仕事だからしょうがなくな人もいるかもしれないし、
好きだから誰に頼まれるわけでもなく自然とやってしまうみたいな人もいるのかもしれないし、
でもやっぱなんか続けてる人は変わっていくんだなって、
すごい毎日毎日少しずつ変化していくんだなっていうのは見てて感じるから。
なるほど。
だからなんか自分は結構皮肉でよく自分に対して言っちゃうんですけど、
その続けることぐらいしか得意がないというか、続けるのは得意なんですよね結構。
自分もそうです。
だからもう写真もわかんなくても毎日カメラ持って散歩出て行って、
わかんなくてもたくさんとにかく撮ってきて、
何も成長した実感なくても何かが起こってると信じてやり続けるしかないのかなって思ってるんですけど。
自分もそれです。
自分はそもそもバックンとか世代近い彼らを見て、
20代の時に作った作品がものすごいじゃないですか。
ああいうのにやっぱり打ちのめされた、同世代にも他にも千屋陽介ってさっき名前出した映像作家とかもすごい子たちがいて、
そういうのを見て打ちのめされて、
自分の中で至ったら60、70まで続けられたら彼らは続けてないかもしれないぐらいの。
俺はとりあえず続けるぞっていうところだけで頑張るしかないなとは思いましたね。
いやわかります。やっぱり続けることだけはできるから。
わかりますね。
そこは負けないかもなというか、アドバンテージなのかもなと思ってはいるんですけどね。
本当写真とかってやっぱり、映像とかインスタレーションとかコンピューターグラフィックスもそうだと思いますけど、
こうなっていれば100点ってないっていうか。
まあそうですよね。
無限に解釈の仕様があるし、そこが面白い部分でもあると思うし。
だから写真は本当にずっとわかんなくても続けていきたいし、
自分なりの表現みたいなものもやっぱり探し続けていきたいなっていう気にはなってるんですけどね。
あとその軌跡が多分面白いんでしょうね。
その葛藤も含めて、どんな葛藤をしてどういう写真に至っていくのかみたいな。
その流れはすごい面白いだろうなって。
そうですね。
いやーなんか本当に、だから俺の中では中田さんってやっぱりポートフォリオとか拝見してもめっちゃ作品もあるし、
経歴もすごいなんか、もうなんか目ん玉飛び出るようなのいっぱい書いてあるから、
完全にアーティスト寄りのすごい、どちらかというと俺の中では割と完成されたアーティストサイドの人なのかなってずっと思ってたんですけど。
いやあれですね、全くそんなんじゃなくて、むしろなんかたまたま、なんかちょっと変なんですよ。
海外で育っただったりとか、要素に不思議ちゃんじゃないですけど、そういう要素が付随してるんで、
あと英語が喋れるとか、なんかそういうちっちゃな自分の能力によってたまたますごい人たちの周りにさせていただく機会が多くて、
今ベースラムにいるのもそうなんですけど、世界っていうところもそうですし。
なんかその中でたまたまいろいろやらせていただく機会があったんですけど、
自分のポートフォルメを見返して思うのが、果たして俺は何ができるんだっていうところで言うと、やっぱみんなに負けてるんですよ。
映像がすごい人とか、モーショングラフィックスすごい人、デザインがすごい人みたいな人たちに囲まれてる中で、
テックわかるけど、テックわかるけどさみたいな。映像も多少わかるけど、この人より映像できるわけじゃないし、この人よりテックできるわけじゃないしみたいなところで、
必ずしも作品がめちゃくちゃすごいっていう、バックみたいに映像作品として素晴らしいものを出せてるわけでもないんで、
成功への道
すげえ中途半端だなっていう悩みがずっとありますね。
ただ、その中ですごい映像が作れる人間、すごいテックがわかる人間、テクニカルディレクターとしてめちゃくちゃ活躍できる人間になるイメージは全く湧かないんで、
だとすると、いい加減ちゃんと作品を作る人として作品を作り続けて、なんかその中で認めてもらえるような存在にならないといけないなっていうのが今の一番でかい葛藤かもしれないですね。
いや、なんかそうっすね。今日の話めっちゃ面白いっすね。
いや、なんか答えないじゃないですか。
完成されたい。
すげえ面白いな。だから、この1時間ちょっと中田さんと喋った中での短いやりとりの中でもやっぱりいろんなことわかってきたし、
すごいそういうわかったつもりになっているだけかもしれないけど、いろいろわかった上で、あ、だから今作品作りなんだっていうところにもやっぱり納得できるというか。
確かに。
すごいわかるような気がします、気持ちが。
嬉しいっすね。こうやって雑談形式じゃないですけど、インタビューとかもちまったん時々受けることがあるんですけど、インタビューだと結構海外在住みたいなところが目立ちすぎちゃって、
あとVVVってよくわかんないツール作ってますみたいなところが目立ちすぎて、こういうパーソナルの話をなかなかする機会ってなくて、
なんか今日みたいにこういう形でお話できると、多分人間的な部分で言うとまじでしょうもないことしか言えないんですけど、その葛藤の中で普段生きてることの方が自分にとっては重要だったりするんで、
嬉しいですね、そういう話。
いやーめっちゃ今日の話いいなと思って聞いてたし、なんかすごいやっぱなんだろうな、シンパシー感じる部分もあるし、
なんか一筋縄ではいかない難しさもなんか想像がちょっとできるという部分もあるし、
いやほんとなんかインタビューっていうよりはなんかこう、これもあのノーマライズFMで結構ゲストの皆さんに言ってるんですけど、
ほんと居酒屋でたまたま隣の席だったぐらいの感じで喋りたいって結構伝えたりすることあるんですけど、
なんかそういう温度感で出てくる話題とか言葉って、ちょっといわゆるその雑誌に載るようなインタビューとはちょっと違いますよねやっぱり。
あとドクサスさんがすごい良い声してるから、喋ってて心地よくペラペラペラペラお酒飲んでなくて、
まあ自分はお酒飲めないんですけどお酒飲んでなくても喋れちゃうっていうのもデカいですね。
声の良さは聞いててもすごい、いやあるじゃないですかなんかそのラジオ聞いてても、
なんか耳にしっくりこない音っていうのと、なんかすごい自然に聞ける音っていうのは多分あって、
ドクサスさんの声はすごく聞き取りやすいな、ですごい落ち着くなっていうのはノーマライズで聞きながら、いつも思ってました。
ありがとうございます。ありがとうございます。
なんか今日は本当俺、俺自身が最近そのちょっとアート寄りとかのとこにちょっと自分の足が、軸足が映ってるようなとこあったんで、
本当にいろんな話、どの話題も面白かったし、
なんかちょっとやっぱ難しいじゃないですか、その自己顕示欲との折り合いのつけ方とかもやっぱ難しいじゃないですか。
結構どこまで出していいんかな、その作品で語るべきなのか、
なんか出すべきなのか出さざるべきなのかとか結構バランス取るの難しかったりもするし、
なんかこういう雑談のトーンで普通にお互いひけらかせるのってすごい良いですよね。
良いですね。
すごい良いなって思う。
初対面の人に突然作品での悩みとかさっきのパーソナルの話とかしたところで、なんじゃこいつとしか普通にならないですからね。
そうですね、そうですね。
でも良いですね。じゃあまぁ、ちょっと直近の話にいきなり話題戻しちゃうんですけど、
今はじゃあその音楽の理論だったり技術的な部分も含めて色々勉強して、
作品として作るものが出るとしたら来年とかになるんですか、その制作してるもの。
そうですね、今少なくともフライング東京においては自分はオーディオビジュアルをやるっていうところで、
映像は作れるんで、映像作れるっていうかリアルタイム映像はいくらでも作れるんで、
それと音をちゃんと組み合わせたものを作りたいっていうところで、
どっかのタイミングでそういうのをパフォーマンスする機会を自分で作るのか、
事務局側に用意していただくのか、あるいは個展をするのか、あるいはアーカイブとして何かしら出すのか、
ちょっとまだそこの形は明確に分かってないんですけど、
多分何かしらの形で発信、そういうことはしていくんじゃないかなっていうふうには思っています。
っていう感じですかね。
それもやってみたらいろいろ見えてくる部分がきっとあるんでしょうね。
そうですね、特に自分の場合、作家として一番認知された作品っていうのが実は過去にあって、
Human Electroっていうビートボクサーと一緒にやったSigmaっていう作品があるんですよ。
曲げセンサーとか使って、自作のグローブ使ってビートボクサーの体にセンサーつけて、
それでパフォーマンスをするっていう作品を本当に14年ぐらい前に作らせていただいて、
それが結構な人たちに見ていただけた作品だったりとかして、
多分22とか23の時に作ったやつかな。
なんかそれが結構自分の中で結構、今にして思うと作品として一番多分いろんな人に見てもらえて、
かつ自分もすごい楽しかったというか、やってよかったなと思えた作品で、
いろんな機会につながったんですけど、
それを超えるような作品をいい加減作らなきゃいけないなっていうのが最近考えてることで、
そういう意味ではもしかしたらアーカイブって形でとりあえずそういう作品を3つ出してみるとか、
未来の展望
そういう形にまとまる可能性も全然あるなとは思ってて、
ただどの可能性、多分オーディオビジュアルのライブをやるっていうのも大事なことだし、
アーカイブを撮るっていうのも大事だし、
あるいはジェネ作品だけに特化した個展をやるっていうのも多分やるべきことだし、
ただ果たしてこれ全部できるのかみたいな悩みも当然あるんですけど、
できることはなるべくこの期間中にやりたいなって個人的には思ってるっていう感じですかね。
なるほど。いいっすね。すごいなんか楽しみになってきました。
なんかあんまりハードル上げるのもあれかなと思うんですけど、
なんかちょっと目が離せない感じになんか気持ち的にはなってきますね。
是非、でも個展とかやることになったら是非見に来ていただきたいなって。
そうっすよね。
なんか私も、ちょっとまた急に私の話しちゃうんですけど、
写真のショーに関連して1点だけなんですけど、京都のKGプラスっていうイベントで、
それの隣で行かれてたんですか。
そうそう。それで1枚だけ展示されるっていうのがあって、あったんすよね。
やっぱりなんか、展示されるってすごいなと思って。
なんか場所、空間、占有してるわけじゃないけど何かしらの空間に存在して実在していて、
不特定多数の人がそれを見て何かを感じるかもしれない。
もしかしたらバータフライエフェクトみたいな感じで、世界に何か影響を与えるのかもしれないって思ったときの、
いやそれはSNSでもそれこそバータフライエフェクトみたいなことは日々起こってはいるんでしょうけど、
それとは違う手応えというか、自分の中で新しい発見ではあったんすよね。
わかりますわかります。
展示されてる感じっていうのが。
実際そこにわざわざ京都まで、東京からわざわざ京都まで行って、
本当にA4ぐらいの大きさのちっちゃいのが壁にかかってるだけなんですよ。
たくさんある中の一つとして。
でもなんかやっぱそれ見たときに、すげえなって思ったし、
こういう世界でこういう達成感もっと味わいてえなっていう。
わかります。
感じはしたんすよ。
作家として扱われる空気感みたいなのもあるじゃないですか。
そういうのやっぱ感じてみたいって思いました。
わかりますね。
それはすごいわかります。
それがたとえ自分でディレクションした空間だとしても、
人に直に見てもらうことで得られるインタラクションとかって、
やっぱ全然違うものがあるじゃないですか。
なんかあれのリッチさというか、SNSもSNSでもちろん面白いし、
全然届くはずのなかった人たちに届くっていうわけのわからないエフェクトは、
あれはあれで面白いなと思うんですけど。
物理空間で起きる、なんでこの人こんなとこに舞い込んでこの展示見に来てるんだろうとか。
そうですね。
そういうのも含めて。
なんか考える、何なんですかね。
この間それこそベースラムで事務所で展示したときもすごい感じたのが、
なんかすごい贅沢な時間じゃないですか展示って。
そうですね。
その場に自分はいるけどもて余してる感じとか。
でもいろんな人が見てくれてるのを見ながら、
でもこういうことしたらよかったかなとか。
こうしたらもっと面白いの作れるかもなとか。
そういうことも考えられる時間も含めてすごい贅沢な時間ですよね。
物理的な展示の。
アート展と自分の考え方
そうですね。
本当なんか、本当最近そういうことにすごい興味があるというか。
考えるの楽しいですね。
やっぱ自分が触れてこなかったからなんだろうなとは思うんですけどね。
もう全く知らない世界に入ってってるから、すごい新鮮っていうのもあるんだと思うんですけど。
なんか昨日もちょっとあるアート展見に行ってたんですけど、
どういうふうに見たらいいかわかんないですよ、初心者すぎて。
その展示されているものをどう自分で紹介したらいいのかわかんないっていうか。
だからもうじっくり見て。
わかんないなりにじっくり見て。
途中からわかんないからもう写真撮ろうと思って。
写真撮っていいアート展だったんで。
もういっそみんなの写真、
というかみんなの作品を勝手に写真撮っちゃうことを楽しんじゃえって途中から思い始めて。
写真パシャパシャ撮って楽しいなって。
いつものノリの延長線上で楽しめた感じになっちゃったんですけど。
でもやっぱなんか、
すごい、ほんと贅沢ですよね。
場所使って時間使って、人の時間奪って、
なんか考えさせたりして。
逆に自分で実際に京都で展示を経て、
展覧会に行ったらどう見られたいかわかるようになってたりとかするんですか?
そうっすね、だからなんか、
私が京都で展示していただいたやつは、
もう完全に運営の側の人たちが勝手に全部やってくれるっていう感じだったんで、
自分でその展示のされ方とか決めないし、
グループで何人かがまとめてドンって展示されるみたいな感じだったんで、
そういうこと考えたりはしなかったんですけど、
でもなんかやっぱり、今はそのアート展とか見ていて、
なんでこういう配置になっているのかなとか、
なんでこういう音が聞こえる状態になっているのかなとか、
なんかここだけ影落ちないようになっているのは何でなんだろうなとか、
やっぱりいろいろ考えちゃうんですよね、見ていて。
わかんないなりになんですけど。
わかんないなりにやっぱ考えちゃうし、
どっかで自分が同じようなことをやるとしたらどう見せるのが効果的なんだろうっていう風に、
学ぶ目で見ている瞬間みたいなのも自分で認識できるというか、
なんか本当に何でしょうね、
やっぱり空間使って何かを見せるって本当にすっげー難しいことなんだって感じます、やっぱり。
教育と人に見られることの意味
やっぱり自分知らない世界だなって本当。
自分は多分興味の源泉として、モーターショーとかの中で、
やっぱり空間を使って見せるみたいな奥深さには多分ハマったタイプの人間で、
モーターショーとかいってもやっぱり基本同じようなLEDスクリーン使って、
もちろんいろんなところがすげーかっこいい造作作ってるんですけど、
フォーマット化してるのもったいねえなみたいなフラストレーションがずっとあった。
さっき言ってた多分インスタレーション作りたいみたいな、
プロダクトもできるようになりたいみたいな話につながっていくのかなっていうふうには思うんですけど。
一方でさっきの話に戻ると自分はあれなんですよ、
基本的な考え方としては国民全員というか人類全員展示を一回やるべきだと思ってて。
話はかなり飛ぶんですけど。
いやいやいいと思います。
なんかその展示の見方がわからないとかっていうのは多分当たり前の感覚だと思っていて、
自分もどの目線で今この話してるんだって話なんですけど、
なんかその、やってみることに見えてるところ来ることってやっぱあるじゃないですか、
その快感だったりとか、
なんか言われたくない言葉っていうのも多分わかるようになってきたりだったり、
含めて、なんかみんな学生時代とかに一度でもいいから展示をすることで、
結局どんなものであれ人に見られるものなんですよ。
作品であれウェブであれ、人に見られることが前提として我々はものを作るので、
なんかその人に見られるっていうのがどういうことなのかみたいなのは、
なんかもうみんな、多分それこそ会社で勤めてサラリーマン仕事してても、
多分食品がどこかに届くっていう流通の部分をやってるだけでも、
結果的には人に見られるってことに絶対関わってくるんで、
なんか全員展示を一度でいいからやって、
なんかそれを通して自分がどう見られるのか、どう見られたら嫌でいいのかみたいなことを学ぶべきなんじゃないかなっていう、
すごい変な話に飛んじゃいましたけど。
いやいやいや、めっちゃ面白いと思います。
めっちゃ面白いと思います。
なんか、いやほんとそうです。
おっしゃってる内容はもしかしたら人によって暴論に聞こえるのかもしれないけど、
俺はすごいわかりますね。
だって考えたことないっすもんね。
本来考えないですもんね、人に見られるとか。
社会と自分がどう関わりたいかってことじゃないですか。
展示をするって多分。
まあそれは一側面をちょっと強調しすぎた言い方になっちゃってるかもしれないですけど、
どう見られたいか、どう関わっていきたいかみたいなことがやっぱり展示として現れてくると思うんで、
それこそね、ほんとにそういうこと一度もやったことない人にやってみたらって、
そこで得られるものたくさんあるよっていうのはわかるんですよね、おっしゃってることは。
私は多分そこら辺をずっとやらずにこの年まで来ちゃったんで、
今になっていい感じに興味がシンクロしてくれたおかげで、
やりたいなって思えるようになってるんですけどね。
自分がだからもし小学校の先生とかになったら多分みんな何でもいい、
体操着でも靴でも何でもいいから廊下に飾ってって多分言うと思ってて。
なんか別に美術館である必要もきっとなくて、大工館でもどこでもいいから、
で自分のTシャツでも靴でも鉛筆でも何でもいいから、
なんか飾るっていう行為を通じて人が物を見る視点って変わると思ってて絶対に。
それを一度でいいから体験しとくべきだな。
なんかちょっと今急に思っちゃったんですけど、
中田さんは多分部屋の模様替えとかもそれに近い感覚なんじゃないですか。
なんか表現的なものではないですか。
なんかちょっとでも違うのかな。
でもそれは近いかもしれないです。
海外で育ったっていうのも多分あって、海外で育った知り合いとかと話をするとこの話は若干シンクロするんですけど、
結構人を家に招くのが当たり前な文化で育ったんで、
基本見られる前提で部屋を作ってるんですよ。
誰をいつでも呼べるように常に部屋の状態をしてるっていうのはあるかもしれない。
そういう意味では見られる前提かもしれないですね。
ただうちの場合リビングに支配してる妻は人を入れない環境で育ったんで、
自分の部屋にたどり着くためにはリビングを通らなきゃいけない。
一生誰もこの部屋に入ることないんですけど。
いやー面白いな。面白いですね。なるほど。
全然話変わるんですけど、個人的な興味で質問させていただいてもいいですか。
いいですよ、全然。
スクールについてちょっと聞いてみたくて。
さっきも教えてる子たちの中で伸びる子たちは長いこと続けてる子たちだって話が出たと思うんですけど、
孫さんについて自分はちゃんとスクールについて理解が全くないんで、
すごい基本的な質問、リスナーさんもしかしたらすでに知ってる人たちしかいないとは思うんですけど、
あれって何年も何十年も続けられてるんですよね。
あれは11年とかですかね。
長い。すごいですね。
年一って感じですけどね。
ワンクォーターとかでもう1年間ずっとやってるわけじゃないんですよね。
じゃなくって各週で配信で4時間ないしは5時間ぐらいの配信を。
すげー。
各週で8回とかやる感じですね。
じゃあ前期ぐらいか。大学でいうとワンクォーターぐらいか。
話してる講義の時間で言えば4,5時間かける8回とかなんで30時間とか。
ん?30時間?
40時間ぐらいかな、それぐらいですかね。
最初からずっとリモートというかオンラインでやってるんですか。
最初はオフラインで場所を借りて実際に来てもらってっていうふうにやってたんですけど、
パンデミックのタイミングですね。そこでリモートに切り替えてっていう感じなんですけど、
結果的にリモートにしたことによって全国どこからでも受講できるっていう感じなんで。
すごいなと思ってて、すいません、これ多分今すごい基本的な質問しかしてないんで、
聞いてる人たち、マジお前調べてこういうレベルかもしれないですけど、
何が聞きたかったかというか、個人的な興味としては、
大学、京都の大学出身、卒業してないですけど、京都生化大学というところで、
4年、5年ぐらい教えてたんですよ。映像演出を。
さっき名前も出てた千昧洋介っていう映像作家と2人で、
自分は映像演出、LEDバーを使った演出だったりだとか、
プロジェクションマッピングを実際映像も含めてやってみるとか、映像をメインとした授業なんですけど、
それをどう人に見てもらうのかみたいなこととか、
実空間の光に変換したときに見え方が変わるんで、
それを体験してもらうことも含めて、授業としてやってたんですね。
その中で、人に教えるっていうのが個人的には結構面白いというか、
そこを出て活躍してること、続かなかったこと、
キャリアがどんどん変わっていく、本当にいろんな種類の人たちがいて、
それを追っていくのも個人的には面白かったっていう意味で、
先ほどおっしゃってた、続いてる子たちの話はすごい面白いなと思いながら聞いてて。
今も自分もVVVVのチュートリアルっていうのをYouTubeで時々やってたりとかするのも、
教えることの楽しさ
やっぱりそこの人に教える面白さだったりとか、
カルチャーが続いていく。
多分教えることで、それこそこのPodcastに出てきてる方々の中でも、
実際スクール出身者っていう方でめちゃくちゃ活躍してる人いっぱいいるじゃないですか。
それとか聞くと、すごい世の中に貢献してるじゃないですけど、
すごいなって聞いてて思ってて、
その辺の動機だったりだったりとか、
このラジオもそうですけど、モチベーションってどういうところから来てるのかなみたいなところをちょっと聞いてみたかった。
この話結構割と折に振れ話してることでもありますし、
よく聞かれることでもあるんですけど、
私は結構、ちょっとこれどういう解像度で喋るかっていうのは難しいところなんですけど、
なんか表層的なことで言うと、やっぱり自分自身の売名というか、
プロモーションみたいな部分もゼロではないし、
スクールで言えば売り上げも立つんで、そういう意味では、
それを事業の主軸としてやってるわけではないにしても、
売り上げは立つんで、そういう意味ではビジネス的な部分でやってる部分もゼロではないんですよ。
ただそれは、表層的にはそうなんですけど、
じゃあその一番最初の動機というか、なぜそれをやり続けるのかっていうところで言うと、
結構私は人に奉仕したり、人に喜んでもらえているっていうことを自分が自分で認識できないと、
モチベーションが保てないタイプなんですね、自分自身のメンタリティというか。
自分が映像からインタラクションに行った理由とちょっと近いですね。
そうかもしれないですね。結構私はやっぱり自分が誰かの役に立ってるって思えないと、
嫌になっちゃうタイプだったりもするんで、
だから結構、自分が割を食わされてる方が燃えるというか、
何の役に立ってるかわかんないけど、でも人は喜んでくれてるっていうのがわかったときのギャップというか。
そういうことか、なるほど。
なんて言うんですかね、WebGL総本山っていうウェブサイトがあって、あそこも10年とか更新し続けてるんですよね。
それでじゃあ何が生まれたんだっていうのを考えると、正直わかんないし、
売上なんてほとんど立ってもいないわけですよね。
あのサイトから直接売上が立ったこともない。
でもなんかあれ、やっぱり喜んでくれる人もいるし、
ノーマライズFMとかもそうですね、すごいみんないいって言ってくれるし、
すごいなんかやっぱり人の役に立ってんなって思えれば、意外となんか報酬ゼロでもやれちゃうようなとこがあって。
いやーすごいなー、なるほど。
なんかその人の役に立ってんなーが一番嬉しいっていうか、自分が求めているものだったりもするんですよ。
なんか自分がすごい割りくわされてて大変な思いしてるんだけど、
でもそれを戦略的に見せてる瞬間もないとは言い切れないというか、
俺こんなに頑張ってますよ、無償で頑張ってますよっていうことを、
なんか戦略的に見せてる部分ゼロかって言われるとそんなことないのかもしれなくて、
だからなんか人に喜んでもらってる、そのことが自分を喜ばせるからやるって感じかもしれない。
WebGLコミュニティの重要性
すごいですね。
いやなんか単純にその大化だったりとか、人育てることが目的なんだとすれば、大学で工業を持つなり、
多分方法っていくらでも存在したはずじゃないですか。
あえて自分で運営から全部やって、工技も考えてやってるって、すごい自らだけが。
授業を過去にやったことある人間としてカルキュラムを組むことがどれだけ大変かだったりだとか、
技術もアップデートされていくじゃないですか。
それに追いつきながら教えるレベルなのか本当に自分はみたいな葛藤の中でやっていくわけじゃないですか。
全然割に合わんぞみたいな。
なんでこの人はこれを続けられてるんだろうみたいな。
そうですね。
このポッドキャストにまで出てくれた卒業生の、多分お名前を知ってる人も何人か、直面しかなくても追っかけてる人たちの人間性とかを、
多少SNSとか通じてかいつまんで把握してると、別にそんなみんなありがとうありがとうって言ってくるタイプの人間ばっかりじゃないじゃないですか。
多分一人もそういう人いないと思うんで。
感謝もめちゃくちゃ刺されるわけでもないけど続けてるっていうのが単純にすごいなと思って。
すごいメタ的な視点で見ると、やっぱり人のためと言いながら自分が気持ちいいからやってるってメタ的には思っちゃうんで。
人のために頑張ってるんだけど結局それって自分が気持ちよくなるためじゃんって言われちゃうと否定できないというか、
その通りだなと思っちゃうから難しいんですけどね。
でも人に教える重要性みたいなのを個人的には感じてきたタイプの人間で、やっぱりVVVなんかわかりやすくて、コミュニティがない結果ユーザーがいない。
逆に一時期コミュニティがあったときはユーザーがそれなりに増えて、そういう人たちが何社か入ってくれたんですけど、
最近バージョンアップデートとかもあって致命的に誰もわかんない状態からリスタートになって誰もいなかったんですけど。
そういうのもあります。実際自分が教えてきた映像演出みたいなことを教えた子たちがその後映像の業界に行って、
そこで学んだことを活かしてくれたりとかいうのを聞いたりとかすると教えてよかったなっていうふうに思うし。
でも大学で教えるって多分独卒さんがやられてるフォーマットよりはあるし報酬とあれがわかりやすいんですよ。
お金をもらって大学に決まった時間行って、こっちはあるし呼ばれた側だからあるし文句も言うじゃないですけど、
ちゃんとこれ用意しといてよみたいなスタンスでいけちゃうわけじゃないですか。
でも自分でやるとそういうことも一切できない状態で、もう自己責任でみたいな環境ででも続けて人に教えてる。
いやでもわかんないです。欲張りなのかもしれないな。
なんか今話聞いてて思ったんですけど、全部自分だけのおかげにしたいのかも。
なんか聞いてて思っちゃったんですけど、その仕組みを使わずに自分でやるのは、
よかったですっていう他人の言葉を全部100%自分が受け取りたいっていう強欲なのかもしれない。
学校のおかげとか、学校を運営しているその他の誰かのおかげとかじゃなくて、
俺だけが感謝の対象になっているっていうことに気持ちよさを感じてるのかもしれない。
だからなんかそれこそスタッフお願いしてとかできるはずじゃないですか。
そうっすよね。
できるはずなのに何でも自分一人でやろうとするのって、
そういう欲張りな気持ちがそうさせてるのかもってちょっと思っちゃいましたね。
確かにでもそれは会社員向いての話にも自分の場合は近いかもしれないですね。
俺もそうだと思います。だから結局、組織に所属することはできるし、
最低限の社会人としてのことは全然できるけど、なんやかんやあって今結局一人で法人の代表していて、
フリーランスとして生活していて、
それってやっぱりできるけど負担って感じてるから、やらないに越したことはないから、
何でもやっぱり自分の自由にしたいみたいな欲求の方が勝っちゃうというか。
でもわかりますね。自分が作ったものが会社の功績みたいになってるのを受け入れられる人がすごいなってやっぱ思っちゃう。
人間の自分のポートフォルエに載せたいって思っちゃうんですけど。
本当だからそういう意味ではちょっと似たとこもあるのかもしれないですね。
憧れてるというか、VVVVのYouTubeで配信をしてるんですけど、
理想としてはそれこそワークショップ開いたりだとか、
細かいチュートリアルをGIF動画に切り取ってやったりとか、
そういう教育方面にちゃんと向きたいなみたいな思う瞬間結構あるんですよ。
散々作家的にやりたいとか言ってる中で、
作家とその教育的な側面とどっちに行きたいんだろうって悩む瞬間も自分の中で時々あって、
コミュニティ普及だったりとかそういうこと。
というのは独卒さんは結構やられてるんで、
どうやってバランスとってるのかなとか、どういうスタンスでやってるのかなとか、
興味があってご質問したんですけど、思ってたよりもストイックだった。
そうかもしれないです。結局WebGLに対してやってることって多分似ているというか、
WebGLを伝える日本語で普及する人がいなかったら、
今の日本ってちょっと違う感じになってたかもしれなくて、
海外ではもうWebGL使ったウェブサイトバキバキなサイトいっぱいあるけど、
日本はそんなに得意じゃないみたいなことがもしかしたら起こってたのかもしれなくて、
それちょっと自分ではわかんないですけどね。
私がいたことによって一体どんだけ日本のWebGL界が変わったのかって、
ちょっと自分ではわかんないですけど、でもそういう未来もあったかもしれなくて。
だからなんか、すごい献身的にやってきたとは思います、多分。
感謝と自己実現の葛藤
見返りのためにやるだったらできなかったと思いますね。
なるほど、逆にそうか。
見返り求めてやってたら多分できなかったと思うんですよね。
そのWebGL好きだな、WebGLもっとこんな可能性あるのに、
俺一人じゃこの可能性全部開花させられないよ、頼むよ、みんなやってくれよっていう気持ちなんですね。
愛情だ。
だからWebGL総本山も、世界にこんなにWebGLのすごい事例あるよ、
みんな知っといたほうが絶対いいよって思っちゃうから、書くし。
なるほどね。
ノーマライズFMも似てるんですよ。
この世の中にこんなすごい人いっぱいいんぞ、
俺はすごいその人たちと喋りたい、楽しく喋りたい、
せっかく喋るんだったらお裾分けしたいみたいな、
そういう感じなんですよね、やっぱり。
実行力がすごいな、そうなると。
なるほどね。
そういう感じなんですよね。
なるほど。
だからなんかやっぱちょっと変な人だなって思いますよ、
自分を自分で客観的に見た時に、
なんかあんまり同じような感じの人って見ないなというか。
でもすごいなんか共感する部分はすごいあって、
自分の場合VVVも散々言われるんですよ。
なんでタッチデザイナーやらないの?
誰も使ってないでしょって言われるんですよ。
まだVVV使ってる人だって言われるんですよ。
俺はVVVのコミュニティも含めてすごい好きなんですよね。
VVV、タッチデザイナーなんか使ってたら置いてかれんぞ
ぐらいのテンションでやってるんで、
大したビジュアル作れへんやみたいな。
やばい、タッチデザイナーユーザーがこの。
いやいやいや。
でもそれぐらいのやっぱ着替えは必要ですよ、きっと。
その着替えがすごい共感する部分だなって思ってて。
だからみんな使ってないけど、ヨーロッパ見たら
すげえかっこいいインスタレーション。
それこそレフィック・アナドルっていう有名なアーティストなんて
VVVで作ってるやんみたいな。
ほんまにそれでええんかみたいな気持ちに
常々言いながら、俺は好きだってVVVを触り続けてるんですよ。
みんなは知らないだけだよ。
一人になっても大丈夫って。
ただ一方で、どこかで仲間が欲しいみたいな感覚も当然あって。
案件でVVV使ったときに、そもそもVVVバックアップがいないから
実装は任せられないみたいなのがあったりするんで
どうにかしたいなとは思うところでもあったりするんで
独卒さんがやられてるこれらのことはすごく参考になるなって思いながらも
自分にそこまで狂気的な行動力はあるだろうかっていう。
そうですね。
だからこれどっかの回で言ったんですけど
見返り求めてないというか
何かをあてにしてやってないんですよ、常に。
どんな時でも。
ノーマライズFM、バズってめっちゃ自分が有名になってみたいなこととか考えてない。
楽しく喋りたいなって。
せっかく喋るんだったらちょっと収録しちゃおうかなみたいな。
ある種そこってさっきの写真の話と若干違うじゃないですか。
そこも面白いですね。
人間性としてはそこの部分は持ってるはずだけど
この辺のスクールだったりとかにはそこが適用されてない。
多分何かもう一定超えちゃって
中田さんが今は音だなって一つ超えて次のステージに行ったのと一緒で
WebGLの始まり
写真ってやっぱりまだ俺の中であまりにも未知な部分が広すぎるから
結果が欲しいって思っちゃうんですけど
なんかそのWebGLとかっていう文脈では
なんかもうその欲求は満たされてるんですよねきっと。
なるほど。
一番最初にそれこそ10年以上前とかに
初めてWebGLやり始めて
自分は何者でもなくて
世の中にはどういうふうにも認知されてなかった頃って多分
俺ってこんなすごいことできるよ
みんなもっと俺のことを見てくれっていう感情多分もっと今より強かったんですけど
今はもうそういうところは
WebGLという文脈ではもう終わっていて
多分今はもっと何か開放された状態になってんだと思うんですよ。
教育と熱意
でも始められた時ってどういうテンションの時だったんですか?
まだ始めた時は
いやー小児欲求普通にあったと思いますね。
やっぱりその日本語で検索して何も出てこない
これブルーオーシャンだなぁみたいな感覚もあったし最初に
英語の文献しか見つからないから
自分自身が困ってたっていうのもあったんですよ。
やりたいなと思っても
全部英語の記事しか出てこないじゃんみたいな感じで
だったらもう自分が勉強して
日本語を書けば役に立つかもなぁみたいな感じで
でもそこには半分ぐらい
半分までいかないけどやっぱり
今なら自分が一番なれるかもみたいな感情もあったし
これだけブルーオーシャンなんだったら
今始めたら始めたもん勝ちかもしれないなっていう感覚はあったし
その時って元から文章を書いてたとかそういうバックグラウンドあったんですか?
いやーまぁでも作文得意だなぁぐらいの感じですね。
その小学校の時から国語作文得意だったなぁぐらいの感じで
そんなになんか頑張ってライティングの勉強したりとかはしてない
なるほど
ですけど
なんかその頃ってなんかそんなことより
WebGLとりあえずみたいなテンションにならずに
スクールを始めたり
操作を始めたり記事を書くのを始めたりするに
なんで向くんだろうっていう
いやでもそれは多分俺の中で
それだけが一番こう
バリを発揮できるっていう感覚はあったと思いますね
その社会人としてずっとやってきた中で
教わる側として座っていることよりも
教える側として上司側に立っている時の方が
バリを発揮できてるなとかっていう感覚はあって
でその団地育ちだから
近所のガキどもを集めて
お兄さんが面倒を見る
のお兄さんポジションだったんですよね
それがルーツだなるほど
だからなんかやっぱちびっ子たちってもう規則に
不足の事態を起こし続けるわけですけど
それをやっぱ俯瞰で見て全体を把握して
事件が起こらないように
管理しなきゃいけなくて
多分そういうことがやっぱり
幼少期からいろいろある中で自分は多分
教えたり面倒を見たりする側なんだな
長男メンタリティーというか
いやーすごいなー
多分それは分かってたと思いますね
始めるにあたって
そっちの方がいいんだろうなっていうのは
日本はこういう人たちを大事にした方がいい
本当にすごいなるほど
素晴らしいですね
でもそういうのがあって
こういうのを始められて
いろんな人が自分も含めて聞いたり
学べてるような環境で
実際にすごい人たちを排出してる環境を
作れてるっていうのは
基本にあるのがエイリー目的とかじゃなくて
熱意だったりとか
ある種面倒見の良さって言葉で
片付けていいことではないと思うんですけど
でも近いと思いますそれに
結局周りが自分のおかげで
いい状態になってるっていうことが
嬉しいんですよね結局自分自身が
だから多分本当はスクールとかも
もっと授業料というか
代金とか本来だったら上げてもいいぐらい
労力かかってるはずなんですけど
ずっと末置きとかでやってたりするのは
エイリー目的っていう感じでもないんですよね
だからやっぱり
社会人が安すぎると
手軽にできすぎちゃうから
決意するためにちょっと一瞬考えるぐらいの
額にしてあるんですよ
今の額って言ったときの発音がちょっと
悪そうな感じもありましたけど
例えば3000円ぐらいとかだったら
ちょっと一回聞いてみるかな
でも二桁万円とかなんで
ちょっと一回やっぱ俺にとって
本当にこの金額払う価値あるのかなって
みんな考えると思うんですよその金額って
ただ払えないほど
すげー高額ってわけでもない
1ヶ月2ヶ月お小遣い我慢すりゃ払えるぐらいの
金額ぐらいの感じになってて
やっぱそこはそれで必要かなって思ってるんですよね
賢いなーなるほど
俺の方も3000円だったらやってみようかな
の人が100人200人来たときに
たぶん同じテンションでできないし
同じ質のものを出せないんですよねきっと
気持ち的にも
でも俺は10万払ってるんだ
なんか手書でも何かを得るぞっていう目の
力でみんながやってくるとしたら
それに対して答えることはできると思うんですよね
なるほど
今後の展望
なんか儲けようと思ったらもっと上げてもできるし
例えばですけど企業に新人研修WebGL研修やりませんか
そういうプランありますよみたいな営業とかしたって
別に本当は良かったかもしれないんだけど
なんかそこではないんですよね
俺がやりたいことって
VVVのチュートリアルYouTubeでやってると基本無料なんですよ
ニッチなんでほとんど海外の人たちが見てくれてるんですけど
もともとあれも自分の場合営利目的で始めてなくて
単純に自分が学んだことを記録したい
あわゆく発信できたらいいかなぐらいの感じで
自分は文章本当に書けないんで文字は全般死んでるんで
動画でしゃべるだったら得意だってなって
動画として記録を始めたんですよ
それにチュートリアルに一応なってるしチュートリアルって名前つけて
上げ始めたんですけど
自分の中でもともと営利目的じゃないっていうのもあって
コンスタントにもちろん続けられつつ辞めるときには
ただ辞めるだから3ヶ月ぐらいやって
来週も出すよって言ってから出さない
あるんですけど一方で自分の中で
見てくれてる人がある程度
物によっては1万再生
だいたい2千3千とかそんなに多くないんですけど
それでもVVVってワードでこれだけ見てくれてる人がいるんだ
問い合わせが大学とかから来て大学でこの授業が紹介されてるみたいな
動画が紹介されてる人は頑張らなきゃいけないのかもなと思うんですけど
一方でやっぱり無料だから
不思議な人たちもたくさん現れるし
自分の中で
動機はあるんでやりたいんですけど
今自分の中で続ける方法が
見出せてないみたいなずっと止めてて
その辺が今の根付けの話とかはすごい
なるほどなーってなるし
VVVを大学で教えたら教えたら
いろいろめんどくさいことにしかならないんで
教えたいのが自分でやるべきだなと思ってて
難しいっすよね
難しいと思います
俺は無邪気にやり続けてきちゃって
もう10年とか経っちゃったから
最近は口コミというか
あの人もWebGLスクール行ってたんだよね
目が強くなってきてるというか
バイアスがかかり始めてきてるというか
あの人もあの人もみんなWebGLスクール行ってたんだ
みたいな感じの
積み上がってきてしまってる
私の想像を超えて
評判いいらしいからいつか行きたいと思ってました
みたいな人が増えてきてるというか
最初は私という個人が
そのスター性でもって
カリスマ性なのかスター性なのか知名度なのかわからないですけど
そのWebGLの人っていう
ドクサスという人格が人を集めてたと思うんですけど
なんか最近はもうそのWebGLスクールが
独り立ちしているというか
一人で勝手にでかくなっていくというか
人を勝手に集客し始めている感じがあって
なんかやめるにやめられない感じになってきているというか
そういうとこあるかもしれないですね
辞めたいと思った瞬間ってあるんですか?
ないですけど
WebGLいつまで持つかなはずっと不安なんですよ
結局
VVVVとかもそうだと思うんですけど
いつまでこの技術使うんだっていうのあるじゃないですか
古くなる可能性もありますからね
古くなっちゃうとか
いつまでWebGLに
自分の時間を割くんだみたいなことを考えると
本当だったら今だったら
もうWebGPU勉強してみるとか
なんか違うツールとか違うライブラリー勉強してみるとか
した方がいいのかもしれないなっていう
不安は常にあるんですよね
ただまあとはいえ
やっぱWebGLを専門にしてきた人間として
今はまだ死なないし
WebGLは専門的な目で見たときに
今すぐ死なないし
結局WebGPUみたいな新しいAPIが
全く気にせず使えるようなフェーズって
やっぱ4,5年先だと思って
そう考えるとやっぱWebGLスクールは
今の時点でまだ価値あるのかなって思うし
そんな感じで
そんな感じで知名度も上がってきて
なんか続けられちゃってるって感じですけどね
サボりたいと思った瞬間じゃないんですか?
いや
他のこと削りたくなります
WebGLスクールとか
例えばこのノーマライズFMとかに集中したい
だから受託をやりたくないっていう気持ちになります
生活していくためのお金を稼いで
生活していくためのお金を稼がなきゃいけない
受託で開発の仕事を受けることで
売り上げが立ち
それによって生活ができるっていう形なんで
ノーマライズFMもそうだし
写真とかそういうアーティスト的なことを
やっていきたいなとかっていう気持ちとか
そういうものが大きくなればなるほど
開発の仕事やってる場合じゃねえんだよな
という気持ちになってくるし
スクールは削りたい対象というよりは続けたい対象
エリアに入っていて
できることなら受託仕事をやりたくないというか
開発してる場合じゃねえっていう風に思っちゃうことが
多いですね最近は
でも分かるな自分も可能だったらデイリーとか
チュートリアルとしてやるみたいな
ひたすらVB触ってたいけど
それじゃ生きていけないから
理想的には本当にそれこそノーマライズFM
あと2,3倍ぐらい撮りたいですよ
本当は頻度で言ったら
でも月に1本か撮れて2本ぐらいが限界なんですよね
仕事もしながら
WebGL総本山の更新とかもしながら
やってる量が多すぎすごいですね
ノーマライズFMもやりながら
同時進行でやろうとすると限界があって
現状は仕事しないわけにいかないんですよ
仕事しないで入ってくるお金なんて
逆に言ったらほとんどないから
スクールは一応売り上げが立ちますけど
それ以外の活動って
お金を生まないんで
しょうがないよなと思う
売り上げを上げないからこそ続けるんですよね
売り上げを上げないからこそ続けられてることっていうのも
絶対あるから
そうなんですよね
フリーランスでの挑戦
そこのバランスってあれですね
だからといって分かんない
逆にノーマライズFMあと3倍やりたいって
できるようになったとして本当にそれでいいのか
みたいなこともあるんですかね
どうだろうな
いわゆる稼ぐための仕事しなくていい
ってなったら
もうちょっと頻度は増えると思いますね
増えると思うし
違うジャンルの人たちを首をつかみにいきますね
例えば今だったら写真の人とかを首をつかみに行って
アートの人とか現代アートの人
現代写真の人とかを
もっと幅広いところから持ってこようとすると思います
もっと余裕があったら
やっぱり今はそこまでできないなって思う
時間的余裕もないし
そこまでフリーダムにやってると収集つかなくなるなって
思っちゃうから
だから従来のノーマライズFMの路線のゲストが
たぶんしばらく出続けるし
しばらくはそういうふうに続いていくと思うんですけど
もし余裕があったらなんかもっと違う
アートの人とか音楽の人とか
やっぱり自分にある程度
素直でありたいっていうのもあるんですよね
自分がアートだったり写真だったりに興味があるのに
そのことに一切触れずに
昔の自分のままやり続けるってやっぱり
難しいから
今カメラとか写真に興味あるならそういうゲストを呼ぶべきだし
なぜならそういう人と話してるほうが
楽しい話にできるからですよね
しかも自分で運営しててパーソナルだからこそ
そこは自由に読めますよね
これだけが理由ではないんですけど
中田さんって俺の中ですごいアーティストの機質の強い方だなって思ってたから
今の俺はたぶんすごい中田さんと
楽しく喋れるっていう確信があったんですよ
これがもし
俺がアーティスト的なことに一切興味持ててない段階だったら
たぶん違った話の仕方
それこそ海外で生活長いんですよねみたいな
ことしか話せなかったかもしれない
今やっぱすごい広がりある話できたのは
写真を通じて自分が
アートに触れるようになってきてるからだし
そこでやっぱなんか
違う価格反応が起きたんだろうなっていうのは思うんですよ
なるほど
その辺の裁量の広さは
自分で全部やってるからこその裁量の広さだとは思いますけど
それはほんとそうっすよね
なんかすげー色々やりたくなってくるなこの話してると
やりたいことが
だから両立が難しいっすよやっぱり
そこが一番の問題というか
そうですよね自分はやっぱり会社員になって結構
ちゃんと会社員として振る舞おうとする自分に驚いてて
振る舞おうとしてるってのは会社的に見たら
クソ自由に動いてるタイプの人間なんですけど
よくわからないどこかで定時にちゃんとこれをしなきゃいけないとか
うちの会社って裁量労働なんで
1秒でも働いたら別に1日働いたことにしてくれてもいいぐらい
ゆるいことを言ってくれる皆さんなんですけど
会社なんですけど一方で
空気感じゃないですけど
それやったら多分殺されるじゃないですか色んな意味で
やらないっていう意識がちゃんと自分の中で生まれるんだっていう
だとするとチュートリアルは今できないしデイリーもできないし
作品作りもこういう時間を作らない限りは
日常の中ではなかなかできないみたいな結論に自分の中で至る
っていう不思議と同時に
でも多分やりたいことは大量にあって音楽作れるんだ
本当に音楽にひたすら没頭してたいし
毎日ビビりよくわかんないデイリーを作って
たどり着けるところまで行ってみたいし
そこのバランスって取る方法ないのかな
みたいなのはやっぱ悩みつつ
逆に完全にパージされたらパージされたで
やらないんじゃないかっていうの同時にあるんですよね
私がよく思うのは
熟成する時間が必要になりそうな気はする
その完全な
自由を得たとして
何にも束縛されてない状態になったとして
その日からいきなり全力では多分できなくて
ぼーっとしてる1ヶ月とかを経た後に
あれ1ヶ月俺何もしてないなみたいなこととかも含めて
エンジンかかっていくという
今ちょうどフライド時計始まって
1ヶ月何もして模様替えしてた1ヶ月が過ぎ去った
今の言葉は響きました
たぶん
バクさんゲストの時も
ドクサスさんに
WebGLにこれだけ貢献してくれたわけだから業界の皆さんは
ちょっとずつお金出して
ドクサスさんが受託の仕事しなくてもいいようにするべきだと
僕は思いますけどねみたいな感じのことを言ってくれた時に
仮にそうなったとして
俺がじゃあ仕事
受託の仕事しなくて良くなったとして
いきなりその月からいきなりノーマライズFMの更新3倍になりますか
っていうとたぶんなんなくて
しばらく俺はたぶんぼーっとすると思うんですよ
この空いた時間を
手ぶらな時間をぼーっと過ごして
そういう空白の時間の中で何やりたいとかやらなきゃいけないが
改めて出てくるんじゃないかなと思うし
今想像できないことが起こると思うんですよね
きっとそういう状況になったら
そこはそこってなってみて感じる部分もあるだろうし
それはそれとして大事にしたいなみたいなことはちょっと
一種の模様替えですね
本当だから最近アーティストの人たちとかを調べたり話を聞いたりとかって
やっぱり興味があるからするんですけど
両側面あるというか
一方でこの人たち本当のんきだなって思ったりもするんですよ
すごいバキバキのもん作ってても
いわゆる社会人として大人としてやるべきこととか全然やってなかったりとかして
なんてのんきな無責任な生き物なんだって思うように感じる瞬間とかも中であったりもするし
でも一方でやっぱそういう感じだからこそできることなのかもな
みたいな疑いの面もあるし
自分は今そういう状況に置かれた経験ってないから
だから至らないのかなとか思っちゃったりとか
いろいろ考えちゃったりしますけどね
確かにでも自分が出会うアーティストってやっぱすごい人たちって結構
ある種不適合というかできないから
そこそれしかできないからこそ
それをやらざるを得ないみたいな環境に置かれてる人がやっぱ多いなっていう風に思ってて
それもでもレイヤーもあると思ってて
会社向いてないからフリーランスやってる人もたぶん属性として一緒なんですよ
そうですね
自分が一番合うと思うやり方でみんなが生きれたらそれはいいだろうなっていう風に思ってて
たぶん本当に会社に向いてない人って日本においても大量にいるはずで
いるはずですよね
ただあんまりフリーランスとかがよく今でこそまだマシかもしれないですけど
それでもやっぱ選択肢としてはビビたるもので
やっぱ会社の方がいろいろ楽だなって自分も思う瞬間あるんですよ
その保険的なことだったりとか
そこらへんがあるから会社は辞めたくはないけど
一方でたぶん自分の属性的には絶対外におった方がみんなにとっていいと思う
とかめちゃくちゃあって
そうですね
それと一緒でたぶんアーティストも
それこそ仕事ってなった瞬間に我々はフリーでもクライアントと対峙するけど
それすらもう耐えられないみたいな人たちは
たぶんアーティストって選択肢がないんだろうなとか
そうですね
いい悪いじゃないんでしょうね
だから優劣とか善悪ではなくて
そういう人だからダメとかっていうことでもなくて
やっぱ自分なりに折り合いつけていかなきゃいけない
どういう感じの人であれ
結局社会と何かしらの形で接点は持っていかなきゃいけないから
それをやっぱ自分で取りに行かないといけないんだろうな
だからもやもやしたまま生涯を終えるとかはもったいなさすぎるから
思うんだったらやっぱ行動すべきなんでしょうねきっとね
それができてない人がたぶんすごくたくさんいるんだと思うんですけど
そうですね
一番不幸なのは本当に自分に合ってないところで
ストレスを抱えながら頑張ってる人たちが一番かわいそうだろうなと思います
そうですね
アートと自己表現
行動するのも簡単じゃないから
そうですね
でもなんか中田さんとかは結構私から見てるとやっぱ行動力ある人なのかなっていう気もするし
フライング東京の話とかもそうですけど
やっぱそこはきっと今後もずっとそういう感じでやられていくんだろうなっていう気はしますけどね
そうですねそれがどこにたどり着くのかは個人的に
たぶんわかりやすく例えば映像だけをやってみたいなルートはきっとたどらないと思ってて
ビリビリにどっかでなくなるかもしれないし
っていう意味では何かどこどういうとこにたどり着けるんかなみたいなのは
自分でも特に思い描いてなかったりとかするんですけど
ただそうですね行動力でいうと基本の原動力が結構
フラストレーションというかいうか
そういうところかなりネガティブなところにあるんで
嫌な思いをして初めて行動力が出てくるタイプだったりとかするんで
本当にフリーランス10年ぐらい続けてこれ話まで続けて大丈夫ですか
いいっすよ全然
なんかそのアドビの話はたぶんあんまりしてないんですけど
そんなにアドビの話はするつもりもないんですけど
なんかそのフリーランス10年ぐらい続けてきて
本当に大学卒業してないぐらいからフリー始めて
本当は大学卒業する予定なかったんで
フリーを10年ぐらいやってたんですけど
なんか徐々に徐々に仕事が大きくなってくるんですよ
フリーで最初ちょうどプロジェクションマッピングとかが
流行り始めたぐらいの時期だったんで
テック使った演出をやってるとそれなりに仕事があって
いろんな仕事を10年やってきて
最終的にイルミネーションをディレクションする仕事にたどり着いて
それが総予算が4億かなんかの
イルミネーションで山開拓するところから始まって
みたいなことをやった結果
あまりにデカくなりすぎて
あとお金の管理とかすごい苦手なんですよ
結局お金が大して残らずに
自分の限界をそこで感じた
みたいなフリーランス10年
いろいろありながらやってきたけど
最後の最後にやった仕事が結構辛くて
そのフラストレーションからアドビのレジデンスってやつに
ある種人生かけて応募して
それで取ってもらえてラッキーだったんですけど
フライング東京も多分会社員やってて
あまりに会社員が向いてなすすぎて
いろんな動きしていく中で
広報っていう役割を見つけたけど
あれテクニカルディレクターって何なんだっけみたいな
疑問の中で物作らなきゃってなって
そういうのに応募したりとかしたんで
多分基本ずっとそういう自分の出来なさと向き合って
じゃあ何をすれば役に立てるのかとか
フラストレーションからの成長
何をすれば自分がもっと出せるのかっていうのを
常に探り探し続けてるんだなっていうのを
今話をしたりしながら思いましたね
いいと思います
苦しみが伴うと思うんで
いいと思いますって一概に言えない部分もありつつ
でもきっとずっとそれをやっぱりやり続けていくんでしょうね
多分苦しい期間はやっぱあるけど
結局最終その中からそのフラストレーションから生まれてきた
全てのものを含めるといい分もしくはちょっとプラスになってるはずだし
だからこそやっぱり続けていけるんだと思うんで
あと記憶力が悪いんで思えばだいたい忘れていくじゃないですか
みんながそうじゃないかもしれないですけど自分は忘れていくんで
嫌だったっていう事実だけが残って
なんで嫌だったかの感情の部分は消え去ってくれてるんで
時々寝る前に思い出したりして落ち込むんですけど
鮮明に思い出す瞬間みたいなのが時々あって
その時は落ち込みますけど基本的には忘れてるんで
前には進めますよね
そうですね
結構だからこれはどんなことにも言えるのかもしれないけど
楽観的っていうのも結構大事ですよね
大事だと思います
何事にも言えると思いますけどね
やっぱ不安なこととか考えだしたら永遠に不安なことなんて考え続けられちゃうから
そうですよね自分の稼働を計算してだって授業やってるとか
このロンファレンスFM収録してるみたいなこと冷静になって考えて
稼働を生んだらとか言い出したら
落ち込むしかないはずなんですよ
本当そうですだって編集も含めたら1人日じゃ収まんないですからね
1回撮って後悔するってなった時
それ月2回やろうと思ったらトータルで3,4人日ぐらい使うんかって考えたら
もう1週間ぐらい必要ってことじゃないってなるし
そしたら仕事してる場合じゃねえじゃんってなる
そうですよね
だからやっぱり冷静にそういう革残業し始めたらもうダメですよやっぱり
だからなんか気持ち楽観的に楽しいからいいかなっていう感じでやっぱり
やんないといけなくて
あと逆感も抽象的な概念でしかないっていうのもありますよね
その人月とかで計算するけどそれもすごく抽象的な概念じゃないですか
言語化されてるから正しい感のように思うけど
人月計算って何?って疑う瞬間も時々あるんで
そりゃだってねパフォーマンスに日によって差はあるし
一律1日って言えないですからね
言えるわけがないからラジオを収録してる瞬間があったり
編集してる瞬間があってもいいはずだっていう開き直りは別に間違っちゃいないぞっていう
そうですね
本当にそうだよな本当にそう思います
結構やっぱ楽観的は大事かもしれないですね
楽観的なのもそうだし自分に正直に生きていくっていうか
それは今日の話を通してそういう話をずっとしてきたのかなってそういう気がします
出てくる人がみんな今まで出られた人たちが基本強者ばっかりだったんで
みんな芯が立ちまくってるやみたいな人たちばっかりだった
そういう話はわざわざ言葉にしなくてもいいのかなと思ってたんですけどね
これは本当に中田さんがってことじゃなくて割とよく感じることっていうニュアンスで言うんですけど
SNSで見えてる姿ってやっぱり所詮SNSで見えてる姿なんだなみたいな話してみたらやっぱ
バクさんもすごい確かにすごいけどまあ人間だなって思うし
すごいな雲の上の人神だなと思ってる人も話してみたら確かにすごい神だわ
だけど人間だなって話したら話せるな楽しく話せちゃうんだなって思います
なんかノーマルズFM本当めっちゃ好きですね俺自身
いいですよねこれだけなんか飲み会の席でもこんなにやっぱ
体裁がちゃんとあって宇佐さんがいるからこそこうやって話ができて
バク君とちょうどたぶん放映されたしばらく後にたまたま一緒に飯か何か何人かで行く機会がありましたけど
全然あんな踏み込んだ話なんかできないですよやっぱりこう話だったりとかっていうのも大事だなと思って
本当はそうですねだからこれもちょいちょいいろんな回で言ってるんですけど
俺ノーマルズFMすごい好きなんですよね自分自身が聞いてて楽しいなーって思っちゃうというか
こういう番組あんまないなーと思うし
いやそうですよね
すごいなんか貢献してるとかっていうことまで言うつもりはないんですけど
なんかやっぱこれが存在していることによっていろんな人にいろんなことたぶん伝わってるだろうし
考えてくれたりしてるんだろうなーって思ってますね
いや本当そうだと思いますたぶん自分のベースラムの人たちとかもリスナーがノーマルズFMのリスナーがいるんで
たぶんここ自分の回をこうやって聞くとあれ中田さんって仕事向いてないってこんな悩んでたんだみたいな
会社の中でもそういう話をする機会がなかなかないというかそんなにノーミリタイトルするわけでもないので
そうですね
悪い方に通じ…悪い方に伝わってしまわないかどうかちょっと心配してますけど
いやいや大事なのは変な言葉というかあくまで自分の話なんで
SNSの真実
自分ごとというか向いてないなっていう個人の属性の話なんで
別に誰々がどうとかいう話でももちろんないですしそういう言葉ももちろん選んでないですし
そうっすね
いやーまあでもそうっすね
いやでもなんか中田さんほんと今日呼んでよかったなって思って
よかったですなんかお話ができて
いやなんか俺の中ではやっぱちょっとなんだろうな
アーティストとして結構極まってる人って思ってたけどやっぱ話してみたら
ポンコツです
すごいなんかわかるわーっていう話が多かったし
うんすごい楽しく話せたし
いやー楽しかったですね
単純になんかこうやって繋がり増えていくの嬉しいですよねなんか
いや嬉しいですねなんか今後だからスクールみたいなとこかポッドキャストみたいなのに悩んだら
多分真っ先にドクサスさんに相談するんだろうなって今日話してて思いました
いやーもう全然俺なんかで役に立つんだった
いやーでもそのなんかその人に向き合うけどその
ある種対価を求めないスタンスみたいな自分がチュートリアルやってる中で感じること
すごい近かったんで多分すごい近い感覚で
なんか始め方だったりだとかなんかそういうのをご相談できそうだなと思ったんで
なんかすごい自分はそこの部分は聞けてよかったです
なんかこういうラジオとかもやってみたいなーみたいな思う瞬間結構あるんですけど
どういうスタンスでとかなんか収益化とか考えた方がいいのかなとかどうでもいいことばっかり悩むんですけど
そういうことじゃないモチベーションでやられてる方がこうやって
直接喋れたのすごい良かったですね
コミュニケーションの価値
いやー本当にいや俺も色々喋れてめっちゃ良かったなって思ってました
はいノーモライズFM今日もねちょっとだいぶ長い時間になってると思うんですけど
なんか楽しく喋ってると気がついたらもう2時間経っとるじゃないかみたいな感じで
なんか最近ねちょっとだんだん収録時間が伸びてってるんじゃないか疑惑があると思うんですけど
そうなんか私もだんだん節操がなくなってきて楽しかったらどんどん喋っちゃうみたいな感じなんですけど
今日もちょっとね長くなっちゃいましたが
いやでもなんか本当に分かるわーって話すごい多かったし
本当に色々聞かせていただいて面白い回になったんじゃないかなと思いました
はいじゃあ永田さんの方からお知らせなどありましたらお願いします
はい告知っていうほどのものはないんですけど
話の中で散々出てきたベースドラムで一応SNSで色々社内のデモ発信する担当として活動しているのがあって
インスタグラムだったりXでベースドラム.orgだったりUnderbar.orgだったりするのかな
色々発信してるんで良かったらフォローしてくださいっていうことだけちょっと
はいありがとうございます
いやもう多分みんなすでにフォローをしているとは思うんですけど
あの是非ね知らないぞっていう人にもしいたら
多分今回の話が色々刺激になって興味が湧いた方もねいらっしゃったかなと思うんで
是非フォローなどしていただけたらと思います
AEで頑張って映像編集してるんで
いやでも本当今日お話できて良かったですね楽しかった本当に楽しかったです
こちらも楽しかったです
はいまた何か機会があったらお会いする機会とかもしあったらねその時ご挨拶できたらと思うんですけど
そうですねお会いしたいですね
ちょっと私また京都行くことがあるかもしれないんでどっかのタイミングで
その時は必ず声かけるようにするんで
自分が最近東京に引っ越しちゃったんですよだから京都にもういないんですよ
そうなんですか
そうなんですよ去年の8月ちょうど東京に実は引っ越してて
知らなかったそうなんだ
今東京在住なんですよね
じゃあ全然いつでも会えるんで
そうですもし機会があったら何かの時に機会があったら是非ご挨拶させていただけたらと思います
今日は本当に長い時間お付き合いいただきましてありがとうございました
ありがとうございました
はいじゃあ当はノーマライズFMのいつものお知らせですけども
ノーマライズFMではシャープノーマライズFMというハッシュタグで
皆様からの感想とかご意見とかねいつでも募集してます
ちょっと聞きましたよみたいな簡単な感想でも嬉しく拝見してますのでね
ぜひ何か感じたことありましたら気軽につぶやいていただけたら嬉しいです
はいではこれで今日は終わりにしたいと思います
最後まで聞いてくださってありがとうございました
ありがとうございました
02:25:23

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