先にちょっと私のイメージをお伝えしちゃうんですけど、私の中では中田さんってやっぱりコンピューターグラフィックスっていう界隈を大きく思い描いた時にそこの中にがっつり入ってらっしゃるイメージだったんですけど。
でも一方でなんかそのポートフォリオとか拝見すると結構アーティストっぽいこともされたりしていたりして、なんかどういう人なんかなって。
たぶん自分のことを知ってくれてる人でもこの人は一体何をやってるんだろうっていう疑問符がいっぱい出てくるような活動ばっかりしてるのは事実かなというふうに思いますね。
自分の場合はもともとどっちかというとアーティスト?
なんか少し自分の今なんでこんなことやってるのかっていうバックグラウンドだけ説明させていただくと、もともとモーショングラフィックスとかそれこそFlashとかで育った世代というか。
自分の場合かつ国内で育った後に結構海外を点々として育ったっていうところもあって、本当にパソコン越しに見れるFlashの映像とかだけで自分のカルチャーみたいなのが構成されてた。
Flash映像とかMADとかあの辺ですよね。
みたいなのがすごい流行った時期にちょうど中学生だったり高校生だったりとかしたんで、そういうのを見て育って映像かっこいいな、映像をやりたいなとか、そういうので映像に興味を持って大学で映像を学び始めたんですけど。
大学で学評とかっていう形で、それまで好きだったのがみんなが一緒に見てる感みたいなのが好きだったんですけど、大学で映像作ると学評じゃないですけど教室の中で見せておしまいみたいな。
まだYouTubeとかもそんなに大きくなかった頃だったんで、その閉塞感みたいなのがすごい個人的に嫌で。
その中でちょうどインタラクティブな作品。自分が一番影響を受けたのは、ライズマンのマナベ・ダイトさんがニュージーランドでいろいろ有名な人たちと作ってたNight Lightsっていう作品を見て、
プロジェクションマッピングだったりインタラクティブに映像を楽しんでもらえる機会があるんだ、方法があるんだって知って、そっからメディアートとかインタラクティブなものに興味を持っていったっていう感じですね。
なるほど、なるほど。じゃあ結構、推定するマインドじゃないですけど、ずっとその根本的なところにはそういうものの起源があるというか、その延長線上でずっと活動されてるっていうイメージなんですか?
そうですね。本当にやっぱり映像が好きで、インタラクションデザインっていうのをオランダに、それに興味を持ってからオランダに2年間ぐらい留学してたんですけど、
その時インタラクションデザインっていうのを専攻して、そういうことを勉強して、その中で技術にどんどん詳しくなってくるんですよ。
インタラクティブなものを作っていくとプロジェクターのなんちゃらかんちゃらだったりとかタッチパネルがどうやったら制御できるんだみたいなことを知ってって技術に詳しくなってくるんですけど、
本質の部分としてはそこじゃなくて、あくまでインタラクティブな作品だったりとか、メディアートって呼ばれる携帯の作品だったりとかが好きだったっていうのが根底にはありますね。
へー、なるほど。そっか、なるほど。
でも、何ですかね、すごい、最近じゃないのかな、ずっと中田さんの活動されてるものの中にVVVVとかもあると思うんですけど、
ああいうのもやっぱり、そういう自分の考えだったり思いだったりを実現していくにあたって、ちょうどいい道具としてVVVVみたいなものがあるっていう感じなんですかね、イメージ的には。
そうですね、そこもしょうもない話はちゃんとあって、インタラクティブなものに興味を持ってプログラミングを持つんですけど、もともと別に数学が得意なわけでも何でもないんですよ。
ちょうどオープンフレームワークスプレセッシングみたいなのが流行ってた時期で着手しようかと思ったんですけど、コードが読めないんですよ、文字が苦手で。
プログラミングできねえわって挫折した時期があって、どうやったらできるんだろうって路頭に迷ってるときにちょうどそのとき一緒にルームシェアしてた知り合いとかにVVVとタッチデザイナーっていうソフトを教えてもらって、
これだったら遊べるってなって、そのときにタッチデザイナーは有料、VVVは基本無料で全部全機能が使えるよっていうのでVVVを選んだだけなんで、本当に袋コーチに乗り込まれて最終的に選べたのがVVVだけだったっていう。
なるほど、そっか、なるほど、そっか。でも、コード書くのプログラミングするの苦手だなみたいなのはやっぱり今もそういう意識あったりするんですか?それとも克服できてきてる感じなんですか?
いや、全く克服できてる感じはしなくて、時々挑戦したり、それこそノーマライズFM聞きながらWebGLスクールかこういうの受講したら書けるようになるかもなとかって皆さんの話聞いてるんですけど、WebGLってなんだ?みたいな。わからんみたいな。ちょっと調べたりするんですけど、やっぱりわからんみたいな。
そういう話聞いちゃうと、例えばVVVみたいなものとか使うにせよ、ツール使うにせよ、なんかしら自分が表現したいものがあったときに、どっかで絶対接点ができてしまうというか、プログラミングゼロではいけないのかなっていうのも思ったりはするし、
私なんかもそうなんですけど、物理とか数学と向き合わなきゃいけない瞬間って出てきちゃう気がするんですよね。そういうときはどういうふうに克服していくんですか?
たぶんみんなが3日で解決するものを1ヶ月かけて勉強したりして、ない頭を駆使しながらたどり着けるのが1割、たどり着けないのが9割みたいな感じでやってます。もちろんVVVも一応プログラミング言語なんで、ベクター3だったりとかGPUってこういう仕組みでみたいなことのロジックはもちろん共通してるはずなんですよ。
共通してるはずなのにWebGLだったり他の言語のベクター3って書いてあるな、RGBに変換して、分かる分かる分かるみたいな感じで読めるんですけど、いざ書くってなると、ん?みたいな、ん?環境構築なんだそれみたいになって、いつも止まる。
なるほど。でもその感覚はわかるっていうのは、もしかしたらその中田さんが感じてるものと私が感じてるものもしかしたら違うのかもしれないんですけど、より表現に注力できる領域に軸足を置いておく状態の方が作りやすいっていうのは絶対あると思うんですよ。
なんかおさほ的なプログラミングのおさほ的な部分を一生懸命綺麗に整えながらコードを書いていくよりも、例えばシェーダーだけを書いてるみたいな時の方がクリエイティビティは高く発揮されるような気がするんで、なんかそれに近いものなのかなってちょっと聞いてて思いました。
そうですね。たぶんそれに近いもの、まさにその通りだと思うし、もしかしたらちゃんとこういう学校とかに通ってプログラミングをちゃんと勉強したら、もしかしたらできるようになるかもしれないのに、そこを避けてるだけかもしれないし、はたまた先ほどドクターさんがおっしゃってたように、人によってたぶん選べる得意なツールっていろいろあると思っていて、自分みたいにビジュアルドリブンにものを作りたい人は、もしかしたらリアルタイムにコンパイルとかが必要ないVBみたいなものを作るかもしれない。
そうじゃない、もっとロジック回りだったりとか、文章がそもそも得意な人たちはもしかしたら行動が欠けるのかもなみたいな。ある意味でいい時代でもあるなと思ってて、自分みたいな人間もプログラミング的なことを応用しながら映像が作れる時代ではあるんで。
なるほど。
だから私が中田さん、発信もいろいろされてるから目に留まりやすかったっていうのもあったのかもしれないですよね、よくよく思い返してみると。
ハードウェア的なこととか、あるいは日曜大輝的なこととかも結構やられてたりするじゃないですか。
そうですね、やってます。
だからなんか面白いことやってるなって結構、やっぱり見てて感じたっていうのはあったかもしれないです。
時間があればああいうことだけをやっていたいタイプの人間ですね。
なるほど。
聞き切ったりするの楽しいなとか。
いいっすね、いいっすね、いいっすね、いいっすね。
そっか、いやでもなんか面白いっすね。
何が共通して通定してるのかなって考えると、何なんでしょうね。
やっぱなんか場作りとか、さっきの一番最初の方に話していただいた部分で、教室で見てるだけじゃつまんないなみたいなところも、
やっぱ場作りとか、やっぱ人がたくさん関わっていろんなことが起こるっていうのが楽しいみたいなとこもあるんですかね。
それはあるかもしれないですね。
ベースラムでだからそれこそ広報みたいなことをやってるっていうのは若干語弊はもちろんあって、
ベースラムってテクニカル集団で案件においては超人的な能力を発揮する人たちなんですけど、
普段何やってるかってマジで見えないですよ。
はいはい。
本当に見えづらくて。
でも普段からやっぱりいろんな技術のR&Dとかをベースラムの中のメンバーは常々やってて、
スラックの中にチャンネルがあったりとかして、我々は見れるんですけど、
絶対外に出したほうがいいみたいなのを今年に入ってからベースラムのXアカウントだったりインスタアカウントだったりとかで解説して、
そういうのを発信していくSNSアカウントを立ち上げたりだとか、
先月の半ばぐらいにもベースラムのオフィスの1階で実は展示を3日間だけ企画させていただいて、
そこでみんなが作ってるデモ展示して見てもらうみたいな機会作ったりだとか、
っていう意味では確かに先ほどおっしゃったように場作りじゃないですけど、
みたいなのは好きなのかもしれないなと思いましたね。
そうっすよね。そういうのも才能というと大げさかもしれないですけど、
できない人はとことんできないというか、結構両立するの難しいスキルだったりもしますもんね、そういう部分って結構。
そうなのかもしれないですね。
これはちょっと私の個人的なイメージになっちゃいますけど、
やっぱ職人っぽい人ってそういう場作りだったりとか、コミュニケーションを円滑にしていくみたいなのを苦手な場合が結構多いのかなっていう気もするんで。
確かにインタラクションデザインとかもそうですけど、場作りも確かに主観的に物事を見すぎると多分成立はしなくて、
お客さんがここに立った時に展示台の高さが全部ばらつきがないなとか、
ライティングによってあの辺に誘導されていくなみたいなことって、
すごい客観的に場を見ないと多分設計できない部分ではあるかもしれないですね。
そうっすよね。なんかそういうの、私も全然自分でそういうことやったことないんで、
ノウハウ全くないから、なんかそういうことも向き不向きじゃないですけど、できる人とできない人いるし、
中田さんはそういう意味では組織の中ですごいバリを発揮してるんだなっていうのが。
果たしてその仕事はテクニカルディレクターの仕事なのかっていう。
そうですね。
でもやっぱり照明がどうしたとか音響がどうしたとか、
結局どこかで技術につながってくる部分ではあるんじゃないですか、そういうところも。
でもそれはそうだと思います。
展示実際やっててもみんな何だかんだいろんな技術使った展示やるんで、
センサー同士が干渉しない距離感だったりとか、
プロジェクターがちゃんと見える面の選び方だとか、
細かいところでもちろんテクニカルディレクターとしてやってきた知見は間違いなく役に当たっていて。
本当にすごいですね。
そういうふうに何でも結構いろいろ興味が出たらまずやってみようみたいなタイプですか。
多分そうだと思います。
今映像は見えないかもしれないけど映像の後ろ側を見ても3Dプリンターがあって楽器があってよくわかんないことになってるんで、
そのままかもしれないですね。
多趣味というとちょっとまたニュアンスが違うかもしれないですけど、
興味があったらどんどんまずやってみようみたいな感じのマインドが喋ってても伝わってくるというか、
そういう感じがしますね。
そうかもしれないですね。
そしてお金がなくなっていきますね。
そうですね、そうだな確かにな。
結構これ最終的に収録音源に入れるかわかんないですけど、
トバログのYouTubeチャンネルとかにも出てらっしゃったじゃないですか。
ああいうのとかも拝見してて、めっちゃいいなって俺見てて思ったんですけど。
やはりいい動画にトバログさんにまとめていただいて。
めっちゃいいなって思います、やっぱりああいう。
結構そのなんて言うんですかね、
この話今お金がなくなるっていうところからちょっと連想しちゃったんですけど、
やっぱ東京とかでああいう場所作ろうと思ったらとんでもない金かかるなっていうふうに思うし、
やっぱりいろんな土地というか地域の条件みたいなのとかもあったりするんで、
一概にお金と結びつけて話すことではないのかもしれないですけど、
でもやっぱりああいう場を作って自分の好きな空間どんどん作っていくみたいなの、
私はやっぱり憧れちゃうというか、すごい良いなって思っちゃいますね。
面白い、その話で言うとあれかもしれないです。
自分は部屋の模様替えを年に10回以上するタイプの人間なんですよ。
もともとあの事務所世界っていうところで、
千愛陽介っていう映像作家だったりとかに誘われて出入りするようになった場所なんですけど、
千愛くんとかに聞いたらたくさんって呼ばれてるんですけど、
何回模様替えすんねんっていうぐらいひたすら模様替えをしてる印象がたぶん残ってるはずです。
それはご自宅とかでもそうってことですよね。
いや、もうしちゃいます。ひたすら物のレイアウトとか、
これがここにあると落ち着かないみたいなのを常々やっちゃったりだとか。
それはどういう動機なんですか?やっぱり飽きちゃうみたいなとこなんですか?
自分の中で最近、つい最近模様替え実はしたばっかりで、先月かな。
それこそベースラムの業務からフライング東京っていう、
作品制作みたいなのにシフトさせていただけるってなったときに、
まず最初にやったのが模様替えでした。
1週間ぐらいかけて模様替えをひたすらするっていう。
面白い。じゃあなんか精神的な部分のこの環境が変わったことによって気持ちが切り替わるぞっていうタイミングで、
それに連動して模様替えもしたくなるみたいな感じなんですかね。
なのかもしれないですね。模様替えを逆にしないと思考が切り替えられないっていう立ちなのかもしれないなっていう。
フリーのときはもしかしたらプロジェクト細かくいろいろやってたから、そのタイミングでもしかしたら毎回模様替えをしてたのかもしれない。
面白いな、なんかその話めっちゃ惚れそうなんだけど。難しいな。めっちゃ面白そうな匂いがするんだけど。
そっか、なるほど。いやなんか、俺自身は一方で俺自身はどうかっていう話ちょっとしちゃうんですけど、結構模様替えあんましないタイプというか、
一回きれいに、だから何だろうな、引っ越しするとかってなったときに、
もうガチで本当に最強の状態っていうのを最初にすっごい時間かけて考えて、
ここにこれ置いとけば一番綺麗に収まるなみたいな最適な部屋の配置みたいなのを一番最初にめっちゃ時間かけて作って、
あとは極力触んないっていう感じなんですよね、私結構。
逆にそういう環境ってどうやったら、その状態で何年もやっていくイメージが湧かないんですよね。
いやーなんすかね、だからなんかもう、引っ越し先のその部屋の長さ、壁の幅とか全部測って、
で、Amazonとかでそのラックの幅とかを何ミリみたいなのを見て、全部足し算していって、
このぐらいの隙間ができるからここにこれを置いてみたいなパズルみたいなのを最初に全部やって、
その配置の通りにピタッと決めて、あとはもうひたすら同じ空間で同じ毎日を過ごすみたいなのが結構平気なタイプですね。
それって前の家で買ったもの捨てるってことですか?
捨てるは本当に結構捨てられるタイプですね。
あーなるほど。
捨てちゃえるタイプですね。
まあなんだろうな、なんか思い出の品とか捨てるかって言われるとそこはやっぱり強度がある、
あんま捨てられないものとかももちろんあるんですけど、
家具とかはいいかなって思ったら結構取っ替えられちゃいますね。
自分の場合あれかもしれないです。家具基本捨てないというか、同じものを引っ越しても、
なんか天板変えたりとかして、よし机の天板をこっちに変えて、この机の天板をこれに使ってみたいな、
もう切るかみたいな切っちゃって、組み合わせなるべく、
まあ金はかけてるんですけど、結果的にお金はかかるんですけど、
買い替えとかあんまりしないかもしれないですね。
同じものを使い回しちゃうタイプかもしれない。
いやなんか、この話ほんとすげー面白い人間性が出てくる部分だと思うんですけど。
そうですね、リスナーさんとしては面白いのかどうかよくわかんないですけどね、部屋の模様替えの話。
そうですね。
いや俺結構できない、そのめんどくさいが勝っちゃうというか、全然できないですね。
で、結構うちの読めとかは、あのなんかわかんないですけど急に始めるんですよね。
タイミングがこっちで読めないんですけど、いきなり始まって、なんか衝動的にやり始めるんですよね。
それもあります、自分の場合は全然。
なんか朝起きたら急に何かが始まってて、どうしたどうしたってなって、なんか気に食わなかったのかわかんないけどやってるみたいな。
そこまでかな、なるほど。
うちの奥さんの場合は多分日々何か気に食わないことがたまっていて、一定の指揮地を超えたところでもう嫌だ、模様替えしてるって多分なってるんだと思うんですけど。
いや、俺結構そういうの全然ないからびっくりしますね、急に始まってて。
確かにうちの妻も結構しょっちゅうびっくりしてるかもね。やたら模様替えしたがるやん、こいつみたいな。
リビングとかも可能なんだったら今すぐにでも模様替えしたいみたいな気持ちが使ってると出てきちゃって。
なんなんすかね、なんかほんとその衝動の正体が気になりますね。なんでそうなっちゃうんすかね。
飽きなのか、刺激が足りないのか。
人によってもちろん違うとは思うんですけど、自分の場合は、自分の場合はってかこれも人と比較してないとわかんないんですけど、
独生さんとちなみに老いたちってなんかご実家があったりとかそういう感じの環境で育ったりとか。
そうですね、一応うちはいわゆる団地とか昔の昭和の団地で兄弟3人の長男なんですけど。
団地育ちで、でも団地なんでそこら中に同じ世代のちびっこが大量にいるみたいな感じで育ったって言えば育ったって感じですね。
なるほど、いやなんか自分もだから人と比較したわけじゃないんで、答えとしてはっきり出てるわけじゃないですけど、自分のこのやたら模様替えする自分の中で何なんだろうって考えることはもちろんあって。
やっぱりその、結構その点々と育ったタイプの人間なので。
なるほど。
なんかそのわかんないですけど実家があるとか決まった部屋でずっと育ってきた人ってそれは一生模様替えしてるわけにもいかんだろうし、みたいなことに思いを馳せた瞬間もありました。
なるほど、いやそれあるかもしれないな。なんかやっぱり3兄弟の長男とかってなると、これも比較したわけじゃないから私の感覚で喋っちゃうんですけど、長男って結構我慢しなきゃいけないというか。
親からすると一番お兄さんだから当然一番早くでっかくなるんで、なるべく広いスペースを割り当てようとしてくれたりとか、家族の中ではそういうふうに扱ってはくれる一方で、
やっぱり兄は兄で、弟妹のために遠慮する気持ちも同時に持ってるんで。だからなんかこう、ここ弟とか妹に譲るか自分が使うかってなった時に結構譲る心理が私の場合は強く働くから。
長男と自分は次男なんですけどそこでも違いはあるのかもしれない。
そうですね。だから結構自分のスペース、自分が好きなように装飾はしたいし整えたいしみたいな部分はありつつも、でもなんか他人のためだったら我慢できちゃうみたいなのはあるかもしれないし、なんか変化しなくても平気っていうのが原性にあるかもしれないですね。
ありそうだなって今聞いてて思いました。自分はもしかしたら長女であるうちの妻にかなりそういうのを強いてるのかもしれないなってちょっと反省しました。
やるかもしんないっすね。やるかもしんないっす。
そうですね。自分がだって家で、一部屋今あてがってここを自在宅ワークスペースとしてるんですけど、多分相当贅沢なというか、自分のものに囲まれた理想的な環境が出来上がってるんで、
それこそトバログさんの動画に映り切らなかったような本とかそういうのも全部自分の好きなものに囲まれてて、やった最高だっていう状況なんですけど、よく分かる妻の部屋って別にないんで、
リビングにいらなくなった棚とかを今使われてるんで、あれこれ実質家中に俺の空間しかないやんみたいなの。
そうなっちゃいますよね。
よくないよくない。ちょっと反省しよう。
いや逆にだから俺は今住んでる家の中で一番狭い部屋で住んでますね。
あー。
妻と子供がでかい部屋を使ってて、
なるほど。
自分は一番狭い部屋に本当に最小限のものをギチギチに詰め込んで生活してますね。
だから出て行こうっていう気持ちないですね、自分のものを外の部屋に置かせてもらおうとかっていう感覚ないから、置ききれんかったら買わないっていう選択になっちゃいますね。
なるほど。
そういうことかもしれないですね。
そういうことかもしれないんで、このままだと反省会に突入しそうなんで。
そっか、なるほどな。でもそうかもしんないわ。
なるほどな。ちょっとこれどこまで聞いていいのかわかんないですけど、海外を転々とされてたっていうのは普通に親御さんの都合でとかっていう感じなんですか?
そうですそうです。父親が木を植える仕事って言ったら変な響きです。木を植える職人?職人だけじゃないですけど、木関連の仕事をしていて、それで生まれてすぐブラジルに行ったりだとか、
セネガルで3年間過ごしたりだとか、インドネシアに4年間、みたいな感じで結構。
間で日本に1年とか2年帰ってきてたんですけど、もうまたすぐ向こうに飛んでみたいなことをずっと繰り返して育ちましたね。
なるほど。じゃあ結構生活のベースは普通に日本語でやるけど、みたいな感じなんですか?
記憶としては定かじゃないんですけど、ブラジルは少なくとも現地の学校にいてポルトガル語で幼稚園とか通ってましたし、父親が言語のスペシャリストなんで、
10カ国語を超える言語を平然と喋るタイプの人間で、とかもあったので、家の中もあと、そういう都城国、元都城国って呼ばれる地域とかに行くと、
メイドさん雇ったりだとか運転手さん雇ったりみたいなのが普通だったり、そういう人たちとコミュニケーション取ったり育ててもらったりもしてたんで、そういう意味では日本語だけじゃなかったですね、多分。
なるほど。いや、なんかそういうのもすごい人間性に大きく影響しそうだなっていう感じもする。
それはあると思いますね。たぶん自分のこのある種の無遠慮さみたいなのは、そういうところからもきっと来ていて。
はい。
でもそんな別に、いやまぁわかんない、そのプライベートはちょっと私は全然知らないからわかんないですけど、
表面に出てきているもの、まぁでもどこなんだろうな、やっぱ作品とかにもうっすら言われてみたらそういうのが滲み出てきたりもしてるんですかね、もしかすると。
でもそれはあると思います。なんか自分は逆にだからそこへの憧れが結構作品作りの人はずっと葛藤としてあって、
自分はそこの、なんかわかんないですけど、生まれてこの方見てきたものってどうしたって自分が作るものに影響を与えるじゃないですか。
はい。
たぶん自分はすごい日本が好きで、今日本でもうかれこれ10年ぐらい過ごしてるのかな。
それが理由で日本でやってるんですけど、やっぱり日本の人たちのを見てもらいたいじゃないですけど、日本でもいろんな人に認知されたいみたいなことを思って作品を普段から作ってるんですけど、
たぶん生まれてこの方見てきた同世代が見てきたものみたいなのと、自分が見てきたものがどうしても違ったりとかするみたいなところを自分の中で言い訳というか、
ありにもしながら、どうやったらそこに追いつけるんだろうとか、みんなが気持ちいいと思えるところって、どうやったら自分の中で育てられるんだろうみたいなことは常々葛藤してるというか、悩んでるところではありますね。
いや、それ結構難しいテーマっすね。難しいな。分かんないですもんね。ずっと日本で育ってる人の感覚が、逆に中田さんは分かんないわけだし。
そうですね。自分はそれを教養って呼ぶようにしてるんですけど、だから例えば分かんないですけど、マーベル映画をどっかのところで見てるとか、アメリカと日本で多分カルチャー的にも似たようなところがあったりするんですけど、
そういうのを脈々と見てきた人たちが、今30代になって作ったものが同年代だったりとか、同じようなものを見てきた人たちに響くって、ごくごく当たり前のことだと思っていて。
やっぱり見たことないものに対しての興味と、多分無意識の状態ではそんなに発生しないものだと思ってて。
意識をそんなに立ててないときに見て、これかっこいいって思うものって、多分今まで脈々と見てきたものの中にヒントがきっとあるはずで。
ものを作ってる人間として、やっぱりそこをどうしたらいいんだろうみたいなことはずっと悩んでますね。
なるほど。いやぁ、掘り甲斐のあるテーマというか、やり甲斐があるテーマですね。それは結構。
具体的にここに刺さってくれたら嬉しいなみたいな、結構狭いスコープがあるイメージなんですか?それとも、ざっくりこのぐらいの世代とかっていうふうに。
そういうのは絞ったことが実はなくて、逆に皆さん絞られてるんですかね、そんなに。
いやぁ、多分そんなことはないとは思うけど、今の中田さんのお話だと、自然体でいるときに思わずかっこいいなって思っちゃうものって、結構世代によって、私の中のイメージでギャップって結構あるのかなって気もしたんで。
多少はあるかもしれないですよね。多少はあると空気感だったりとか、なんだかんだ街行ったらCMが流れてるとか、スマホをスワイプしてたら出てくるものとかって、なんかわかんないです。
ベースとなるものとしては結構共通してるものも多いのかなって思ったりもしている。
なるほど。結構そうですね、私なんかちょっと、すいません、今の話は私のすごい最近よく考えてることのバイアスがすごいかかっちゃったなと思うんですけど。
なんかその、ちょっと自分の話しちゃうんですけど、最近すごい写真を結構ちゃんとやってるというか頑張って勉強したりしながら撮ったりもしていて、
なんか特に最近の写真、Z世代っていわゆる呼ばれてるような20代前半の人たちの写真って、なんていうかもうちょっと今までの写真文化とは全然違うものすぎて、
例えばそのSNSで本当に息を吸うように写真がシェアできる時代だからこその写真表現みたいなものってあって、
結構多分、本当にちくしくに尖っているアーティストさんとか写真作家さんは特別なスペシャルな人として、
その人たちは特例として、いわゆる普通のアマチュアで写真ずっと好きで撮ってきたフィルムからやってますみたいな人たちって、
多分そのSNS前世紀の写真って全く魅力がわからないというか、
多分興味も持てないし、模倣もできないし、良さもわからないし、みたいな状態になっちゃう人って結構いるのかなってすごい感じがしていて、
そういうのを最近グルグルグルグル自分の中で考えてたんで、
中田さんの話も結構この辺の世代みたいなのに刺さる映像とかっていう感じがあるのかなって聞いてしまったんですけど。
でもその悩みはすごいわかるというか、自分もSNSをやってる以上は、これは別にマンバズしたいとかいう話ではなくて、
やっぱり多くの人には見てほしいじゃないですか。自分も一時期デイリーとかって言ってたんですけど、ひたすらVVでグラフィックを作り続けるみたいなことをやってて、
その視聴者がやたらドイツとかアメリカとかにいるなってなった時に、日本の人たちは誰も見てくれないんだなみたいな気持ちにもちろんなって、
VVってソフトを誰も使ってないんで、日本でちょっと普及活動したほうがいいかなと思って、YouTubeでチュートリアル、英語でやってるんで、
日本語でも何回か配信した時のコメントゼロの視聴者数300とか見た時に、なんだろう、こう辛くなってきてやめちゃうんですけど。
それでも何か時々見たっていう人には街で会うことがあるんで、そういう人たちには届けられたらいいなと思いつつ、労力をかけてやってる以上はある程度の人たちから見てほしいじゃないですか。
でも、ちょっとこれは脱線しちゃうかもしれないですけど、SNSとかでいつものタイムラインがあって、
その中で時には作品的なものとか、写真、映像、グラフィック、いろんなものが流れてくると思うんですけど、
結構そのややもすると、なんかいつものタイムラインを見るスピードでスルーってスクロールして、
特に気も止めずに流れていっちゃうものって多分たくさんあって、
で、なんか私の中ではそこで思わず、おって、こう無意識、ほんと反射の無意識でもいいから、
おって思わず一瞬手を止めて、思わずクリックして拡大した状態で見たくなるような写真がいいなって思ってはいるんですけど。
分かります、分かります。
思ってはいるんですけど、実際それがどこまでじゃあそうなってるのかってやっぱ分かんないし。
で、なんか変な天の弱なところもあって、あんまりいいねつきすぎると、
これなんかちょっとこのままやってたら自分調子に乗っちゃいそうだなって思っちゃうこともあるんですよね。
なんか変にこう、変に刺さりすぎちゃったなみたいな感じに思うこともあって。
なんか写真のUV伸ばしてこうビューって伸ばして、
はいはいはい。
こうただの写真じゃなくてちょっとした作品っぽい見た目になってるものとかって、
やっぱり目を引きやすいし、みんなすごいいいねしてくれるんですけど、
なんかそれで、あ、なんかすげー嬉しいなって安易にこう感じてしまうことって果たしてなんかいいのかなってちょっと考えちゃったりとかもするし。
わかります。一方で満髪を乱せる人はたぶん、これでいいんだと割り切って、
それを繰り返せる人がインフルエンサーになるんだろうなと思いました。
いやーそうですね。ほんとそうだと思うわ。
自分も独卒さん側なんで、なんかちょっと実験的に試したやつがいいなってなったら絶対同じことをやらないタイプの人間なんで、
多分反省点は間違いなくそこにあるんですけど。
そうですね。難しいなって思います。だから、本当にいいものだから、
なんていうか、言葉では説明できないけど、本当に多くの人の共感を読んでるから純粋にいいねが伸びてるのか、
なんか物珍しさで、いつもよりちょっと多いいいねがついただけなのかってわかんないんで、
自分の中ではすごいバランス取るの難しいなって思うし、
あんまりいいねつきすぎるようになってくると、なんかちょっと逆に投稿できなくなっちゃう気持ちが、
個人的には働いちゃったりもしますね。
しかもこの話、ヨシア氏以外にもアルゴリズムとかいろんなことが絡んでくるんで、余計ややこしくて、
そうですね。
結論多分振り回されないっていうのが正解なんだろうなと、
自分が正しいと信じることを、ある程度アルゴリズムに乗るんだったら毎日コンスタントに投稿してみるだったりとか、
自分のルーティーンに返してくるのは多分いいことだと思うんですけど、
それの影響を受けすぎると、自分の作りたいものって結局何なんだっけとか、
ある種SNSで見えるバズってるもんってすごい質感が似てたりとかもすると思うんですけど、
そっちに行って、果たして自分の未来はそこにあるんだろうかみたいな。
難しいな。中田さんは結構どれぐらいのスパンで、制作だったり作品作りみたいなものを結構捉えてるんですか。
例えば普段の生活の中でパッと思いついたことをまず作品にしてみるっていうようなやり方もあると思うし、
一方で、それこそ学生さん、大学院とか経営大とか行ってる方たちみたいな、
何年かかけて卒業制作を作っていくぞみたいな、そういう長いスパンで作品を捉えてるのかというと。
難しい質問だな。いい質問だね。難しいところで自分としてやるべきだと思ってるのは校舎なんですよ。
それこそフライング東京とかに応募した理由の一つは、そういう長いスパンの作品を作んなきゃいけないなって思ったっていうのがでかくて、
2019年ぐらいから1年か2年ぐらい間、コロナ禍ですね。コロナ禍はデイリーっていうのをやって、本当に毎日ひたすら、
スケッチって今は読んでるんですけど、スケッチをひたすら起こすみたいなことをInstagramとかでやってたんですよ。
それはもう本当に毎日1時間って決めて、その中で作れるものをVVでひたすら絵として作ってってInstagramに上げていくみたいなことをやってた時期があって、
最初それが作品制作なのかなみたいなことを思ってたんですけど、それをやめた期間から1年半ぐらいかけてじっくり考えてみたときに、
あれはきっと作品ではないんだろうなっていうことが分かって、あくまで自分がVVで描ける絵みたいなののクオリティレベルを上げられるように、
スクリアップのために始めたことだったなっていうことを思い返したりだとか、
結果的にそこでできた絵はもちろん印刷しても面白いんですけど、印刷して売るみたいなことも時々考えたんですけど、
それってでもデッサンとかクロッキーとかと一緒で、なんとなく線引いてみていい感じの線が出る訓練をしてただけだなみたいな。
あれを作品として呼ぶのは少なくとも自分のやりたいこととしては違う。むしろインタラクティブな作品だったりだとか、
それを通じて何かに対する疑問を感じてくれるとか、問いかけになってるとか、
新しい作品を誰かが作りたいと思ってくれる、それにインスパイアされてみたいな、いうレベルのものをちゃんと作っていかないと、
そういうものじゃないと作品とは呼べないなっていうのが最近の自分の考えてることですね。
なるほど。面白いっすね。なるほど。
じゃあまさにそういうふうに思ってることが今のちょっと違う形になってきてるというか、
まさに今がその時、まさに今この瞬間がその時みたいな感じなんですかね。
自分の作品作りに目を向けている瞬間というか。
そうですね。自分の場合今音に結構、フライング東京庁は音に結構注力するという形でひたすら音の勉強を今してて、
もともと音楽全くやったことないんで、エイブルトンライブの基本的な使い方からひたすら音の勉強をして、
エイフェクスツインはどういう風に音楽作ってたのか、コード進行とはなんぞやみたいな基本的な音楽理論をまず知らないんで、
ミュージシャンになりたいわけではなくて、ただそれをやってる理由っていうのがミュージシャンになりたいわけじゃなくて、
自分があくまでインスタレーションを作りたいんで、そのインスタレーションを作る中で構成する要素ってビジュアルもあれば、
音も当然毎回つきまとうもの。これをいつも人にお願いしたりとかして、コラボレーションという形で毎回人にお願いしてたんですけど、
よくよく考えたらやっぱりそこも自分でコントロールできるようにならないと、多分自分の作品としてはまとまった形にならないだろうなっていう風に思って、
音をちゃんとやろうっていうのが今の期間。
なるほど、なるほど。じゃあまあ、わかんないですけど、やっぱり中田さんの中で次のステージに行こうとしてるっていう感じなのかもしれないですね。
そうですね。なんかデイリーみたいなことやって、ビジュアルは自分が憧れてる映像作家の人たちとかとまでは行かないけど、
映像としてはいいものができるようになってきた感覚があって、それをもっと次のステップに上げていくためには音もコントロールできるようにならなきゃいけない。
ただ欲望に負けると、この毎日作ってる実験的な音楽ってSNSにあげたくなるんですよ。
よし、とりあえずなんかいい感じのやつできたし、SNSにあげてもいいかもしれないなみたいな。
迷うんですけど、違う、違うって自分を忌めながら、今はあくまで勉強期間だってやってますね。
なるほど。めっちゃいいっすね。めっちゃいいと思います。
いや、ただこれ言ってる翌日にはもうSNSにあげてるかもしれないんで、やらない理由を言語化してみると別にあげない理由があるわけではないじゃないですか。難しいところですよね。
そうですね。でも多分、まだ客観的な評価が自分自身でできてないうちに出してしまったときの、本当の客観の人たちからのいろんなことが変に作用しちゃう不安とか。
それはわかります。
いろんなものがあるんでしょうね、きっと出さない理由としては。
ただ一方で誰も見てないっていう事実も知ってるわけじゃないですか。
まあまあまあ。
だから、出したところで言うと何もないんだけど、俺はなんでこんなにカッコつけようとしてるんだろうみたいな風に悩むこともあります。
いや、わかるわ。いや、俺も写真がそんな感じでしたね。別に貼ったっていいわけじゃないですか、写真なんて。今時誰だって写真なんてSNSに貼ってるわけで。
でもなんか自分の中でちょっとやっぱ出すまでに時間かかったし、今もなんかそんなに自分の中では積極的に出してる感じはなくて、相対的に見たら昔より全然回数とか頻度は増えてるんですけど、自分の主観的にはそんなに出してるつもりはなくて。
特にそのドクサスという文脈の活動の中ではおふざけ写真くらいしかあんま出してないつもりではあるんですけど、でもやっぱなんかそこは自分のガチの本気のものを出したときに、現実を突きつけられる恐怖みたいなのもあるのかもしれないし。
確かに。
あるのかもしれないし、なんかやっぱ自分の中で納得できてないものを出すの怖いなみたいな感覚はやっぱある気がします。
わかります。その感覚はもう古いんじゃないかなみたいなことで悩んだりもするし。
そうですね。どんどんメタになってっちゃうんですよね。
そうなんですよね。すごく難しいところで。一方で自分みたいなインタラクションデザインみたいなの好きというか、やりたいみたいなふうに思ってる人間からすると、実は全部出すってことは間違ったことじゃきっとなくて。
デイリーもとりあえず下手くそでもいいから出すって形でやってった結果伸びたのは間違いないし、いろんな意見とかあれいいこれいいとかチュートリアルとかってコメントにはついたりとかしてたんですけど、いらねえやつは無視すりゃいいだけだったんで。
取捨選択する能力も我々にはもちろんあるし、ってなったら、結局自分が傷つきたくないだけとか、あげてない理由って実はそこだけなんじゃないかなって。
そうかもしれないけど。
それでまた落ち込むっていう。
そうですね。まあ難しいとこだなあそこは。人によって違いそうですしね。
そうですね。
感じ方とかも。そっかなるほどなあ。でもいいっすね。自分でやっぱり全部自分の手で生み出したいっていうところで音楽が必要だなって思えば音楽もやるし、多分もしかしたら何年後かには音の次のステップにまた行ってるかもしれないですもんね。
そうですね。プロダクトをやりたいとはずっと思ってて、次のステップは自分の中でプロダクトって決めてるんですけど。始めるにしても10年後だと思ってるんですけど。
はい。なるほど。そっか。でもそれはやっぱり作品っていう形として最終的には出てくるんですか?そのプロダクトにしても。それともそこは作品というよりはなんか純粋にプロダクト自体として出てくるんですか?それって。
なんか難しいところで、多分作品、答えとしては作品なのかなっていうふうに思うんですけど、その理由も、今ベースドラマでも働かせてもらってるんですけど、今までもフリーで仕事やっていく中で、仕事の向いてなさみたいなのが毎度こう自分の中で出てくるんですよね。
向いてなさすぎるっていう。協調性だったりとか周りに合わせるみたいなことに対するこう、自制能力みたいなのがなさすぎる葛藤みたいなのが自分の中でずっとあって、なんで仕事っていう形で物事をやっていくのが極端に向いてないタイプの人間だと思ってるんですよね。
はい。
そういう方それなりに多分このラジオにも出てるかなって思うんですけど。
そうですね。
誰が悪いとかではなしに、自分はいない方がいいとか、自分よりこれは得意な人が大量にいるみたいな葛藤がやっぱ常にあるんですよ。仕事を、いわゆる仕事っていうのをしてると。
なとすればなんか自分がこれが正しいって信じるものを出していって作っていって、それをいいと思ってくれる人たちと何かをした方がきっとお互いにとって幸せになれるだろうなっていう感覚は自分の中でずっとあって、それが多分作品という形で作るしかないんだろうなと思ってるゆえんですかね。
なるほど、そっか。なんか私全然具体的にイメージできないんですけど、例えばみたいなのはもう今の時点であるんですか、こんなものになったらいいなっていう。
プロダクトですか。
はい、ビジョンは。
プロダクトそのものに具体的なイメージはまだいくつかはあるんですけど、明確にあるわけじゃなくて、動機としてはけど、いわゆるインスタレーションとかを作るってなったときに、空間を要は支配したいわけですよ。
空白画を支配するときにもちろん映像と音ができるようになったらある程度の支配力は手に入るんですけど、結局空間の見え感を決めるのって造作的な部分だったりとかして、
LEDスクリーンをもちろん立てて、スピーカー置いて、Kinect設置して、人が前通るみたいなのもいいんですけど、なんかもっとインタラクションってデザインできるはずなんですよ。
例えばよくわかんないオブジェが手前にあって、その前に立つことで何かが起きるとか、なんかそういう空間とかそういう造作とか使ったインタラクションってまだまだ探れることがたぶんいっぱいあると思ってて、
デジタルになるとどうしてもその辺が省かれるんですけど、インタラクションデザインしようと思ったらちゃんと導線が設計できるような空間造作があるべきで、そういうところにたどり着きたいなっていうのが自分がプロダクトをやりたいと思っている理由ですかね。
なるほどなあ、なるほど。最近写真というものを足掛かりに結構現代アートとか、インスタレーションとかも含めてメディアを使った表現みたいなものにすごい個人的な興味がいろいろある中で、
なんかその私自身について自分を客観的に観察してみた時に、なんか強い動機がまずないんですよね。作品で表現したいものがまずないみたいな状態だなって自分を自分で観察した時に思っちゃう時があって、
なんかそう、私は私で弱気になっちゃうというか、アーティストとしての素質がないのかなみたいな風に自分では思っちゃうんですけど、なんかその中田さんの場合はじゃあ最終的にプロダクトができて、
そのありとあらゆる全ての面を自分で掌握した時に、やっぱ何か結実してその表現したいものみたいなのがやっぱりあるってことなんですよね、きっと。それは何か時と場合によって変わるみたいな感じなんですか。
そうですね。なんかそれらが組み合わせてこういう世界ができたらいいっていう具体的なイメージがあるわけではないです。ただ、なんだろうな、自分の場合やっぱりさっきの仕事ができないみたいなところの葛藤とかの裏で作品のアイディアが出てくるというか、こんなの作りたいみたいなのが基本ストレスの裏で必ず発生するタイプの人間なんですよね。
今もベースドラムに3年目になるのかな。ベースドラム自体は素晴らしい組織であれど、自分の仕事の向いてなさみたいなので、自分自身と戦う瞬間がかなりあって、その裏でこんな作品あったらいいなっていうのが街を歩いてて思い浮かんだりだとか、こういうのってもっとアーカイブされるべきなんじゃないかみたいなことが自分の中に出てくるんで、それらをひたすらメモしておく。
みたいな形でこういう作品作りたいなっていう形にどんどんなっていくっていう感じですかね。
そっか、でも自然とそうなるってことっすもんね、きっと。
なんかこう、しなきゃいけないみたいな、そういう切羽詰まったものがあるんじゃなくて、自然と作りたいなっていう気持ちが湧いてくるっていう感じですよね、きっと。
そうですね。それこそ、でも多分同世代の、それこそこのラジオに出演されたバック君とか、すごい作品作ってるじゃないですか。
彼の映像とか見ると、どうやったらそれを超えられるのかみたいな、一生超えられない気も一つ、超えたいなっていう気持ちはもちろんあるんで、60、70ぐらいになったら、どっちが長生きしてるから超えられるかもなみたいなテンションで考えたりするんですけど。
なんかでも、とか見るとやっぱり自分の中では、そこに負けてるわけにはいかないなみたいなのはちょっと出てくる。
そっか、なるほどな。いや、なんかほんと最近すごい、割と深刻に自分の中で悩んでて、なんか作んなきゃなとか作りたいな、表現したいなみたいなのないっていうか、何を糧に俺は頑張ったらいいんだろうっていうのが。
あんまうまく思いがけないんですよ。写真始めてちょうど今2年、もうすぐ2年になるかなぐらいの感じで、最初の1年目は本当になんていうか、カメラという、現代のカメラというデバイスの凄さ。
あ、こんな綺麗に写っちゃうんだみたいなこととか。いや、それで続けられてるのがまずすごいと思いますけどね。
いや、なんかその、すごいなんか無邪気に楽しいだけで1年ぐらい過ごしてきて、で、なんかちょっと欲が出て写真のショーとかに応募してみたりしよっかなとかってなったときも、
ただ欲が出てるだけだから、なんかその表現したい、写真でこれを俺は表現したいみたいなのが先行してるわけじゃなくて、なんか自分が良かれと思ったものは果たして一般の人たちにはどう見えるんかなっていうなんか興味みたいなものが勝っていて、
で、なんか最近その2年ぐらい経って、その無邪気さと自分がどう見えてるかの現在地に対する興味みたいなのが、なんかひと回りしたときに、なんかこううっすら自分の中で写真で作品とか作れたらいいなっていう、なんか夢じゃないんですけど、
慣れたらいいなみたいな気持ちは湧いてきてるんですけど、じゃあ何をどうするみたいなところが、何がしたいみたいなところが、なんかいまいちまだ見えてなくて、まあただなんか見えてくるんだろうなって期待半分思ってるから、続けることはできるんですけど、なんか悩んじゃうというか。
でもね、自分は今話聞いてって思わしたよ、そっち側です。今でこそこういう作品が作りたい、ああいう作品が作りたいっていう葛藤がありますけど、やっぱりこう例えば20数代のときに、なんだろう、まあ自分のフリーランスのポートフォレットも時々見返すんですけど、基本的にやりたいことってよりも、なんか自分の場合なんか何か人と違うことがやりたいだけで10年間走り継げてきたタイプの人間なんですよ。
そこに具体性は全くなくて、で多分いろんな人から話をもらう中で、これだったらこう組み合わせた方がいいんじゃないってなってポートフォリオが出来上がってたんですけど、そこに自分の作りたいはなかったんですよ。
で、なんかアドビのアーティストインレジネスが2018年から1年間ぐらいあった期間も、なんか周りはすごい作りたいものが明確にあって、応募のコンセプトとかもはっきりしたんですけど、自分の場合応募のコンセプト何度も変わってるんですよ。
なんとなくぼんやりとやりたいことはあるけど、まだこれだって言い切れるような形になってなかったみたいなのが多分デイリーとかをアドビのアーティストインレジネスの後とかアドビのアーティストインレジネス期間中も作品を作んなきゃいけなかったんで、なんかそういうのを作って経て今やっと、なんかこうはっきり言語化できるようになってきたのかもなって今話にかかってて思いましたね。
なるほど、なるほど。なんか私にとってはその行行じゃないですけど、いつか見えるかもしれないなってちょっと安心できる部分ではあるかもしれないですね。
なんか前半かっこいいこと言いましたけど、よく考えたら多分そっちです。だから多分10年ぐらいカメラを写真を続けてきたら多分コンセプトだったりだとか、なんか見えてくるのかなとか。
そうですね、なんか結構私、ちょっと違う話に聞こえちゃうかもですけど、割と大会系な学生時代だったんで、私は剣道やってたんですけど、なんかその剣道やってて、私は中学から部活で始めたっていう、部活で始めた勢なんですけど、中には小学校からやってる勢みたいな人たちがいて、
なんかそこの格差ってとんでもなくでかいんだっていうのが、学生時代に思ってたというか、なんか同じ年なのにその磨かれ方の順度が違いすぎて、もう全然違うステージにいるなっていうふうに、中学生なりにわかってしまうというか、
今すぐ追いつけるものじゃないな。それは何年も経てば、もしかしたら差は縮まっていくのかもしれないけど、この中学3年間で追いつけるようなものじゃねえなってすごい感じた部分があって。で、なんかそれと一緒でやっぱりこう、やればやるほど、写真とか新しく始めてみて、やればやるほど本物のすごさがわかってくるというか、
あーこれとんでもないとこに俺足踏み入れちゃったわみたいな感じがしてきて。
写真は確かにそうっすよね。
なんか本当にそんな感じがしてきて、やっぱ悩んじゃうというか、もうなんならちょっと真面目に芸大行ったほうがいいのかなと思い始めてる感じっすもん最近。わからなすぎて。
自分も音楽一時期そうですけど、フライング東京受かる前は大学に行こうかなって。サウンドデザイン勉強しに行きたいなって思ってました。
いや本当そうっすよね。なんかその、ちゃんと歴史とかコンテキストみたいなものも含めて、自分の中で一回取り込んだ上で、じゃあ何が出てくるんだっていうことを確かめたくなっちゃうというか。
わかります。もっと勉強したらよかったなとか思いますよね。
そうそうそうそう。
もっとちゃんと授業聞いてたらよかったなとか。
いや本当にそう。私は高卒だから、大学からやり直すとしたらやり直しっていうか、学び直すとしたら大学からって感じなんですけど。
いや本当に、なんか後悔はしてないですよね。高卒で仕事し始めたことに後悔はない。そういう人生を巡ってきたことに後悔はないですけど。
ただやっぱりなんか違う未来もあったのかもなみたいなことは思っちゃうし、だったら今からでもやったほうがいいんじゃないかなって思ったりも。
それはすごい、自分は後者派でやるべきだと思う派ですね。違う未来、なんか妻とも最近話してたんですけど、来世はこれやるとかっていうのがわからなくて、来世あるかどうかわからんやみたいな。
だとしたら後悔するのって現世ですべて完結するから、今から大学に行きたいんだったら大学に行くべきだなって自分は思うし、自分の場合、族さんさんの場合大学に行くっていう選択肢が今悩みとしてあるんだってやっぱり行くべきだと思うタイプの人間なんですよね。
今もだから会社員やりながらフライング東京とアーティストインレジデンシーと応募させていただいたのは、もちろん会社員の話をさせていただいた上で応募もして受かったんですけど、
なんかそれも多分応募してなかったら後悔しただろうなと。
そうですね。
そういうのは常に後悔しない選択肢として、今生一度きりだっていう意思を持つようなしてますね。
いやーほんと、ほんと悩んでますね最近。
だからちょっと一丁前に本とか読んで考えたりしてみて、でもわかった気になるだけだなってやっぱ思っちゃうし。
わかります。
なんかわかった気になっただけで、それが本当に身になってるのかどうか確かめられない不安と戦わなきゃいけないし、
まあ大学行ったからといって何かが変わるかどうかはまあわかんないけども、
でもそういうことを一回やってみたほうが安心というか後悔がなくなるというか、
やんなかったことに対する後悔は絶対出てくるなって思うから。
そうですよね。
うん、行ったほうがいいかなって思っちゃったりもします、最近。
それもわかります。あと自分の場合は、いわゆるメディアアート的な、いわゆるメディアアートの世界だとSFCっていう大学だったかな、
KOだったかな、とかIAMASっていうところが有名なんですけど、そういうところは出てないんですよ。
そういうところは出てない中で、ある種美大卒みたいな感じでいると、
フライング東京ってどっちかっていうとライズマティックスって会社だったりとか、
今回採択された人たちも自分以外はSFCで、IAMASの出身だったり今在学中の子たちで、
メディアートといえばその2項だっていうことを思い知らされるんですよ。
ただこれって自分の後悔は、さっきの読者さんの話に戻ると自分の後悔もそうなんですけど、
周りの見え方も多分違うんだろうなと思ってて。
そうですね、そうですね。
写真をやっぱり大学で専攻してたっていう、その事実が醸し出す匂いっていうのも多分。
そうですね。
で、それに寄ってきてくれるようなものっていうのも必ずあるんだろうな。
そうですね。
本当なんか、仮に自分に何か、出すとこに出せば評価されるだけの何かが自分の中に眠っていたとしても、
出すとこに出す方法も分かんないし、
分かります。
出すとこに出すための接点もないし、
やっぱりなんかそういうのってちゃんとそういう世界に足踏み込んでいかないと、
その接点が生まれないというか、
SNSで運がよくバズったらもしかしたらね、
何もないところからサクセスストーリーみたいなことってゼロではないのかもしれないけど、
なんかそういうものを求めちゃうのはなんかやっぱ違うなって思うし、
そう考えると学業の方に行くしかないのかなって思っちゃうけど。
行かれます。
一方でやっぱすごいなって、多分ドクサスさんもその世代だと思うんですけど、
フラッシュ世代の人だって。
ベースドラムにいるものすごいフラッシャーの人も、
高卒って言ってたかな。
で、なんか高卒の傑作みたいなのもあったりとかする。
はいはい。
高専だったかな。
はい。
でもその、多分フラッシュとかやってる人って別に美大出身じゃない人もかなりいるじゃないですか。
そうですね。
デザインは別にやってないけど、フラッシュっていうのが出てきて、
その人もっと美容師だ。
もっと美容師でフラッシュやってるみたいな人で、化け物みたいな人とかも見ると、
なんかそのかっこよさみたいなのもある。
ありますね。
ありますね。
あります。
本当に。
やっぱ自分が好きな作家さんとかの中にも、
アカデミックな背景はないけど、今こうなってますみたいな人もやっぱ中にはいて、
かっこいいなーってやっぱ思っちゃうし、
なんかね、自分にはどうしてその才能がないんだろうってすごい思っちゃったりとかもするんすよね。
それもすごいわかります。
本当に最近だからすごい、やっぱ自分がなんだろうな、
アーティストとして成功したいっていうとこまではなんかまだ文不走歩というか、
それを描いてしまうにはちょっと自分がまだあまりに未熟だなって思っちゃいますけど、
でもなんか、
特にそのウェブジェルスクールみたいな教える側の立場である人間のその感覚で言うと、
やっぱできない、やらないっていうのは単なる諦めっていうか自分自身の問題なんですよね、常に。
諦めずにやり続ける人だけが成功していく感じだなってやっぱ見てて思うから。
なるほど。
やっぱそのスクールっていうすごい狭いスコープで見ても、
わかんないなりにずっと頑張る人も中にはいて、
そのスクール終わった後もツイッターとかで見てて、
まだ地道にやってんだなって思う人とかってやっぱ中にはいるし、
なんかそういう人たちがやっぱ成功していくんだなって思うんですよね。
続けてってる人。
そうそうですね、継続して。
で、たぶんその継続する理由は人それぞれだと思うんですよ。
なんか仕事だからしょうがなくな人もいるかもしれないし、
好きだから誰に頼まれるわけでもなく自然とやってしまうみたいな人もいるのかもしれないし、
でもやっぱなんか続けてる人は変わっていくんだなって、
すごい毎日毎日少しずつ変化していくんだなっていうのは見てて感じるから。
なるほど。
だからなんか自分は結構皮肉でよく自分に対して言っちゃうんですけど、
その続けることぐらいしか得意がないというか、続けるのは得意なんですよね結構。
自分もそうです。
だからもう写真もわかんなくても毎日カメラ持って散歩出て行って、
わかんなくてもたくさんとにかく撮ってきて、
何も成長した実感なくても何かが起こってると信じてやり続けるしかないのかなって思ってるんですけど。
自分もそれです。
自分はそもそもバックンとか世代近い彼らを見て、
20代の時に作った作品がものすごいじゃないですか。
ああいうのにやっぱり打ちのめされた、同世代にも他にも千屋陽介ってさっき名前出した映像作家とかもすごい子たちがいて、
そういうのを見て打ちのめされて、
自分の中で至ったら60、70まで続けられたら彼らは続けてないかもしれないぐらいの。
俺はとりあえず続けるぞっていうところだけで頑張るしかないなとは思いましたね。
いやわかります。やっぱり続けることだけはできるから。
わかりますね。
そこは負けないかもなというか、アドバンテージなのかもなと思ってはいるんですけどね。
本当写真とかってやっぱり、映像とかインスタレーションとかコンピューターグラフィックスもそうだと思いますけど、
こうなっていれば100点ってないっていうか。
まあそうですよね。
無限に解釈の仕様があるし、そこが面白い部分でもあると思うし。
だから写真は本当にずっとわかんなくても続けていきたいし、
自分なりの表現みたいなものもやっぱり探し続けていきたいなっていう気にはなってるんですけどね。
あとその軌跡が多分面白いんでしょうね。
その葛藤も含めて、どんな葛藤をしてどういう写真に至っていくのかみたいな。
その流れはすごい面白いだろうなって。
そうですね。
いやーなんか本当に、だから俺の中では中田さんってやっぱりポートフォリオとか拝見してもめっちゃ作品もあるし、
経歴もすごいなんか、もうなんか目ん玉飛び出るようなのいっぱい書いてあるから、
完全にアーティスト寄りのすごい、どちらかというと俺の中では割と完成されたアーティストサイドの人なのかなってずっと思ってたんですけど。
いやあれですね、全くそんなんじゃなくて、むしろなんかたまたま、なんかちょっと変なんですよ。
海外で育っただったりとか、要素に不思議ちゃんじゃないですけど、そういう要素が付随してるんで、
あと英語が喋れるとか、なんかそういうちっちゃな自分の能力によってたまたますごい人たちの周りにさせていただく機会が多くて、
今ベースラムにいるのもそうなんですけど、世界っていうところもそうですし。
なんかその中でたまたまいろいろやらせていただく機会があったんですけど、
自分のポートフォルメを見返して思うのが、果たして俺は何ができるんだっていうところで言うと、やっぱみんなに負けてるんですよ。
映像がすごい人とか、モーショングラフィックスすごい人、デザインがすごい人みたいな人たちに囲まれてる中で、
テックわかるけど、テックわかるけどさみたいな。映像も多少わかるけど、この人より映像できるわけじゃないし、この人よりテックできるわけじゃないしみたいなところで、
必ずしも作品がめちゃくちゃすごいっていう、バックみたいに映像作品として素晴らしいものを出せてるわけでもないんで、
すげえ中途半端だなっていう悩みがずっとありますね。
ただ、その中ですごい映像が作れる人間、すごいテックがわかる人間、テクニカルディレクターとしてめちゃくちゃ活躍できる人間になるイメージは全く湧かないんで、
だとすると、いい加減ちゃんと作品を作る人として作品を作り続けて、なんかその中で認めてもらえるような存在にならないといけないなっていうのが今の一番でかい葛藤かもしれないですね。
いや、なんかそうっすね。今日の話めっちゃ面白いっすね。
いや、なんか答えないじゃないですか。
完成されたい。
すげえ面白いな。だから、この1時間ちょっと中田さんと喋った中での短いやりとりの中でもやっぱりいろんなことわかってきたし、
すごいそういうわかったつもりになっているだけかもしれないけど、いろいろわかった上で、あ、だから今作品作りなんだっていうところにもやっぱり納得できるというか。
確かに。
すごいわかるような気がします、気持ちが。
嬉しいっすね。こうやって雑談形式じゃないですけど、インタビューとかもちまったん時々受けることがあるんですけど、インタビューだと結構海外在住みたいなところが目立ちすぎちゃって、
あとVVVってよくわかんないツール作ってますみたいなところが目立ちすぎて、こういうパーソナルの話をなかなかする機会ってなくて、
なんか今日みたいにこういう形でお話できると、多分人間的な部分で言うとまじでしょうもないことしか言えないんですけど、その葛藤の中で普段生きてることの方が自分にとっては重要だったりするんで、
嬉しいですね、そういう話。
いやーめっちゃ今日の話いいなと思って聞いてたし、なんかすごいやっぱなんだろうな、シンパシー感じる部分もあるし、
なんか一筋縄ではいかない難しさもなんか想像がちょっとできるという部分もあるし、
いやほんとなんかインタビューっていうよりはなんかこう、これもあのノーマライズFMで結構ゲストの皆さんに言ってるんですけど、
ほんと居酒屋でたまたま隣の席だったぐらいの感じで喋りたいって結構伝えたりすることあるんですけど、
なんかそういう温度感で出てくる話題とか言葉って、ちょっといわゆるその雑誌に載るようなインタビューとはちょっと違いますよねやっぱり。
あとドクサスさんがすごい良い声してるから、喋ってて心地よくペラペラペラペラお酒飲んでなくて、
まあ自分はお酒飲めないんですけどお酒飲んでなくても喋れちゃうっていうのもデカいですね。
声の良さは聞いててもすごい、いやあるじゃないですかなんかそのラジオ聞いてても、
なんか耳にしっくりこない音っていうのと、なんかすごい自然に聞ける音っていうのは多分あって、
ドクサスさんの声はすごく聞き取りやすいな、ですごい落ち着くなっていうのはノーマライズで聞きながら、いつも思ってました。
ありがとうございます。ありがとうございます。
なんか今日は本当俺、俺自身が最近そのちょっとアート寄りとかのとこにちょっと自分の足が、軸足が映ってるようなとこあったんで、
本当にいろんな話、どの話題も面白かったし、
なんかちょっとやっぱ難しいじゃないですか、その自己顕示欲との折り合いのつけ方とかもやっぱ難しいじゃないですか。
結構どこまで出していいんかな、その作品で語るべきなのか、
なんか出すべきなのか出さざるべきなのかとか結構バランス取るの難しかったりもするし、
なんかこういう雑談のトーンで普通にお互いひけらかせるのってすごい良いですよね。
良いですね。
すごい良いなって思う。
初対面の人に突然作品での悩みとかさっきのパーソナルの話とかしたところで、なんじゃこいつとしか普通にならないですからね。
そうですね、そうですね。
でも良いですね。じゃあまぁ、ちょっと直近の話にいきなり話題戻しちゃうんですけど、
今はじゃあその音楽の理論だったり技術的な部分も含めて色々勉強して、
作品として作るものが出るとしたら来年とかになるんですか、その制作してるもの。
そうですね、今少なくともフライング東京においては自分はオーディオビジュアルをやるっていうところで、
映像は作れるんで、映像作れるっていうかリアルタイム映像はいくらでも作れるんで、
それと音をちゃんと組み合わせたものを作りたいっていうところで、
どっかのタイミングでそういうのをパフォーマンスする機会を自分で作るのか、
事務局側に用意していただくのか、あるいは個展をするのか、あるいはアーカイブとして何かしら出すのか、
ちょっとまだそこの形は明確に分かってないんですけど、
多分何かしらの形で発信、そういうことはしていくんじゃないかなっていうふうには思っています。
っていう感じですかね。
それもやってみたらいろいろ見えてくる部分がきっとあるんでしょうね。
そうですね、特に自分の場合、作家として一番認知された作品っていうのが実は過去にあって、
Human Electroっていうビートボクサーと一緒にやったSigmaっていう作品があるんですよ。
曲げセンサーとか使って、自作のグローブ使ってビートボクサーの体にセンサーつけて、
それでパフォーマンスをするっていう作品を本当に14年ぐらい前に作らせていただいて、
それが結構な人たちに見ていただけた作品だったりとかして、
多分22とか23の時に作ったやつかな。
なんかそれが結構自分の中で結構、今にして思うと作品として一番多分いろんな人に見てもらえて、
かつ自分もすごい楽しかったというか、やってよかったなと思えた作品で、
いろんな機会につながったんですけど、
それを超えるような作品をいい加減作らなきゃいけないなっていうのが最近考えてることで、
そういう意味ではもしかしたらアーカイブって形でとりあえずそういう作品を3つ出してみるとか、
そういう形にまとまる可能性も全然あるなとは思ってて、
ただどの可能性、多分オーディオビジュアルのライブをやるっていうのも大事なことだし、
アーカイブを撮るっていうのも大事だし、
あるいはジェネ作品だけに特化した個展をやるっていうのも多分やるべきことだし、
ただ果たしてこれ全部できるのかみたいな悩みも当然あるんですけど、
できることはなるべくこの期間中にやりたいなって個人的には思ってるっていう感じですかね。
なるほど。いいっすね。すごいなんか楽しみになってきました。
なんかあんまりハードル上げるのもあれかなと思うんですけど、
なんかちょっと目が離せない感じになんか気持ち的にはなってきますね。
是非、でも個展とかやることになったら是非見に来ていただきたいなって。
そうっすよね。
なんか私も、ちょっとまた急に私の話しちゃうんですけど、
写真のショーに関連して1点だけなんですけど、京都のKGプラスっていうイベントで、
それの隣で行かれてたんですか。
そうそう。それで1枚だけ展示されるっていうのがあって、あったんすよね。
やっぱりなんか、展示されるってすごいなと思って。
なんか場所、空間、占有してるわけじゃないけど何かしらの空間に存在して実在していて、
不特定多数の人がそれを見て何かを感じるかもしれない。
もしかしたらバータフライエフェクトみたいな感じで、世界に何か影響を与えるのかもしれないって思ったときの、
いやそれはSNSでもそれこそバータフライエフェクトみたいなことは日々起こってはいるんでしょうけど、
それとは違う手応えというか、自分の中で新しい発見ではあったんすよね。
わかりますわかります。
展示されてる感じっていうのが。
実際そこにわざわざ京都まで、東京からわざわざ京都まで行って、
本当にA4ぐらいの大きさのちっちゃいのが壁にかかってるだけなんですよ。
たくさんある中の一つとして。
でもなんかやっぱそれ見たときに、すげえなって思ったし、
こういう世界でこういう達成感もっと味わいてえなっていう。
わかります。
感じはしたんすよ。
作家として扱われる空気感みたいなのもあるじゃないですか。
そういうのやっぱ感じてみたいって思いました。
わかりますね。
それはすごいわかります。
それがたとえ自分でディレクションした空間だとしても、
人に直に見てもらうことで得られるインタラクションとかって、
やっぱ全然違うものがあるじゃないですか。
なんかあれのリッチさというか、SNSもSNSでもちろん面白いし、
全然届くはずのなかった人たちに届くっていうわけのわからないエフェクトは、
あれはあれで面白いなと思うんですけど。
物理空間で起きる、なんでこの人こんなとこに舞い込んでこの展示見に来てるんだろうとか。
そうですね。
そういうのも含めて。
なんか考える、何なんですかね。
この間それこそベースラムで事務所で展示したときもすごい感じたのが、
なんかすごい贅沢な時間じゃないですか展示って。
そうですね。
その場に自分はいるけどもて余してる感じとか。
でもいろんな人が見てくれてるのを見ながら、
でもこういうことしたらよかったかなとか。
こうしたらもっと面白いの作れるかもなとか。
そういうことも考えられる時間も含めてすごい贅沢な時間ですよね。
物理的な展示の。
やっぱり自分知らない世界だなって本当。
自分は多分興味の源泉として、モーターショーとかの中で、
やっぱり空間を使って見せるみたいな奥深さには多分ハマったタイプの人間で、
モーターショーとかいってもやっぱり基本同じようなLEDスクリーン使って、
もちろんいろんなところがすげーかっこいい造作作ってるんですけど、
フォーマット化してるのもったいねえなみたいなフラストレーションがずっとあった。
さっき言ってた多分インスタレーション作りたいみたいな、
プロダクトもできるようになりたいみたいな話につながっていくのかなっていうふうには思うんですけど。
一方でさっきの話に戻ると自分はあれなんですよ、
基本的な考え方としては国民全員というか人類全員展示を一回やるべきだと思ってて。
話はかなり飛ぶんですけど。
いやいやいいと思います。
なんかその展示の見方がわからないとかっていうのは多分当たり前の感覚だと思っていて、
自分もどの目線で今この話してるんだって話なんですけど、
なんかその、やってみることに見えてるところ来ることってやっぱあるじゃないですか、
その快感だったりとか、
なんか言われたくない言葉っていうのも多分わかるようになってきたりだったり、
含めて、なんかみんな学生時代とかに一度でもいいから展示をすることで、
結局どんなものであれ人に見られるものなんですよ。
作品であれウェブであれ、人に見られることが前提として我々はものを作るので、
なんかその人に見られるっていうのがどういうことなのかみたいなのは、
なんかもうみんな、多分それこそ会社で勤めてサラリーマン仕事してても、
多分食品がどこかに届くっていう流通の部分をやってるだけでも、
結果的には人に見られるってことに絶対関わってくるんで、
なんか全員展示を一度でいいからやって、
なんかそれを通して自分がどう見られるのか、どう見られたら嫌でいいのかみたいなことを学ぶべきなんじゃないかなっていう、
すごい変な話に飛んじゃいましたけど。
いやいやいや、めっちゃ面白いと思います。
めっちゃ面白いと思います。
なんか、いやほんとそうです。
おっしゃってる内容はもしかしたら人によって暴論に聞こえるのかもしれないけど、
俺はすごいわかりますね。
だって考えたことないっすもんね。
本来考えないですもんね、人に見られるとか。
社会と自分がどう関わりたいかってことじゃないですか。
展示をするって多分。
まあそれは一側面をちょっと強調しすぎた言い方になっちゃってるかもしれないですけど、
どう見られたいか、どう関わっていきたいかみたいなことがやっぱり展示として現れてくると思うんで、
それこそね、ほんとにそういうこと一度もやったことない人にやってみたらって、
そこで得られるものたくさんあるよっていうのはわかるんですよね、おっしゃってることは。
私は多分そこら辺をずっとやらずにこの年まで来ちゃったんで、
今になっていい感じに興味がシンクロしてくれたおかげで、
やりたいなって思えるようになってるんですけどね。
自分がだからもし小学校の先生とかになったら多分みんな何でもいい、
体操着でも靴でも何でもいいから廊下に飾ってって多分言うと思ってて。
なんか別に美術館である必要もきっとなくて、大工館でもどこでもいいから、
で自分のTシャツでも靴でも鉛筆でも何でもいいから、
なんか飾るっていう行為を通じて人が物を見る視点って変わると思ってて絶対に。
それを一度でいいから体験しとくべきだな。
なんかちょっと今急に思っちゃったんですけど、
中田さんは多分部屋の模様替えとかもそれに近い感覚なんじゃないですか。
なんか表現的なものではないですか。
なんかちょっとでも違うのかな。
でもそれは近いかもしれないです。
海外で育ったっていうのも多分あって、海外で育った知り合いとかと話をするとこの話は若干シンクロするんですけど、
結構人を家に招くのが当たり前な文化で育ったんで、
基本見られる前提で部屋を作ってるんですよ。
誰をいつでも呼べるように常に部屋の状態をしてるっていうのはあるかもしれない。
そういう意味では見られる前提かもしれないですね。
ただうちの場合リビングに支配してる妻は人を入れない環境で育ったんで、
自分の部屋にたどり着くためにはリビングを通らなきゃいけない。
一生誰もこの部屋に入ることないんですけど。
いやー面白いな。面白いですね。なるほど。
全然話変わるんですけど、個人的な興味で質問させていただいてもいいですか。
いいですよ、全然。
スクールについてちょっと聞いてみたくて。
さっきも教えてる子たちの中で伸びる子たちは長いこと続けてる子たちだって話が出たと思うんですけど、
孫さんについて自分はちゃんとスクールについて理解が全くないんで、
すごい基本的な質問、リスナーさんもしかしたらすでに知ってる人たちしかいないとは思うんですけど、
あれって何年も何十年も続けられてるんですよね。
あれは11年とかですかね。
長い。すごいですね。
年一って感じですけどね。
ワンクォーターとかでもう1年間ずっとやってるわけじゃないんですよね。
じゃなくって各週で配信で4時間ないしは5時間ぐらいの配信を。
すげー。
各週で8回とかやる感じですね。
じゃあ前期ぐらいか。大学でいうとワンクォーターぐらいか。
話してる講義の時間で言えば4,5時間かける8回とかなんで30時間とか。
ん?30時間?
40時間ぐらいかな、それぐらいですかね。
最初からずっとリモートというかオンラインでやってるんですか。
最初はオフラインで場所を借りて実際に来てもらってっていうふうにやってたんですけど、
パンデミックのタイミングですね。そこでリモートに切り替えてっていう感じなんですけど、
結果的にリモートにしたことによって全国どこからでも受講できるっていう感じなんで。
すごいなと思ってて、すいません、これ多分今すごい基本的な質問しかしてないんで、
聞いてる人たち、マジお前調べてこういうレベルかもしれないですけど、
何が聞きたかったかというか、個人的な興味としては、
大学、京都の大学出身、卒業してないですけど、京都生化大学というところで、
4年、5年ぐらい教えてたんですよ。映像演出を。
さっき名前も出てた千昧洋介っていう映像作家と2人で、
自分は映像演出、LEDバーを使った演出だったりだとか、
プロジェクションマッピングを実際映像も含めてやってみるとか、映像をメインとした授業なんですけど、
それをどう人に見てもらうのかみたいなこととか、
実空間の光に変換したときに見え方が変わるんで、
それを体験してもらうことも含めて、授業としてやってたんですね。
その中で、人に教えるっていうのが個人的には結構面白いというか、
そこを出て活躍してること、続かなかったこと、
キャリアがどんどん変わっていく、本当にいろんな種類の人たちがいて、
それを追っていくのも個人的には面白かったっていう意味で、
先ほどおっしゃってた、続いてる子たちの話はすごい面白いなと思いながら聞いてて。
今も自分もVVVVのチュートリアルっていうのをYouTubeで時々やってたりとかするのも、
やっぱりそこの人に教える面白さだったりとか、
カルチャーが続いていく。
多分教えることで、それこそこのPodcastに出てきてる方々の中でも、
実際スクール出身者っていう方でめちゃくちゃ活躍してる人いっぱいいるじゃないですか。
それとか聞くと、すごい世の中に貢献してるじゃないですけど、
すごいなって聞いてて思ってて、
その辺の動機だったりだったりとか、
このラジオもそうですけど、モチベーションってどういうところから来てるのかなみたいなところをちょっと聞いてみたかった。
この話結構割と折に振れ話してることでもありますし、
よく聞かれることでもあるんですけど、
私は結構、ちょっとこれどういう解像度で喋るかっていうのは難しいところなんですけど、
なんか表層的なことで言うと、やっぱり自分自身の売名というか、
プロモーションみたいな部分もゼロではないし、
スクールで言えば売り上げも立つんで、そういう意味では、
それを事業の主軸としてやってるわけではないにしても、
売り上げは立つんで、そういう意味ではビジネス的な部分でやってる部分もゼロではないんですよ。
ただそれは、表層的にはそうなんですけど、
じゃあその一番最初の動機というか、なぜそれをやり続けるのかっていうところで言うと、
結構私は人に奉仕したり、人に喜んでもらえているっていうことを自分が自分で認識できないと、
モチベーションが保てないタイプなんですね、自分自身のメンタリティというか。
自分が映像からインタラクションに行った理由とちょっと近いですね。
そうかもしれないですね。結構私はやっぱり自分が誰かの役に立ってるって思えないと、
嫌になっちゃうタイプだったりもするんで、
だから結構、自分が割を食わされてる方が燃えるというか、
何の役に立ってるかわかんないけど、でも人は喜んでくれてるっていうのがわかったときのギャップというか。
そういうことか、なるほど。
なんて言うんですかね、WebGL総本山っていうウェブサイトがあって、あそこも10年とか更新し続けてるんですよね。
それでじゃあ何が生まれたんだっていうのを考えると、正直わかんないし、
売上なんてほとんど立ってもいないわけですよね。
あのサイトから直接売上が立ったこともない。
でもなんかあれ、やっぱり喜んでくれる人もいるし、
ノーマライズFMとかもそうですね、すごいみんないいって言ってくれるし、
すごいなんかやっぱり人の役に立ってんなって思えれば、意外となんか報酬ゼロでもやれちゃうようなとこがあって。
いやーすごいなー、なるほど。
なんかその人の役に立ってんなーが一番嬉しいっていうか、自分が求めているものだったりもするんですよ。
なんか自分がすごい割りくわされてて大変な思いしてるんだけど、
でもそれを戦略的に見せてる瞬間もないとは言い切れないというか、
俺こんなに頑張ってますよ、無償で頑張ってますよっていうことを、
なんか戦略的に見せてる部分ゼロかって言われるとそんなことないのかもしれなくて、
だからなんか人に喜んでもらってる、そのことが自分を喜ばせるからやるって感じかもしれない。
すごいですね。
いやなんか単純にその大化だったりとか、人育てることが目的なんだとすれば、大学で工業を持つなり、
多分方法っていくらでも存在したはずじゃないですか。
あえて自分で運営から全部やって、工技も考えてやってるって、すごい自らだけが。
授業を過去にやったことある人間としてカルキュラムを組むことがどれだけ大変かだったりだとか、
技術もアップデートされていくじゃないですか。
それに追いつきながら教えるレベルなのか本当に自分はみたいな葛藤の中でやっていくわけじゃないですか。
全然割に合わんぞみたいな。
なんでこの人はこれを続けられてるんだろうみたいな。
そうですね。
このポッドキャストにまで出てくれた卒業生の、多分お名前を知ってる人も何人か、直面しかなくても追っかけてる人たちの人間性とかを、
多少SNSとか通じてかいつまんで把握してると、別にそんなみんなありがとうありがとうって言ってくるタイプの人間ばっかりじゃないじゃないですか。
多分一人もそういう人いないと思うんで。
感謝もめちゃくちゃ刺されるわけでもないけど続けてるっていうのが単純にすごいなと思って。
すごいメタ的な視点で見ると、やっぱり人のためと言いながら自分が気持ちいいからやってるってメタ的には思っちゃうんで。
人のために頑張ってるんだけど結局それって自分が気持ちよくなるためじゃんって言われちゃうと否定できないというか、
その通りだなと思っちゃうから難しいんですけどね。
でも人に教える重要性みたいなのを個人的には感じてきたタイプの人間で、やっぱりVVVなんかわかりやすくて、コミュニティがない結果ユーザーがいない。
逆に一時期コミュニティがあったときはユーザーがそれなりに増えて、そういう人たちが何社か入ってくれたんですけど、
最近バージョンアップデートとかもあって致命的に誰もわかんない状態からリスタートになって誰もいなかったんですけど。
そういうのもあります。実際自分が教えてきた映像演出みたいなことを教えた子たちがその後映像の業界に行って、
そこで学んだことを活かしてくれたりとかいうのを聞いたりとかすると教えてよかったなっていうふうに思うし。
でも大学で教えるって多分独卒さんがやられてるフォーマットよりはあるし報酬とあれがわかりやすいんですよ。
お金をもらって大学に決まった時間行って、こっちはあるし呼ばれた側だからあるし文句も言うじゃないですけど、
ちゃんとこれ用意しといてよみたいなスタンスでいけちゃうわけじゃないですか。
でも自分でやるとそういうことも一切できない状態で、もう自己責任でみたいな環境ででも続けて人に教えてる。
いやでもわかんないです。欲張りなのかもしれないな。
なんか今話聞いてて思ったんですけど、全部自分だけのおかげにしたいのかも。
なんか聞いてて思っちゃったんですけど、その仕組みを使わずに自分でやるのは、
よかったですっていう他人の言葉を全部100%自分が受け取りたいっていう強欲なのかもしれない。
学校のおかげとか、学校を運営しているその他の誰かのおかげとかじゃなくて、
俺だけが感謝の対象になっているっていうことに気持ちよさを感じてるのかもしれない。
だからなんかそれこそスタッフお願いしてとかできるはずじゃないですか。
そうっすよね。
できるはずなのに何でも自分一人でやろうとするのって、
そういう欲張りな気持ちがそうさせてるのかもってちょっと思っちゃいましたね。
確かにでもそれは会社員向いての話にも自分の場合は近いかもしれないですね。
俺もそうだと思います。だから結局、組織に所属することはできるし、
最低限の社会人としてのことは全然できるけど、なんやかんやあって今結局一人で法人の代表していて、
フリーランスとして生活していて、
それってやっぱりできるけど負担って感じてるから、やらないに越したことはないから、
何でもやっぱり自分の自由にしたいみたいな欲求の方が勝っちゃうというか。
でもわかりますね。自分が作ったものが会社の功績みたいになってるのを受け入れられる人がすごいなってやっぱ思っちゃう。
人間の自分のポートフォルエに載せたいって思っちゃうんですけど。
本当だからそういう意味ではちょっと似たとこもあるのかもしれないですね。
憧れてるというか、VVVVのYouTubeで配信をしてるんですけど、
理想としてはそれこそワークショップ開いたりだとか、
細かいチュートリアルをGIF動画に切り取ってやったりとか、
そういう教育方面にちゃんと向きたいなみたいな思う瞬間結構あるんですよ。
散々作家的にやりたいとか言ってる中で、
作家とその教育的な側面とどっちに行きたいんだろうって悩む瞬間も自分の中で時々あって、
コミュニティ普及だったりとかそういうこと。
というのは独卒さんは結構やられてるんで、
どうやってバランスとってるのかなとか、どういうスタンスでやってるのかなとか、
興味があってご質問したんですけど、思ってたよりもストイックだった。
そうかもしれないです。結局WebGLに対してやってることって多分似ているというか、
WebGLを伝える日本語で普及する人がいなかったら、
今の日本ってちょっと違う感じになってたかもしれなくて、
海外ではもうWebGL使ったウェブサイトバキバキなサイトいっぱいあるけど、
日本はそんなに得意じゃないみたいなことがもしかしたら起こってたのかもしれなくて、
それちょっと自分ではわかんないですけどね。
私がいたことによって一体どんだけ日本のWebGL界が変わったのかって、
ちょっと自分ではわかんないですけど、でもそういう未来もあったかもしれなくて。
だからなんか、すごい献身的にやってきたとは思います、多分。
見返りのためにやるだったらできなかったと思いますね。
なるほど、逆にそうか。
見返り求めてやってたら多分できなかったと思うんですよね。
そのWebGL好きだな、WebGLもっとこんな可能性あるのに、
俺一人じゃこの可能性全部開花させられないよ、頼むよ、みんなやってくれよっていう気持ちなんですね。
愛情だ。
だからWebGL総本山も、世界にこんなにWebGLのすごい事例あるよ、
みんな知っといたほうが絶対いいよって思っちゃうから、書くし。
なるほどね。
ノーマライズFMも似てるんですよ。
この世の中にこんなすごい人いっぱいいんぞ、
俺はすごいその人たちと喋りたい、楽しく喋りたい、
せっかく喋るんだったらお裾分けしたいみたいな、
そういう感じなんですよね、やっぱり。
実行力がすごいな、そうなると。
なるほどね。
そういう感じなんですよね。
なるほど。
だからなんかやっぱちょっと変な人だなって思いますよ、
自分を自分で客観的に見た時に、
なんかあんまり同じような感じの人って見ないなというか。
でもすごいなんか共感する部分はすごいあって、
自分の場合VVVも散々言われるんですよ。
なんでタッチデザイナーやらないの?
誰も使ってないでしょって言われるんですよ。
まだVVV使ってる人だって言われるんですよ。
俺はVVVのコミュニティも含めてすごい好きなんですよね。
VVV、タッチデザイナーなんか使ってたら置いてかれんぞ
ぐらいのテンションでやってるんで、
大したビジュアル作れへんやみたいな。
やばい、タッチデザイナーユーザーがこの。
いやいやいや。
でもそれぐらいのやっぱ着替えは必要ですよ、きっと。
その着替えがすごい共感する部分だなって思ってて。
だからみんな使ってないけど、ヨーロッパ見たら
すげえかっこいいインスタレーション。
それこそレフィック・アナドルっていう有名なアーティストなんて
VVVで作ってるやんみたいな。
ほんまにそれでええんかみたいな気持ちに
常々言いながら、俺は好きだってVVVを触り続けてるんですよ。
みんなは知らないだけだよ。
一人になっても大丈夫って。
ただ一方で、どこかで仲間が欲しいみたいな感覚も当然あって。
案件でVVV使ったときに、そもそもVVVバックアップがいないから
実装は任せられないみたいなのがあったりするんで
どうにかしたいなとは思うところでもあったりするんで
独卒さんがやられてるこれらのことはすごく参考になるなって思いながらも
自分にそこまで狂気的な行動力はあるだろうかっていう。
そうですね。
だからこれどっかの回で言ったんですけど
見返り求めてないというか
何かをあてにしてやってないんですよ、常に。
どんな時でも。
ノーマライズFM、バズってめっちゃ自分が有名になってみたいなこととか考えてない。
楽しく喋りたいなって。
せっかく喋るんだったらちょっと収録しちゃおうかなみたいな。
ある種そこってさっきの写真の話と若干違うじゃないですか。
そこも面白いですね。
人間性としてはそこの部分は持ってるはずだけど
この辺のスクールだったりとかにはそこが適用されてない。
多分何かもう一定超えちゃって
中田さんが今は音だなって一つ超えて次のステージに行ったのと一緒で
そこのバランスってあれですね
だからといって分かんない
逆にノーマライズFMあと3倍やりたいって
できるようになったとして本当にそれでいいのか
みたいなこともあるんですかね
どうだろうな
いわゆる稼ぐための仕事しなくていい
ってなったら
もうちょっと頻度は増えると思いますね
増えると思うし
違うジャンルの人たちを首をつかみにいきますね
例えば今だったら写真の人とかを首をつかみに行って
アートの人とか現代アートの人
現代写真の人とかを
もっと幅広いところから持ってこようとすると思います
もっと余裕があったら
やっぱり今はそこまでできないなって思う
時間的余裕もないし
そこまでフリーダムにやってると収集つかなくなるなって
思っちゃうから
だから従来のノーマライズFMの路線のゲストが
たぶんしばらく出続けるし
しばらくはそういうふうに続いていくと思うんですけど
もし余裕があったらなんかもっと違う
アートの人とか音楽の人とか
やっぱり自分にある程度
素直でありたいっていうのもあるんですよね
自分がアートだったり写真だったりに興味があるのに
そのことに一切触れずに
昔の自分のままやり続けるってやっぱり
難しいから
今カメラとか写真に興味あるならそういうゲストを呼ぶべきだし
なぜならそういう人と話してるほうが
楽しい話にできるからですよね
しかも自分で運営しててパーソナルだからこそ
そこは自由に読めますよね
これだけが理由ではないんですけど
中田さんって俺の中ですごいアーティストの機質の強い方だなって思ってたから
今の俺はたぶんすごい中田さんと
楽しく喋れるっていう確信があったんですよ
これがもし
俺がアーティスト的なことに一切興味持ててない段階だったら
たぶん違った話の仕方
それこそ海外で生活長いんですよねみたいな
ことしか話せなかったかもしれない
今やっぱすごい広がりある話できたのは
写真を通じて自分が
アートに触れるようになってきてるからだし
そこでやっぱなんか
違う価格反応が起きたんだろうなっていうのは思うんですよ
なるほど
その辺の裁量の広さは
自分で全部やってるからこその裁量の広さだとは思いますけど
それはほんとそうっすよね
なんかすげー色々やりたくなってくるなこの話してると
やりたいことが
だから両立が難しいっすよやっぱり
そこが一番の問題というか
そうですよね自分はやっぱり会社員になって結構
ちゃんと会社員として振る舞おうとする自分に驚いてて
振る舞おうとしてるってのは会社的に見たら
クソ自由に動いてるタイプの人間なんですけど
よくわからないどこかで定時にちゃんとこれをしなきゃいけないとか
うちの会社って裁量労働なんで
1秒でも働いたら別に1日働いたことにしてくれてもいいぐらい
ゆるいことを言ってくれる皆さんなんですけど
会社なんですけど一方で
空気感じゃないですけど
それやったら多分殺されるじゃないですか色んな意味で
やらないっていう意識がちゃんと自分の中で生まれるんだっていう
だとするとチュートリアルは今できないしデイリーもできないし
作品作りもこういう時間を作らない限りは
日常の中ではなかなかできないみたいな結論に自分の中で至る
っていう不思議と同時に
でも多分やりたいことは大量にあって音楽作れるんだ
本当に音楽にひたすら没頭してたいし
毎日ビビりよくわかんないデイリーを作って
たどり着けるところまで行ってみたいし
そこのバランスって取る方法ないのかな
みたいなのはやっぱ悩みつつ
逆に完全にパージされたらパージされたで
やらないんじゃないかっていうの同時にあるんですよね
私がよく思うのは
熟成する時間が必要になりそうな気はする
その完全な
自由を得たとして
何にも束縛されてない状態になったとして
その日からいきなり全力では多分できなくて
ぼーっとしてる1ヶ月とかを経た後に
あれ1ヶ月俺何もしてないなみたいなこととかも含めて
エンジンかかっていくという
今ちょうどフライド時計始まって
1ヶ月何もして模様替えしてた1ヶ月が過ぎ去った
今の言葉は響きました
たぶん
バクさんゲストの時も
ドクサスさんに
WebGLにこれだけ貢献してくれたわけだから業界の皆さんは
ちょっとずつお金出して
ドクサスさんが受託の仕事しなくてもいいようにするべきだと
僕は思いますけどねみたいな感じのことを言ってくれた時に
仮にそうなったとして
俺がじゃあ仕事
受託の仕事しなくて良くなったとして
いきなりその月からいきなりノーマライズFMの更新3倍になりますか
っていうとたぶんなんなくて
しばらく俺はたぶんぼーっとすると思うんですよ
この空いた時間を
手ぶらな時間をぼーっと過ごして
そういう空白の時間の中で何やりたいとかやらなきゃいけないが
改めて出てくるんじゃないかなと思うし
今想像できないことが起こると思うんですよね
きっとそういう状況になったら
そこはそこってなってみて感じる部分もあるだろうし
それはそれとして大事にしたいなみたいなことはちょっと
一種の模様替えですね
本当だから最近アーティストの人たちとかを調べたり話を聞いたりとかって
やっぱり興味があるからするんですけど
両側面あるというか
一方でこの人たち本当のんきだなって思ったりもするんですよ
すごいバキバキのもん作ってても
いわゆる社会人として大人としてやるべきこととか全然やってなかったりとかして
なんてのんきな無責任な生き物なんだって思うように感じる瞬間とかも中であったりもするし
でも一方でやっぱそういう感じだからこそできることなのかもな
みたいな疑いの面もあるし
自分は今そういう状況に置かれた経験ってないから
だから至らないのかなとか思っちゃったりとか
いろいろ考えちゃったりしますけどね
確かにでも自分が出会うアーティストってやっぱすごい人たちって結構
ある種不適合というかできないから
そこそれしかできないからこそ
それをやらざるを得ないみたいな環境に置かれてる人がやっぱ多いなっていう風に思ってて
それもでもレイヤーもあると思ってて
会社向いてないからフリーランスやってる人もたぶん属性として一緒なんですよ
そうですね
自分が一番合うと思うやり方でみんなが生きれたらそれはいいだろうなっていう風に思ってて
たぶん本当に会社に向いてない人って日本においても大量にいるはずで
いるはずですよね
ただあんまりフリーランスとかがよく今でこそまだマシかもしれないですけど
それでもやっぱ選択肢としてはビビたるもので
やっぱ会社の方がいろいろ楽だなって自分も思う瞬間あるんですよ
その保険的なことだったりとか
そこらへんがあるから会社は辞めたくはないけど
一方でたぶん自分の属性的には絶対外におった方がみんなにとっていいと思う
とかめちゃくちゃあって
そうですね
それと一緒でたぶんアーティストも
それこそ仕事ってなった瞬間に我々はフリーでもクライアントと対峙するけど
それすらもう耐えられないみたいな人たちは
たぶんアーティストって選択肢がないんだろうなとか
そうですね
いい悪いじゃないんでしょうね
だから優劣とか善悪ではなくて
そういう人だからダメとかっていうことでもなくて
やっぱ自分なりに折り合いつけていかなきゃいけない
どういう感じの人であれ
結局社会と何かしらの形で接点は持っていかなきゃいけないから
それをやっぱ自分で取りに行かないといけないんだろうな
だからもやもやしたまま生涯を終えるとかはもったいなさすぎるから
思うんだったらやっぱ行動すべきなんでしょうねきっとね
それができてない人がたぶんすごくたくさんいるんだと思うんですけど
そうですね
一番不幸なのは本当に自分に合ってないところで
ストレスを抱えながら頑張ってる人たちが一番かわいそうだろうなと思います
そうですね
何をすれば自分がもっと出せるのかっていうのを
常に探り探し続けてるんだなっていうのを
今話をしたりしながら思いましたね
いいと思います
苦しみが伴うと思うんで
いいと思いますって一概に言えない部分もありつつ
でもきっとずっとそれをやっぱりやり続けていくんでしょうね
多分苦しい期間はやっぱあるけど
結局最終その中からそのフラストレーションから生まれてきた
全てのものを含めるといい分もしくはちょっとプラスになってるはずだし
だからこそやっぱり続けていけるんだと思うんで
あと記憶力が悪いんで思えばだいたい忘れていくじゃないですか
みんながそうじゃないかもしれないですけど自分は忘れていくんで
嫌だったっていう事実だけが残って
なんで嫌だったかの感情の部分は消え去ってくれてるんで
時々寝る前に思い出したりして落ち込むんですけど
鮮明に思い出す瞬間みたいなのが時々あって
その時は落ち込みますけど基本的には忘れてるんで
前には進めますよね
そうですね
結構だからこれはどんなことにも言えるのかもしれないけど
楽観的っていうのも結構大事ですよね
大事だと思います
何事にも言えると思いますけどね
やっぱ不安なこととか考えだしたら永遠に不安なことなんて考え続けられちゃうから
そうですよね自分の稼働を計算してだって授業やってるとか
このロンファレンスFM収録してるみたいなこと冷静になって考えて
稼働を生んだらとか言い出したら
落ち込むしかないはずなんですよ
本当そうですだって編集も含めたら1人日じゃ収まんないですからね
1回撮って後悔するってなった時
それ月2回やろうと思ったらトータルで3,4人日ぐらい使うんかって考えたら
もう1週間ぐらい必要ってことじゃないってなるし
そしたら仕事してる場合じゃねえじゃんってなる
そうですよね
だからやっぱり冷静にそういう革残業し始めたらもうダメですよやっぱり
だからなんか気持ち楽観的に楽しいからいいかなっていう感じでやっぱり
やんないといけなくて
あと逆感も抽象的な概念でしかないっていうのもありますよね
その人月とかで計算するけどそれもすごく抽象的な概念じゃないですか
言語化されてるから正しい感のように思うけど
人月計算って何?って疑う瞬間も時々あるんで
そりゃだってねパフォーマンスに日によって差はあるし
一律1日って言えないですからね
言えるわけがないからラジオを収録してる瞬間があったり
編集してる瞬間があってもいいはずだっていう開き直りは別に間違っちゃいないぞっていう
そうですね
本当にそうだよな本当にそう思います
結構やっぱ楽観的は大事かもしれないですね
楽観的なのもそうだし自分に正直に生きていくっていうか
それは今日の話を通してそういう話をずっとしてきたのかなってそういう気がします
出てくる人がみんな今まで出られた人たちが基本強者ばっかりだったんで
みんな芯が立ちまくってるやみたいな人たちばっかりだった
そういう話はわざわざ言葉にしなくてもいいのかなと思ってたんですけどね
これは本当に中田さんがってことじゃなくて割とよく感じることっていうニュアンスで言うんですけど
SNSで見えてる姿ってやっぱり所詮SNSで見えてる姿なんだなみたいな話してみたらやっぱ
バクさんもすごい確かにすごいけどまあ人間だなって思うし
すごいな雲の上の人神だなと思ってる人も話してみたら確かにすごい神だわ
だけど人間だなって話したら話せるな楽しく話せちゃうんだなって思います
なんかノーマルズFM本当めっちゃ好きですね俺自身
いいですよねこれだけなんか飲み会の席でもこんなにやっぱ
体裁がちゃんとあって宇佐さんがいるからこそこうやって話ができて
バク君とちょうどたぶん放映されたしばらく後にたまたま一緒に飯か何か何人かで行く機会がありましたけど
全然あんな踏み込んだ話なんかできないですよやっぱりこう話だったりとかっていうのも大事だなと思って
本当はそうですねだからこれもちょいちょいいろんな回で言ってるんですけど
俺ノーマルズFMすごい好きなんですよね自分自身が聞いてて楽しいなーって思っちゃうというか
こういう番組あんまないなーと思うし
いやそうですよね
すごいなんか貢献してるとかっていうことまで言うつもりはないんですけど
なんかやっぱこれが存在していることによっていろんな人にいろんなことたぶん伝わってるだろうし
考えてくれたりしてるんだろうなーって思ってますね
いや本当そうだと思いますたぶん自分のベースラムの人たちとかもリスナーがノーマルズFMのリスナーがいるんで
たぶんここ自分の回をこうやって聞くとあれ中田さんって仕事向いてないってこんな悩んでたんだみたいな
会社の中でもそういう話をする機会がなかなかないというかそんなにノーミリタイトルするわけでもないので
そうですね
悪い方に通じ…悪い方に伝わってしまわないかどうかちょっと心配してますけど
いやいや大事なのは変な言葉というかあくまで自分の話なんで
いやー本当にいや俺も色々喋れてめっちゃ良かったなって思ってました
はいノーモライズFM今日もねちょっとだいぶ長い時間になってると思うんですけど
なんか楽しく喋ってると気がついたらもう2時間経っとるじゃないかみたいな感じで
なんか最近ねちょっとだんだん収録時間が伸びてってるんじゃないか疑惑があると思うんですけど
そうなんか私もだんだん節操がなくなってきて楽しかったらどんどん喋っちゃうみたいな感じなんですけど
今日もちょっとね長くなっちゃいましたが
いやでもなんか本当に分かるわーって話すごい多かったし
本当に色々聞かせていただいて面白い回になったんじゃないかなと思いました
はいじゃあ永田さんの方からお知らせなどありましたらお願いします
はい告知っていうほどのものはないんですけど
話の中で散々出てきたベースドラムで一応SNSで色々社内のデモ発信する担当として活動しているのがあって
インスタグラムだったりXでベースドラム.orgだったりUnderbar.orgだったりするのかな
色々発信してるんで良かったらフォローしてくださいっていうことだけちょっと
はいありがとうございます
いやもう多分みんなすでにフォローをしているとは思うんですけど
あの是非ね知らないぞっていう人にもしいたら
多分今回の話が色々刺激になって興味が湧いた方もねいらっしゃったかなと思うんで
是非フォローなどしていただけたらと思います
AEで頑張って映像編集してるんで
いやでも本当今日お話できて良かったですね楽しかった本当に楽しかったです
こちらも楽しかったです
はいまた何か機会があったらお会いする機会とかもしあったらねその時ご挨拶できたらと思うんですけど
そうですねお会いしたいですね
ちょっと私また京都行くことがあるかもしれないんでどっかのタイミングで
その時は必ず声かけるようにするんで
自分が最近東京に引っ越しちゃったんですよだから京都にもういないんですよ
そうなんですか
そうなんですよ去年の8月ちょうど東京に実は引っ越してて
知らなかったそうなんだ
今東京在住なんですよね
じゃあ全然いつでも会えるんで
そうですもし機会があったら何かの時に機会があったら是非ご挨拶させていただけたらと思います
今日は本当に長い時間お付き合いいただきましてありがとうございました
ありがとうございました
はいじゃあ当はノーマライズFMのいつものお知らせですけども
ノーマライズFMではシャープノーマライズFMというハッシュタグで
皆様からの感想とかご意見とかねいつでも募集してます
ちょっと聞きましたよみたいな簡単な感想でも嬉しく拝見してますのでね
ぜひ何か感じたことありましたら気軽につぶやいていただけたら嬉しいです
はいではこれで今日は終わりにしたいと思います
最後まで聞いてくださってありがとうございました
ありがとうございました