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ひとし
そうね。
はるか
なので、いつもみたいにがっつり全てのお悩みに対して本読んできてというよりは、
僕とひとしがいっしょに学んできたことをその場でお話しするという形にしていきたいなというふうに思っているので
もし、過去2ヶ月分をまとめてるんですけど
もしそれより前でお便りを出してどうしても紹介してほしいっていうことがあったら
内容はもう一度書かなくていいので、
あの回、あの内容をぜひ取り上げてというふうにメッセージをもう一度いただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
ということでお悩みが1,2,3,4,5件紹介するのと、
感想をいくつか紹介して終わりにしたいと思います。
すごく皆さんにも共通する内容かなと思うので
ぜひぜひコメントいただきながらやっていきたいと思います。
ひとし
じゃあ、お悩みを僕から読んでいきますね。
このDiscordのチャットにも一応貼ります。
「こんにちは。最近お二人のポッドキャストを聞き始め
その内容の素晴らしさに毎回ノートをとっては日々の育児にフィードバックするようにしています」
はるか
すごい。ありがとうございます。
ひとし
「日々、子どもに気持ちよく成長してほしい一心で
子ども目線で言葉を選び一生懸命メッセージを送っているつもりではあるのですが
マイ哲学の押し付けになっているのではないかなと心配になる時があります。
思考の押し付けというのでしょうか、
でも言葉を尽くして対話をしようとすると、哲学や思考の押し付けになってしまっている気がして
子どもの思考の方向をねじ曲げて固定してしまっているのではないかと不安になります。
実際自分も子どもの頃に親から刷り込まれた哲学や思想・教えがあります。
柔軟にものを見て感じてほしいと思うんですがどうしたらいいのでしょうか。」ということで。
はるか
なるほど。
マイ哲学の押し付け。
あ、「わかる」っていうスタンプが押されてますけども。
ひとし
まあ、なるよね。
はるか
難しいよね、確かに。
でもなんか素敵よね。子ども目線で言葉を選び、一生懸命メッセージを送っているっていう姿が
まずそのスタンスがすごくいいなって思ったのと、
こうやって子ども目線でね、これが刷り込みになってないだろうかって
柔軟な思考の邪魔になってないだろうかっていう
この子ども目線がある時点ですごく、温かい関わりになるだろうなっていうふうに思ってます。
ひとし
いやー俺もさ、対話で子どもに押し付けじゃないシーンでも、けっこうやっぱ押し付けちゃってるんだろうなと思うことがあってさ。
やっぱ俺、けっこう自然が多めの一軒家で暮らしたいみたいなのがあるんやけどさ、
それは多分自分の過去の自分が育ったところの体験がけっこう好きでそうしたいと思ってるんやけど
たぶんそういう価値観って滲み出ると思うんよね。
滲み出てるんやけど。
そういうのが伝わっていったりするんだろうなと思って、
普通に対話してなにかを教えるとかじゃなくても。
普通に思考とか哲学の刷り込みはもう、
はるか
それが刷り込みになってるんじゃないかっていう。
ひとし
常にあるんじゃないかと思っている。
はるか
なるほどなるほど。そっかそっか。
ひとし
悪いと思わなくていいんじゃないかなっていうのも思うし。
はるか
この哲学の押し付けになってるかどうかっていうのはすごく大事な視点やと思って、
俺が思ったのは、対話を大事にするっていうのはすごく一つできることかなと思って。
具体的にいうと「どう思う?」っていう、意見を聞くことをセットにするといいんじゃないかなって思ったね。
ひとし
なるほど。
はるか
でも既にそういうスタンスがあるからやってるかもしれないんだけど、
自分の価値観とか今まで学んだことをシェアすること自体はすごくいいことだと思ってるし
悪いことじゃないと思ってるんだけど、
同時にそれを聞いてどう思ったかっていうのを聞く、子どもの意見・考えを。
ひとし
なるほどね。
はるか
それをセットにするといいんじゃないかなって思ってて。
なんか一回、なんかの回で話したね。
対話ってなんのためにするんだっけ?みたいな話。
ひとし
なんかの回で話したね。
はるか
なんかインスタライブとかやったかもしれんけど。
ひとし
お互いに考えを変化させるためにやろう、みたいな。
あったよね。
はるか
あのデンマークで、
デンマークって対話の国で、
で俺がデンマークに実際にいる時で、
「幸せってなんだっけ?」とか
「何のために生きてるんだっけ?」みたいなことを
改めて対話を通して自分の考えを形成していくみたいなことを大事にしてる国だったんだけど、
これも学校、小学校時代からね。
もう問いも全部、対話から生んでいくっていう
対話をすごく大事にしてる国だったんだけど、
その時に「そもそも対話ってなんのためにやるんだっけ?」みたいなことも対話してたんよ。
ひとし
すげえ。
はるか
その時に俺らの対話の中で生まれたのは、
対話の目的っていうのを
「自分の考えが変わることを目的にしてみよう、お互いに」って。
そうすると対話すること自体に意味があるよねっていうことが
この対話の中で結論付いたことになって、
すごくいいなと思って。
ひとし
すごいいいよ、それは。
はるか
対話する時に、やっぱ自分の意見を相手に分かってもらおうと対話すると分かってもらえんやん。
ひとし
不思議とね。
はるか
不思議と。
お互いが自分の考えを変えるっていうグラウンドルールのもと話をすると、
相手の話を聞こうって思うし
逆に自分の持ってる視点を伝えようって思うし、
はるか
だからお互いに正解を持ってる者同士で話すんじゃなくて
自分の見えてる視点を共有して
新しい考えを見つけていこうよっていう、
お互いに自分の違う考えを見つけることが前提としてできると
すごくいいのかなと思ってて。
だからこの親御さんも、保護者の考えを伝えるのはいいんだけど
伝えたうえで、その伝えたものを材料に子どもはどんな考えを持つのか。
そういうふうな楽しみ方をすると
押し付け感っていうのは自分の中で減るんじゃないかなっていうふうに思ったのが一つかな。
ひとし
大事じゃん。
はるか
だから「どう思う?」って聞くのをセットにするっていうのは大事かなと思っています。
もう一個どうしても伝えたいことがあって、
よく学問も同じパターンで言われることがあって。
学問を教え込むことは思考の刷り込みになるんじゃないか、みたいな話がたまにあるんよね。
でも俺はもう教科学習を専門に大学院行ってるからさ、
学問も教科で学ぶことの大事さみたいなものはすごく理解深めてるつもりで、
例えばこの方最後に「柔軟にものを見てほしい」って言ってるじゃん
はるか
柔軟にものを見てみる力ってどうやって培われるかっていうと、
これ白紙でものを見るっていうのもすごく大事だと思うんだけど
なによりも多面的にものを見る力っていうのはすごく重要だと思うんよ。
例えばボールを見たときに、これを理科の見方で見ると
これ重さ何グラムだろうとか、量的に見ると。
化学の見方で見ると、ばけがくの方で見ると、質は何だろうとか。
金属なのかな、プラスチックなのかなとか。
あと数で見ると何個あるだろうとか、
アートで見るとどんな形だろうみたいな、
ボール一個でも学問の見方でいろんな見方が見れるやん。
ひとし
なるほどね。
はるか
柔軟な思考って、いろんな見方でものを見れることだと思うんよね。
だけんなんか教えたらそれによって思考が固まっちゃうんじゃないかって
思う気持ちも分かるんだけど、
それはあくまで一つの見方であって
あなたはこの見方を聞いてどう思う?っていうようなことを聞いていく。
それをセットでしていくと
逆にいろんな見方を手に入れることが
俺は柔軟性を持てるようになるし、
自由になるんじゃないかなっていうふうに思うんよね。
ひとし
なるほど。
なんか有名な画像でさ、
これちょっと表現があれやけど、
頭がいい人と悪い人のものの見方の違いっていうのがあって。
表現はちょっと過激ですが。
リンゴのこの画像に対してなにを思うかみたいなのでさ、
頭がいい人はリンゴとか万有引力とか、
アップルのリンゴマーク
アップル製品のロゴだとか、
なんかいろんな視点で見る、みたいな。
でもそこの視点が少なくて
「リンゴおいしそう」だけしか見ないみたいなのが
知識がある人と違いがあるよね、みたいな話をしてて
そういうことかなと思った。
はるか
確かに確かに。
一つのものを多面的に見るとか
それが柔軟性につながるよね。
いま自分、この見方で物事見てるな
っていうことは、別の人は別の見方で見れるよな。」とかっていうことが
柔軟性につながるし、
もっといろんな見方で見ようって思えるんじゃないかな。
だから必ずしも教えることが
押し付けになるとは思わなくて、
その材料を使ってあなたはどう考えるっていうことを
セットでしていくといいんじゃないかなって思いました。
なので、どう思う?って聞いてみるっていうのは、一つおすすめです。
ひとし
はい、どう思う?
はるか
はい、ありがとうございました。どぅおもぅ~。
ひとし
どぅおもぅ~をはい、どぅおもぅ~と。
はるか
どぅおもぅ~。
どぅおもぅ~ですね。
ひとし
場面緘黙。
はるか
場面緘黙がありますということで、
まず僕は場面緘黙について専門的な知識があるわけじゃないんですけど、
やっぱり家でとてもよく話をしてくれたりとか
歌を歌ったりとかっていうのがあるってことは
すごく安心できる場所なんだなと思って、
そこがすごくいいなと思っています。
もう一個はめっちゃいいなと思ったのが、
意思表示をジェスチャーとかでしてコミュニケーションを取っている、
ひとし
確かにね。
はるか
って書いてあって。
まさにコミュニケーションのレパートリーを自分の中で持っている状態っていうのは
すごくいい状態だと思っています。
僕はもうこの様子を聞いて大丈夫やなと思ったのが、
やっぱり、できないことにフォーカスして
ここで集団でしゃべれるようになりなさいっていうアプローチは
たぶん取らないだろうなと思ったからです。
っていうよりも、自分のできる形で
まずはジェスチャーからやっていって、
コミュニケーションが取れたっていう成功体験を味わっていく。
小さな成功体験を味わっていったりとか
自分のコミュニケーションのスタイルを
いろんなレパートリーで持つことができる。
できない時に対処できるっていうことが
なによりも安心感につながるのかなっていうふうに思うから、
今みたいにできる形で
自分の意思表示をできる状態を作っていくのが
大事かなって思っていますね。
小学校の担任をしてた時に
なかなか人前で声が出ない子がおったんよね。
声がどうしても緊張して出なくなっちゃうんだけど、
一生懸命、発表はしようと頑張ってたんよ。
ある日、小学校2年生だけどタブレットを使って
発表はだいたいチャットでもできるようにしたんよ。
チャットツールを使って。
そしたらどんどんその子がチャットを使って
いっぱい発表するようになって、
そしたらみんなも「この人の意見いいね」とか
認められ始めるわけなんよね。
そういう経験をすると、
気づいたら発表できるようになってたりとかして。
自分の得意なことで
コミュニケーションを取るっていう経験が
だんだん自然と苦手なことも
克服できるっていうような流れがあると思うので、
苦手を克服するために
頑張りなさいってよりは、
できること・得意なところから増やしていく
っていうのがすごくいいのかなと思って、
いまの関わり、すごくいいなと思ってますね。
ひとし
しかもね、そのもう意思表示やジェスチャーを
ジェスチャーはしているのと、
本人もお友達と話したい気持ちがあるみたいっていうので
ちょっとずつやっていけるんじゃないかと思っております。
はるか
ねー。
なんかもうこの文章から
あったかさが全開で伝わってくるもんな。
もう本も読んで勉強したりしてるっていうのがあるので、
アドバイスとかは僕からはないんですけど
事例としてチャットを使って表現する子がいたりとか、
コンコンでも、なかなかマイクで話すのは苦手な子でも
スタンプで表現したりとか、
あとは手紙を書くっていうのは得意だったりする子もいるっていうのがあって、
村では純木さんが非同期コミュニケーションって言ってたんだけど。
ひとし
はいはいはい。
はるか
見た?
ひとし
どんな文脈やったっけ。
はるか
同期コミュニケーションはたぶんいま
俺とひとしがやってるみたいにしゃべってる状態。
だけど多分チャットを使って自分の意思表示して
時間が経ってまた返ってきたりする、
時間差でやりとりする非同期コミュニケーションが得意な人もいますよね
とかっていう話をしてて。
ひとし
確かにね。ちょっと違うもんね、感覚が。
はるか
そういう得意もあるんだと思って。
そういうところからやっていくとコミュニケーション量が増えて、
量が増えてくるとやっぱ安心して苦手なコミュニケーションスタイルでも
できるようになっていくとかっていう形もあるのかなと思ってるっていう感じですね。
ひとし
あとちょっと脱線するんですけど、
最近僕とはるかはボイスメモを送り合うのけっこうハマってて。
ちょっと脱線しすぎかな。
はるか
謎ですよね。
いやめっちゃ謎ですよね、実際。
ひとし
でもコミュニケーションの話ってことで。
Discord、分かんない方はLINEとかイメージしてもらったらいいんですけど、
LINEとかでボイスメモで伝えたいことを送るっていう。テキストじゃなくて。
っていう取り組みをなぜかやってて、
取り組みというか好きでやってるんですけど。でもいいよね、あれ。
はるか
めっちゃいい。
ひとし
なんか文字で長文送られてきたら、やっぱなかなか読みづらかったり。
伝わりきってないけど、音声で2分送られてきたら。
はるか
うん。やっぱ温度感が分からんからね。
ひとし
そう、温度感が分かるっていうのがめっちゃ良くて。
はるか
そうそう。ミーティングで嬉しかったことがあったりとかすると、
そのテンションでボイスメモ録って送るっていう。
ひとし
今日こういうことがありました、っていう。
はるか
『Mio』さんが「海外の方はけっこうボイスメモでメッセージを送り合うことが多いと思います」って。
音声の方が好まれることもあるんだって。
ひとし
やっぱそうなんだ。
そういう文化もあるんだ。
はるか
あともずくさんが「ジェスチャーで伝えようとしてる姿を想像するだけで
すごい素敵だなと感じました」って言ってるから、
本当になんかコミュニケーションってやっぱね伝わるっていうことがやっぱり本質だから、
その一つとして言語があって
その一つとして音楽もダンスもあるしアートもあるし、
なんか自分に合った形で表現できるって本当に素敵やし
これからはね、AIが言語を操れるようになるから
言語以外のコミュニケーションツールもそうとうなんか
価値高まってきそうな気もするし。これ、完全な仮説だけど。
ひとし
なんかTeacher Teacherで大事にしたい価値観としてさ、
マルチコミュニケーション大事にしたいみたいな話、一回出てた時あったよね。
はるか
何回も話してますね、それは。マルチコミュニケーション。
ひとし
テキストだけでやりとりが苦手な人もいるし、
直接会うのが苦手な人もいるし、
ぜんぶ得意・苦手があるんで
いろんなコミュニケーションスタイルでその人と関わるの大事だよねみたいなのが
ちょいちょい言われてて言っててね
はるか
そうよね。文字だけで表現するの難しくて。
だからあの、ボイスメッセージでね、
ボイスメッセージもそうだしボイスチャット、音声通話で話をすると
スッキリするって方もいらっしゃるし。
自分に合った形で、だからレパートリーをいっぱい見つけて増やしていこうっていうことが
やっぱ心理的安全性につながるんじゃないかな。
僕はもう今のままで本当に十分生きていけると思うし、素敵だと思っています。
世の中にはチャットでコミュニケーション取る方もいるし、
はるか
本当、最近自分がいろんな仕事をしてみて
責任感が強い人への尊敬の念が増えているというか。
ひとし
なるほど。
はるか
本当に強みでもあるなと思いますね。
最後までやっぱりやりきる力ってめっちゃ大事やん。
それを強く持ってるってめっちゃ重要やなと思って。
ひとし
そうね。
はるか
すごくまず責任感っていうのは
一つ武器になるだろうなと思うので
大事にしてほしいなと思いつつ、
この責任感とどう付き合っていくかっていうのは
すごくこれからいっしょに考えていけるといいのかなと思っていて、
やっぱり責任感が強い分があるってことは
人を大事にしたりとか
社会のルールみたいなものを大事にしたりとかっていうふうに
公共性の強い側面があるのかなって思いました。
その時に自分も同じように大事にするって大事やなと思って、
相手を大事にすると同じように
自分を大事にするってすごく大事やなと思うので、
バランスを考えた時に
自分以外を大事にしすぎてないかなって
もうちょっと自分を大事にできないかなっていうところは
一つ考えれるのかなって思いましたね。
ひとし
それは親御さんも、お子さんも。
はるか
そうね。
それがいま普通に思ったことを、ちょっといま言ってみたんやけど。
だからまずすごく大事な責任感と力であるっていうのは
持ってるってことと、
もう一個、親御さんにどうしても伝えたいと思ったのは
思春期だと思うんよね。
年齢的に。
思春期の回をぜひ前編、聴いてほしいんですけど。
思春期ってどういう状態かっていうと
脳がアンバランスな状態なんですよ。
感情とかを司る部分がすごく急激に発達していて
情動がすごく激しく上がったり下がったりする。
急に悲しくなったりとか急に怒ったりとかしちゃう。
だけどそれを抑える前頭葉がまだ未発達な状態で、
もう表現するとアクセル全開の車を
ブレーキなしで運転してるみたいな状態っていうような
表現のされ方をしてたんだけど、
『和久田学』先生の
『科学的に考える子育て』っていう本で。
だから要はそういう時期であって
親御さんの対応が悪いとか
お子さんが悪いとかじゃないってことはまず
認識として持ってほしいなっていうのが一つあります。
ひとし
大事だね。
はるか
この考えをまず持つっていうのが。
ひとし
どちらも、娘さんも親御さんも悪いわけではない。
そういう時期であるというね。
はるか
これがちゃんと、科学的にそうだっていうのが
まず分かってほしくて。
どうしても自分の対応が悪かったから
こうなってるんじゃないかとか
なんかそういうふうに思ってしまうと思うんですけど、
まずそうじゃないってことが
思春期だからそういう時期であるってことが
まず一つあるのかなっていうふうに思っています。
もう一個は、いま親御さんに「どうしたらいいの?」っていうふうに
お話を聞いたりとかしてるし、
不安なことをうちあけてる状態だと思うから、
この不安をアウトプットすること自体に意味があるっていうことは
認識として持った方がいいのかなと思うから、
不安を言語化して
自分はこういうことに不安を感じやすいんだとかっていうことを
言葉にしてるだけでも意味あって、
これに対して何かアンサーを出さなきゃいけない
っていうふうに思わなくて
まずはいいなっていうふうに思っています。
時間をかけて解決ができることもあるので
いますぐどうにかできないってことが悪いことじゃない。
時間をかけて解決することも
前話したネガティブケーパビリティを育てるうえで
すごく大事やなっていうふうに思ってますね。
コメントにもあるけど
「思春期の回を聞いてから
我が子の思春期をちょっと俯瞰して見れるようになりました」って書いてあるけど、
そういう時期やねって、こんなこともありながらって
頭の中で思えるのが重要かなって思ってますね。
コメントにも「責任感もすごいし頑張り屋さんですね」って。
ひとし
誰も悪くない。
はるか
誰も悪くないっていうふうに。
「時間はかかるけどそのままのあなたで十分と
意思表示していくしか今は方法がない」っていうふうに書いてるけど、
本当に時間がかかることってやっぱりあるっていうのは
すごくお伝えしたいなと思ってます。
そこがまず前提として土台とあって、
そのうえで、不安をたぶんいま口にしてくれてる状態があると思って、
いま具体的なとこもお話しすると、
具体的なお悩みとしては
欠席日数が増えて退学になることも
親としては考えなくてはいけないとかっていうふうに書いてあるから、
たぶんいま、いろんな不安が渦巻いてると思うんですよね。
部活を辞めるとか学校を辞めるとか
自分が悪いとか攻めちゃうとか。
そういう渦巻いてる状態があると思うんですけど、
どこにフォーカスするかっていうのを
一回絞ったほうがいいかなって思ってます。
最も不安に思ってることが
もし欠席日数が増えることの退学なのだとしたら
欠席日数が増えるのを避ける方法っていうのを
まず考えられるのかなと思って。
やっぱりどうしても学校行く・行かないっていうふうに
二極端に考えがちなんだけど、
実はこれスモールステップで分けていくと
最低限これをすれば
欠席日数取れますとかっていう方法があったりするんよね。
超スモールにそこだけまずやってみるとか、
一個だけでも成功体験を重ねていくとかっていうのは
一個できるかもしれないなと思いました。
ちょっと過程のフェーズによってどうか分かんないんだけど、
もし頑張りたいという気持ちがあるフェーズなのだとしたら
欠席日数が増えて退学になるっていうのを避けるために、
一旦超スモールでできる
出席日数の取り方を
具体的に何をすればいいかっていうのは
行動レベルでわかると
やっぱり精神的な負荷ってかなり変わるんですよね。
例えば放課後
担任に提出物を出すっていうのだけで
出席日数がクリアになる学校もあるので、
それだったらギリ出来るとかっていう
そういった超スモールで
行動に落とすことができる段階もあるので、
もし本人がそういうふうにしたいっていう段階であれば
それが一つできることかなと思っています。
意外と両極端じゃないんですよ。
行く行かない以外にもフェーズがいろいろあって、
放課後だけ行くとかもできるし、
そういった新たな選択肢を作っていくのも
一つかなっていうふうに思っています。
あとはかなり親御さんが追い込まれている状態っていうのが
すごく感じたので、
ベネッセの研究で
親御さんの幸福度と子どもの幸福度って
やっぱりけっこう相関があるっていうふうな研究があって、
親御さんがハッピーそうにしていると
それに影響を受けるっていうのがあったりとかっていうのもあるので、
いまずっと付き添うっていう選択をしてると思うんだけど
たまには、もし距離を取る時間があったら距離を取って
リフレッシュする時間も大事かなっていうふうに僕は思っていますね。
なのでずっと付き添うっていうのも
気持ちとしてはすごくわかるんだけど、
一番、保護者の心身のリフレッシュもすごく大事だなっていうふうに思っていますね。
ひとし
そちらの目的を別のとこで満たすっていうことか。
いっしょにいたいっていう。
はるか
だから具体的に言うと、
一人で歩いていけたら1ポイント、
10ポイント貯まったら
二人で女子会しようとか、
そういうことはできるかもしれないし。
もう一個これめっちゃ思ったのが
超重要な話していい?
普通によく思うのが、
甘やかしでしょうか?とかよく聞かれる。
ひとし
そこね。
はるか
甘やかしとかに線引きするのは難しいけど、
保護者もこれ忘れがちなのが
一人の人間であるってこと
やっぱ忘れがちになるんだなって思って。
ひとし
なるほどね。
はるか
やっぱ子育てに一生懸命すればするほど。
これ客観的に見るから多分、僕は言えることで
自分も子育てしたらすぐ忘れちゃうんだと思うんですけど、
子育てしてる人もひとりの人間で、
こうするべき、しないべきとかっていう前に、
嫌っていう感覚を持ってて当然だと思うんですよ。
だからもしお願いされて嫌だったら嫌って伝えるし、
そこの前提がまず抜けちゃうことってあるんだなってことが思って。
バタバタしてハラハラして毎日ギリギリになって
車がいいって言われますって。
それが嫌なんだったら嫌って伝えていいなって僕は思ってて、
教育の最も重要なところで
『苫野一徳』さんっていう。哲学の本ですね。
教育哲学の本で、
教育とは何かって本だったかな?
その本の中で「教育の目的は
自由の相互承認の感覚を養うことですよね」って話があって、
人はみんなそれぞれ自由に生きたいっていう。
それをお互いに尊重し合うことの感覚を学んでいくことが大事なんだって。
学校とかでも。
だからみんなそれぞれしたいことがあるとか
自由は最大限尊重されるべきなんだけど、
この民主主義の国家を生きていくうえで
お互いの自由を損害し合わない程度の自由っていうのを
感覚を身につけていくことが大事だということを言ってて、
まさに家庭でもそうで
保護者が嫌なことはきちんと嫌って言って、
お子さんがして欲しいことはして欲しいっていう。
どっちもの自由を尊重し合えるようなところを見つけていくのが
やっぱり大事かなと思うから、
そこは、きちんと嫌なことは嫌っていうのは重要だなって思ってて。
これを教育とか子育てになると忘れちゃうんだなっていうのをすごく感じるので、
嫌なことは嫌だし嬉しいことは嬉しいっていうのは、
ひとりの人として伝えるのは重要だなって思ってますね。
ひとし
あと1年生にとって2キロが本当に長すぎるんだったら
なんか、徐々に最初25メートルからスタートして
徐々に伸ばしていくみたいなのとかいいんかなと思ったりしましたね。
はるか
スモールステップの考え方も。
ひとし
なんかやりやすいのかな、といま。
僕は6年後想像してちょっと思った。
まず2キロ歩いていきなさいはやっぱむずいけど。
はるか
確かに。2キロであのでかいランドセル持ってやろ。
ひとし
けっこう重いよね。
はるか
いまさ、自由の相互承認の話してさ、
自分の嫌なことは嫌って言いましょうって話をしたやん。
でもさ、俺さもう、ひとしのお子さんが可愛すぎてさ、
俺あの子がランドセル持って泣いて
こんなに歩くの嫌って言ったら
「じゃあ車で送ろうか」って言っちゃいそうと思って。
ひとし
なるよ。
はるか
なりそうやなって思うよね。
ひとし
でもね、トークンとかはイメージ湧くんよね。
じゃあちょっとずつ歩く距離伸びてったら
スタンプ貼ってこれしよっか、とかで、
最初25メートルから始めて
じゃあ次あそこのローソンまで、
あそこ100メートルとか、
徐々に1キロぐらい歩けるようになってみたいなのは、
なんかできそうな気は、想像はできる。
行きなさいは、2キロ歩きなさいは、わからん。
ちょっと言えるか、っていう感じ。
はるか
そうなんや。
でもその、スモールステップ、毎朝できる?
ひとし
確かにね。確かにな。
そんな余裕はないかもしれんね。
はるか
嫌じゃなかったらいいんよ、別に。
車で送るのが嫌じゃなければ。
ひとし
そうやね。そうやね。
はるか
だけどね、これ思ったのが
学校に2キロ歩いていくのが嫌だっていうことを
お母さんに言ってるやん。
で、お母さんに言った結果、
2キロ歩くのが車になるわけやん。
これどういう学習が生まれるかっていうと、
嫌なことをお母さんに言ったら
それが解消されたっていう学習になるわけやん。
そしたら学校において嫌なことっていうのは
本来だったらお母さんの責任ではないはずなのに、
そこを責めるようになるわけやん。
そしたら嫌なことがあった時に、
やっぱ親に対して不満が飛んでくることっていうのは
パターンとして出てくるなっていうのはあると思ったので、
だからスタンスとしてお母さんがどうにかしてあげるよとか
お母さんが歩く理由を知ってるよとかっていうスタンスだと、
やっぱ親に対してずっと矢が飛んでくる状態だと思うから、
スタンスとしてさっき言ったように
「なんでやろうね。2キロきついね」って。
「マジ分かる」っていうスタンスなのと、
もう1個は「お母さん送ってよ」って言われて
もし嫌なのだったら「バタバタするけん嫌よ」っていうふうに
言うっていうのがスタンスとしてあるのかなと思うけど、
それで、いかんって言ったらどうする?とかってあるもんね。
ひとし
そうやね。お互い「や、2キロは歩かない」
「いや、でもわたしも、お母さんも送るの嫌よ」っていう状態で
終わっちゃったらね、どうする?ってなる。
はるか
自由の相互承認ってさっき話したけど、
対話っていうのはいっしょに社会生活を営む者同士がいるってことは、
お互いに納得いくけどもちょっと我慢できるポイントを
お互いにちょっと我慢できるポイントを見つけることだから、
分かったと。
週に1回だったらいけるけど後はいってね、とか。
そういうお互いに情報して合意形成していくっていう
プロセスがすごく重要なのかなって思うので、
そこの対話。
ひとし
そこまで持っていけたらすごい。
はるか
大事なのは嫌だって言ってくださいっていう話というよりは、
対話がまず基本であるっていうことで、
その時に保護者のWANT TOも大事にしてほしいなって思う。
これ以上は甘やかし、この子にとって甘やかしでしょうか?
とかっていう話以前に、やっぱ人と人が住んでるんだから
その人のWANT TOは主張すべきだなっていうふうには思ってるっていうのはあるけどね。
なんかそこが抜けすぎちゃってる気はしたんだな。
沼ってるわ。
ひとし
はい、ということで。続いて最後のお悩みです。
はるか
はい、ですね。
ひとし
だいぶこれも長くなってるけど、まあいいでしょう。
『かん』さん。かんさんからですね。
はるか
最後ですね。
ひとし
かんさん。「いつもお二人の柔らかい空気感に癒されながら
勉強させていただいています。」ありがとうございます。
はるか
ありがとうございます。
ひとし
「わたしには、中1思春期まっただ中の、自閉症スペクトラムの可愛い息子がおります。
Teacher Teacherの過去会で自分の悩みに合いそうな会を選びながら
聴かせていただいております。
(その結果ほとんど聴くことになりました)」
はるか
ありがとうございます。
ひとし
「先日の夢中教室のじーつーさんのお話も、大変興味深く聴かせていただきました。
息子は今のところ学校には頑張っていけていますが、
放課後や休日は外に出るのを嫌がり
ゲームでしか満たされない様子で
いろんな体験をする機会が他の子たちより少ないことがとても気になっています。
(ゲーム依存のお話の会も大変勉強になりました)。