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2024-06-25 29:54

【発達障害02】ニューロダイバーシティに基づく理想と現実 #56

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2つの視点をお話ししました!


①ニューロダイバーシティ「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」という考え方に基づいた理想の社会の話。


②「とは言え、苦手なこととどう向き合ったらいいの?」という疑問に対する答え。その子と周囲の「困り感」を軸に考える話。

【今回の内容】

ニューロダイバーシティの考え方だと「発達障害は問題ではなく特徴の一つ」 / 障害があると見られるか、才能に恵まれていると見られるかは、生まれた場所と時代で決まる / 判断基準は「困っている」か「周囲を困らせているか」 / 困ってなければ「そのままでええがな」 / 外発的動機を使うことも大事


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【参考書籍等】

⁠ニューロダイバーシティの教科書: 多様性尊重社会へのキーワード

精神や神経における違いも“個性” ニューロダイバーシティという視点

脳の個性を才能にかえる 子どもの発達障害との向き合い方

拝啓、アスペルガー先生 増補文庫版


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【ひとしの編集後記】

今回はテーマだけみると、ニューロダイバーシティの考え方を聞いて「みんな違ってみんないいよね。ふむふむ、理解が深まった」というところで終わるかと思いきや、一方で現実的に子どもが苦手なことに向き合う必要があるよねという問の話もあったので面白かったです。それと、医療の力を使うとなったときに薬が思い浮かびやすいけど、行動療法で自信をつけていくというアプローチがあることに発見がありました。僕自身もこれまで薬を試すことはあったけど、今回のポッドキャストをきっかけに行動療法の選択を取れるようになったことが嬉しいです。

サマリー

前回の話をまとめると、発達障害の診断名には強度や複雑な要素があり、個別の子供を見ますというメッセージでした。今回はニューロダイバーシティという考え方を紹介し、障害という言葉の捉え方や個性の重要性について話します。発達障害というものは、個性や特性の一つであると捉えるべきであり、環境を整えることが大切です。しかし、現実社会では環境調整だけでは限界があるため、医療や外発的な動機づけも重要な支援として活用すべきです。ニューロダイバーシティの理想と現実について話し合い、発達障害の考え方がアップデートされています。

ニューロダイバーシティの紹介
はるか
じゃあ、始めていいかな。 はい、やっていきたいと思います。前回の続きから話をしていければと思うんですけども、前回のことを簡単にまとめると、発達障害という言葉は、かなり曖昧な部分が多くて、
今は神経発達症という言葉が使われていたり、一番伝えたいこととしては、診断名でラベルを貼るんじゃなくて、その診断名の中にも強度が全然違ったり、あるいは複数の状態が複雑に絡み合っていたりとかするから、
本当に「その子自身を見ましょう」というメッセージを前回は話したんだけど、今回は新しい考え方としてニューロダイバーシティという考え方を紹介しようと思っていて、障害と言われるものは何なのかということを捉え直したりとか、あるいは才能って何だろう、個性って何だろうみたいな話を一つしていければと思っていて、
ここに今までの認識からアップデートがあったから、そのアップデートをお話ししたいということと、あともう一個はひとしが冒頭に話してた発達障害の話をしたときに「強みを活かそう」みたいな話はよくあるけど、いや克服するべき苦手と、それは目を向けずに尊重するべき個性として捉えるのかっていうのは結構難しいところだよねって話をしてたよね。
ひとし
そうよね、そこの問いまで答えられるんだ。
はるか
そうね、そこの問いについてまで今日の考え方を通して、俺が考えを持った部分をお話しできればなというふうに思っているというところですね。
ひとし
ニューロダイバーシティね、言葉だけは聞くけどね。
はるか
ああ、やっぱ聞くんだ。
ひとし
聞かないか、普通は。違う俺はあれだ、村にいていろんな本とかニュースを流してくれるから、みなさんが。ニューロダイバーシティっていう言葉ね。
はるか
そうね、なんかニューロダイバーシティって言葉が記事に載ってても多分あんまり目に止まらなかったんだけど、発達障害と呼ばれるものについて調べましょうって調査を開始してからは、これがね、やたらと目につくというか、情報としていっぱい入ってくるようになって、気づけば世の中にこんなにいっぱいニューロダイバーシティという考え方を提唱してる人がいたんだってことに気づいて、そうそうそれぐらい重要な考え方だってことがわかったんだけど。
ひとし
ニューロダイバーシティって何なのかよね、まず。
はるか
って何なのっていう話をしたくて、今回ニューロダイバーシティという考え方を紹介するのは村中直人さんの『ニューロダイバーシティの教科書』という書籍からなんだけど主に。まずニューロはね、脳とか神経っていう意味があって、ダイバーシティは多様性っていう意味がある。だからもう二つ組み合わせて脳の多様性とか神経の多様性とかっていうふうに訳されるんだけど、ここまでわかりやすいよね。
ひとし
脳とか神経が多様である、はいはいっていう。
はるか
脳とか神経多様であるというこの前提がかなり人間を理解する上で重要な鍵となると、特に発達障害と呼ばれるものについて考える上ではね。
経済産業省の定義では、脳や神経それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で生かしていこうという定義をしている。
ひとし
個人レベルで特性が違うよっていうのはまあ、はるかと俺は脳とか神経のちょっとしたところは違うよねっていうことね。
はるか
そもそも全然違うんだということ。これまではふんふんふんっていう感じなんだけど、その違いを社会の中で生かしていこうという定義をしていて、これが経産省が出してるっていうのも、モラル的な尊重し合いましょうみたいな話よりも合理性があるんじゃないかなっていうふうに俺の中で考えがアップデートしたわけなんだよね。
なるほど 。みんなが豊かになるためにも、そっちの方がいいんじゃないっていうふうにアップデートした。その話をしていきたいんだけど、もう一個今までの考え方からアップデートした部分としては、
医学モデルで捉えると、障害という言葉からわかるように何かが劣っているとか欠けている状態っていう否定的なイメージが出てくるわけやん。それを治すとか治療とか言葉が使われたりするわけよね。だけどそこからの転換をしましょうっていうのがニューロダイバーシティの大きな視点の変換なのかなと思っていて。
つまりどういうことかっていうと、発達障害は治療すべき問題として捉えるのではなくて、ニューロダイバーシティという考えではこの違いは障害とか問題ではなくて、人間の遺伝的神経的な多様性の一部であり、これは例えば髪の毛の色とか目の違いとかと同じように単に人間の多様な特徴の一つとして見ることが重要なんじゃないかということなんだよね。
ひとし
だから今回はニューロダイバーシティの考え方で発達障害を問題じゃなくて個性だと捉えるっていう見方で考えていくと。
個性と才能の捉え方
はるか
そうそうそう。なんかこのニュアンスの違いわかるかな。個性大事にしましょうみたいな話をすると、そういう道徳的な話ねって。そんな感じのニュアンスではないのよ。
ひとし
ではないんだ。
はるか
それをちょっと話していきたいんだけど。
ひとし
論理的にいいじゃんって思えるポイントがあったのね。
はるか
そうそうそう。この考え方が一番重要な可能性を秘めてるのは、今までの治しましょうとか治療するっていうものから生まれた偏見を減少させて、子供たちとかそういう特性を持った方々の能力が最大限に発揮できるようになるんじゃないかっていうふうに思ってるわけなんだよね。
ここで出てくるのが、この才能という言葉と障害という言葉についてちょっと深掘りたくて。わかりやすい書籍があって、トーマス・アームストロングさんの『脳の個性を才能にかえる』という本なんだけど、これが面白くて、いわゆる社会モデルっていう話なんだけど、まず才能っていう話からいくんだけど、才能あるよねとか才能ないよねみたいな話ってよくあるじゃん。
ひとし
よく言われるね。
はるか
子供とか特に言うよね。「わたし才能ないし」とか、そんなこと言わないでってね。
ひとし
頑張ろうって。
はるか
頑張ろうって話なんだけど、この才能みたいなものをこれって社会が規定してるよねっていう話があるわけよ。
ひとし
はいはいはいはい。
はるか
おもしろーってなって。
ひとし
どういうことだ?
はるか
ちょっと広いところからいくと、このアームストロングさんが言ってるのが、ある社会で病気とされるもの、例えば統合失調症っていうような名前がついていたりとか、脅迫神経症っていう名前がついたりとかっていうのがあるんだけど、診断名として。
それはちょっと時代を変えて、宗教儀式が主流とされていた時代では、統合失調症って呼ばれる方々が、もしかしたら神の声が聞こえるっていう人とか、あとは儀式を取り行う人っていうふうなのに向いてたかもしれないっていう話があったりとか。
だからここから言えるのは、今の社会では、ある種の困り感を抱える症状として、病気として捉えられているものも、時代が変わったりとか、その時の文化が違えばぜんぜん違う結末になっていたよね。むしろ才能だったよねっていう話。
ひとし
いやもうそればっかじゃない。
はるか
そうね。つまりね、これ一番鳥肌立った言葉が、このアームストロングさんが、才能に恵まれていると見られるか、障害があると見られるかは、その時代と場所で決まるっていう言葉ね。もうすごくない?これ。
ひとし
まあそうよね。いやそうよねって本当に思うのよ。
はるか
そうよねってなってたんか。
ひとし
それをね、皆さんに体感していただけるだけでも十分価値があるなって思うのよ。
はるか
そうね。
ひとし
ちょっとはるかがさ、今の環境では活かされてるけど、こういう環境ではそれが才能じゃなくて問題だと思われたみたいなものある?
はるか
いやこれはね、あるね。
ひとし
あるか。なんやろ。
はるか
えっとね、俺は小学校中学校のころって、本当に人の気持ちに鈍感だったんよ。
ひとし
へー。
はるか
誰にどう思われるかみたいなものを全く考えずに行動する人間だったんだよね。
割とこう、自己中みたいな感じだったから、爆発的にそれがリーダーシップになってたんだよね。小学校の頃、中学校の頃とかは。
だからこそ、恥ずかしくないから、ほんとバンバン人前に出てリーダーシップ発揮して、それが学校の先生とかに褒められるみたいな才能として扱われていたんだけど、
それがね、ちょっと場所を変えて、例えば少人数の対話とか、ニッチな領域で繊細な話をしてたりとか、深い話をしてる場に俺がズカズカ話が入っていくと、やっぱ煙たがられたりとかあって。
ひとし
この人なんも考えてないやんって。
はるか
これ大学の時に思ったんやけど、知的な友達が多くてさ、割とニッチな領域に詳しくて深く話す友達が多かったんだけど、その友達によく言われてたのが、
社会での評価と才能
はるか
「ほんと浅くてバカやね」みたいな。
ひとし
ひどいこと言うね、そっかそっか。
はるか
で、今までイケイケゴーゴーでやってた自分が、この領域に入るとめちゃくちゃ使えんポンコツになるんだっていうことに、
究極のメタ認知をしたことがあって、たまたまそういうイケイケゴーゴーの自分が認められていた昔の環境と、そういうのが煙たがられる環境っていうのに二つ味わったときに、
まさに才能として輝いたときと煙たがられる、いわゆる困り感、障害になった部分があったんだよね。
で、このときに思ったのが、そのJAPAN PODCAST AWARDSのときにも話したんだけど、もう全部たまたまやんと思ったんよ。
ひとし
はいはいはい。
はるか
えっと、俺は小学校のときめちゃくちゃなんていうんやろうね、自分勝手で丁寧なことができなかった、全く。
書き順できない、姿勢とかできない、いつも立ち歩くみたいな自分だったんだよね。
それをたまたま寛容な先生で、ずっと認められ続けてきた小学校時代だったんだよね。
それは周りのクラスが荒れてたのもあって。
だけど今、子供たちと接していると、そういう子たちが担任の先生とマッチしなかったり、学校とマッチしなかったりしたら、けっこう否定されたりとかしてる場面もあるんだよね。
で、これを見たときに、けっこう自信持つとか自分才能あるって思えるかどうかは、本当に環境とそのときの運なんだなっていうふうに思ったんだよね。
そう、で、このアームストロングさんが言うには、特別支援教育の教師をしていたときに、子供たちが得てして、学校教育で最も高く評価される読み書き計算とか、テストを受ける規則を守るっていうのをすごく苦手としていて、
高く評価されないもの、美術、音楽、身体能力を得意とすることが多い子がいたんだと。で、これ示唆深いよね。
ひとし
はいはいはい。どこが示唆深いかというと、
はるか
だからさ、例えば今時代が変わって、音楽とかアートっていうものがめちゃくちゃ重要視される時代だとしたら、この子たちは、むしろ才能として、それが称賛されている。多くのクラスメイトたちから。
ひとし
そっか、この数十年でもこの変化は起きてるね。読み書き計算が得意な人と同じぐらい美術とかアートが得意な人が、ちゃんと評価されるってなってるもんね。
はるか
そういうふうにひとしの感覚としてはあるんだ。だけどやっぱり学校では、国語、算数、理科、社会みたいなところが得意だと、頭がいいよねっていうふうにやっぱり認識されるんだよね。
ひとし
そうかそうか。
はるか
いや、社会に出たら結局同じぐらい社会で認められて、バリューを発揮できるんだよって話があるから、どれも同じぐらい認められるべきだよねって話があるんだけど、
個性と特性の重要性
はるか
やっぱり一番長い時間する国語算数ができないと、自分は頭が悪いんだという認識をしてしまうってことが、すごくもったいないことだなっていうふうには、これはずっと何回も子供たちに伝えていたことだったね。
けっこうここがね、一番もっとも伝えたかったことの一つなんだけど、つまり何が言いたいかというと、環境によってこの障害とか才能が規定されるよねっていう話があって、
これ個性もそうだよねって。個性ってよく言われるけど、自分のオリジナリティっていうのは他者とどう違うかっていう相対的なものでしかなくて、そこを見るっていうのも重要なんだけど、
同じようにニューロダイバーシティという考え方では、脳とか神経のただそこにある特徴である特性をまず理解するべきだっていう話をしてるんだよね。
ひとし
どういうことだ?
はるか
たとえば事例でいくとASDって言われる脳の特性は、人間などの社会情勢を特別視しないっていう特性がある。
たとえばで言われるのが、人間と機械を同じような見方するっていうような極端に言うと。
ひとし
具体的に言うとどんな例があるんやろ。
はるか
そのコミュニケーションの特性としては、辞書通りの言葉を使う。言葉に厳密であるとか、なんとなくニュアンスで伝わるでしょうみたいなものがよくわからないっていうのがある。
一方でそれは正確に記述しようとする言語を使うと考えると、学術の世界、論術分野とかコンピューター、プログラミング言語とかにはめちゃくちゃ活きるよねっていう。
これは、じゃあ社会的コミュニケーションができないんだねっていうふうに捉えると、これは障害として扱われる。
だけど、これを可能な限り実態に近い形で知覚しようとしているっていうふうに特性として捉えると、これは才能として捉えられる。
ひとし
ヨイ出しやん。
はるか
そうそうヨイ出しなんよね。見方を変えてその人の強みに気づくっていう。
ひとし
そうよね、ほんと大事。ヨイ出しやもん。
はるか
そうそうそう。今言ったみたいな考え方を社会モデルって言ったりとかして。
へえ。
ザ・アデコグループという会社さんの記事を参照したんだけど、これ背景としては2006年に国連が障害者権利条約というものを作って、この障害と呼ばれるものの概念が変わったんだよね。
どういうことかっていうと、今までは治療とかっていう考え方、治そうっていう医学モデルだったのが、社会の環境を変えることによってこの障害っていうものはなくなっていくよねっていう社会モデルに変わっていった。
めちゃくちゃわかりやすいところで言うと、車椅子ユーザーの人の前に階段があるときはスロープとかエレベーターをつけると障害がなくなるよねって。
これバリアフリーって言われたりとかするけど。っていうのが、社会全体としてもこの考え方っていうのが重要になっているというのは、一つ視点として持っておきたいなっていうふうに思っているところだね。
ということで、ここまで話してきた中で、最後にね、冒頭に言った、克服するべき苦手と尊重するべき特性みたいな話についてできればなと思っていて、
ここまでの話を聞くとね、脳の特性に合わせて環境を作っていくことが大事なんだなとかさ、それを尊重することが大事なんだなっていう話があるけど、
最初の問いに戻るとひとしが、本当にそれで生きていけるんだっけみたいな疑問を持ってたよ。
それについてもちょっといろいろと本を、文献を漁って調べてみたときに、一つ重要な考え方を見つけたので紹介するね。
奥田健次さんという方の『拝啓、アスペルガー先生』という本からなんだけど、この中でね、奥田健次さんがいろんな発達に特性を持たれている方の支援をしていく中で出ていた言葉なんだけど、紹介するね。
「日常生活で困っている、あるいは他人を困らせているのを個性といって放置するというのは良くないことじゃないか。
本人が困っていなくて、周囲も困らせていない状況になって初めて個性といってあげていいんじゃないでしょうか」という言葉があったんだよね。
ひとし
日常生活で困っていたり、他の人を困らせていたりっていうのを個性としてはダメだよねって話か。
はるか
これって当たり前のことを言っているようで、一つこのニューロダイバーシティという考え方を手に入れた上ではすごく重要な視点になるのかなと思っていて。
なぜかというと、それは大切なことは日常生活でどれぐらい困っているかっていうのを基準にすることですっていう話があって。
逆に困っていなければそのままでいいかなと思っていますって奥田健二さんは言ってるんだよね。
で、この時に思ったのがここから俺の持論なんだけどね。ニューロダイバーシティという理想の社会みたいなものを今前半で話してきたやん。
ひとし
人の脳とか神経は多様だよねっていう考え方よね。
はるか
で、その違いを社会の中で生かしていこうぜっていう相当に素敵な考え方。
この考え方を持つと発達障害みたいな概念っていうのが消えていくんじゃないかっていうある種の希望を見出したのかなと思っていた。
そういう理想の社会を目指しながらも現実として、現実の社会では理不尽なことはたくさんあるわけじゃん。
それに対してずっと声を上げ続けるっていうのも一つ大事なことなんだけど、現実の社会で本人と周りの人が困らないように調整するのも大事なんだなってことは、このバランスはすごく奥田健二さんの考えで取れたっていうのが俺の中であったよね。
ひとし
具体的に調整するっていうのはどういうことなの?
はるか
ニューロダイバーシティ的な考え方で言うと、子供の特性、いわゆるいま障害というふうに見られているものも特性なんだから尊重しようと。環境を整えてあげることが大事だよねっていう考え方だと俺は思ってて。
ニューロダイバーシティの考え方
はるか
だから例えば学校の例でいくと、いわゆる合理的配慮って言って、すごく動きのある子供は動けるようなスペースを作っておくとか、あとは音に敏感な子にはイヤーマフって言って音が遮断できるようなものをつけたりとか、そんなふうな個人によってあった配慮をどんどん環境として作っていこうっていうのが一つ重要な考え方なのかなとは思っている。
今のがニューロダイバーシティ的な考え方の調整。
一方、それが限界があるときって、この現実社会では今のところあると思っていて。
ひとし
限界は、だから
はるか
その環境調整だけじゃ難しい場合ってある。
例えばでいくと、以前に個人面談でお話しした方は特性があるという診断を受けました。
先延ばし癖がすごくあって、お風呂にもう全く入らないとか、朝全く起きれませんみたいなことがあったわけなんだよね。
そのときにこれを社会的な環境を整えようとすると、朝起きれないから昼からにしようみたいな大きな大規模な話になったりするという考え方も一つあるんだろうけど、
それによって結局選択肢として狭まってしまったりとかってあったりするわけじゃん。
結果的に他にいっぱい優れた能力があるのに、それをぜんぜん発揮できてないように俺は感じたんだよね。
だからいっぱいできることある。
学校生活でもいっぱい認められる部分があるはずなのに、この朝まったく起きれないことによって、それの力を発揮できてないなというふうにもったいないなと思ったわけなんよね。
またお風呂に入らないとかっていう話も、本人の自由じゃんっていう考え方もあるんだろうけど、
結局家族としては匂いとかもして困っていたみたいな状態だったんだよね。
ひとし
その状態が奥田健二さんの言っている、日常生活で困っている、あるいは他人を困らせている状態。
はるか
そうそうそうそう、まさにそうかなと思っていて、
だからこれを個性ですよって言って尊重するっていうのも一つの考え方なんだろうけど、
環境調整と医療の重要性
はるか
俺はそこはニューロダイバーシティ的な考え方と一方でその医学の力とか医療の力を借りて、本人の自信につながるような支援をした方がいいんじゃないかと思っているんだよね。
ひとし
そうね、医療の力をどういうところを借りれるか難しいよね。
はるか
そうね、いろんなのがあって、医療って思い浮かべると薬とかっていう話もあると思うんだけど、
それも一つの手かなとは思っているし、これにはちょっと賛否両論あるし、俺も知識が少なすぎるからこれをどうぞとは言えないんだけど、
だけどこのティーチャーティーチャーでも紹介させてもらったトークンシステムみたいな話もあったよね。
ひとし
そうね、トークンシステムはラジオ体操の時にシールをもらっていたようなあのシステムで、
何かできたらポイントがもらえるっていうのを作って、10ポイント貯まったらこういうことができるっていうのを子供と設定してやっていく。
はるか
そうそうそうそう、そんなふうに具体的な行動を明確にして、例えば朝8時までに起きるって、で起きれたらここにポイントがつくっていうふうに明記してしまう。
で、それによって子供はモチベーションを維持して起きれるようになっていくみたいな方法を紹介したと思うんだけど、
これってまあなんか本質的じゃないような感じするやん。
ひとし
ご褒美で釣るみたいだね。
はるか
そうそうそうそう、ご褒美で釣っちゃうんでしょみたいな話があって、理想は自分が心から起きたいと思って起きれるのが理想なんだけど、
現実的にこれで困ってるやん、今子供は。困っていて、そしてその能力を発揮できてない状態があるわけだよね、自信も失ってるわけだよね。
だからまずは行動から整えていく、最初ご褒美で嬉しくて起きちゃうみたいなことがあって、それは本質ではないんだけど、それをだんだんだんだん朝ご褒美によって起きていくことによって朝から活動する気持ちよさとか、
あるいはそれによって学校に行けて友達と楽しい時間を過ごせたりとか、で自分の能力を発揮できたりとかして、結果的に朝起きた方がいいんだねっていうふうに内発的に思えていく。
で、そんなふうに最初は行動から整えていって、その行動を整えることによってこの思考も変えていくみたいな方法っていうのは一方である。
だからこういう外発的な動機って邪道だよねっていう意見もあるかもしれないけど、一つその社会の中でうまく生きていくためには重要な支援なんじゃないかなというふうには思っていて、
コンコンでもそういう外発的動機も一つ重要な支援として活用することがあるんだよね。
ひとし
なんか俺、1年前とかは外発的動機で人を動かすっていうことにけっこう違和感があったんよ。
はるか
ああ、俺もやね。
ひとし
ああ、そうなんや。でも理論を知って実践で子供たちが元気になってるのを見ると、行動から整えるっていうのもいいんやなって本当に思ってるな最近は。
はるか
よかった。でもこれはね、本当に大事なのは、奥田先生が言ってるように、さほど困ってなければええがなって思っているって言うやん。
これがめちゃくちゃ重要で、なんかね、子供が困ってないのに社会のあれに当てはめようとトークンシステム使ったりするのは俺は良くないと思ってる。
ひとし
なるほどね。
はるか
これめちゃくちゃ重要。なんか、このご褒美を与えれば子どもが動くからバンバンあげていくみたいな、それでちょっと大人の言う通りに育てようみたいな話じゃない。まったく。
ひとし
なるほどね。
ニューロダイバーシティの理想
はるか
じゃなくて、これあくまでも困っていて、周りも困っていてどうしよう。本当は環境を整えたい。環境を整えてニューロダイバーシティを尊重したいんだけど、
現実的にそれがうまくいかない時にそういった方法を取るというのが一つ、俺の今の段階での最適解かなというふうには思っている。
ひとし
だから今日は理想としてはニューロダイバーシティの考え方で、社会全体で個別に合理的配慮していこうっていうのがある。
はるか
そんな理想の社会を目指していきたいね、俺も。
ひとし
というのがあったのと、とはいえ現実としてはできることってなんだろうという話で最後トークンシステムのところになったのか。
はるか
そう、とかね。いろいろ行動療法って言われるいろんな療法があったり、あるいは薬とかっていうのを開発されている方もそういう思いを持っている方もいらっしゃると思うし、
ひとし
まあそうだよね。
はるか
現実的にそれで助かっている方はたくさんいるし、これはでも薬については各自それぞれ勉強されてからかなとは思っているところですね。
で、今日まででこの基本的な発達障害と呼ばれるものについて考え方をアップデートさせるところだったんだよね。
かなりアップデートされたんじゃない?
ひとし
されましたね。されましたか皆さんどうですか?
はるか
されたんですよ僕はこのニューロダイバーシティという考え方とか、発達障害という用語についてもう一回捉え直したりとかということで、
Xのポストとかでもかなり反響もあり、嬉しかったのが、今まで子供に対して「なんでできないの」とか思ってた部分にばかり目が向いていたのが、
「子供の才能こんなとこあるやんっていうところに気づくようになったんですよ先生」っていう声が。めちゃくちゃ嬉しかった。
発達障害のアップデート
ひとし
もうそんな思考の転換があったんやね。
はるか
そうそうそう。わざわざ昨日、個別面談に申し込んでくれてそれを伝えてくれたんです。
ひとし
すご。
はるか
そうそうそうそう。
ひとし
俺が思ったのはね、文献をめちゃくちゃ参考にしてるやんいろいろ。
それを俺概要欄にURL貼ってて思ったんやけど、気になるものを読んでいただくとまた自分なりの理解が深まるけんいいのかなとは思った。
はるか
ほんとそうだと思う。
ひとし
いや俺も読み返したいものがねめっちゃあって。
はるか
ああほんと?
ひとし
うん。なんかこれをきっかけにね、学びたいと思っていただけたら嬉しいね。
はるか
嬉しいね。いやー今回の回は本当に特にこの考え方を持つだけでけっこう組織的にハッピーになったり家族の中でハッピーになる気はしてて、
ぜひXとかでも紹介してほしいし、メンションとかでも紹介してほしいなって思っております。
最後ね、次回からは発達障害と診断された場合、今のところどんな配慮が受けられるのかとか、具体的に合理的配慮合理的配慮って言うけどどんな配慮があるんだとかっていう話、具体的な話を進めていきたいことと、
あとは選択肢ですよね。学校・仕事の選択肢についてお話をしていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。
ひとし
よろしくお願いします。
はるか
原稿はインスタのサブスクの方にも載せておりますので、ぜひご覧になっていただければと思います。
また今まで集めた文献とか、hayatakaさん、調査長のhayatakaさんが本当に僕の理解を超えるレベルまでまとめてくれていて、
それについての資料とかはティーチャーティーチャー村の方の教育調査部屋でいっぱいシェアされていて、本当にびっくりするほど情報がたくさんあるので、
そちらもご覧になっていただければなというふうに思っております。
ひとし
はい、お願いいたします。
はるか
はい、ぜひ村でお会いしましょう、皆さん。
ひとし
それでは、さようなら。
29:54

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