発達障害に関する書籍の批判
はい、みなさんこんばんは。こんばんは、こんにちはですね。こんにちは。今日はですね、めっちゃ緊急で動画を回してて、いつも動画を撮る時って台本があるんですけど、今日はその台本なしで、まあ、後であの詰まった部分とか編集するので、まあ、いいかなという気持ちでね、今日は緊急でね、動画を回してみようかななんて思って、今こうやってカメラつけたところなんですけど、今回はですね、
あの【例の本】Xで話題になっている【例の本】ですね。発達障害をね、困ったさんとカテゴリー付けして、あの、動物の絵で描かれてるっていう、あの、心理術のね、本のことに、この障害当事者が言及しようと思いましてね、動画を回してます。
まあ、この令和の時代に、まだこういう認識かと、困りましたね、っていうのが一つの感想です。まずね、暴言が出ちゃいそうになるような、そんな感じのひどい内容でしたね。
何が問題かっていうと、発達障害は先天的なものなんですけど、トラウマ障害だったりとか、愛着障害みたいなものは、生まれ出てから起きた出来事であったり、直面したことで発生する、後天的なものなわけですよね。
例えば、鬱病とかでね、あの、給食するみたいな時、あれも後天的なものなんですけど、あの本はですね、後天的なものと先天的なもの、2つをごちゃ混ぜにしてしまって、雑なカテゴリー分けをした結果、ああなったのかなと。
で、実は私もですね、結構遭遇したことがあるのですが、NPD、自己障害の人たち、自分のね、障害の知識とか、自分に都合のいいようにピックアップして、こういうカテゴリー分けをしたりとか、診断をやってみたりとかっていうのをするのを見たことがあるんですよ。
で、今回の事例もそれに安易に当てはめるというわけではないのですが、それに似たものを感じましてですね、出版される前からそんな批判的なことは言わない方がいいんじゃない?っていう意見も多いかと思うんですけど、もうですね、目次を見た時点で、どの発達のその特徴だったりとか、障害の特徴だったりとかっていう知識も間違っていることがわかるわけですよ。
我々ね、当事者なので、死ぬほど調べてきてるわけですよ。なにせ自分のことが自分でわからないわけですからね。なんでこうなってしまうのかっていうのがわからないと結構調べたりするんですよ。
目次を見てるともうめちゃくちゃなんですよね、だから。問題点の一つとしてはね、作者の主観で書かれていることですね、あの目次の特徴の全部が。だからまあ、自分たちが出会った困ったさんの特徴をこうなんでしょうね、この障害のね、主な特徴として書かれているものと自分に都合のいいものとってくっつけた結果、あのような感じのことになったんだろうなぁと思ってるんですよね。
で、スーパーカウンセラーって名乗ってるのもちょっとなんかあのスーパーってついちゃったらちょっと中二病みたいな、中二病みたいでなんか寒気が張ってなるんですけど誰でも名乗れちゃう、名乗れちゃうんだけどカウンセリングモードしていると問題ですねっていうとこなんですよね。
で、もう一つ問題なのがカサンドラ症候群ですね。もちろんですね、あのこの病名があることで救われた人もかついるというのはわかるんですが、カサンドラ症候群という名前の病気は存在しないんですね。
精神医学の指針みたいな、マニュアルみたいなものがあるんですけど、DSM-5というんですが、このDSM-5、ちょくちょく内容が変わってたりするんですよ。
その中のマニュアル的なものの中にカサンドラ症候群というものはないと。
それでカサンドラの人たちの自閉症スペクトラム、かつてアスペルガーと呼ばれたものの人たちの特徴を見ていると、結構その冒頭最初にPD、自己愛性人格障害の人たちと、存在型ASDっていうその人格障害プラスDみたいなのは混ざってる人たちの特徴がね、結構あるんですね。エピソードが似通っているというか。
だからそもそものところ、純粋な人たちから被害を受けているというのを間違ってるわけですね。だから何かの混合型であったりとか、人格障害の人たちから被害を受けているみたいな感じだと思うんですが、
人の人たちってまあ、何でしょうね。表に出てくれるのは高知能の人たちだけで、高知能の人たちは少ないわけなんですよ。知能が平均以下であったりとか。あるいはこうやって言語化することが苦手だっていう人たちの方が大半なわけですよね。
だからこれは間違ってるよって言って当事者が大々的に声を上げるのは、なかなか日本では難しいみたいですね。アメリカン方だと当事者のそういう団体とかがあるらしいんですけど、難しいですよね。
私も障害当事者でありますけど、こうやって言葉たぶんに喋ってるように見えますけど、実はあんまりこう、何でしょうね、あんまり操る力がなかったりとかっていうのが結構ありまして、
なかなかスケープゴートにされてしまっているので、結構概念としては純粋なカラーというのは間違っているのであって、結構ヘイトに近い概念ではあるんですが、
苦しめられている人がいる以上を別の何かの概念で語って説明をした方がいいのではないかなと、その前提になっているものはあれ自体が間違っているので、どうしたもんかっていうところですね。
で、まあいろいろ著者の方はカウンセリングをしてきたというのですが、どうなんでしょうね。あの知識だと多分、サンプル数が身の回りの人1ぐらいしかないんだと思うんですよね。
なのでまあ自分の身の回りの人たちの困った人をちょっとなんかね、あの著者自身もエコーチェンバーでちょっと偏りが出てしまってね、
あの生涯憎しみたいなところが結構バリバリに、いくらカモフラージュしてもですね、バリバリに出ているもんですから、そういうところでおかしくなってしまったんだなと、まあまさに敵思考で本を出した結果、ああなったんだなと。
話題になったら成ったで成功だというふうには言われるわけですけど、どうなんでしょうね。
なんかそこの文章を書くっていう人は想像力がないとまあ恐ろしいわけですよ。言葉というのは刃物によく捉えられますけど、まあ例えられますけど、まあ想像力というものがないと振り回しているような状態に近いわけですよ。
まあね、私そんな知識がない私だってね、考える想像力というものがなかったらですね、もう無限誰かが傷つくような言葉を吐けちゃうわけですよ。
だからその想像力を働かせて言葉を選んで表現を選んでってやってたら多分あの本は燃えなかったであろうと、ちゃんとした慣習を入れ、かつタイトルを工夫して、確かにね、あの私も障害者雇用で働いてますから、私たちのサポートしてくれる人たちの気持ちもよくわかるわけですよ。
かなり苦労していらっしゃるんですよね、こんな私みたいな面倒くせえ野郎の話を聞いてくれたりとかね、苦労しているのもすごいわかるんです。
だからその人たちの向けの著籍が出るのもいいことだとは思うんです。
なんですけど、言葉を選ばないといけないわけですよ。人間は言葉を選んで、かつその目の前にいる相手のことを想像したり、あるいは周りの影響のことを想像したりして文章を書いたり、思いを伝えたり、交流ができるというところがね、人間の素晴らしいところなんです。
だからそれを抜きにしてしまうと、もうただただその人である意味みたいなのがなくなってしまうんですよね。
動物で例えられてましたけど、言葉の想像力というものを持たないと、もう同種殺しをするチンパンジーと同じになっちゃうんですよね。
ここで豆知識として言うと、同種殺しをするのはチンパンジーと人間だけなんですよ。
他の動物は自分と同じ種類の動物を傷つけたりとか、利益のために殺したりとか、私欲のために何かをしたりということをしないんですよね。
だからなんて言ったらいいんでしょうね。
人間に生まれた以上はその人間らしい持ったものをフルに使って、それこそね、あの本だってもともとの目的、要求されたことを考えると、
そういう障害者雇用でケアする側の人たちの心をなんとか楽にしてあげたいというような思いが当初あって作られたものなんですから、
そこはやっぱり言葉を選ばなきゃいけない。障害憎しみたいな状態の文脈で敷かれた状態で書かれてしまうと、
人間って嫌なところが目につくと、ずっとその人の嫌なところが目につくみたいなことあるじゃないですか。
言葉の影響と歴史的文脈
ああいう状態になってしまうわけですよ。
で、人を人とも思えなくなってしまって、だからあれなんです。我々が人として見られずに、何でも障害の症状あるいは病気の症状だけで語られてしまって、
自分たちの個性というのは全く見られていないみたいな状態になることもあるんですよ。
そこの視点を切り替えて、環境の、周りの環境にこの人に原因があるのではなく、周りに原因があるのだと。
で、自分がこううまく、その障害を持つ社員の人たちに仕事を張り振って、
死後的な、ちょっとかっこいい感じの部署にしていこうよ、みたいな前向きな捉え方ができる表現も結構あったとは思うんですよ。
人を人として見れないと思う、何というんですか。障害者雇用に限らず、障害者の取り巻く世界、福祉の世界っていうのは、
政治伝説で回っているところがあるんですよ。制度の、障害年金とかもそうですけど、制度がもう家族が全員仲が良く、
協力的で、かつ周りの支援してくれる人たちは悪意も何も持たない善良な人たちである、みたいな感じの前提で敷かれたような制度が多々あるんですよね。
だからそこで象を増幅してはいかんのですよね。だから双方思いやりというか、我々も別に感謝してないわけじゃないっていうのが、あの本の中で伝わらないと。
まあ尻拭いをさせられている。確かに現場の人の気持ちに立ってみれば、隠さずに言うとそんな形になるでしょう。
でも日々を生きて働いていく以上は、ああいう悪感情を増幅させたままの状態、あるいは加速させていくような状態のものを手元に置いた状態で毎日毎日働いていたら、それはまあ苦しくはなりますよね。
私だってこの障害当事者で知識もあんま何もねえ、この当事者でさえ想像したら苦しいだろうな、多分終わりのない仕事で何とも苦しいのだろうな、みたいな想像はできるわけですよ。
こんな私みたいなバカでも想像できるんですからね。だから自分が優位に立っているみたいなおごりのような状態だと、適切に想像力は働かないのだなっていうのは今回わかりましたね。
あとは肯定的に出てくる障害とか疾患、トラウマみたいなものをちゃんとした監修を置かずに書いてしまったというのはダメなところですね。
あとイラストレーターさんは責められないですね。真摯に謝っている姿を見て、昨今のエッセンターは珍しいが誠実な方だなぁと思いましたもんね。
まああれなんですよね。人を動物として例えるのが何がダメかっていうと、これは歴史の勉強をしていればわかるのですが、アフリカの先住民族の中にアボリジニという人たちがいました。
その人たちはイギリスの占領下に置かれた時にですね、人間ではなくて動物であるとされたんですよ。
だからつまり類人猿系の動物であるとされて、人間的な扱いは一切受けられなかったというのがあります。
木のなんていうんですか、手笠というんですか、首輪みたいなものをはめられて移動させられたりとか、労働させられまくったり、女性であればちょっと言いたくないなぁぐらいのことをさせられたりとかっていう歴史があるわけですよ。
で実際動物だとみなしてしまうとどんな非道なことでもできるわけですよ。もうここでは口に出して言えないような暴力的なことだってできてしまうんですよ。
歴史的文脈で考えるとそういう、何でしょうね、イタラさんのことは責めないんですけど、あのディレクションをした出版社とか著者ですよね、歴史の文脈を知っていればまずいことだなというのはわかると思うんですよね。
なのでそのディレクションの時点でストップがかからないといけなかったんですね。この下請けの業者であるイラストレーターさんは仕方がないにしてもです。
言葉を扱うということは様々な書籍を読んでいたりとか知識があるということを一般の人は想像するわけですよ。
私みたいなバカでさえこのような歴史の文脈を知っているわけですね。だから出版社は当然そういうのを知っていなくちゃいけないんです。差別がそういう下地にあるのだということを知らなくてはいけなかったんです。
だからその時点で責任は重いかなとは思いますね。
職場の困った人とのコミュニケーション
あとはですね、消防会社はスケープウォードにされやすい。自分のサンプル数1の都合の悪いそういう困った症状をいろいろ障害に当てはめていって、自分の中のそういう障害当事者を作ってしまうっていうのが今回の問題だと思っているんですけど、
いるんですよ。実際に私もネットとリアル両方を交流しててあったんですよね。障害を先にカミングアウトしても途中からカミングアウトしても免罪符にしていると言われてしまうので、もうどうしようもないんですが、だから自分のその都合の良い知識だけを頭に入れて組み合わせて発達障害者像を作って、こういうメディアとかで批判したりするみたいなことをされたことが実際にありまして、
だから、そういう都合の良いところだけピックするというようなのは、そういう人たちがまたそういった偏った思考をね、強化させてしまうきっかけにもなるので、皆さん差し止めをしているわけなんですよ。で、この像をした感情が増幅していって、どんどんどんどん自分の中で偏ったものができた結果が、山由里苑の事件だったりするわけです。
あの方だって最初は何でしょうね、障害者は可愛いでしたっけ?ね、可愛いとかピュアっていうのもよくわかんないですけど、私だってね、こんな異人間意地汚く見栄を張ったりとか、あるいはなんか汚いことを心の中で考えつつもこうやって発信しないで綺麗な言葉だけ紡いでいたりとか、割と普通の泥臭、泥臭悪い心も持つ人間ですよ、なんですけど、そういう可愛いとかピュアとかでね、自分のそういう本心を覆い隠していった結果、増幅していって、
ああなってしまったと。だから今の著者も差別する意図はなかった、ピュアなイメージだと言ってたんですけど、それが先鋭化すると事件とかに繋がっていくのでダメなんだよと。
さっきの直近の事件ですら、事件を加味して物事を考えることすらしてなかったのだなと。だから学びをやめて自分の中のそういう先鋭化された、あるいはカサンドラ症候群みたいなエコーチェンバーでいろいろ強化されていってしまう思考に飲まれていってしまった人はもう歯止めが効かないんですよね。修正ができない、知識の。
それこそ私だってこだわりはちょっとある方ですけど、なんでしょうね、特定の思い込み、こうであってほしい、こういう憎しみを抱いてほしいみたいな感情を強化してしまうとね、本当に生きづらくなってしまうんですよね。
で、今は何が要因かわかんないんですけど、発達障害が増えている。増えている中でどう戦力にしていくかとかね、少子化が避けられて子供を増やせと政府は言ってはいますが、政府が想定しているのは健常で、ここで言う健常とは精神がね、そんな精神病とかなってなくて、もう本当になんか健常も健常でバリッバリ働いて24時間戦いますか経営の、そういうもうもはや半分人間じゃないだろうみたいな感じの想定だと思うんですけど、
そういう何かしら動けなかったりとか、私も一時期寝たきりとかありましたけど、そんな中でも働ける方向性を何とかね、いがみ合うんじゃなくて協力しなくちゃならないんです。
本心の中ではそれは何と思っててもいいんですよ。何と思っててもいいと思うんですが、世の中の日々のこの生活を運営していく中では協力しないといけないんですよね。
なんですけど、働か、働けと言われるわ。働かなくても援助とか、障害年金生活方法がありますけど不安定だったりしますし、働きに出たらこうやって困ったさんなんて言われてしまうともう居場所がないわけですよね。
もしその人が何か優れた能力を持っていたりとか、あるいは病気を発症する前、肯定的なそういう障害を負う前はすごいバリバリ働いてたみたいな人とか、
隠された、隠されたという言い方もおかしい、発揮できなくなった能力を持っている人もいっぱいいるわけですよね。
だから機械損失にも繋がるわけですよ、いがみ合いはね。別にあれですよ、類人猿というのはいがみ合って争い合うのは簡単ですからね。
動物の本能的な部分で考えるとですね、争うのはすっごい簡単なんですよ。類人猿ってマウントをね、マウントをすげー取りたい生き物だったりするので、
だから今の世の中の動きを考えると協力していく姿勢でないともうこの国は運営ができないのですよと。
まあ企業というね、単位で考えるのもいいんですけど、国という企業をね、我々の小さい人たちが運営していく中では協力していかないとまずいわけですよね。
そこを阻害してしまう。あるいは第二のそういうね、山揺り縁の事件が起きるかもしれない。我々が生前説の中で音符に抱っこだからこそ。
だから援助を受けていたりとかすると、逆らえなかったりするわけですよね。だからそういう悪意を持った人が入り込んでしまうともう一瞬で崩壊してしまうみたいなところもあるわけじゃないですか。
施設とかね。だから本音はどう思っててもいいけど、円滑に運営していく上ではあの本は悪いなぁと思ってしまいます。
障害者雇用の現状と課題
どういう意図だったかはわかりません。もう一度監修をつけてタイトルを変えて内容をしっかり精査した上で有益な本にしていってもらえたらと思うんですけども。
結果がどうなるかはわかりませんが、私の思いをね、ちょっと緊急で動画で回してみました。公開するかどうかはわかんないんですけどね。
緊急で回してみましたということで。なかなかね、私もあのスモールなレベルではあるんですが、トラウマみたいなものがありますので。
トラウマ障害というのは2種類に分けられている。T-PTSDとS-PTSD。事件とか事故とかそういう大きな出来事と、日常の中で傷ついてきた発達性トラウマ障害みたいなのにカテゴライズされるものもあったりしたり。
なかなか原因がわからないからこそ、一人一人がね、能力を発揮して、何でしょう、この会社はすごい障害者雇用で利益を生み出しているみたいな感じの明るい方向に持っていけたらいいですね。
この本の根本の原因はですね、法定雇用率なる、謎の義務化された障害者雇用だと思ってますね。
やりたいところが雇えばいい。強制するからいけない。強制されるということは本当はやりたくないんでしょうって。そういうやりたいところがやればいい。比較があるところだったら積極的に採用すればいいね。
だから障害の知識もなく偶然指導する側に立った人たちが困っているという話で、ああいう本が出されるような経緯になったので、そこの根本のところを解決してもらわないと、
たぶんこの本の差し止めだけでは人は変わらないわけです。みんなの心の本心の中にあったり社会の仕組みの中にあったりするわけなのですから、
そこの根本の雇用の段階からいろいろ考えてもらわないとなと思った次第でございます。今回バーッと喋ったので限定で公開しようかなと思います。それでは。