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2026-01-29 15:31

#46 安部公房『箱男』〜匿名性の迷宮で味わう「見る・見られる」の倒錯的快感

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安部公房『箱男』を読みました

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今回は、生誕100周年を記念した映画化でも話題となった安部公房の傑作『箱男』を取り上げました。学生時代に没頭した本作を、映画館で実際に「箱」を被る体験を経て、数十年ぶりに再読。そこで改めて突きつけられたのは、単なるあらすじを超えた「迷宮のような読書体験」そのものでした。

段ボールを被り、社会的な名前や属性を捨てて「匿名」の存在になる。それは、自分を見られることから拒絶し、ただ世界を「見る」だけの存在へと変貌することを意味します。物語が進むにつれ、手記の書き手は誰なのか、誰が箱男で誰が医者なのか、自己と他者の境界が溶け合っていく叙述トリックの妙に、心地よい眩暈を覚えました。

高度経済成長期の都市で見落とされる「生き倒れ」のニュースと、現代の希薄な人間関係。時代背景は違えど、本作が描く「個の消失」は今もなお鮮烈なリアリティを持って響きます。作家・安部公房の筆力によって、論理を超えた迷宮に引きずり込まれる快感を、ぜひ一緒に味わってみませんか。

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サマリー

安部公房の『箱男』に関するエピソードでは、その作品の映画化や物語の構造が探求されています。箱男の存在を通じて、匿名性や社会的なアイデンティティの曖昧さが描かれ、時代背景が重要な要素として浮かび上がっています。

安部公房と『箱男』の映画化
tantotの時々読書日記第46回です。今日はですね、安部公房の『箱男』について話してみたいと思います。有名な作品ですよね。これ実は去年の、去年かな、違うか、一昨年か、一昨年の8月に、2024年の8月に映画化してるんですよね。
生誕100周年ということで、その記念すべき映画化ということで、一部では話題になったのかな。出演が長瀬雅俊主演、浅野忠信が、この後ちょっと走ってくる、医者役ということで、どちらもすごく実力派、俳優が2人、めちゃくちゃなんというか、すごい映画だったんでした。
で、結構、箱男は、昔、たぶん中学、高校生くらいの時ですかね、結構安部公房にはまった時期があって、読んでて、結構やっぱ、ワクワクする感じがあった。
で、それが映画化したっていうのは、これは絶対見に行かなきゃいけないなと思って見に行ったんですけど、これ面白かったのが、見に行った映画館に、箱男の箱男になれる段ボールが置いてあって、実際にそれを被ることができて、被っても写真を撮ってもらうことができるみたいな感じで、私も箱男になるみたいな、もうたまらないですよね。
っていうようなのもあったりして、その映画も見たので、改めて、すごいもう何十年ぶりかに読んでみようかなと思って、手に取って読みましたというような感じです。
で、どんな話かっていうと、箱を被った男の話ですっていうくらいはもしかしたら結構知られてるかなと思うんですけど、ちょっとかなり見に行った話というか、いつの間にか視点がどんどん切り替わってるような感じ。
ジョジュストリック的な側面があるので、話がすごくあらすじみたいなものを言うのは難しいんですけど、最初、冒頭ちょっと読むと、これは箱男についての記録である。
僕は今この記録を箱の中で書き始めている。頭から被るとすっぽりちょうど腰のあたりまで届く段ボールの箱の中だ。つまり今のところ箱男はこの僕自身だということでもある。箱男が箱の中で箱男の記録をつけているというわけだ。
箱男による手記としてのという体裁をとった話なんですね。最初、箱の作り方。冷蔵庫の段ボールを使って箱の作り方の説明が書いてあったり、
例えばAの場合、Aという人物がいて、その人物の庭に突然箱をかぶった。窓のすぐ下に箱男が住み着いたと。
その箱男をAという人が空気銃でパーンと撃っていなくなったって箱男が住んでたんです。
空気銃で撃ってみた。そしたらそのしばらくその箱男はいなくなった。ところがA本人が新しい冷蔵庫を買った段ボール箱を見て箱男になりたくなってしまって、
結果、Aは箱をかぶったままそっと通りに忍びた。そしてそのまま戻ってこなかった。ということでAが箱男になってしまう。
箱男を追うものが箱男になってしまう。そのAが書いてあるのかどうかは明確にされないんですけど、箱男の手記がまた始まって、ここで出てくるのが医者と看護師。
看護師が出てくるんですけど、医者がまたこの箱男を狙って空気銃を撃ってきたりするんですね。箱男は怪我をしたりするんですけど、その医者と看護師と関わっていく中で、なぜか医者がやたらとこの箱男に執着をし始めて、
大きな話で言うと、医者が箱男になって、箱男は医者になってみたいな、誰が箱男で箱男が誰なのかみたいな、データの境界が曖昧になってきて、結局この手記を書いているのが誰なのかよくわからない状態になって、
突然全然関係ない少年Dの話が入ったりして、
最後、一番最後の最後で言うと、
結局誰が誰って、医者が最後どうなったのか、この箱男が最後どうなったのかっていうのは、わかるようでわからないような曖昧な話のまま終わってしまうという感じですかね。
たぶんこのあらすじをこうやって喋ることにあんまり意味はなくて、この箱をかぶることによる、結局箱をかぶることって匿名になることか、匿名でなることあるいは見られることを拒絶して見るだけのものになることっていう。
だんだん自分が何者なのかみたいなことがわからなくなって曖昧になってきたり、社会的にあなたは誰です、こういう人ですみたいなものの意味がなくなってくるみたいな話だったりするので、
そういう箱をかぶることによって、自分なのか医者なのか医者なのか自分なのか、誰が箱男で、誰が箱男じゃないのかみたいなことがわからなくなってくるっていう、このわからなくなってくる感じを序述として楽しむみたいなのがこの話の楽しみ方なんじゃないかなというふうに思います。
時代背景と匿名性
映画もすごくよくできてて、長瀬雅人氏と浅野太郎の、長瀬が元箱男で、浅野太郎が医者なんですけど、その2人の、2人とも結構ある意味似てる感じ。
なんか、しっかりがっしりして、背も高くて、で、イケメンで、みたいな。で、歳とか背かっこも結構似てて、っていうその2人が、なんかこうだんだんと、どっちがどっちに執着しているのかわからなくなってくる、その感じが世界観がすごくうまく表現されてるなと思うので、映画もぜひ見てみていただけるといいんじゃないかなと思うんですけど、
この映画にしても、この小説にしても、なんかその騙されてる感じというか、何が何だかわからなくなってしまっている感覚っていうのを、そこの世界を、
この作家の筆の力によって、あるいはその迷宮に連れ込まれてしまう、その迷宮のわからなさを味わう。
そういう体験って、やっぱりそれはすごく内容がどうとかとか、さっき言ってた自我の消失だとか、見るもの見られるものの関係だとか、盗作だとか、そういうごたくみたいな話とは別で、
やっぱりこの序説の妙を味わうっていうのはすごくいい読書体験なんじゃないかなというふうには思います。
そんな感じですかね。
本当にストーリーは、ストーリーをあまり飾ってもないんですけれども、やっぱりうまいんですよね、そういう。
やっぱり今みたいな話を、話としては、ああそういう話って面白いよねって思う。
それを本当にグッと読ませるような形で書く。
その力っていうのは、やっぱりその安倍功夫作家としての力量なんだろうなというふうに思ったりはします。
結構本としても面白くて、なんか突然急になぜか、話の本筋とはあんまり関係なく、写真とちょっとしたキャプションが入ったページが出てきたりして、
ああそうですね、なんかそういうところもすごい、何を意味してるんだこれはみたいな感じだし、
ある意味なんだろうな、この書かれた、昭和48年だから1973年ぐらい。
ちょうど高度経済成長とか、オイルショック戦後ですよね。
その時代のなんともこう、すごく日本が急激に変化して、都市化が進んで、
本当に東京とか地方都市もそうだと思いますけど、どんどん街の風景が一変していく。
その変化についていくので精一杯みたいな、そういう時代の空気感も結構感じられる作品ではあるなと思って。
そういうところも面白い。
やっぱり時代の暗い側面というとあれですけど、変化していく時代。
高度経済成長のどんどん見方が、経済が伸びていく時代だけど、
その裏にある人の生き方の変化がついていくことができなかったりとか、本当にこれっていいのかみたいなことを考えてしまう。
あるいは戦後、言っても20何年ちょっとしか経ってないわけで、
戦前の記憶みたいなところがまだ少し残っているような、そんな時代の暗い空気みたいなところを感じさせる話でもあるのかなというふうに思います。
途中で入っている、なぜか新聞記事の切り抜き、抜粋みたいな、抜き書きみたいなところが突然あるんですけど、それがタイトルが生き倒れ10万人の黙殺っていうので、
具体、ざっくり言うと新宿の西口地下通路で不老者が死んでいるのを警察官が見つけたんだけど、ずっと6、7時間おそらく死んだ状態で座っていたんだけど、
それを誰も気づいて、10万人もそこは人を通っているはずなのに、誰も気づいていなかったとか誰も目に留めなかったという、いわゆる都市の他人への興味のなさみたいな、都市の残酷さ、寂しさ、非人間的な、
みたいなものが時代としても問題になり始めて、語られるようになり始めて、そういう時代だというふうに考えると、
白男っていう匿名化された存在になりたくなるとか、なってしまうのであるみたいな、そういう究極形みたいな話も、時代的にはすごく必然性があるんじゃないかなというふうには思います。
別にそれはその時代特有の話というよりは、今だって別に気にしなくなっているだけかもしれないですけど、そういう都市における匿名性とか交換可能性とか、誰でもいい、あるいは人と人との関係性が希薄になっているみたいな、
本当に人と人とはコミュニティだったりとか関係性を結べるのかみたいなことがわからなくなっているということ自体は、なんとなくもうだれきっちゃってるけど、それで変わってないんだと思いますよね。そういう意味では今の時代に読んでも、何かこう、全然古い話ではなく新しい、今にもつながる通じる話として読むこともできるんじゃないかなというふうに思います。
ちょっとダラダラと語ってしまいましたが、要するにとにかくこれは序述トリックとして非常によくできた作品であるというふうに思いますし、その中でその時代の空気感も感じられるし、
迷宮の中でに迷い込まされてしまうことの、ちょっと倒作した楽しさ、楽しみみたいな、心地よさみたいなものも味わえる、そんな作品なのかなというふうに思います。
ぜひ映画版も見てみてくださいということで、今日はこの辺でおしまいにします。ありがとうございました。
15:31

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