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2025-11-25 08:36

295 日記 | 我慢しないことの意義

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ひろひろしさんのコメントにお答えして。

#声日記 #不登校 #我慢

サマリー

風邪気味で実家行きをやめ、ひろひろしさんのコメントと成田悠輔さんの動画をきっかけに「我慢」について考えました。私は我慢してまで学校に行く必要はないと思います。かつての体罰や理不尽な指導は、皆が我慢してきたからこそ続いた。不登校は怠けではなく、不合理な教育への静かな抵抗であり、変革の力です。少子化でスパルタをやめ合理的トレーニングに変えたスポーツ界のように、不登校の子どもに合わせて学校そのものを作り替えれば、「我慢して通う」発想自体がいらなくなるのではないかと感じています。

我慢しないことの意義
2025年11月24日、月曜日、振替休日の午後17時52分、夕方です。
たなです。声日記を収録します。
今日は、自宅から大学に来まして午前中の授業を一コマやりました。
祝日ですけれども、月曜は結構授業をやりますね。
いつもだと少し午後に仕事をして、夕方に実家に行って、一泊して、次の日午前中にまた戻ってくるという、そういうパターンなんですけど。
ちょっと昨日から、昨日の夜ですかね、喉が痛くなって咳もちょっと出て、これは風邪だなと思いまして、
まあなんとか大学での勤務はやったんですけれども、休んだ方がいいだろうということで、今日は自宅の方に帰ってきました。
そして、ひろひろしさんが私のポッドキャストの配信にnoteの方でコメントをいただきまして、
これについてちょっと考えたところをまた収録しようかなと思っていたんですが、
特にトランシーバー声日記で成田悠輔さんという方ですかね、動画のリンクも送っていただきまして、
なかなか面白い動画だったんですけれども、その辺も含めてちょっと私が我慢ということについてどう考えているかということを語ってみたいと思うんです。
私は基本的に我慢して学校に行く必要はないという立場なんですね。
だから不登校の子どもたちが学校に行かないことは肯定する立場です。
無理やり学校に行かせようというのは良くないことだと思うんですけれども、
そのように言うと子どもを甘やかしているんじゃないかと。
我慢というものも大事なんだから、我慢してでも学校に行かせる。
行かせることによって我慢する力をつける、そういうことも大事なんじゃないかと。
世の中生きていれば我慢してやらなければいけないことはたくさんあると。
そういうことができない人ばかりになってしまっていいのだろうかという、こういう話だと思うんですね。
で、ひろひろしさんのnoteの方ではですね、
昭和生まれなので我慢が美徳、苦労しているのがかっこいいみたいな価値観が少しあるということですけど、
私の方がひろひろしさんよりも年上だと思いますので、昭和的な価値観はですね、
子どもの頃にしっかりと植え付けられた口かなというふうに思いますね。
学校時代をですね、振り返ってみても我慢だらけでしたね。
特に今思うとですね、よく我慢してたなと思うのは、教員の暴力ですね。
体罰と言われるものですが、まああれは単なる暴力だと思うんですけれども、
やたらと子どもを叩いたりですね、するわけですよ。
クラブ活動ですね。運動部はやっぱり暴力多かったですね。
うまくできなかった子どもを様々な形で叩く。
これも我慢ですよね。そこで何か文句を言ったりすることは一切なかったですし、
親が問題にすることもなかったし、ある意味で指導熱心な先生っていう教科があったかもしれませんね。
で、我慢するっていうことはですね、今から考えると、
そういう全く意味のないことをですね、存続させることにつながるんじゃないかと思うんですね。
つまりそこで我慢せずにですね、声を上げた人がいたからいろんなことが変わってきた。
例えば体罰は良くないっていうのもですね、そういう声を上げた人がいたから変わってきたんじゃないかと思うんですよね。
それをみんな我慢してたらば、いまだに体罰は当たり前にあったと思います。
つまり我慢っていうのは、世の中の不合理を温存させるものだと私は思うんです。
だから世の中を変えてる人っていうのは我慢しない人ですね。
我慢しないで声を上げる人が世の中を変えてきたと思うんです。
だから私は我慢しない人を応援したい。
今の子どもたち、声は上げてないかもしれません。
学校に行かないという態度で示してるんですね。
でもこれははっきりとした、ある種の抵抗運動と言ってもいいかもしれませんね。
世の中を変える、そういう力になっていると私は思います。
教育の改善
さて、ひろひろしさんが教えてくれた成田悠輔さんのビデオを見てみたんですけど、
そこではですね、スポーツ選手の例が話されていました。
今、日本のスポーツ選手、若い人たちですね、ものすごい活躍をしてますけれども、
なんでこんなに活躍できるようになったのかと。
逆に言うと、昔はですね、私先ほど言ったようにスパルタで、
「熱心に」(かっこつきですけど)、「熱心に」指導されていたのになぜそんなに伸びなかったのかっていうことです。
これ成田さんが言うには、今は少子化で子どもが少ないと。
そんな無茶苦茶なことをやっていると子どもが集まらないと。
だから今の子どもに合わせた指導をしないと、もうチームも成り立たなくなるっていうことですね。
それでどんどんと不合理な指導法は改められ、合理的なトレーニングを導入するようになって、
それでどんどん力がついてきたっていうことだろうと思うんです。
これ全くですね、学校に当てはめていいんじゃないでしょうか。
つまり、教育のやり方をですね、不登校の子どもたちに合わせることが必要なんですね。
そうすることによって教育全体がいいものになっていくだろうと思います。
だから私は、今の普通の学校の他に、何か不登校の子どもが行く学校を作るんじゃなくて、
学校というものを全部、不登校が行く子どもの(訂正:不登校の子どもが行く)ようなところにしてしまう。
それが必要なんじゃないかなって思うんですよね。
そうすれば我慢だのなんだのっていう話はなくなるだろうと思います。
ということで、ひろひろしさんのコメントに対する私からのコメントは以上になります。
08:36

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