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こんにちは、たまです。こんにちは、まりかです。よろしくお願いします。今日はですね、私が最近コンビニで買ったPHPっていう雑誌、ちっちゃい小冊子みたいなのがあるかと思うんですけれども、そこで見つけた完璧主義って2種類あるねみたいな、すごい面白い話があったので紹介したいと思います。
掲載されてたのはPHPの12月号で、一応特集が、「捨てると人生が好転する」っていう特集なんですけど、その中、いろいろな方が記事を書いているんですけれども、その中に海原潤子先生っていう、どの新聞か忘れたんですけど、お悩み相談とか回答されている診療内科医の女性の先生がいらっしゃって、
私もともとこの先生すごい好きで、過去にこの方が書いた猫を見とる時の記事とか、読んで号泣しちゃったりするぐらい非常にこの人は大好きなんですけど、その方の記事が寄せられてて、その方が完璧主義について考えてみましょうってことで紹介してるんですけれども、
完璧主義って、完璧にできないんだったら意味がない、みたいな意味しかないのかなって私は勝手に思ってたんですけど、そうじゃなくて、完璧主義は実は2種類あって、まず完璧を目指すプロセスを大事にして、でも結果は手放しますっていう完璧主義は、適応的完璧主義っていうんですね。
英語だとアダプティブパーフェクショニズムって言うんですけど、アダプティブっていうのが適応するみたいな。これと反対する形で、完璧を目指して努力しても結果として失敗した時に全て終わった、もう努力は意味がないって考えるのが、不適応的完璧主義と言われています。
英語だとこれがマルアダプティブパーフェクショニズムって言うんですけど、マルってできないみたいな意味なので、不適応的って日本語はすごい優しめに書いてありますけど、適応できない完璧主義みたいなニュアンスが結構強い言葉になります。
捨てるのは心の中の不適応的完璧主義の考え方なんじゃないだろうかっていう記事が出て、すごい面白いなって思ったんですけど、これを読んで私がすごい思ったこととしては、真面目にやることをすごく責められることが私は割と多くてですね。
そんなに真面目にやらなくてもいいのに、その完璧にやろうとするのやめたらみたいなことを結構言われることが多くて、これ自体が結構嫌だったんですね。
この記事によると、例えばこの調査の先生は医療の方なので、いい加減でいいんじゃないかって言われるわけにはいかないじゃないですか。
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完璧を目指すのは当然で、高い目標を目指して頑張って努力して目指すけど、でも結果として成功しないと命が救えないことだってあるでしょうっていうことで、そこに関しては諦めるとプロセスを評価するみたいな考え方があっていいんじゃないかっていうのが、
いい加減と旧完璧主義、一般的完璧主義の間の存在だなっていうのが、適応的完璧主義っていうのがいい考え方だなってすごい思ったんですよね。
なので、何でしょうね、めっちゃ努力しなきゃいけないっていうのは正直私は思ってなくて、自分の人生に関して。必要なことを必要な工数でなるべく改善、効率化を図ってやっていきたいとは思ってるんですけど、でも結果も適当でいいやとは私は思っていないんですよ。
例えば仕事も、私は生成愛の講師やってるので、なるべくその時に最新の機能で、この参加者の方が知ってたらすごいメリットがありそうなことっていうのはなるべく全部カバーしたいって思いはあるんですよ。そこも別にそんなカバーしなくていいんじゃない、適当にやればっていうのはすごい嫌なんですね。
だから、そこはやりたいという気持ちを大事にしつつ、でもそうは言っても、その瞬間瞬間に最新のAIプロダクトをカバーしきれるとは限らないので、今朝出ましたとかなったらテストしきれないから紹介できないし、そこは結果的に完璧にカバーすることはできなかったかもしれないっていうのも、
それはそれでいいんじゃないかっていうふうに着地できるのはやっぱり結構いいなって思いましたね。
ちょっと全然違う例えだけど、100m走をする時に100mを目指して走るんじゃなくて、120mぐらいを目指すつもりで走ってると結構速く速度が出るみたいな話と似ていて、結果としては100点って事実上不可能だけど、100点を目指すスピードと方向性で走ってるっていうことが事実的に結果を底上げするみたいな感じだったろうなっていうのがありました。
で、私も似たようなことよく言われるなっていうのを、昔特に言われてたんですけど、なんか考えすぎだよとか。
あ、言われるー。うるせーって。
うるせーって、そう。なんか、もっと気楽にいてはいいじゃんとかって言われると、それがなんて言ったらいいんだろうな、気楽にできてないことが悪だみたいな感じで。
言われるのがすごく、なんかそれがやっぱダメなんだ自分はみたいに、その適宜手を抜けない人はダメなんだみたいな感じで思ってきたけど、でもなんかその諦めない気持ちじゃないけど、妥協しないみたいなところを積み重ねてきた結果、我々なんやかんや言うてもイベントをやってね話を聞いてもらえたりとかしてるわけで。
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そこはなんか指定するところではないというか、声かけることはちょっと違うんじゃないかってなかなか今すごい腹落ちした感じがあるんですね。
いやーすごいわかります。いわゆるケセラセラが悪いっていう意味でもないんですけどね。ケセラセラで生きれる人も別にいいし、私もほとんどによっては割とケセラセラな感じなんですけど、考えるという習慣とか、真面目に取り組むという気質とかって、別にやめろって言われてやめられるもんじゃないじゃないですか。
多分、とうとう幼少期に押し込まれてるか、もう生まれ持った素質的なところも正直あると思うので、それを結構ポジティブな言い方に見えつつ、割と正面から全員否定してるから、それがちょっとねって感じなんですよね。
自分がKindleを周りのコミュニティの皆さんも書いてる中で、私もKindleを書いて思ったのが、サクサクと出せる人が羨ましいなとも思うんですよ。表紙とか内容とかを作るは作るけど、作り込みすぎずにとにかく出していくことを目指す人が羨ましいと思って。
でも私はやっぱり表紙も依頼をするし、文章もプロに見てもらったりとか、相当お金と時間をかけて作るけど、でもこれをやめたら私じゃないんじゃないかっていう気もする。
サクサク出せる人のことを羨ましいとも思う反面、でもそこで出す自分は許せないっていうか、この辺でいいやっていう風に出していく自分が自分じゃない気もするしみたいな。そこがね。
なんかその適応的完璧主義の、どこを適応的にある意味諦めるじゃないですけど、どこをこだわりって言い方もあんま好きじゃないんですけどね。でもなんかその不適応的っていうのは要は硬直的みたいなニュアンスだと思うんですけど、どこはあえて硬直的に突き進んでいって納得するまであって、
どこはそこはちょっと非硬直的にしてみるっていうのって難しいですよね。なんか線引きが。やっぱりなんか結局は気が済むまでやるっていうのが私は最適解だと思っていて、自分では通ってるんですけど。
一応この適応的と不適応的の判断基準って何っていうのをチャットGPTで掘り下げてみたんですよ。そしたらすっごい雑にまとめると、自分の人生にとって得か損かと、自分が苦しむか苦しまないかっていうので決めるらしいんですね。
要は自分があまり苦しまなくて、人生にメリットがある形になのであればそれは適応している、適応的であると言えるし、そうじゃないのであれば不利益をこむってるみたいな考え方で不適応的になっているっていうふうに判断すると。それは何がそうなるかっていうのは人によって違うから一律にこうだっていうのは言い切れないっていうところですよね。
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なのでさっきのマリカさんの例だと、自分の納得感と早く出せるという事実みたいなところを天秤にかけたときに、多分納得して出せる方が自分にとってメリットあるんだと思うんですよ。だからそういう意味ではちゃんと今やってる方針でやることが適応的であると言えるだろうし、私今Kindle本出そうとしてるんですけど、多分完璧に仕上げるってこと自体が一冊目なんで難しいと思うんですね。
一応人の助け借りたりはしてますが、なのでそこをあえてちょっと基準を緩くして終わらせるみたいなところ、形にまずするって、それで変えていくんだったら第二反対三反みたいな感じで出していくみたいにすることが多分私にとっての適応的なんでしょうなっていう感じで思ったり。ちょっと人によって違うっていうのが結構面白いですね。
あとなんかこの適応的、私は多分この2つのどちらかで言うと不適応的マルアダプティブの方が結構強くて、失敗したくないというかどうせできないからやらないみたいなことで結構そこによる行動力の無さを助長してるなっていうのもあるんですけど、一方でもちろんこの適応的完璧主義も存在はしていて、これをじゃあどう解決するかというとやっぱり締め切りを定期的に持つっていうので自分を無理やり、
終わりを強制的に外部の要因で作るっていうのは結構いいなと思ってて、例えば文学不利ままに出さなきゃいけないからもうそのためには健康を入れるとか、イベントをするからそのために話す内容をまとめるみたいな、私自身だけでは完璧主義の終わりを着地ができないから、ゴールを設定をしてもらうっていうことをすると結構よく働くなっていうのは最近すごく感じました。
締め切りとか外圧をかけることによって、それが適応的になる自分を引き出してくれるみたいな感じがあります。
そういうのをうまく使っていく。うまく使っていくこと自体が適応的になってるんだと思うので、完全に不適応的な人っていうのも、完全に適応的な人っていうのもいないとは思うんですけど、なるべく不利益をこむらない程度に自分の納得のいくことをやっていければなと思います。
本日は以上にしたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。