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ノオト・ブク太郎
今回はですね、ある日本のポッドキャスター、高見知英さん、この方がご自身の番組で語ったゲーム体験談とか考察、その記録の中から、特に興味深いなと思ったエッセンスをあなたと共有できればと思います。
ノオト・ブク子
はい、お預かりした資料拝見しました。
これは実に個人的な体験でありながら、同時にすごく深い洞察に満ちてますよね。
深い星を紡ぐ子どもたちとか、あとはNo Man's Sky、不思議のダンジョーシリーズ、こういった具体的なゲーム体験を通して、コミュニティの話だったり異文化理解、それから人生観みたいなテーマが、ポッドキャスターご自身の言葉でかなり率直に語られてるなと感じました。
ノオト・ブク太郎
そうなんですよ。単なるゲームのレビューっていうよりは、そのゲームがどう実生活とか考え方に影響を与えてるのかなっていう、その繋がりを探っていくような内容なんですよね。
なので、この時間で目指したいのは、こういう体験談の中から、あなたにとっても、あ、なるほどって思えるような発見とか、もしかしたらですけど、ゲームとの新しい向き合い方のヒントみたいなものを見つけ出すことかなと。
ノオト・ブク子
いいですね。ゲームが単なる娯楽っていうその枠組みをどう超えていくのか、学びとか成長にどう繋がるのか、その可能性を探る旅という感じでしょうか。早速見ていきましょうか。
ノオト・ブク太郎
はい、お願いします。まず最初のテーマなんですけど、コミュニティツールとしてのゲームですね。これはポッドキャスターの方が関わっている横浜のコミュニティスペース、山手縁乃庭でのエピソードが中心になります。
ここは主に小学生向けのフリースペースということでしたね。
ノオト・ブク子
そうですね。資料によるとボードゲームなんかも置いてあるらしいんですが、その中で特にSky星を紡ぐ子どもたち、これが人気を集めていると。
ほう。
で、ポッドキャスターご自身のiPadを使って子どもたちが遊んでいるという話でしたね。
ノオト・ブク太郎
なるほど、なるほど。ただ、機器の数には限りがあると。Switchは1台だけで、iPadもポッドキャスター個人のものですしね。
はい。
だから全員が同時に遊べるわけじゃなくて、順番待ちとか交代するとか、そういう工夫が必要になっているという状況が何か見えてきますよね。
ノオト・ブク子
ええ。で、ここでちょっと注目したいのが、ポッドキャスターの方がやっているその具体的な配慮の部分なんです。
配慮ですか?
はい。例えば、ゲームの中に雨林とか捨てられた地っていう、ちょっと子どもによっては怖さを感じるかもしれないエリアがあるんですけど、そこには行かないようにちゃんと声かけをしているっていう点ですね。
ノオト・ブク太郎
ああ、なるほど。
ノオト・ブク子
ええ。子どもたちが安心して楽しめるようにっていう、まあそういう気配りなんだろうなと。
ノオト・ブク太郎
それは大事な視点ですね、確かに。ゲームのデザイン自体もテキストが少なくて雰囲気で進めていくSkyのスタイルが小学生にはまあ合っているんじゃないかっていう分析もありましたね。
ノオト・ブク子
そうですね。あと課金要素がそんなに強くないっていう点も、親御さんとか支援する側としては安心できる材料になるのかなと。
ただ、同時にですね、懸念というか心配な点も語られていて。
ノオト・ブク太郎
と言いますと?
ノオト・ブク子
ご本人がお仕事の都合でそのスペースにいられない時間が増えるっていうことへの心配ですね。
他の大人のスタッフの方はそのSkyにはあまり詳しくないと。だから自分がいない間に子どもたちがどうやって遊ぶのか、安全に楽しめるのかっていうそういう点です。
ノオト・ブク太郎
それは確かに特定の個人のスキルとか知識に依存しちゃう活動の難しさみたいなものがありますよね。
ノオト・ブク子
まさに。
ノオト・ブク太郎
学校の中でもゲーム機が足りないとか、あるいはボードゲームやりたいんだけど人数が集まらないとか、そういう理由であぶれてしまう子が出てしまう問題にもちょっと触れていましたね。
これは結構いろんな場所で共通する課題かもしれないですね。
ノオト・ブク子
そう思います。ポッドキャスターご自身にはお子さんはいらっしゃらないそうなんですけど、この活動を通じて子どもたちと関わることに純粋な喜びを感じていて、何とかしてあげたいっていうそういう強い思いがすごく伝わってきました。
だからこそもっと多くの大人の関与が必要なんじゃないかっていう指摘もされていましたね。
ノオト・ブク太郎
なるほどなぁ。つまりゲームっていうのは世代を超えたコミュニケーションのきっかけには確かになり得るんだけど、それを継続的なコミュニティ活動として根付かせていくためにはやっぱり人的なサポートとか環境の整備っていうのが欠かせないんだなぁと。そういうことですね。
ノオト・ブク子
まさにおっしゃる通りです。ゲームがつなぐ可能性とそれを堅実に支えていくための課題、その両面がよく見えるエピソードだったと思います。
ノオト・ブク太郎
ではちょっと視点を変えまして次のテーマ、学びと成長の場としてのゲームに移りたいと思います。ゲームがもっと深い学びを提供し得るんじゃないかという話ですね。最初はNo Man's Skyから、これテーマが多文化理解っていうかなりスケールの大きな話が出てきました。
ノオト・ブク子
広大な宇宙で本当に多様な知識的生命体と出会うゲームですよね。資料で特に焦点が当たってたのは機械生命体のコーバックス。彼らは人間とは全く異なる倫理感を持っている存在として描かれているようです。例えば悪気なく研究目的で主人公の身体サンプルを欲しがったりとか。
ノオト・ブク太郎
へー、それはちょっと戸惑いますね。
ノオト・ブク子
ですよね。そのコーバックスみたいな異星人の言語をゲームの中で少しずつ学んでいくそのプロセス自体が現実の異文化コミュニケーションの難しさ、これをなんか象徴してるんじゃないかとポッドキャスターの方は語ってるんです。
ノオト・ブク太郎
と言いますと?
ノオト・ブク子
つまり単語の意味だけを知ってもそれだけじゃ不十分で、その文化とか背景知識がないと本当の意味は理解できない。これって現実でもよくあることじゃないですか。
ノオト・ブク太郎
確かにそうですね。言葉はわかってもニュアンスとかその裏にあるものがわからないと。
ノオト・ブク子
ここからが非常に興味深い考察だなと思ったんですが、こういう根本的に価値観が違う存在とゲームの中で向き合う経験っていうのが現実世界での異文化理解、さらには将来的にもしかしたらAIみたいな人間とはまた違う知性と共生していく上でも役に立つんじゃないかっていうんですね。
ノオト・ブク太郎
なるほど。ゲームを通じて自分とは全く違う他者との関わり方をある種シミュレーションできるということですか。
ノオト・ブク子
そういうことだと思います。日本にいるとなかなかそういう強烈な異文化体験って、まあ機会が少ないかもしれないですけど、ゲームがその代わりになる可能性を秘めてるんじゃないかと。
ポッドキャスターご自身もゲームでそういう異業の存在と接することに慣れてるから、もしかしたらAIみたいな新しい知性が出てきてもあんまり起きせず対話できるかもしれないみたいなそういう自己分析もされてましたね。
ノオト・ブク太郎
面白いですね。仮想体験が現実のスキルとか心構えにつながるかもしれないと。そして学びという点でもう一つ、これはポッドキャスターの方が繰り返しかなり熱く語ってたテーマですけど、不思議のダンジョンは人生であると。
ノオト・ブク子
出ましたね。
ノオト・ブク太郎
風来のシレンとかが例に挙がってましたけど、これは個人的にもなんか思わずうなずいちゃう部分がありますね。
ノオト・ブク子
わかります。ランダムに生成されるダンジョンでの冒険と予測不能な人生の局面というのが重ねられて語られてましたね。
はい。
例えば、予期せぬモンスターハウスみたいなトラブルにどう対処するか。
ノオト・ブク太郎
うわー、ありますね。
ノオト・ブク子
限られたアイテムっていうリソースをどう管理して何を選び取って何をしてるか。そして時にはもう潔く引き際を見極める必要性とか。これらは確かに現実の生活で求められる判断力とすごく通じるものがありますよね。
ノオト・ブク太郎
うんうん。ダンジョンの改装を年齢に例える見方もすごく視差に富んでるなと思いました。
序盤は勢いで進めるけど、だんだん真相に進むにつれて、より慎重な準備とか戦略、そしてある種の覚悟が必要になってくる。人生のステージにも似てるなと。
ノオト・ブク子
特に印象的だったのは、理不尽とも思えるような状況への向き合い方についてですね。
理不尽ですか?
例えば、その時点のレベルとか装備では到底立ち打ちできないようなものすごく強力な敵が集まっている特殊なフロアに偶然迷い込んでしまうとか。
ノオト・ブク太郎
ああ、絶望的なやつですね。
ノオト・ブク子
そうですそうです。そういう絶望的な状況でも諦めずに何とか活路を探すこと。これもまた人生における困難との向き合い方になぞらえられているわけです。
ノオト・ブク太郎
攻略情報とか他の人のアドバイス、先輩の助言みたいなものは参考にしかならないっていう点も強調されてましたね。
結局最後の決断は自分自身で下さなきゃいけない。毎回状況が変わるそのローグライクっていうジャンルだからこそ、その感覚がリアルに学べるのかもしれないですね。
ノオト・ブク子
そうですね。だからこういうゲームを単にクリアするぞっていう目的だけじゃなくて、これって現実のあの状況に似てるなとか、この判断ってもしかしたら実生活でも応用できるかもみたいな。
そういう意識を持ってプレイすることが、もしかしたら現実を生き抜く上での一種の思考訓練になるんじゃないかと。そういう提案はこれを聞いているあなたにとっても何か考えるきっかけになるかもしれませんね。
ノオト・ブク太郎
そうですね。で、その長期没入型とはある意味対照的に紹介されていたのが、おばけ井戸路です。
はいはい。
これはもっとこう気軽に楽しめる非対称対戦ゲームですね。おばけ役と人間役に分かれて、けいどろみたいなことをする。
ノオト・ブク子
ええ。1試合が3分程度とすごく短くて、マッチングの時間を含めてもさっと遊べる手軽さが魅力だというふうに語られてましたね。
うんうん。
オンラインで一人でも遊べるけれども、本来は友達とかと集まってワイワイ楽しむ、そういうパーティーゲームとしての面白さが大きいんじゃないかとも分析されていました。
ノオト・ブク太郎
なるほど。定期的なイベントとかグッズ展開なんかもあって、結構息の長い運営がされてるんですね。
ノオト・ブク子
みたいですね。操作自体はシンプルなんですけど、ステージの地形を利用したかくれんぼ要素があったりとか。
ノオト・ブク太郎
ああ、面白そう。
ノオト・ブク子
ええ。あとランタンの光で仲間を助けたり、直接言葉を交わさなくても、エモートとかBGMの変化とかでなんとなく状況を伝え合ったり協力したり、危険を察知したり、そういう駆け引きの面白さがあるようです。
ノオト・ブク太郎
Groundedみたいなどっぷり浸かる感じとは違って、お化け絵泥は短時間で気軽に、でもちゃんと他社とのインタラクションも楽しめる。
これはこれでまた別の形のゲームとの良い付き合い方を示してるってことですね。
ノオト・ブク子
そういうことですね。どっちが良い悪いっていう話じゃなくて、本当に多様な楽しみ方があるんだなっていうのがよくわかります。
ノオト・ブク太郎
なるほどな。ここまで一人のポッドキャスターの方の体験を通してですけど、ゲームが持ついろんな側面を見てきましたね。
Skyみたいにコミュニティをつなぐきっかけになったり、No Man's Skyとか不思議のダンジョンみたいに異文化理解とか人生のシミュレーションみたいになったり、
そしてGroundedみたいな深い没入からお化け絵泥みたいな手軽な楽しみまで、関わり方も本当に幅広いなと。
ノオト・ブク子
そうですね。これらの話を全体をちょっと俯瞰してみてみると、やっぱりゲームって単なる暇つぶしとか現実からの逃避手段っていうだけじゃなくて、
人との繋がりを育んだり、自己成長を促したり、時には世界を見る新しい視点を与えてくれたりする非常に豊かなメディアなんだなということが改めて何か浮かび上がってくる気がします。
ノオト・ブク太郎
ポッドキャスター自身の言葉で語られるからこそ、そのゲームでの体験とか感情がいかにその人の思考とか実生活と深く結びついているかっていうのが生々しく伝わってきましたよね。
ゲームで考えたことが本当に日々の選択とか人との関係に影響を与えてるんだなって。
ノオト・ブク子
そうですね。そしてそれは、まあ程度の差はあれ、ゲームをプレイする多くの人にももしかしたら当てはまることなのかもしれない。
そこで最後にですね、あなた自身にちょっと問いかけてみたいなと思うんです。もしゲームが現実の認識とか人との関わり、あるいはもしかしたら人生観にまで影響を与え得るものなのだとしたら。
ノオト・ブク太郎
あなたが今あるいは過去に熱中したゲームの世界っていうのは、もしかしたらあなたが気づかないうちにあなた自身の考え方とか行動、現実との向き合い方に何かすごく大切なヒントを与えてくれていたのかもしれないなと。
不思議のダンジョンで培ったリスク管理能力が今の仕事の判断に実は役立ってるかもしれない。
Skyで感じたあの協力の喜びが、現実の誰かとの関係性をより良くしているかもしれない。
ノオト・ブク子
そうですね。今日から少しだけご自身のゲーム体験を、そんな学びとかつながり、あるいは自己発見っていうそういうレンズを通してちょっと見つめ直してみていかがでしょうか。
そこにはまだ光が当たっていない、あなただけのすごく興味深い物語が隠されているかもしれませんよ。