ほうほうほう。
うん。
こうやってるっていうのは、ある意味しさ深いなという感じがしますからね、この時代。
うん。
うん。
で、料理物語からおよそ50年後くらいかな、ゴールイ日曜料理賞。
ゴールイ日曜料理賞?
うん。
日曜料理の本、レシピブック。
はいはいはい。
これが1689年に出てくるんですけど、この中で目を引いたのは揚げ豆腐かな。
揚げ豆腐?
うん。
いわゆる今で言う油揚げですわ。
ああ、油揚げね。
うん。
揚げ豆腐は黒ごまの油煮て揚げるという風に書いてある。
うん。
黒ごまは油で揚げるっていうか、油で煮るみたいな表現かな。
うん。
この当時ね、揚げるっていうよりもね、油煮って書いたりもするから。
油煮?
うん。
まあ今で言う揚げることをね、油煮とかいう表現をしてますかね。
へえ。
うん。
だからこの辺でね、油揚げとかごま油っていうのがこう出てくる感じかな。
うん。
うん。
揚げっていうのはね、そもそも豆腐っていうのが代替肉として出てきていたので、より肉っぽくしたい。
うん。
豆腐って油っぽさないじゃん。
ないね。
でも肉って油があるじゃん。
ある。
この組み合わせですよ。
ああ、油を足すね。
そう。で、水っぽいから水を抜いて、まあ今で言う豆腐絞って、で、それを揚げて作るのが代替肉としての揚げ豆腐。
うん。
で、同じぐらいの時代、ちょっと後ですけどね、1697年。
はい。
本朝食漢。
本朝食漢。
本朝食漢、もうこれはね、グルメブックなんだけど、レシピブックなんだけど、本朝っていうのは本邦っていうのと一緒ですよね。
ん?本邦?
うん。本獄みたいな感じ。
はいはいはい。
朝は朝ですけど、朝廷の朝なんで。
うん。
日本における食の図鑑みたいな感じね。
はいはい。
そういうのを見聞きしたのを書きまとめたのが本朝食漢。
うんうんうん。
で、この中で瞳必大という人が書いてるのが、ごまの香濃について。
うん。
結構長々と書いてるんですよね。
へぇー。
めっちゃ健康にいいぜみたいなこと。
で、ちょっと読むとね、面白いのが、父は常々黒ごまにくるみの実、くこの実、うこぎの葉、山椒、塩などを調合して、これを粉末にすると。いいですか。
ごま、くるみ、くこの実、うこぎ、山椒と、あと塩を混ぜて、ゴリゴリゴリゴリ粉にするわけですよ。
うんうん。
これを鞘油に入れて、食後に飲む。
ほう、もう漢方っぽいけど。
そうだね。
うん。
これを食後に飲むと、老いても健康で病気にかからない。
あー、まんま漢方だね。
うん。お父さんがそうしてます。
はい。
で、僕もそうしてるよ。
あー、そうなんだ。
何の話っていうのが書いてある。
レシピ本でしょ。
はい。
うん。
ということで、割と食べるっていうのと、漢方っぽい、体にいいよっていうのが、行ったり来たりしてる感じかな、この辺までは。
うんうんうん。
1704年の貝腹一軒なんかも、やっぱり似たようなこと言ってる。で、薬なんだけど食ってうまいよっていう、ちょっとその中間を行ったり来たり書いてる感じですね。
あー、そうなんだね。
で、これがね、1700年代中頃から様子がガラッと変わってくる。
はいはい。
江戸食い物重宝記っていうね、これはもうガチのグルメブックね。
江戸食い物重宝記。
もうね、どこそこの店があって。
じゃあ例えば、揚げ豆腐だったらこの店がいいよとか、寿司だったらこの店がいいよっていうのが、ずらーっと店の名前が並んでるんだよね。
あー、本当にグルメガイドブックだね。
そうそう。レシピとかじゃない。ただのグルメブック。
うんうん。
で、このね、グルメブックで面白いなと思うのが、本ごま場所っていう表記が出てくるんだよね。
ん?本ごま場所?
うん。本ごま場所なんとかや、みたいな。
へー。
これ何かっていうとね、これね、揚げ豆腐屋さんなんだよ。
揚げ豆腐屋さんのこと?
うん。揚げ豆腐屋さんのこと?
油揚げ売ってるとこだよね。
はいはい。
で、このね、本ごま屋さんっていうのは、本ごまっていうのは黒ごまのことを指してるんだけど、本物のごま使ってるところだよ。すげーだろうちって言ってるのね。
あー、そういう意味?
うん。うちは他の菜種油とかそういう安い油じゃない。いいやつ使ってんだよ。ごま油なんだよ。どうだすげーだろっていうアピール。
はいはい。
うん。これさ、それこそ和食店行ったときに天ぷら屋台のレプリカ出てたじゃない。
はい。
あそこにさ、横岡はかな、側面のとこに本ごま屋さん。
はい。
本ごまって書いてあったの覚えてる?
えー、どこだ?
あそこだと、左から蕎麦屋台、真ん中に寿司屋台があって、で、一番右端に天ぷら屋台があったよね。
はいはいはい。
それの正面から見ると、目の前にこう天ぷらの揚げたのとか油の窯が見えるんだけど、その横、側面。
側面?
のところに本ごまって書いてあった。
あー、確かにあったね。
あったでしょ。うちはごま油使ってますよ。美味しいですよっていうアピールね。
あ、そういう意味?
それが通じるぐらい、ごま油の良さが一般庶民に伝わってるってことだよね。
もうね、油がね、ごま油とかエゴマ油以外の油が出てくるんですよ。
うんうんうん。
で、すごく簡単に流れを言うと、このナタネ油が、灯明用の油、明かりの油として非常に安くて優秀。
ほぉ。
だから、明かりとしての油はね、ほとんどナタネ油が主役になっちゃう。
あぁ、まぁ、いいね。
うん。
だから、このナタネ油が、灯明用の油、明かりの油として非常に安くて優秀。
ほぉ。
まぁ、安いっていうのは、大きいのか。
安くてね、質がいい。
うん、絶対に。
うん、大量に作れる。
ほぉ。
だから、駒油は、より食べる方にシフトしていくんだよね。
うんうんうん。
追いやすいuetセ balanceが走る。
ゆるさだだラジソン、スコーリング、などのまち жест 썩れてる。
ものの、今日の映像もہ、きっとこれ、これ、今回のM einges・・・
のやつ。
うんうんうん。
やられていくっていうかね
どっちが本筋か知らんけど
だからゴマの立ち位置がね
食べる方に行くから
絞らずに回していける
っていうのもあるよねやっぱりね
今となってはいい流れだね
そうだね
菜種油ちょっと来歴話すと
もともとね油菜っていうのは
結構古い時代からあるんですよ
原料の油菜ね
日本に
やってきたのがおよそ
弥生時代
だいぶ古いね
原産地は
西アジアから北欧にかけて
北欧にかけてなんだ
そう結構遠いよね
遠いね
弥生時代に来てたね
弥生時代からずっと
日本に来て栽培化されていて
平安時代の書物にも
残ってるんだけど
ほとんど野菜だね
葉っぱを食べてる普通に
美味しく食べてます
美味しく食べてる
お浸しにしたり和え物にしたり
で
もう完全に定着して
在来化してるんですけど
油になるとは誰も思ってない
ただの野菜だから
そしたらちょうどね
豊臣秀吉が
前世紀の時代
朝鮮出兵とかね
大阪城を建てるとか
そのぐらいの時代だね
このぐらいの時代っていうのは
ものすごく海外貿易が
活発になる時代なんですよ
瞬間的に
どーんっていく
そうなの
もう博多の街なんか
日本人もいるし
白人西洋人もいるし
大陸の中国系の人もいるし
東南アジアの人も来てるし
みたいなそんな感じ
へー
博多とかとも堺の街だね
そんな感じな時代なんですよ
この時に
菜種油とか
あと麺じつゆって言って
麺ですね
麺
綿取れるやろ麺
あー麺かの方ね
それの身の部分を
絞ったら油が取れるとかね
そういうことを知らされるんですよ
特に菜種油
弥生時代から定着してる
その辺にある野菜じゃない
この植物から油取れんの
そんなマジックある
できるやん
すげーってなるんだよ
そこやっと気づくんだね
しかも食べるとこ以外の分でね
できるわけだから
身のところだから食べてないからね
これ絞って油できるんだ
絞ってみようって思って
絞ったら
これなんかエゴワよりも全然いいことない
すげーいっぱい取れるし
綺麗だし臭くないし
で
あの明かりつけても長時間持つし
これいいなっていうことになって
豊臣秀吉が大阪城作ってる最中だからね
大阪城下だね
町
お城の城下町
ここにね作油業者を呼んできて
お前らここに全員住めと
ほう
で
油がいっぱい
集めっから
このお前ら菜種油絞れっていう指示を出すんだよね
へーそうなんだ
でこん時に連れてきたその作油業者の集団ね
うん
大阪摂津は住吉郡
折尾の村の人たちだよね
おー前回前々回ぐらいで出てきたんだよね
そうもう伝説上のもう古事記や日本書紀よりも前から油絞ってたと言われてる
あの人たちを呼んできて
で大阪城下町でその
菜種油を絞らせるわけ
はーめっちゃプロ集団呼んだね
そう超プロ集団にガンガン油を絞らせるわけね菜種油で
そうすると大山崎の人たちは保護されてるはずなのに秀吉によって
にもかかわらず強力なライバルを秀吉が作っちゃうわけじゃん
うん
これでね大山崎はどんどんどんどんしぼんでくわけだよ
だいぶひどい話だね
あれお前庇護したんちゃうんって
わしらあかんやないかーって言ったら
その山崎州の一部はもうあかん俺らこのままやったら生きていかねえ行くって言って
何割かはね大阪城下町に引っ越す
で合流
合流しちゃうんだ
合流しちゃうんです
はー
で時は移ってこの豊臣政権が倒れて今度徳川幕府になるわけじゃないですか
はい
家康は賢いからその辺
うん
そのまま引き継ぐのね
あーそうなんだ
もっとやれと
で大阪っていうのは
徳川幕府の直轄領になりますから
そこから油を作って
江戸に新しい町作ったじゃないですか
はい
でここでめっちゃ油使うんで
この大阪で作られた菜種油をガンガン江戸に輸送するってことを始めるんですね
はーそうなんだ
でねそんなに油いるんかなそんなに必要とか思うんだけど
めっちゃ必要でさ
庶民とかねいわゆる底辺の僕らみたいな一般庶民ですよ
僕らなんかだったら魚の油とかやったら
安い油使ってもまあいいわけです
言ったら
けど江戸って高級官僚とか武士とかがめちゃくちゃ多いんですよ
まあ役付きみたいな人いっぱいいるね
えらい種いっぱいいるからこの人たちにそんな魚の絞った油なんか使わせらんないじゃないですか
いい油を提供するもしくはいい油が買える環境を整えておく
はいはい
これやっとかないとなんだ徳川殿はそんなに力があるわけではないのだな
江戸の町も鷹が知れておるの
っていうことになるわけですね
そういうね
それはあかんわけですよ
海外にもそれを示していかなきゃいけない
さすが徳川殿の江戸はすごいという環境を作るためには油をガンガン持っていかなきゃいけない
江戸ってねめちゃくちゃ武士とか僧侶多いんですね
武士だけで50%くらいいますから
多いね
人口に対して武士って何パーセントかっていうと7%なんですよ
7%しかないの
全国平均で
へえ
江戸の人たちが残りの90%くらいを支配するって構図なんでね
すごい格差というか
そうなんですよ
人口割合だね
あと1%くらい貴族とか公家とかいますけど
ほとんど一般人
92%は一般人
みたいな感じ
でわずか7%しかいない武士のっていうのがそれが全国の基本じゃないですか
江戸だけ50%いるんですよ
めっちゃいるね
むちゃくちゃ油消費するの
まあそうなるよね
でこれで良質の油が大量に必要だから関西からガンガン運んでくるんだよね
なんで関西から運んでるかっていうと関東圏でねその菜種油作れない
菜種油なんか育たないとかねいうことがあったりしたらしい
あっそうなの
で綿花の綿実油も綿花自体は育てられるし
例えば今の愛知県だね三河とか終わりでも着物を作ったりしてるんですよ
あそこもね織物の町としては相当歴史古いから江戸時代からなんで
綿花があるんだけどその綿の実から油を絞るっていうのができなくてこの実を関西に売っちゃってたりしたわけ
これ一生懸命地回り油を作ろうと思って関東近郊で作ろう作ろうって努力をしまくるんですよ
幕府が
幕府が
頑張れ頑張れって言ってどんどんこう推奨したりとか技術発展のために投資をしたりとかするんだよね
これがねなかなかうまくいかなくて
でやっと軌道に乗るのが1700年代中頃なんだね
だいぶかかるね
でだいぶかかってなんとか形になったら途端に江戸の市中に出回る菜種油の価格がグンって下がるじゃないですか
関西からも相変わらず来るんだよ
で関東地回りもあってグンと下がったところで油がごま油とかえごま油とか椿とかそういうのを燃やさずにもっと食べられる環境ができるわけじゃないですか
うーん
その直後に出てくるのが漫法料理秘密箱とか豆腐100種とかあの辺の時代なんだ
あーそうなんだ
ちょうどそのぐらいのタイミングなんだよね
だから一つには燃やさなくても良くなった食べられる環境が整ったという意味では菜種油が間接的にごまの消費に影響を及ぼしてるんじゃないかなというふうに見えます
うーん
調べたでしょ自分ちょっと褒めて
よく掘ったね
掘ったでしょ
うーん
何かしたらちょっと呆れ始めてる
呆れんな呆れんな呆れんな
だから尺長くなるんだよ
そっかすいませんじゃあもう少し行くぞ
まあもうここまで行ったら最後まで行ってください