1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #209(s23-16) 茶人と武将 ~胡..
2023-12-13 50:49

#209(s23-16) 茶人と武将 ~胡麻好き達の日本史~【前編】

サマリー

「茶人と武将 〜胡麻好き達の日本史〜【前編】」のエピソードでは、料理人の兄弟が日本のごまの歴史と庶民化についてお話ししています。登場人物である千利休に焦点を当て、利休が好まれたり発明したりしたものについてご紹介しています。記述は油物が多く、油を使用した料理や揚げ物が主に登場します。揚げ菓子やほろみそも取り上げられます。千利休の話は少なく、ごまの歴史についての詳細な部分はなかったため、自身での研究が必要でした。戦国時代の武将や茶人たちの食事には、ごまや味噌など、日本の伝統的な食材がよく使用されていました。特に徳川家康はごまを好んで使用し、兵糧丸や焼き味噌を食べるなど、その健康志向がうかがえます。八丁味噌の焼き味噌は美味しそうで、家康は天ぷらとごま油が好きでした。また、ごまは戦略物資としても重要で、徐々に食べ物としての地位を得ていました。ごまを摂取する人々は、自身の健康のために摂取しています。ごま油は世界的に普及しており、重要な存在です。また、オリーブ油も広まっています。

ごま好きたちの日本史
食べものラジオ
カチャ料理むとう、むとう卓郎です。
むとう太郎です。
このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、食べ物の知られざる世界を、ちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です。
はい、ということで、前回の収録から半月経ちました。
うん。
半月以上経ってるか。
久しぶりです。
いやー、久しぶりだね。
ね。
その間に、食べ農作。
合同深いですね。
合同深いが。
はい。
ありまして、東京に行ってまいりました。
うん。
だいぶ収録長かったね。あの、オフ会の前の科学館。
おー。
科学館。科博だね。
科博行ったときのね。はい。和食店ですが。
和食店。
はい。
3時間で足りないっていうね。
そうだね。結局最後は、あの、駆け足になったね。
結局そうなるんだよね。
いやー、もう少し最後じっくり来たら。
来たかったなー。
あのね、序盤でね、だいぶ時間使ったのよね。
うん。
で、途中からさ、収録してたんだけど。
うん。
なんか、俺いらなくない?ってなって。
日曜日の方をみんなで終わって。
はいはい。
で、姉ちゃんと他のサポーターの方とかリスナーの方ね。
はい。
が、話してる方が面白くて。
はい。
俺、特に言うことねーな。
ダック途中からピンマイク外してたもんね。
外してたね。
外して、他のリスナーさんたちにマイクを向ける係になってた。
なってたねー。で、当日もあの、音声配信アプリの方で、ライブ配信を限定でしてまして。
はい。
で、それを皆さん聞きながら、あの、各々バラバラに聞いて、たまにこう、気になるところになったら戻ってくるっていう、新しいスタンスのね、スタイルの見方をしてましたけど。
そうなんですよね。
うん。
40人近い人数だったので、グループが固まってしまうと、戦法にご迷惑がかかると。
うん。
その解消をするために、あの手を作ったわけですよね。
そうだね。
でもさー、あんまり効果なかったね。
結局だって、あのー、リスナーの方以外の人、一般の方とか普通に集まってきてたよね、途中から。
そうなんですよ。
うん。
で、せっかく我々の一緒に行ったグループが分散したにもかかわらず、なんか、僕らずっと喋って長居したら、後ろにすごいたくさんの人たちがいたじゃないですか。
うん。
あ、これはこの展示を見たい方々が待っているんだと。
うん。
どかなければいけない。ごめんなさいって、どいて次の展示に移動したら、全員来るっていうね。
それねー、ちょっと想定外だったなー。
想定外でした。はい。
なんかTwitterでちらっとなんかこう、えーと、和食店のハッシュタグ?
はいはい。
えー、次の日かな?見ていったら、なんか日曜日行ったら、結構集団みたいな塊があって、通れないときがあって、ぬんぬんかんぬん書かれてて。
はい。
あれ?うちかな?ってちょっと思ったんだよね。
うちでしょ。
でももう、あれはもう言わせてもらうけど、あのー、僕らのせいではない。
はい。
あの、滞留をね、滞らせたのは、まあ僕らというよりかは周りに固まってしまったので、
ちょくちょく動いてはいたんですけど。
うんうん。
それでも、あの、解消しきれなかったっていう。
あのー、リスナーの方々は、みなさん、かなり、あのー、方々にちって、一回向こうに、最後まで行ってから戻ってくるとかね。
うんうんうん。
してくださったりとかしてたので、えー、僕らではないと信じたい。
本当ごめんなさい。
本当すみませんでした。
はい。
あのー、日曜日はね、もう収録ダメだね、やっぱね。
うん、そうですね。
収録っていうか、多分僕ら普通に喋っててもそうなるんだけどね。
そうなんですよね。あのー、今年の頭、2023年1月の単独のオフ会の時も、
うん。
えー、静岡県のお茶の都ミュージアムか。
うんうん。
行った時も、まああの時は全く収録してないですけどね。
うん。
まあ、みんなに抜かれること。
抜かれたねー。
平均滞在時間40分のところ、2時間以上いましたからね。
だね。
はい。もともと遅いんすよ、多分。
うんうんうん。
うん。
いなくても、僕らほら、奈良行ったのは去年でしたっけ?
去年だね。
はい。なんか博物館入ったら、やっぱり2時間ぐらいいましたよね、2人で。
いたね。いたいたいた。なんだっけ、飛鳥、飛鳥自体の展示だったよね。
そうそうそう。あれなんかね、掲示板見たら、平均滞在時間3、40分って書いてたよね。
3、40分だったな、そこって。
絶対足りんと思うよ、俺は。
足りんかったね。
はい。2時間ぐらいいました、軽く。
おー、あのー、だいぶ端折ったはずだけどね。
うん。
時間次押し合うって言って。
そう。時間潰しに行ったはずが、じっくり見てしまうっていうね。
早く昼ごはんを食べ逃そうかと思ったね、あれ。
あれはなんだ、この組み合わせがいけないのか、それとも僕がいけないのかよくわかんないですけど。
まあ多分兄ちゃんだろうね。
あ、ですか。はい、すいません。なんかすいません。
ということで、日曜日に大量起こしてしまって申し訳ございませんでした。
はい、本当すいませんでした。
はい。
えー、まあ月曜日もね。
お休みのところを空けていただいて。
そうですね。
えー、収録をさせていただいたんですが。
うん。
あの、裏口から入るっていうね。
ほんとね、びっくりっていうか、なんだろう、あの、特別感。
特別感すごかったね。
うん。
ほんとに、ポッドキャストやってなかったら、あの、休館日に入れてもらうってことは多分なかったはず。
そうですよね。
うん。
お休みの日にわざわざ出勤していただいてるわけですからね。
そうなんだよね。
はい。
特に前日に行ってるから、日曜日の。
うん。
日曜日の混み具合の後の月曜日の誰もいない感じ。
うん。
ギャップがすごかったね。
すごかった。だって、うちらしかいねえんだもん。
ねえ。声が響く響く。
で、結局2時間以上いましたけどね。
いましたね。
はい。
1時間半くらいでね、なんとか終わりたいなと思ってたんだけど、無理でした。
でした。まあ、この様子は後々放送しますので、お楽しみにということですかね。
はい。
12月中の配信を目指しております。
はい。早くごまを洗うといかん。
ごまを洗うとね。また、この和食店の収録が配信されましたら、音声ガイド的にもね、使えるようになると思いますので。
うん。
ただ、滞在時間がかなり長くなるっていう、なんとも言えないやつになるかもしれないんですが、それを聞きながら回っていただいても大丈夫ですし、
うん。
なのでね、雰囲気だけでも味わっていただければと思います。
はい。
はい。ということで、本編行きますか。
行きますか、ごま。はい。
はい。では前回からの続きです。で、今回は。
ごま好きたちの日本史。
ごま好きたちの日本史。
よくわからないタイトルをつけてしまった。
ちょっと。
うんうん。なんとなくわからんでもないけど、わからん。
うん。
うん。
そういう話で、平安時代から室町時代にかけてくらいで、なんかごまってすげえことになったよねとか、大山崎の油座みたいなのが出てきて、油を独占するような座、まあ商業組合ですね。
はいはい。
そういうのが権力を持ったよねみたいな話をしてきました。
うんうん。
で、ここまでの日本のごまの立ち位置っていうのが、結構希少で高級で、油の原料としても非常に重要みたいな、そんなポジショニングでしたよね。
うんうん。
で、これがね、徐々に徐々に食べられるようになってきて、まあ食べられてはいるんだよ、もともと。
平山時代から食べられてるんだけど、これがだんだんこう広がっていって、最終的に庶民のところまでいって、で、庶民の日常生活で当たり前に食べられるところまでいく。
うんうん。
この流れを追っかけてみたいなということで、そのきっかけになった人たちとか、キーポイントをちょっとピックアップしてお話しようかなというふうに思ってます。
はい。
はい。
で、僕ら料理人としてはですね、ごまといえばこの人だっていう人物がいるんですよ。
ごまといえばこの人。
利休とごま
そうですね、日本料理においてごまといえば絶対に欠かせない人物がいますね。
おう。
はい、誰でしょう。
千利休。
うん、書いてあるからね。
一番わかりやすいところに書いてあるからね。
もう冒頭の出だしにでかく書いてあるからね。
見るなっていうほうが無理だった。
はい。
あの、利休の名前を冠した言葉っていうのが、
結構いっぱいあるわけですよ。
はい。
料理業界に。
うん。
で、利休豆腐、利休和え、利休焼き、利休揚げ、利休煮とかね。
利休煮とかね。
うん、あるんですよ。
へぇ。
で、この場合の利休っていうのは全部ごまを意味している。
うんうん。
うん。ちょっと漢字違うんですけどね。
あ、そうだな。
うん。千利休って、まあ千は関数字の千ですよね。
うん。
で、利益の利に休むって書きますよね。
はい。
利休豆腐とかごまの意味を表すときの利休って、休むという字が久しいに変わるんですよ。
おぉー。はいはいはい。
うん。これはね、もともと茶道の世界、茶の湯の世界で利休好みっていう言葉があって、
で、利休が好きそうなものとか、実際に利休が好んだもののことを利休好みっていうふうに呼ぶんですね。
うんうん。
それは食べ物もそうだし、道具とか、しつらえとか、そういったものとか。
そういったものも全部含めて、あ、利休っぽいねっていう意味で利休好みっていう言い方をするんですけど。
うん。
これがだんだん広がっていって、庶民化していったときに、商人たちがその利休の言葉を使って、利休なんとかっていうのを用いるようになるんですよね。
うーん。
で、もともと日本のビジネスとか、まあ生活スタイルの中に、今でいう土日みたいな祝日っていう意味がないんですよ。
土日という祝日なんですね。
うん。祝日がないです、そもそも。
あ、そうなの?
休みがないですよね、休日が。
うんうん。
決まった休みっていうのがなくて、基本的には年中働くのが当たり前。
ほうほう。
で、その代わりにそんなブラックじゃなくて、割とゆるっと働いてるんだよね、みんなね。
あ、そうなんだ。
で、まとまったお休みといえば、ボンクレ正月。
はいはいはい。
うん。みたいな感じなんですよ。そういう庶民化の中において、休みがあるってことは、かえって良くないことなんですよね。
良くない?
いや、お客さん来ねえってことだから。
あ、はいはいはい。
なので、その休むという言葉が意味言葉っていって、避けたい言葉になっていくから、逆に縁起の良い、久しく続くっていう意味で、漢字が変わってしまう。
あ、そういう意味で変わったのね。
そうそうそう。そういう感じでね、ゴマを使ってるのも大体利休って言いますね、僕らもね。
うんうん、言うね。
利休の影響
あとね、ゴマ以外の意味で利休使われることもあるんですよ、もちろん。
ほう。
うん。それは利休が好んだものとか、発明したと言われてるもの。
はあ、そうなんだ。
うん。利休婦なんていうのもあるね。
利休婦?
うん。お婦。
あ、お婦ね。
うん。これあの、ゴマ婦のことを利休婦って言ったりもするけど、そうじゃないお婦もね、あるんで。
うんうんうん。
だから利休が好んだよっていうだけですね。あとは、利休が発明したと言われている利休橋。
利休橋?
うん。わかるよね。
どれだ?
うちの店で行くと、お祝いで使ってるやつ。
はいはいはい。
あの、お為替とか結納とかで、為替使わないから結納で使うやつですね。
うん。
はい。両方が削られている、割り箸じゃない、割ってあるやつね。
あ、うんうんうん。
まず、初めから割ってあるのじゃないと、割るっていうことは、お祝いごとにとって良くないですからね。
うんうんうん。
油を使う料理と揚げ物
割っちゃいけないんですよ。初めから分かれてはいけないんですね。
はい、そうですね。
で、利休橋ってのはこの両方が削られてるんですけど、元々これ両口橋って言って、利休橋以外にも両方削られてる橋っていうのはあるんですね。
うんうん。
で、これは何でかっていうと、これね、日本料理の変遷聞いてもらった方がいいと思うんですよ。
変遷聞いてもらった方がいいかもしれないですけど、神様との教職っていう概念が日本には昔からありますよね。
うんうん。
で、両方削られてる橋は、片方は人間が使って、反対側は神様が使ってるっていう体なんですよ。
あ、そういう意味なんだ。
そうそうそう。
へえ。
で、よくお祝いの正式な場で使われてるのは、木材の素材がですね、柳。
柳。
うん。固くてね、折れにくくて、丈夫で。
柳ってあの、枝垂れてるやつ?
枝垂れ柳とかの柳ですよ。
うんうん。
柳の木材であると、高級品なんですね。
そうなんだ。
で、この素材が柳じゃなくて、杉の木で作られてるのを利休橋って呼んでます。
うんうん。
で、杉ってさ、木材として結構いい香りするじゃないですか。
するね。
で、削りたてて特に香りが立ちますよね。
うん。
で、千利休が茶の湯でお客様をおもてなしするときに、自らその橋を削ってですね。
うん。
で、両口橋にしておくと、手元側も削られてるんですよ。
うん。
手元側も削られてるんで、そこから香りが立つわけですよ。
はいはいはい。
で、おもてなしの意味で利休がこの両口橋を使ったっていうので、利休橋っていうのが広まっていったっていうふうに言われてますね。
あー、そんなオシャレな理由なの?
そうそう。そうなんですよね。
へぇー。
全然ごまの話してねーけどさ。
うんうん。だいぶ遠くなったね。
ていうか、ここまでの時間で利休って俺なんか言ったんだろうね。
一生のうちなんかあるから、この回数。
ほんとだね。
うん。
で、せっかくね、僕らの業界では利休って言うと、
これを誇るごまの意味を表すので、
うん。
じゃあ、この人どんだけごま料理好きだったんだろうな。
いや、好きだったとは言われてるんですよ。
うん。
でも、本当のところどうなんだろうと思って、記録を見ました。
はい。
うん。利休百回記っていう書物があるんですね。
利休百回記?
そう。千利休が茶会を催すじゃないですか。
うん。
それの百回分の記録。
そんな記録あんの?
いやね、この時代のね、ブームというか流れなんすね。
それこそ日本料理の編成の中で少し触れてるんですけど、茶の湯だけじゃなくてね、その、偉い人をもてなすとかっていう話ありましたよね。
はいはいはい。
将軍様が来るとか、天皇陛下が来るとか、自分の上司が来るとか、そういう時に、どんな失礼をして、どんな手順でやって、どんなものを出したのか。
これ、記録しとかないと次の時に困るじゃないですか。
うんうん。
で、これはだんだん共有されていって、仲間同士でね。
じゃ、あの人の時はこれやったら。
この人の時はこれやったから、うちはこうしていこうみたいなふうにして、データベース化していくわけですよ。
はいはい。
その走りですね。
あー、ここからなってくるんだね。
うん。これ以外にも、もうちょっと前からあるはあるんですけどね。
で、有名なのの一つに、この利休百回記っていうのがあって、ちょっと亡くなる1年前とかぐらいじゃないかな?っていうのがあったので、これざっと読んでみました。
はい。
そしたらね、ごま使った料理案外少ねえ。
少ない?
うん。
あ、そうなんだ。
いわゆる僕らのね、現代人が考えるごまをたくさん使ってるみたいなのがあんまりない。
おー。
でね、見つけたのは、油物の記述は結構多かったなっていう感じですかね。
油物?
うん。天ぷらとか。
ほう。
いう揚げ物ですよ、いわゆる。
あー、ごま油を使った天ぷら。
そう。
じゃあ、ごまそのものを食べるとかではない?
揚げ物の方が記述多いですね。
あ、そうなんだ。
うん。油はよく使われていて。
うん。
炒めるっぽいような記述もあったけどね。
揚げ菓子とほろみそ
うん。
あとはもう、なんて言っても、揚げ物といえばお菓子っすね。
お菓子?
うん。揚げ菓子。
あー、揚げ菓子ね。
うん。小麦粉とか米粉をこねてさ。
うん。
で、それを揚げて。
うん。
で、塩とか蜜で味付けするようなもの。
ほうほう。
うん。ドーナツっぽいやつね。
あー、もう、ごま付いてないね。
うん。これはね、平安時代にあったからくだもの。
うんうん。
唐菓子ですよね。あれの延長状ね。
あー、そういうことだね。
うん。お茶といえばお菓子ですよね。
はいはい。
あと、食事で出てきたのは、ほろみそ。
ほろみそ。
うん。法論。法は法律の法に、論は論じるという字を書きますね。
うん。
法論みそと書いて、ほろみそって読むらしいんですけどね。
ほろみそって呼ぶの?これで。
うん。
へー。
まあ、どっかで、なまったり縮まったりしたんでしょうね。知らんけどね。
うん。なんか、普通に読んだら、ほうろみそみたいな、なんか、ほうとろむみたいな。
うん。
関連するのかな、みたいな。
これね、もともと法論っていうのはね、仏教用語なんだね。
仏教用語。
そう。
うん。なんか、あれ、このシリーズでどっかで話したな、えっと、この仏教におけるここの部分の解釈はどうなんだっていう議論をするんだよね。
うんうんうんうん。
それを法論っていうらしい。あ。
したね。
うん。したよね。
した。
そのときに、どこかのお寺の、まあ有名のお坊さんたちが法論してるときに、
えー、多分、
食べてた。まあ、ご飯食べながらしたんだろうね。
うん。
そのときに食べてたっていうのがあって、そこに使えたみそが、ほうろみそが、ほうろみそに縮まって、ほろみそになったらしいんだ。
あー、そういう意味で。
うん。えっと、料理の方法としては、焼きみそ。
焼きみそ。
うん。みそ焼いて、それを天日に干して、で、えー、ごまとくるみと山椒とか、まあ、その辺のものをこう、混ぜて、ご飯のそういうものにして、おかずにして食べるとか。
ほう。干すの?
干すんだって。
へー。
ちょっと、今の感覚では珍しいイメージあるよね。
結構、ドロドロだったのかな、もとが。
うーん、なのかな。もう、江戸に近い時代だから、ペースト状になってるよね、きっとね。
うーん。
まあ、戦国時代、移動中に、みそをさ、丸めて持ち歩いたりとかしてたから。
はいはい。
それに似てんのかもしれないね。
あー、みそ玉だけか。
そうです。
うん。
はい。そんな感じじゃないかなというふうに思います。
ほうほう。
まあまあ、このくらいかな、見つけたのは。
あ、こんだけ?
こっちから。
あんなに、あんなに好きだと言われていた、ごま。
ねえ、あんま書いてないんだよね。
書いてない。
うん。逆に、書くほどじゃなかったのかも。当たり前すぎて。
おー、そういうことね。
そういうことってあると思うんだよね。
確かに。幸いなことあるね。
うん。ちょっとね、あの、他に、他の書物とか調べたら出てくるかもしれない。
うん。
あの、古文書を読むのにも限界があってですね。
うんうん。
何せ、あ、今日のシリーズ、僕言うの忘れたんですけど。
うん。
あの、何か、ごまのことについて書かれてる、ごまの歴史みたいな本があるんですけどね。
うん。
今日からの部分は、えー、ないんですよ。
ない?
ない。
えっと、僕が読んでる、手元にある、ごまの来た道とかね。
うん。
え、ごまの謎っていう、あの、参考文献があるんですけど。
はい。
えっとね、江戸時代が記しるされているのが、江戸時代の、えっとね、
2ページから3ページぐらいしかないんですね。
少ない。
そう。
めっちゃ少ないね。
うん。
で、千利休の話も、今日お話しするのは、もう、何も出てこない。
出てこない?
だから自力で頑張った。
ははは。
やけに今回、ごまの、
んー、
えっと、
えっと、
これ、
これ、
えー、
えっと、
えっと、
えっと、
えっと、
えっと、
えっと、
えっと、
えっと、
えー、
えっと、
えっと、
えっと、
えっと、
えっと、
シリーズ時間かかってるなと思ったら
そういうこと
結構補足で色々と調べて勉強してるんですよ
よく分かんないかったので
一生懸命探したけど見つかったのは
この程度かなという風に思ってますね
じゃあ下手したら
ゴマに関してというか
この時代とかに日本に関しての
ゴマの話
うちが一番詳しい
ことあるかな
分かんないけど
ちょっと頑張りましたよって話ね
まとめたやつっていうと
だいぶ少ないよねって
可能性としては
千利休とごまの歴史
ちょっと千利休の話戻るかな
千利休ってもともと
お茶の人なんで
お茶の人って言ったらいいんだけど
仏教の禅宗とゆかりのある方じゃないですか
禅宗といえば
僕の頭の中で出てくるのは
宗道宗道元禅師
と林在宗の陽在禅師ね
この二人を思い浮かべるわけですけど
日本料理で
ゴマって言ったらやっぱりゴマ豆腐って
一番入館できちゃうんだよね
ゴマ豆腐ゴマ和え
英平寺のゴマ豆腐って
結構有名じゃない
宗道宗宗本壇ね
の英平寺のゴマ
あれこれ距離的に
福井だから京都から
近いっちゃ近いけど遠いっちゃ
遠いよねみたいな
そうだね
北の方にぐっと上がっていくわけですけど
そのぐらい
離れてきたとすると
もしかしたらここは
大山崎の勢力圏外
だったのではないかと
大山崎の権力圏外
そう要はね
油の取引において
大山崎の油座っていうのは
ものすごい力を振るってたわけじゃないですか
独占販売権もあれば
独占購入権も持ってるみたいな
前回あったね
ありましたよね
ほとんどのお寺は
大山崎で作られた油を
東名油に使ってましたよみたいな
話だったんですけど
永平寺はそこに入ってない
気がするんだよね
そうなんだ
よくそこに書いてないんだけど
僕の想像ですよ
となるとじゃあ
ごまとも縁の深い禅宗において
しかも油が必要
東名をようにね
その環境だったら
当然ながら永平寺の寺内
内市はその近郊でごまを
栽培してごま油取ってた可能性あるよね
っていう想像がつきますよね
残した不織反法とかそういう辺のね
食に関する本を読むとですね
基本的に無駄を大っ嫌いですよね
無駄が大っ嫌い
無駄が大っ嫌い
ゴミ出したくないのよ
もう最後の最後までありがたく頂く
皮むいたり刻んだりした時に
こう野菜のクズが出たら
運ペンとかつってね
クズでまとめて
それをスープとかかけるあんにして
全部頂くみたいなことやるわけじゃないですか
で考えるとですよ
ごま油絞った
そのごまのカスどうしたんだろうと思うんですよね
まあ捨てはしないってことね
しかもさ
現代の作油法と違って
そんなに精度高くないじゃん
はい
結構油もタンパク質もミネラルも
残ってるはずなんですよね
まあそうだろうね
食ったらうまいと思う
普通にね
じゃあこのごまのカスを使った料理が
発展してもおかしくないと思いません
そうだね
戦国時代の食材としてのごまと味噌
っていうのを
考えると
例えばごま豆腐の原料は
そのごまのカスがもともとの走りだったかもしれないし
このごまのカスに味をつけて
和え物に使ってごま油にするとか
ああそういうね
確かにあるね
ありそうじゃね
白えなんかもね
豆腐とごまと味噌の組み合わせですからね
はいはいはい
可能性としてあるのかなっていう想像が
できました
確かに
絞りカスを使うっていうね
うん
現代だと
ちょっと絞りすぎちゃって
考えられないような使い方だけど
この時代だったら
十分あり得るね
あるかなと思いますね
ごまってどうしても
油に注目されがちだし
僕らも今回油の方を
メインで話してるんですけど
結構タンパク質あるからね
大事なんですよ
日本人特にあんまり
肉類食べないから
特にこの当時ね
ああそっか
ここからだんだんだんだん
動物性
タンパク質減ってきますからね
国民全体として
まあそういう意味では
ごまもタンパク源の一つだったかも
わかんないですね
まあ確かにね
徳川家康とごまの好み
そうか
絞りカスね
確かにそういう時代背景見てるというか
今までの流れを見てると
あり得る話だよね
そう
実はね
この台本原稿書いてる時に
この千利休の下り
まあこれ台本上で言ったら
4分の1も言ってないですけど
ここですげえ時間食ってるんだよ
ずいぶん濃いと思ったらそういうこと?
そう
そこにすごく時間かけて
結局エビデンスになるようなもの
見つかってないんですけど
周辺情報集めていくと
今言ったような想像ができるかな
っていうところですかね
はあ
まあそうなのか
まあ明かり用の油とかで使ったり
油をメインに使ってたら
カスめっちゃ出るもんね
うーんと思いますよ
そしたらカスの部分の
こう利用方法としては食べると言うか
っていうね
種類が増えていくっていうのは
まあ自然な流れっちゃ
自然な流れだよね
そうですね
まあ僕も自分で料理やってて
その大根の皮もきましたとか言って
この皮は捨てたくないとかね
じゃがいもの皮もこれどうにかしようかな
とか思いますからねやっぱり
確かにね
あの大根おろしめっちゃ作ると
あの皮の部分が刻まれて
干されていく量が増えていく
切り干しが増えていくっていうのは
切り干し大根になったり
きんぴらにしたりとかなんかしてますよね
うーん
もうそうしないと
皮をバンバン捨てることになるからね
まあそんな感じの文脈で出てきた
ごま料理もあんのかなっていう感じがします
はいはいはい
ということで利休の話でした
だいぶ利休の話
尺取った上に上手だったね
楽しかった
面白いね
あとね
この千利休の影響を受けたんだろうか
わかんないけど
焼き味噌と麦飯
戦国時代の超健康オタクのおっさん
おるじゃないですか
超健康オタクのおっさん
有名っすよね
もう健康オタクすぎて
医者に薬作らせるんじゃなくて
自分で薬作る人
あーもうお茶のシリーズ出てきたね
出てきましたね
徳川家康ですね
徳川家康
もう殿がくださったこの眼薬
もう飲まなあかんのかなみたいなやつがあるからね
その話したね
臭いんだけどな
殿ありがとうございます
寒類にむせぶって書いてあるんだけど
この涙はどっちの涙だろうな
みたいな
両方の意味かもね
相当漢方に精通したらしくて
今回改めてもう一回読んだんですけど
漢方に関する中国の文献も
結構読んでたっぽい
そうなんだ
徳川家康ね意外と勉強家で
意外とってのもしてるんだけど
結構勉強家で
あと戦国が終わって江戸幕府開くときも
唐の時代の中国がどのような統治スタイルを
とっていたのかっていうのは
ちゃんと中国の古典にあたって勉強してたりとかね
へえそこまでしてるんだ
結構やってるんですよ
だから後の幕藩体制みたいなのっていうのは
漢の時代はこうだった
唐の時代はこうだった
宋の時代はこうだった
だから俺はこうするっていう判断をしてるみたいですね
ちゃんと政治の勉強してる
ちゃんとしてる
でその中で漢方みたいなのもちゃんと勉強して
中国の本蔵項目っていうのが出てくるんですけど
それの刊行されたのが
1597年だったかな
だからもう家康の生きてる時代と被ってるんで
それも確かにね
日本語訳されたものが
都会康に献上されていて読んでるんだけど
都会康本人が漢方にハマり始めたのって
もう少し前なので
本蔵項目よりももっと前の中国漢方の
ことを書かれた書物
何がしかを読んでた可能性があるかなっていう感じ
本蔵項目どっか出てきてるね
そう李自珍の書いたね
李自珍
中国の李自珍という人が書いた本蔵書
本蔵書ね
日本語訳の一番最初が林羅山か確か
ちょっとそこまでは覚えてないけど
漢字が頭に思い浮かんだということは俺聞いてる
聞いてる聞いてる
林羅山は初めて言ったかもしれないけど
似てこなかったね
原本当たろうと思って日本語版
日本で発売された林羅山のやつね
ちょっとググって読んでみたんですけど
林羅山が書いたやつ結局漢文
漢文
日本人が読める漢字に直ってるだけで
結局漢文
直ってるっていうのかそれは
直ってるんですよ
要は中国で刷られたものを輸送してるわけじゃないんで
コピーして持ってきて
日本で
印刷ができるよっていうだけね
そんな感じですよ
訳してない?
訳してるんじゃない?一応
わかんない
俺の知識だと違いがよう分からんのよ
あとAIに頼むしかないんだけどね
そこまでやってくれるかな
漢方詳しいんで
家康も何かしらゴマ使ってんだろうなと思って調べてみましたよ
したらちょろちょろ出てきた
出てきた?
届かないやつね結構ゴマ好き
ゴマが好き
ゴマ好きだと思う
思う?
これね兵糧丸っていうのがあるじゃないですか
兵糧丸あるね
分かります?
1日に2、3粒食べたらもうそれで頑張れるよみたいなやつ
忍者がよく持ってるやつ
ああそれそれ
忍者が持ってるやつ
あれね忍者だけじゃなくて
戦国武将も作って持たせてるんですよ
へえ
でその戦国武将によって
兵糧丸はね色々と違うのね
違うんだ
個性が
個性?
うん
オリジナルレシピ持ってるみんな
ああそうなんだ
ちょっとね有名人をピックアップしてみたら
例えば上杉謙信
ああ上杉謙信はい
戦国最強の男の一人だよね
はい
この人が作ってる兵糧丸はね
原料が麻の実黒大豆蕎麦
麻の実黒大豆蕎麦?
たぶんねベース蕎麦だろうね
蕎麦粉だろうね
へえ
そうか蕎麦は生で食べれるもんね
そうそう
えっと全部粉にしてこねて
で干してとかそうなすんじゃなかったかな
そこメモしてこなかった私だったけどね
あとね竹中半兵衛
竹中半兵衛
聞いたことあるでしょ
うん
秀吉の軍師のだよね
あっ豊臣秀吉の?
まだ羽柴の時代の
この人豊臣家が天下を取る前に
亡くなっちゃってるんでね
病死しちゃってるんだけど
この天才軍師竹中半兵衛の記録にも
兵糧館のレシピが書いてあって
これがね白米をベースにして
人参とかあと松の甘皮っていうのが入ってた
松の甘皮
これが謎
松の甘皮って食べれるの?
食べれるんじゃない?書いてあったよ
へえ
多分漢方薬かなんかなんじゃないかな
まあそういうことだろうね
人参っつってもあれね
あの
人参じゃないからね
あ違うの?
もともと人参っていうのは
キャロットのこと指してないので当時
当時の人参は人参ではない?
今で言う朝鮮人参みたいなやつね
はいはい
高麗人参
うんうん
あっちがもともと人参なんで
あっそうなんだ
もともとあっちなんですよ
あーもともとは高麗人参のような
朝鮮人参とかのちょっと細く長いやつ?
そう
こっちがもともと東洋圏では人参って呼ばれていて
キャロットが入ってきたときに西洋人参って呼ばれるようになって
西洋が取れてオレンジのキャロットの方が普及しちゃって
西洋が取れてそっちが人参になっちゃったから
あえて今までの人参を朝鮮人参とか高麗人参って呼ぶようになったみたいな
あーそうなんだ
本家入れ替わっちゃったパターンやね
よくあるやつ
あーたまにあるねそれ
たまにある
うんうん
なんで
結構ね竹中半兵衛のは漢方寄り
そうだね
全体的に栄養素が大事だから漢方によるんでしょうね
そうだね確かにこれを人参ではなくて朝鮮人参と置き換えたならば
朝鮮人参白米松田真川もなんか漢方っぽくなってくるね
なんか体に良さそうじゃん
白米でちょっと固めましたみたいな
じゃあ家康くん
家康くん
家康くんは浜松のキャラクターやね
ゆるキャラな
ゆるキャラな
ゆるキャラで合ってるのかわかんないけど
これは黒大豆黒ごま片栗粉砂糖
黒大豆に黒ごまに片栗粉に砂糖
うん
だいぶ違うね
ね全然タイプ違うよね
もう大豆ぐらいしか被ってないけど
大豆が多分タンパク源だよねメインのね
はいはい
でごまが油とタンパクだよね
で片栗粉は澱粉だから米とかと同じだよねエネルギー源だよね
で砂糖もエネルギー源だよね
うんうん
急になんかエナジードリンクよりになったね
そうだね
うん
ほんとだエナジーガン
エナジーガンっていうのかなカロリーメイトとか
まあそんな感じなんかもね
そうね
ちょっと面白いのはね他にもちょろちょろ有名な武将のね
表裏がパラパラ見たんだけど
はい
やっぱね家康は際立ってごま使ってる感じがするかな
ほう
っていうのとこの大豆とごまの組み合わせが
いかにも三河人らしいなと思ってさ
ほう
ほら三河といえば八丁味噌じゃない
ああ八丁味噌だね
ああもう大豆なのねへえみたいな
ああ確かに大豆だね
ということで徳川家康の好物だったものを
まあいくつか調べたんですけど
その中の一つにね焼き味噌があるんですよ
焼き味噌
好きだねこの人味噌
まあ好きだね本当にね
もうファーストシリーズの味噌汁にも出てきましたけど
うんうん
江戸の三大味噌の中に八丁味噌入っちゃうぐらいですからね
入ってたね
生産量で言ったら一番小さいのに三大味噌の中で
まあ今もね作ってることだいぶピンポイントだからね
今ね八丁味噌正式などの2社しかありませんから
ねえ
はいその八丁味噌がやっぱ好きすぎて江戸にも持ち込むっていうね
うんうんうん
でこの焼き味噌っていうのが八丁味噌に
生姜の刻んだのとかネギの刻んだのとごまを加えてこねて少し干して
食べると
うんうんうん
でそれと一緒にあの家康といえば麦飯ですけど
麦飯の上にその焼き味噌ちょんちょんと乗っけてこうよだれ出るやつだよなこれな
本当だねちょっと香ばしい上にごまが入ってね
生姜とネギとかね最強じゃん
絶対うまいじゃん
絶対おいしいね
これにお湯かけてさ
うん
焼き味噌と麦飯の湯漬けっていうのをね
うんうん
やってね食べてたらしいよ
家康の好物とごま油の重要性
なんでさ八丁味噌のその焼き味噌って焼くとおいしそうに思っちゃうんだろうね
いやうまいもん
うまそうっていうかうまいもん
うまいねうまいと思うちゃんとしたの多分皆さんあんまりこう本当の八丁味噌をね食べたことないと思うんだよ
そうかな
そうか
スーパーに売ってねーよあんまり
あそうか
あのあるよ八丁味噌ともあるけど袋でちょっと割高で売ってるけど今んとこね自分で八丁蔵だっけか
うんうん
だってるかな
このお味噌の蔵に行って買ってきた味噌を超える味に出会ったことないというか同じ基準にないんだよね
うん
あのスーパーで見かけるお味噌ってだいたいさ真空包装みたいになってるじゃん
うん
その時点でなんか違うよね
違うね
味噌の麹がもうまあアルコールか加熱かなんかで一回殺されてますからね
あー確かにその話もあったね
味噌ってのは封するとダメなんですよ本来
あー袋爆発したんだっけ?
発酵したまま封すると
絶対そうなりますね
だから通気性を持たせてる方じゃないと発酵は止めてあると
うちで買ってる八丁味噌ってさくるんであるけど上封してないでしょ
あーしてないねしてなくて袋にくるんであってその上に段ボール
箱の中入ってるだけだ
だけだね
じゃないと味噌逆に保存できないんで
あー確かに確かにパンパンになっちゃうね多分ね
あの味噌は美味しい
なんでぜひ探してみてほしい
味噌の話になっちゃったけど
だってほら美味しいからしょうがない
これとねごま絶対うまい組み合わせじゃん
ごまはね美味しいよね
この辺でね味しめたのかもしらんけど
横伺えたら家康の好物に天ぷらってあるじゃない
あー天ぷら
一説によるとね家康が亡くなった原因はタイの天ぷらに当たったとかいうね
あそうなの
伝説すら残ってるぐらい
へータイの天ぷらに当たった
それ伝説だからね本当のところはわからんけど
天ぷらは大好きだったみたい
あーそうなんだ
京都に行った時に豪商の茶屋しろじろうに食べさせてもらってそれ以来ハマってるって
豪商の
茶屋しろじろうっていう人がいるんですよ
人の名前ね
人の名前でこの人が家康に天ぷらをご馳走してくれて
これはうまいなんと申すみたいな
その時点から天ぷらと言ってたかどうかは定かじゃないですけど
確かに
天ぷらを食べてたみたい
へーそうなんだ
で当然その天ぷらの油はごま油です
ごま油
まあ他に油この時はあったの?
あるよえごま油とかね
まあえごま油あるか
あるんですけどもう天下取るほどの時の権力者
それからもう日本一のビジネスマンと呼ばれた茶屋しろじろう
ごま油じゃないわけないと思うんだよ
確かにそれはそうだと思うね
これで魚の油とかだったら笑うよ
クセーなわいって
クセーな頃は天ぷらって
まあ魚の油で天ぷら揚げるほど油集めるの大変だけどね
魚油集めてやったら分かるけど
臭いからね加熱すると
臭いすげー立つから
ああまあ確かに油すごいよね臭いってね
そうそうなんですよ
天ぷらの魚ね
俺もうようやったなと思うけど
やったの?
やったよ
ああそう
ブリを焼く時にさ下ごしらえでね
油出るじゃない
これ集めてたらどうなのかなと思って一回集めてやってみたんだよ
はい
これでその辺にあった玉ねぎを炒めてみました
うん
すげー匂いになった
ああまあいろいろドリップみたいな感じでもう出ちゃうからね
まずかないけどね
まあまあ確かに旨味はあるだろうよ
まずかないけどまあ匂いはね魚クセーなこの玉ねぎってなった
ああああれか俺焼き台の方でよく使うじゃん
うん
あの焼き物?
うん
鉛石のやつで下が水で受けになってるけど
うん
あそこに落ちた大量の魚の油
うん
片付ける頃にはすごい匂いだもんね
すごい酸化してるでしょ
数時間経ってないのにさめっちゃ匂うもんね
うん
あれか魚のグリルの焼いた後の匂いだね
ああそうそうそうですねなんで
あの鯛とかそれこそブリとかね油強いのだと
うん
いうのはまだいいと思うんですよ
この時代の農村部漁村部の庶民が使ってる油って魚油って言ってね
あの魚の油を使ってこれ江戸時代まで続くんですけど
ほう
それはね主に下級のお魚ですよね
下級の魚
下魚安いやつ
うんうんうん
鰯とか
はいはい
ああいうのから取るんですよ青魚から
青魚からか
もっと臭い
絶対臭いよ
半端じゃない匂いだと思うよね
うん生臭いやつねそんな感じだったもんね
うーん
脱線するな帰ってこなくなるぞこれ
今日ちょっと食が多いんだよねメインがね
うん
久しぶりの食べ物だから
食べ物ラジオだからね
うん最近ちょっと食材ラジオみたいな
ああそうね
食材の歴史ラジオみたいになってるからさ
なんなら食材じゃない話いっぱいしてきたからね
うん
ああれだあと静岡人としてこれを外しちゃいけないよ
家康が好きだった食べ物
家康が好きだった食べ物で静岡人が外してはいけないもの
うん
うん出てこねぇ
いやとろろわさび
とろろすとわさび
うん
あそうなの
わさびね静岡今伊豆が名産として有名ですけど
はい
もともと本山がね徳川家がここはうちの専用のわさび畑って押さえたとこだからね
ああ静岡市のちょっと山のほうだけ
そうですそうです
とかあと同じく静岡市今のマリコシクのね
名物になってるとろろです
うんうんうん
あれも家康がとろろ好きだったっていうのと結構関連してるんですよね
あそうなの
へえ
でまあとろろの話はいずれしますけど今回ごまなのでちょっと省いていってくと
はい
とろろを食べるときにほぼ100%薬味としてごまがいる
ごまがいる
うん
常に家康のかたわりにはごまがいる
なんかいろいろ語弊がありそうだけど
うん
好きなんだろうね
ほう
たぶんね味噌とか大豆が
戦略物資になっていたっていう話はファーストシリーズでしたじゃないですか
うんうん
だいぶ前の話だけど
だいぶ前だね
うん
でもそれと同時にごまも結構ね戦略物資っぽい動きをしていて
へえ
はい
ごまの戦略的な重要性
でもちろんね家康はごまが好きだったっていうのもあるんですけど
この後ですね天下を取った後
まあ江戸幕府開封前後ですけど
その頃になってくともう自分の地元の三河とか尾張とかで
作れっていう栽培奨励の指示出してるんですね
ほうそうなんだ
特に顕著なのが尾膝元三河だけじゃなくて尾張 紀 水戸
ああ尾張 紀 水戸
はいこの3つ並びました尾張 紀 水戸
はい
といえば
といえば
はい
うん
といえば
尾張 紀 水戸
はい
うん
御三家ですね
ああ
うん御三家
御三家名前はよく聞くけど
尾張徳川家紀伊徳川家水戸徳川家
ほう
で例えば有名な徳川義宗八代将軍なんかは紀伊藩の人ですね
ああそうなの
そう
本家が血筋が絶えてしまうといけないので後取りをこの御三家の中からこう連れてくるみたいな
ほう御三家っていうのは何にあたるの
徳川家康の息子たちが藩主を務めている家系
はい
十何とか七何とかなんかその辺だったかな忘れちゃったけど
うん
いう人たちが初代藩主なんですよね
ああ身内が藩主やってるところね
そう家康の息子たちが藩主やってる
はいはい
でそのうちの一番上は死んじゃってるんだけど秀忠が将軍になるわけじゃないですか
うん
でその弟たちの藩なんですよね
ああそうなんだ
だから途中で秀忠の本家の血筋が絶えたらその分家である尾張とか紀伊とか水戸藩から
息子を連れてきて将軍を継ぐというそういうスタイルですね
はいはいはい
でこの尾張紀伊水戸っていうのも当然自分の息子たちのところじゃないですか
うんうん
お前らもごまを作れ
まあそうなるよね
ということでね一旦廃れちゃったらしいんだけど
なんか三河ごまとか愛知ごまっていうブランドもあるらしいし
あと紀伊はねちょっと見つけられなかったけど水戸ごまっていうのはギリギリブランドとして残ってるっぽいね
そうなの
うん
でちょっとねごまの研究をされていた小林博士の本でしか見つけられなかったんだけど
昭和くらいまではなんか日本の国内のごま生産地としてもそこそこ有名なとこだったみたい
へえそんな作ってたんだ
で愛知県なんかだとごまを作ってたようなそういう地名が残っていて駅名にもなってたって
旧国鉄にこんな駅名ありましたみたいなの書いてあったよ
駅名に残っていた
うんいうぐらいだごま作ってたみたいね
そんな作ってたんだね
でここまでの流れでねいくつか思いついたのはまず油の価値っていうものがやっぱりすごく大事なんだろうなっていうのが一つあって
まあね徳川家康とか千利休とかこの辺の人たちは京都大山崎の油座がどのくらいの力を持っていたのかっていうのはよく知ってたと思うんですよ
うんうん
油座の力が誤った今だからこの製油業っていうのを抑えておく自分の膝元に置いておくっていうのは結構ね経済的にも大事なんだろうな
そんなことは知ってたのかもしれないしあとこの後ね商品作物っていうのがどんどん価値を持ってくるからこのお米だけじゃなくてね油の元だったりとかあとは木綿の元になるものとかねそういったものってすごく重要になってくるんで
割と農業に力を入れていくところもあるから
まずその辺のビジネス的な部分が一つにあったのと
あとさっき言った食料戦略としてね
戦略物資になっていたんだろうなっていう
この2つがちょっと見えてくるところですかね
まあそうなんですね
戦略物資の方に行くんだね
でもう一つこの食品的に見ていくと
ずっと薬と食べ物の間を
行ったり来たり揺れていったと思うんですよ
あくまでもまだ薬味から出ていってない
薬じゃないんだけど
一般食料じゃないみたいな境目にいるのが薬味なんですよね
これが徐々に徐々に
ごまをたくさんふんだんに使った料理っていうものに
変換していく境目あたりかな
さっき言った本蔵項目
1597年6年か96年かな
理事陣の書いたね本蔵項目の中には
ごまに関してこんなこと書いてあります
古代においては戦略だった
戦略だった
戦人の薬って書いて戦略だった
古代にはね
けれども近代では
そのように用いるのは稀であると
ただ久しく服すれば
常用すればですね
普段当たり前のように食べていれば
液があるものであることは間違いない
何言ってるかっていうと
いい食べ物だよ
でも薬ではないかなみたいな
いうようなことを
この理事陣は本の中で述べてますね
そうなんだね
中国で言ったら民の時代には
そうなっていて
その影響っていうのは当然日本にも
波及してるはずですからね
徐々に食べ物化していくんだけど
ちょっと薬味っぽいな
みたいな感じですかね
そうね確かに薬味って
改めて考えてみると
よくわからんよね
薬味ですからね
薬の効能はあるけど薬ではないみたいな
じゃあ漢方かって言うと漢方でもない
じゃあ何って言われると
薬味?
薬味
ゴマの健康効果
あのね
この理事陣の書いてた文章の周りですね
ちょっと読んで読み解いていくと
薬で用いることは
あるけど
そんな数なくて
その代わり医者とかね
心学やってる人たちで
いう人たちは
割とねゴマ食べてる
自分自身の健康のために
ああそうなの?
患者さんとかにも食え食えって言ってる
だから
これエネルギーもあるし
栄養もあるしどうぞどうぞみたいなね
そんな感じなんじゃない?
そうか確かにいい油というか
油をちゃんと取ってないと
やっぱ体動かなくなるっていうのね
だるくなったりとか
栄養も豊富だしね
タンパク質もあるしね
そうだね
そんな感じで認められてはいる
ただもう薬っていうほどではない
そんな感じじゃないですかね
そうなんだ
そう考えるとベジタリアンの人ってさ
何で油補給してんだろうね
豆とかゴマとかそういうのじゃない?
やっぱそうなるんかね
それしかないもんね
魚も肉も食べれないから
でも油の種類偏りそうだけどね
でもまあ生きていけるからいいんじゃない?
まあいいよ
生きてはいけるのか
日本人だったらね
海藻類ってのもあるしね
海藻類で油?
油はないか
タンパク質だよな
タンパク質
何がしかで油を取っていくのかな
ちょっと思ったけど
めっちゃゴマ食べてたら悪いわけだね
そういう意味ではあれじゃない?
これだけ世界に広まったゴマなので
ゴマ油っていうのは結構重要かもかもね
そうかもね
あとオリーブか
オリーブとかね
最も世界で広まっているゴマ油ってのは
オリーブが広まって定着したのはゴマですけど
油においてはね
そうね
ということで次いきますよ
台本編集時間
長えな今日
雑談とか寄り道多いな
二分割しない方がいいという話が出ているんですが
アンケート取ったら
3分の1の方は割らない方がいいという
割らない方が元々だなと思って
どちらでもいいという人もいたんですけど
割る気はなかったんですが
最近1時間を
割る気はなかったんですが
1時間半だとちょっと僕の中で
編集大変やなっていう
じゃあ1回切りますか
例によって
1回の編集時間めっちゃ長いよね
あのね
今日こそは1本で
この台本1枚で1時間に収めようと思ってたの
あと9分でいけるならどうぞ
無理
前半で尺食いすぎだって
それはね
千年理休の前振りをするからだよ
あそこめっちゃ長かったもんね
失敗したら
失敗したな
失敗したね
戦国時代から明治へ
まあ戦国時代編ですわ
戦国時代編ね
1回切って
江戸時代から明治くらいまで一気にいきましょうか
はい
おかしいな
はい
ということで今回はこの辺で終わりたいと思います
ありがとうございました
ありがとうございました
50:49

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