食べものラジオ
カチャ料理むとう、むとう卓郎です。
むとう太郎です。
このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、食べ物の知られざる世界を、ちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です。
はい、ということで、前回の収録から半月経ちました。
うん。
半月以上経ってるか。
久しぶりです。
いやー、久しぶりだね。
ね。
その間に、食べ農作。
合同深いですね。
合同深いが。
はい。
ありまして、東京に行ってまいりました。
うん。
だいぶ収録長かったね。あの、オフ会の前の科学館。
おー。
科学館。科博だね。
科博行ったときのね。はい。和食店ですが。
和食店。
はい。
3時間で足りないっていうね。
そうだね。結局最後は、あの、駆け足になったね。
結局そうなるんだよね。
いやー、もう少し最後じっくり来たら。
来たかったなー。
あのね、序盤でね、だいぶ時間使ったのよね。
うん。
で、途中からさ、収録してたんだけど。
うん。
なんか、俺いらなくない?ってなって。
日曜日の方をみんなで終わって。
はいはい。
で、姉ちゃんと他のサポーターの方とかリスナーの方ね。
はい。
が、話してる方が面白くて。
はい。
俺、特に言うことねーな。
ダック途中からピンマイク外してたもんね。
外してたね。
外して、他のリスナーさんたちにマイクを向ける係になってた。
なってたねー。で、当日もあの、音声配信アプリの方で、ライブ配信を限定でしてまして。
はい。
で、それを皆さん聞きながら、あの、各々バラバラに聞いて、たまにこう、気になるところになったら戻ってくるっていう、新しいスタンスのね、スタイルの見方をしてましたけど。
そうなんですよね。
うん。
40人近い人数だったので、グループが固まってしまうと、戦法にご迷惑がかかると。
うん。
その解消をするために、あの手を作ったわけですよね。
そうだね。
でもさー、あんまり効果なかったね。
結局だって、あのー、リスナーの方以外の人、一般の方とか普通に集まってきてたよね、途中から。
そうなんですよ。
うん。
で、せっかく我々の一緒に行ったグループが分散したにもかかわらず、なんか、僕らずっと喋って長居したら、後ろにすごいたくさんの人たちがいたじゃないですか。
うん。
あ、これはこの展示を見たい方々が待っているんだと。
うん。
どかなければいけない。ごめんなさいって、どいて次の展示に移動したら、全員来るっていうね。
それねー、ちょっと想定外だったなー。
想定外でした。はい。
なんかTwitterでちらっとなんかこう、えーと、和食店のハッシュタグ?
はいはい。
えー、次の日かな?見ていったら、なんか日曜日行ったら、結構集団みたいな塊があって、通れないときがあって、ぬんぬんかんぬん書かれてて。
はい。
あれ?うちかな?ってちょっと思ったんだよね。
うちでしょ。
でももう、あれはもう言わせてもらうけど、あのー、僕らのせいではない。
はい。
あの、滞留をね、滞らせたのは、まあ僕らというよりかは周りに固まってしまったので、
ちょくちょく動いてはいたんですけど。
うんうん。
それでも、あの、解消しきれなかったっていう。
あのー、リスナーの方々は、みなさん、かなり、あのー、方々にちって、一回向こうに、最後まで行ってから戻ってくるとかね。
うんうんうん。
してくださったりとかしてたので、えー、僕らではないと信じたい。
本当ごめんなさい。
本当すみませんでした。
はい。
あのー、日曜日はね、もう収録ダメだね、やっぱね。
うん、そうですね。
収録っていうか、多分僕ら普通に喋っててもそうなるんだけどね。
そうなんですよね。あのー、今年の頭、2023年1月の単独のオフ会の時も、
うん。
えー、静岡県のお茶の都ミュージアムか。
うんうん。
行った時も、まああの時は全く収録してないですけどね。
うん。
まあ、みんなに抜かれること。
抜かれたねー。
平均滞在時間40分のところ、2時間以上いましたからね。
だね。
はい。もともと遅いんすよ、多分。
うんうんうん。
うん。
いなくても、僕らほら、奈良行ったのは去年でしたっけ?
去年だね。
はい。なんか博物館入ったら、やっぱり2時間ぐらいいましたよね、2人で。
いたね。いたいたいた。なんだっけ、飛鳥、飛鳥自体の展示だったよね。
そうそうそう。あれなんかね、掲示板見たら、平均滞在時間3、40分って書いてたよね。
3、40分だったな、そこって。
絶対足りんと思うよ、俺は。
足りんかったね。
はい。2時間ぐらいいました、軽く。
おー、あのー、だいぶ端折ったはずだけどね。
うん。
時間次押し合うって言って。
そう。時間潰しに行ったはずが、じっくり見てしまうっていうね。
早く昼ごはんを食べ逃そうかと思ったね、あれ。
あれはなんだ、この組み合わせがいけないのか、それとも僕がいけないのかよくわかんないですけど。
まあ多分兄ちゃんだろうね。
あ、ですか。はい、すいません。なんかすいません。
ということで、日曜日に大量起こしてしまって申し訳ございませんでした。
はい、本当すいませんでした。
はい。
えー、まあ月曜日もね。
お休みのところを空けていただいて。
そうですね。
えー、収録をさせていただいたんですが。
うん。
あの、裏口から入るっていうね。
ほんとね、びっくりっていうか、なんだろう、あの、特別感。
特別感すごかったね。
うん。
ほんとに、ポッドキャストやってなかったら、あの、休館日に入れてもらうってことは多分なかったはず。
そうですよね。
うん。
お休みの日にわざわざ出勤していただいてるわけですからね。
そうなんだよね。
はい。
特に前日に行ってるから、日曜日の。
うん。
日曜日の混み具合の後の月曜日の誰もいない感じ。
うん。
ギャップがすごかったね。
すごかった。だって、うちらしかいねえんだもん。
ねえ。声が響く響く。
で、結局2時間以上いましたけどね。
いましたね。
はい。
1時間半くらいでね、なんとか終わりたいなと思ってたんだけど、無理でした。
でした。まあ、この様子は後々放送しますので、お楽しみにということですかね。
はい。
12月中の配信を目指しております。
はい。早くごまを洗うといかん。
ごまを洗うとね。また、この和食店の収録が配信されましたら、音声ガイド的にもね、使えるようになると思いますので。
うん。
ただ、滞在時間がかなり長くなるっていう、なんとも言えないやつになるかもしれないんですが、それを聞きながら回っていただいても大丈夫ですし、
うん。
なのでね、雰囲気だけでも味わっていただければと思います。
はい。
はい。ということで、本編行きますか。
行きますか、ごま。はい。
はい。では前回からの続きです。で、今回は。
ごま好きたちの日本史。
ごま好きたちの日本史。
よくわからないタイトルをつけてしまった。
ちょっと。
うんうん。なんとなくわからんでもないけど、わからん。
うん。
うん。
そういう話で、平安時代から室町時代にかけてくらいで、なんかごまってすげえことになったよねとか、大山崎の油座みたいなのが出てきて、油を独占するような座、まあ商業組合ですね。
はいはい。
そういうのが権力を持ったよねみたいな話をしてきました。
うんうん。
で、ここまでの日本のごまの立ち位置っていうのが、結構希少で高級で、油の原料としても非常に重要みたいな、そんなポジショニングでしたよね。
うんうん。
で、これがね、徐々に徐々に食べられるようになってきて、まあ食べられてはいるんだよ、もともと。
平山時代から食べられてるんだけど、これがだんだんこう広がっていって、最終的に庶民のところまでいって、で、庶民の日常生活で当たり前に食べられるところまでいく。
うんうん。
この流れを追っかけてみたいなということで、そのきっかけになった人たちとか、キーポイントをちょっとピックアップしてお話しようかなというふうに思ってます。
はい。
はい。
で、僕ら料理人としてはですね、ごまといえばこの人だっていう人物がいるんですよ。
ごまといえばこの人。
割っちゃいけないんですよ。初めから分かれてはいけないんですね。
はい、そうですね。
で、利休橋ってのはこの両方が削られてるんですけど、元々これ両口橋って言って、利休橋以外にも両方削られてる橋っていうのはあるんですね。
うんうん。
で、これは何でかっていうと、これね、日本料理の変遷聞いてもらった方がいいと思うんですよ。
変遷聞いてもらった方がいいかもしれないですけど、神様との教職っていう概念が日本には昔からありますよね。
うんうん。
で、両方削られてる橋は、片方は人間が使って、反対側は神様が使ってるっていう体なんですよ。
あ、そういう意味なんだ。
そうそうそう。
へえ。
で、よくお祝いの正式な場で使われてるのは、木材の素材がですね、柳。
柳。
うん。固くてね、折れにくくて、丈夫で。
柳ってあの、枝垂れてるやつ?
枝垂れ柳とかの柳ですよ。
うんうん。
柳の木材であると、高級品なんですね。
そうなんだ。
で、この素材が柳じゃなくて、杉の木で作られてるのを利休橋って呼んでます。
うんうん。
で、杉ってさ、木材として結構いい香りするじゃないですか。
するね。
で、削りたてて特に香りが立ちますよね。
うん。
で、千利休が茶の湯でお客様をおもてなしするときに、自らその橋を削ってですね。
うん。
で、両口橋にしておくと、手元側も削られてるんですよ。
うん。
手元側も削られてるんで、そこから香りが立つわけですよ。
はいはいはい。
で、おもてなしの意味で利休がこの両口橋を使ったっていうので、利休橋っていうのが広まっていったっていうふうに言われてますね。
あー、そんなオシャレな理由なの?
そうそう。そうなんですよね。
へぇー。
全然ごまの話してねーけどさ。
うんうん。だいぶ遠くなったね。
ていうか、ここまでの時間で利休って俺なんか言ったんだろうね。
一生のうちなんかあるから、この回数。
ほんとだね。
うん。
で、せっかくね、僕らの業界では利休って言うと、
これを誇るごまの意味を表すので、
うん。
じゃあ、この人どんだけごま料理好きだったんだろうな。
いや、好きだったとは言われてるんですよ。
うん。
でも、本当のところどうなんだろうと思って、記録を見ました。
はい。
うん。利休百回記っていう書物があるんですね。
利休百回記?
そう。千利休が茶会を催すじゃないですか。
うん。
それの百回分の記録。
そんな記録あんの?
いやね、この時代のね、ブームというか流れなんすね。
それこそ日本料理の編成の中で少し触れてるんですけど、茶の湯だけじゃなくてね、その、偉い人をもてなすとかっていう話ありましたよね。
はいはいはい。
将軍様が来るとか、天皇陛下が来るとか、自分の上司が来るとか、そういう時に、どんな失礼をして、どんな手順でやって、どんなものを出したのか。
これ、記録しとかないと次の時に困るじゃないですか。
うんうん。
で、これはだんだん共有されていって、仲間同士でね。
じゃ、あの人の時はこれやったら。
この人の時はこれやったから、うちはこうしていこうみたいなふうにして、データベース化していくわけですよ。
はいはい。
その走りですね。
あー、ここからなってくるんだね。
うん。これ以外にも、もうちょっと前からあるはあるんですけどね。
で、有名なのの一つに、この利休百回記っていうのがあって、ちょっと亡くなる1年前とかぐらいじゃないかな?っていうのがあったので、これざっと読んでみました。
はい。
そしたらね、ごま使った料理案外少ねえ。
少ない?
うん。
あ、そうなんだ。
いわゆる僕らのね、現代人が考えるごまをたくさん使ってるみたいなのがあんまりない。
おー。
でね、見つけたのは、油物の記述は結構多かったなっていう感じですかね。
油物?
うん。天ぷらとか。
ほう。
いう揚げ物ですよ、いわゆる。
あー、ごま油を使った天ぷら。
そう。
じゃあ、ごまそのものを食べるとかではない?
揚げ物の方が記述多いですね。
あ、そうなんだ。
うん。油はよく使われていて。
うん。
炒めるっぽいような記述もあったけどね。
なんでさ八丁味噌のその焼き味噌って焼くとおいしそうに思っちゃうんだろうね
いやうまいもん
うまそうっていうかうまいもん
うまいねうまいと思うちゃんとしたの多分皆さんあんまりこう本当の八丁味噌をね食べたことないと思うんだよ
そうかな
そうか
スーパーに売ってねーよあんまり
あそうか
あのあるよ八丁味噌ともあるけど袋でちょっと割高で売ってるけど今んとこね自分で八丁蔵だっけか
うんうん
だってるかな
このお味噌の蔵に行って買ってきた味噌を超える味に出会ったことないというか同じ基準にないんだよね
うん
あのスーパーで見かけるお味噌ってだいたいさ真空包装みたいになってるじゃん
うん
その時点でなんか違うよね
違うね
味噌の麹がもうまあアルコールか加熱かなんかで一回殺されてますからね
あー確かにその話もあったね
味噌ってのは封するとダメなんですよ本来
あー袋爆発したんだっけ?
発酵したまま封すると
絶対そうなりますね
だから通気性を持たせてる方じゃないと発酵は止めてあると
うちで買ってる八丁味噌ってさくるんであるけど上封してないでしょ
あーしてないねしてなくて袋にくるんであってその上に段ボール
箱の中入ってるだけだ
だけだね
じゃないと味噌逆に保存できないんで
あー確かに確かにパンパンになっちゃうね多分ね
あの味噌は美味しい
なんでぜひ探してみてほしい
味噌の話になっちゃったけど
だってほら美味しいからしょうがない
これとねごま絶対うまい組み合わせじゃん
ごまはね美味しいよね
この辺でね味しめたのかもしらんけど
横伺えたら家康の好物に天ぷらってあるじゃない
あー天ぷら
一説によるとね家康が亡くなった原因はタイの天ぷらに当たったとかいうね
あそうなの
伝説すら残ってるぐらい
へータイの天ぷらに当たった
それ伝説だからね本当のところはわからんけど
天ぷらは大好きだったみたい
あーそうなんだ
京都に行った時に豪商の茶屋しろじろうに食べさせてもらってそれ以来ハマってるって
豪商の
茶屋しろじろうっていう人がいるんですよ
人の名前ね
人の名前でこの人が家康に天ぷらをご馳走してくれて
これはうまいなんと申すみたいな
その時点から天ぷらと言ってたかどうかは定かじゃないですけど
確かに
天ぷらを食べてたみたい
へーそうなんだ
で当然その天ぷらの油はごま油です
ごま油
まあ他に油この時はあったの?
あるよえごま油とかね
まあえごま油あるか
あるんですけどもう天下取るほどの時の権力者
それからもう日本一のビジネスマンと呼ばれた茶屋しろじろう
ごま油じゃないわけないと思うんだよ
確かにそれはそうだと思うね
これで魚の油とかだったら笑うよ
クセーなわいって
クセーな頃は天ぷらって
まあ魚の油で天ぷら揚げるほど油集めるの大変だけどね
魚油集めてやったら分かるけど
臭いからね加熱すると
臭いすげー立つから
ああまあ確かに油すごいよね臭いってね
そうそうなんですよ
天ぷらの魚ね
俺もうようやったなと思うけど
やったの?
やったよ
ああそう
ブリを焼く時にさ下ごしらえでね
油出るじゃない
これ集めてたらどうなのかなと思って一回集めてやってみたんだよ
はい
これでその辺にあった玉ねぎを炒めてみました
うん
すげー匂いになった
ああまあいろいろドリップみたいな感じでもう出ちゃうからね
まずかないけどね
まあまあ確かに旨味はあるだろうよ
まずかないけどまあ匂いはね魚クセーなこの玉ねぎってなった
ああああれか俺焼き台の方でよく使うじゃん
うん
あの焼き物?
うん
鉛石のやつで下が水で受けになってるけど
うん
あそこに落ちた大量の魚の油
うん
片付ける頃にはすごい匂いだもんね
すごい酸化してるでしょ
数時間経ってないのにさめっちゃ匂うもんね
うん
あれか魚のグリルの焼いた後の匂いだね
ああそうそうそうですねなんで
あの鯛とかそれこそブリとかね油強いのだと
うん
いうのはまだいいと思うんですよ
この時代の農村部漁村部の庶民が使ってる油って魚油って言ってね
あの魚の油を使ってこれ江戸時代まで続くんですけど
ほう
それはね主に下級のお魚ですよね
下級の魚
下魚安いやつ
うんうんうん
鰯とか
はいはい
ああいうのから取るんですよ青魚から
青魚からか
もっと臭い
絶対臭いよ
半端じゃない匂いだと思うよね
うん生臭いやつねそんな感じだったもんね
うーん
脱線するな帰ってこなくなるぞこれ
今日ちょっと食が多いんだよねメインがね
うん
久しぶりの食べ物だから
食べ物ラジオだからね
うん最近ちょっと食材ラジオみたいな
ああそうね
食材の歴史ラジオみたいになってるからさ
なんなら食材じゃない話いっぱいしてきたからね
うん
ああれだあと静岡人としてこれを外しちゃいけないよ
家康が好きだった食べ物
家康が好きだった食べ物で静岡人が外してはいけないもの
うん
うん出てこねぇ
いやとろろわさび
とろろすとわさび
うん
あそうなの
わさびね静岡今伊豆が名産として有名ですけど
はい
もともと本山がね徳川家がここはうちの専用のわさび畑って押さえたとこだからね
ああ静岡市のちょっと山のほうだけ
そうですそうです
とかあと同じく静岡市今のマリコシクのね
名物になってるとろろです
うんうんうん
あれも家康がとろろ好きだったっていうのと結構関連してるんですよね
あそうなの
へえ
でまあとろろの話はいずれしますけど今回ごまなのでちょっと省いていってくと
はい
とろろを食べるときにほぼ100%薬味としてごまがいる
ごまがいる
うん
常に家康のかたわりにはごまがいる
なんかいろいろ語弊がありそうだけど
うん
好きなんだろうね
ほう
たぶんね味噌とか大豆が
戦略物資になっていたっていう話はファーストシリーズでしたじゃないですか
うんうん
だいぶ前の話だけど
だいぶ前だね
うん
でもそれと同時にごまも結構ね戦略物資っぽい動きをしていて
へえ
はい
でもちろんね家康はごまが好きだったっていうのもあるんですけど
この後ですね天下を取った後
まあ江戸幕府開封前後ですけど
その頃になってくともう自分の地元の三河とか尾張とかで
作れっていう栽培奨励の指示出してるんですね
ほうそうなんだ
特に顕著なのが尾膝元三河だけじゃなくて尾張 紀 水戸
ああ尾張 紀 水戸
はいこの3つ並びました尾張 紀 水戸
はい
といえば
といえば
はい
うん
といえば
尾張 紀 水戸
はい
うん
御三家ですね
ああ
うん御三家
御三家名前はよく聞くけど
尾張徳川家紀伊徳川家水戸徳川家
ほう
で例えば有名な徳川義宗八代将軍なんかは紀伊藩の人ですね
ああそうなの
そう
本家が血筋が絶えてしまうといけないので後取りをこの御三家の中からこう連れてくるみたいな
ほう御三家っていうのは何にあたるの
徳川家康の息子たちが藩主を務めている家系
はい
十何とか七何とかなんかその辺だったかな忘れちゃったけど
うん
いう人たちが初代藩主なんですよね
ああ身内が藩主やってるところね
そう家康の息子たちが藩主やってる
はいはい
でそのうちの一番上は死んじゃってるんだけど秀忠が将軍になるわけじゃないですか
うん
でその弟たちの藩なんですよね
ああそうなんだ
だから途中で秀忠の本家の血筋が絶えたらその分家である尾張とか紀伊とか水戸藩から
息子を連れてきて将軍を継ぐというそういうスタイルですね
はいはいはい
でこの尾張紀伊水戸っていうのも当然自分の息子たちのところじゃないですか
うんうん
お前らもごまを作れ
まあそうなるよね
ということでね一旦廃れちゃったらしいんだけど
なんか三河ごまとか愛知ごまっていうブランドもあるらしいし
あと紀伊はねちょっと見つけられなかったけど水戸ごまっていうのはギリギリブランドとして残ってるっぽいね
そうなの
うん
でちょっとねごまの研究をされていた小林博士の本でしか見つけられなかったんだけど
昭和くらいまではなんか日本の国内のごま生産地としてもそこそこ有名なとこだったみたい
へえそんな作ってたんだ
で愛知県なんかだとごまを作ってたようなそういう地名が残っていて駅名にもなってたって
旧国鉄にこんな駅名ありましたみたいなの書いてあったよ
駅名に残っていた
うんいうぐらいだごま作ってたみたいね
そんな作ってたんだね
でここまでの流れでねいくつか思いついたのはまず油の価値っていうものがやっぱりすごく大事なんだろうなっていうのが一つあって
まあね徳川家康とか千利休とかこの辺の人たちは京都大山崎の油座がどのくらいの力を持っていたのかっていうのはよく知ってたと思うんですよ
うんうん
油座の力が誤った今だからこの製油業っていうのを抑えておく自分の膝元に置いておくっていうのは結構ね経済的にも大事なんだろうな
そんなことは知ってたのかもしれないしあとこの後ね商品作物っていうのがどんどん価値を持ってくるからこのお米だけじゃなくてね油の元だったりとかあとは木綿の元になるものとかねそういったものってすごく重要になってくるんで
割と農業に力を入れていくところもあるから
まずその辺のビジネス的な部分が一つにあったのと
あとさっき言った食料戦略としてね
戦略物資になっていたんだろうなっていう
この2つがちょっと見えてくるところですかね
まあそうなんですね
戦略物資の方に行くんだね
でもう一つこの食品的に見ていくと
ずっと薬と食べ物の間を
行ったり来たり揺れていったと思うんですよ
あくまでもまだ薬味から出ていってない
薬じゃないんだけど
一般食料じゃないみたいな境目にいるのが薬味なんですよね
これが徐々に徐々に
ごまをたくさんふんだんに使った料理っていうものに
変換していく境目あたりかな
さっき言った本蔵項目
1597年6年か96年かな
理事陣の書いたね本蔵項目の中には
ごまに関してこんなこと書いてあります
古代においては戦略だった
戦略だった
戦人の薬って書いて戦略だった
古代にはね
けれども近代では
そのように用いるのは稀であると
ただ久しく服すれば
常用すればですね
普段当たり前のように食べていれば
液があるものであることは間違いない
何言ってるかっていうと
いい食べ物だよ
でも薬ではないかなみたいな
いうようなことを
この理事陣は本の中で述べてますね
そうなんだね
中国で言ったら民の時代には
そうなっていて
その影響っていうのは当然日本にも
波及してるはずですからね
徐々に食べ物化していくんだけど
ちょっと薬味っぽいな
みたいな感じですかね
そうね確かに薬味って
改めて考えてみると
よくわからんよね
薬味ですからね
薬の効能はあるけど薬ではないみたいな
じゃあ漢方かって言うと漢方でもない
じゃあ何って言われると
薬味?
薬味