あー、そうなんだ。
はい。で、えーと、Twitterで、X上でもそういったご指摘をいただきまして、本当にありがとうございます。
はい。
ということで、改めてちょっとだけ簡単に整理をしようかなと思ってます。
はい。
はい。すげーザクッと言うとですね、日本のロウソクっていうのは、奈良時代に始まります。
奈良時代。
うん。あのね、あれだね、遣唐使だね。
おー、遣唐使。
はい。もう中国の方が先なんですよ、当たり前なんですけど、めっちゃ古いんですね。
おー、そうなんだ。
うん。もう秦の始皇帝のお墓からロウソクが、痕跡のようなものがあるみたいなね。
うんうん。
そういう時代なんで、こういうのが古いんですよ。
ほうほう。
遣唐使を通じてロウソクの文化が日本にも輸入されるんですけど、この時代は買ってましたと。
おー、買ってたんだね。
うん。で、この時の材料がおそらく蜜蝋。
蜜蝋。
うん。あの、蜜鉢の、蜂の巣の原料になるやつだよね。
はいはいはい。
で、あれがワックス状になってるので、それを蝋として使ってロウソク作ったのが、日本に輸入されてるみたいな感じなんですって。
へー。
うん。で、えー、国産でロウソクが作られてるんですよ。
国産でロウソクが作られ始めるのが、平安時代の後半、終わりぐらい?
うんうん。
じゃあ1000年ぐらいになると、あの、ほら、遣唐使やめちゃうかな。
あー、やめてるね。
蜜蝋入ってこなくなって、で、日本でも蜜蝋作ろうと思うんだけど、うまいこといかなくて、で、あの、松の油使ってロウソク作るんだって。
松の油?
うん。で、それも、なんかほら、タクがテレビで見たのってさ、何重にも塗り固めて重ね塗りするみたいなのあったでしょ?
うんうん、そうだね。
あれもっとすげー後の話で。
あ、そうなの?
はい。まだ平安時代ぐらいまでって結構ね、型に流し込む方が主流なんだって。
あー、型に流し込むんだ。
うん。でね、型に流し込むというか、その、日本最初の国産ロウソクである、その松の油のロウソクね。
松の油と米ぬかみたいなのを混ぜて、こねこねして、で、そのこねたやつを笹の葉っぱで巻くの。
笹の葉っぱ?
うん。あの、血巻きみたいなやつ。
はー、あ、そんな感じ?
うん。そうやって形成して、火つけるんだけど。
うん。
で、めっちゃすぐ燃えてなくなっちゃうらしいんだよね。
あー、そうなんだ。
うん。ちょっと燃焼時間短くてめんどくせーなーみたいな。
へー。
で、次の時代だから、えーと、鎌倉時代すっとばして、室町時代ね。
室町時代?
うん。もう金閣寺ができたかな、前後ぐらいの時に、やっぱりまた中国から、その当時の最新のロウソクが日本にまたやってくる。
うん。
これ、イボタロウソクってやつね。
イボタロウソク?
うん。あの、イボタロウムシっていう虫がいるんだよ。
イボタロウムシ?
うん。
へー。
イボタロウじゃないからね。
うん。
イボタロウムシね。
あ、イボタロウムシ。
ロウムシのロウはロウソクのロウね。
あー、そういうことだね。
そうそう。で、このイボタロウムシっていう虫のオスの幼虫が、なんかね、あの、口からブエーって、ロウみたいなのを吐き出す習性があるんだって。
あー、はいはい。
それを、あの、日本だったら蚕を飼ってたみたいにして、養殖をして、で、そっからロウを集めて、で、それでロウソク作るみたいなのがあって。
うん。
だいたい輸入品。
輸入品。
うん。で、それまで貴族だったんだけど、武士なんかも少しこう、えー。
うーん。ほうほう。うん。
この時に、あの、東南アジア原産のウルシカの植物から、えー、ロウが取れるというのが、こう、だんだん伝わってきて、これいいじゃん、ということになるんですね。
ほう。
だからやっぱり、あの、戦国時代って言うけど、ちょうどね、あの、大航海時代と被る時なんで、東南アジアとの交流もさらに盛んになる時代なんですよね。
はい。
はいはいはい。
うん。で、ここでウルシカのハゼノキとか、ウルシとかその辺がすごく栽培されるようになって、この木籠って言うんだけど、その樹木から取れるロウを使ってロウソクを作ります。
あ、樹木なんだ。
そう。
へー。
うん。あの、えー、ウルシカハゼノキの果実。
果実?
うん。実の部分ね。
あ、実の部分?
うん。これを蒸して、で、ギューっと圧削すると、種とか実の部分からロウのもとになるものができるんだって。
へー。
うん。
で、濃厚くやるとすげー、それで一応いっちゃうんだけどさ、まあまあザクってね。
うんうん。
なりましたと。
はい。
で、ここから塗り固めるのが徐々にできてくるらしい。
あ、そうなんだ。
うん。
えー、ちょっと、あ、だいぶ後。
そう。で、江戸時代になってやっとその木籠を使った和ロウソクが、だんだんとこう進歩していく感じね。
あー、そうなんだ。
で、最終形ですげーことになる。
最終形?
うん。これちょっとね、本編の方にも若干絡みそうな絡みそうでないような感じなんだけど。
おー。
あのね、和ロウソクと洋ロウソクっていうのがあって。
和ロウソクと洋ロウソク?
要は日本のロウソクと大陸とかヨーロッパ系のロウソクね。
はいはい。
で、どうやらね、そのロウソクって交流もあるんだけど、結構ね、独自にそれぞれに勝手に進化してたみたいなこと書いてあってさ。
おー、そうなんだ。
うん。で、初めの頃やっぱね、蜜蝋が多いみたいね。
蜜蝋が多いんだ。
へー。
で、エジプトとかでも蜜蝋だし、ヨーロッパでも蜜蝋らしいんだけど。
うん。
そのうちに、ヨーロッパの方はクジラの脂とか、あと魚の脂とか、そっちの動物性の方が主になってくる。だって。
おー、そうなんだ。
で、日本とか中国とかも割と植物性の脂が強くなってくる。
うん。
なんで、カイガラムシじゃなくて、イボタロウムシとかの動物性のやつと、あとはウルシカのやつね。
日本はほとんどもう植物性になっちゃった。
ほー。
で、これシーンが超面白くて。
どうでもいいんだけどさ、音笛かけないんだけど。
シーン。
シーンがね、作るときに竹串みたいになるじゃん。串。
うんうん。
木の串とか竹で串作るんだって。
はいはい。
で、この串をくるっと和紙で巻くんだって。
和紙で巻くんだ。
うん。一回ね、くるっとくるみますと。まずね。
へー。
そうすると、紙の筒みたいなのができる状態になるよね。
うん。
中にシンボで木が入ってるみたいな。
うん。
で、これいぐさかの植物とかを使ったから取れる繊維でこう、らせん状にぐるぐるぐるぐるぐるーっと巻きつけていく。
ほーうん。
一重のコイルみたいな感じね。
はいはい。
で、ずーっと巻きつけてって、で、それ巻き終わったら、今度綿でくるみますと。
うん。
で、この状態にえーと、木ろうを塗って乾燥させて、乾燥したらまた塗って乾燥させてっていう、あの例のやつね。
うんうんうん。
超大変なやつをやっていくと。
あー、あのー、そのコイル状のやつがスタートなんだ。
そう。
あー、そうなの?
で、ここでね、何がすげーって、全部出来上がるじゃん。乾燥し終わるでしょ。ろうそく出来ましたーってなったら、
うん。
真ん中の最初の櫛ね。
うん。
抜くのよ。
抜くんだ。
うん。あと真ん中がさ、空洞になるじゃん。
なるほどね。
これがね、すごいらしい。
どういうこと?
うん。真ん中に空気の通り穴があるじゃん。
はいはい。
だから、燃焼する炎の温度自体は若干低いんだけど、
うん。
空気があることによって炎でかくなるんよ。
おーおーおーおー。
ほら、あの、最近見ないけど、ガスコンロとかでもさ、ちょっと昔のやつだったら、空気の量調整できたりするでしょ?
うんうん、あったね。
で、ガスコンロで青い光よりも赤い炎にしちゃった方が、炎もでかくなるし、えーっと、熱量は下がるけど、明るいの大きさは大きくなるじゃん。
うんうん。
焦燥っていうの。
うん。
その状態を、このね、芯の真ん中を空洞にすることによって起こしてるんだよ。
へへへ。
すげーくねこれ。
そんなギミックあるんだね。
うん。
これね、江戸時代くらいにできるようになりましたっていう話。
へー、ろうそくすごいんだね。
だからね、陽、陽ろうそくに比べて、およそ2、3倍明るいって書いてあったよ。
あー、そんなに?
うん。
へー。
で、しかも、その、風の流れとかなんか、いろいろあるんだろうね。
うん。
その、炉を吸い上げるスピードもすげー速いから、風が吹いてもちょっと消えにくいし、
うん。
で、あの、炉だれもしない。要はきれいにちゃんと燃やしきっちゃうから。
あー、内側に内側に溶けてるからね。
で、外にあんまりダラダラこぼれにくくって、油塩も少なくて、すごいいいよね。
へー。
あー、まあ確かにあの、海外のあの、なんだろう、えーと、教会とかのさ、シーンで見るろうそくって、めっちゃ外垂れてるもんね。
うん。あれに比べて日本のが少ないんだって。
あー、そうなんだ。
ただ、あのね、バチクソ高い。
あー、1本あたりがね。
そう。もちろんね、その、江戸時代くらいになると、日本全国のなんとかはんなんとかはんで、
その、商品作も作るように奨励するじゃん。
うん。
その中に、漆とか、その、はぜの木頑張って作れよーみたいなことやって、あちこちでろうそく作り始めるのよ。
うんうん。
なんだけど、手間かかっとるけんね。
はいはい。
やっぱ高くて。
まあ、高くなりがちだよね。
で、江戸の終わりくらい、1800年代くらいになって、文化分析になると、やっと庶民の手に届くくらいまでは来るんだけど、
うん。
やっぱね、日常の明かりではなくて、わりとリッチな商人とか、武士の人たちの、
それも儀式の時に使う程度。
うーん。
だから、えっと、前々前回のあたりとかって、平安末期から鎌倉時代、戦国時代の話してるわけじゃん。
はいはい。
ちょうどあの、大山崎油沢の話だからね。
うんうん。
あの時代って、まだ和ろうそくが出るか殿下くらいの話だし、
ああ、そうなんだ。
出てきたとしても、すげえ高い。
はあ、まあ、それ、そうじゃなきゃ油普及しないもんね。
そう。
だから、その、高級品である油、あ、違う、油じゃねえ、えっと、ろうそくが使えなくて、
で、その代わり油を、あかりとして使ってます。
うん。
で、その中の最高級品が、ゴマだったりとかするわけね。
うんうんうん。
で、一番安いのが、魚の油とか。
はいはいはい。
くせえんだ。
魚の油ね、ほんとに燃えるのかね。
燃えるって。
燃えるんだ。
うんうん。
へえ。
で、あの、臭いだけじゃなくてね、やっぱり、あかりの、明るさが低い、焦度がすごく低い。
うんうんうんうん。
炎が小さいからね。
はい。
だから、すごくくらぼったい状態でやるから、
農民とかは、そんなに夜長く起きてられないよね。
そうだね。
うん、みたいな感じになる。
あー、確かにあの、防災の、なんか、役立ち情報みたいなので、
あの、シーチキン缶の油で火を焚くっていうのがあるよね。
うんうん。
あれ植物油だよ、中村さん。
あれは植物油やね。
そうだよね。
うん。
あれでも燃えるんだなっていうのも。
燃えるんだね。
うん。
ね。
まあ、やってることは、原理的には一緒だからね。
うんうん。
ただその、油の質とか、その、構造の作り方によって、
明かりの強さっていうのが違う。
うんうん。
ちなみに、あの、いつだったかの回で、
割と、吉原裕覚の話したじゃん。
あー、したね。
で、なんか、春になると、桜の木を何百本も植えてさ、
ライトアップしてみたいなのあるでしょ。
はいはいはい。
あれが、和ろうそく。
あれが、和ろうそくであんの?
さあ、死ぬほど金かかってる。
まあ、あの、桜の木を持ってくる時点でね、
うん。
ろうそくの何百倍も金かかってるからさ、
それに比べたら安いのかもしれないね。
うん。
まあ、どうなんだろうね。
それ365日燃やし続けとるけどね、あそこは。
まあ、それくらいのお金が動くから、
あの、ろうそくもできるし、桜もできるし、みたいな。
まあね。
あの、1日で億単位のお金が、
現代の価格で言ったら、1日に億単位のお金が動くような、
そういう場所ですからね。
すごいなあ。
本当に花街だったのね。
そういうことだと思いますよ。
というのが、あの、補足情報でした。
はい。
だいぶシャク食ったけど。
だいぶシャク食ったけど、
ちょっと面白かったんで。
うん。
ちょっと喋ってみました。
ということで、本編に行きますよ。
はい。
じゃあ、本編お願いします。
はい。今回は、ニューワールド、ゴマの東西合流。
ニューワールド、ゴマの東西合流。
はい。
ニューワールドっていうと、いわゆるアメリカ大陸のことを言うことが多いんですよね。
ああ、はいはい。
うんうん。
で、ここにどうやってゴマが流れ込んでいったのかって話なんですよ。
うんうん。
で、実はこれ、あの、本当に合流点でして、
ゴマがね、東回りだけじゃなくて、西回りをしてるんですよ。
西回りをしている。
うん。
ゴマの原産地、発祥の地と呼ばれているのが、スーダン。
うんうん。
やりましたね。
アフリカは。
アフリカ大陸の東の海岸沿い、端っこ。
はいはい。
あの辺りから、だんだんとこう、ヨーロッパ方面行ったりとか、中東の方通って、インド行って、中国行って、日本行ってみたいな話、やったじゃないですか。
うん、やったね。
これね、ここまでの話、全部東回りなんですよ。
あー、東回りか。
そうか、右に回ってきたなね。
同じ大陸の中で、西に行かない方が不思議じゃないですか。
はい。
ちゃんと言ってるんですよ。
あー、言ってるんだね。
で、いつこれが西に向かって伝播したかというと、紀元前4000年以前。
紀元前4000年以前。
よりも前、そう。
前か。
うん。
紀元前5000年とか6000年とか、そのくらい。
うん。
はいはいはい。
これ何の時代かっていうと、緑のサハラの時代ね。
あー、緑のサハラ。
そう。サハラがまだ砂漠になる前、サバンナ状態だった頃。
湿地帯みたいなね。
そう。湿地帯じゃないと思うけど。
湿地帯じゃないか。
草原みたいになってる時ね。
うん。
で、その辺りで、簡単な農業みたいなのが始まっていて、サバンナ農耕って言われてるんですね。
うん。
で、いろんな小さい集落とかがあって、お互いに交流してるし。
ゴマも植物だから、だんだんと広がっていくわけじゃないですか。
うんうん。
野生のやつね。
うん。
で、これもちゃんと、今で言うサハラ砂漠全体に広がっていったんだけど、紀元前4000年から3500年くらいに砂漠化しますよね。
はい。
これやりましたね。
やったね。
で、そうすると、人類も植物も砂漠の中で生きていけないんで、南下するんですよ。
ほうほうほう。
で、南下して、東西も分断される。分断までされてないけど、だんだん散っていくわけですね。
はい。
砂漠を避けるから。
うん。
で、その東側に行ったのがナイル川の辺りね。
ナイル川。
うん。
で、その下流がエジプトで上流がスーダンみたいな、そんな構図。
はいはいはい。
北に向かって流れてるけん。
あ、北に向かって流れている。
そう。ナイル川っていうのはね、地中海に向かって注いでるでしょ。
あー、確かに。
だから、その上流がスーダンの辺りなんで。
うんうん。
で、そこからこう、ナイル川沿いに広まって、エジプトに行って、エジプトから大陸を渡ってアラビア半島に、みたいな。そんな流れでしょ。
うん。
西側にはね、西側の、あの、でかい川があるんですよ、ちゃんと。
へー。
今のナイジェリアとか、ニジェールとか、マリとか、ギニアとか。
ほう。
あっちのほうね。
これか。
うん。あの、分かりづらいと思って、地図貼り付けてね、僕が手書きで国の名前簡単に入れといたんだけどさ。
あー、これね、台本に貼ってある。
うん。
これ、これないと、俺、よく分かなかったよ。
分かんないでしょ。
うん。
これ、あの、ニジェール川って川なんですよ。
ニジェール川って川。
うん。これね、グーグルマップなんかでも見ても分かると思うんですけど、まあ、現代はね、あの、都市化が進んで綺麗に発展してるんだけど、このニジェール川という川の流域に、やっぱり、その、緑の地帯が広がってる。
へー。
まあ、当たり前なんだけどね、ナイル川の流域が、肥沃な、あの、土ができるみたいなのと一緒で、
はい。
タイガーであるニジェール川の流域に、緑の地帯ができますと。
うんうんうん。
で、ここに、その、紀元前3000年、4000年の頃に人々が移り住んで、えー、集落を形成していきましたと。
うんうん。
という感じね。で、後に、あの、でかい文化圏とか作られたりするし、一説にはカルタゴとか、今の、なんだろう、チュニジアの辺りかな、地中海辺りの、えー、国と交流があったんじゃないかっていう風に言われてるんですけど。
うんうん。
カルタゴって分かんないね。
カルタゴは分からん。
はい。
ハニバルがいたとこね。
ハニバル。
うんうんうん。
まあ、それはもっとずっと後の時代だけど。
はい。
まあ、そういうところと交流がちょっとあったりしながら、ここにはここの独自の西アフリカ文化圏っていうのが形成されます。
うんうん。
で、この、えー、ニジェール川の支流に、あの、ベヌエ川ってあるんですよ。
え、ベヌエ川。
うん。ベネ川とかベヌエとか言われてるんだけど。
うん。
まあ、支流があるんですね。で、この辺りがどうやら、その、すげえ昔から、ほんと紀元前だったんですよ。
本当、紀元前、数千年の頃から、ゴマの栽培がずっと行われた地域らしい。
あー、そうなんだ。
うん。ただ、もう、地図見てもらったら分かるけど、ギニワ湾の辺りでしょ。
はい。
もう、ナイジェリアとかガーナとかゴートジボールとかあの辺。で、こっから西側って海じゃん。
あー、海だね。
うん。だから、行き止まりなのよ。当時の感覚では。
行き止まり。
そう。
あー、そっか。海でその向こうに島見えないからね。
うん。もう、陸続きでもないし。
はい。
海洋も全然航海とか行ってないから、ここで行き止まりなわけ。
うんうんうん。
で、ゴマはここでずーっとストップしてたわけ。
ふーん。
育つよね。
井戸が大体ね、近いんで。
うんうん。
うん。
で、当然なんですけど、この時に持ち込まれたのは、
うん。
熱帯型ね。
熱帯型ね。
はい。
うん。
当たり前の人はアフリカだからさ。
うん。
アフリカに温帯型、まず何か。
生まれないから。
生まれない。
はい。
はい。
うん。
原種に最も近い栽培種である熱帯型が、そのまんま、同じく熱帯地方の、
アメリカ大陸。
うん。
中米辺りだね。
はいはいはい。
あの辺に持ち込まれると。
はぁー。
そういうことね。
うん。
これね、あれなんだって、その、もともとアメリカ大陸の中には、
あまりね、
えー、
油脂作物がなかったっぽい。
油脂作物って言うと油が取れる。
そうそうそう。
がなくてね。
うん。
結構重要なんですよ。
その、油脂とかタンパク質源として、たぶんジャガイモは、まあ、なかないけど、
ほとんど油脂じゃないじゃん。
まあ、ジャガイモから油を取るっていうイメージはないね。
トウモロコシも油脂あるけど、まあ、日本のと比べるともうちょっと違うので、
うんうん。
あれ、どっちかっていうと炭水化物寄りですよね。
はいはいはい。
そういう文化圏のところに、やっぱ油脂作物としてゴマというのは結構貴重で、
うん。
で、えー、割と初期の頃だね。
16世紀、17世紀、18世紀にかけて、その、中米から南米の北のあたりで、
ゴマの栽培がだんだんと拡大していく。
うんうんうん。
産業化するほどじゃないけど、こう、だんだんと拡大していくみたいな感じですね。
あー、そういう感じなんだね。
うん。
で、これ、さっきあの、冒頭でゴマの東西合流って話しましたよね。
はい。
実は、
ぐらっと、
東から、
これからもうやってくるんですよ。
ぐらっと東側から。
そう。つまり、えー、ゴマの最終着点、一番東の端っこはジャパンなわけですよね。
おー、そうなのか。
はい。日本がもう東の果てなんですよ。
あー、まあまあ、そっから太平洋だからね。
うん。まあ順番的に、朝鮮半島も割と緯度的には近いですけど、あ、経度的には近いですけど、
うん。
でも、あの、ルートを考えると、最終着地がまあ日本みたいな感じになるわけですよ。
うんうん。
で、この日本で、えー、改良された温帯型、もう、たくさん種類が生まれますからね。
うんうん。
生まれるっていうか、生まれてたんですよね。
うんうん。
これが、ぐるっと海渡ってアメリカにも行く。
アメリカに行くんだ。
そう。で、これでアメリカ大陸でドッキングするみたいな感じなのね。
はー、あー、アメリカでくっつくんだね。
そう、そうなんですよ。
で、俺は面白いなと思うのが、例えばその、スリーナムとかね、コロンビアとか、ベネズエラとかメキシコあたりは中米だからさ、あの、
あったかいっていうか、暑いじゃない。
まあ、暑いね。
熱帯じゃん。比較的ね。なんだけど、あの、ペルーの高地とか、アルゼンチンの南の方とかって、緯度が高いんで寒いわけですよ。
あー、寒いね。
アルゼンチン全然暑くないからね、南の方行っちゃったらさ。
ほうほうほう。
だって、緯度が高いってことは南極に近いってことだね。
あー、そうだね。
うん。で、そこで育てられるかっていうと、熱帯型は無理なんですよ。
うんうん。
で、ブラジルも南の方行っちゃったら結構きついんですよ。
あー、そうなんだ。
あの、だんだん気温が下がってくるから、熱帯型がまだ、熱帯型のまんまだからね。
はいはいはい。
あの、東回りで温帯型が生まれたのって、すごい数百年の時間かけて温帯型になってるんで、
うんうん。
あの、1600年代にポコーンといって、1700年代にはい温帯型ですってわけにはいかないわけよ。
あー、まあまあ、そうだね。
ね。
確かに。
そこに、1800年代の終わり頃になって、まあいわゆる日本で言ったら明治ですよ。
うん。
明治の時代に、日本人が、
え、
大学であちこちの国に行くわけですね。
はいはい。
それこそ、やっぱり佐藤のシリーズの中で、日本人がハワイ移住だとかって話あったじゃないですか。
あー、あったね。
うん。それと同じように、アメリカに行ったりとかカナダに行ったりとか、いろんな国に行くんですね。
うんうんうん。
これはあの、単純な話、もともと江戸時代までは、日本人の人口って3000万人前後だったんだけど、
うん。
明治時代になって急激に人口増えたんですよ。
あー、そうなんだ。
5000万人とか6000万人とか増えてって。
あー、めっちゃ増えたね。
いきなり倍数化みたいな。
あー。
なると、あ、やべえやべえってことになるじゃないですか。
はあはあ。
食糧的にね。
うんうん。
で、実際当時の有識者たちも、この人口は支えられないでしょ。日本人1億人とか来たら、もう国滅びますみたいな考え方をしていて。
うんうんうん。
まあ今こうやってるけど。
こうやってるね。
それは農業生産量的に無理ですよって、まあ実際無理なんですけど、現代でも。
うん。
なんで、えー、海外に出ましょうみたいな政策になっていって、まあすげえ雑な説明してますよ。
はい。
明治、大正、昭和の初期までに、えー、全部でどのぐらいだ?北米で37万人、中南米で24万人、東南アジアその他含めて16万人なんで、30、40、77万人。
そんなにいってたの?
そう。
はあ。
が、わっとこう移住してくわけですね。
すごい数だね。
これ結構、あの、悲惨なんですけどね。大変なんですけど。
ほう。
行った人たち、ものすごい苦労されてるんで、あの、気になる方はご自身で調べてほしいんですけど。
うんうん。
この時に移住した人たちが、やっぱり日本の種を持ってったりしてるみたいね。
あー、そうなんだ。
で、そのね、細かい経路はわかんないんですけど。
うん。
僕が、あの、参考書籍として読んでる、ごまの来た道という本があるんですね。
うん。
1980年代に書かれた本かな。で、この本を書かれた小林博士、小林貞作という先生がね、書かれた本なんですけど。
で、この方が、もう日本どころか、もう世界的にもごまの研究の第一人者みたいな人なんですよね。
うーん。
で、この方が、その、アメリカ大陸のごまについて少し研究をされた時に、あれ、なんでこんなとこに温帯型あんの?みたいなって。
あー、はいはいはい。
え、アルゼンチン?いや、ブラジルおかしくない?みたいな。
うんうんうん。
で、その、遺伝系質とかを調べたら、最も近い遺伝系質を持ってるのが、日本の温帯型ごまだった。
あー、そうなんだ。
で、これをルーツをさかのぼっていったら、あー、この移民政策か、みたいな。
あー、持っていったんだ、と。
うん。で、ガッとガッチャンコすることになったと。
うんうん。
いうことなんですね。はい。
あー、本当にみんなガッチャンコしたんだね。
本当にガッチャンコした。
うん。
で、実はその、このね、小林先生ってすごい方で、本当に日本の国内でも、あの、放射性、なんだっけ、品種改良?
うんうん。
あるじゃないですか。
はい、放射線を見させてね。
そうそうそう。
うん。
で、いろんな品種をどんどん作っていくんですよ。
うん。
で、もう、ちょっと一覧で読んだんですけど、すげーたくさんあって覚えられないし、紹介しきれないなと思ってやめたんだけど、結構いろんなパターンをこう、生み出していて。
へー。
なんかね、紫色のゴマとかもあるんだけどさ。
紫色のゴマ。
その名も紫シキブって書いてあって、ちょっと笑っちゃったんだけど。
紫シキブ。
うん。その、あのポリフェノールのね、アントシアニンの生成の具合がちょっと違うよみたいなので、そういうケースが出たりとか。
あー、アントシアニン。
そうそう、するらしいんですよ。
はい。
で、この方の功績が結構でかくて、で、その、もちろん品種回路もやるし、その、ゴマの栽培環境がどういうのが適してるかとか、その、農学的にいろいろ研究をされてる方だったんですね。
へー。
で、この小林先生だけじゃないですけど、この先生を中心にいろんな国のゴマの研究をするようになっていったので、そのゴマ栽培を盛んに行っている国、もしくはかつてやっていた国。
はい。
ほうほう。
で、ベネズエラなんかももう国を挙げて研究しますみたいなことまでやってたんですよ。
へえ、そんなことしてたんだね。
品種改良も独自に頑張るし、機械化も進めていくしみたいなのやってて、
で、このベネズエラとかメキシコで作られたゴマが輸出されていって、その輸出先がアメリカだったりしたわけね。
うんうんうん。
そしたら、あれ、なんかすげえ、すげえよくね、みたいな感じになって、
で、とうとうアメリカ合衆国の中の大学の人たちがゴマのことを研究し始めるんですよ。
ふーん。
で、ここでね、戦後、1946年ぐらいだと、ちょうど戦後ぐらいですね。
ここでGHQを経由して、小林博士とこのアメリカの大学がちょっと研究の交流が始まったりする。
へえ。
で、そう。
で、すごいのが、面白いなと思うのがね、1946年。
ほう。
太平洋戦争が終わったのが1945年なんで翌年ですね。
うんうん。
日本で言ったら昭和21年。
昭和21年。
はい。イエール大学、有名ですね。
イエール大学ね。
イエール大学の研究者によって、とあるとんでもない品種が見つかります。
とんでもない品種。
発見されるんですね。
へえ。
場所は、ベネズエラの農場。
ベネズエラ。
うん。
まあまあ、ベネズエラがゴマの栽培頑張ってたんで、先行してたんで。
はいはい。
で、距離的にも近いんで、そこのサンプルをもらって研究とかしてたらしいんですね。
うんうん。
で、一期一期もしてたみたい。
へえ。
現地に行って研究するみたいなことやってたらしいんだよね。
うんうん。
そしたら、あれ、このゴマ、完全に成熟してるのに、作花が開かない。
作花が開かない。
うん。あれってさ、ゴマとかって、放射線管みたいにパンって弾けちゃうわけじゃん。
ああ、弾けるね。
弾で飛ばしちゃうじゃん。
うんうん。
蕎麦もそうだったよね。
うん。
けど、新しく見つかった品種って、成熟してるのに、弾けないまんまなのよ。
へえ。
これ、なんだこれって。
で、このイエール大学の研究チームは、これにめちゃくちゃ注目をするの。
うんうん。
これ、なんでかっていうとね、もう既にわかる人は、わかってると思うんだけど、
砂糖プランテーション的な大規模農業っていうのが、アメリカ大陸では当たり前です。
うんうん。
アメリカの南部の州ね、テキサスとかいうとこね。もうドーンってやるのが当たり前なわけじゃない。
はい。
ジャガイモにしても何にしても。
うんうん。
で、そんな状態でゴマ作ってると、パンって開いちゃったらさ、ダメなわけじゃん。
まああの、収穫した蕎麦からね、全部弾けてったらね、使えないよね。
弾けた後には収穫しようがないみたいな感じじゃん。
そうだね。
うん。で、弾ける前に収穫しなきゃいけないんだけど、当時まだ手作業が中心だったり、機械も限度があったりするんで、
はい。
大規模農業をやろうと思ったら、え、何百人で刈り取ればいいの?みたいな話になるでしょ。
確かに。
同時にやらなきゃいけないからね。
そうだね。
一日に釣れたらダメだし。
そうね。同時に植えたら、同時に植えれば同時に取らなきゃいかんもんね。
うん。そうすると、何百人かで植えて、何百人かで回収して、あとはそんなに何百人もいりませんみたいな状況になっちゃうから、だからあんまり広がらなかったっぽいんだよね。
ほうほうほう。
だけどね、開かない品種が。見つかっちゃったんだよ。
うん。
めっちゃ便利だね。
開け、いや開かないみたいな。
ちょっと笑っちゃったのがさ。
うん。
このゴマ料理コンテスト、1位の賞金がね。
うん。
2万5千ドルなのよ。
2万5千ドル。
うん。
これ、ピンとこないでしょ。
うん。
2万5千ドル、今だといくらだ?1ドル150円として、みたいな。
あー、まあ、単純に100円でも250万。
前から400万。
250万だから、まあ、その半分を足したとして、400万。
400万くらい?
うん。
現代だとそんな感じじゃないですか。
うん。
この当時ね、最新式の新車が1000ドルなんですよ。わかります?
うんうん。最新式の新型?
新型の、新車、車ね。
はいはい。
の、あの、最新式のやつが、当時1000ドルで売り出されてるんですよ。同じ年に。
え、そうなの?10万とかね、今。
はい。で、1955年のニュース記事をちょっとピックアップして読んでみたら、面白いのが、最低賃金がついに1ドルの大台に乗りましたって書いてある。
おお?最低賃金?
そう。が、1ドルになりましたっていう状態なのね。
1ドル?
うん。
はあ。
今だって、日本だったら1000円前後だったりするじゃないですか。
うんうん。
900いくらとかね。
はい。
で、この当時、1ドルだから、1ドルが、まあ、日本人の感覚で言ったら1000円くらいの感覚なんですよ。
はあ、はあ、はあ。
2万5000ドル、やばいよマジで。
1ドルが、1ドルが1000円?
うん。
100円が1000円?
うん。
10倍10倍?
10倍。
ん?
100円が1000円。
うん?1000万の世界だよ。
そうだね。
2万5000ドルったら、まあ4000万とか5000万。
4000万か。
もっといくんじゃない?
5000万いくよね。
で、同じ年のメジャーリーグベースボールのスーパースタークラスの年俸、ついにこの年、年俸5万ドルを超える選手が登場みたいな。
はあ。
え?
え?
5万杯優勝したら2万5000ドル?みたいな。
すごいね。
すごいことですよ。
へえ。
そのぐらい、お金をかけてでもやるべしみたいな意気込みが感じられますよね。
そうだね。
1位ででしょ?
うん。
そこにも絶対あるもんね、2位以降もね。
思うんだけどね。まあだからこういうことをみんなで力を入れてやったのもあるし、なんかもうゴマ自体にそういう潜在能力が高いからさ。
だってもう今まで実績あるじゃん。ヨーロッパにしてもアジア圏にしてもさ、これだけゴマって普及してるわけだから、アメリカで普及しないはずないじゃん。
そうだね。むしろアメリカ最後までよく残ったっていうぐらいだよね。
うん。
よし、キャッチアップするぜ!みたいなのかわかんないけど。
うん。
一気にドーンっていって、それが見事に酵素をして、アメリカにゴマの市場ができるわけよ。みんな欲しがるから。
うん。
はい。で、この時代に全く並行して会社を起こしたのが、アンダーソンブラザーズ。
アンダーソンブラザーズ。
はい。セサミストリートのね。アンダーソン兄弟ですよ。
はいはいはい。
お兄ちゃんジェームス、弟ロイね。
へー、そうなんだっけ。
そうなんですよ。
うん。
えっと、アンダーソン兄弟、特に弟のロイが、
うん。
まあ、兄弟元々ね、ただのゴマ好きだったらしいんだけど。
ゴマ好きなの?
ゴマ好きなのよ。
そうなんだ。
で、生まれも育ちもテキサス州の人なんだね、この人ね。
はいはい。
で、テキサスってアメリカの南部だからね、割と近くに砂糖農場とかいろいろあるんだけど、ゴマを作ってるとこもあったらしい。
うん。
割り貸しね、あったと。で、ジェームスはそうでもないけど、弟のロイの方はもう大学で農学を専攻していて、で、その中でも特に農業と食の関係がある。
農業と食の関係とは何かみたいなのとか、あと健康長寿っていうのは食とどう関係してるんだみたいなのを、ものすごく関心を持って研究してたらしいよね。
へー。
で、それと元々ゴマ大好きだったから、ガチャーンってくっついて、あ、ゴマ、ゴマやらなきゃみたいな。
そうなんだ。
まあ、あの、その専門知識のあるゴマファンね。
そう。もうスーパーマニア。
まあ、ゴマオタクだね。
うん。
うん。
で、その時、ゴマだよ、ゴマ、ゴマだってば。いやいや、とにかく、だからゴマなんだって、みたいな。
とにかく広めるべしみたいな。
はあ、はあ、はあ。
で、この彼らの活動の中で、ミラクルヒットを飛ばしたのは、さっき言った4つの、まあ4つだけじゃないけどね、特にドレッシングとか大ヒットしたっていうのもあるんだけど、もう1つの大ヒットが、マクダナルド。
ん?
マクドナルド。
マクドナルド。
の、バンズのゴマ。
バンズのゴマ。
うん。
まあ、確かにゴマは付いてるよね。
付いてるよね。
あのね、1950年代に、まあ、1940何年かに、マクドナルドの1号店って確かにオープンしてるんだよ。
うん。
なんだけど、まあ、マクドナルドの歴史話すとすげえ長いから、ばーっと飛ばすけどね。
ほう。
いよいよ曲折あって、フランチャイズが始まるわけ。
うんうんうん。
もう1週間どっかだかちょっとおっしゃったけど。
はい。
それの第1号が、登場するのが1955年なんだわ。
1955年。
はい。
ほうほう。
いいすか?えっと、アンダーソン兄弟が作った会社の、えっと、設立年が52年。
うんうん。
その3年後に、マクドナルドがフランチャイズ化。
はい。
ここのタイミングで、ロイは、マクドナルド、まだギャーと生まれたよちよち歩きのマクドナルドとタッグを組んで、
うん。
コースバンズにゴマをこう付けるっていうのをやる。
はあ。
で、あの革新的だったのは、そのゴマを機械的に皮剥きをして、で、このゴマをペタペタ貼っ付けた状態で焼いても白いまんまだし香りがいいみたいな。
あれ、貼り付けたまんま焼いてんの?
そうそう、そうらしいよ。
そうなんだ。
だから、これはいいねって言って。で、ほら、あのちょうどゴマ料理コンテストの55年じゃん。
55年。
うん。
いや、みんなゴマうまいじゃん、いいじゃんって言ってる全米がちょっと盛り上がり始めた時。
ちょっと盛り上がり始めたタイミングなのよ、これちょうど。
ほうほうほう。
ここにガチャーンっていって、で、ご存知の通りですが、マクドナルドはこの後大躍進しますよね。
うんうんうん。
そこにおろすバンズ、みんなゴマ付くようになるんだよね。
そうなんだ。
そしたら、ゴマの需要えげつないでしょ。
うんうん。
1日に何千個何万個って売らなきゃいけないから、バンズだけでも。
そうだね。
そしたら、アメリカ、国産のゴマが足りないから、そのロイのツテがあったみたいな。
うん。
そしたら、メキシコとかベネズラから輸入するようになりました。
うん。
けど、それでも足らなくなっちゃったんだよ。
うん。
どこから輸入するとか言ったら、もうコストが高すぎて無理とかっていうことになっちゃって。
うんうん。
はぁ、作るか。
作ったんだね。
そう。で、テキサス州で土地をドーンと買って。
はい。
めちゃくちゃ減るとかね。
よし、農場作るぞ!って言ったんだけど、その買った土地っていうのが、雑木林だったりとか、草原だったり、湿地帯だったりとか。
へぇー。
でも、買い込んしなきゃいけないじゃん。
うん。
ほぼほぼ人力で。
うん。
で、この買い込んを手伝ってくれたのが、その当時、取引先だった、輸入元になってたベネズエラの人とか、メキシコの人たちに声をかけて来てもらって。
うんうん。
で、同じく、もともと南部、テキサス州っていうのは、黒人奴隷の子孫たちが労働者としていたので、彼らにも声をかけて、で、一緒にアンダーソン兄弟が新しく買い込んする農場をみんなで高安、買い込んするってことを始めた。
はぁー。
で、ここから第一話の、あの、セサミストリートの物語へ繋がっていく。
あぁ、そうなんだ。あ、それで自宅農場を作ってね。
そう。
じゃあ、まあ、労働者が集まっていた場所が、まあ、セサミストリートになっていくっていう。
そういうことです。
うん。
で、ちょっとね、あの、暇つむしにというか、ちょっと同じ、このぐらいの時代感ね。
うん。
何があったのかなーっていうのを、こう、パラパラと、関係のないニュース記事とかを読んでみたんですよ。
はい。
1960年代のニュース記事をね。
うん。
アメリカってどんなかったのかなー、特に南部ってどうだったのかなーって見るとね。
はい。
1960年代は、もうとにかく、人種差別問題がすごい時代。
そうなんだ。
うん。それもね、なんか、黒人差別とかそういうんじゃないよ。もう、白人かそれ以外かっていうのでものすごく人種差別がある時代なのね。
はいはいはい。
だから、メキシコ人の子も迫害されうるし、日本人の子も迫害されうるしっていうような、そういう状況なんですよね。
うんうん。
で、この、まあ細かいことは割愛しますけど、その人種差別問題が根っこにあった上で、その表出の一部として現れた事件がいくつか、2つあって。
うん。
1つは、1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ暗殺。
あーはいはい。
ありましたよね。
ケネディ大統領?
そう。
うん。
大統領ですね。えー、これあの、ケネディはあんまりこう、人種、まあ、やめとく。
この話はちょっと長くなるし、また間違えると大変だから、ちゃんと調べて言うか、まあ言わないかもしれないけどね。
うんうん。
調べて調べて。で、その後、5年後には、マーティン・ルーサー・キング・ボクシー。
あー、キング・ボクシー。
が、1968年4月4日にやっぱり暗殺されますね。
あー、68年なんだね。
で、この間の5年間にキング・ボクシーは、投獄されたりとかね。
うんうん。
そういう、ぐだぐだぐだぐだしてるわけですよ。
はい。
ちなみに、ケネディ大統領が暗殺されたのはテキサス州で。
あ、テキサス州なんだ。
うん、遊説中にね。
へー。
まあ、そういう時代感ですよ。
はいはい。
で、彼ら、アンダーソン兄弟、セサコっていう会社もテキサスがベストじゃないですか。
うんうん。
だからね、特に南部の州は、その人種問題に非常に敏感だったんじゃないかなって、これ僕の想像ですよ。
うんうん。
というのもあって、その環境下で、アンダーソン兄弟が、なぜ、あのセサミストリートの元になるような学校を開いたのか。
うんうんうん。
なんとなく透けて見る気しません?
そうだね、確かにね。まあ、教室っていうか、勉強する場所を作るっていうのもね、すごいよね、このタイミング。
あの、ロイ・アンダーソン弟ね。
うん。
この人が社長をやってたんですけど、彼が、その、農場を開墾する時に、従業員のみんなに声をかけて、これだけは守ろうぜって言った言葉があるんですよ。
ほう。
うん。もともと住んでる野生動物は殺すな。
へー。
もう、頑張って、まだ原生理残ってるから。
だから、そっちに追いやってくれ。
うんうん。
これだけは守ってくれっていうもとで、2年間かけて開墾してるのね。
そうなんだ。
そういう人なんですよ、この人。
へー。
で、もともと、その、アメリカにとって、というか、我々にとって、このエリアに同じく住まう仲間にとって、ゴマは、ゴマが持つ栄養っていうのは絶対体にいいはずだ。
うん。
健康調子にいいはず。だから、だからみんなゴマ食べようぜって言って会社を起こしてるような人なんですよ。
うんうんうん。
だからですね、そのね、人種差別するがり回るはずがないんですね。