1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #211(s23-18) New World 〜ゴ..
2023-12-26 1:08:02

#211(s23-18) New World 〜ゴマの東西合流〜【修正済】

サマリー

食べ物ラジオは、少し変わった経歴を持つ料理人の兄弟が、食べ物の知られていない世界を学ぶラジオ番組です。忘年会シーズンに関連する話題から、日本のロウソクの歴史や製造方法について詳細に解説しています。また、ニューワールドやゴマの東西の融合についても話し合っています。ゴマはスーダンが原産地で、紀元前4000年以前にサバンナ農耕地帯を東回りで広がり、紀元前3500年頃には南下して砂漠化したサハラ砂漠を避け、ナイル川の支流や西アフリカ文化圏に広がりました。しかし、西への急速な拡散は大航海時代以降の出来事です。ベヌエ川流域の人々が「ベヌエ」と呼んでいるゴマは、アフリカからアメリカにもたらされ、明治時代には日本にも広まりました。明治時代に日本人が海外に移住したことで、ゴマの種も世界中に広まることになりました。一部の国ではゴマの研究が盛んに行われ、日本やスーダンを中心に国際交流と協力関係が築かれています。アメリカでは戦後にゴマの研究が始まり、イェール大学で新しい品種が発見されました。1955年にはアメリカでゴマ市場が形成され、ゴマを生産する農家が増え、ゴマ関連商品が人気を博しました。アンダーソンブラザーズのロイはゴマ研究に携わり、ゴマを広めるための製造販売会社を設立し、マコーミック社からの出資を受けました。また、マクドナルドの歴史やセサミストリートの背景について考え、ゴマの重要性を考察しています。1950年前後から、ファーストフード化が進んでおり、バンズにゴマをまぶす文化や、バンズのゴマの前の時代のゴマ料理に興味を持っています。

たべものラジオの紹介
たべものラジオ
掛茶料理むとう、武藤卓郎です。
武藤太郎です。
このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、
食べ物の知られざる世界を、ちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です。
はい、ということで、えー、
なんかあるって最近ずっと言ってるけど。
なんかあるも何も、12月になって忘年会シーズン入りましたねっていう感じですかね。
そうだね。
去年と比べて割と、どうなんだろうね。同じくらいか、人の動きは。
うん、あまり変わってない。ただ、昨年、去年はあれなんじゃない?
えっと、第何波か分かんないけど来てて。
あーはいはい。
急激にしぼんだタイミングでもあるけどね。
あー確かに。
まあ今日は12月9日で、今日もリスナーの方がわざわざ関西の方から食べに来てくれた。
そうですね。
すごいよね。
片道、4時間かかったって言ってましたよ。
忘年会シーズンの到来
4時間?
はい。車でいらっしゃったので。
あ、車?電車じゃないの?
はい。
すご。
で、最後お帰りの際に、この後どっか行かれるんですかって言ったら、まっすぐ帰りますと。
すごいなあ。
もうね、びっくりしました。ありがとうございます。
ありがとうございます。本当にもう、なんかね。あ、すいません。あのー、リスナーの方から。
はい。
えーと、
化粧品?化粧品っていうか、なんていうんだろうね。僕は120話ぐらいで、油肌、乾燥肌の話をしてるみたいなんだけど。
はいはい。
まあなんかしたような記憶がうっすらあるぐらいなんだけど、それを聞いてですね、整形外科のされてる方が、これアトピー肌とかにもいいやつなんでって言って、わざわざ送っていただきました。
え、まじで?
そうなんだよ。
そうなんだ。
うん。
ちょ、まあまだね、開封しただけで使えてないんだけど。
うん。
えっと、基礎化粧品みたいな、基礎、え、なんなんていうんだ、基礎剤?
基礎化粧品?
化粧、あの化粧水とかそういうやつ?
はいはい。
ああいうやつが、もうなんか3本ずつ入ってるみたいな。
おーすごーい。
うん。だから、急にDMでね、ご連絡いただいて。
おー。
あのー、ありがたいことに送っていただきました。
それを僕は今知るというね。
そうね。
はい。
あのー、実はしまってあるんだけど、まだ。
へー、そうなんですね。
それを今、ここの収録場に持ってくるのを忘れたっていうのを今思い出しました。
うん。
はい。ということで、あのー、サポーターだけではなくてですね、あのー、ものでも、あのー、まあ、送っていただいてる方がちょくちょく今いらっしゃるので、大変ありがたい。
ありがとうございます。
ね、僕ら一、一般市民なのにね、なんか、本当のなんか有名人かのような。
はい。錯覚しないように気をつけましょう。
そうだね。
はい。
自分に言い聞かせて。
はい。
はい。
粛々とやっていきたいと思います。
はい。
はい。
では、本編に行きますかね。
はい。
はい。
あ、一個お知らせ忘れてました。
はい。
えーポッドキャストアワード。
うん。
えっと、今日が12月9日なんですが、12月8日、昨日から応募の募集が始まったそこで。
はいはい。
で、えっと、僕らも、あのー、今年も応募しようかなと。
申し込みをしようかなと思ってます。
で、リスナーの方の投票も。
はい。
はい。
はい。
リスナーの方の投票も、なんか1月の末ぐらいまであるそうなので、あの、是非よろしければ投票をお願いいたします。
はい。
あ、始まってるんですね。
はい。
そう、始まってる。
急に告知が来ました。
第5回と。
第5回ですね。
うん。
そろそろどっか引っかかりたいとこですね。
そうだね。
引っかかりたいけど、無理だな。
あのー、そうだね。
うん。
あの、すごいとこがいっぱいありすぎるからね。
はい。
そうですね。
はい。
ということで、今回も本編いきたいと思います。
はい。
はい。では前回からの続きです。で、今回は。
で、今回の話をする前に、一部訂正です。
訂正。
訂正というか補足ですかね。
ほう。
前、前、前回ですかね。
うん。
えー、油の神様と富と権力みたいな、大山崎油座の話をしていたと思うんですけど。
はいはいはい。
ここで、なんかあの、投票用の油って、もう明かりってめっちゃ大事だったんだねみたいな話をしたと思います。
あーしたね。
はい。その時に、えーと、ロウソクはすごく貴重だったので、一般的にはこう、油の方を明かりに使ってましたよみたいな話の中で、比較としてロウソクをちょっとだけお話をしました。
うんうん。
なんですけど、あの時に、僕とタクローの会話が、えー、ロウソクの歴史観。
はいはい。
が、だいぶぐちゃぐちゃになってたんですよ。
日本のロウソクの歴史と製造方法
あー、そうなんだ。
はい。で、えーと、Twitterで、X上でもそういったご指摘をいただきまして、本当にありがとうございます。
はい。
ということで、改めてちょっとだけ簡単に整理をしようかなと思ってます。
はい。
はい。すげーザクッと言うとですね、日本のロウソクっていうのは、奈良時代に始まります。
奈良時代。
うん。あのね、あれだね、遣唐使だね。
おー、遣唐使。
はい。もう中国の方が先なんですよ、当たり前なんですけど、めっちゃ古いんですね。
おー、そうなんだ。
うん。もう秦の始皇帝のお墓からロウソクが、痕跡のようなものがあるみたいなね。
うんうん。
そういう時代なんで、こういうのが古いんですよ。
ほうほう。
遣唐使を通じてロウソクの文化が日本にも輸入されるんですけど、この時代は買ってましたと。
おー、買ってたんだね。
うん。で、この時の材料がおそらく蜜蝋。
蜜蝋。
うん。あの、蜜鉢の、蜂の巣の原料になるやつだよね。
はいはいはい。
で、あれがワックス状になってるので、それを蝋として使ってロウソク作ったのが、日本に輸入されてるみたいな感じなんですって。
へー。
うん。で、えー、国産でロウソクが作られてるんですよ。
国産でロウソクが作られ始めるのが、平安時代の後半、終わりぐらい?
うんうん。
じゃあ1000年ぐらいになると、あの、ほら、遣唐使やめちゃうかな。
あー、やめてるね。
蜜蝋入ってこなくなって、で、日本でも蜜蝋作ろうと思うんだけど、うまいこといかなくて、で、あの、松の油使ってロウソク作るんだって。
松の油?
うん。で、それも、なんかほら、タクがテレビで見たのってさ、何重にも塗り固めて重ね塗りするみたいなのあったでしょ?
うんうん、そうだね。
あれもっとすげー後の話で。
あ、そうなの?
はい。まだ平安時代ぐらいまでって結構ね、型に流し込む方が主流なんだって。
あー、型に流し込むんだ。
うん。でね、型に流し込むというか、その、日本最初の国産ロウソクである、その松の油のロウソクね。
松の油と米ぬかみたいなのを混ぜて、こねこねして、で、そのこねたやつを笹の葉っぱで巻くの。
笹の葉っぱ?
うん。あの、血巻きみたいなやつ。
はー、あ、そんな感じ?
うん。そうやって形成して、火つけるんだけど。
うん。
で、めっちゃすぐ燃えてなくなっちゃうらしいんだよね。
あー、そうなんだ。
うん。ちょっと燃焼時間短くてめんどくせーなーみたいな。
へー。
で、次の時代だから、えーと、鎌倉時代すっとばして、室町時代ね。
室町時代?
うん。もう金閣寺ができたかな、前後ぐらいの時に、やっぱりまた中国から、その当時の最新のロウソクが日本にまたやってくる。
うん。
これ、イボタロウソクってやつね。
イボタロウソク?
うん。あの、イボタロウムシっていう虫がいるんだよ。
イボタロウムシ?
うん。
へー。
イボタロウじゃないからね。
うん。
イボタロウムシね。
あ、イボタロウムシ。
ロウムシのロウはロウソクのロウね。
あー、そういうことだね。
そうそう。で、このイボタロウムシっていう虫のオスの幼虫が、なんかね、あの、口からブエーって、ロウみたいなのを吐き出す習性があるんだって。
あー、はいはい。
それを、あの、日本だったら蚕を飼ってたみたいにして、養殖をして、で、そっからロウを集めて、で、それでロウソク作るみたいなのがあって。
うん。
だいたい輸入品。
輸入品。
うん。で、それまで貴族だったんだけど、武士なんかも少しこう、えー。
うーん。ほうほう。うん。
この時に、あの、東南アジア原産のウルシカの植物から、えー、ロウが取れるというのが、こう、だんだん伝わってきて、これいいじゃん、ということになるんですね。
ほう。
だからやっぱり、あの、戦国時代って言うけど、ちょうどね、あの、大航海時代と被る時なんで、東南アジアとの交流もさらに盛んになる時代なんですよね。
はい。
はいはいはい。
うん。で、ここでウルシカのハゼノキとか、ウルシとかその辺がすごく栽培されるようになって、この木籠って言うんだけど、その樹木から取れるロウを使ってロウソクを作ります。
あ、樹木なんだ。
そう。
へー。
うん。あの、えー、ウルシカハゼノキの果実。
果実?
うん。実の部分ね。
あ、実の部分?
うん。これを蒸して、で、ギューっと圧削すると、種とか実の部分からロウのもとになるものができるんだって。
へー。
うん。
で、濃厚くやるとすげー、それで一応いっちゃうんだけどさ、まあまあザクってね。
うんうん。
なりましたと。
はい。
で、ここから塗り固めるのが徐々にできてくるらしい。
あ、そうなんだ。
うん。
えー、ちょっと、あ、だいぶ後。
そう。で、江戸時代になってやっとその木籠を使った和ロウソクが、だんだんとこう進歩していく感じね。
あー、そうなんだ。
で、最終形ですげーことになる。
最終形?
うん。これちょっとね、本編の方にも若干絡みそうな絡みそうでないような感じなんだけど。
おー。
あのね、和ロウソクと洋ロウソクっていうのがあって。
和ロウソクと洋ロウソク?
要は日本のロウソクと大陸とかヨーロッパ系のロウソクね。
はいはい。
で、どうやらね、そのロウソクって交流もあるんだけど、結構ね、独自にそれぞれに勝手に進化してたみたいなこと書いてあってさ。
おー、そうなんだ。
うん。で、初めの頃やっぱね、蜜蝋が多いみたいね。
蜜蝋が多いんだ。
へー。
で、エジプトとかでも蜜蝋だし、ヨーロッパでも蜜蝋らしいんだけど。
うん。
そのうちに、ヨーロッパの方はクジラの脂とか、あと魚の脂とか、そっちの動物性の方が主になってくる。だって。
おー、そうなんだ。
で、日本とか中国とかも割と植物性の脂が強くなってくる。
うん。
なんで、カイガラムシじゃなくて、イボタロウムシとかの動物性のやつと、あとはウルシカのやつね。
日本はほとんどもう植物性になっちゃった。
ほー。
で、これシーンが超面白くて。
どうでもいいんだけどさ、音笛かけないんだけど。
シーン。
シーンがね、作るときに竹串みたいになるじゃん。串。
うんうん。
木の串とか竹で串作るんだって。
はいはい。
で、この串をくるっと和紙で巻くんだって。
和紙で巻くんだ。
うん。一回ね、くるっとくるみますと。まずね。
へー。
そうすると、紙の筒みたいなのができる状態になるよね。
うん。
中にシンボで木が入ってるみたいな。
うん。
で、これいぐさかの植物とかを使ったから取れる繊維でこう、らせん状にぐるぐるぐるぐるぐるーっと巻きつけていく。
ほーうん。
一重のコイルみたいな感じね。
はいはい。
で、ずーっと巻きつけてって、で、それ巻き終わったら、今度綿でくるみますと。
うん。
で、この状態にえーと、木ろうを塗って乾燥させて、乾燥したらまた塗って乾燥させてっていう、あの例のやつね。
うんうんうん。
超大変なやつをやっていくと。
あー、あのー、そのコイル状のやつがスタートなんだ。
そう。
あー、そうなの?
で、ここでね、何がすげーって、全部出来上がるじゃん。乾燥し終わるでしょ。ろうそく出来ましたーってなったら、
うん。
真ん中の最初の櫛ね。
うん。
抜くのよ。
抜くんだ。
うん。あと真ん中がさ、空洞になるじゃん。
ゴマの東回りの広まり
なるほどね。
これがね、すごいらしい。
どういうこと?
うん。真ん中に空気の通り穴があるじゃん。
はいはい。
だから、燃焼する炎の温度自体は若干低いんだけど、
うん。
空気があることによって炎でかくなるんよ。
おーおーおーおー。
ほら、あの、最近見ないけど、ガスコンロとかでもさ、ちょっと昔のやつだったら、空気の量調整できたりするでしょ?
うんうん、あったね。
で、ガスコンロで青い光よりも赤い炎にしちゃった方が、炎もでかくなるし、えーっと、熱量は下がるけど、明るいの大きさは大きくなるじゃん。
うんうん。
焦燥っていうの。
うん。
その状態を、このね、芯の真ん中を空洞にすることによって起こしてるんだよ。
へへへ。
すげーくねこれ。
そんなギミックあるんだね。
うん。
これね、江戸時代くらいにできるようになりましたっていう話。
へー、ろうそくすごいんだね。
だからね、陽、陽ろうそくに比べて、およそ2、3倍明るいって書いてあったよ。
あー、そんなに?
うん。
へー。
で、しかも、その、風の流れとかなんか、いろいろあるんだろうね。
うん。
その、炉を吸い上げるスピードもすげー速いから、風が吹いてもちょっと消えにくいし、
うん。
で、あの、炉だれもしない。要はきれいにちゃんと燃やしきっちゃうから。
あー、内側に内側に溶けてるからね。
で、外にあんまりダラダラこぼれにくくって、油塩も少なくて、すごいいいよね。
へー。
あー、まあ確かにあの、海外のあの、なんだろう、えーと、教会とかのさ、シーンで見るろうそくって、めっちゃ外垂れてるもんね。
うん。あれに比べて日本のが少ないんだって。
あー、そうなんだ。
ただ、あのね、バチクソ高い。
あー、1本あたりがね。
そう。もちろんね、その、江戸時代くらいになると、日本全国のなんとかはんなんとかはんで、
その、商品作も作るように奨励するじゃん。
うん。
その中に、漆とか、その、はぜの木頑張って作れよーみたいなことやって、あちこちでろうそく作り始めるのよ。
うんうん。
なんだけど、手間かかっとるけんね。
はいはい。
やっぱ高くて。
まあ、高くなりがちだよね。
で、江戸の終わりくらい、1800年代くらいになって、文化分析になると、やっと庶民の手に届くくらいまでは来るんだけど、
うん。
やっぱね、日常の明かりではなくて、わりとリッチな商人とか、武士の人たちの、
それも儀式の時に使う程度。
うーん。
だから、えっと、前々前回のあたりとかって、平安末期から鎌倉時代、戦国時代の話してるわけじゃん。
はいはい。
ちょうどあの、大山崎油沢の話だからね。
うんうん。
あの時代って、まだ和ろうそくが出るか殿下くらいの話だし、
ああ、そうなんだ。
出てきたとしても、すげえ高い。
はあ、まあ、それ、そうじゃなきゃ油普及しないもんね。
そう。
だから、その、高級品である油、あ、違う、油じゃねえ、えっと、ろうそくが使えなくて、
で、その代わり油を、あかりとして使ってます。
うん。
で、その中の最高級品が、ゴマだったりとかするわけね。
うんうんうん。
で、一番安いのが、魚の油とか。
はいはいはい。
くせえんだ。
魚の油ね、ほんとに燃えるのかね。
燃えるって。
燃えるんだ。
うんうん。
へえ。
で、あの、臭いだけじゃなくてね、やっぱり、あかりの、明るさが低い、焦度がすごく低い。
うんうんうんうん。
炎が小さいからね。
はい。
だから、すごくくらぼったい状態でやるから、
農民とかは、そんなに夜長く起きてられないよね。
そうだね。
うん、みたいな感じになる。
あー、確かにあの、防災の、なんか、役立ち情報みたいなので、
あの、シーチキン缶の油で火を焚くっていうのがあるよね。
うんうん。
あれ植物油だよ、中村さん。
あれは植物油やね。
そうだよね。
うん。
あれでも燃えるんだなっていうのも。
燃えるんだね。
うん。
ね。
まあ、やってることは、原理的には一緒だからね。
うんうん。
ただその、油の質とか、その、構造の作り方によって、
明かりの強さっていうのが違う。
うんうん。
ちなみに、あの、いつだったかの回で、
割と、吉原裕覚の話したじゃん。
あー、したね。
で、なんか、春になると、桜の木を何百本も植えてさ、
ライトアップしてみたいなのあるでしょ。
はいはいはい。
あれが、和ろうそく。
あれが、和ろうそくであんの?
さあ、死ぬほど金かかってる。
まあ、あの、桜の木を持ってくる時点でね、
うん。
ろうそくの何百倍も金かかってるからさ、
それに比べたら安いのかもしれないね。
うん。
まあ、どうなんだろうね。
それ365日燃やし続けとるけどね、あそこは。
まあ、それくらいのお金が動くから、
あの、ろうそくもできるし、桜もできるし、みたいな。
まあね。
あの、1日で億単位のお金が、
現代の価格で言ったら、1日に億単位のお金が動くような、
そういう場所ですからね。
すごいなあ。
本当に花街だったのね。
そういうことだと思いますよ。
というのが、あの、補足情報でした。
はい。
だいぶシャク食ったけど。
だいぶシャク食ったけど、
ちょっと面白かったんで。
うん。
ちょっと喋ってみました。
ということで、本編に行きますよ。
はい。
じゃあ、本編お願いします。
はい。今回は、ニューワールド、ゴマの東西合流。
ニューワールド、ゴマの東西合流。
はい。
ニューワールドっていうと、いわゆるアメリカ大陸のことを言うことが多いんですよね。
ああ、はいはい。
うんうん。
で、ここにどうやってゴマが流れ込んでいったのかって話なんですよ。
うんうん。
で、実はこれ、あの、本当に合流点でして、
ゴマがね、東回りだけじゃなくて、西回りをしてるんですよ。
西回りをしている。
うん。
ゴマの原産地、発祥の地と呼ばれているのが、スーダン。
うんうん。
やりましたね。
アフリカは。
アフリカ大陸の東の海岸沿い、端っこ。
はいはい。
あの辺りから、だんだんとこう、ヨーロッパ方面行ったりとか、中東の方通って、インド行って、中国行って、日本行ってみたいな話、やったじゃないですか。
うん、やったね。
これね、ここまでの話、全部東回りなんですよ。
あー、東回りか。
そうか、右に回ってきたなね。
同じ大陸の中で、西に行かない方が不思議じゃないですか。
はい。
ちゃんと言ってるんですよ。
あー、言ってるんだね。
で、いつこれが西に向かって伝播したかというと、紀元前4000年以前。
紀元前4000年以前。
よりも前、そう。
前か。
うん。
紀元前5000年とか6000年とか、そのくらい。
うん。
はいはいはい。
これ何の時代かっていうと、緑のサハラの時代ね。
あー、緑のサハラ。
そう。サハラがまだ砂漠になる前、サバンナ状態だった頃。
湿地帯みたいなね。
そう。湿地帯じゃないと思うけど。
湿地帯じゃないか。
草原みたいになってる時ね。
うん。
で、その辺りで、簡単な農業みたいなのが始まっていて、サバンナ農耕って言われてるんですね。
うん。
で、いろんな小さい集落とかがあって、お互いに交流してるし。
ゴマも植物だから、だんだんと広がっていくわけじゃないですか。
うんうん。
野生のやつね。
うん。
サハラ砂漠を避けての南下
で、これもちゃんと、今で言うサハラ砂漠全体に広がっていったんだけど、紀元前4000年から3500年くらいに砂漠化しますよね。
はい。
これやりましたね。
やったね。
で、そうすると、人類も植物も砂漠の中で生きていけないんで、南下するんですよ。
ほうほうほう。
で、南下して、東西も分断される。分断までされてないけど、だんだん散っていくわけですね。
はい。
砂漠を避けるから。
うん。
で、その東側に行ったのがナイル川の辺りね。
ナイル川。
うん。
で、その下流がエジプトで上流がスーダンみたいな、そんな構図。
はいはいはい。
北に向かって流れてるけん。
あ、北に向かって流れている。
そう。ナイル川っていうのはね、地中海に向かって注いでるでしょ。
あー、確かに。
だから、その上流がスーダンの辺りなんで。
うんうん。
で、そこからこう、ナイル川沿いに広まって、エジプトに行って、エジプトから大陸を渡ってアラビア半島に、みたいな。そんな流れでしょ。
うん。
西側にはね、西側の、あの、でかい川があるんですよ、ちゃんと。
へー。
今のナイジェリアとか、ニジェールとか、マリとか、ギニアとか。
ほう。
あっちのほうね。
これか。
うん。あの、分かりづらいと思って、地図貼り付けてね、僕が手書きで国の名前簡単に入れといたんだけどさ。
あー、これね、台本に貼ってある。
うん。
これ、これないと、俺、よく分かなかったよ。
分かんないでしょ。
うん。
これ、あの、ニジェール川って川なんですよ。
ニジェール川って川。
うん。これね、グーグルマップなんかでも見ても分かると思うんですけど、まあ、現代はね、あの、都市化が進んで綺麗に発展してるんだけど、このニジェール川という川の流域に、やっぱり、その、緑の地帯が広がってる。
へー。
まあ、当たり前なんだけどね、ナイル川の流域が、肥沃な、あの、土ができるみたいなのと一緒で、
はい。
タイガーであるニジェール川の流域に、緑の地帯ができますと。
うんうんうん。
で、ここに、その、紀元前3000年、4000年の頃に人々が移り住んで、えー、集落を形成していきましたと。
うんうん。
という感じね。で、後に、あの、でかい文化圏とか作られたりするし、一説にはカルタゴとか、今の、なんだろう、チュニジアの辺りかな、地中海辺りの、えー、国と交流があったんじゃないかっていう風に言われてるんですけど。
うんうん。
カルタゴって分かんないね。
カルタゴは分からん。
はい。
ハニバルがいたとこね。
ハニバル。
うんうんうん。
まあ、それはもっとずっと後の時代だけど。
はい。
まあ、そういうところと交流がちょっとあったりしながら、ここにはここの独自の西アフリカ文化圏っていうのが形成されます。
うんうん。
で、この、えー、ニジェール川の支流に、あの、ベヌエ川ってあるんですよ。
え、ベヌエ川。
うん。ベネ川とかベヌエとか言われてるんだけど。
うん。
まあ、支流があるんですね。で、この辺りがどうやら、その、すげえ昔から、ほんと紀元前だったんですよ。
本当、紀元前、数千年の頃から、ゴマの栽培がずっと行われた地域らしい。
あー、そうなんだ。
うん。ただ、もう、地図見てもらったら分かるけど、ギニワ湾の辺りでしょ。
はい。
もう、ナイジェリアとかガーナとかゴートジボールとかあの辺。で、こっから西側って海じゃん。
あー、海だね。
うん。だから、行き止まりなのよ。当時の感覚では。
行き止まり。
そう。
あー、そっか。海でその向こうに島見えないからね。
うん。もう、陸続きでもないし。
はい。
海洋も全然航海とか行ってないから、ここで行き止まりなわけ。
うんうんうん。
で、ゴマはここでずーっとストップしてたわけ。
ふーん。
大航海時代以降のゴマの西回り
で、これが海を渡って、一気に西にドーンってジャンプするのが、大航海時代以降ね。
大航海時代以降。
はい。コロンブス以降の話。
あー、そうなんだ。
うん。だから、紀元前3500年と仮にすると、
うん。
一気に動き出すのが、1500年頃だから。
うん。
えっと、コロンブスで1497年とかに、あの、新大陸発見とか言ってるでしょ。
はいはい。
えっと、5000年くらいここで止まってるのね。西回りは。
そんな止まってるんだ。
そんな止まってるの。
まあ、でも、こっから向こう結構遠いからね。
うん。
ゴマの東西合流
あの、西回りって。海が。
なんかね、あれなんだって。その、ニジェール川のところに密林があって、まあいわゆるジャングルがあって、そのちょい北側の人たちは、モロッコとかね、地中海の沿岸の人たちと交流してるの。
うんうん。
だけど、そこに、そのすぐ南側にジャングルあるから、ジャングルより南側って陸の孤島みたいになってて。
おー。
あんまり交流がない。
そうなんだ。
うん。
でも、その南側のゾーンに、ゴマの産地があるわけ。
はいはいはい。
だから、本当に囲われてて、陸の孤島化してたっぽいね。
へー。なんかあの、これを言うと怒られそうだけど、四国みたいな。
はははははは。
あの、まあ俺、高知にずっと住んでた。
はいはいはい。
あの、ちょうどあの、この森林の感じがね、瀬戸内海みたいな。
そう。
わかる?
あ、そうかも。四国って言うと、ごめんあるけど、あの、高知って感じだね。
あの、高知あったり、
うん。
四国丸ごと入って、高知の辺りで、こう、下の方で作っ、南の方で作ってたものみたいな。
うん。だんだん、なかなかこう、山越えられませんみたいな。
うんうんうん。
で、海行きゃ行けるんだけど、なんか出てかないみたいなね。
そうなんだよね。
うん。そういう感じなんだと思うんですよ。
はー。
うん。で、面白いのがね、あの、この、ベヌエ川ってさっき言ったじゃない?
はいはい。
現地で、ゴマのことを、ベヌエって言うんだって。
ベヌエ?
うん。川の名前からもらって、ベヌエって呼んでる。
へー。ゴマの名前が?
そう。
はい。
静岡県だったら大きい川で、阿部川とかってあるじゃない?大井川とか。
うんうんうん。
だから、大井川の流域でできたものを、大井って呼んでる感じなんだろうね。
ははは。
何か分からん、分からんじゃない?
おーい!とか言って。
おちゃー。
それはね、怒られる。
あ、怒られる。怒られる。
怒られないか。
うん。すいません。島田周辺の方、ごめんなさい。はい。
まあ、面白いのがね、その、ベヌエっていうのが、ゴマのことも指してるし、
うん。
幸運っていう意味も持ってるんだって。
幸運。
うん。だから、恵みの川なんですよ。
あー、そういう意味でね。
そう。
で、あの、面白いのが、英語でゴマのこと、セサミとかセサミシードって言うじゃん。
言うね。
なんだけど、あの、英語でゴマのこと、別の言い呼び方があって、
うん。
ベネシードって言ってる。
ベネシード?
そう。シードは、あれだよね、SED、種だよね。
種だね。
えー、頭がベネなのね。
ベネ?
うん。つまり、このベヌエ川流域の人たちが、ゴマのこと、ベヌエって呼んでるってことでしょ?
うんうんうん。
で、イギリスの人たちも、そこから名前をもらって、ベヌエって呼ぶようになっちゃうんだよね。
はー、ちゃんと広がってるね。
そう。これ、なんでだと思う?
なんで?
うん。
なんでって、これ、あるじゃないの?あの、佐藤のとこで、
はい。
繋がるんじゃないの?
その通り。
お、はい、来て来て。はい、来て来て。
日本へのゴマの伝播
来て来て。
まあ、だって、三角貿易するのにさ。
そう。
あの、奴隷を連れて行ったのが、このアフリカの人たちでしょ?
はい。まさにそう。
ね、すごい見覚えのある地図だなと思ってたのが、その、ちょうど、なんだ、アフリカの、こう、左側の上の膨らんだ部分。
そうですね。
で、その左下あたりに、なんか、あの、島があったじゃない。
はい。
あそこが、なんか、こう、経由地になって、みたいな。
はい。
話あったよね、佐藤の。
そうなんですよ。
あー。
つまり、この、不幸な歴史がここのあとに、あの、あるんですけど、
うん。
ニジェール川とか、ベネ川、ベヌエ川流域の人たちが、
うん。
まさに、三角貿易で、奴隷として、アメリカ大陸に連れて行かれることになるわけですね。
あー。
はい。
確かイギリスと、アメリカの、
うん。
貿易で、まあ、佐藤を売り買い、
うん。
仕入れたりしてて、で、労働力がアフリカだったのね。
そう。そういうことです。
で、それを結んで三角貿易という。
はい。そんな感じですね。
そんな感じだった。
はい。あの、詳しく知りたい方は、佐藤のシリーズの後半かな。
うん。
長いから、ちょっと大変だけど。
うん。
わかると思いますが。
はい。
はい。まさにですね、一番最初に佐藤のプランテーションできたのは、カリブ海に浮かぶ、西インド諸島ですよね。
うんうん。
で、そこからあの、南アフリカ大陸の北の端のスリナムとかさ、
うん。
ベネズエラとかコロンビアとか、あっちの方行くじゃない。
はいはい。
で、アメリカの南部とかメキシコとかにも行きますよね。
うん。
その時に、奴隷で連れて、奴隷として連れて行かれたアフリカの人たちが、
自分たちの、あの、主なる職場。
その職場として、持ってくんですって。
はぁー。
うん。
それでね。
そう。
ゴマなんだ。
はい。で、佐藤プランテーションのところに、当然その、労働者の住む集落というか、
住むところができるじゃないですか。
うん。
そこら辺に一緒に植えるようになったみたい。
はぁー、そうか。
うん。
確かにあったかいからね、アメリカの方もね。
そう。
世界各地へのゴマの広がり
育つよね。
井戸が大体ね、近いんで。
うんうん。
うん。
で、当然なんですけど、この時に持ち込まれたのは、
うん。
熱帯型ね。
熱帯型ね。
はい。
うん。
当たり前の人はアフリカだからさ。
うん。
アフリカに温帯型、まず何か。
生まれないから。
生まれない。
はい。
はい。
うん。
原種に最も近い栽培種である熱帯型が、そのまんま、同じく熱帯地方の、
アメリカ大陸。
うん。
中米辺りだね。
はいはいはい。
あの辺に持ち込まれると。
はぁー。
そういうことね。
うん。
これね、あれなんだって、その、もともとアメリカ大陸の中には、
あまりね、
えー、
油脂作物がなかったっぽい。
油脂作物って言うと油が取れる。
そうそうそう。
がなくてね。
うん。
結構重要なんですよ。
その、油脂とかタンパク質源として、たぶんジャガイモは、まあ、なかないけど、
ほとんど油脂じゃないじゃん。
まあ、ジャガイモから油を取るっていうイメージはないね。
トウモロコシも油脂あるけど、まあ、日本のと比べるともうちょっと違うので、
うんうん。
あれ、どっちかっていうと炭水化物寄りですよね。
はいはいはい。
そういう文化圏のところに、やっぱ油脂作物としてゴマというのは結構貴重で、
うん。
で、えー、割と初期の頃だね。
16世紀、17世紀、18世紀にかけて、その、中米から南米の北のあたりで、
ゴマの栽培がだんだんと拡大していく。
うんうんうん。
産業化するほどじゃないけど、こう、だんだんと拡大していくみたいな感じですね。
あー、そういう感じなんだね。
うん。
で、これ、さっきあの、冒頭でゴマの東西合流って話しましたよね。
はい。
実は、
ぐらっと、
東から、
これからもうやってくるんですよ。
ぐらっと東側から。
そう。つまり、えー、ゴマの最終着点、一番東の端っこはジャパンなわけですよね。
おー、そうなのか。
はい。日本がもう東の果てなんですよ。
あー、まあまあ、そっから太平洋だからね。
うん。まあ順番的に、朝鮮半島も割と緯度的には近いですけど、あ、経度的には近いですけど、
うん。
でも、あの、ルートを考えると、最終着地がまあ日本みたいな感じになるわけですよ。
うんうん。
で、この日本で、えー、改良された温帯型、もう、たくさん種類が生まれますからね。
うんうん。
生まれるっていうか、生まれてたんですよね。
うんうん。
これが、ぐるっと海渡ってアメリカにも行く。
アメリカに行くんだ。
そう。で、これでアメリカ大陸でドッキングするみたいな感じなのね。
はー、あー、アメリカでくっつくんだね。
そう、そうなんですよ。
で、俺は面白いなと思うのが、例えばその、スリーナムとかね、コロンビアとか、ベネズエラとかメキシコあたりは中米だからさ、あの、
あったかいっていうか、暑いじゃない。
まあ、暑いね。
熱帯じゃん。比較的ね。なんだけど、あの、ペルーの高地とか、アルゼンチンの南の方とかって、緯度が高いんで寒いわけですよ。
あー、寒いね。
アルゼンチン全然暑くないからね、南の方行っちゃったらさ。
ほうほうほう。
だって、緯度が高いってことは南極に近いってことだね。
あー、そうだね。
うん。で、そこで育てられるかっていうと、熱帯型は無理なんですよ。
うんうん。
で、ブラジルも南の方行っちゃったら結構きついんですよ。
あー、そうなんだ。
あの、だんだん気温が下がってくるから、熱帯型がまだ、熱帯型のまんまだからね。
はいはいはい。
あの、東回りで温帯型が生まれたのって、すごい数百年の時間かけて温帯型になってるんで、
うんうん。
あの、1600年代にポコーンといって、1700年代にはい温帯型ですってわけにはいかないわけよ。
あー、まあまあ、そうだね。
ね。
確かに。
そこに、1800年代の終わり頃になって、まあいわゆる日本で言ったら明治ですよ。
うん。
明治の時代に、日本人が、
え、
大学であちこちの国に行くわけですね。
はいはい。
それこそ、やっぱり佐藤のシリーズの中で、日本人がハワイ移住だとかって話あったじゃないですか。
あー、あったね。
うん。それと同じように、アメリカに行ったりとかカナダに行ったりとか、いろんな国に行くんですね。
うんうんうん。
これはあの、単純な話、もともと江戸時代までは、日本人の人口って3000万人前後だったんだけど、
うん。
明治時代になって急激に人口増えたんですよ。
あー、そうなんだ。
5000万人とか6000万人とか増えてって。
あー、めっちゃ増えたね。
いきなり倍数化みたいな。
あー。
なると、あ、やべえやべえってことになるじゃないですか。
はあはあ。
食糧的にね。
うんうん。
で、実際当時の有識者たちも、この人口は支えられないでしょ。日本人1億人とか来たら、もう国滅びますみたいな考え方をしていて。
うんうんうん。
まあ今こうやってるけど。
こうやってるね。
それは農業生産量的に無理ですよって、まあ実際無理なんですけど、現代でも。
うん。
なんで、えー、海外に出ましょうみたいな政策になっていって、まあすげえ雑な説明してますよ。
はい。
明治、大正、昭和の初期までに、えー、全部でどのぐらいだ?北米で37万人、中南米で24万人、東南アジアその他含めて16万人なんで、30、40、77万人。
そんなにいってたの?
そう。
はあ。
が、わっとこう移住してくわけですね。
すごい数だね。
これ結構、あの、悲惨なんですけどね。大変なんですけど。
ほう。
行った人たち、ものすごい苦労されてるんで、あの、気になる方はご自身で調べてほしいんですけど。
うんうん。
この時に移住した人たちが、やっぱり日本の種を持ってったりしてるみたいね。
あー、そうなんだ。
で、そのね、細かい経路はわかんないんですけど。
うん。
僕が、あの、参考書籍として読んでる、ごまの来た道という本があるんですね。
うん。
1980年代に書かれた本かな。で、この本を書かれた小林博士、小林貞作という先生がね、書かれた本なんですけど。
で、この方が、もう日本どころか、もう世界的にもごまの研究の第一人者みたいな人なんですよね。
うーん。
で、この方が、その、アメリカ大陸のごまについて少し研究をされた時に、あれ、なんでこんなとこに温帯型あんの?みたいなって。
あー、はいはいはい。
え、アルゼンチン?いや、ブラジルおかしくない?みたいな。
うんうんうん。
で、その、遺伝系質とかを調べたら、最も近い遺伝系質を持ってるのが、日本の温帯型ごまだった。
あー、そうなんだ。
で、これをルーツをさかのぼっていったら、あー、この移民政策か、みたいな。
あー、持っていったんだ、と。
うん。で、ガッとガッチャンコすることになったと。
うんうん。
いうことなんですね。はい。
あー、本当にみんなガッチャンコしたんだね。
本当にガッチャンコした。
うん。
で、実はその、このね、小林先生ってすごい方で、本当に日本の国内でも、あの、放射性、なんだっけ、品種改良?
うんうん。
あるじゃないですか。
はい、放射線を見させてね。
そうそうそう。
うん。
で、いろんな品種をどんどん作っていくんですよ。
うん。
で、もう、ちょっと一覧で読んだんですけど、すげーたくさんあって覚えられないし、紹介しきれないなと思ってやめたんだけど、結構いろんなパターンをこう、生み出していて。
へー。
なんかね、紫色のゴマとかもあるんだけどさ。
紫色のゴマ。
その名も紫シキブって書いてあって、ちょっと笑っちゃったんだけど。
紫シキブ。
うん。その、あのポリフェノールのね、アントシアニンの生成の具合がちょっと違うよみたいなので、そういうケースが出たりとか。
あー、アントシアニン。
そうそう、するらしいんですよ。
はい。
で、この方の功績が結構でかくて、で、その、もちろん品種回路もやるし、その、ゴマの栽培環境がどういうのが適してるかとか、その、農学的にいろいろ研究をされてる方だったんですね。
へー。
で、この小林先生だけじゃないですけど、この先生を中心にいろんな国のゴマの研究をするようになっていったので、そのゴマ栽培を盛んに行っている国、もしくはかつてやっていた国。
はい。
日本とスーダンの国際協力
で、その、ゴマ栽培を盛んに行った国にお互いに交流をして研究を促進するっていう運動が始まるんですね。
ほー。
で、最初は日本と中国で研究が始まるみたいな。
あー、そうなんだ。
いう感じで動き始めて、で、東南アジアの方とかアフリカの方ともその国際交流をして協力関係を築いていく。
うんうん。
で、この研究が急激に花を結ぶ、身を結ぶ瞬間があるんですね。
うーん。
それが最近、スーダンがやたらとご覧になってきました。
うんうん。
スーダンがやたらとゴマの生産量が大きくなってる理由ね。
あー、そうなんだ。
スーダンって原産地だから、要はね、改良されないわけですよ、なかなか。
あー、まあ、元々あるからね。
そう、元々あるところ。あれって環境が変わってくから品種がどんどん広がって、品種改良が自然に行われていくわけじゃないですか。
はいはい。
自然淘汰でね。
うんうん。
なんだけど、スーダンはそれがもう結構原種のままだったんですよ。
うんうん。
で、夏だけ作ってて、1回きりで終わり。しかも熱帯型の。
あんまり枝がたくさんならないタイプね。
うんうん。
で、終わってた。ここに日本で生まれた温帯型の一気にたくさんできるタイプのゴマを持ち込む。
持ち込むの?
持ち込む。で、アフリカ暑いとはいえ、暑いときと涼しいときがちょっとあるわけじゃない。
はいはい。
この涼しいときに温帯型当たんねえかなと思って持ち込む。
あー、そういうね。
しかも、さらに今までよりも育成期間、生育期間が短くなれば、
短い冬でも生きていけるじゃん。
うんうん。
そうすると二期作できるよね。
そうだね。
これを日本とスーダンとかの国際協力間で成し遂げちゃう。
あー、成し遂げたんだもん。へー。
結果、スーダンのゴマの生産量爆上がりみたいな。
まあ、1倍から2倍になるって相当変わるよね。
そう。1900何年だったかな。80年代90年代の統計見ると、スーダンって結構ね、作ってんだけどそんなに上位に来てないの。
うーん。
なんだけど、2020年くらいからもういきなりトップランカーみたいな。
うん。めっちゃ最高。
最近だね。
うん。グガーって上がってく。
へー。
っていうのも、この日本の東回りの最果てから逆に同じルートを西回りして戻ってくみたいな。
そうなんだ。
で、本で書いてあったりとか記事になってる程度だから、まあ他にもあると思うんだけど、僕が把握してるのはスーダンとミャンマーね。
うんうん。
やりましたね。ジョーザブ仏教がこう行きましたよっていう、あそこだよね。
おーはいはい。
スリランカからこう渡っていったあの辺りですね。
うん。
だからあそこも、ミャンマーも今日本とゴマの生産のところで色々協業してますし、あと南アメリカ、南米のパラグアイね。
うんうん。
この辺も一緒にこう協力関係がある。
ゴマの研究が始まるアメリカ
へー。原産地に戻っていくんだね。
うん。
あのその温帯型とかそういう良い部分が。
そう。
進化を経て、こう時代を経て進化した部分を戻していくみたいな。
樹形図の末端だからね、日本にある駒って。
うんうんうん。
これの良いところをその大元に返していくみたいな。
はいはいはい。
パターンが起きてるって感じですかね。
へー、そうなんだ。
すごいよね。
すごいね。
ゴマそんなことになってんだね。
そんなことになってるでしょ。
ね。
うん。
で、でね、ですよ。
はい。
ここからセサミストリートまで話が繋がってかなきゃいけないので、第一話に繋がるんですよこれ、ちゃんと。
あ、繋がるんだ。
そう。今日の話は第一話に戻る話なので。
はいはいはい。
はい。
はい。
ゴマの食文化として一番最後にやってくるのが、アメリカですよ。
あ、一番最後。
一番最後っていうか、今ね、ゴマが盛んに口に入れられてる国々の中では一番最後、遅れてきた巨人、アメリカ合衆国。
はいはいはい。
ここなんですよ。
そうなんだ。
元々ね、佐藤のシリーズの時のお話がちょっとあったように、アメリカ、北米、面倒くさいんだよ、アメリカ合衆国のことアメリカって言っちゃいますね。
はい。
アメリカの南部の州の一部で、佐藤プランテーションとかがちょろちょろとありました。
ほう。
だけど、元々アメリカってそんなに農業に適してないんですよね。
うーん。
それこそニューヨークの方とかさ、初期13州の方とかさ、あんなとこで佐藤なんか絶対育たないでしょ。
ああ、そうね。
だから上は商業化して、下が農業で発達してみたいな感じなわけですね。
はいはい。
で、その南の端っこのフロリダとかテキサスとか、あの辺にちょこちょこっとこう、佐藤プランテーションができていく。
ああ、あったね、その話。
カリブ海に面してる。
はいはい。
ここにちょろっとゴマ入ってくるんですよ。
入ってくるんだ。
それも1600年代にちゃんとね。
ほう。
あんまり広がらない。
広がらない。
うん。なんでか知んないけどね。
当時のアメリカ、ニューイングランドとかそのようなやつですよね。
うんうん。
あの頃はね、そんなに広がってない。
そうなんだ。
読んだけど、ゼロじゃないよ。
もちろんこう、クッキーとかドーナツとか。
文化が誕生したりしてるんで。
揚げ油として、まあ多分ゴマとか使われてるはずなんだけど、
あんまり頑張って作ってない感じなんだよね。
へえ、そうなんだ。
注目されてない。
まあ作ってるんだよ。
作ってるんだけど、そんなにフューチャーされてないみたいな。
地味にあるねみたいな感じ。
うーん。
なんだけど、1940年代。
飛ぶよ。
1940年代。さっき1600年か。
1600年代の話をしてたんだけど、
300年くらい時を経て、
急に関心が高まる。
ほう。
アメリカ人が。
アメリカ人がゴマに関心を持ち始める。
なんかこれゴマすごくね、よくねって。
ほう。
産業的にもいいし、食としてもいいよねって。
へえ。
で、これなんでかよく書いてなかったし、よくわかんなかったんだけど、
どうやらね、この中米のベネズエラ、ベネズエラは南米にあったのかな、ギリギリ。
メキシコとかベネズエラあたりが、その、すごい、
ゴマの生産に力を入れてたんですよ。
ほう。
1800年代からずっとね。
そうなんだ。
うん。国が成立して直後くらいからもうガンガン頑張ってるんですね。
イエール大学の発見
ほうほう。
で、ベネズエラなんかももう国を挙げて研究しますみたいなことまでやってたんですよ。
へえ、そんなことしてたんだね。
品種改良も独自に頑張るし、機械化も進めていくしみたいなのやってて、
で、このベネズエラとかメキシコで作られたゴマが輸出されていって、その輸出先がアメリカだったりしたわけね。
うんうんうん。
そしたら、あれ、なんかすげえ、すげえよくね、みたいな感じになって、
で、とうとうアメリカ合衆国の中の大学の人たちがゴマのことを研究し始めるんですよ。
ふーん。
で、ここでね、戦後、1946年ぐらいだと、ちょうど戦後ぐらいですね。
ここでGHQを経由して、小林博士とこのアメリカの大学がちょっと研究の交流が始まったりする。
へえ。
で、そう。
で、すごいのが、面白いなと思うのがね、1946年。
ほう。
太平洋戦争が終わったのが1945年なんで翌年ですね。
うんうん。
日本で言ったら昭和21年。
昭和21年。
はい。イエール大学、有名ですね。
イエール大学ね。
イエール大学の研究者によって、とあるとんでもない品種が見つかります。
とんでもない品種。
発見されるんですね。
へえ。
場所は、ベネズエラの農場。
ベネズエラ。
うん。
まあまあ、ベネズエラがゴマの栽培頑張ってたんで、先行してたんで。
はいはい。
で、距離的にも近いんで、そこのサンプルをもらって研究とかしてたらしいんですね。
うんうん。
で、一期一期もしてたみたい。
へえ。
現地に行って研究するみたいなことやってたらしいんだよね。
うんうん。
そしたら、あれ、このゴマ、完全に成熟してるのに、作花が開かない。
作花が開かない。
うん。あれってさ、ゴマとかって、放射線管みたいにパンって弾けちゃうわけじゃん。
ああ、弾けるね。
弾で飛ばしちゃうじゃん。
うんうん。
蕎麦もそうだったよね。
うん。
けど、新しく見つかった品種って、成熟してるのに、弾けないまんまなのよ。
へえ。
これ、なんだこれって。
で、このイエール大学の研究チームは、これにめちゃくちゃ注目をするの。
うんうん。
これ、なんでかっていうとね、もう既にわかる人は、わかってると思うんだけど、
砂糖プランテーション的な大規模農業っていうのが、アメリカ大陸では当たり前です。
うんうん。
アメリカの南部の州ね、テキサスとかいうとこね。もうドーンってやるのが当たり前なわけじゃない。
はい。
ジャガイモにしても何にしても。
うんうん。
で、そんな状態でゴマ作ってると、パンって開いちゃったらさ、ダメなわけじゃん。
まああの、収穫した蕎麦からね、全部弾けてったらね、使えないよね。
弾けた後には収穫しようがないみたいな感じじゃん。
そうだね。
うん。で、弾ける前に収穫しなきゃいけないんだけど、当時まだ手作業が中心だったり、機械も限度があったりするんで、
はい。
大規模農業をやろうと思ったら、え、何百人で刈り取ればいいの?みたいな話になるでしょ。
確かに。
同時にやらなきゃいけないからね。
そうだね。
一日に釣れたらダメだし。
そうね。同時に植えたら、同時に植えれば同時に取らなきゃいかんもんね。
うん。そうすると、何百人かで植えて、何百人かで回収して、あとはそんなに何百人もいりませんみたいな状況になっちゃうから、だからあんまり広がらなかったっぽいんだよね。
ほうほうほう。
だけどね、開かない品種が。見つかっちゃったんだよ。
うん。
めっちゃ便利だね。
開け、いや開かないみたいな。
ゴマの市場形成
うん。
開かないゴマができた。
めっちゃ市場の方に戻ったね。
市場に戻ったでしょ。
あったね、その話。
開け、ゴマ買い。開かない、ゴマ。わ、私開きませんみたいなのが出てきて、ただ初期の段階では、その収量が少ないとか、生育状況が、環境が限定的とかね。
うんうんうん。
あったんだけど、これめっちゃいいじゃんって言って、イエル大学の研究チームを中心に、
考察とか選抜をして、品種改良を重ねていったら、ついに1955年に商業ベースに乗るレベルまでいく。
へー、そうなんだ。
うん。摘撮で実用化されたと。
はいはいはい。
いう状態までいくんですよね。
うん。
で、この研究と並行して、ゴマの栽培っていうのとか、輸入とか、販売っていうのが加速していくって感じなんですね。
うーん。
うん。
まあ確かに、工業化する上では開かないっていうのは重要だよね。
そう。
これ見てるとね。
で、もう研究が始まってるときには、海外から、中南米からの輸入とかもしてるんで、だんだんだんだんそのゴマのブームっていうのがアメリカに入ってくる。
ほうほうほう。
で、これは絶対いいと。栄養学的にもいいし、農業としても産業としても絶対この先伸びるからやるべしみたいなことを大学の研究してる人たちが言い出すんだよね。
へー。
いろんな大学で。
ほうほう。
これを加速させるために、1955年、ちょうど実用化された頃ね、開かないゴマが。
はい。
同じ年くらいに、別の大学、サウスカロライナ大学。
サウスカロライナ大学。
はい。全米ゴマ料理コンテストっていうね、よくわかんない料理コンテストをね、大学主催でやるのよ。
へー、そう。
みんなちょっとレシピくれみたいな。
はいはい。
で、30いくつとか結構すごいいいやつがね、僕もちょっとレシピ一部見ましたけど、あ、結構いいじゃんみたいなのは。
いっぱい応募で集まってくるんですよ。
ほう。
で、見事に1位を獲得したのが、ゴマパイ。
ゴマパイ?
うん。その、あのね、英語で書いてあったタイトルがね、オープンセサミパイって書いてあった。
オープンセサミパイ?
うん。なんでオープンつけたかよくわかんないけどね。
オープンがちょっとよくわかんないけど。
セサミパイって言って、ちょっとあの、参考の写真載せて、台本には書いてあるんだけど。
うんうん。
なんか、パイの中にペースト状のゴマとかがいろいろ入ってるんだって。
ほう。
で、これがね、なんで1位になったかっていうと、まず作るの簡単。
へー、そうなんだ。
ゴマ以外そんな特殊な材料使ってない。
ほうほう。
うん。だから、ゴマさえ買ってくれば、当時のアメリカの家庭で普通にちょっと作れちゃうよみたいな感じね。
うーん。
当時割とパイ作るのって家庭料理の定番だったりするからね。
あー、なんかパイとかね、ミートパイとか言うもんね。
うん。しかも、ゴマらしい香りが際立つ。
あー、そうなんだ。
で、美味しくってゴマらしさがわかる。
うん。
で、これが大々的に公開されて、メディアに載っていって、で、もうほんの数年後には、いろんなアメリカ合衆国の中のあらゆる家庭って書いてあったけど、どのぐらいかわかんないけどね。
うん。
いろんな家庭のキッチンには、当たり前のようにセサミがスパイスとして並ぶようになっていくっていうね。
へー、ここからなんだね。
さあ。
アンダーソンブラザーズのゴマ事業
ちょっと笑っちゃったのがさ。
うん。
このゴマ料理コンテスト、1位の賞金がね。
うん。
2万5千ドルなのよ。
2万5千ドル。
うん。
これ、ピンとこないでしょ。
うん。
2万5千ドル、今だといくらだ?1ドル150円として、みたいな。
あー、まあ、単純に100円でも250万。
前から400万。
250万だから、まあ、その半分を足したとして、400万。
400万くらい?
うん。
現代だとそんな感じじゃないですか。
うん。
この当時ね、最新式の新車が1000ドルなんですよ。わかります?
うんうん。最新式の新型?
新型の、新車、車ね。
はいはい。
の、あの、最新式のやつが、当時1000ドルで売り出されてるんですよ。同じ年に。
え、そうなの?10万とかね、今。
はい。で、1955年のニュース記事をちょっとピックアップして読んでみたら、面白いのが、最低賃金がついに1ドルの大台に乗りましたって書いてある。
おお?最低賃金?
そう。が、1ドルになりましたっていう状態なのね。
1ドル?
うん。
はあ。
今だって、日本だったら1000円前後だったりするじゃないですか。
うんうん。
900いくらとかね。
はい。
で、この当時、1ドルだから、1ドルが、まあ、日本人の感覚で言ったら1000円くらいの感覚なんですよ。
はあ、はあ、はあ。
2万5000ドル、やばいよマジで。
1ドルが、1ドルが1000円?
うん。
100円が1000円?
うん。
10倍10倍?
10倍。
ん?
100円が1000円。
うん?1000万の世界だよ。
そうだね。
2万5000ドルったら、まあ4000万とか5000万。
4000万か。
もっといくんじゃない?
5000万いくよね。
で、同じ年のメジャーリーグベースボールのスーパースタークラスの年俸、ついにこの年、年俸5万ドルを超える選手が登場みたいな。
はあ。
え?
え?
5万杯優勝したら2万5000ドル?みたいな。
すごいね。
すごいことですよ。
へえ。
そのぐらい、お金をかけてでもやるべしみたいな意気込みが感じられますよね。
そうだね。
1位ででしょ?
うん。
そこにも絶対あるもんね、2位以降もね。
思うんだけどね。まあだからこういうことをみんなで力を入れてやったのもあるし、なんかもうゴマ自体にそういう潜在能力が高いからさ。
だってもう今まで実績あるじゃん。ヨーロッパにしてもアジア圏にしてもさ、これだけゴマって普及してるわけだから、アメリカで普及しないはずないじゃん。
そうだね。むしろアメリカ最後までよく残ったっていうぐらいだよね。
うん。
よし、キャッチアップするぜ!みたいなのかわかんないけど。
うん。
一気にドーンっていって、それが見事に酵素をして、アメリカにゴマの市場ができるわけよ。みんな欲しがるから。
うん。
はい。で、この時代に全く並行して会社を起こしたのが、アンダーソンブラザーズ。
アンダーソンブラザーズ。
はい。セサミストリートのね。アンダーソン兄弟ですよ。
はいはいはい。
お兄ちゃんジェームス、弟ロイね。
へー、そうなんだっけ。
そうなんですよ。
うん。
えっと、アンダーソン兄弟、特に弟のロイが、
うん。
まあ、兄弟元々ね、ただのゴマ好きだったらしいんだけど。
ゴマ好きなの?
ゴマ好きなのよ。
そうなんだ。
で、生まれも育ちもテキサス州の人なんだね、この人ね。
はいはい。
で、テキサスってアメリカの南部だからね、割と近くに砂糖農場とかいろいろあるんだけど、ゴマを作ってるとこもあったらしい。
うん。
割り貸しね、あったと。で、ジェームスはそうでもないけど、弟のロイの方はもう大学で農学を専攻していて、で、その中でも特に農業と食の関係がある。
農業と食の関係とは何かみたいなのとか、あと健康長寿っていうのは食とどう関係してるんだみたいなのを、ものすごく関心を持って研究してたらしいよね。
へー。
で、それと元々ゴマ大好きだったから、ガチャーンってくっついて、あ、ゴマ、ゴマやらなきゃみたいな。
そうなんだ。
まあ、あの、その専門知識のあるゴマファンね。
そう。もうスーパーマニア。
まあ、ゴマオタクだね。
うん。
うん。
で、その時、ゴマだよ、ゴマ、ゴマだってば。いやいや、とにかく、だからゴマなんだって、みたいな。
ゴマ研究と商品開発
まあ、1にも2にもゴマ推しだね。
そう。で、その、ゴマ油、ゴマを作るのに、周りのその、近所の同じ市内の農家さんに、いやこれから先絶対ゴマだから、やったがいいって、いや作ろうぜ、作ろうぜって説得して回るみたいなね。
うーん。
ことを一人で頑張る。
ああ、そうなんだ。
で、そこに兄ちゃんも協力して仕組み化したりとかね。
はいはい。
後ろからこうバックアップというか、フォローアップをしていく感じね。
はいはい。
で、ロイが残した名言の中に、まあ、いくつかあるんだけど、その中でちょっと俺が気に入ったのがね、こんなセリフがある。
ゴマ油はもちろん重要だ。だが、もっと重要なのは、ゴマの持つタンパク質とミネラルの利用である。
ほう。
だね、もう農学やってるから、油はもちろん大事だよ。で、世界的にもゴマ油ってすごく重視されてきたじゃない。
うん。
日本でもそうだったよね、みたいな。
うん。
でも、いや、我々が注目すべきは、このタンパク質とミネラルの利用。
ほう。
これは、健康長寿に関係があるはずだから。で、植物性タンパク質の獲得って大事だから。で、1950年代だよ。日本で言ったらもう戦後の経済復興の時だよ。
うんうん。
この時代に、そこに注目をして、これをやるべしって言って、で、1952年に会社を作るね。
ああ、そうなんだ。
でね、瞬く間に大ヒット商品を飛ばしていく。
へえ。
ゴマクラッパー。
ゴマクラッパー?
うん。
ゴマチップス。
ゴマチップス?
うん。
ゴマスティック。
ゴマスティックね。
うん。
そしてミラクルヒットのゴマドレッシングね。
ゴマドレッシング?
うん。
うん。
今、日本でも普通に僕ら使うじゃないですか、ゴマドレ。
うん。
あれ作って、もうミラクルヒット飛ばすみたいなね。
へえ。
で、もちろんこの時はね、えっと、国産のゴマを買ってくるとか、まあ海外から輸入していくみたいな感じね。
ああ、そうなんだ。
うん。自社農園とか持ってるわけじゃない。
ただのゴマを広めるために、ゴマ加工職員の製造販売会社だから。
ああ、はいはいはい。
これもまあアメリカだなって感じなんだけど、自己資金はあんまり投入してなくて、熱意で説得しまくって、で、メキシコのクロモシオン社っていう会社と、一番出資元になってくれたのはアメリカのマコーミック社。
マコーミック社。
マコーミックって聞いたことない。
いやー、わからん。
えっとね。
詳しい人は、まあ、
もう既に気づいてると思うけど、これ今ね、世界最大のスパイスとか調味料メーカーなんだよね。
ああ、そうなんだ。
うん。世界最大の販売会社なの。
へえ。
日本でもどこと提携してんだったかな。なんか、日本でスパイスシリーズ30セットとか、30種セットみたいなのとかバーンって売り出したのが、このマコーミック社と組んでやったとか、そんな感じだよね。
ああ、そうなんだ。
ちょっとちゃんと調べてないから、うろ覚えだけど。
うんうん。
まあ、そんな感じでね。
現在は世界最大のハーブ。
スパイス調味料のメーカー。
へえ。
ここが出資元になって、ガンガンやって、で、うよ曲折あって、今はね、その、マコーミック社の中に、このゴマカンパリ、あの、セサコっていう会社なんだけど、が今入ってるっていう、そんな感じね。
ああ、そうなんだ。
うん。で、もうこの中でロイが、弟のロイがどんどん活躍していく。
へえ。活躍。
あの、ゴマのこと研究しまくってるけんね。
うん。
この、自分ところで商品開発もするんだけど、
農学者としてメキシコ行ったり、ベネズラに行って、現地視察して、サンプルを取ってきて、研究して、また向いて、その、ずっと繰り返しながら、どんどんゴマのことを研究してるみたいな感じね。
ああ、そうなんだ。
マクドナルドの歴史
とにかく広めるべしみたいな。
はあ、はあ、はあ。
で、この彼らの活動の中で、ミラクルヒットを飛ばしたのは、さっき言った4つの、まあ4つだけじゃないけどね、特にドレッシングとか大ヒットしたっていうのもあるんだけど、もう1つの大ヒットが、マクダナルド。
ん?
マクドナルド。
マクドナルド。
の、バンズのゴマ。
バンズのゴマ。
うん。
まあ、確かにゴマは付いてるよね。
付いてるよね。
あのね、1950年代に、まあ、1940何年かに、マクドナルドの1号店って確かにオープンしてるんだよ。
うん。
なんだけど、まあ、マクドナルドの歴史話すとすげえ長いから、ばーっと飛ばすけどね。
ほう。
いよいよ曲折あって、フランチャイズが始まるわけ。
うんうんうん。
もう1週間どっかだかちょっとおっしゃったけど。
はい。
それの第1号が、登場するのが1955年なんだわ。
1955年。
はい。
ほうほう。
いいすか?えっと、アンダーソン兄弟が作った会社の、えっと、設立年が52年。
うんうん。
その3年後に、マクドナルドがフランチャイズ化。
はい。
ここのタイミングで、ロイは、マクドナルド、まだギャーと生まれたよちよち歩きのマクドナルドとタッグを組んで、
うん。
コースバンズにゴマをこう付けるっていうのをやる。
はあ。
で、あの革新的だったのは、そのゴマを機械的に皮剥きをして、で、このゴマをペタペタ貼っ付けた状態で焼いても白いまんまだし香りがいいみたいな。
あれ、貼り付けたまんま焼いてんの?
そうそう、そうらしいよ。
そうなんだ。
だから、これはいいねって言って。で、ほら、あのちょうどゴマ料理コンテストの55年じゃん。
55年。
うん。
いや、みんなゴマうまいじゃん、いいじゃんって言ってる全米がちょっと盛り上がり始めた時。
ちょっと盛り上がり始めたタイミングなのよ、これちょうど。
ほうほうほう。
ここにガチャーンっていって、で、ご存知の通りですが、マクドナルドはこの後大躍進しますよね。
うんうんうん。
そこにおろすバンズ、みんなゴマ付くようになるんだよね。
そうなんだ。
そしたら、ゴマの需要えげつないでしょ。
うんうん。
1日に何千個何万個って売らなきゃいけないから、バンズだけでも。
そうだね。
そしたら、アメリカ、国産のゴマが足りないから、そのロイのツテがあったみたいな。
うん。
そしたら、メキシコとかベネズラから輸入するようになりました。
うん。
けど、それでも足らなくなっちゃったんだよ。
うん。
どこから輸入するとか言ったら、もうコストが高すぎて無理とかっていうことになっちゃって。
うんうん。
はぁ、作るか。
作ったんだね。
そう。で、テキサス州で土地をドーンと買って。
はい。
めちゃくちゃ減るとかね。
よし、農場作るぞ!って言ったんだけど、その買った土地っていうのが、雑木林だったりとか、草原だったり、湿地帯だったりとか。
へぇー。
でも、買い込んしなきゃいけないじゃん。
うん。
ほぼほぼ人力で。
うん。
で、この買い込んを手伝ってくれたのが、その当時、取引先だった、輸入元になってたベネズエラの人とか、メキシコの人たちに声をかけて来てもらって。
うんうん。
で、同じく、もともと南部、テキサス州っていうのは、黒人奴隷の子孫たちが労働者としていたので、彼らにも声をかけて、で、一緒にアンダーソン兄弟が新しく買い込んする農場をみんなで高安、買い込んするってことを始めた。
はぁー。
で、ここから第一話の、あの、セサミストリートの物語へ繋がっていく。
あぁ、そうなんだ。あ、それで自宅農場を作ってね。
そう。
じゃあ、まあ、労働者が集まっていた場所が、まあ、セサミストリートになっていくっていう。
そういうことです。
うん。
で、ちょっとね、あの、暇つむしにというか、ちょっと同じ、このぐらいの時代感ね。
うん。
何があったのかなーっていうのを、こう、パラパラと、関係のないニュース記事とかを読んでみたんですよ。
はい。
1960年代のニュース記事をね。
うん。
アメリカってどんなかったのかなー、特に南部ってどうだったのかなーって見るとね。
はい。
1960年代は、もうとにかく、人種差別問題がすごい時代。
そうなんだ。
うん。それもね、なんか、黒人差別とかそういうんじゃないよ。もう、白人かそれ以外かっていうのでものすごく人種差別がある時代なのね。
はいはいはい。
だから、メキシコ人の子も迫害されうるし、日本人の子も迫害されうるしっていうような、そういう状況なんですよね。
うんうん。
で、この、まあ細かいことは割愛しますけど、その人種差別問題が根っこにあった上で、その表出の一部として現れた事件がいくつか、2つあって。
うん。
1つは、1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ暗殺。
あーはいはい。
ありましたよね。
ケネディ大統領?
そう。
うん。
大統領ですね。えー、これあの、ケネディはあんまりこう、人種、まあ、やめとく。
この話はちょっと長くなるし、また間違えると大変だから、ちゃんと調べて言うか、まあ言わないかもしれないけどね。
うんうん。
調べて調べて。で、その後、5年後には、マーティン・ルーサー・キング・ボクシー。
あー、キング・ボクシー。
が、1968年4月4日にやっぱり暗殺されますね。
あー、68年なんだね。
で、この間の5年間にキング・ボクシーは、投獄されたりとかね。
うんうん。
そういう、ぐだぐだぐだぐだしてるわけですよ。
はい。
ちなみに、ケネディ大統領が暗殺されたのはテキサス州で。
あ、テキサス州なんだ。
うん、遊説中にね。
へー。
まあ、そういう時代感ですよ。
はいはい。
で、彼ら、アンダーソン兄弟、セサコっていう会社もテキサスがベストじゃないですか。
うんうん。
だからね、特に南部の州は、その人種問題に非常に敏感だったんじゃないかなって、これ僕の想像ですよ。
うんうん。
というのもあって、その環境下で、アンダーソン兄弟が、なぜ、あのセサミストリートの元になるような学校を開いたのか。
うんうんうん。
なんとなく透けて見る気しません?
そうだね、確かにね。まあ、教室っていうか、勉強する場所を作るっていうのもね、すごいよね、このタイミング。
あの、ロイ・アンダーソン弟ね。
うん。
この人が社長をやってたんですけど、彼が、その、農場を開墾する時に、従業員のみんなに声をかけて、これだけは守ろうぜって言った言葉があるんですよ。
ほう。
うん。もともと住んでる野生動物は殺すな。
へー。
もう、頑張って、まだ原生理残ってるから。
だから、そっちに追いやってくれ。
うんうん。
これだけは守ってくれっていうもとで、2年間かけて開墾してるのね。
そうなんだ。
そういう人なんですよ、この人。
へー。
で、もともと、その、アメリカにとって、というか、我々にとって、このエリアに同じく住まう仲間にとって、ゴマは、ゴマが持つ栄養っていうのは絶対体にいいはずだ。
うん。
健康調子にいいはず。だから、だからみんなゴマ食べようぜって言って会社を起こしてるような人なんですよ。
うんうんうん。
だからですね、そのね、人種差別するがり回るはずがないんですね。
人種差別問題とセサミストリート
そうなんだ。健康長寿とかに関心あるんですけども、その、なんだろう、今で言うさ、健康的に長生きしましょう、というかは、あの、健康状態を皆さん良くして、健全にこう、人として、ちゃんと暮らしましょうよ、みたいな。
ああ、そうですよね。
そっちなんだね。
そうね。
今の言う、あの、なんか、健康ブームとかじゃないんだ。
ブームとかじゃない。
うん。
もう、あの、飢餓とかそういう方の、危機的な危機感が。
うん。
危機的な危機感から、あの、ゴマを作るみたいな感じなのかな。
ああ、そういう部分もあるのかな。
食糧問題とかね。
食糧問題とか、よりもっと健康でみんな、明るく健やかに生きていく社会が作りたいとか。
うん。
そういう社会を目指してる人が迫害するわけないよね。
そう。だからね、あの、学校作ったじゃん。
うん。
学び屋を。で、この学び屋の中に、で、その、一緒に勉強する子供たちの中には、当然、ジェームスの子供もロイの子供もいるんですよ。
ほう。
経営トップの子供たちも一緒に、労働者の子供たちと暮らしてる感じ。
へえ、そうなんだ。
で、その、学校に、例えば、給食持ってくとか、おやつやるとか、お掃除するとか、いろいろこう、雑務が発生するじゃないですか。
うんうん。
この雑務は、例えば、ジェームスだったり、ジェームスの奥さんだったり、ロイの奥さんだったりも一緒にやってるし、その、一緒に働いてる労働者の家族だったりも一緒に手出して。
うんうん。
みんなでその関係を作っていくのね。
はあ。
そうか。だから、あの、アメリカのテレビは、最初、セサミストリートっていうのをちゃんとこう、
うん。
尊敬してっていうか。
だと思うよ。
そういう意味でつけたんだね。
で、ロイなんかさ、自分能楽だからさ。
うん。
自分も教えられるから、教鞭とってるからね、この人ね。
へえ。
すげえ熱心。
ゴマを通じた社会貢献
すごいね。社長でしょ、一応。
そう、トップ。
トップ。
経営トップ。
経営トップだよね。経営トップが、学校作るぞって言って作って。
うん。
じゃあ、自分も教えられるから、自分もやるって、
うん。
相当だと思うよ。
そう。
この時代感でいくと。
で、これをずっとやってて、で、これがテレビ局のプロデューサー、制作会社にメリットもらって番組になるんだけど、
うん。
親会社であるマコミック社の中で、定期的に雑誌が出版されてたんだって。
へえ。
今でもあるのかしらないけど、その中の特集で、このアンダーソン兄弟のこの取り組みっていうのもピックアップされてたかな。
ああ、そうなんだ。
うん。
ちょっとね、感動したもん、これ。
いやー、すごいね。
妙にテンション上がっちゃった、今喋ってても。
うん。いや、わかるよ、テンション上がるの。なんか、セサミストリートってそんな経緯だったんだっていう。
そう。
その背景の部分がすごすぎて。
で、これが今の世界中の子供向け教育番組のベースになってくる。
うんうんうん。
っていう感じらしいね。
いやー、そうなんだ。いや、なんか、あのね、セサミストリート人形劇みたいな。
うんうん。
軽い感じだと思ってね、ちっちゃいとき見てたけど、いや、あの、あの、あそこに至るまでが壮絶な話があったんだね。
うん。初めのこのアンダーソン兄弟の思いをね、ちょっと感じられるようになるかな。
そうだね。
うん。今回なんか最後エモい話になってきたけど。
ね。だいぶエモい話になったね。
はあ。
ザクッと今回はアメリカのゴマとセサミストリートの話になった。
そうだね。
うん。
で、マックもさ、マクドナルドも、結局このバンズにゴマをつけるっていうのが、そのフランチャイズを作るタイミングと、そのゴマの、何、この一大プロジェクトみたいなのと、ガッチャンコしたから、その1号店からすごいこう成功したっていうのはあるのもね。
あー。
その加速するための材料としてゴマを使うっていう。
うん。一つあるかもね。
うん。
いやー、まあ単純にバンズだけでもこの、でもハンバーガーって他にもあったんでしょ?だって。マックだけじゃなくて。
まあね、ちょっと近い時代に登場してバトルのが、バーガーキングかな。
あー、はいはい。バーガーキングね。
うん。
今何バトってるって。
1950年前後からのファーストフード化
そう。じゃあ、あのね、マックとかバーガーキングとかが出てくる以前は、あの、ハンバーガーあるけど、レストランスタイルが多いかな。
あー、はいはい。
うん。で、このファーストフード化するのは、ほんとこのタイミング。1950年前後からドンっていく感じで。
うんうんうん。そうか。しかも、まあ。
バンズにゴマついてたら楽だよね。
うん。
食べる方も香りもいいしね。
うん。
しかも外側にあった方が絶対香りいいもんね。
うん。
ゴマ。
そう。そうなんですよ。で、今回はここまでの話なんですけど、パンにゴマをまぶす文化とか、あったっけ?っていう、なんていうの?その、バンズのゴマの前の時代のゴマ料理とかちょっと見てみたいじゃん。
世界のゴマ料理の紹介
うんうん。
ということでね、次回は、えー、日本を省いて、もうめんどくさいからね。
うんうん。
まあ日本はちょっと多い。
うん。
世界のゴマ料理でちょっと面白そうだったものをピックアップして、紹介しながら、たくと話ができたらなと思ってます。
はい。そういうことで。
うん。
まあ確かにゴマいっぱいついた料理ってね、何個か確かに食べたことある。あるっちゃあるけど、詳しく知らんね。
そうね。
うん。そんな気にして食べてないから。
先に言っときますね。
うん。
全部は絶対無理。
笑。
笑。
まあまあ、それはなんか、佐藤のあれと同じようなもんじゃないの?
もう、多すぎる。
まあ、そうだろうね。
うん。
反応性高すぎるからね。
ほんとごくごく一部をピックアップして紹介します。
はい。
はい。
ごくごく一部で。
はい。
はい。
ちょっと楽しみにしとこう。
はい。ということで、今回はこの辺で終わりたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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