1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #239(s25-21) 近現代日本のミ..
2024-07-26 1:30:35

#239(s25-21) 近現代日本のミルク受容 〜怒涛の明治から昭和〜

00:06
たべものラジオ
たべものの世界を探求する、たべものラジオの 掛茶料理むとう、武藤拓郎です。
武藤太郎です。
このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、
食べ物の知られざる世界を、ちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です。
はい、ということで、先にお知らせをしてしまいましょうか。
はい。
お知らせです。
掛茶料理むとう、うちのお店ですね、お店がやっている通販サイトで、
ハモ鍋セットの販売を、本日、7月19日、本日、販売を開始しました。
はい。
たべものラジオのサポーターさんの皆さんには、1000円オフのクーポンを配布しております。
お。
お、特にない。
特にない。
お、太っ腹?
太っ腹って言ってもないね。
太っ腹って言うにしてもさ、俺経営者側だからさ、コメントしづれぇんだ。
そうだね。
今回、ハモのシーズンということでね、身の方もかなり状態の良いものを使ってます。
そうですね、はい。
今日も先ほどまでハモを卸してやってましたけどね。
うん、本当にこの時期、ハモいっぱい来るよね。
うん。
びっくりするぐらい。
そうなんですよ。地元で採れますんでね。
うん。
地元は待ってるのかな。
うん。じゃあ、ハモの回やるか。
そうだね。
ハモが上がると連絡が来るっていう感じだからね。
はい。
うちはフグとハモはすぐ連絡来るもんね。
そうですね。
うん。
じゃあちょっと雑談会がてらで、いずれハモの収録しましょうかね。
本当にね、ハモ微妙に分かってない。
あ、そうですか。
うん。
このハモ鍋セットは冷凍でお送りできるので、皆さん回答してね、すぐ。
スープも出汁もついてますんで、野菜だけ買ってきていただいて、
お召し上がりいただけるという形になっておりますので、
よろしければぜひお買い求めください。
はい。
もう一つあります。
7月の28日にオフライン&オンラインの3周年記念をしたいと思います。
はい。
もうだいぶね、多分この配信をする頃にはかなりギリギリか、
翌日、翌々日ぐらいなんじゃないかって感じで空気もするんだけどさ。
いや、収録時点でもう10日切ってるんですよ。
うん、そうだね。
おかげさまで100万回を今年突破しまして、
周年祭も3年目になります。
はい、そうか、そうね。
そうなんですよ。
で、オフラインの方はサポーターさん向けにね、
夕方の4時頃からやろうかなと思ってますけども、
オンラインの方は一応今予定では20時頃から1時間程度を予定しております。
こちらは多分YouTubeで配信しますので、よろしければご参加ください。
はい。
03:00
多分内容的には今のところこのミルクシリーズのいただいたコメントをね、
一つずつ返しながらコメントをいただこうかなと思ってます。
はい。
はい、ということで今日もいきますか。
いきますか。
はい。
はい、では前回からの続きです。
で、今回はついに最終回の予定です。
なんで、ちゃんと最終回かって言おうと思ったらの予定。
はい。
予定なんまだ。
尺次第です。
尺次第。
長えよ、分割ってなったらもう一回行きます。
はい。
このシリーズ始まったのは2月ですかね。
えっと今7月もう下旬ですね。
下旬でもう一度増えたら下手したら8月に入っちゃう。
ああ、はい。
半年。
まあ、そんなもんでしょう。
過去最長なのに。
過去最長ですね。
はい。
今回の話は近代以降、前回のお話では食産工業から明治維新とともに
どんなふうにミルクが産業として勃興していったのかというお話をしましたが、
社会全体はミルクをどのように見ていったのか、どんなふうに需要されていって
受け取り方がどう変わっていったのかみたいな話をしていこうかなと思います。
これちょっと復習になるんですけど、このシリーズの結構前の方でですね、
例えば西アジアだったりとかインドだったりとかモンゴルそれからヨーロッパやりましたね。
それぞれの文化では先に乳製品があって、
でも一応なんか体にいいらしいからミルク飲むのもいいっぽいけど、
なかなか飲めないよねっていうところからスタートしていって、
だんだんと飲む方にいったっていう大きな流れがありましたよね。
これと比べて日本はいきなり飲むところがスタートで入ってくるのが感じなんですね。
いろいろすっ飛ばしてね。
もちろんこのシリーズでお話をしたように平安時代以前からあったけれども、
近代という意味ではもう完全に西洋文化が入ってきて、
よっしゃ飲むぞ、飲む以外あるか、みたいな感じでいくので、
日本においてのメインストリームはあるけどチーズやバターがメインではなくて、
ドリンクとしてのミルクがメインストリームになってくる。
ドリンクとして。
今でもそうですよね。
乳製品よりも牛乳を飲む方がメインですよね。
まあ確かに。
それがもともとミルク文化のなかった国が新しく受け取ったらこうなっちゃうよっていう。
いい例かなと思います。ざっくり流れいきますね。
長いんで今回明治維新直後ぐらいからいけたら昭和までいきたいので。
明治維新直後からめっちゃ長いね。
年後で言ったら明治3年頃からうまくいけば1947年くらいまでいきたい。
昭和25年くらいまでいきたいんで。
まあ過去に比べれば年数的にはそこまでない。
06:04
ボリュームありますけどね。
まあ情報量は過去一多いかもね。
ちなみに台本は大使章の初期までしか書いてないのでそれ以降話すとしたら完全ノーナイナレッジでいきますよ。
ちょっとノーナイナレッジ制限かけないとやばいからね。
まあザクッといきましょう。明治3年4年5年あたりの話です。前回の話でいくと牛馬勝者ね。
牛馬勝者。
ゆりきみ政さんが出てきてこれ商売やったらいいねとか言ってさ。
元々今の千葉県の方にあった牧場を活用して、街中で築地のあたりで牛乳の販売をし始めるみたいな話をしましたね。
その時に宣伝文庫を書いたのが誰でしたっけ。
宣伝文庫を書いたの。
肉じきの節という書物を書きましたよね。短い文章を。
福沢諭吉。
福沢諭吉さんが書きましたね。これが明治3年ですね。
明治3年。
これでみんな肉食べた方がいいし乳製品取った方がいいよっていうことを有名な福沢諭吉先生が庶民に向かって公開をしていくわけですよ。
したら明治4年ですね。
牛店増壇あぐら鍋。あぐら鍋です。
あぐら鍋。
有名な書物ですね。超有名。
初めて聞いてる。
嘘でしょ。和食店に行った時に後半の展示にあったんですよ。あぐら鍋ね。
えー、あったかな。
西洋料理指南とかね。
あー、それは覚えてる。
この西洋料理指南を書いたのも、あぐら鍋を書いたのも同一人物で、金垣ロブンという人ですね。
金垣ロブン。名前は聞いた。
西洋道中ひざクリゲとかね。
あ、はいはいはい。
当時の文筆家で、しかも小説とかというよりはもうちょっとライトな感じ。
あー、そうなんだ。
現代のキャラと小説家みたいな感じなんですけど、もっとライトな感じで流行の書物をいっぱい出してた人なんですね。
へー。
が、あぐら鍋っていう。あぐらを書いて、だから日本式に雑な感じで気楽に牛鍋をつまむと。
そこにはいろんな登場人物が来て、肉をつつきながらああだこうだと喋ってる様子を書き記している。
へー。
で、このお店ののれんがあるわけなんですけど、描かれてるんですね。そこにチーズバターとか書いてあるんで。
チーズバターも書いたんだ。
書いてある。カタカナでね。
あ、カタカナでね。
これはね、そんなに乳製品取れよとは言ってないんですが、やっぱね、あぐら鍋、当時の流行したヒット作品の一つなので、結構インパクトがあったらしいですね。
へー。あぐら鍋。
これも二つはどちらもですね、文化的だったり宣伝文句で、西洋文化を取り入れようぜっていうアピールになってるんですよ。
おー、西洋文化ね。
当時の日本っていうのは、特に今の東京近辺っていうのは比較的ね、外国人もその辺うろうろしてますし、すぐそこ、築地に外国人外があるわけですから。
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あー、あるって言ってたね。
それなりに交流もぼちぼち出てきていて、ちょっとずつ受容はされていくものの、やっぱりね、もともと上位思想があった、鎖国してた国ですから、なんだあいつらって気持ち悪い、変なのみたいな雰囲気の方が多いわけですよ。
あー、そうなんだ。
これね、歴史を一通り、特に植文化史を見ていくと、全部イコールなんですけど、どこの国でもまず最初に、西洋の民族とかに出会った時ですね、あいつらなんか変なもん食ってるっていう動きをしてるんですよ。
あー、変なもん食ってる。
そう、なんでか知らないけど、バカにしてるとかじゃないと思うんですけど、なんか変だなあいつらと思ったら、なぜかみんな食い物に行くっていうね。
あー、なんかその話あったね。
ホモサピエンスみんなやんのかなこれ。
あー、基本的に養子とかではないね。
養子ではないことが多いかな。
もっとピンポイント的な。
そう、例えばローマ帝国の時代とかね、カエサルが初めてゲルマン民族に接触した頃とかさ、あいつらこんなもん食ってやがるって書き残したりするから。
あー、ビールとワインだ、あったね。
そう、出てきますよね。あんな感じのニュアンスですよ、当時の庶民は。それに対して福沢恵吉とか金垣論文っていう人は、そうじゃねえぞと、いいよ、もっともっと受け入れたがいいよ、みたいなことを書物を通してPRしていくんですね。
へー。
面白いのが明治4年のあぐら鍋が出版されたすぐ後ぐらい、9月か11月ぐらいだと思うんだけど、新聞雑誌という新聞があるんですよ。
ちょっとややこしいな。
これね、マジで読んでて意味がわかんなくて調べ直したんだけど、その書物、なんて言うんだろうね、ムックボに近いのかな、何月号、何月号みたいな感じで出版される見開きくらいの薄い雑誌があって、それのタイトルが新聞雑誌なんだよね。
雑誌ほど、今の雑誌ほど厚くはない。
ペライチぐらいの感じらしいんですよ、実物僕見てないんですけど、この新聞雑誌19号、これちなみにこの新聞雑誌というペーパーを作るように動かした人が、これ木戸たかよしなんで、
木戸たかよし、木戸さん。
木戸さん、長州藩の木戸さんが、プロパガンダというか、今の日本の社会情勢こうなってるよとか、明治維新ってこういうことやってくんだよとか、政治とか社会や経済に関することをまとめて情報にして、それを出版してたんですって。
うんうん。 それの19号に載ってたのが、明治天皇陛下も毎日3食牛乳か乳製品を召し上がっておられると、ですよ。
でもそんなの載せるんだね。 この時天皇陛下というのは当時ですね、今までの幕府体制から一気に天皇制に寄り戻すみたいな動きの直後ですからね。絶大なるインパクトがあるはずですよ。
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そうだね。 金城陛下が牛乳を召し上がっておられる。うわーいいんだってことになりますよね。
確かに。巷ではまだまだメジャーではないもんね。 はい。これが食べ物ラジオのシリーズの中で日本料理の変遷の中で、明治天皇が生産にフランス料理を取り入れた。
メインの晩ご飯ですね。それまでもちろん和食で本然料理とかを食べてたんですけど、いきなりフランス料理になったと。
ご本人は和食が大好きなのに、庶民に西洋文化を取り入れることをPRするために、また西洋の人たち、外国の人たちにもこういうのちゃんと受け入れてますよというアピールをするためもあって、西洋文化を食の面からも取り入れてた時代で、それを書かれたのがこの新聞雑誌の第19号。
天皇陛下の話あったね。和食を食べたかったっていう本音がね。 そうなんですよね。 メイン しょうがない。黒船来て以来、日本なんかひっくり返ったら大騒ぎだもんね。
そうなんですよね。この時はもう西洋列強に追いついて、僕らは肩並べてますよPRをしなきゃいけない時代なので、多分そういうことをやってたんでしょうね。 メイン 両馬伝を見てるからさ。
今? メイン 今? だいぶ昔10年以上前に見たね。それ以来見ろって、なんかタイガードラマもう少し見ようって言われたからさ。
言ったかもしれません。 メイン 姉ちゃんにも言われたし。 そうね、僕じゃなくて妹に言われてましたね。 メイン 言われてた。当時全然わからず見てたからさ。
今改めて見て、だからさっき木戸さんってなった。 木戸隆先生ね。話戻しますけど、こういうプロパガンダ的なこともあって、細かいことは言わないですけど、その翌年ね、国学者の近藤さんっていう方が牛乳講っていう本出したりとかしてね。
メイン 牛乳講? 牛乳を考えるって、なんとか講っていうのはそのことについての書物みたいなイメージで捉えたらいいと思います。なんとか講ってのは白牛楽講みたいなのも江戸時代に出版されてますからね。それと同じような感じで近藤さんっていう国学者、国学者っていうのは国の歴史とか国の文化とかをメインで研究してる学者さんだと思ってください。
国の学者さんね。 メイン 元折信長とか有名ですよね、江戸時代だと。 名前しか知らん。 メイン 国学者の近藤先生っていう方が書いてるんですけど、これは政府の依頼で書いてねーって言われて書いてるらしい。
政府依頼。 メイン でこの政府で依頼されて国学者が牛乳のことを書くじゃないですか。そしたらなんか平安時代ぐらいから牛乳が日本に入ってきていて、まあそれ以前から入ってきていてってあのこのシリーズの3、4話前くらいにやりましたよね。
その朝鮮半島からトライジンが来て、それをこの牛乳港の中で書いて、だから西洋の食文化を受け入れるとなんか今の日本人はそんなものって言ってますが、実は日本もかなり初期の頃から牛乳に親しんでるんですよみたいなPRしてる。
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事例3つも4つも挙げましたけど、まとめると西洋文化取り入れようぜって言ってるだけ。 確かにそう聞こえるね。 メイン で経済的に取り入れる、何だろうね理由が経済に近いじゃないですか。前回の話もあるんで。そういう意味もあって、政治的な意図もあってグイグイグイグイ政府主導で広げようとしている。ただまだこの時点で牛乳屋さんが少ないんですよ。
牛乳屋さんが少ない。 メイン 数件しかない。 そんなもん。 メイン 初期の頃だから明治4年段階当時の東京市ね。この頃東京都じゃないから。東京府の中に東京市がある。京都府京都市みたいな感じね。
東京府東京市の中のいわゆる都心ですよね。都心にある牧場というか作乳場ですね。牛飼ってるんで。そこが大体6、7件。 6、7件。少な。 メイン で飼ってる牛の数の合計が15頭。この状態でみんな牛乳飲もうぜーって言ってるんですよ。
普通のマーケティングってさ、物があってせめてマーケティングするじゃん。すごい誤差があるよ今。 メイン ここから一気に埋めていくんですよ。その生産者側を増やそうっていう努力も政府が働きかけをしていくんですね。
あと社会のニーズがあれば売れると分かれば入っていきますよね。っていう感じでどんどんどんどん牧場みたいなのが増えていく。しかも都心に。これ前回の話でも結構タクもスルーしてたし、リスナーさんもふーんとか言ってるんですけど、よーく考えてくださいよ。
築地に牧場、新宿のど真ん中、今の都庁あたりとかアルタマイあたりに牧場ですよ。浜松町に牧場が5、6個みたいな。よーく考えてね、現代のあの場所だよ。そこにバンバンバンバン作乳場、牛飼ってるお家がいっぱいできるわけ。
なんでそんなことが可能なのかというと、実は当時の今で言う日本橋とかね、九段下とか築地新橋、あのあたりですよ。ガラッガラ。空き地だらけ。そうなんです。これね、歴史の教科書を見ていてもこの辺何も語られないんでスーッと流れていくんですけど、実は明治に入ってすぐの頃、明治元年から10年くらいの間ですね。
いわゆる都心です。皇居を中心とした都心ですね。あのあたりの土地っていうのはほとんど空き地なんです。
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というのも、これは江戸時代の地図を見るとよくわかるんですが、今の皇居、つまり当時の江戸城ですね。江戸城を中心としてぐるーっと周りに何があったのか。わかりますか。
何があった。 どんな建物が建っていたのか。 どんな建物? 誰が住んでるんですか。 武士?
武士ですよね。これ地図、グーグルで検索したら出てくるかもわかんないですけどね。地図見ると、なんとか藩、なんとかの国、何々の神みたいなね。掛川藩、太田の何々とかね。お殿様の名が書いてある。
武家屋敷の中でも大名屋敷がめちゃくちゃいっぱいあるんですよ。しかも当時の大名屋敷、現代でいくとね、そうだな、ワンブロックじゃ住まないな。大きい屋敷だとね、なんかすさまじい広さですからね。町1個丸ごと大名屋敷1個で収まるみたいなね。ぐらい大きいんですよ。
そんな大きいんだ。 そういうのが都市にギューっと集まってたんですけど、これ江戸幕府消えたじゃないですか。大名も当然参勤交代の意味ないですよね。で、もともと江戸屋敷、大名屋敷というのは参勤交代のために住む場所ですから。1年掛川藩に住んで1年江戸に住む。これを交互にやってるわけでしょ。行かないんだからその大名屋敷いらないよね。
誰もいないんですよ。で、この無人化し始めるのが明治元年よりも前なんですね。幕末くらいにもうその状態になっちゃうんですよ。当然母親戦争で明治政府軍と幕府軍戦ってるぐらいになると。行かないですからもう。
いう状態になってこの土地丸ごと明治政府が接種する。募集するわけですよね。当時の東京市の面積のうち約70%が武家屋敷でこれの全部じゃないですよ。一部の人はそのまま明治政府に使えるんでそのまま住むんですけど、ほとんどが明治政府の土地になっちゃうんですよ。
で、住む人いないじゃないですか。建物屋敷だけ残ってるんです。しかも10年ぐらいぼったらかしになって草が生えて屋根が落ちて壁も崩れてるようなところ。どうするってなるじゃん。
で、もうなんつーのね。管理の手が回らなくなって処分したいわけですよ。何ならこの後財閥化してくる三井とかにね。お前この土地買え。買え。何とかしろっていうぐらい。
そうなんだ。五大トマスとかね。その有名な財閥になってくる人たちにおい買えって言って無理やり買わせる。この当時明治の初期だと一坪の土地の金額が2005輪。2005輪?ピンとこないですよね。だいたいこの令和の時代の金額に換算すると一坪だいたい200円から300円。安っ。それでも高いって言われてた。
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まあ林買うようなもんか。 ただですね、江戸の一番栄えてた時代ですよ。文化分析とかね。あの時代だと土一升金一升って言われるぐらい江戸の土地っていうのは高かったんですよ。そんな高いの?土を一升買うのに金が一升必要だって言ってるんですよ。高っ。
だから今の東京とか世界で言ったらニューヨークとかロンドンってものすごく土地が高いことで有名じゃないですか。もうすでに江戸時代の江戸がそうだったんですが明治始まったすぐにいきなり200円まで下落するっていう状態。
この状態だからそこに人が入ってきて入食をして払い下げをしてもらってそこで牧場を始められる状態になるんですね。なんかお茶を育てたりとか桑を育ててカイコを買おうとかってやるんだけどそれうまくいかない。
いわゆる食産興行しようみたいなねいうことをやるんだけどうまくいかない。ただ牛さんを買うことだけはなんとなくうまくいったの。なぜかというと外国人居留地も近いしさっき言った通り政府が主導になって牛乳飲もう飲もうって言いまくってるんでマーケットだけ広がってるんですよ。
しかも当時冷蔵庫ないしね。オケに牛乳入れてさお玉を持って呼び止められたらそれからすくって1号の半分だから5石でいくらみたいな感じで売ってる感じだから近い方がいいわけですよ。
江戸の庶民に一番近いところで作ってすぐ売るってこれロンドンの初めの頃と一緒ですよ全く。この構造たまたま土地が余ったのでできちゃう。でこの働き手の初期のメンバーっていうのは元武士ばっかり。
ああ武士なんだ。 いやね幕府なくなるじゃん要はリストラされるわけですよ。 まあ仕事ないよね。
ただ私族の受産政策って言うんだけど産業がないからそこに行って働けと。牧原大地のお茶の買い込みも同じだよね。
ああ確かに。 あんな感じでちょっとお金恵んでやるからその代わり今まで払ってた法律ゼロねっつって。
お前ら新しい商売見つけなさいよっていう中で一部の人たちがこの作乳業に手を出していく。めちゃくちゃ仕事ハードなんだけど顧客をうまく捕まえることさえできればめちゃくちゃ儲かる商売。
まあそうだね。 実際渋沢一もそれで手を出してものすごい大きい会社を作ってましたよね。前回これ限定で話したんだな。
芥川龍之介のお父さんがそれでひと山出たって話ですね。というのもこの中に入ってくる感じね。
ああそうなんだ。 これをやりていくうちにどんどんどんどん増えていってマーケットも大きくなって時代一気に飛んじゃうんですけど明治33年段階の統計だと
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元々六市圏だった牛乳屋さん生産者さんが329件に増えます。都心だけでね。しかも牛の数は3557頭。元が15頭。30年でそんだけ増えた。
増えたね。 という感じで伸びていくんですよね。これがまず第一幕ですよ。
これが第一幕ね。 この後に社会がぐちゃぐちゃになっていくんですけど結構大きな要因になったのが疫病。
疫病? はい。パンデミックです。 ここで? はい。我々もついこの間ね大変な目に遭ってましたけど。
そうだね。 まだその余波ありますよね。この明治の初期の段階ではコレラが大流行します。
コレラ。 コレラの流行っていうのは実は江戸時代にもあるんですけどそんなに大きく広がらない。
ところが明治になってくると外国性の往来が激しくなるので収まったと思ったらまた来る。収まったと思ったらまた来るっていう状態なんですね。
ロックダウンしてるわけでもなんでもないですしコロナの時みたいに水際対策ってもちゃんとできてないですから収まってもすぐまたやってくるんですよね。
外国から。記録ざっくり言うと大きな大流行でいくと明治12年、15年、19年、23年。
めっちゃ来てるね。 めっちゃ来てる。明治12年の時なんかは12年か15年の時なんかあれですね罹患者数16万人。
16万人。 うち約10万人ちょっとぐらいが亡くなられてるっていう記録。
そんな死んじゃうの? そういう時代なんですよ。まだワクチン的なものとか出てきてないですから。
そうなんだ。 衛生概念これから出てくるんですよね。ちなみにこの後衛生概念を成立させて日本の近代衛生概念をシステム化する人が出てくるんですよ。
長代仙才という人です。長代さん。下の名前が仙才さんね。 すごい漢字だね。 旧字体で書いたんで余計わかりづらいんですけど。
長代仙才という方が衛生思想っていうのを作っていく。これらの撲滅に頑張っていくんですね。
ちなみにこの人の教え子の中に後藤新平とかがいたりとか、あとは北里柴桜。新しい1万円札じゃなくて千札だったっけ?の肖像になってる方ですよね。
そうなんだ。 毒の…難しいんだ。まあいいや。北里柴桜とかもこの人の影響を受けてる。
長代仙才は福沢恵吉と先輩後輩関係でめっちゃ仲良いみたいな。 そこが繋がってんの。
同じ大阪の敵塾出身で福沢恵吉が塾頭で福沢恵吉が東京に行った後、大阪の敵塾で次の台の塾頭をやったのがこの人。
そうなんだね。 そんな感じの人なんでめっちゃ仲良くて。福沢恵吉のパワーとかを借りながら東京を中心に日本全体の衛生概念を固めていくという感じなんですね。
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これがこの後のちに効いてくるんですけど、大体明治10年くらいになってくると、消費量も増えるわ、作乳業者も増えてくるわ。
要は市場が大きくなってくるわけですよね。そうすると作る人が直接売るのが手が回らなくなるので、
配達受け負い人みたいなアルバイトというか配達専門店、新聞作る人がいて新聞を配る人がいてみたいな感じになったりとか、牛乳の小売店みたいなことをやる人たちが増えてくるんですよ。
これアメリカとかイギリスも同じでしたよね。同じことが起きたということはその後に起きることも大体一緒なんですよ。
毒薬まではいかないんだけどね。水増しをする人たちが出てきちゃう。
水増しはするんだ。
なって江戸時代お酒水増ししてたぐらいの感じですから。
確かに水増しがそうだと思うね。
やっちゃうんじゃないの?知らないけど。ちょっと悪質な人も出てくるし、あと衛生概念がまだちゃんと浸透しきってないんで、
この牛乳今朝のだけどいける?いいんじゃないの?って言って夕方に配る人とかいるわけですよ。
で、牛乳を買ってくるときもブリキ缶の大きいのにドバッと入れてもらって、自分の店に戻ってきて180ccのブリキ缶なんかに移し替えて、それを配るわけですね。
で、その移し替えたブリキ缶の衛生概念どうなってんの?とか蓋どうなってんの?とか、もう雑なわけですよ。
ゴシゴシゴシゴシ水洗いして乾かしてまた入れるみたいな感じなので。
まあヨーロッパに比べれば。
だいぶいいです。だいぶいいんですけど、いいとこいったね。
なぜだいぶいいかというとですね、実はこの長代仙才とかその部下だった後藤新平とかすげえ賢くて、
まあ当然福沢諭吉もいるから一緒に考えたんでしょうけど、どうやら欧米諸国ではこういう混ぜ物をして薄める輩が出たらしいと。
今これだけの動きをしているとこの後販売業者が増えたらきっとそういう奴らが一部出てくるはずだ。
だから事前にこういう規制かけとけっていう動きも同時にやってはいるんですよね。
ああちゃんと歴史学んでる。
しかもこれらとかって水とか牛乳とかが媒介するって話、これもロンドンの話をした時に出てきましたよね。
だから牛乳の検査の機能もちゃんと持たそうぜっていうので準備はしてるんですよ。
常に準備してる。先回りして。
長尾先生で、もう僕先生って言っちゃうんだけど偉いなと思うのが、ロックダウンをするとそこから抜け道を探す輩が出てくるぞって予見してるんですね。
まあ締め付けが厳しいとその分悪性が働くみたいな。
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そうですね。俺はかかってないとかこれ違うから大丈夫みたいなことを言い出してその潜っちゃう人たちが出てくる。
しかも未知の流行病だから余計怖いじゃないですか。そういうことをするとダメだからロックダウン的な強制力を働かすのは良くないと。やめよう。
その代わりちゃんとみんなに分かってもらって官民一緒になって協力体制を構築すべきだ。
これを明治10年より以前から始めていて、そこから明治時代をかけてずっとやっていくんですよ。
これがそうして衛生局ができた後に試験場があってここで牛乳の検査をするわけですよ。
炭素病にかかってませんかとか牛液にかかってませんかとかコレラに感染してませんかっていうのを牛乳を検査することで牛が大丈夫かっていう検査をしていくんですよね。
お金を払って自主的に持ち込み分析する会社がボンボン出てくる。
えっそうなの? そう。1回1円かかるんだよ当時。
1円。 1円っていうのはその前の江戸時代で言うと1両ですからね。
1両? 1回1両かかるんだよ。
すごい金額。 10万円くらいだよ。
それ払って自主的に持ち込み分析をしてもらってもちろんその後にその業者はうちのは分析済みだぜって言って宣伝に使うんだけど。
そういう動きが明治10年から20年くらいの間に動いてくる。
へえそこはちゃんとやるんだ。
同じ鉄を踏むんだけど直前で回避策打ち続けてる。
それは先行事例がイギリスとかアメリカとかから入ってきてるのでちゃんと学んでるからこれができるんですね。
だから独役にならないの。
ならない。 ならないの。
ギリギリで全部返してて問題にはなるんだけど直前でうまく回し続けるの。
まあ重症化する前に策を打ってたと。
そうギリギリで。
でこういうことが起こってる最中で消費者はどうかというと西洋文化入ってきたわーって言ったことで
西洋からの書物が入ってくるんですよ。翻訳書。
翻訳書。 医学書とかね。
薬学書とか育児の本家庭の家事の本とかいろんな本が日本語に翻訳されてバンバン出版され始めるんですね。
西洋文化取り入れたらものだけじゃなくてそのなんだら座学的なものも欲しいじゃないですか。
バッと入ってきたらあれ牛乳って母乳の代用できるらしいぜってことに気づくというか知らされるというか。
でそのやり方もね結構細かく書いてあるんでそのイギリスの書物とかアメリカの書物に。
ガラスの哺乳瓶を使って哺乳瓶の消毒はこういう風にしてで牛乳はこのぐらいの鮮度でやらなきゃいけないよとか
牛のこともその牛を飼っている飼い主のこともちゃんと見ないと悪さするといけないからその辺もちゃんと疑問するんだよみたいなことが明治10年頃の翻訳書に書いてある。
そこまで書いてあるんだね。 そうなんですよ。
そこからもうあと5年10年後ぐらいになると今度は日本人のお医者さんとか小児科医とかね当時の三馬さんとかねそういう方々が本を書き始める。
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本を書き始める。
翻訳書ってすごく細かく書いてあるんだけど日本人の生活にフィットしてないんですよ。
確かに。
だから日本人が日本人のために日本文化に則って書くんですよ。
しかもねこれちゃんと偉いなと思うのがねひらがなが多くなって漢字のすべてに確実にふりがな振ってある。
ふりがな。
そして絵も書いてある。
なんでこういうことをしてあるかってこれね当時の日本の教育レベル水準から行くとですね女性は漢字を読まないことが多いんですよ。
そうなの。
すごく雑にいますよめちゃくちゃ雑にこれ怒らないでね雑に言うと漢字は男ひらがなは女子っていうようなところがあってもともとね。
で書面も漢字かけないでひらがな読んでる人が多いので江戸時代の書物見るとさなんかネズミがのたくっていう字出てくるじゃないですか。
あるね。
あれ結構ひらがなが多いんですけど。
確かに金文字だね。
ああいう漢字なので漢字でガチガチ書かれても困るわけですね。
ああ慣れてないからね。
でも肉敷きの説とか福沢栄一先生が書くと漢字が多いんだ。
まあそうだよね。
近藤先生の牛乳講とかもねそれをひらがなに開いてちゃんとでふりがなも全部振ってで差し絵もついていて説明書きもそこに直接書いてあるみたいなのが出てきてこれいいって言って牛乳を子育てに使い始める。
当時の言葉でいくとね人口栄養とかね人口育児とか言ってね。
人口?
そう人口的に何とかするみたいなイメージですよね。
そういう意味あるんだね。
母乳ではなくて人口の母乳として人口栄養とか人口育児って言われてねいうのが流行り始めるんですよ。
もちろんその一般庶民のいわゆる社会の下層ではなくて上層ね上の方お金持ちとかに先に広がっていってそれがだんだんシャワーのように降りてくるっていう感じなんですね。
っていう感じでこう広めようぜって言ったらまず最初に子育てに行くみたいなのが大きな流れですよ。
子育てから?
で子育て中心なので衛生概念ちゃんとしないとやっぱまずいじゃん。
一番まずいね。
一番まずいでしょこれイギリスの時もやっぱり同じこと起きてましたよね。
まあそうだね。
でそのイギリスの牛乳が綺麗になるのは戦後のことでしたよね。
戦後だったね。
これね日本はいきなり回避行動入るんでもうすぐに。
すぐに?
もう明治6年から18年の間くらいだからちょうどその育児に牛乳いいよって言ってる真っ最中ですね。
これは内務省が指示を出して国のですね内政をやるところから指示が出て
実際に動くのは警視庁なんですけど東京の場合は。
警視庁が動くの?
そう当時は警視庁が何とかの規則みたいなのを国が出したとすると
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それの取り締まり規則の最速っていうような具体的な取り締まり方法の細かいのを決めて実動する。
厳しく取り締まったりとか指導したりとかやってたんですって。
その規則の中で警視庁が出したのはもう牛舎牛を飼ってるところは絶対に清潔に保って
臭い匂いとか絶対出しちゃダラーとか異物混入は絶対にならんとか
で貯蔵の時には銅の入れ物を使うと銅が溶け出して体に良くないからこれもダメだとか
ガラスも使いなさいとかっていうのをどんどん始めていく。
もう明治18年にはブリキの缶使用禁止とか言ってるからね。
ああそうなんだ。
でもすぐに明治21年2年くらいにはガラス瓶が登場してくる。
へえ早っ。
1888年89年なんでね。
この年あれですよ、サントリーとかキリンビールとか朝日ビールの前身であるビール会社がボコボコ出てくる時代。
スプリングバレーがその10年くらい前かな。
そうなんだ。
確かにちょっとうろ覚えだけどキリンビールっていうブランドができたの多分この時代。
へえ。
だしアイス工場、氷を作るで販売する工場も出てくるのやっぱこの時代なんで。
ちょうどその時代だからこそこういう動きがさらに加速していくみたいなね。
他の食産業もだいぶ確立し始めたというか輸入されてきた頃だったね。
そうなんですよ。
みんな東京でもそういう動きがどんどん動いてってかなりスピード早く動いてきますね。
こういうのやってる一方で思想的にはやっぱ母乳じゃね。
牛乳さ、そもそも子育てに向いてないことないっていう論も出てくるんですよ。
なんか揺り戻しみたいな。
ありますね。やっぱり揺り戻しだと思います。
というのもイギリスの話をした時に牛乳はほぼ完璧に近い栄養食であるみたいなこと言ってましたよね。
それそっくりさも日本に入ってくるんですがそれはちょっと言い過ぎなんじゃないっていう感じの人たちも出てくる。
これ現代でもありますよね。
それはあるね。
牛乳を飲むと体に良くないからやめたら健康になったっていう言説も今たくさんあるし本も出てますし。
SNS上でもいっぱい声が出てます。
これどっちが正解かもう結論がつかないのでわかんないんですけど。
農業も一緒だね。
なのでこの辺は僕は言及しないようにするんですが結論が出てないものはちょっと怖いのでね。
まあ人体実験を長くやるしかないからね。
僕の感覚では体に合う人合わない人いるんでしょうねぐらいなんだけど。
でもやっぱ当時最終的に育児では基本的には母乳がメインだよねやっぱり。
それは人育てるために人が出すんだからベストでしょ当然の話なんだけど。
あくまでミルクは代用だけどでも有効だよねっていうところで決着をする。
ここにゲイルボーデン茶のイーグルコンデンスミルクがちゃんと入ってくるんだわ。
39:02
ここに入ってくる。
輸入してくる。
輸入して?
はい。
へえ。
すごいよね。おーそこで来るんだみたいな。
そこで合流するんだね。
でちゃんとそのコンデンスミルクの使い方も和訳されて広まっていくみたいなね。
へえ。
いうふうになってくんですよ。
でもなんか今までの歴史日本のこの数年数十年間でギュって収まってるねなんかね。
ギューっと凝縮されてるでしょ。
うん。
もう僕これ勉強しながらワクワクしちゃってて。
すごいね。なんか全部伏線じゃないけどなんか最後のようやくみたいな。
感じでしょうね。
うん。しかも成功事例みたいな。
ミルクの歴史をギューって縮めたらこうなるみたいな感じよね。
うん。しかも今までの食べ物シリーズやってきたのがずっと絡んでくるからね。
そうだね。
確かになぜやったかは今まで知らないとね。ここの凄さがわかんないよね。
そうだろうね。だってこの時点でもう低温殺菌がルール化されてないけどみんな殺菌とかやってますからね。
ああやってるんだ。
ただスキームが確定してないので作乳業者がその場で高温殺菌ね。
75度とか80度とかで高温殺菌をやったりとかそうじゃなくて販売者小売業者とかが独自にやっていたりとかバラバラなんですよ。
でも長洋戦災が落とし込んだ衛生概念だけは進んでいるのでみんなやらなきゃいかんと思ってる。
でも技術がない。で機械もないっていう状態だったんですよ。
これをゴリって変えていくのがやっぱりこの長洋戦災とその出し筋にあたる後藤新平あたりがゴリって動くんですよね。
明治33年1900年ですね。このあたりから容器は絶対にガラスじゃなきゃダメ。配達もガラスじゃなきゃダメ。
作乳したら衛生状態の良い状態でガラス瓶に入れて蓋をしなさい。
配るときはそのガラス瓶を配りなさいっていうような規則ができたりとかね。
日商牛乳運動ってアメリカであったでしょ。
1907年から10年ぐらいにやっとこそあちこちの州で認められて、
でも全部取り入れてる人は全体の1%か2%しかありませんでしたよみたいな話してたじゃないですか。
日本の場合はそうですかわかりましたって言ってグンって行くんだよ。
政府のパー超強いから。
今ちょうど立て直し中だしね。
そうなんですよ。増えたといってもまだ300件くらいなのでちくんでしょうね。
ただ明治33年牛乳営業取り締まり規則の改正ですね。もともとあったんだけど改正されて、
牛乳の成分規格がこういう内訳じゃなきゃいけないよっていうのが決まってきてね。
科学的に検査したらこれが何パー何パー何パーみたいなのがちゃんと決められて、
ガラス容器も全部ガラスを基本的に使いましょうってなっていったのと同時に作乳所の構造、建物の構造ですね。
42:01
牛さんを飼ってるところとか、牛の乳を絞る場所とか、牧場周りですよ全部。
その建物の構造が悪い状態だったり水回りが良くないとかね。
立地条件とかを噛み合わせるとこれだと異臭が出てしまうとか牛の体調崩しやすいとか感染しやすいとかいろいろこうあるじゃないですか。
それ全部整理してきちんと規定決めたんですよ。
きちんと決めたんだ。
まず建物の状況、牛舎の状態をきちんとしましょう。これ決めたんですよ。
そしたらね困ったことにね、都心の作乳所、このままいくと建て直さなきゃいけないことになっちゃったんだよね。
建て直し問題は出るだろうね。
困ったなどうするよってなったら、なんとこのタイミングで明治33年はまたね東京の土地の価格が爆上がりしてるんですよ。
分かります?
そっかいろんなものがね発展してきてね。人が集まれば土地も上がると。
それは東京ですもんだって。で田舎は安いわけですね。
だから例えば当時まだ田舎だった新宿とかね板橋とかね今の葛飾区とかあっちの方にみんなお引越しをするわけです。
土地がないから。
広い土地は安いけど今いるところは狭くてダメだって言われてるからここ売っちゃえば引っ越し金なんかサクッと出るんでね。
確かに。
だから新宿板橋あたり葛飾区あたりに削入所の集積地域みたいなのができるんだよね。
こぞってその場所に移動。
そこでギャーッと集まってきちゃう。
まあ集まったほうが効率いいよねこういう牧場系は特に。
例えば新宿だったらもともと公衆街道があってさそこから陸続きで街道が通ってるんで青梅街道とかねあるんでそこから売りに行くにも都合がいいとか。
葛飾の方だったら海運水運を使えるとかそういう立地的な条件も良かったんですよね。
もうただの工業団地だけど。
そうですよ牛乳団地ですよ。今新しい言葉できたけど。
確かに。
そういう感じになってったみたいですよ。
ちなみにねどうでもいい話なんだけどこの明治33年西暦と1900年ですねこの4年後に日露戦争が始まるんですね。
日露戦争。
日本とロシアが戦うやつですよ。この時期に合わせて日本っていうのは軍国化が進むんですよ軍事増強っていう状態になるんですね。
あと陸軍の場所が欲しいじゃないですか軍用地が。もちろん築地のあたりもそれができるし海軍のそれができたりとかしますよね。
それの候補地になったのが新宿とかあっちの西側の方にあったんですよ。
そうすると土地を国が買い上げるっていうのがわかってくるじゃないですか。
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その田舎で土地を持ってる農家とか地主さんたちは買ってくれるんだったら買ってくれたら儲かるよねっていう挙動をします。
不動産みたいな。
これは現代どこでもそうですよね。
例えば近年だとリニアだったりとか新透明化みたいな幹線道路が通るときには土地の人たちはここ通ったらなんぼかなとかって川山用し始めますよね。
するね。
そうするとそこに建物作るのやめようかなとかなりますよね。
なるでしょ。
下手に建物作ると買ってもらいづらくなりますから。だから農業をやめるんですよ。
農業をやめる。
農作物作ってるよりもなるべくやめやすいもの移動しやすいものに変えたほうが便利じゃないですか。土地売れるのわかってるんで。一部の人は植木屋さんを始めたりとかね。
植木屋さんなんだ。
身軽ですよね。
身軽だね。
一番多かったのがやっぱり作乳業者になる。牛買い始める。
え、牛って手軽なの?
手軽というかね、儲かる上に作物を育ててないから移動しやすいみたいなのがあるらしくて。で、作物、牛を飼ってないところでも牛の飼料を育てるとかね。雑草だから。
まあ確かに。
そういうのを作ってやる。周り集積したからいくらでも売れますしね。みたいな感じで、よりその辺りが牛乳エリアになるっていうね。
いろんな要素がガッチャンコするね。
この塊が、牛乳の塊が毎朝、朝と夜の2回ね、都市に運ばれていくわけですよ。もちろん金財でも売られるんですけど、大消費地である都市にどんどん運ばれますよね。1日2回ですよ。
1日2回はいくの?
朝絞って届ける、午後に絞って届けるんですよ。絞ったらすぐ届けてすぐ売らないとダメになっちゃうんで。
確かに。
真空パックもできないから。ってやると、やっぱり売り手が足りないよね。また今度は都市に牧場は持ってないんだけど、販売はしますよという人たちが増えてくる。いわゆる販売代理店みたいなのがドーンと増えてくるんですよね。
そうするとね、販売業の下等競争っていうのが始まるんですよ。なんか聞いたよね、この話ね。
まあしょうがないね。売れるものを取り扱いたいと思うのはね、商人だから。
これまた繰り返すんですよ。陰を踏んじゃうんだね。
ここはね。
でも、牛乳営業取締り規則でもって容器決められたし、成分も決められているので、さすがに薄められたりはしなくなる。このタイミングで政府はまた違う問題を抱えてるんですね。
違う問題。
当時日本の乳幼児死亡率が結構問題視をされていて、子供が大きく育たないと。小っちゃいうちに亡くなっちゃう子たちが多いよねって。これね、ネイサン・ストラウスがミルクステーションを作った時も似たような話しましたよね。
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したね。
当時の東京、日本もそれを懸念している。当時の先進諸国に比べて圧倒的に低いので、文明国に並ぶためにはせめてこのぐらい改善しないと格好悪いよねみたいなところもあるし、子供たちが育たないということは後々兵士になる人材不足にもなるので、これはよろしくないと。
社会的にも貧富の格差が大きいとか貧困とかそういう概念があるといけないよねっていうところが問題視をされていたんですよ。で、ツブさんに調査をしてみたところ、乳幼児死亡率が高いのは田舎ではなくて都会だということがわかりました。
じゃあ東京の中をエリア別に分けて調べてみましょうって言ったらやっぱり死亡率が高いのは例えば東部地区とかの労働者の街、お金のないところ。お父ちゃんお母ちゃん全然働けへんからあんまりお金がない。すごいのがね働いてんのにお金がないんじゃなくて雨降ったからやめようみたいなノリで働かなかったりするわけ。この産業化の後に。
そういう人たちが何割かいる。もちろんそれじゃなくて絶対的貧困層っていうのもいるし第二貧困層って言って働いて稼ぐんだけど余計なものに使っちゃう。時間は限られてるって言ってるのに動画を見て溶かしちゃうみたいなね。
現代人で言うとそんな感じ。これあの社会の話だと第一貧困第二貧困って言うんだけど第一貧困はもう絶対的な貧困層。第二貧困はもうそこ使わなければ栄養あるものに変えればいいのになんでお前お菓子買っちゃうのよなんで酒に変えちゃうのよっていうの第二貧困層ね。
そうやって言うんだね。 でこの層が集まってるところが当然だけど死亡率が高いと。調べてったらなんかみんな変色だしね。 まあそうなるよね。
親がそんなんだから子供も変色になっちゃう。食べられるものも限られるし。しかも食とか食事自体に無頓着。あんま気にならない。味がついてなくてもまあいいやみたいな感じ。だから栄養不足が進んでいく。
この当時の社会のことを考えてる東京府知事とか内務省とかそういう偉い人たちはこの栄養不足問題は社会的な課題である。頑張らないやつが悪いんじゃなくてこれは産業革命以降の社会構造の歪みの結果生まれたものである。
だから新婚世帯を救出するために行うべきは社会の構造改革である。だから富裕層の人たちも我々政府の人間も協力し合ってこの社会システムを変えるべきだっていう概念を持つんですよ。なんかすごい考え方よね。
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資本主義なんだけど若干社会主義っぽいような救済の措置があってこの辺が実に日本らしいバランスの取り方かなと思うんだけどこういう概念で動くので貧困層とかあと栄養不足の子どもたちに対して何かしらの施策を打つんだけどそうすると寄附が集まるの。
特殊化っていう人たちだったりお金持っててそういうのに貢献しようネイサンストラフだよねアメリカで言ったらああいう人が出てきたりとかそれも表だって自分で活動するんじゃなくて東京府がやってくるんだったらそこに僕はお金を出しましょうっていう人たちが何人も出てくる。
企業もお金を出す。で同業者団体でお金を集めて寄附を入れるみたいなことをやり始める。でまずこれの手始めに牛乳配ればいいよねっていうのはその育児のさっき言ったね育児に牛乳が有効だってことがわかったのでそれを配ればいいなとは思ってるんだけど
その前に児童相談をしようと健康相談みたいなことをやろうと困ってるんだったら一回来てくださいと相談に乗りますでカウンセリングします指導しますサポートもしますみたいなことを東京都でやり始める東京附加都市でやり始めるみたいなことをやっててそれがちょっとずつ回り始めるんですよこれが大正時代ね
で一方一方あさっての方向でよくわかんない牛乳ブームができる 牛乳ブーム そうこっちでさすごい政治側とか貧困層側とか子育て側とか一生懸命頑張ってるじゃんそれをよそにですね全然関係ない文脈で全然関係ないところでプチ牛乳ブームができるのよ
あのねミルクホールっていうのができるんだよ ミルク ホール イギリスでミルクバー流行ったよねそれよりも20年くらい前に日本の早いんだけどミルクホールっていうなんかね喫茶店みたいなとこができるの ホールってそっちの意味ね
現代人だとクラシックな喫茶店みたいなイメージしてくれたりかな 扉がガラスのでさカランカランカランってねで中入ったら白いテーブルクロスがかかったテーブルがあってさでソファーがあってでそこで腰掛けて新聞とか雑誌を読みながらミルクとトーストみたいなね
日本も意外とそういうとこ流行るんだね 結構流行っててしかもね局所的に流行るのがね例えば東京の本郷とかね 本郷 芝とかこれね東京大学周りとかね慶応義塾大学周りとかね 大学周りなんだ
学生とか当時のなんだ書生と呼ばれてるその若くて知識があってで苦学生はあんまり来ないんだけど親がそこそこ裕福だからそういう大学に通えてるような人たちね うんうん 秋田川とかもそのうちの一人なんだけど 秋田川もそうなんだ はい親金持ちだから まあ確かに 新原さんって鉱木社っていうねでっかい牛乳業者やってるとこだしその社長の息子だからね
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うん そういう人たちがミルクホールに集うとでこのミルクホールが流行った理由がちょっと僕面白くてさ ほう 牛乳が当時1号4線で配達してくれたんだけどミルクホール行ったら1杯4線なの うん 今ね1号4線が1杯4線だから量減ってんだけどでも温めてくれてホットミルクにしてくれて角砂糖が2個ついてくんだって
ほう で学生ってさ牛乳配達されても学校行ったりなんかしてるから受け取れなかったりするじゃん まあ確かに なったらいいタイミングで自分の飲みたいタイミングでミルクホール行けば全部やってくれて出てくるわけじゃんこっちの方がいいよねっていう感じなんだよね ブラスで雑誌が無料で読めるのが大ヒットしたみたいな そうなの
新聞があって雑誌があってで漢方って言ってあの漢はあれだね 警察官の漢の字ね公の漢ね国が出してるなんていうの書もそうか発行物があってそういうのも置いてあってこれ無料で読み放題だったの
へえ 当時まだ今だったら喫茶店当たり前じゃん だけど当時の喫茶店まだやってなくてこのね雑誌を置いといて無料で読んでいいよっていうのを始めたのこのミルクホール辺りから出てくるんだって
そうなんだ それで牛乳を飲みながらその新聞雑誌を読んででたまたまであった学生さんとちょっとディスカッションして花が咲くみたいなね
ずいぶんおしゃれだね これねほんと超局所的 局所的なんだ これね労働者とか工場があるとかサラリーマン当時あんまりいないけどそういう人たちのところには一件もないみたいな
状態だったので まあ高いしね これは地味にコマスーッと残っててこの後大ブレイクもしないけど消えないみたいな感じね
ただここから育ってた人たちが大人になってた時にミルクに親しんでいるっていう前提条件の一つにはなったよね
っていう感じねこれが明治の末期までの話 で話は大正に移ります
1912年以降ですね大正元年 牛乳は体を強くするんだだからみんな牛乳を飲むんだっていう感じの動きに変わっていきます
育児からもう少し大人に行くんですよ ミルクホールももう大人でしたよね大学生だから
そういう方向にグッといってちょうどこの明治末期から大正初期にかけて栄養学が勃興し始めるんですよ
栄養学か ミルク ちなみに栄養学はこれ以前に存在していないんです
存在してないんだ ミルク あるんだけど独立してないという言い方の方がいいかな
医学の中の食物学みたいな感じね ただ栄養だけを独立させてきちんとこれをやった方がいいと
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栄養をどのように摂取すれば国民が豊かになって健康になって体が強くなるのかをちゃんとやるべきだっていうことを唱え始めた人がいて
世界第一号でこの栄養学を確立させたのがこの日本の佐伯忠さんという方ね
佐伯忠さん ミルク 佐伯忠という方がいてこの方が今の管理栄養士に繋がるようなああいう制度だったりとか整えていくんですよ
この人が一番最初ね世界で初の人ね 世界で初なの ミルク 栄養学といえば日本なんで当時
後にこの佐伯忠さんの考え方が海外に伝えられてすげえってなって国連から呼ばれて講演してくれって言って国連がこんなすげえんだったら日本の中だけじゃなくてもっとシェアしてくれよって言ってアメリカやイギリスやあっちこっちで講演会をやるみたいな
こういう化学的なところで日本が一番最初ってすごいね ミルク 栄養学のところはこの辺で出てくるんですよね
栄養学そうだったんだ ミルク で一番最初に世界に先駆けて栄養学を確立させた人っていうのがこの辺りから活躍がもともと活躍してるんだけどだんだんこう形ができてくる
栄養研究所みたいなのが作られていってそれが社会にだんだん認知されていくっていう流れなんですよ
これがさっき言った健康相談とリンクするんですよね 健康相談と
ニューヨージ死亡率が高いので貧乏なエリアの子供たちは体格が悪いのでだからその子たちに栄養を与えなきゃいけませんよね
なるべく安価でなるべく優秀な栄養をその子たちに届けることを国としてはやるべきだみたいなことを言う
国立栄養研究所の初代所長はこの佐伯さんなのでこれが内務省だったりとか後の厚生省になるようなところだったり
東京府だったり東京市と連携を始める でこの佐伯さんを始めとしたその栄養研究所の人たちがアドバイザーになってこう
相談所だったりとか栄養不足をカバーしてこうって動きをこうだんだん始めていくわけですよ でよし動き始めたなーって言ったのが大正12年頃なんですよね
大正11年から12年頃にグリンって第一回目の車輪が回転し始めたグリンって言ったら
その4ヶ月後にやってくるのが大正12年9月1日 さあ静岡県民ならわかるでしょう9月1日といえば何の日ですか
9月1日 楊 子供の頃思い出してください小学校中学校9月の1日夏休み明けた初日でございます
学校に行くかと思いきや必ず午前中掛川市ではある地区の出来事が催し物がありました
防災訓練 楊 はい絶対やりますよね防災訓練
9月1日というのは関東大震災が起きた日ですね ああそうなんだ
楊 それがあるんで9月1日が日本全国で防災の日になってるんですが そういうことね
楊 タイミング悪くですね動き始めたなと思ったらいきなり関東大震災がドーンってきちゃうんですよ
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これもう天災ですからもうどうにもなんないですよねでもう東京中が大変なことになるわけですよ
これはもう風立ちぬとか見ていただいてももうよくわかりますけどああいう状態になっていきます
ただこの後の政府の動きがすごくて1週間から10日後ぐらいには内務省が東京府知事に対して
牛乳配給するからこっちから牛乳供給するから配給体制作っての手伝ってって
バーンってすぐに出す そうなんだ
楊 なぜならば健康相談から牛乳配布の準備してるから はいはいはい
楊 でいやこんなんなっちゃったえらいこっちゃーって言った症病人が怪我人がいる病人がいる
お母さんたちめっちゃ困ってる子供に母乳出したいけど自分の栄養もないそりゃ子供たち死んじゃう
大変だ牛乳出せ準備しながら全部いけ行っちゃえ行っちゃえつって
不幸中の幸いだね 楊 でその前に同業者団体っていうのが明治の20年頃から
だんだんとできていたんですよその牛乳販売業団体とか牛乳業界団体とか
削乳業者団体みたいなのが出てきてこれ立ち上げたのは前回出てきた前田富吉なんですけどね
ここに来るんだみたいな感じだけど その人たちが横の連携をし始めていて
で販売業とか家当競争してたって言うんじゃないですかやめれやめれそういうことやってると
ろくなことならんからちゃんと協力関係築いて世の中をうまく牛乳が回る体制作った方がいいよみたいなことを言ってたんですよ
それがこの牛乳配給体制を整えようって時におっしゃやってろかいって
ああ 楊 一肌抜くぜって
そうなんだ 楊 でここに関わってくるのが貧困は社会の歪みだっていう概念が浸透し始めた頃なので
みんなで協力すべき特にこんな天災の時には絶対にやるべきって言って貧困世帯に向かってみんながうわーって協力体制を作る
実質的に栄養を配るだけではなくて食事に対する啓蒙運動も知識を与えていかないといけない
子供たちも親もさっき言ったように偏食だし食に無頓着だからこの子たちにもしくは親たちに栄養の素晴らしさっていうのを伝えていく
これはフックになったのが牛乳と給食なんですね
牛乳と給食 楊 そう直接学校給食につながるわけではないんだけど
日本で最初に学校給食の礎を作った施策っていうのはこの時なんですよ
そうなんだ 楊 あちこちに給食所配給所みたいなところを作って
そこで給食と一緒に牛乳が配られていくそれが翌年くらいになっていくと大正13年くらいになると
東京府の直営小学校に学校給食が寄付されてくるそこに牛乳がついてくるみたいなことがこうした
昭和元年くらいまで続くのかな そうなんだ
楊 で昭和元年で一回消えてちゃんと給食制度が成立するのは昭和20何年とか30年くらいの話なんでもっとだいぶ後ですけど
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そこ間開くんだね 楊 一回切れて戦時大戦になって戦争で敗戦して負けてその後に出てくるんだけどね
まあそうか間に戦争が挟まっちゃうな 楊 そうなんですよ
当時まだ給食って概念がないので一旦復興事業の一環としてやると
そうするとやったじゃん配給やったじゃん これって栄養不足とか栄養不良の改善に役に立つんだってことが実績としてわかるよね
これネイサンシュトランスのミルクステーションと全く同じ動きしてんだけど
それをたまたまブーストさせたのが一つの要因は準備していたこととそれを急加速されたのは
不幸だった大震災だったりもするこの2つによってどーんってやってよしやったろって一気に火がついて動くという感じで
給食の礎ができるということですね こんななんか自然災害挟んで形でできてくるんだね
これでグーって動き出すんですねで一旦この昭和元年から2年ぐらいで給食終わって
社会もある程度と落ち着きを取り戻してよし復興だ頑張るべきだという感じになる
で貧困層とか被災してまだ貧困から脱し切れてないとか怪我しちゃった人たちとかの家庭とか大変ですからね
そこは申請してくれれば牛乳を1日最大7号までは無償ないしは格安で提供しますよっていうのは
その後10年ぐらい続けるんだけどねちょっと一旦落ち着きますである程度復興してきたのででも牛乳が体に良いってことはもう広まってきたじゃないですか
だから買える人買うんですよで市場が大きくなるんですよしたら大問題が起きるんですよ
ここで大問題 不正牛乳問題がこのところでもう一回出てくるの
ちょっとでも豊かになると出てくるんだね そう実はね何年も前から起こってたらしいんだけど
牛乳作乳業者の中で愛好者っていうね当時作乳業界の中でも名師と呼ばれる大きい牛乳会社さんがあったんだけど
そこの牛がね炭素病にかかってることが発覚したんですよ ああ炭素病ね
警察に言われてさお前ちょっとしばらく牛乳出荷すんなって言ったら
こんな野郎こんな野郎野郎そうにやがってこの野郎ってなってでいやいや違いますから違います違いますちょっと診断書持ってきますんでこれ見てください
出したらほら健康でしょほら獣医さんの署名2人分ついてんだからこれ健康な牛種なんで炭素病なんでそんな言いがかりは許してください
出すんだよそんなことあるかえーってことになって衛生局の力を借りてちゃんと検査したらしっかり炭素病だったの
めっちゃ不正じゃん そうつまり獣医も癒着をしていて
虚偽のその診断書とか出してたの もう仕組みが崩壊してるよ
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おいおいマジかよあの愛好者が愛好者がって言ってみんなザワザワザワするわけじゃん
そしたらこの東京都とか警視庁の方もあれあの愛好者でそれがあるちょっとちょっと他も見てみるか
ちょっと全部チェックしたらバラバラバラって出てきて130人ぐらい逮捕されるんだよ
そんなに そのまま検挙されていく
お医者さんとか中には無免許獣医みたいな人たちも混ざっててみんな一斉検挙で200人近くが起訴されていくっていうね
ひどいね でこれがもう毎日こう捜査が進んでくから毎日新聞報道されるわけ
そうすると東京都民みんな買わなくなるよね まあそりゃそうだよね
信用がた落ち事件っていうのがねこれで起きると
でこれを受けて内務省もおーおーちょっと待ってちょっと待ってってことになって
牛乳営業取締り規則をもう一回改正かけるわけでもうもっと細かくもっときっちりして
1927年とか31年とかにだんだん改正が進んでいくんだけど
もうこの頃になってくるとさすがのイギリスも低温殺菌を義務化し始める直前まで来てるんですよ
だから日本ももうやろうわからんもうこいつ任せてダメだと
啓蒙してきた段階を追ってやってきたでもこういうことが出ちゃった以上はいいね
閉めるよって言ってキュッと閉めて低温殺菌ももう全部やりなさい
みんなの事情もわかってる投資が厳しいのもわかってるけど出ちゃった以上はきちんとしましょうということで
ここで初めて法制化されるだから63度30分きちっとやりなさい
で細菌数も全部基準が定められてるので全部チェックしなさい
監査員が入るので狂気の報告したら捕まえますよみたいなことをやるんですよ
そうすると低温殺菌の仕組みを持ってるのではないしは機械を持ってなきゃいけない
当時機械日本で作られてないので最新式のものはアメリカから買うんですよ
まだ敵じゃないですよ同時貿易してるどっちかというと中に1920年代30年代は
どっちかというとアメリカさんと日本はね割りかし近いんですよ距離感がね
なんでここバンバン変わっていくんだけど高いわけですね
高いので買える業者と買えない業者がいる
買えない作入業者はどうするかというと絞った牛乳をタンクに入れて
施設を持ってるところに持ってって混ぜてもらうみたいな感じになってくるよね
これ現代の仕組みの基礎がここでできてくるんだよね
だんだんこういうのが進んでいって徐々に作入業者が集約されていく
いわゆる買収するとか統合するみたいな感じでだんだんと固まって出てくるみたいなね
そういう感じなんですよね
その中の一つに今でも有名な森永とか明治とかが混ざっているんです
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ここに森永とかも入ってくるんだ
もちろん渋沢栄一の鉱木社とかも入ってるし
松本良順の坂川社とかも入ってるみたいな感じなんだけどね
ここでだんだんと統合されていくわけですよ
この統合されていくことが業者はたまったもんじゃないで
潰れたところもたくさんあるんだけど
ただ社会的にはすごくありがたくて
牛乳を配ろう配りたい国としては栄養改善のためにね
なんだけど高い
牛乳まだ高い当時は
1号7000とかなんですよね昭和の初期って
そんなの貧困物を毎日買えんし
1日何号買えばいいのみたいな話になっちゃうじゃん
180ccだからね1リットルじゃないからね
180ccで500円とか600円とかの世界なんでちょっと割高じゃないですか
これを安くしたいんだけどなかなかそれができなくて
経済の仕組み上ね
そこにギュッと大きい会社が出てきて統合されていくじゃないですか
大量生産ができるようになっていくんですよね
大きい作乳業者がまた同業者団体とか作ってきて
また協力体制を作っていくんで
ついに昭和の初期の頃になると
国の方が牛乳出せと
大量に買ってやるから出せ負けろって言う
まあ最後はそこを負けろって言うんだね
そうで負けてもらって
一般価格7000のところを4000で供給させて
それが後の学校牛乳に続くようなシステム化になっていくんだよね
流通が出てきて冷蔵技術が出てきて
この頃には法会社の中で牛乳瓶の形は透明じゃなきゃいけないよとか
コルクとか使ってるそこから殺菌が入るから紙ぶっつかなきゃいけないよって
昭和初期に僕たちがよく知ってる牛乳瓶のあのスタイルが決まるんだよ
その前までは青い牛乳瓶とか
いろんなオシャレな色付きのガラス瓶が使われてたんだよね
色付きとかあったんだ
結構あったみたい
コルクだったりとか針金で蓋するとかみたいのもあったんだけど
最終的に昭和の初期の段階で紙ぶたに変わっていくとかね
いう感じですかね
ここでもう大体決まっちゃうんだねもう
そうおおむね決まってくる感じかな
すんごいスパン短いねびっくりするぐらい
今一気にお話をしてきたのは明治の初期3年頃から
昭和の10年くらいまでの話をしたんですけど
この辺りでも大体大筋の流れが決まってくると
明治60年くらい
明治43年までかな44年までかなちょっとさしちゃったけど
40年くらいで大正が10何年ですかね
1:12:02
15年
15年かでも昭和入るもんね
だから約半世紀ちょっとぐらいの間でここまで一気に変動していくと
怒涛だね
怒涛ですよ
この間に本当に今回カットしたんだけど
コンデンスミルクからキャラメルに変わっていく話とかあるんだけどね
キャラメル
それには砂糖そこで絡むんだとかね
あそこ日清戦争の余波なんだ満州へみたいなのがあるんだけど
戦争も絡んでくるの
全部カットです
そうなんだ
無理もう尺的に無理もうだいぶオーバーしてるのに
聞きたいですって裏側で言ってるけどね
超早口だったでしょ今日
そうでもないよここ最近の中では圧倒的に分かりやすかったよ
分かりやすかっためっちゃ頑張ったよ
ねめっちゃ分かりやすかったよやっと喋れたもんちょっと
そうか戦前戦中戦後の話はもういっかだいたい固まったからね
固まった
だいたいこう流れ分かってこのまんま行くと現代いきそうじゃんなんとなくね
まあ確かにねもうなんかほとんどここで形できちゃってるもんね
そうね明治10年くらいでその大手ミルクプラントっていうねさっき言ったでっかいのが出てきましたみたいな感じで
でこの後戦時体制に入っていくんで明治14年から日中戦争なんでね
まあここから先もちょっとね歴史の知識がねぐちゃぐちゃなんだよ
なんかいろいろあるじゃん本当に
いろいろあってその今も戦争の話がさあちこちでドキュメンタリー風にさ残るじゃん
あのね一本ずつ見るとね結局どれがどこの間に挟まってるのかがわかんなくなっちゃった
えっとですね僕もそんな歴史の専門で勉強してるわけじゃないですけれども
近代史ね特に戦争もあるんですよ一時大戦日清日露一時大戦
日中戦争満州地平挟んで大東亜戦争といくわけじゃないですかこれねきつい
きついんだ なんだろう江戸時代とか戦国時代に比べてだいぶ手前じゃないですか
手前だね ディテール細かいんですよ
確かに でわかっちゃうから見たくなっちゃう
で登場人物もいっぱいあって思惑があってアメリカはこう思ってるんだけど
アメリカの経済界はこう思っていて日本の軍部はこうで政治家はこうで
中国の中はこんな風に分裂していてみたいな
いう国民党と共産党がいてさっていうのが中国の中であってとか
じゃあスターボーズぐらい長編になりそうだね それぐちゃぐちゃになってるんで
それは世界史とか中国史日本史の専門の人がやってるyoutubeとか本とか
その辺で学んだほうがいいと思います僕の解説じゃとてもわかんないと思う
そうねそうねっていうか食べ物からだいぶ遠ざかっちゃいそうだしね
そうですねまあ興味があれば限定の方で喋ってもいいですけど信用しないでくださいね
1:15:04
ふんわりしてるんで うんまあふんわり期待だけだから僕も
細かいところを調べろよって話で ちなみにキリンビールのリンク送ってもらってて
そらそらさんに送ってもらったんだけど1885年からだそうです
そうですねそうでしたっけ85年かな 1885年って書いてある遠隔のとこにね
そうですね1885年に社名ジャパンブリューワリーカンパニーに変更この時にキリンの母体ができます
その前がスプリングバレーなんでねジャパンブリューワリーカンパニーが買ったことがこれが直接のキリン社に繋がると
キリンビールのブランド名が出てくるのが88年ですねって感じだと思います
僕今手元のエクセルの資料見てんだけど ちゃんとキリンのホームページに書いてあります
本当だまあ時代的にはそうですねビールが出てきてガラス瓶が出てきて 東京の大崎のあたりでガラス工場が出てきて缶詰工場が出てきて
みたいなそんなまさに近代化ぼっこの時代でございますね そうよね はいあと本当
カットしていいんだけどせっかくだから言っちゃおうかな 戦後の話だけちょっとしましょうかね
戦後の話 はいえーと戦争負けちゃうんですよ知ってました?
うん知ってるさすがに それは知ってた? うん ララブッシとか覚えてるかな
ララブッシ? はいアジア救援公認団体ってララっていうのがあってさ
これ何の話の時に出てきたんだっけ米かな すっげー前だねそれ
米 ちょっと忘れましたけどすごい前にやってるはずですどこかで そうなんだ
日本でアジアが戦争でとうとうで大変なことになったんで北南米の有志団体がね
募金というか物を送って救済しようみたいのが出てくるわけですよそれで送られてくるユニセフとかもそうですね
食料とか毛布とかそういったものを送られてくるようになるんです その中に脱脂粉乳が入ったのね小麦粉と脱脂粉乳が
ああそうなんだね 食料がないとダメじゃん当時日本の戦後なんか特に霊化とかでさ米の不作物続きだったりもしますからね
って話はそれこそお米の開花なんかでしたと思うんですけどじゃがいもだったかななんかでしたと思うんですが
そういう状態だったのでララブッシとかガリオワ資金かみたいなのでお金をもらったりとかねしてたわけですよ
GHQが当時日本の統治に入っていて 子どもたちの栄養状態が非常によろしくないと当然ですね食料不足ですから
なので調査に入りましたと疎開した学童の栄養調査っていうのは昭和21年だから戦後すぐですね
1:18:00
にやってますでこの時に GHQ主導によるララブッシの給食っていうのが始まるんですよね
でそれをいろいろとつぶさに調べたところ量的にはまあまあ旧大典というか問題なさそうなんですが
これはね質が悪いよとアメリカ的栄養学でいくとねこれは量はいいけど質が悪いよ米ばっかり食ってるからダメなんだよって言い出して
これが後のキッチン間につながっていく話になるんだけど給食から米なくしてもうパン食え小麦だ西洋食がいいんだみたいなことを
言ってくる時代なんですけどそれの賛否はあるんですけどでも確かにね当時血核が流行ったんだけど
タンパク質が足りてなくて血核菌に対抗できないとねいうことがやっぱり実際あったらしいんですよ医学的にも
だから牛肉とかミルクっていうのは非常に重要だろうということがGHQからも言われるようになって
でじゃあ給食に牛乳つけたらいいんじゃねって話にだんだんとなっていく もちろんその牛乳ってあって生の牛乳も一部入ってたけど
主には脱脂粉乳ですよ 脱脂粉乳なんだね みんなそれ飲んでさお腹壊したりとかするんだよ
まずいまずいとか言って よく聞くね 人に会ったらうまいっていう人もいたけど
我々の両親世代70代80代世代もみんな脱脂粉乳はいはいあれだまずいよなってみんな言うんだけど
それは粉が溶けきってないとかね蚊の中でちょっと古くなってるとかねいろいろあるわけですよ
そうなんだ そういうのはまだご存知の方たくさんいらっしゃるんで聞いたらよくわかると思いますけどね
まあとにかくそれで栄養の供給をした方が欠格になったりとか栄養失調で病気になりやすくて
人口がそういうことが起きてしまって結果医療費が国の負担する医療費が
莫大になるくらいだったら食費を当てて健康にさせといた方が当地としては安上がりなんですね
当たり前だけど中期長期で見たらそういうことをGHQが言って当時の日本政府と協力をして
この時代に肺構えがいいよねとかもう一回肺構え復活運動みたいのが出てきて
ここで出てくるんだもん そうそうそうここにやっぱ佐伯さんとかが出てくるわけまたもう一回
佐伯忠さんとかもう一回出てきて東大で研究してみたいな広島の方で精米機がまた新しい技術のやつがポンって出てきてみたいな
いう流れがもう一回出てくるんですけどここで
いうところ 精米機はもっと前かでもまあまあそういうのが活躍してくる時代ですよね
ユニセフの救援物資みたいなのもだんだんと物がなくなってきてもうそろそろいいだろう
明治 昭和24年25年くらいになるともうそろそろいいんじゃねみたいになってくる
当時の学校給食ってのはユニセフから送られてくる物資やガリオワ資金を使って給食を運営した
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な感じなんですよけどまあ戦後も落ち着いたんでもういいんじゃねってなってきて
引き上げるよーって言ったら日本政府の方がねちょっと待って待って今止められるとマジで困るんですよ
給食こんだけみんないいんだからっていうんだから給食は何とか続けたいんだよね
日本政府がなんでこれ言ってるかというと日本政府が言われてるんですよ現場から
PTAとか先生たちからいやいや給食やめんじゃねえよつって
あーよっぽど良かったんだね よっぽど良かったんでしょそれが政府に行って政府からJチキンだけど打ち切られちゃったんで
じゃあ継続しましょうじゃあ国内でその給食っていうのを運用していきましょうっていうのが
昭和29年学校給食法という法律が成立をしてみんなで子供を育てていくんだっていう国民総意のもと
学校給食というのが動き始める かなり最近なんだね
昭和29年か 両親ともにも生まれてますね 生まれてそうだね学生になる頃にはちゃんと給食あったね
そうですねだからこの時代に生まれてたちみんな牛乳は噛んで飲むっていう謎の挙動をしてるんですよ
牛乳は噛んで飲む どうやって噛むねんと思うでしょ液体を噛むんだよ
液体を噛むんであれ俺も言われたもん どういうこと 小学校の頃牛乳を僕の時はまだギリギリ瓶でしたけど
飲むじゃないですか口に入れて液体が口の中入ってますよねうがいできる状態ですよ この状態で噛むんですよ液体を
液体噛むの? これねたくわかんないと思うけど僕より上の世代みんなあったあったとか言ってますよ
全然ピンとこない ほらみんな言ってるほらあったあったって ああ西村さんも牛乳は噛んで飲むという昭和給食話
これ謎なんですよねただ僕ね一つ仮説があって 多分ね脱脂封乳だと思う
溶けきらないんだよ あのね
子育てで使うミルクあるじゃん赤ちゃん用の哺乳ミルク あんなに溶けない
脱脂封乳は まあそうかまあそうだね小麦粉に水入れたらダマになるもんね
今のはいいよ今の脱脂封乳は全然スキンミルクは溶けるけど当時のもっと固まりやすかったっていうから
まあ湿気するしね湿気すると固まるよねスキンミルクも そうであの固まっちゃってるのを噛まなきゃいけないのが一つの理由
じゃないかって僕の予測ねもう一つは冷たいもんをね しかも乳糖不耐性の
僕らが飲むとさお腹くだすわけじゃん そこに冷たいものだとよりお腹くだしやすいわけじゃん
噛むとね温まってちょっとずつお腹に入ってくんですよ胃がびっくりしないんですよ 確かに
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多分この二つが組み合わさるとあの謎の牛乳を噛めというね話になるのかなと思いますが
皆さんはどう思うでしょうかね ほんとねつむぎさんもギリハハに脱脂粉乳どうやったから聞いたらめっちゃ渋い顔しましたって
美味しいわけないよって そうですよね
そうなんだね はい じゃあ今の脱脂粉乳みたいなねやつ売ってるけどさ
クリープみたいな形であれを飲んだとしても当時のあのみんなが渋い顔をする脱脂粉乳は味わえないということなんだね
ちょっと収録時間がだいぶ伸びてしまい 限定に行くかもしれないし もう最終回なんでミルクは
そうだね もういいでしょ戦後まで来たんで 戦後まで来たね あと20年30年するとぼちぼちリスナーさん生まれてますからね
はい 大丈夫かなと思います あと20数年後には僕生まれますから 学校給食法が昭和29年
僕53年なんで 本当に最近だねもう 24年後には生まれるわけで29年が母の誕生年ですからね
確かに 母24の時に僕生まれてるんで そうかそうかそうだね
もうそういう時代ですね 噛むと甘くなって美味しくなると子供ながらに思ってました
これねもうカットの話だと思って雑に言うんだけど ということでミルクシリーズだいぶ長かったですけど
はいいかがでしたでしょうか 本当にねどうだったのちょっとこの今までのシリーズの中で最も記憶が曖昧な部分が多いかもしれない
長いんだよねまずそもそも そうだねあの21話とかになってるかな
そっか 配信自体がね 台本は18枚ですけどまあそれでもボリューム多いですよね
うんだいたい1時間近いやつも多いので平均していったらまあ18時間か19時間
19時間いかないかな18時間くらいかな多分 ちなみにタクロー的ハイライトはどこでした
えっそれは中東だよ おおだいぶ始めたんだよね
中東もなんか今までのさシリーズで中東アジア系ってあんま出てこなかったじゃん
ホーボクとかホーボク民の話とかさあそこの話がめちゃくちゃね新鮮やった 家畜家が始まったとか
うんまあもともとちょっとあの動物好きってのもあるんですよ なるほどね
垂直異牧とか 垂直異牧とかね 面白かったですね 面白かったまああのヨーロッパがこの方が始めかと思ったらミルク時代が
まあホーボクの中東アジアくらいからずっと上がっていってっていうのが全く知らなかったね
ちょっとあのあんまり想像してなかった言われてみればっていう感じはするけどイメージができてなかった
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まあ今回はねあの普段触れたことのない食べ物ラジオでもほとんど触れてこなかったモンゴルとかインドとかも取り上げましたので
なかなかボリューミーでしたね ボリューミーだったね まあ砂糖とはまた違ったニーズとかニーズですかね
電波の仕方が他のものと違っていて非常に興味深い回にはなったのかなと思いますね 本当だね
ぜひあのミルクの回ちょっとミルクシリーズ今あの見たらこの話入れたら多分19時間50分から
20時間ちょうどぐらいになりそうで結構長かったと思うんですけど何回な部分が多かったのかそれともシリーズが長かったからなのか
あまりねあの感想がこなくなりましてびっくりするぐらい はいすいません
まとめてでいいのでどこの回が自分の中で面白かったとか引っかかった部分でね気になったとか一番面白かった部分感じた部分があれば
一行でもいいのでメールなりメールフォームもありますんで送っていただければ
あの次のシリーズもね参考になりますのでよろしくお願いします よろしくお願いします
本当にねコメントが今回みんな質問の単文だけになっちゃったね 一本長いからね
まあそうですね 聞いてる間に忘れちゃうんだろうねよく自分もやるけど
僕も今回に関しては滅多にやらないんですけど頭から聞き直そうかと思ってます もう読むのしんどいね
本当だよね読むどっちがしんどいんだろうね読むのと聞くとね いやまあどっちでもいいですけど僕も読みすぎたまでもいいですそろそろ
ああそっか自分の声をもう一回聞いてもらってね 20時間分ぐらい
まああれですよ24より短いんでいいんじゃないですか いや基準が違うね
ジャック・バウアー 俺ジャック・バウアー じゃあシーズン3ぐらいまで見てください 嫌だ 俺はシーズン2であのギブアップしました
懐かしい あれ長いからね まあ最後にまとも一回ねあのお知らせ先ほども一番最初に言いましたけどあれから1時間以上経ちましたんで
7月28日日曜日20時頃から食べるラジの3周年記念のオンラインの配信をしますので はい よろしければご覧ください
あと通販もハモ鍋セット販売してますのでこれ多分9月頃までかな
あるのが 9月ぐらいまではあると思いますはい まあ在庫限りとハモが取れる限りは続きますけど今からちょうど今いい頃なので
よろしければお買い求めいただければ幸いです はい頑張って作ります はいお願いします兄ちゃんめっちゃ作ってるもんね何も作ってないもん今回ハモ
兄ちゃんと父さんでねスープの味見したりしたぐらいだね はいということで今シリーズはこの辺で終わりたいと思いますありがとうございました
1:30:04
ありがとうございました ってえー
登り切ったぞ 今回は
あー長かったね
01:30:35

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