日系企業の海外営業部、海外事業部で勤務する上での1つの目標となる海外駐在員。海外駐在員はどのような業務をやっているのか、やりがい、苦労した事、それを乗り越えるコツ等、今回は最近まで日系の飲食業界の海外駐在員として勤務し、現在はフリーランスとして幅広く活躍中の大粒来早織さんにお話を聞き、大学でのご経験や就職活動における軸、海外駐在員になるまでの経緯や駐在員業務のリアルをお聞きします。 

*このご時世ですので、ソーシャルディスタンスに配慮して収録しております。


【ハイライト】

・世界一周に踏み出す動機

・地方と東京で住んでみて思うこと

・アメリカ留学の経験について

・就職の軸と海外駐在までの経緯

・理想的なキャリアの選び方


本エピソードの後編のリンクはこちらです。

https://podcasts.apple.com/jp/podcast/id1507714225?i=1000526745540


番組内でPRありました、岩手県洋野町の天然わかめ、北紫ウニ、天然ホヤ、蝦夷アワビ等の海産物を販売する株式会社ひろの屋様のHPはこちらです。

https://hirono-ya.com/


そして大粒来さんが岩手県洋野町の北紫ウニを期間限定で東京にて出張販売する予定です!!

日程 2021年7/21(水)-27(火) ※24日は不在
場所 明治屋広尾ストアー(〒150-0012 東京都渋谷区広尾5丁目6−6 広尾プラザ 1F)

明治屋広尾ストアーのリンクは下記です。(フェア情報がアップされる可能性がありますのでぜひチェックしてください!!)

http://meidi-ya-store.com/store_all/hiroo_store/


ゲストプロフィール:

大粒来早織さん

岩手県北三陸出身。大学在学中にカリフォルニア州のサンディエゴへ留学。大学卒業後は大手居酒屋チェーンに就職し2年間東京の店舗に勤めた後、香港・北京・ハワイの3ヵ国で現地マネージャーを務める。

コロナで一旦予定変更だがバックパックでの世界一周、大好きな地元や海外との多拠点生活を目標として、現在は都内でフリーランスとして営業活動中。


~お知らせ~

サニーデーフライデーは、社会保険労務士として活動する田村が普段のサムライ業という固いイメージから外れ、様々な分野で活躍する方やその道の専門家・スペシャリストと語るトーク番組です。

人生に前向きでポジティブな方をゲストとしてお呼びし、経営者や従業員として働くリスナーの皆様が明日から明るく過ごせて、心や気持ちがパッと晴れるそんな『働き方を考える』ラジオをお送りします。

話すテーマは社労士業、働き方改革、キャリア、海外駐在、外国人雇用、海外放浪等です。


パーソナリティー:田村陽太

産業機械メーカーの海外営業、社労士法人での勤務経験後、社労士事務所を開業。海外駐在員や外国人社員の労務管理、外国人留学生・技能実習生の就労支援等、企業の国際労務・海外進出対応に強い。ラジオDJ、ナレーター、インタビュアー、番組MC・ナビゲーター等、音声メディアや放送業界でも活動。また、番組プロデューサー、ポッドキャストデザイナーとしてPRブランディング事業も手掛ける。


カバーアート制作:小野寺玲奈


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社労士ラジオ 【対談】サニーデーフライデー
社労士ラジオ 【対談】サニーデーフライデー 田村陽太です。
この番組は、社会保険労務士として活動する田村が、 普段の侍業という堅いイメージから外れ、
様々な分野で活躍する方や、その道の専門家、 スペシャリストと語るトーク番組です。
本日も素敵なゲストをお呼びしております。 大粒来早織さんです。早織さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
サニーデーフライへ来てもらいまして、ありがとうございます。
ありがとうございます。
早織さんはですね、以前もサニーデーフライで出てくれましたね。
はい。あれは去年の夏ですね。
去年の夏ぐらいですよね。
僕の大学の同期のハルト君、結構ゲストに出てるんですけども、 元同僚ですよね、会社はね。
もう部下ですね。
部下ですね。
はい。元部下です。
部下ですね。
まあ、一緒の会社で働いたということで。
で、その時はゲスト会で海外駐在ということで、 早織さんも香港と北京に駐在されてたということで、
駐在の経験をお聞きしました。
で、この前はハルト君と早織さんともう一人いらっしゃって、 あまり深掘りできなかったんで、
今日は早織さんのみ単品で来ていただいて。
恐縮でございますが。
はい。もう一人来ていただいて、
ぜひ今までのご経験というか、どういう形で就職活動とかをやってきて、 キャリアを積んできたかという事故を聞きたいなというのもそうですし、
またもう海外駐在のご経験があるので、その時の経験をもうちょっと聞きたいなと。
で、今にどんな風に活かされているかというところもお聞きしたいなと思っています。
で、美砂さんも詳しくは第90回から第95回で早織さんに出てました。
それをお話しされています。
僕の質問力がなければこちら聞いていただければ、いろいろたくさん話されていますので、その時まだ聞いてほしいですね。
はい。ちょっと恥ずかしいですね。過去回は。
どうでした?この前出てもらって、何か感想をちょっと教えてもらえると。
私また聞き直したんですよ。
もうそしたら、もうこんな話し方してるんだみたいな。
すごい否定するじゃんみたいな話し方とか私してたので。
私も同じく聞いててちょっと恥ずかしくなりました。
そこから自分で工夫された話し方とかで。
そうですね。結構詐欺って嫌、嫌みたいな。違う違うみたいなことがすごく多かったんですよ。聞いてたら。
お酒入ってね、そういう陽気になってたところもあると思うんですけど。
否定系から入るっていうところが、私はこんな話し方してたのやばいなみたいな。
思ったので、そこら辺はそれから気をつけるようになりました。
そうなんだ。それって日頃から話し方変えてるんですか?否定しないようにするんですか?
そうですね。その入りは私もそれ聞いて嫌だなって思ったので、そこは気をつけるようにしてます。
なるほど。じゃあちょっと僕はそれをちょっと色々聞きながら、僕もちょっと勉強して話し方をさわりさんが学んでいこうかなと。
03:05
めっちゃ真面目な感じになりましたね。めっちゃ真面目な会員。
私も真面目なので、真面目真面目でいきましょうか。
じゃあ大粒大さん、私から簡単にご紹介させてもらいます。
18歳までを岩手県でお過ごしになられて、その後群馬県の都市大学へ進学されました。
在学中にアメリカのカリフォルニア州のサンリエゴへ1年間留学され、そこで色々とご経験をされました。
大学卒業後、某大手の居酒屋チェーンに就職され、2年間東京都内で勤めた後、その後香港、北京、ハワイの3家族で2年間の海外勤務を経験されました。
帰国後、バックパックで世界一周旅行の予定でしたが、新型コロナの影響でちょっと今延期中と。
フリーランスとして営業のお仕事をしながら、来年の夏に出発予定の世界一周の準備をされているということですね。
はい、そんな感じです。
間違いないですか。
はい、大丈夫です。
世界一周旅行という予定ということなんですけれども、どのようなきっかけでそれを行こうかなと思われますか。
そうですね、結構思いつきなところはあったというか、結局仕事を辞めたのは2020年の3月だったんですけど、これ自体に決断したのはその3ヶ月前の年末だったんですよね。
2019年の12月。
コロナ始まる前とかそれくらいか。
なのでその時は全然余裕で行けると思ってたので。
で、この先に自分でやらないと後悔しそうなことで、今が一番動きやすい時期なのかなというのがありまして。
なるほど、その世界一周やりたいというのは一番の動機って何ですか。
一番の動機は。
なかなか勇気ある、勇気あるというかすごいと思うんですけど。
結構いろんな人から聞かれる質問ではあるんですけど。
前は私もともと教育の方にも興味があって、このボーって居酒屋の飲食に行くか、新卒で教育に行くかというところで迷ってて。
それくらい教員免許を取ろうとしたりとか、教育にも興味があったので、結構理由をこじつけたりとかしてたんですね。
世界の教育を見て回りたいみたいな。
世界一周の目的を。
なんですけど、そもそもそういう縛られることもいらないんじゃないかなって思って、今はせっかく地球に生まれたので、いろんなとこ見て回りたいなくらいにしか答えてないんですけど。
地球を見てみたいなっていう。
そうです、せっかくなんで。
もう一つ質問したいんですけど、縛られる必要はないなって自分で思い直したって言ってたじゃないですか。それって何かきっかけだったんですか。
06:04
結局深掘りしてみたんですよ。何したいんだろうみたいな。
深掘りしてみたんですけど、結局後付けだなってことが気づいて、名目としてしか大義名分が欲しいんだろうなみたいな。
世界一周をすることに対してっていうところに行き着いてしまって、それってちょっと本質じゃないよねってなって、別に大義名分も目的もなく。
行きたいから、興味あるから、面白そうだからの理由だけでいいんじゃないかってところになって、それで今はそういうふうに答えるようになりました。
とりあえずやってみようっていう。
目的は特にありませんと。
どこらへん見ていきたいとかありますか、世界のこの国みたいなとか、イメージャルさ、ここは見ておきたいとかあるんですか。
そうですね、まずヨーロッパに一度も行ったことないので、ヨーロッパっていうのと、あとは全く生活圏が違う、生活とか文化とかが違うアラブの国とか中東とかですね。
そこらへんとか、あとは私インドにすごく惹かれるものがあって、そこらへんとか、あとやっぱアジアですよね、そこらへんは見たいですね。
それ言ったらアフリカもすごく見たかったりするんで、結局全部になるんでしょうね。
自分となんか生活が違うなってところを見ていきたいなって。
そうですね、そうですね。
なるほど。
見たいなと思います。
そこからまた変わる考えもいろいろあるんでしょうね、多分。
ないので、ちょっといろいろまた帰ってきてからまたいろいろ経験。
もちろんです。
行きたいです。
なんかいろいろお話できたらその時は楽しいかなと。
ぜひね。
もっと面白いお話ができるのかな。
ですよね。
なるほど。
ありがとうございます。
いろいろと経験があって、僕も海外駐在の経験がないので、この後質問でいろいろと深掘りしていきたいなと思っています。
はい。
ありがとうございます。
一つ目の質問なんですけど、もともと岩手県にお住まいになられて、
こちら関東出てこられたじゃないですか、群馬県に来られて、
そのきっかけと大学でどんなことを勉強されていたのかっていうのをちょっと教えていただけると。
大学卒業までの経緯というか、教えてもらえると。
はい。
まず、私ここの群馬の大学って第4志望くらいだったんですね。
そうなんですか。
第1、第2、第3全部落ちて、これも後期で受かったんですよ、私。
センター試験受けて、結果は思わしくなくて、前期も中期もダメで、後期で滑り込んで入ったみたいな感じだったんですね。
もともとは、その第1志望、第3志望っていうのはこっちの?
都内です。
都内でね。
でも、関東に出るっていうのはもう自分の中で絶対だったというか、
それは第1希望だったんですね。
やっぱり田舎なので、東京に対しての憧れってすごいんですよ。
09:03
私はそういうタイプだったので。
どういう憧れ?
もうやっぱり、その時は田舎がすごいコンプレックスだったんですね。
いろんなものに遠いと。
いろんな機会も損失してるみたいな。
イベントとかもそんな岩手じゃないんですよ。
テレビ東京も映らないし。
ネットももちろんだいぶあったと思うんですけど、物理的なところで。
いろんなイベントとかコンサートとかある中で、そこに身近じゃないこととかが結構、田舎コンプレックスみたいなのがその当時はあって。
結局出てみたら、田舎が1番という結果になったんですけど、出てみなきゃそれも分からなかったことで。
田舎に戻ろうと思ったら、やっぱり1番ってきっかけあったんですか?
そうですね。よくある離れてみて分かる良さみたいな。
それはどういうことですか?
というと、結局自分が1番自分らしくいれるところが田舎の中だったり、例えば海とか山とか。
そういう本当に街頭もないような地元の雰囲気だったりとか。
その自然の中で自分が自分らしくいられるなっていうか。
元々育った場所もそうだったし、自分の性質がそうらしくて。
自然と一緒に住むのが自分にあがみ出る。
そうです。っていうのに、やっぱりこっちに出てきてから気づいて。
なので、いずれはやっぱり大好きな地元に戻ったり、拠点をそこに置きたいなっていうのはあるんですけど。
ただ、小さい頃はテレビ子だったんですけど、見てて絶対東京に行きたい。
東京の時は?
そうです。長くなったんですけど、それで高校卒業したら絶対関東に行くぞと。
そこで、後からちょっとあると思うんですけど、海外にもともとずっと興味があって。
なので、英語系とか国際系とかそこらへんの学部学科を目つけてて。
当時は中学校の英語教諭になるぞみたいな感じなんですけど、
そこも別に周りから勧められて言われたからっていうだけの理由だったんですね。
英語好きだしみたいな。
ということで、教員免許取れて、留学制度があるっていうところを見てたんですよ。
なるほど。関東に出たいっていうところを絞ってて。
絞ってて。
なるほど。で、後援があって、大4志望の大学に入ったと。
ギリギリで滑り込んだみたいな感じでした。
12:02
実際入ってどうでしたか?
入ってみて、結果としてめちゃくちゃ良かったんですよね。
まず、田舎だったんで田んぼに囲まれたような大学だったんですよ。
その環境が私はすごい合ってたんですよね。
都会に出たいと思ってたんですけど、結局自分が会ってたのはやっぱり田舎だったので会ってたっていうのと、
結果として留学に行けたこととかもやっぱりやりたいと思ってたことは全部できたのかなっていうところでしたね。
来ててもらえない留学したりとかありましたかね。
そこは絶対条件だったので。
何も勉強されてた大学では?4年間。
そこは大学の文系あるあるだと思うんですけど、
まず英語ももちろん学んだんですけど、
主には言語学的なところよりはそこは軽く触れた程度だったんですよね。
っていうよりも英米文化学科だったんですよ。
英米なのでどっちか選べたんですね。
イギリスかアメリカか。
私はもともとアメリカに関心があったので、アメリカ文化が好きだったんですよね。
なので米語を選択して、その中でもゼミはハリウッド映画論。
ハリウッド映画論?
そうです。そうなりますよね。
アメリカのわりと浅めな歴史を学んだりとか、カルチャー学んだりとか、
私が選択したのはハリウッド映画だったんですけど、
そこから社会情勢を読み取ったりだとか、
ゼミというか論文は人種差別をピックアップして、
私は黒人の人種差別のトピックを選んだんですけど、
そんな感じでアメリカに特化した文化をわりと学んだ方なのかなって思います。
その勉強したことは社会人になって活かされることはありますか?
これがビシッと言えるようなところはまだないかなと。
ないわけじゃないんですけど、
去年結構騒がれたと思うんですけど、
人種差別の問題で話題になったと思うんですけど、
その時に勉強した内容とひも付いたところはあったりして、
自分の考えを持てたようなところはありましたね。
警官に差別的に殺されちゃった事件が結構問題になって、
インスタとかSNSでもすごい炎上したのを覚えてますか?
去年だったんですけど、
15:01
それでブラックパワーみたいな感じでムーブメントが起こった。
黒人の方が立ち上がるみたいな。
そうです。
今私もちょっと音を合わせるしてるんですけど、
それが論文で書いたような内容と、
自分が勉強してた分野だったりしたので、
そこが繋がったりとかはしましたね。
なるほど。
もともとアメリカの文化がめっちゃ好きって話したんですけど、
それに何かきっかけはあるんですか?
もともとそういうのがあったんですか?
あんま触れる機会ってあんまないじゃないですか。
僕とかあんまなくて。
何かあるんですか?
たぶん本当にテレビっ子だった時に見たフルハウスとか。
見てた見てた。
見ましたよね。
私たちくらいの年代だと夕方にやってて。
天才テレビ君だった。
その流れでそのまま見るみたいな。
テンテルとか大好きだったんですよ。
その後にあったフルハウスだとか、
魔女のサブリナとか。
そこらへんやってたのとか。
あとはディズニーチャンネルです。
アニメのスカパーの。
ああいうので海外ドラマだったりとか、
アニメとかディズニーだったりとか。
そこらへんがすごい好きだったんだと思うんですよね。
はっきりとこれっていうのはないんですけど。
憧れというか。
そうですそうです。
勉強してみたいな、知りたいなみたいな。
そこで勉強されて、
社会人になっても振り返るところもあって、
つながってるというかね。
なるほど。
ずっと好きなんだろうなっていうのは。
いまだにアメリカのドラマとかも
ネットフリックスで毎日見たりしてるんですけど。
そうなんだ。
やっぱ好きなんだなっていう。
なるほどありがとうございます。
結構長くなりましたけど。
いえいえいえ。
後ほどまた就職活動の軸とかもお話し聞くんですけど。
ちょっと続けてお話し聞きたいんですけど。
大学2年の時にアメリカサンディエゴで
1年間留学されてたんですよね。
その経験。
留学って僕したことなくて。
住む経験とそこで学んだ経験というか。
どんな感じだったかなって教えてもらいたいんですけど。
そうですね。
すごく真面目に勉強していったかといったら
全然勉強しないで実は行っちゃってて。
留学する前に。
そうですそうです。
めちゃくちゃ英語を勉強していったのかといったら
全然そんなことなくて。
蓋を開けてみたら下のクラスからスタートしたんですよ。
工学学校の。
ただどっちかっていうと。
本当はちゃんと優秀な勉強した人だったら
大学で英語で授業を受けるみたいな。
講義も。
そうです講義も受けてそこで単位を取るみたいな。
理想ではあったんですけど
大して勉強もしないで行ったので
工学学校で終わっちゃったんですよ私は。
そこで英語を学んで。
しかもこの選んだ大学が
UCSDっていったの。
18:01
カリフォルニア
カリフォルニア州立大学。
違うな。
UCSDっていいます。
訳して。
University of California San Diego
っていう大学だったんですけど
結構日本で言ったら
早稲田とかも提携するような
割と頭のいい大学だったりする。
すごいね。
ただ私別にその学力があるわけでもなく
他のレベルを落とした大学だったら
授業とか取れるくらいのスコアは
一応あったんですけど
結局私はそこに留まることにして
ずっと1年英語だけを学んで終わった
っていう感じなんですね。
そこで勉強したいと思ったのは
きっかけあるんですか?
レベル落としてとかじゃなくて
やっぱりそこで勉強したいっていう
なんかあるんですか?
すでに知り合った人たちと
もっと長くいたいなって思ったんですよね。
今でも一番仲いい子。
もう10年近く
10年はいかないですね。
9年くらい経つんですけど
そこで今もずっとつながりがある子がいて
人の方を選んだって感じですかね。
自分の勉強よりも
この人たちと一緒にいたいから
日本人の方っていうんですか?
アメリカ人
アメリカ育ちなんですけど
日本人の子だったんですけど
彼女は完全なるバイリンガルで
めちゃくちゃ優秀な子なんですけど
その子と結局シェアハウスして
一緒に暮らしてたりもして
現地で会ってそこでシェアしようって
そんな風になるんだ。
それもすごいご縁ですよね。
すごいね。
1年行った中で半年はホームステイで
アメリカの家庭にお世話になって
後の残りの半年をその子とシェアハウスして
現地の人たちと交流したかったので
その大学のダンスサークルに
一人で所属してたんですよ。
そういうつながりもあったから
全く新しいコミュニティカレッジに移って
今つながりがある人たちと一緒にいたいなと思って
そのまま残ることにしたんですね。
なるほど。
ホームステイを6ヶ月やって
シェアハウスを6ヶ月やって
どうですか?比べてみて
どんなことが違った?
全然違かったんですけど
まず一般家庭だったので
家族はフォーストファーザーマザーがいて
子供が2人いたんですよ。
子供って言ってもほぼ
一人は大学4年生くらいのお姉ちゃんと
高校生の弟みたいな
ちょうど真ん中らへん
そうです。
本当に個人主義じゃないですか、アメリカって
例えば結構みんな自由というか
21:02
一番コミュニケーション取ったのは
ホーストファミリーのママで
そのママが通っていた
UCSBの大学の教員だったりして
教授とかじゃなくて教員で働かれてた方で
一緒に朝送っていってもらったりしたので
そこでの交流はあるんですけど
個人主義なんでそれ以外
ホームパーティーとかはあるけど
ほぼ関わりがなかったんですよね、みんな。
そうなんだ。
っていうのに比べると
やっぱり友達と住んでた方が会話増えるし
コミュニケーションがたくさん取れたので
その点は良かったなっていうところはあるんですけど
実際のガチなアメリカの文化に増えるには
ホーストファミリーと生活した中の方が
やっぱりすごいアフリカ人ってやっぱこうなんだ
みたいな関わりが
印象的にアメリカ人の文化って何がすごかったの?
日本人と違うな、こんな感じなんだアメリカ人
めちゃ岸いたくて
日本人からするとすごい激しい言い争いをするというか
多分それは人それではあると思うんですけど
ドラマとか見てても
みんなすごい主張強くないですか?
ボディランゲンとか
とか、結構すごい大げさな言い方をしたりとか
っていうのが
大丈夫この人たち?みたいなくらいの
言い争いをするんですよ
戦うとヤバい感じで
そうですね、そうですね
で、これ実際あるんだみたいな
でも私だったら怖くてこんな会話入れない
みたいなのを見たりとか
もちろんすごい穏やかな過程もあると思うんですけど
結構ドラマで見てるあの言い争いみたいな感じで
あれが一般的っていうか普通なんだみたいな
ところがあったりだとか
あとは本当にホームパーティーで
結構日本って閉鎖的に集まったりする感じがあるかなと思うんですけど
知った中で
なんですけどバーベキューとか家族でよく集まって
一緒にご飯みんなで食べるのが普通だったりとかして
そういうのとかには
家だけで集まるんじゃなくて
友達の家でパーティーがあったりとか
おじいちゃんおばあちゃんの家でパーティーがあったりとか
そんなところに私も行っていいんだじゃないけど
もちろん居場所ってないけど
知り合いじゃないし
知らないし
やっぱり日本人の感覚で行くと話しかけるの待っちゃったりとか
でもドラマとか見てると分かると思うんですけど
初対面でもガンガンみんな知らないパーティー行っても話してたりとか
そういうシーンがあったりとかで
そういう環境に行けたのは
現地ならではなのかなとか
- なるほど
さっきも言ってましたけど
ダンスサークルも自分で一人立って入ったって言ってましたけど
24:00
ダンスサークルの経験っていうと
元々ダンスは経験あったの?
大学から始めて
- なるほど
日本で初めて
サークルでガチでやってたわけじゃなかったというか
ちゃんと基礎があったわけでもなく
ただ好きだったので
それを使って
言葉いらないじゃないですか
- なるほど
それで仲間に入りやすかったっていうのもあったりとか
本当に今考えるとめちゃくちゃ幼稚で
みんなに迷惑かけたなって思うんですけど
日本人と私はもう話しませんみたいな
よくいるやつ
- 現地に留学しても
留学してよくいるやつみたいな
- 現地に溶け込むぞみたいな
日本人同士だけど私日本語で話したくないからみたいな感じの
すっげー話につくような日本人だったと思うんですけど
- 似合ってますね
結局みんなすごい仲良くしてくれたんですよ
最初はやっぱ隣りなくって
わざわざ高いお金払ってきてるんだから
日本語なんか喋んないよみたいな感じで
意気込んでたんですよね
最初は
そんな感じとかもあったので
とにかく英語にしか触れない環境に行きたい
って選んだのがダンスサークルだったんですよね
そこには本当に一人で行って
それはめちゃくちゃ勇気がいったりとか
- そうだよね
めっちゃそれはあったんですけど
まぁ度胸ついたかなって思います
- 最初の一歩目どうやって入ったんですか
度胸ついたっていうのは
絶対緊張すると思うんですけど
どうやって溶け込んでいったんですか
人も覚えてないんですけど
ランゲージエクスチェンジみたいな感じで
現地の生徒と言語を教え合うみたいなのが
語学学校の中でもあったんですよ
大学と提携して
多分そこで出会った人の中で
多分ダンスの話になって
じゃあ一緒にそのサークル行ってみようか
がスタートだったと思うんですよ
初心者同士っていうか
そのサークルに参加してみよう一緒にって
行ったのがきっかけだったような気がします
- あーなるほど
確か
- そこでご縁があってそのダンスサークルの
元々経験があったからバッと入ったんですね
- そうですね
- あーなるほど
今ダンスやってるんですか続けてるんですか
- 実は細々と帰国してから
- それはやっぱ日本流とアメリカ流を
ミックスした自分の踊りになるんですか
- 全然そのレベルではなくて
本当に初心者オブ初心者って感じなんですけど
- あーそうなんだ
- でもやっぱ好きだなっていう
- なるほどわかりましたありがとうございます
次の質問をしてもいいですか
- はいもちろん
- いろいろと大学で勉強されて
日本帰ってきてまた大学卒業されると思うんですけど
そこから就職したと思うんですよ
居酒屋チェーンの
その就職の軸というか
どんな感じで就職まで来て
今まで来てるかって
その就職の流れを
一つ教えてもらえたらと思うんですけど
- 本当にこれといった
特技とかもなくて
27:00
行きたい業種とかも
何にもなかったんですね
で唯一
大学3年間
一年で留学行ってたので
大学3年間
ラーメン屋さんで
個人経営のラーメン屋さんで
アルバイトしてたんですね
一応そこで飲食経験済みだったんですけど
それが
私はすごく
しんどかったというか
自分が初めての
ちゃんとやった仕事だったりしたんで
全然できてなかったんですよ
それに対して
すごいちゃんと指導してもらった
経験があって
毎日泣いて帰るくらい
私やられてたんですよ
- 自分で悔しいのか
人にやられて涙流したか
どっちですか
- どっちもですね
自分ができない悔しさもそうだし
なんでそこまで言われなきゃいけないの
子供じゃないですか
まだ社会にも出たことなくて
私は本当に甘かったんですよね
仕事だからその仕事を
遂行することがというか
仕事として評価されるじゃないですか
その評価される仕事が
できてなかったから
こう指摘されてたのに
悔しさで
そういう経験があったので
結構
飲食だけは絶対やらないぞ
みたいな
気持ちだったんですね
なんですけど
たまたま
いろんなのを受けたんですよ
不動産だったりとか
- 就職活動
結構いろんなジャンルで受けてたんですけど
一番
その
概要説明が
面白かったというか
ワクワクしたのが
この某お手居酒屋チェーンだったんですね
- どんなところに引かれたんですか
それは
例えば
自撮りを商品としていたり
したので
その生産者さんが
自分が大事に育てた自撮りを
二度殺されて
殺さないで欲しい
と言ったんですけど
その二度というのは
一回目は屠殺として
占めるときに殺されます
でも二回目は
お料理として残されたときに
また死ぬことになるから
大事に育てた
自撮りを二度殺さないで欲しい
という思いを聞いたりだとか
あと
漁師さんが自分で釣った
お魚を
お客さんがおいしいと言って
まの当たりにして
涙ぐむみたいな
そういう繋がりを見たときに
熱くなったというか
- 熱くなりますよね
そこに心が動いて
涙ぐむくらい
私はそれに共感したんですよね
そこが面白いなって思った会社が
また飲食だったみたいな
- 悔しいバネがあったところのことを
また執着して
飲食になるってすごい経験ですね
30:01
- そうですね
バネになったというか
仕事になったっていうところで
最後まで不安は抜けなかったんですよ
また私は仕事ができないかもしれない
みたいな
- 最後は就職活動入るまで
入社するまで
入社するまでですね
結構トラウマチックくらい
私は仕事ができていなかったので
それくらいできていない分
怒られたり
愛の無知だったりもするんですけど
- でしょうね
ですよね
それすら
改善もできなかった
未熟な自分とかがいたりして
結構もう
また現場で私仕事できないんじゃないか
みたいな
そんな感じで結構
トラウマチックにはなってたんですけど
結果として
その会社を
選ぶに至りましたね
一番ワクワクしたというか
楽しそうって思ったんですよ
- なるほど
入社時どうでしたか
本当に辞めるまでの4年間
お話ししてあった通り
海外勤務を
20代前半半ばくらいで
こんだけさせてもらうことって
- すごいですよね
本当にないと思うんですよ
仕事ができたからじゃないんですよ
それなのに
こんな経験させてもらえたっていうのが
自分の中では
感謝でしかなくって
なのであの時
ここの会社を選んで
一つも間違ってなかったなというか
めっちゃありがたいなっていうのは
今なりにすごい糧になってるというか
感謝しかないですね
- この前のラジオの回で
自分海外駐在して手挙げたら
行けるようになったみたいな話だったと思うんですけど
それまでに自分で苦労したこととか
特風したこと駐在にするために
これを頑張ったとかあるんですか
結構
もともとそこまで
もちろん海外に興味があったはあったんですけど
海外行きたい熱を全面で
最初からやっていたわけじゃなくて
- そうなんだ
そうなんですよ
普通にというか
ホールスタッフとして
経験させてもらっていく中で
店舗責任者になって
店長です
店長みたいなお仕事をさせてもらう中で
自分のこの作業も2年くらい経って
自分のこの作業を描いた時に
このまま店舗で
私ずっとやっていけるんだろうか
というか
こんなままって書き込んで
その先がちょっと描けなくなっちゃってた
自分が
- 入社し2年くらい経って
- そうです
だいたい店舗で今やることも
ちょっとずつ分かってきたくらいですね
別にできてたわけじゃないです
仕事内容がだんだん分かるようになってきてから
私この先ずっとこれ続けられるのかな
というふうに
自分のキャリアを考えた時に
このままだと
駄目なんじゃないかなって思って
その後
海外がリンクしたというか
- 募集がかかってというか
- そうですね
33:00
- 今までの自分を変えたいとか
というところで手を挙げてという感じですか
- そうですね
- なるほど
いろいろと香港だったりペンキンだったり
ハーバーイとか
いろいろ経験されていると思うんですけど
どうですか駐在してみて
国によっていろいろと違うと思うんですけど
培った経験を振り返ってみてどうですか
この作業をやってみて
- そうですね
- はいはい
- 仕事としては
本当にこんな機会いただけて
あれだったんですけど
全然なっていなかったと思うんですね
- ということですか
- 例えば求められた数字だったりとか
そこら辺で成果とか
全然残せていなかったので
会社に胸を張って
恩返しできたというところは
実はあまりなかったりするんですけど
それこそその2年間で
触れながら
文化だとか
新しい経験だとか
自分の肌身を持って
経験させてもらえたことは
やっぱりすごい大きかったな
というところがあるんですけど
- 今の仕事で
いかされたことはありますか
考え方とか
姿勢とかありますか
- そうですね
例えば
本当に山ほど
いろんな気づきがあって
教えてもらったこととか
あるんですけど
今自分の仕事のスタイルに
影響しているなというのは
例えばアメリカって
やっぱりめっちゃ自由に
働くイメージあるじゃないですか
- 先ほどね
おっしゃってましたね
- 一番結構衝撃を受けたのは
ハワイの同僚で現地の
アメリカ人で
学校の先生をやってたんですよ
音楽の
学校の先生をやりながら
個人でも
トランペットを教えてて
音楽の先生をやって
塾でトランペットを個人で教えて
その上でレストランの
マネージャーをやってたんです
日本だと考えられないじゃないですか
学校の先生が飲食店で働いているのに
考えられないじゃないですか
しかも3つ
仕事3つみたいな
っていうところに
自由だなみたいな
っていうのとか
あと議会というか
ハワイ州の機会系
政治系の
お仕事をしながら
言っていいのかな
レストランでも働く
それはチップがいいから
お金のためっていうところが
あると思うんですけど
っていう人とか
働き方めっちゃ自由じゃんみたいな
そこにはすごいカルチャーショックを受けて
それが今私フリーになって
飲食店でも働いてるし
会社に所属はしてないんですけど
営業の代行の仕事を
その2社と
やって
フリーランスで
っていうところには
つながっていますね
好きなことを好きなように
やっていいんだみたいな
36:01
なるほど
自分の自由さが
ちょっと広がったって感じですか
そうですね
そこがすごい変わったと思います
質問したいんですけど
なかなか日本で働き方が
縛られちゃうんじゃないですか
周りもやっぱり
仕事辞めちゃダメだよとか
なかなか複数のキャリアを持つことって
結構厳しいじゃない心的に
そこら辺で日本で働きながらも
沙織さんが自分は自由でいいんだ
みたいなそういうのを
心開けるっていうことですかね
できる原点は何ですか
自分の心持ちというか
そうですね
これ結構
帰国してから
割と毎日悩んだことというか
ちなみに霧が晴れたというか
ようやっと
冬に落ちてきたのは
実は今年の4月に入ってからだったり
とかするんで
めっちゃ最近ではあるんですね
それまではもうめちゃくちゃ
つまづきまくったというか
考えまくってたんで
割と最近だったりするんですけど
その
めちゃくちゃ悩んで
結論出したその期間とかが
今の土台にはなってるかな
って思うんですね
こういう劇的な変化っていうのは
ちょっと少ないかもしれないんですけど
はいはいはい
いろんな仕事にチャレンジして
途中でちょっとね
お話してたと思うんですけど
プログラミング学んで
ウェブデザイナー目指してみたりとか
プログラマーになってみようとか
あと銀座のホステスやってみたとか
さっきビックリしたさっき
そういうのを経て
自分に合う合わない
自分の特性を知って
っていうのが
だんだん分かってきたんですね
これって就活の時点で
そこにたどり着ける人もいるんですよね
そうなんですか
いると思います
私はそこが
そこに気づけないまま
来たタイプの人間だったので
行き当たりばったりで
そこまで分析もできず
なのでそれが社会人6年目から
ようやっと分かってきて
ようやっと形になってきたのは
今年の4月から
つい2ヶ月前みたいな
すごいですね
感じなんですけど
私は結構時間かかってる方だと思うんですけど
時間かけてきたってことは
自分自身でも後悔なく
来れてるってことですよね
そうですね
めちゃくちゃ遠回りしてるけど
全部結果として
繋がってきたのかなっていう
感じはします
すごいですね
収録以降また
そうですね
それはめっちゃ思います
わかりました
ありがとうございます
PRや宣伝をお願いします
途中でお仕事3つしている
っていうお話あったと思うんですけど
そのうちの1つが
大好きな地元の
大好きな名産の
北紫ウニが
39:00
岩手の
北三陸のウニが
迎えるんですけど
それで来月ですね
ヒローの
明治屋さんっていう
高級スーパーで
昨年もさせてもらったんですが
そこで祭事の催しがあって
そこでウニを
直接売ることに
今年も決まりましたので
7月ですか
7月です
ぜひ岩手の
苗版とか使ってない
食品添加もされていない
とれたての
本物のウニを
生ウニを
提供するので
よかったら
ぜひ本物の味を
皆さんにも食べてもらいたいな
っていう感じで
概要あるんですか
ホームページは何か
リンクとかないですか
まだ詳細はないかな
と思うんですけど
よければサニーで
トライして
店頭に立って
接客させていただけると思うので
来たら沙織さんが会えるんですか
いろんなお話も
させていただけたらなと思うので
僕が聞き出せないようなことも
もっとあると思うので
残念ですけれども
わかりました
ありがとうございます
ぜひ来ていただけたらなと思います
ありがとうございます
いかがでしたでしょうか
次回もこのお話の続編をお送りいたします
魅力的なお話たっぷりです
お楽しみに
シャローシュラジオ サニーデイ・フライデー
DJの田村洋太でした
それでは次回も
リスナーの皆さまの
お耳にかかれることを楽しみにしております
今日も気をつけて
いってらっしゃい
41:03

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