今回はTaxa Technologiesの共同創業者、COOの「福永祐一」さん(@bluemoon_yuichi) にアメリカで起業した経緯を伺いました。
さらに詳しいお話は福永さんのnoteへ!
https://note.com/bluemoon816/n/n399fd8e844b2?sub_rt=share_h
本配信は個人的な見解であり、所属する組織とは全く関係ありません。
★番組のX @ANG_2024
★パーソナリティ NAKAMURA
★雑務 おニューのわら人形
★オープニング
★エンディング
Night trip(Make a field Music様)
★ジングル
サマリー
若手起業家の福永唯一さんがサンフランシスコでバイオテックスタートアップを立ち上げ、皮膚のマイクロバイオ研究に取り組んでいます。彼の学歴や留学経験についても語られ、インターンシップやさまざまな職業経験を通じてどのように彼の道が形成されたのかが明らかになります。福永祐一さんは文系の高校生としての経験を基に、アメリカの大学での学びや起業に至るまでの経緯を話します。その中で、大学入学時の専攻選択や課外活動の重要性、海外の大学生活の特徴についても触れています。福永祐一さんは文系の高校生から数年でバイオベンチャーを起業するまでの道のりを語り、英語や数学の学びから始まり、大学の経験、特に起業への意欲やPhD取得の重要性について掘り下げています。また、福永祐一さんが数年後にバイオベンチャーを起業した経緯と、大学の経験がその決断にどのように影響したのかについても語ります。
福永唯一の紹介と背景
アメリカンナイトゴールド
こらこんばんは、中村です。
このポテキャストは、アメリカ研究留学3年目を迎えた私、中村が日常についてだったり、アメリカ生活を経験した、また今楽しんでいる方を招きして、その方のアメリカ留学を掘り下げています。
ちょうどあの、今週サンクスキービングって言って、日本語に訳すと収穫祭みたいなやつがあるんですけども、結構アメリカの中で多分一番でかい、
日本で言うなんなんだろうな、正月レベルででかい、正月とかお盆とかそのレベルででかい休日で、ビルディング内にもほとんど人はいないですし、っていうぐらいの休みの週だったんですけども、
それで日本人でそういう文化、サンクスキービングを祝うっていう文化はないんですけども、日本人の友人のある一人がせっかくだったら祝おうよということで、ちょうど昨日土曜日だったんですけども、お好み焼きパーティーをしようということになって、
ちょっと部屋を借りて、その人が鉄板も買ってお好み焼きを作ったんですけども、なかなかやっぱりこっちでお好み焼きを売ってる店はないぐらい、たこ焼きはたまにあるんですけどお好み焼きはやっぱりないんで、なんか久しぶりに食べて美味しかったなって思いながら、
あとお好み焼きって意外と今思うと結構ヘルシーな食べ物だったんだなと思って、キャベツと豚肉と基本キャベツ食ってるみたいな感じで、すごい健康的なパーティーをしたっていう感じなんですけども、
だからその買い出しに僕も行ったんですけども、友人の車でHマートっていう韓国系スーパーなのかな、そこに行ってキャベツとか粉とか、あとお好みソースとか色々売ってたんで行ったんですけど、やっぱりサンフランシスコのいいところは、ちょっと他の都心にしっかり住んだことはなんでわかんないんですけども、
サンフランシスコはそういう韓国系だったり中華系、日本系、色んなアジア系のスーパー、結構デカめのスーパーが近場にあるっていう観点では日本食が手に入りやすいので、例えばお好み焼きやりたい、たこ焼きしたいみたいな感じで、日本の学部生みたいな学生のノリでパーティーしたいって言ってもそれができる。
他に手巻き寿司パーティーしたいとか、そういうのもできるっちゃできるんで、そういう点はすごい過ごしやすい年なんだなっていうのを改めて思って、休日こういう祝日も友人と楽しく過ごせたので、すごいリフレッシュして研究あと1ヶ月、今年やっていけるかなっていうふうに思っています。
そこで今回のゲストさんとも、ゲストさんも招待して一緒にお好み焼きを食べたんですけども、今回のゲストさん3回ぐらいもすでに飲んでいて、1回はゲストさんの家にお伺いして、何やったんだったっけ、唐揚げか。唐揚げをまた違う友人がうまく作れるって話で、ゲストさんの家で唐揚げ作って、その屋上でビール飲みながら唐揚げ食べてたっていう。
結構学生みたいなことしてるんですけども、そういう関係で今回ゲストさん、アメリカで活躍する若手起業家、福永唯一さんです。よろしくお願いします。
アメリカンナイトゴールド。
さて、今回のゲストはアメリカで活躍する若手起業家、福永唯一さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
昨日ぶりですね。
昨日ぶりです。
まず簡単に福永さんの自己紹介出身地だったり、どういう大学にいたとか、そういうのを紹介してもらってもいいですか。
もちろんです。よろしくお願いします。お招きいただきありがとうございます。
福永唯一と申します。
今はアメリカのサンフランシスコでバイオテックのスタートアップを共同創業者使用として関わっています。
会社としてやっている研究内容はマイクロバイオン、特に皮膚ですね。皮膚のマイクロバイオンと合成生物学研究を行っていて、
いわゆる皮膚の微生物のゲノメ編集であったりとか、皮膚の微生物素の移植を通して医薬品や化粧品の新しいモダリティの開発に取り組んでいて、
手前は液臭なので脇の匂いですね。やったりとか、モスキートも引き寄せないような癒薬を作っていて、
一度塗布すると1週間から1ヶ月の間、おそらく歯に刺されない、脇の匂いがしないような製品を作っています。
本当に若手企業家っていう感じですね。
出身は関西で、生まれ育ちもずっと関西で、高校を卒業した後に東京大学に半年間だけ通っていて、
慶応大学の経済学部に、その時は文系だったんですけれど通っていて、その後ギャップイヤーという形で1年間ぐらい東京でインターンをいくつかの会社でさせていただいた後に、
アメリカの学部で、ウィリアムス大学っていうリベララス大学2、4年間そこから通って、卒業して、
ドイツのマックス・プランク研究所の博士課程に進学したんですけれど、3ヶ月で辞めて、今サンフランシスコで会社をやっているような簡単なバックグラウンドになります。
文系から理系への転身
日本で半年間やってたんですね、大学生活。
そうなんですよ、厳密には多分3ヶ月、4ヶ月ぐらいなんですけど、それは本当に当時の、流行りまではいかないんですけど、
私がちょうど高校生の時にアメリカの大学とか海外の大学の学部から、いわゆるインターナショナルスクールじゃなくて一般的な普通科って言えばいいんですかね、
高校から進学するような人が少しずつ増えてきたようなタイミング。
多分一番有名だったのが高島さんっていう、今アシアで市長されている高大に行って、そこからアーバー大学に行かれた方が留学フェローシップっていう団体を立ち上げられたのが、
その数年前ぐらいなんですけど、そこからどんどんアメリカ大学に行くっていう選択肢がより周知されるようになって、
それでアメリカ大学って秋から始まるじゃないですか、
それの間まで日本の高校に通ってると春に卒業するので、半年間ぐらい暇だと。
その間、日本大学に通って、で、辞めていくっていうのが、まっちらとたぶん現れ始めたタイミングで、
で、私もせっかくなんで日本大学に行けようにしたっていう。
なるほど。その後に1年間VCとかで働いてたんですか?
結構いろんなことでいて、当時は20歳までならどんな失敗をしても許されるって結構傲慢に思ってて、
で、とりあえずいろいろやってみようと思って、結構明確になんか業界と業種を縦軸横軸にやった時に、
私はそのセルを埋めようみたいな、っていう風に思って、
例えば、友達にめちゃくちゃ笑われるんですけど、
イタリアの知恵あるじゃないですか、どこにでもある。
そこで、一旦飲食のアルバイトをしてみようと思って、
どんなオペレーションなのかとか、どんな裏方っていうか、
そのキッチンとかボウルってどんな感じでやってるのかって全く想像つかなかったんで、
やってみようと思ってやってみたんですけど、3日でやめましたね。
それきつかったんですか?
いや、なんかきつかったのもあるんですけど、なんか何でしょうね、
単純にこれは明確に向いてないと思ったの一つと、
あとは、なんか職場環境が悪かったんですよね。
で、こんなところもあるんだと思って、
まあ別になんか非常に申し訳ないんですけど、
自分には本当に向いてないと思ってやめましたね。
なんか初日にピザの作り方は一回だけ教えられて、
そのままその日一人だけでピザを作るっていう、
お客さん多分大変だったんですけど、
入って初日のピザさえ作ったことないやつのピザをひたすら食わされるっていう。
すごいな、それなんか練習とかもないんですね。
一回だけやって、あ、いけそうだねって言ってやったんですけど、
そこから2回、1回の確率でピザが壊れたまま出てくるっていう、
丸じゃないですよ、ぐちゃぐちゃのピザを出すっていう時があります。
へえ、いろいろその1年でやりつつ留学院の準備を進めたって感じですか?
そうですね、一番長くいたのがM3っていう、
結構多分お医者様の中で有名な会社があるんですけど、
ヘルスケアの会社で、今結構有名になったというか、
だいぶ大きくなったんですけど、まだそんなに、
当時は結構有名だったんですけど、これからみたいなタイミングでインターンと入って、
そこは半年ぐらいずっといて、
予防医療の事業開発のインターンをずっとしてて、
当時それこそゲノム解析、遺伝子検査の販売会社が、
日本でも結構ちらほら出てきて、メディアに出てきたタイミングで、
どのメディア見ても、遺伝子検査をするとこういった疾患のリスクだけじゃなくて、
健康のこういったリスクがわかりますみたいな、
それをベースにこういった授業が生まれますみたいなことがちらほら言われてたタイミングなんで、
そこの授業開発をインターンとしてやらせてもらってたりとか、
あと実は私はアメリカ大学2回受験してて、
1回目受かってた大学は全然違う大学だったんですよ。
その時にもらえる予定だった奨学金が、受かった大学が対象外になってしまって、
もらえないことになって、どうしようかと思って、
せっかくどうせ日本にいるんだからと思って、受け直したんですよね。
で、受け直して受かったのが、結局入ることになってウィリアムス大学だったっていう裏話。
なるほど、だからやっぱ奨学金がないと海外大学はしんどいですかね。
そうですね、もともと受かった大学、普通に行こうと思うと、
年間どれくらいかかったんですかね、
たぶん1,000万は絶対余裕でかかってて、
2,500万か2,000万くらいの、ちょっとこれ定かじゃないんですけど、
くらいはたぶんかかったんだろうなと思いますね。
そうですね、学費で1,000万で済むのにさらにもっとかかるって感じですよね。
そうなんですよ、なんて、到底生きるわけがなく。
なかなかしんどいですよね。その奨学金はどうやって見つけてきたんですか。
結局最後通った大学は、大学から奨学金をもらえたんですけど、
最初の時に受かっていた奨学金は何でしょうね、どこから見つけてきたんだろう。
海外大学を受験する日本の高校生のコミュニティみたいなのが結構あるんですよ。
そこで共有されたのもあれば、今結構数が増えたらしいんですけど、
当時そんなに数なかった。
アメリカの大学を学部から受験して奨学金をくれるような財団ってそんなになかったので、
だいたいここだろうなみたいなのがそもそも決まってたような案だと思います。
今やってるのが、なんて言ったらいいんだろうな、バクテリア系のやつなんですね。
そうですね、マイクロバイオン研究。
マイクロバイオンですね。それで、もともと文系だったわけじゃないですか。
はい。
で、そこからアメリカの大学は理系なんですか、それとも文系だったんですか。
多分理系ですね。ゴレゴレに実験をしてたので、理系って言っていいと思います。
最初なんで経済学部行ったんですか、そもそも。
それ初めて聞きました。
本当ですか。最初はそもそも高校文系で、そもそもなんて言えばいいんでしょうね、
サイエンスに興味を持ってなかったわけではなかったんですけど、
理系に行く未来があんまり見えなくて、そんなに自分でやりたいっていうほど興味がなかったんですよ。
インターンと職業経験
で、さっきお伝えしてたM3でインターンをしたときに、
ペルシアの授業とか、あとはサイエンスの研究ってこんな感じなんだっていうのを初めて知って、
それこそ、それまでは何でしょうね、論文とは何かさえ全くわからなかったりとか、
あとなんか先生方がインパクトファクターって言ってるけど、これ何なんだとか全然わからなかったんですけど、
そこで色々、何でしょうね、界隈のお話を聞くようになって、
結構なんか面白そうだなと思ったのが、学部に行く前だったんですよ。
で、アメリカの大学って知られてる話だと思うんですけど、
入るタイミングで全校決めなくていいんで、後から帰られるんですよ。
それで、1年目はとりあえずいろんな授業をとってみようと思って、
とってみた中で、学部の専攻は一応政治学とあとニューロサイエンスなんですけど、
に興味を持ったっていうのが変えた理由で、経済にしたのは文系学の一つと、
あとは半年間通うだけで日本大学選んでたので、半年間できることって友達を作ることと、
あとは将来的なキャリアのバッファー、受かりましたっていうことと、
あと、卒業生とつながるためのフックにしかならないなと思って、
その3つ考えるときに、どの大学がいいんだろうと考えたんです。
ときに、例えば東大はそもそも受験のコストがあまりにも高い。
勉強もちろんめちゃめちゃしないといけないですし、
あとは友達作るってなったときに、ありがたいことに中高は結構東大に何人か行くようなところだったんで、
別に彼ら経由で友達作ればいいやと思って、東大はなしになって、
あとは東京に行きたかったんですけど、ってなると、
慶応ってあんまりいなかったんですよ、周りで行ってた友人というか、
卒業生あんまり慶応に行く人がいなくて、
じゃあ慶応にしよう、慶応の看板学部、あ、経済学部で文系でも受けられると思って、
慶応にします。
慶応、企業サークルとかって、すごい企業が盛んってイメージもあるんですけど。
そうですね、それはあんまり関係なかったんですけど、
一つあるとすると、親との約束で、
日本の大学は絶対受けろっていうので、
なんとなく慶応に行ってほしいみたいなのがあって、
慶応を受けたっていうのがあります。
専攻選択と課外活動の意義
そこから1年ぐらいしたアメリカに行って、
アメリカの大学生活って日本より激しいイメージがあるんですけど、
そうなんですか?
映画とかだとすごい、あれ、高校かな?
大学生活ってあんまりないか?
キャンバスでのんびりしてるイメージか、どっちかっていうと。
いや、のんびりはできないですよ。
うちの大学が、大学ランキングっていろんな軸でランキングつけられるじゃないですか、
1人あたりの勉強時間が、2位が、今どうかわからないんですけど、
当時はカルテック、パリフォニア工科大学で、1位はうちの大学だったんですよ。
理由はいくつかって、1つはただ単純に何もやることがない。
ウィリアムスタウンっていうニューヨークから北に3時間半ぐらい、
ボストンからもう西に3時間半行った、本当に何もないところにあって、
大学のキャンバスでたら、スマホの携帯の電波届かないみたいなところにいたんですけど、
勉強する以外やることがない1つと、あとは課題の絶対量もなんか多くて、
基本は本当に何でしょうね、ずっと勉強してて、
課題活動とかやってる人もいたんですけど、
他その中、何でしょうね、容量が、特に最初は良くなかったんで、
ずっと勉強してましたね。
最初は、そうですね、英語で授業を受けたことは初めてだったので、
結構なんか苦労した記憶があります。
そうですね、自分も今バークレーの子いるんですけど、
ミッドタウンとかファイナルとか死にそうになってますもんね。
そうなんですよね、結構大変だった気がしますね。
日本の大学の期末試験なんてあってないようなもんなんで。
どうなんですかね、結構なんか友人を見てる限り、
多分、期末試験の前とかは日本の大学生の方がよっぽど勉強してるような気がしてて、
普段から結構必死になってるんで、
勉強してないといけない休休期間が圧倒的にアメリカの方が長いのだとは思います。
確かに、日本だと短期集中で終わらせるっていう感じはありますね。
そうですよね、あとはテスト系の授業あんまり後半から受けなかったんで、
日本はずっとペーパーを書くみたいな感じなんですけど、
これ結構慣れると楽というか、英語が母国語じゃないんで、
時間があればあるほどありがたいんですよ。
テストって時間決まってて、その中でアートヒストリーの授業を受けたことがあるんですけど、
芸術史ですね。
なんでこんな授業受けたんだってテストの時にめちゃくちゃ後悔して、
授業めっちゃ面白かったんですけど、
テストの内容が目の前に絵が出てきて、
その名前と顔全部答えろって言われるんですけど、
問題がいくつかあって、そもそも英語の演説を書かないといけないんで、
母国語じゃないとめっちゃ不利なんですよ。
これ一つと、あとは海外の名前って日本語で知ってるのあるじゃないですか、
で、有名なやつとか一応なんか日本語で知ってたのもあるんですけど、
英語で知ってるかって言われると知らないんですよ。
だから日本語で出てきてるのに英語で出てこないっていう海外2個ぐらいあって、
で、日本語で書いたら思いっきり罰すれたっていう。
まあね、先生からしたら何書いてんだってなりますもんね。
そうなんですよ。
なんで、その授業はパスフェイルっていう、
GPAをつけずにパスかフェイルだけにするっていうのができたんですけど、
パスフェイルにしましたね。
じゃあ結構あまり遊べてないですか?
いやでも、ということで感謝祭休みがちょうど今なんですかね。
その時とかサンシキビングとか、まとまって休みは結構旅行とか行ってましたね。
あ、そうかニューヨークとかボストン近いし。
そうなんですよ。なんでバスで、DCは行かなかったんですけど、
大学からバスでボストンとニューヨークは行けるので、
ローストンとかニューヨークは結構行きましたね、サンクスキビングは特に。
それは楽しいな、ニューヨーク行き放題なのは確かにいいですね。
いや行き放題ではないんですけどね、普段バスないんで。
サンクスキビングの時は大学からバスが出てる。
そうなんですよ、大学からバスが出てて、そのバスに乗ってニューヨークに行って、
1週間ぐらい、友達の日本人の友人で、
その時ニューヨーク大学に留学してた友達がいたんで、
その寮に転がり込んだりとか、
あとはアメリカ人の友人の家に転がり込んだりとかしてました。
じゃあ結構勉強バーってして、休む時はもう休んで遊んでっていう。
そうですね、結構メリハリがあるというか、感じだった気がします。
なんか日本でいてもよかったわけじゃないですか、
アメリカにわざわざ行こうっていうふうに思った特に理由っていうのはあるんですか?
そうですね、いろいろ真面目な理由と不真面目な理由があるんですけど、
めっちゃ真面目な理由は、大学受験のタイミング、
高校1年ぐらいの時に考え始めるじゃないですか、
文系理系にするってところから始まって、留学をどこにするみたいな時に、
私結構島田では自傷心学校って当時言われてたんですけど、
本当にガン詰めにして、とりあえず東大と京大と医学部以外受けるなみたいなことを、
結構リアルにいう先生もいるようなところで、
でもその面白い矛盾が、勉強ガン詰めにするだけじゃなくて、
結構課外活動とかさせてたんですよ。
公外に行くプログラムとかがあって、
高校1年の時初めて東京にそもそもそのプログラム行ったんですよ。
一応東大見学っていうのと、
あとは卒業生の中で東大にいる人とか、
あとは社会人の方のお話を聞くみたいなものとか、
いろいろあったんですけど、結構参加してて、
そこで何でしょうね、とりあえず海外に住みたいって昔から思ってて、
海外に住める職業は外交官かなと思って、
外交官目指せたんですけど、
東大に行った卒業生の話を聞いた時に、
全然ワクワクしなかったんですよね。
東大入って何してるんですかって聞いた時に、
毎日飲み会行ってるとか、サークルでテニスしてるみたいな話を聞いて、
いやこれって東大じゃなくてもいいんじゃないかって結構自分自身思ったんですよ。
先生に言ってもあんまり納得いく答えが返ってこなくて、
とりあえず東大に行っとけば何とかなるみたいなことを聞いてた時に、
そのタイミングぐらいで初めてアメリカ大学に行くっていう選択肢を知って、
そのアメリカ大学に行ってる先輩の話が結構キラキラと聞こえたんですよ。
調べてみると、それこそ学部に行ってから専攻入られるとか、
あと通ってた大学は結構少人数制の大学で、教授との距離が近くて、
で、面白い授業が結構あったりとか、
そもそも学部で海外の大学に行くってなんか面白そうだなとか、
いろいろ見た時に非常に面白そうだなと思ったっていうのが結構、
当時どう思ったかちょっとわからないんですけど、真面目な理由で。
真面目な理由は、アメリカの大学受験って海外活動って結構重要なんですよ。
勉強だけじゃなくて、それ以外何やったのかって結構重要なんですけど、
イコールどういうことかっていうと、学校の授業をさばる効率があるんですよね、そこで。
大学受験に必要だからっていう理由で、本当に必要なんですけど、
海外活動なんで、結構海外に行くプログラム行ったりとか、何たら大会行ったりとか、
周りが勉強合宿行ってる時に一人だけ抜けて東京行ったりとか、めっちゃしてたんですよね。
でも全部高潔になるんで、高校2年の時、3ヶ月ぐらい学校に気づいてはいなかったんですよ。
全部高潔だったんですけど、周りはガン詰めで勉強してるじゃないですか、
友達とめっちゃ仲悪くなって。
友達化したら何か遊びに行ってるみたいな感じになっちゃいますもんね。
そうなんですよ。何なら当時学級院長してたんで、お前何やねんみたいながあったんですけど、
でも何かおかげで結構何でしょうね、ずっと高校の時は青春をしてもいいんじゃないかって思ってたんで、
それができたら何か良かったですね。不真面目な理由はそれです。
国際的な経験の重要性
海外活動って何やるんですか?
いろいろやったんですけど、例えばワールドスカラースカップっていうディベート大会みたいなのがあって、
それに参加して国内大会に行って、当時関西大会と関東大会があって、関西大会そんなに認知されてなかったんで、
本当なんか出れば誰でも世界大会に行けるみたいな大会だったんですよ。
世界大会が2回参加して、1回目がクアラルンプールで、2回目がバンコクだったんですけどに行ったりとか、
あとは高校生外交官プログラムっていう保険会社のAIJがやってるプログラムがあって、
これもアメリカに3週間無料で行けるプログラムなんですけど、これに行ったりとか。
でもその頃から英語とかもぺらぺらだったんですか?
英語だけは好きだったんですよ。中学1年から。海外旅行したことなくて、
初めて行ったのが修学旅行だったんですけど、海外だと。
それまで13でアメリカに行けるって分かってたんで、頑張ろうと思って。
これも不真面目な理由で、英語って、映画見て字幕を見ながら見てるのを英語の勉強してるって、
親に言えば、映画を見させてくれるっていうのに気づいて、英語が好きになりましたね。
でもいいことですからね、実際それは。
そうですね。それが本当に役に立ったのかどうかは分かんないんですけど、
英語は好きで、得意識が途中から生まれて頑張ってましたね。
映画で勉強するのが一番効率いいと思います?
いや、効率悪かったんじゃないですかね。
でも確かにフレーズとかなんとなく、なんて言えばいいんでしょう。
別に専門家でもなんでもないんで、正しいこと言ってるかどうか分かんないんですけど、
肌感覚というか、英語の文見たときに何かこれ違いそうみたいなのが、
多分そのおかげでできたのかなっていうのはあるかもしれないですけどね。
ただ本当に、英語を見たいだけでそれをやってたんで、
実際にどこまで良かったのかどうかは分かんない。
でも日本語を勉強している外国人ってアニメで勉強するって言うじゃないですか。
そうです。
だから映画とかの方がいいのかなっていうのは思いますね。
単純に楽しいですね、見てて。
そうなんですよ。なのでひたすら英語だけしかやってなかったんで、
本当に中学3年までの成績は、英語だけ本当に学年トップぐらい。
で、帰国資料がたまたまうちの台にどんどんいなかったんですよ。
なんで取りやすかったっていうのがあるんですけど、
めちゃくちゃ英語だけ勢いよくて、あとは結構なんか平均点か、
数学めっちゃ苦手で数学もなんかレベぐらい、
さまようみたいな感じでしたね。
まあけどそれでも英語ができたらだいぶ強いですよね。
そうなんですよ。あの慶応のさっきの話に戻ると、
慶応選んだのも、慶応って経済学部は、
一応なんか2パターンあるんですけど、
私が選んだのが英語と数学と小論文だったんですよ。
英語はアメリカの学部のセンター試験みたいなSATってのがあるんですけど、
受けるためにももちろん勉強しないといけないんで、
英語はほぼ満点取れたんですよね、確実に。
慶応の経済の試験って英語で満点さえ取れば、
一応なんか数学も英語もこれ以上は取らないと足切りみたいなのがあったらしくて、
それは取らないといけないんですけど、
これってほぼ簡単に取れたんです。
数学苦手な僕よりも、
題文1を何個かちゃんと答えればいいみたいな。
英語で満点を取って、数学は基準点ギリギリちゃんと取って、
小論文は、現代文めっちゃ得意だったんですけど、
絶対書けると思ってたんで、
それで慶応にしたっていうのがあります。
いいな、やっぱり英語勉強しきゃよかったなっていうのはすごい思うんですよね、中学の頃から。
そうなんですか。
全然勉強してなかったんで、生物ばっかりでしたね、僕は。
でもそっちの方が自分の専門分野があるというか、
別に英語が専門だからといって、
翻訳家になるとかあるんでしょうけど、
なんでしょうね、あくまでもツールでしかないんで。
英語がそんだけ喋ると大学生活も友達とかできて楽しそうですよね。
そうですね、でもなんか机の上の英語とやっぱり日常会話って違うじゃないですか。
なんで、結構なんか自信あったんですけど、
学部行ってからやっぱりめっちゃ苦労しましたね、友達作るのは。
今の共同創業者は大学1年のときから友達なんですけど、
本当にコミュニケーションの取り方がやっぱり難しくて、
当時はですよ、1年のときは本当に知らない単語がいっぱい飛び交うんですよ。
フレーズとかわかんないじゃないですか、インディウムとかみんなめっちゃ使うんですけど、
知るわけないんで、もうなんかそのキャラで押すと押せますよね。
初めてのアメリカで授業を受ける体験だから、
もう何言ってるか本当にわかんないから、
全部解説してくれる、手で言ってなんとかやってましたね。
そうだよな、なんか飲み会とかだとやっぱりわかんないもんな、
ノリがわかんないときあるね。
そうなんですよ、今でも全然わかんないんですよ。
ホームパーティーとか、それこそ共同創業者やるじゃない、やるんですけど、
一応いるんですよ、いても、笑いのつもりがそもそも違うんで、
なんで笑ってるんだろう、何が面白かったんだみたいなのがほとんどなんで、
そこついてけなかったりとか、やっぱありますよね。
やっぱそうなんですね、俺もなんか笑ってるの、何が面白いんだろうと思いながら、
一応合わせて笑うみたいなやつはしてるんですけど。
なんかアメリカ人の笑いって、結構親父役でめっちゃ爆笑スタイルするっていうじゃないですか、
なんかしょうもないんですよね、悪い意味じゃなくて、
こんなんでめっちゃ爆笑するんだみたいな、結構頻発するんですけど、
ついていけなくなってきて、これが頭で考えちゃうんです、何が面白かったんだろうみたいな。
ちっちゃい笑いが大きい笑いになりますもんね、なんか。
そうなんです、あとはなんか顔芸とか、結構リアクションが大きいと笑うみたいなとかも、
基本僕はモノトーンというか、あんまり感情の起伏が激しくないんで、
たぶん肩から見てると何考えてるのかよくわかんないみたいな。
そこがなんか若干大学、特に学部留学のネックなのかなっていうのはなんとなく思うんですけど、
でもなんとかなりますかね、1年ぐらい過ごしたら。
そうですね、1年過ごしたら、それこそ1月ぐらいに結構慣れたような記憶があります。
そうか、ホリデーシーズンが終わって、ちょっと仲良くもなってみたいな。
そうですね。
アメリカンナイトゴールド。
そっから大学終わって、大学院に行ったって言ってましたよね。
はい、もともとPHCに受かったタイミングで、今の会社を一緒に創業しようっていう話を、
もう一人の共同創業者のアメリカ人から言われて、共同創業者になったのがPHCに行く前なんですよ。
インスタはそのタイミングで受かってて、PIにも今会社をアメリカで立ち上げてっていう話は一応共有してたんですね、オファーを受ける前に。
それは全然問題ないって言われたので、一旦PHCに行きながら会社をやろうと思って。
大学生活と起業の道
その一番の理由が、我々のバイオ系のスタートアップで、一概に言うとディープテックのスタートアップになるんですけど、
基本的には手前1年くらいは売り上げがないので、ひたすらキャッシュをバーンするような形になるんですけど、
なると最初資金調達は絶対しないといけないんですよ。
当時、1年前くらいなんですけれど、資金調達がめちゃくちゃ厳しかったんですよ。
冬の時代って言われてて、全然どの会社も資金調達ができなかったんですよね。
特にバイオなんです。
全然バイオ系のスタートアップに資金が流れないようなマクロ環境だったので、
そもそも資金調達がうまくいくかなんて全然わからなかったんですよね。
なので、調達がうまくいかないっていう可能性もあるっていうのを見越して、
最悪会社が全然うまくいかなくても、PhDにいればいいやと思って、
最初は両方一緒にやろうと思ったっていうのがあって、
結局、PhDのオファーはそのまま受けて、ドイツに3ヶ月だけ行って、
その3ヶ月経ったタイミングで結構目処が見えたのと、
さすがに両立がきつかったっていうので辞めたっていうのがある。
そこでPhDを取るっていう方法もあったじゃないですか。
なんでPhDを取らずに決め手があったんですか?
もともとMax Planckに行こうと思った理由も、
私は結構、もともと興味がスタートアップっていうか、
事業を作るみたいな方にどっちかというと興味があって、
より社会にインパクトがある事業を作ろうと思うと、
過去の例を見てもそうなんですけど、
基本的にはイノベーションドリブルなんですよね。
このイノベーションが利用モデルで生まれるパターンと、
技術によって生まれるパターンがあって、
個人的に私は校舎の方が面白いなと思ったんですよ。
なんで、ビジネスモデル革新的な事業を作るよりも、
技術が革新的で、それをベースに、
世の中に不可逆的な変化を起こすような事業を作る方が、
やりがいがあるなと思った時に、
どういった技術なのかって考えて、
ソフトウェア系のスタートアップって、
一番一般的な人が想像するスタートアップだと思うんですけど、
なんか勝てないなと思ったんですよ。
高校生の時から天才プログラマーみたいな人と会う機会があって、
こんな人たちに勝てるわけがない。
せっかく大学に行ってるなら、
大学に行ったりとか博士に行くことが、
メリットになるような領域がいいなと思った時に、
バイオとかヘルスケアってやっぱり、
参入成績がめちゃくちゃ高い。
肌からすると何やってるかよく分からないじゃないですか。
あ、そうっすね。
やっぱりうさんくさい人が、
健康の分野だっていっぱいいるように、
博士課程は持ってないとか、
医者じゃないとか、
ちゃんとしたクレディビリティがないとか言うと、
一気に、なんだこの人みたいな。
いうふうに見えられるってことは、
逆にそういったクレディビリティがあると、
一気に、スタートアップ会話でもモートって言うんですけど、
参入成績になるんで、
いいなと思ったっていうのが結構あって、
それで、PhDに行ってから、
PhDを取って、
その時の研究だったりとか、
その間に考えたアイディアで起業しようと思って、
PhDを選んでたんで、
それが早めに来ただけなのかと思えばいいのかなというか、
せっかくなら、今のタイミングで、
起業の決意
こういった起業のチャンスがあるんだったら、
一旦やってみようかなと思ったっていうのはあります。
そうですね。PhDは正直いつでもやろうと思ったらできますからね。
どうなんですかね。
行っただけで取ったわけじゃないんで、
僕は何とも言えないんですけど。
すごい。
このだいぶ人生の早い段階で、
大きい分け目を選ぶのはすごいですね。
そうなんですかね。
でもなんか、これは今ふと思い出したんですけど、
誰かが、本当に誰が言ったのか覚えてないんで、
本当にこの発言が正しいのか全然わかんないんですけど、
人生の決断と大学の経験
人生を死ぬ時に振り返るときに、
20歳までが人生の半分に感じるっていう話を、
どこかで聞いたことがあって、
なぜかめっちゃ覚えてるんですけど、
理由は20歳までは、
いろんなライフイベントが初めて起こる。
学校が変わって、環境が変わることもあれば、
友人も変わったりとか、
今まで経験したことのないことをする機会が20歳までに起きて、
その20歳以降は一般的な人がどうなのかっていうのは置いといて、
20歳以降って大学卒業して就職をして、
その中で勤め上げるみたいな人が一般的なのとすると、
結婚をして子供が生まれてぐらいしか、
新しい子って生まれないっていうのがあったときに、
どうせこういう人生のキロに立つ場面って、
人生の後半で来ることが少ないんだったら、
来ている今のうちに、
ちゃんと考えて意思決定したいなと思ったのは結構昔からあって、
それで結構自分なりに後悔しない決定をしたいなと思って、
いろいろ考えて意思決定をしていたら、
気づいたら大学すぐに辞めるやつになってたっていう。
2回ほど3ヶ月で辞めてらっしゃるっていう。
そうなんです。
いいですよね。
博はつきますもんね、一応、
PHDに入ったっていう博は、
さっき慶応でも言ったように。
本当にありがたいことに、
アカデミアにいてもそうなのかもしれないですし、
あとは授業のところだと、
例えばマックス・プランク研究所って、
一応アカデミアの中だと知られている研究所なので、
マックス・プランクで研究された方だったりとか、
共同研究所の方がマックス・プランクにいらっしゃる方と話すこともあるので、
そこの一つの会話の種になるっていうのはやっぱり大きいですし、
あとは慶応とかもそうですよね。
日本だとやっぱり慶応出身の方って多かったりとかするので、
そういうためには本当に良かったかもしれないですね。
あと本当に個人的な経験としても、
PCめっちゃ楽しかったんですよ。
3ヶ月なんで、
それは楽しいに決まってるのかもしれないんですけど、
やっぱり良かったなと個人的な経験としては思うので、
それは本当に良かったと思います。
というわけで今回は福永さんに
アメリカに来るまでの経緯について伺ってきました。
さて、アメリカンナイトゴールド、
スポーティファイ、
アップル・ポトキャスト、
アマゾンミュージックにて、
日本時間の金曜日0時に配信をしています。
番組のご意見・ご感想は、
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メールフォームにお寄せください。
また、ハッシュタグ、
アメ号をつけていろいろつぶやいてください。
皆さんからのコメントをお待ちしています。
ここまでのお相手は、
中村と
福永でした。
また来週。
39:30
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