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近藤淳也
いや、なんでそんな。
はい、っていう感じだと思いますけど、じゃあちょっとけんしんさんの、過去から順番に伺ってみたいんですけれど。
Kenshin Fujiwara
ありがとうございます。
そうですね、アンノウンのメンバーの方もね、始めましての方はほとんどですし、これ聞いていらっしゃる方もね、お前誰やねんっていう方もいらっしゃると思うので。
かいつまんで自己紹介させていただくと、僕は今47歳でして、繰り返しですけど、近藤さんとほぼ同い年と、もう50手前のおっさんなんですけども。
近藤淳也
1976年に、滋賀県長浜市まで。
Kenshin Fujiwara
そうなんですよ。今でこそ長浜市なんですけども、僕本当に滋賀県と福井県の県境のところの駅で言うと大見塩津っていう、もう最北端の駅ですね。
近藤淳也
JRの線路が交換になって浮いてるとこです。
Kenshin Fujiwara
浮いてるとこです。湖西線と宮古線が交わるところなんですけど。
近藤淳也
峠に向かって標高を上げていかないといけないとこですね。
Kenshin Fujiwara
そうなんです。なのでめちゃめちゃ雪降るんですけども、そんな土田に生まれてましてですね、ちょうど生まれてから、数十年経ってから長浜市に登校されたんですけども、それまでは西安寺町、郡っていうところでして、
本当に学校にリアルで熊が出てくると、冬になると、食べ物がなくなって、高校とかに置いてくるっていう、それくらい田舎だったんですけども、そこで18まで、高校卒業までいさせてもらってですね。
近藤淳也
いさせてもらって。
Kenshin Fujiwara
いさせてもらってですね、ありがたいことにいさせてもらって、親に養ってもらってですね、その後何を持ったか、18でアメリカロサンデルスにポンと留学をしまして、そこでコンピュータサイエンスを学んだんですけども、
それ以上にですね、企業化精神にやられてしまいまして、当時、西海岸95年から僕は99年までいたんですけども、ドットコードバブルのど真ん中からですね、近藤さんもよくご存知の、ヤフーが生まれ、グーグルが生まれっていうのがど真ん中でして、
なので大学の同級生もですね、もう半分以上ぐらいですかね、皆さん企業コースに入っていてですね、チームを作って、ピッチして、ベンチャーキャピターからお金を集めて、次のヤフー、次のグーグルを作るっていう、そういう鼻息の荒い練習ばっかりだったんです。
近藤淳也
なるほどね。ちょっと待ってください。じゃあ、大学はベイエリアではないんですか。
Kenshin Fujiwara
そうなんですよ。ベイエリアのちょっと下で、ロサンゼルスに僕はずっといましてですね、そこで5年間、英語学校1年間と4年間大学という形で行かしてもらったところですね。
近藤淳也
そうなんですね。コンピュータはもともと好きだったんですか。
Kenshin Fujiwara
そうですね。うちの父親が福岡のプログラマーだったので。
近藤淳也
長浜で。
Kenshin Fujiwara
長浜で、某工場のプログラマーだったんですけども、もともと当時はですね、そんなPythonとかLBとかなくてですね、もうフォートランコボロの世界ですね。
近藤淳也
業番号がついてるみたいな。
Kenshin Fujiwara
そうですね。なので父親ももう本当にプリンターでですね、何十ページのソースコード打ち出してきて、家で紙デバッグをするという時代でして。
なので父親の隣についてですね、「おい、けんしん、今1万70何行目の愛の値は何や?」みたいなですね。
近藤淳也
え、愛の値わかるんですか?見たら。
Kenshin Fujiwara
そうですね。ソースコードを見ながらですね、父親が実行するコードのその先のところを僕がページをめくって、今ここ何とかの値やでみたいなのをですね、デバッグを紙でやるのを手伝うみたいな。
近藤淳也
手伝ってたんですか。
そうですね。
え、すごい。なんか両脇に穴の開いた紙がベロベロベロって出てくるやつ。
Kenshin Fujiwara
ベロベロって出てくるやつ。
近藤淳也
うちにもありましたよ、それ。
Kenshin Fujiwara
まじですか。さすがは同世代ですね。本当に紙デバッグの世界ですね。で、ひたすらパンチカードでソースコードを入力するという時代のソフトウェアエンジニアだったんですけども。
近藤淳也
すごい。
Kenshin Fujiwara
なので福岡、福岡、10歳の頃ですね、ちょうど小学校2年生になる頃には結構プログラミングがもうできるようになってまして、4年生で僕が最初にマスターしたプログラミング言語が、ベーシックとかじゃなくてアセンブラーでした。
アセンブラーをマスターしたんですか。
近藤淳也
そうですね。
Kenshin Fujiwara
小学校4年で。
近藤淳也
そんな小学生、長浜にいます?
Kenshin Fujiwara
いなかったですね。なので飛び出るきっかけがあったんですけども。
近藤淳也
何で引っかかった?
Kenshin Fujiwara
長浜から飛び出るきっかけ。
近藤淳也
飛び出るきっかけ。他いないですよね、なかなか。
Kenshin Fujiwara
いないですね。
近藤淳也
そうですか。
Kenshin Fujiwara
はい。
10進数の足し算、引き算とかをやる前に16進数の足し算、引き算を先にやるみたいな。
そんなことやってたんですけども。
近藤淳也
すごいわ。英才教育ですね。
Kenshin Fujiwara
いやいや、自動に偏った教育だったんですけども。
なので高校生になる頃には、自分で言うのもちょっとあれなんですけども、結構プログラミングもできるようになっててですね。
近藤淳也
それ独学で?
Kenshin Fujiwara
独学ですね。多少父親にも教えてもらったりはしましたけども。
当時当然インターネットもない状況ですんで、アルバイトをして書籍を買って、自分で勉強して、あと多少親父に教えてもらってみたいな感じで、18まで自分で勉強してたという感じ。
近藤淳也
すごい。相当すごいあれですね。子供で。
Kenshin Fujiwara
まあオタクですよね。
近藤淳也
でもそこからアメリカの大学っていうのは、情報もないでしょうし、結構ジャンプしてません?
Kenshin Fujiwara
そうですね。
近藤淳也
それはスムーズにいったんですか?
Kenshin Fujiwara
いやスムーズにはいかなかったですね。なので行ったきっかけっていうのはですね、当時NHKでやってたですね、ビバリーヒューズ高校博書というものすごいドラマ。
独生の強い、ティーネイジャーにとってはものすごい独生の強いドラマがあってですね、まあカリフォルニアのキラキラキラキラ世界が毎週毎週飲みしろインプットされるわけですよ。
近藤淳也
全然ITと関係なかった。
Kenshin Fujiwara
関係ないですもんね。もちろん親とか学校先生はね、僕もソフトウェアが勉強したいので、IT勉強したいのでアメリカ西海岸に行かしてくださいというのを言ったんですけども、本当の理由はブランドに会いたいと。
あの世界に入りたいと。
へー。
そういうのがまあでも10代のね、もうティーネイジャーが考える理由なんてそんなもんですよ。
本当の理由でベイリアじゃなくてロサンゼルス。
じゃあ本当にそれが理由でロサンゼルスの方を選んだんですか。
そうなんです。
実際あのビバリーヒューズでですね、日本食屋さんでアルバイトもしてましてですね、どこに行ったらブランドに会えるのかという。
近藤淳也
会えたんですか。
Kenshin Fujiwara
会えなかったですね。
近藤淳也
でも俳優さんとか来るんじゃないですか。
Kenshin Fujiwara
いっぱい来ましたね。
やっぱり。
近藤淳也
日系のレストランだったので、まずやっぱ日本人の芸能人の方たくさん来られてましたし、それこそまあ名前ここで言ってもまあいいのかわからないですけど、久保田利伸さんとか浪江さんとか。
へー。まあ自己自己。
Kenshin Fujiwara
自己ですね。
古い古い。
そうですね。
近藤淳也
久保田利伸、青森浪江、それはサインもらったりとかは。
Kenshin Fujiwara
しなかったですね。
なのでまあそういう場所でしたけど、ブランドには残念ながら会えなかったですね。
近藤淳也
そうですか。ハリウッド俳優はいなかったですか。
Kenshin Fujiwara
ハリウッド俳優もたくさん来てたと思いますね。
僕はちょっと当時あんまりその辺詳しくなかったので認識はできなかったですけど、他の授業員の方が、わーあれ誰だよって言うのはよくありましたね。
近藤淳也
へー。うわーすごい面白い。
Kenshin Fujiwara
チップだけでもう100ドル超えることって。
近藤淳也
あーすごい。
そんな場所でしたね。
なるほど。じゃあそういうとこでバイトしながら大学に通って、それも市内にじゃあ近くにあったってことですかそういう。
Kenshin Fujiwara
そうですね。僕がいたのは1個上のノースリッジっていうですね、山を1個越えた、ハリウッドのサインがある山をですね、1個越えた北のところにある大学だったんですけども、
仕事場というかアルバイトだけですね、はビバリヒズだったので山を1個越えて南に下るって感じだったんですけども、
そこを車で往復しながらアルバイトしながら学生生活を送るみたいなことをしましたね。
近藤淳也
車は運転できたんですかもう最初から。
Kenshin Fujiwara
そうですね、アメリカはこのままこのままですけど、車がないともう全く生活できないですし、ロサンゼルスもものすごい広いところなので、もう学生でも車はかなり必須でしたねやっぱりね。
近藤淳也
じゃあ行ってすぐ取ったってこと。
そうですね。
Kenshin Fujiwara
英語とかは。
近藤淳也
英語は全くでしたね。
Kenshin Fujiwara
飛び込んだんですかじゃあ。
近藤淳也
僕教科の中で一番英語が成績悪かったですんで。
Kenshin Fujiwara
あーそんな高校の時とか。
高校の時ですね。
近藤淳也
えーそれでよく行きましたね。
海外に留学っていうかその海外の大学に行く進学される方っていうのは高校にはいたんですか。
いなかったですね。
Kenshin Fujiwara
じゃあ一人だけ。
高校を卒業する時に進路先っていうので、大学行かれる方何名とか専門学校行かれる方何名とか就職される方何名とかって出るじゃないですか。
私はその他のところに入ってましてですね。
大学扱いになってなかったですよね。
近藤淳也
そうですか。
すごい。
いいですね。
Kenshin Fujiwara
応援してくれたんですかそれは。
そうですね。今でこそですけど当時1ドルが86円とかそういう時代だったのでまだ仕送りしていただけるいいレートだったんですけども。
よく言われるのが今だったらもう絶対無理だった。
近藤淳也
あー確かにもう倍ぐらいになってますもんね。
Kenshin Fujiwara
倍ぐらいになってますね。
近藤淳也
その当時安かったですねそう考えたら。
Kenshin Fujiwara
本当に縁が強かったというか仕送りはしやすかったっていうのは今でも言われますね。
近藤淳也
あーなるほどなるほど。
英語も喋れないけど行ってみたいんだって言ったら親御さんもじゃあ行ってらっしゃいって言って別に日本の大学でなくても別にいいんじゃないって感じだったんですか。
Kenshin Fujiwara
そうですね。
Kenshin Fujiwara
日本の大学もねそれこそこのひざ元の京都産業大学さんとかいくつかオープンキャンパスで貸してもらったんですけどもちょっと正直今からこれもう一回勉強するのもどうかなっていう感じもしたのでやればもうカリフォルニアに貸してくれということ言ったんですけど本当はやっぱブランドなんですけどね。
近藤淳也
なんか見ますけど。やっぱりそこに戻ってくるんで。
すみません僕あんまり実は詳しくないですからブランドってどの人やろうっていう。
Kenshin Fujiwara
主人公のあの金髪の兄ちゃんですね。
近藤淳也
あんまり分かってないという。女子のほうじゃないですか。
女子じゃないですね。
Kenshin Fujiwara
主役ですね。なんでなんですか。
女子はどうなんでしょうねパイパパパメインのキャラクターに会いたいじゃないですか。
近藤淳也
あーそういうことですか。
Kenshin Fujiwara
知らんけど。
近藤淳也
なるほどそれがまあじゃあモチベーションとしてあって行ってみてで1年はじゃあ語学。
そうですね。
Kenshin Fujiwara
その役の付属のいわゆるESLというところですね。
近藤淳也
それでまあだいたい話せるようになったものになるものなんですか。
Kenshin Fujiwara
全くですね。
これよく僕も他の方ね留学される方とか影響受けされる方に言うんですけども最初3ヶ月間ぐらいで耳が慣れてくるんでだいたいこう聞こえば分かるようになるんですけども話が追いつかないんですよね。
そこからずっと2年から2年半ぐらい同じような全くこう進捗しない状況が続くのでだいたい皆さんそこで諦められるんですけども。
僕もだいたい大学入って1年1年半ぐらいとかに今でも鮮明に覚えてるんですけどもこうベッドに寝てる時にですねこうつけっぱなししてたテレビのニュース英語ですけどもそれが寝ぼけてる状態でもクリアに何言ってるかわかるって瞬間が2年半後とかに突然バーンとこうくるんですね。
なので本当に階段状でして3ヶ月間でまず耳が慣れてそっからずっとフラットな状態で続いて2年後とか2年半後とかにようやく英語がこうわかるって状態にパチッと切り替わるっていうそういう感覚でした。
近藤淳也
そういうもんなんですか。でそっからはじゃあ結構その難なくコミュニケーション取れる。
Kenshin Fujiwara
そうですね。はい。だいたい言ってることもわかりますしいちいちこう日本語で組み立てて英語に変化してたりしても英語で聞いて英語ですぐ受け取りできるっていうのにまあだいたいやっぱ2年半ぐらいかかった感じでしたね。
近藤淳也
ああそうなんや。それ人によって一緒なんですかだいたい2年半っていうのは。
Kenshin Fujiwara
そうですね。だいたい2年とか3年ぐらいそこまでは階段みたいに上ってくるんですね。本当にフラットな状態で続いてバーンと上がるっていう感覚がだいたいみなさん同じことをおっしゃる方。
近藤淳也
ああそうなんですか。たまにでも妙に早い人いません。
Kenshin Fujiwara
そうですね。
高校ぐらいから普通にしゃべれてる人とか。
いますね。
近藤淳也
なんかいるじゃないですか。
Kenshin Fujiwara
いますね。
近藤淳也
あれは何なの。
Kenshin Fujiwara
脳の作りの問題ですよねやっぱりね。
近藤淳也
なんかすごいその言語能力が高いんだろうなみたいな方が。
Kenshin Fujiwara
そうですね。
近藤淳也
たまになっしゃって羨ましいんですけど。
Kenshin Fujiwara
えてしてやっぱ女性の方がやっぱ言語はちょっと早い気がします。
近藤淳也
やっぱそうですよね。
Kenshin Fujiwara
そうですね。
あと周りには台湾の方とか1回も国から出てない島から出てない方で英語ペラペラの方とかたまには違いますけどね。
近藤淳也
そうなんですよね。アンノウンラジオにもちょっと前に出ていただいたプラダンさんとかはもうちょっと最近何語も勉強してって言ってて。
そういうのしゃべられるんですよ。
アンノンのお客さんとか来られると。
なるほどですね。
Kenshin Fujiwara
ちょっと勉強でそんなしゃべれるってどういうことみたいな。
そうなんですよね。
近藤淳也
ことを結構平気にされてて。
Kenshin Fujiwara
はい。
近藤淳也
全然頭の作りが違うんやろうなと思って。
Kenshin Fujiwara
そう思いますね。
近藤淳也
でもじゃあそれでロサンゼルス行かれて英語もちょっとしゃべれるようになって大学はどうだったんですか。
Kenshin Fujiwara
大学はもう勉強しかしてなかったですね。
皆さんご存知だと思うんですけどアメリカの大学って学年上がるごとにどんどん人減ってくんですよね。
ドロップアウトがもう本当に激しいので感覚ですけど僕が4年生になる頃には多分もう半分以下になってたりじゃないですかね。
そうですか。
近藤淳也
なんか入るのはそこまで難しくないけどこうついていくのが難しいって言いますよね。
Kenshin Fujiwara
そうなんですよ。
で日本みたいにその追思、僕日本大学行ったかわかんないですけどその追思みたいなやつもないですね。
もう単位落としたらもうsee you next year adiosみたいなもうそういう世界。
近藤淳也
adios。
Kenshin Fujiwara
はい。
ですんで本当今でも僕はもうあのファイナルっていうかあの期末の試験の夢見ますし。
近藤淳也
えー怖いんですか。
Kenshin Fujiwara
えー怖いですね。
であとは僕はやっぱね言うても外国人なのでアメリカのその歴史とか向こうでもヒストリーのクラスあるんですけどもそれも全部高校まで遡って勉強しなきゃいけないんですよね。
近藤淳也
あーそうか。
あーコンピュータサイエンスでもやっぱそういうなんて言うの教養みたいなのがあるんですね。
Kenshin Fujiwara
はいそうなんですよ。
アメリカの歴代大統領フルージュンから順番に言われても知らないんで高校まで遡って勉強しないとやっぱりネイティブなアメリカの方とは同じスコアにならないんですよね。
近藤淳也
あーその勉強量が結構いるってことですね。
多いですね。
Kenshin Fujiwara
はい。
なので本当に僕は夏休み冬休みとかもうずーっと日本に帰らずにその短期集中まあ講座っていうのがあるんですけどもそこでまとめて単位を取るためにむしろ休みのときはもう積極的にあの授業をとって。
単位を稼ぐようにしてました。
特に苦手な科目ですね。
近藤淳也
大変でしたね。
まあでも確かにちゃんと課題とかもしないとついていけないっていうイメージですね。
そうですね。
いいですよねでも真面目に勉強できて。
Kenshin Fujiwara
そうですねもうたぶん本当に人生で一番勉強したって自信を持っているのがもう大学の期間ですよね。
近藤淳也
住まいはどんな住まいだったんですかちなみに。
Kenshin Fujiwara
住まいはあのよくあるルーメイトと一緒でそれこそ最初はあのアメリカ人と一緒に住んで途中は同じ留学のしているインドネシア人とか。
今でも仲がいいんですけれどもそういったメンバーともずっとあのルームシェアをして暮らしてましたね。
近藤淳也
じゃあ一緒に借りてシェアしてみたいな。
Kenshin Fujiwara
そうですね。
近藤淳也
なんかよくドラマであるやつですね。
Kenshin Fujiwara
そうですねそういうことビバリーヒルズでこう。
近藤淳也
そうですよね。
楽しそうじゃないですか。
Kenshin Fujiwara
そして誰かと一緒に住んでましたね。
近藤淳也
いいないいなってまあいろいろ大変だと思いますけどなんか楽しいことありましたロサンゼルス生活。
Kenshin Fujiwara
そうですねやっぱ当時やっぱ90年後半で世の中的にこう明るかった時代もいい時代だったので本当に楽しい思い出しかなかったですね。
本当に気候もねご存知のように西海岸ほとんど1年のもう9割以上晴れですし天気予報見る人も全くないですし1年中たんぱんTシャツで暮らせますんで。
近藤淳也
確かに。
Kenshin Fujiwara
本当に気候は良かったですね。
大学のキャンパスの中も移動するとはみんなもうスケボーとかでやるような当時流行ってたローラーブレードって。
西海岸ぽい。
そうですねっていうので移動したりとかもうあの授業の間芝生の上にゴロンと寝てそこでこう泳んだり宿題やったりとかっていうもう本当にカリフォルニアらしい大学だったので楽しい思い出しかなかったですね。
近藤淳也
いいですねそうかでもまあじゃあスポーツとかは特にせず基本はもうその勉強とアルバイトとって感じですか。
Kenshin Fujiwara
そうですねはいただ当時からやっぱアウトドアっていうんですかね外で時間を過ごすっていうのはずっとやってたのでカリフォルニアもね本当にアウトドアすごい盛んなエリアなのでそういうのよくやってありましたけど。
近藤淳也
ドライブとかも行きました。
Kenshin Fujiwara
そうですねそれこそベイエリアサンフランシスコとか隣ネバーダ州ラスベガスとか。
やっぱり。
車で行けるところは多分対外寄せ見て公園とかね。
近藤淳也
行ってました。
Kenshin Fujiwara
あの辺なんかも行ってましたね。
近藤淳也
あのちょっと中入っていくと砂漠になるのがアメリカってでかいなって思いますよね。
Kenshin Fujiwara
そうですね。
近藤淳也
何にもないですもんね中。
Kenshin Fujiwara
そうなんですよめちゃめちゃ星が綺麗ですけどね。
そうなんですよ。
なるほどじゃあそれでまあ大学出られてそこから仕事を始められるってことですね。
近藤淳也
そこははい。
Kenshin Fujiwara
すみませんまさに僕はもうあの起業家の卵みたいなメンバーに囲まれて大学生活を送ったのでやっぱものすごくある種の劣等感というか起業する彼らが世の中のこのいわゆる新しいムーブメントを作っていって彼らの作ったサービスを僕は使う側にこのままとなってしまうっていうある種の強烈な劣等感みたいな。
近藤淳也
まだ仕事始まってないのにすでに劣等感が。
Kenshin Fujiwara
ありましたね。
近藤淳也
周りもでも皆さん学生でしょ。
Kenshin Fujiwara
学生ですけども皆さんがもう本当に華やきのられるメンバーでもう次のヤフオク次のグーグル作るメンバーだったのでああ彼らが世の中を変えていく方で僕らは変えられる側なんだっていうもうある種の本当にすごいこうコンプレックスみたいなことを受け付けられたのがやっぱり僕の10代の経験だった。
近藤淳也
ちなみにそのベイビアとかだとわかりますけどそのロサンゼルスでも結構起業される方ってやっぱ多いんですか。
Kenshin Fujiwara
本当にドットコムベンチャーじゃないですけどなんちゃらドットコムみたいな社名をつけた会社を作るメンバーもたくさんいましたし結果その後ベイエリアに行ったメンバーってもうたくさんいたと思うんですけどもその呼び込みみたいなのがワンサーカーやっぱりいましたね。
一旦は就職することになるんですけども僕の中ではもう最低限の社会人計画を積むための就職でもうすぐその後企業準備に入るっていう前提で社会人3年間だけなんですけどもやらせてもらった感じですね。
近藤淳也
そうなんですね。じゃあもう起業するって決めてた。でも直接起業はしなかったとか他の方と一緒にとかもなかったんですね。
Kenshin Fujiwara
そうですね。やっぱり学生起業って僕も学生さんよく言うんですけどやっぱり社会人経験ない状態で起業するとやっぱりいろんな意味で不利じゃないですか。
なので最低限3年間はまずサラリーマンやろうということでサンフランシスコのジョブフェアで採用してもらったソニーの子会社に入ってですねそこで3年間働くことになったんですけども
近藤淳也
本当に初日に人事の方にすいません僕3年で辞めますんでと言ってですねそんなこと言って入るのはお前が初めてだぞって言われてですね
Kenshin Fujiwara
まあそれまででしょうし、やっぱりちゃんと準備をしてから起業したかったという気持ちの方が多分強かったんでしょうね。
アメリカの方はそのまま起業する方とかも多いですか。 そうですね。学生起業それこそドロップアウトして起業される方もいますけど。
大学はもう辞めちゃっていきなり始めちゃうみたいな。 そういうイメージはありますけど。 ありますね。当時はそれをまた奨励するような雰囲気もまたね
近藤淳也
ありましたしその方々も今でもまた残ってるかどうかは別問題ですけどね。 なるほどね。
そうか、いや僕ははいあんまりちゃんとした就職しないんで。 いいえ何をしちゃいましたか。 こうなんか耳が痛い。
Kenshin Fujiwara
3年ぐらい働いてたらどうなったかなってちょっと今お胸から聞いてましたけど。 いいえいいえ。今からでも全然就職できない。
どうでしょうね向こうも会社も扱いに困るんじゃないですか。 いやでも今皆さんイノベーションを起こさなくて困ってらっしゃるんで。
ああそうなったら確かに。でもそれもう普通の社員じゃないですよね。 いやどうなんでしょうね。
半分サラリーマーケットながら半分社内ベンチャーっていうのもありだと思いますけどね。 そうですか。ちょっとじゃあその相談はまた。
そういうので雇っていただけるところがあったらちょっと考えたいです僕も。 じゃあ周りに聞いておきます。
イノベーション係ならできると思います。 イノベーション係って新しいタイトルですよね。
でじゃあソニーさんに入られたんですね。 そうですね。僕は元々あのとはいえゲームがやっぱ好きだったのでゲームをどっちかというと作る側ですね。
さっきあの冒頭で話した小学校4年生でアセンブラっていうのもあのゲームが作りたくてですね。
アセンブラをやってたんですけども。なので最初はですねそのソニーに入ってゲーム機のプレイステーションのエンジニアをずっとやってまして。
僕が担当したのはPS2とPS3の頭の方だったんですけども。
近藤淳也
のOSシステムソフトのエンジニアを3年間やらしてもらった感じですね。 すごいそういえばそのエンジニアとしてはどうだったんですかその大学の例えばレベルっていうか。
もうずっと子供の頃からプログラムを結構マスターされてて余裕って感じなのか うわキッズって感じなのかどういうぐらいの難易度だったんですか。
Kenshin Fujiwara
まあもうストレートに言うとコンピューターサイエンス専門分野はもう余裕でしたねやっぱり。 そうなんや。
なんですけどもやっぱり繰り返しですけどその一般教養の方ですね歴史とか。 アメリカの歴史とか大統領の名前覚えるやつ。そうなんですよ。それは難しい。難しいですよ。暗記するだけですもんね。そうなんですよ。
あと向こうはディスカッションが多いのでそのスピーチコミュニケーションって今でも多いって言うんですけどその言葉でこうディベートするようなやつっていうのは本当に不利なのでやっぱり自分の専門分野以外のところがもう一番苦労してましたよね。
近藤淳也
じゃあコンピューターサイエンスに関しては別に余裕で。そうですね。入社1年目からもう割とバリバリと活躍されてっていう。
Kenshin Fujiwara
プロダクトの行動を書き始めたっていうこと。そうですね。ただこれも今だから言えるんですけどやっぱりとはいえ3年後に起業することが前提だったので僕はどちらかというとその会社という組織がどういう人によって構成されていて彼らがどういう仕事をしているのかっていうのを知りたい探りたいっていう目的があったんですね。
会社組織を学ぶみたいな。そうなんですはい。なのでできる限りこう自分のデスクじゃないところに顔出してそれこそ会社が何とかの件で訴えられたって言ったらすぐ地財部の同僚に声かけてこれどういうことなのとかそれこそプレステのネジ1本どっからいくらで仕入れてんのっていうのを調達の方に話聞いたりとかできるだけいろんな部署の同僚とかそれこそ先輩の中に声をかけて彼らが何をしてるのかっていうのを吸収するっていうのにかなり実はウェイトを置いてたので。いやすごい。もう不良社員もええとこですよ。
近藤淳也
いやいやでもめっちゃ目的意識明確ですね。いやどうなんでしょうね。普通だったらその与えられた仕事こなすだけで精一杯みたいな1年目とかだと思うんですけどプラスアルファでその会社がどう回ってるかをあちこちスパイみたいにこう。そうです本当にもう社内スパイ、産業スパイもええとこですよね。まあある種給料泥棒と言われても仕方ないんですけど。いやいやいやまあ熱心でいいんじゃないですか。でもなんか自分の領域区切ってそこしかやりませんよっていうよりはいろんなこと知ってる人の方がそりゃいいと思いますけどね。
そうですねまあそう言っていただいてるんですけどたぶん雇った側からしたらこいつ失敗したなと思われてると思いますけどね。でも嘘は言ってないですよね。そうですね。3年で辞めますって言って取ったんやしっていう話ですよね。そうですねはい。言ってね言ってる通り別に嘘は言ってないんで。そうですね最低限の仕事はしていたつもりであるんですけどもただ意識としてはまあとにかくもういろんな部署に顔を出して話を聞くっていうことをメインでやってました。ああそうですか。なんかそこで吸収したことですごい役に立ってるなみたいなことってあります?
Kenshin Fujiwara
そうですねやっぱり自分が大学時代に学んでこなかったそのやっぱりこうファイナンスのところとかどれだけの規模でこうお金を使ってこう例えば調達してるのかとかその製品の原価であるとかあとその製造とかですねそういうのは全然自分が知り得ない世界だったのでそういうところが知れたっていうのは後々自分で起業する時にやっぱすごく役立ってるんですよね。ああなるほどね。まあ実際まましてないとなかなかわからないことですもんね。わからないですね。調達とかはまさかね。そうなんですよ。
そうかじゃあ結構いろいろ学べる場所に行きましたね。いやどうなんでしょうね不良社員だと思いますよ。それもLAだったんですか場所は。場所はですね本体の開発は日本でやってたので今残念ながらプレイステーションってもうアメリカで作ってるので開発研究もですねアメリカ渡ってしまったんですけど当時は日本の東京だったので日本の東京の青山というところで3年間働かせてもらってましたね。
近藤淳也
じゃあその時点で日本に戻ってこられてる。そうなんですか。ああなるほど。アメリカの大学を出ると自動的に1年間今はどうかわからないですけど就労できる就労ビザが売れるんですけどもそれを使ってアメリカで就職してもよかったんですけどもやっぱりこの日本でしっかり1回ものづくり日本の会社でものづくりを学びたいというのもあったので一旦日本に帰ってきて3年間サラリーマンさせてもらった感じです。なるほどねなるほど。じゃあ結構周りは日本人の環境で最初の職場だったんですか。
そうですねただ就職というか採用していただいたのがアメリカのジョブフェアだったので周りはほとんど僕みたいな帰国子女というか留学生とか外国人ばっかりでそうですね同僚も半分以上は外国人でしたね。そういう職場だったんですね。結構活躍したんじゃないですかでも。
Kenshin Fujiwara
いやーもう繰り返しですけど不良社員ですからね。でもちゃんとコード書いて。そうですね。作ってたんですよね。これが今のやってるビジネスにも関わるんですけど僕は当時GPUのソフトウェアというか具体的にライブラリーというんですけどもゲームを開発する方が使うライブラリ特にそのGPUのパフォーマンスを生き出すためのライブラリを作る担当だったので当時からそれこそNVIDIAだ今でいうとこのAMDだっていうところの話はよく聞いてまして
Kenshin Fujiwara
そうですね。
近藤淳也
すごいなそのなんかすごいスムーズに売れてません。
Kenshin Fujiwara
いやいやいや。
そんなもんなんですか。
いやいやいやそれはもう結果論でしてですね。
近藤淳也
立ち上げの苦労みたいな話が始まるかと思ったら急にもう売れて売れて売れてキャッシュがなくて困ってるみたいな話なんですけど。
そこの立ち上げの苦労みたいななかったんですか。
Kenshin Fujiwara
そうですねまあとはいえ留学生仲間といってもみんなそれぞれ2,3年しか社会人経験してないメンバーですんで。
やっぱり人こそ営業の仕方とかもまだまだ荒削りですし。
僕は共同創業者取締役CTOっていう技術のトップとして経営参画したんですけども。
とはいえそんなに僕もね製品たくさん作った経験もないので。
まあそれこそ本当に製品作りからそれこそねハードウェアどっから仕入れるんだとか輸入通貨の手続きだとか。
あとはそのトラブル対応ですね。
全国にハードウェア売ってしまうとその現時点で直さないといけないので。
近藤淳也
うまく動かないんだけどみたいなことになりますよね。
Kenshin Fujiwara
そうなんです。
本当に仕事終わってから夜、パチンコ店さん大体11時とかに閉まるんですけども。
それから現地行って直してとか。
北は青森、南はそれこそ熊本とかがですね。
部品いくもって飛行機に乗って交換して帰ってくるとかですね。
そんなようなことをやってましたけど。
まあでも若かったのでそういった苦労も楽しかったですけどね。
近藤淳也
何人ぐらいの会社ですかそれ。
Kenshin Fujiwara
最終的にはどれくらいですかね。数十名規模にはなってたと思いますね。
近藤淳也
それはなぜその事業を選ばれたんですか。
Kenshin Fujiwara
そうですね。
とりあえずやっぱりカッシュが稼ぎやすいと。
今はパチンコ店さんってスマホのゲームやられて久々になってますけども。
当時いろんな業界を見た時期にですね。
パチンコ協会さんよくP10っていうのを増やすんですけども。
P10?
P10ですね。パチンコの店と書いてP10って言うらしいんですけども。
結構羽織りが良かったんですよね。
なのでそういった数千万とか数億のハードウェアでも買っていただけるというのがあってですね。
まず一旦そこに焦点を合わせて、彼らが望む商材というのを作っていこうというので。
ある意味市場からちょっと見て入っていったっていう。
近藤淳也
すごいな。完全に経営者ですね。
Kenshin Fujiwara
僕というか一緒にいたメンバーといろいろディスカッションして、
近藤淳也
そういった業界にしよう、そういうプロダクトにしようというのをみんなで決めていったんですけど。
藤原さんも詳しかったんですか業界には。
そこは確かにニーズありそうだね、市場があるねみたいな感じだったんですか。
Kenshin Fujiwara
いや僕は全く勘どころがなかったですね。
ただ羽織りが良いっていうのはなんとなく行けばわかりますんで。
僕はパチンコ店でやらないんですけども。
行くとたくさんお客さんもいますし、機械っていうんですかね、台なんかもすごい頻度入れ替えてらっしゃるんで。
羽織りはいいんだろうなっていうのはなんとなくわかりましたけど。
裸は正直なかったですね。
近藤淳也
じゃあそういう経営戦略というか事業ドメイン決めてっていうのは
そのCEOの方とかが結構主に見定めてっていう感じだったんですか。
Kenshin Fujiwara
そうですね、それに合わせてプロダクトの設計開発、あとエンジニアの採用とか、いわゆるマネジメントですね。
っていうのは僕がトップとしてやってたっていう。
近藤淳也
じゃあけんしんさんはどっちかというとやっぱりそういうものづくりの方が一応担当っていう感じだったんですかね。
Kenshin Fujiwara
ただベンちゃんなのでCTOですらやっぱり営業しますし。
近藤淳也
そうでしょうね。
Kenshin Fujiwara
サロフル起きたらやっぱり行きますし。
近藤淳也
何でもするんでしょうね。
Kenshin Fujiwara
何でもしますね、採用もしますわし、本当に何でもやりますやっぱりね。
近藤淳也
いやでも最初から成功ですね、それは。
Kenshin Fujiwara
いやでも本当に結果論ですね、実際は本当にさっきの話の通りもう数億円のキャッシュを先に払うっていう、
もう本当に先行投資型のビジネスだったので、
満点売れば売れぼほどこのメンテナンスですね、
物理的に物を置いてそのハードウェアが引退するまでメンテナンスしなきゃいけないっていう、
本当に一番やっちゃいけないタイプのスタートアップがやっちゃいけないビジネスだと思うんですけど。
近藤淳也
そうですかね、でも参入も難しいじゃないですか、どんどんでかくなればなるほど。
Kenshin Fujiwara
そうですね、本当に何で最初からSaaSとかネットページにしなかったのかなっていうのは、
よく当時のメンバーとも喋ってましたけど。
近藤淳也
そのエグジットが何年ぐらいで成功したんですか。
Kenshin Fujiwara
そうですね、確か5,6年ぐらいだったと思いますね。
早っ。
で、1社目がエグジットをしてですね、
同じメンバーで実は2社目の創業をしてはいるんですけども、
2社目はその延長でして、それのハードウェアなし版というかですね。
近藤淳也
さっきの何でSaaSにしなかったみたいな。
Kenshin Fujiwara
みたいな話ですね。
で、やっぱりこの映像とかコンテンツ配信みたいなところにやっぱり多少やっぱりノウハウがあったので、
当時やっぱりYouTubeがですね盛り上がってきてGoogleに買収されたっていうタイミングだったんですね。
これからは動画の時代だっていうですね、どっかの怪しいコンソールみたいなこと言い始めてですね。
同じアセットを使って今度はネットオンリーですね。
動画の当時は共有サイト、それこそYouTubeの日本版というか、
当時アメーバさんがサイバーエージェントさんが動画共有サイトやったりとか、
いわゆるUGCですね。
近藤淳也
ニコニコ動画とか。
Kenshin Fujiwara
ニコニコ動画みたいな。
動画をアップしてウェブ上のツールで簡単な編集ができるというか、
テロップ入れたり音入れたり、トランジション作ったりとかっていうそのツールを合わせて、
動画共有できるっていうサイトを立ち上げたっていうのが2社目ですね。
近藤淳也
めっちゃネットサービスじゃないですか。
Kenshin Fujiwara
めっちゃネットサービスですね。
近藤淳也
そんなのもあったんですね。
すいません。
映像上げずに。
いえいえいえ。
けんしんさんはちょっとやっぱり映像系が得意なんですか?
さっきのGPUのライブラリーもあり、
サイネージに映像を配信するのとか、
基本結構映像系が多いですけど。
Kenshin Fujiwara
そうですね。
大学の専攻は僕コンピュータサイエンスだったんですけど、
その中でコンピュータグラフィックスが僕の専門だったんですね。
特に3次元3DCGとかいうのがもともとの僕の専門分野だったので、
そっち系が多いっていうのは結果なのかもしれないですけど。
近藤淳也
基本グラフィックの関わる何かが多いですけど。
そうですね。
Kenshin Fujiwara
そうですね。
黒字化までは最後行ってなかったと思うんですけども、
なんとかでも生きながられるぐらいにはなってまして、
これは僕が抜けた後なんですけども、
その会社さんも日本で上場してるある会社さんに買収されて、
今そこの子会社として活動してるんですけど。
近藤淳也
じゃあ全然何もならず、会社さんとかじゃなくて、
ちゃんとどこかの会社に買収されて、
なんか生きながられているというか、
そう。
Kenshin Fujiwara
ものばっかりってことですね。
そうですね。幸いですけども。
近藤淳也
すごいな。
いえいえ。
はいはい。
それじゃあ4,5年やって、今何歳ぐらいですか、けんしんさんは。
Kenshin Fujiwara
その当時はまだ30前半とかですね。
もう若い若い。
まだふんふん鼻息の荒い時期ですよね。
まだもう一発やったろかみたいな気概があった頃ですよね。
近藤淳也
なんで過去形なんですか。
ですね。
はい、それで。
Kenshin Fujiwara
で、その後に当然3社目の準備に入るんですけども。
当然なんですね。
当然ですね。僕それしかできないので、スタートアップ芸人、
01芸人なんでこれしかできないんですけども。
01芸人って言ってるんですか。
近藤淳也
なるほど。
Kenshin Fujiwara
これはですね、3社目は近藤さんも知ってらっしゃると思うんですけども、
スタートアップウィーケンドっていう週末寄与イベントをですね、
あれでまさに京都に参加したのがきっかけでして、
コワーキングスペースのまさにここのアンノンさんもそうですけども、
コワーキングスペースっていうのが流行ってきてて、
いわゆるシェアリングエコノミーがぼっこしてた時期で何でもシェアすると、
働く場所をシェアするとか、車をシェアするとかいうので、
コワーキングスペースとかシェアオフィスが流行った時期で、
それのバックオフィスのツールを作るっていうアイデアを
近藤淳也
スタートアップウィーケンドで見つけて作ったっていうのは3社目ですね。
けんしんさんが発案されたんでしたって。
Kenshin Fujiwara
どうでしたっけね、怪しいもんですけども。
その時スタートアップウィーケンド確か9人かな、
僕のチームに集まったんですけども、
近藤淳也
僕のチームだから僕が多分発案なはずですよね。
Kenshin Fujiwara
それ僕いましたよね。
多分いたと思いますね。
近藤淳也
審査員で行かせてもらった時のウィークエンドですよね。
そう思います。
そこから本当に起業してっていうのがきっかけだったんですよね。
そうなんですよ。
Kenshin Fujiwara
確かなんかゴーゴーコワキングみたいな、
ゴーゴー彼みたいな名前だったと思うんですけど。
当時はそのコンセプトじゃなくて、
まさにこういうシェアオフィスとかコワキングで働いていらっしゃる
個人の方のタスクをマッチングすると。
あるAというデータさんがいて、
Bというところにはそれを通しているビジネスマンがいると。
そこで仕事を受注発注することによって、
マイクロトランザクションで何となくフリーな方をつなぐみたいな
システムを考えたんですけども、
それもやっぱりツーサイドビジネスなので
立ち上げるのは難しくてですね。
途中から運営者さんのほう、コワキングスペースの運営者さんのほうに
フォーカスを当てたっていうのが、
1回目の方向転換でしたね。
近藤淳也
なるほどね。
そっちもうまく立ち上がっていった感じですか?
Kenshin Fujiwara
そうですね。
幸いそのサイトは英語を先にローンチして、
ずっと数年間英語でしかやってなかったんですけども、
海外のそういったスペースの運営者さんから非常に引き合いがあって、
一時期それこそお探せしたWeWorkさんとかも
うちのソフトを使ってもらってましたね。
近藤淳也
そうなんですか。
特徴は何ができるんですか?
Kenshin Fujiwara
特徴は何でしょうね。
近藤淳也
安かった。
安かったね。
安くて何ができるんですか?
Kenshin Fujiwara
安くてですね、いわゆる請求書の発行とかですね。
会員さんが1時間1000円の会議室を今月は3時間使いました。
だから3000円増しますとかって、
誰かが計算して、誰かが請求書を発行されて、
誰かが入金確認されてるわけですよね。
これが会員さんがもう数百人とかになってくると、
ものすごい仕事量になりますので、
それを全部自動化で請求書発行から入金管理までやるっていう
案件のシステムなんですね。
近藤淳也
それがWeWorkで採用されたんですか?
Kenshin Fujiwara
そうです。一時期多分トライアルだったと思うんですけど、
WeWorkさんはアカウントで作られて使ってらっしゃいましたね。
近藤淳也
すごいですね。
じゃあ結構グローバルな割と製品。
しかもソフトウェアで成功したじゃないですか。
Kenshin Fujiwara
そうですね。
近藤淳也
そうなんですか。
Kenshin Fujiwara
結果そのサービスはアメリカのニューヨークにある会社さんに買っていただいてですね。
今も同じブランドで運営されてるんですけど、
近藤淳也
ほとんどが海外のお客さん、グローバルのお客さんですね。
Kenshin Fujiwara
なるほど。すごい。
こんなことばっかやってますもんね。
近藤淳也
いやいや、ちゃんと、すいません。
マークできてなくて。
毎回ちゃんと売れて終わっているっていう。
どうなんでしょうね。
全部成功してるんですね。
Kenshin Fujiwara
いや、一社ぐらい最後まで自分でやるよっていう話もあると思うんですけども。
近藤淳也
基本はけんしんさんご自身のファイナンス的にも、
別にそんなに窮地に立たされてるとかなくてきてる感じですか。
お金なくて困ったみたいなのは特に。
Kenshin Fujiwara
そうですね。これがここからの先の話になると思うんですけど、
実は直近の会社は当初かなりお金苦労してましてですね。
正直それまでは結婚してなかったし子供もいなかったので、
自分の空軍さどうにかなれば生きていけるっていうのはバーネット低かったんですけども、
やっぱり直近の会社はもう結婚してとか途中で子供も生まれてますんで、
当然生活費も上がっていきますので。
バーネットって家族の維持費みたいな。
なので正直この直近の4社目は経験はあったんですけど、
ファイナンス的に一番苦労したのは実は直近の会社でして、
一番お金に苦労したのは4社目でしたね実は。
近藤淳也
じゃあそのコワーキングのソフトウェアの次のパカレスさんですかねの話を伺いましょうか。
それはどういうきっかけで。
Kenshin Fujiwara
ありがとうございます。
きっかけは本当にしょうもない夫婦の会話でして、
うちの嫁が料理教室の先生はもう十数年やってまして、
全国展開しているABCクッキングというところで、
リスナーさんの中でも入ってらっしゃる方、直近の女性の方。
近藤淳也
いらっしゃるかもしれない。
Kenshin Fujiwara
元々そういった料理の方と結婚したので、
夫婦の中の会話がやっぱり料理とか食べ物とか栄養とかそういう話が多かったんですね。
やっぱり話してたのは今の若い方って言い方ですけどログラム食べてないよねと。
なので何とか普段の自分の食生活をまずは簡単に可視化できて、
何が自分の栄養素に足りないかっていうのをいろんな目的に合わせて、
サジェスション、提案してくるようなアプリというかサービスがあればいいよねというところから始まったのが、
最初のこのパカレスという会社のミッションだったんですね。
なのでそのためにこの測りというのを作って、
食材の重さを測れて、食材の名前が分かれば栄養成分表という国が出している100gあたりの栄養成分というのが分かっているので、
それから逆算して自分のメール前の食べ物が一応紙の上ではどれくらいの栄養成分があるかというのを可視化するというのを、
まずこのハードウェアとアプリで作ったというのがパカレスの最初の製品です。
近藤淳也
載せるだけで何かというのが分かって、成分も分かると。
Kenshin Fujiwara
そうですね。載せてアプリに向かってリンゴとかニンジンとか切ったりとか見たりする前にその測りにおいて一言アプリに向かって言うと、
近藤淳也
言うんですね。
Kenshin Fujiwara
そうですね。食材の名前はする必要がありますので言うのをやってたんですけども、
これもやっぱりハードウェアはハードであるということで。
近藤淳也
そうか、ハードウェアに戻ってきましたねそういえば。
そうなんですよ。
Kenshin Fujiwara
なんで戻ったんですか。
測るためにはやっぱり測りが必要だったので、スマート測りって世の中なかったんですね。
スマートフォンと連携するっていうのはですね。
近藤淳也
でもちょっとIoTの流れみたいなのがあったんですかね。
Kenshin Fujiwara
そうなんですよ。よくご存知で。
じゃあなんだかんだで流行りに乗るっていうのが。
近藤淳也
動画の次はIoTみたいな。
Kenshin Fujiwara
シェアリングエコロミーだからシェアリングエコロミーで。
近藤淳也
ああ、そっかそっか。
Kenshin Fujiwara
IoTよりかIoTだっていう。
近藤淳也
でもやっぱり自流に乗るって大事じゃないですか。
Kenshin Fujiwara
なのでそこはIoTの文脈でIoTっぽいことやってたんですけども、
言ってやっぱりハードウェアなので量産するところでですね、
やっぱり飾りの資金と、あと金型とかも起こさないといけないですので、
ちょっとこれは踏みとどまろうということで、
ハードウェアは一旦取り下げて、アブリサービスだけに残したっていう感じですね。
Kenshin Fujiwara
そうなんですね。
これ2回目の方向転換ピボットですね。
近藤淳也
ちなみにそのハカルスの創業はまた同じメンバーですか?
もう結構違うメンバーでやったんですか?
Kenshin Fujiwara
ハカルスはですね、僕が一人で作った会社でして、
最初の2社は東京であって、3社目のものは京都で、その時僕京都に戻ってきてるんですけども、
戻ってきてたら僕は滋賀県民なので、実は京都はホームではないんですけども、関西に戻ってきて、
ハカルスは僕で単独で立ち上げて、後からメンバーを集めたっていうスタートアップですね。
そうですか。
近藤淳也
じゃあコワーキングの時ももうその2社目の方とは別々でされてたっていうことですか?
そうですね。
Kenshin Fujiwara
3社目はですね、実質は僕一人でやってまして、ほとんどはもう世界中のフリーランスの方とゆるい関係というか契約形態でやってたので、
実質的にフルタイムに動いたのは僕だけ。
近藤淳也
そうなんですね。
なんで京都に戻ってこられたんですか?
Kenshin Fujiwara
やっぱり一周回ってというか、30代その時後半だったんですけども、東京に疲れちゃってですね。
近藤淳也
あれ?
Kenshin Fujiwara
田舎門のDNAがどっかでスイッチオンになってくるんですよ、やっぱりね。
なのでちょっとですね、東京のスタートアップのやり方というか、スピード重視のやり方にちょっと疲れてしまったっていうのもあってですね。
なので次やるんであれば、僕の地元の関西に戻って、もう少しこっちに足がついたビジネスをやりたいっていうのがだんだん30後半から芽生えてきましてですね。
それで実家の方に関西に戻ってきてっていうのが30代後半の僕の中でのプライベートのイベントではありますね。
近藤淳也
結婚とかもじゃあこちらでされたんですかね?
Kenshin Fujiwara
そうですね。京都で幸い今の嫁と出会うことができまして。
近藤淳也
なるほど。まあでもそういうのがじゃあ進展があったんですね。
Kenshin Fujiwara
そうですね。
近藤淳也
今日関西に来てから。
Kenshin Fujiwara
本当に京都に救っていただいたというか、もう人生でいいこと全部京都で起きてますんで。
そんなこともないでしょ。
いやいやいや。もう僕みたいな中途半端な人間はもう京都ぐらいがやっぱちょうどいいというか。
近藤淳也
いやいや、そのロサンゼルスの話も東京の話も花々しくて。
いやいやいやいや。
羨ましいですけどね。
Kenshin Fujiwara
東京にはもっとすごいキャリアの清川さんもたくさんいますし、それこそロサンゼルス中、東海岸、西海岸、ベイリアンにもっとすごい方がたくさんいるんですけど。
僕みたいな中途半端な人間はやっぱここぐらいが京都ぐらい。
近藤淳也
そうなんですか。なんかあれですか、すごい人がもっといるみたいなのが結構比べちゃうみたいなところなんですかね。
Kenshin Fujiwara
まあいっぱい海外出るとすごい方、人種を超えてもっといらっしゃるじゃないですか。
なので自分の器がわかるというか、タルを知るじゃないですけども、あんまり過度な期待を自分に対してしなくなるっていうのは一方であるかもしれないですよね。
近藤淳也
なるほど。じゃあそこと競うっていうよりは、自分でらしくいられる場所にっていう感じで京都みたいな感じだったんですかね。
Kenshin Fujiwara
そうですね。今まさに立ち上げ京都をしているビジネスと関係するんですけど、やっぱりずっとここは自然が好きというか、東京ってよくも悪くも人とコンクリートしかないじゃないですか。
自然はもうほとんど人工物ですし、コンクリートは来れますけど。
近藤淳也
最近でもなんか、あの麻布大ヒルズに森が生えてますみたいな。
まあちょこちょこそういうこう、なんていうんですか、パブリックスペースに木を植えてみたいな。
Kenshin Fujiwara
全部人工ですけどね。
近藤淳也
まあでもそれったら京都も別に街中はほぼ。
Kenshin Fujiwara
全部ね、人が作ったものですからね。
近藤淳也
はい、御所とかも別にね、なんかありますし。
Kenshin Fujiwara
そうなんですよね。
近藤淳也
そんな。
どうなんですか。
Kenshin Fujiwara
でも自然を感じやすいっていうのがやっぱりありますよね、京都の方がね。
近藤淳也
まあね、山が近いっていうのはありますよね。
Kenshin Fujiwara
そうなんですよ。
近藤淳也
なるほどなあ。
そうですか。
Kenshin Fujiwara
はい。それでまあ帰ってきて、まあやったっていうので、結果その3社目4社目っていうのはこの京都で始まってるんですけども。
近藤淳也
そこなんかその、1社目2社目の仲間とは一回こう別れてるわけじゃないですか。
はい。
そこはなんか寂しさとかはなかったんですか。
もう次もやろうぜみたいにはならなかったんですか。
Kenshin Fujiwara
はい。これがですね、面白いのが、この年になってまだスタートアップベンチャーやってるのは実は僕だけでして。
近藤淳也
他の方々は違う。
Kenshin Fujiwara
逆にもうスタートアップしんどいからもうええわと。
近藤淳也
あ、そうですか。10人ぐらいいらっしゃったっておっしゃってましたけど。
そうですね。
Kenshin Fujiwara
皆さんはどうなりました。
皆さんやっぱ大手企業に戻りましたね。
へえ。
近藤淳也
あ、そのリタイアとかじゃないんですね。ファイヤーとかじゃない。
Kenshin Fujiwara
ないですね。
はい。
1人はやっぱり大手企業の中で、それこそ新規事業担当とか。
1人はもうキャピタリスト、ベンチャーに投資する側にですね、あとメンバーもいますし。
ただ本当にこの40後半でもまだスタートアップやってるっていうのは当時メンバーから見ても僕しか残ってない。
近藤淳也
そうですか。
はい。
どうです?比較して。誰が一番幸せそうですか。
Kenshin Fujiwara
どうなんでしょうね。
それが究極の質問ですよね。幸せとは何かみたいなね。
近藤淳也
はい。でも合うでしょたまに。
Kenshin Fujiwara
合いますよね。
近藤淳也
どうですか?皆さんの顔色とかこう。
Kenshin Fujiwara
やっぱり雇われの方はね、やっぱりそれなりに悩みがあります。やっぱりね。
近藤淳也
思い通りにならないみたいなのはあるんですかね。
Kenshin Fujiwara
ですね。やっぱり大手は大手なりの独自のルールというかね。
何でもかんでも自分の好き勝手になるわけないですし。
近藤淳也
じゃあ起業家を続けたけんしんさんが一番楽しそうにしてるっていうことでいいですか。
Kenshin Fujiwara
どうなんでしょうね。頭がまだ剥げてないっていうことはその分まだ楽しんでるのかなとは思ってますけども。
近藤淳也
なるほどね。羨ましがられたりします?
Kenshin Fujiwara
いやーよくやってるねと言われますけどね。その年出て。
近藤淳也
いろんな意味含んでそうですね。
Kenshin Fujiwara
そうですね。
近藤淳也
なるほど。そこはでも皆さん大企業に戻られて、じゃあちょっと何でもしなきゃいけないし大変だし。
夜に青森まで行ったりしなきゃいけないしみたいなもういいわみたいな感じになったんですか。
Kenshin Fujiwara
それだけ取るとなんでこの技術そんなに流行らないのかと思われるんですけども非常にマイナーな技術でして僕としては非常に面白い技術かなと思ってるんですけども。
近藤淳也
それはその兄弟の先生が独自に編み出したモデルなんですか。
Kenshin Fujiwara
これはですね技術自体はもう2000年の頭ぐらいからですね存在していて特にアメリカの赤人の中では本当にさっき言ったその少ないデータで解析をするという目的でよく使われてた技術なんですね。
ただそれと機械学習を組み合わせたっていう実績がまだあんまりなくてですね。
それを僕らが最初に本当に真剣にやり始めたっていうのが一つのブレイクスルーだったと思うんですね。
近藤淳也
簡単に言うとなんでそんな軽くできるんですか。
簡単には言えないかもですけど。
Kenshin Fujiwara
簡単に言うと心の捉えようですと。
近藤淳也
なんで心の。
Kenshin Fujiwara
心の持ち方ですって言うんですけども概念的な話をするとですね例えば人が誰かの顔を見てですね認識するときにはそんなもう過去にあった何万人の方の顔と称号してですね。
確かにこの目の前の方はコンドさんである確率は99.99%あるってそういうような形で目の前の人を認識してるわけじゃないんですね。
人の顔ってどこに特徴が出るかというとこの眉毛の位置目の位置形鼻の位置口の輪郭とかですねそういう本当に特徴的なところだけを数点捉えてこれはコンドさんであるっていうのは実は人間の頭ってスモールデータで動いてるんですね。
そうなんですよ。
なのでそのどこに特徴が出るかっていう仮定を置くと実は少ないデータでもパッとその予測認識ができるというのが実はスパースモデリングの根本的な考え方で。
いろんなその仮定を置くことによって少ないデータでも認識できるようにするというのが一つのアプローチみたいな感じですね。
近藤淳也
じゃあまあ顔の識別するんだったら目の周りとかを見たらいいよみたいなことをディープランニングだと画像の全部の点の特徴量を全部計算するけどっていうところですかね。
Kenshin Fujiwara
そうなんです。なのでその仮定を置くときに人間のやっぱりノウハウとか人間が培ってきた知識が必要なので必ずと人間のノウハウが入ったモデルができました。
なので解析性が高いということもつながるんですけど。
近藤淳也
なるほどね。でもそれ人の顔だったらなんとなくまだわかりますけどその機械の検査とかだったらどうやってそれを見出すんですかその特徴はここを見ろみたいなのは。
Kenshin Fujiwara
いろいろ投資家向けのピッチみたいになってきましたけどもいいご質問ですね。
例えば機械の検査だったりするとこの正常品の画像を数点流してあげると同じようにその正常品の中の特徴ってのはどういうかっていうのをわずか数点の中から学習することができるんですね。
なので傷がない状態の製品っていうのはこういう特徴を持っているというこの正の状態正常の状態っていうのを学習することができるんですね。
そうすると今度異常品が流れたときにその正常品じゃない特徴が出てるわけですね。傷とかへこみとかですね。
そうするとそれは何の不具合がわからないけども正常ではない特徴が含まれてますよということで検知をすることができる。
ディープランニングなんかですと逆でして不具合の特徴をそれぞれもう数万点勉強させてそれで検出をするんですけどもどっちかというとその正常品の特徴を数点のデータ画像から学習させてモデルを作るというアプローチですね。
近藤淳也
そうすると正常品の学習のときに自動で特徴を捉えるんですか特にさっきの目の位置ですよとか教えずに勝手に学んでくれる。
Kenshin Fujiwara
そうですねベースのモデルがあってそれを拡張する形でも自動で学習させることもできますし本当にフルスクラッチの場合にはまさに人間の顔の同じようにどこを見るべきかという特徴を指定した上で学習させることもできます。
近藤淳也
なるほどなるほど。とにかくじゃあそういうのに使えるモデルに出会って。
それもともとは食品の栄養の話栄養のところに使ってたんですよね。
Kenshin Fujiwara
そうなんですよこれダイエット系のアプリ使いたいことわかると思うんですけどもあれだんだん面倒くさくなってですね入れたくなるんですね。
ほとんどだいたい2週間でもうドロップしてしまうと言われてましてモチベーションが続かないと特に食事なんて1日3回入力しなきゃいけないですのでよっぽど意識の高い方じゃないと記録が続かないんですね。
なのでデータがそもそも歯抜けになるとこのスパースモデルがスパースってこの歯抜けとかまばらって意味なんですけどもスカスカになっていくってことはもうサービスやる前からわかってたんですね。
近藤淳也
VCとかも入ってないですかねその時。
Kenshin Fujiwara
そうですね最初のシード投資はいただいたんですけども。
まあでも言っても数千万なんてもうすぐスタートアップにきてきますんで。
もうすぐ資金の底が見えてくるような状態でして。
自分でファイナンスをしながらっていうので本当にもうそのフェーズを支えてくれたあの嫁にはもう今でも頭が当たらない状態で。
近藤淳也
よく耐えましたねそれ何歳ぐらいの時ですか。
Kenshin Fujiwara
えっとですね僕が40なったかぐらいですかね。
近藤淳也
確かそういうのが他の皆さんはそろそろもういいかなって思ったことなんかな。
Kenshin Fujiwara
もうええわっていう。
まさか4社目でこんな状態になると思わなかったですけども。
近藤淳也
今まで一番きつい。
Kenshin Fujiwara
きつかったですね。
やっぱり2回も方向転換してねその間こういう売り上げがないとやっぱり苦しくなっちゃいますやっぱりね。
近藤淳也
そうですよね。
でどうなりましたそこから。
Kenshin Fujiwara
そこからおかげさまでその2Bでですね検査をするシステムとかソリューションを作ったりとかそのヘルスケアみたいなところからより一歩進んで医療向けのAIをやったりとか。
あとインフラ向けですね展開することになってそこからこう話を短くすれば売上がちゃんとつくような状態になってですね。
2BのAIの会社として伸びていったというところですね。
近藤淳也
なるほど。
2回ピボットしてB向けのAIのソリューションの販売が伸びていったっていう。
Kenshin Fujiwara
そうですね。
おかげさまで当時今もそうですけどディープラーニングってものがバーっと流行ってきて第3次AIブームって今でも言われてますけども。
いろんな企業さんとかがディープラーニングを使い始めた結果ですね。
皆さん結構いろんな壁に当たられてですね思ったほどデータが集まらなかったとか。
モデルはできたんだけどもなんでこういう結果になるかわからない。
ボックスはやっぱりミッションクリティカルなところに入れられないよねとかですね。
ディープラーニングを使い始めたがゆえにそれのデメリットがわかってきてですね。
でそれじゃない大抵の技術を探し始めたという時期と重なってですね。
それで引き上げが増えたっていうのも一方ではありますね。
近藤淳也
そうなんですか。何が多いんですか。
医療用ですか。
Kenshin Fujiwara
それとも工場のやつとかが多いんですか。
もう全分野ですね。
ただやっぱりベンチャーなのである程度業種はフォーカスしなきゃいけないので。
やっぱりそういった製造業とか医療とか。
途中からインフラ系の会社さんにも出資いただいたんですけどインフラ系とかですね。
それぐらい2,3業種ぐらい絞って他はもう残念ながらお断りするという形にしてフォーカスをしたんですけども。
ニーズはたくさんありますね。今もあると思いますね。
近藤淳也
そうなんですか。クライアントさんは国内、海外もあるんですか。
Kenshin Fujiwara
そうですね。多分8割9割が国内ですけども海外のメンバーもいるベンチャーなので海外からの引き合いもありましたね。
そうなんですね。
1割ぐらいかな。海外のお客さんもいたと思うんですけどね。
近藤淳也
すごい。今何人ぐらいになってるんですかね。
Kenshin Fujiwara
今ですね。私が知る限りではという話なんですけど。
フルタイムでは40名ちょっとぐらいですかね。40名前後ぐらい。
それと同じぐらいのパートタイム。契約社員さんとか学生アルバイトさんとか。
やっぱり兄弟の学生さんが多いんですけども同じぐらいのパートタイムの方がいらっしゃるのでトータルで80名弱とかそれぐらいですかね。
近藤淳也
京都、メイン京都ですか。
Kenshin Fujiwara
そうですね。京都とあと東京の2個店ですね。なので本当にアテナさんと同じ2個店の生活で。
近藤淳也
すごいな。AIのそういうソリューション提供されたのは何年ぐらい前ですかね。
Kenshin Fujiwara
多分2回方向転換したので今から6年前、5年前とかですかね。
近藤淳也
じゃあ2018年とか。
Kenshin Fujiwara
8年、9年とか。それくらいから本格的にもうAI1本でっていうフェーズだと思いますね。
近藤淳也
なるほどね。そっからどんどん伸びてっていう感じだったんですね。
Kenshin Fujiwara
でもご存じの通り、端折るとそういう話なんですけども色々ありますよね。
何ですか色々。
人の採用とかね。特にAI業界ってデータサイエンティストの取り合いなので本当に今でも単価って言ったら怒られますけども人件費ですね。
特にデータサイエンティストの方のお給料ってどんどん上がってますし大手さんとかも大盤振る舞いで採用されてらっしゃいますのでその方たちと戦って人を採用しなきゃいけないという採用の苦労っていうのはずっとその時から今でもありますね。
近藤淳也
なるほどね。でも資金はその後は回り出して。
調達もされてるんでしたっけ。
Kenshin Fujiwara
そうですね。シリーズCまで行ってますんで。なのでC、A、A、B、Cですね。なので4回大きなファイナンスはしてますね。
近藤淳也
なるほどね。そのVCさんからの調達も今回は初めてってことですね。今のお話だったら。
Kenshin Fujiwara
そうですね。4社目が初めてですね。
近藤淳也
ですよね。どうでしたそれは。
Kenshin Fujiwara
やっぱり予想さまのお金を扱うっていうのは大変ですよね。
大変ですか。
いろんな期待。ご期待いただいて趣旨いただいてるのは当たり前なんですけども。やっぱりステークホルダーの方が増えれば増えるほど期待値イコール責任プレッシャーストレスも増えますので。
近藤淳也
さっきの学生さんにはまず3年働くの進めてるって言いましたけど、VCの調達は進めますか。
Kenshin Fujiwara
僕は事業の中身によりけりですけど、しなくていいんだったらしない方がいいって言いますね。
近藤淳也
そうなんですね。
Kenshin Fujiwara
ただ一方でテーマがディープテックとかでものすごい資金が必要だって言うのがあれば自然的にファイナンスは必要ですけども。
近藤淳也
なるほど。じゃあけんしんさんとしては、計画を立てて、その通りにそれを実行していくみたいなところが、ちょっとこう、やる気が起きないというか。
Kenshin Fujiwara
そう言うと怒られてしまうんですけど、僕の得意とするところじゃないですし、もっとそれに向いてらっしゃる経営者の方がいらっしゃるのかなっていうのは思いますね。
近藤淳也
でもそういうのが得意な人はいそうだから、そういう人が何人かいればできそうな気もしますけどね。
Kenshin Fujiwara
そうですね。日本だとまだまだ創業者が最後引退するまで会長までやるのが筋だというともありますけど、逆にアメリカに行くと本当にフェーズごとに企業化層っていうのはいまして、
よく物資さんなんかもね、投資家さんなんかでも投資者先であるいはフェーズになったら、じゃあもうそろそろ交代だねというので、その中間いずれのうちから1から10が得意な企業が来たりとか、それこそIPをすると上場企業が得意な経営者を送り込んだりっていうのは、
本当にフェーズごとに創業者入れ替わるっていうのは逆にアメリカは普通だというふうに言われてますんで、なんか僕はどっちかというとそっちに近いのかもしれないですね。
近藤淳也
なるほど、そんなことがあって。
Kenshin Fujiwara
そんなことがあって、いままさにこの2024年からですね、まだいまハカルスの仕事もさせてもらってるので、そちらの仕事もしつつもちょっと次の何か新しいアイデアを今模索中というところで、
ざっくりとしたテーマとしては、確かなんかテーマ出てますけども、自然に回帰をすると。
自然に?
自然に回帰をすると。
近藤淳也
自然に回帰。
Kenshin Fujiwara
はい。
近藤淳也
来ましたね。
Kenshin Fujiwara
ということで、ここから先はもう近藤さんと先ほど見ながらもう2,3時間喋れるかなと思ってますけども。
近藤淳也
自然に回帰ですか。
はい、ですね。
Kenshin Fujiwara
なので、ずっとこういうテクノロジーに関わるスタートアップとか事業、もう何年ですかね、20年近くやらせてもらってきててですね、
ちょっとやっぱり人の分断というか、テクノロジーが及ぼしてる悪影響みたいなやつもですね、テクノロジーをドライブする側だけをそこから見えることってあってですね、
もうちょっと人間が自然に身を動くようになれば、本当に大きな話ですけど、世の中はもうちょっと良くなるんじゃないかとか、紛争とか差別も少なくなるんじゃないかみたいなことを結構強く思い始めたことがありました、ここ数年でですね。
近藤淳也
なので、自分自身の体験も含めて、何とかその人を自然に戻すというか、お連れするようなプロダクトというかサービスが作れないかなみたいなことはここ最近うっすらと考えてるところでありますね。
はい。
はい。
何か具体的なプランはあるんですか。
まだ。
Kenshin Fujiwara
まだ。
近藤淳也
秘密ですか。
Kenshin Fujiwara
最近はでも山歩きは好きなので、いわゆる山道具を自分で自作したりとかですね。
はい。
それがもし、本当にコストの話ありきりですけども、コストが多いようであればちょっと売ってみたいとかってもあるのかなと思うんですけど、今のところまだこれっていうアイディアとかプロダクトサービスっていうのはない状態ですね。
近藤淳也
そこはけんしんさんご自身として自然に惹かれるみたいなのがあるのかもしれないですけど、ビジネスとしても魅力を感じられてるんですか。
それともそういうのはもうあんまりいいからみたいな感じなんですか。
Kenshin Fujiwara
そうですね。
今回あんまりビジネスっていうのはあんまり考えてないかもしれないですね。
そうなんですか。
はい。
むしろ僕も今度サービスからもう50見えてきてるぐらいですか。
今後50、60、70ぐらいまで何するかっていったときに、あんまりテクノロジーが何だ、スケーラビティが何だ、育児とは何だっていうよりは自分自身が長く興味を持ってやれることってなると自然とか利益じゃなくて自分のため人のためになるようなことっていうのをやりたいなって思いがあってですね。
ハカルス始めたときもヘルスケア医療っていうのはどちらかというとやっぱりその人のためになりたい、そのまま人の健康だったんですけどもいう思いで始めたのもあるんですけども、もう1回そのテーマに立ち上って人のためになることをプロダクトサービスを通じてやりたいっていう思いの方がちょっと先行してるかもしれないですね。
でもそうは言っても、例えばハカルスの測りのときはそのIoTっていうムーブメントっていうかそのトレンドみたいなのを捉えてっていう中ではやっぱりある程度そのビジネス的な観点っていうのもあったのかなと思ったんですけど、今回はそういうのがさらにもっとあんまりないってことですか。
そうですね。
ヤマンドオーグとか多分あんま売れないと思うんですよ。
近藤淳也
まあヤマンドオーグ、まあそうかもしれないですね。
Kenshin Fujiwara
特に日本だったらモンベルさんとか大手さんたくさんいらっしゃいますし、キャンプだったらそれこそスノーピークさんとか上場していらっしゃいますけども、大手さんいらっしゃる中で今更高圧で出して何か売れる気がしないんですけども。
近藤淳也
でもそこはあんま関係ないっていう。
Kenshin Fujiwara
そうですね。ただ自分自身がずっとこの山歩き、いわゆるトレイル歩きなんかやったときにですね、もうちょっとこうなってほしいなっていう自分なりのニーズがあるので、まずは自分の痒いところを書こうっていうので、自分のためにまず製品を作るっていうのは。
近藤淳也
具体的にどこが不満なんですか。
Kenshin Fujiwara
やっぱりですね、トレーラーもそうだと思うんですけども、身を軽くしようと思うと一番大きなところから手をつけなきゃいけないんですよね。
で、僕の場合は山で泊まることが多いので、一番の大きい荷物と言うとやっぱりテントなんですよね。
なのでテントをまず軽くしたいっていうので、これ一番やっちゃいけない大物から手をつけるっていう話なんですけど、今はテントをなんとか軽くしたいっていうので、自宅でミシンを使いながらなんちゃってテントを今作ったりしてますね。
近藤淳也
そうなんですか。
はい。
とはいえ、ツエルトみたいなのとかだったら1キロ切ってたりとか。
で、まあまあちょっと我慢すれば泊まれるかなみたいなの出てると思うんですけど、もっと軽くってことですか。
Kenshin Fujiwara
そうですね。軽くですし、あとは小さくですね。僕もツエルトを使うんですけども、ツエルトよりも小さくできるかなと思ってですね。
近藤淳也
だから結構よく行ってた。
しあの辺の山も県境のところは結構何回も行ってます。
なるほどですね。
Kenshin Fujiwara
確かにあそこって道なかったですもんね。
他は東西はありますけどね。
近藤淳也
もう今はだからそうですね高島トレイルからあそこのマゴベイさん出てて。
でそっからどんどん東に行って高市山?高市山でしたっけ?の方に抜けられるようにしたんで。
Kenshin Fujiwara
あそうですか。
近藤淳也
それは僕たちがやりました。
Kenshin Fujiwara
なるほどこれあの聞いてる方はさっきまで三段ぎゅっと話してて急に山なんの話なんだよみたいな。
マニアックすぎますよね。
あそうです。僕も高島トレイル逆にそっから南方向しか行ってなかったんで。
今度北の方行かせてもらいます。
近藤淳也
ぜひぜひ。
Kenshin Fujiwara
ちょっと本当に地面拝みながら歩きますので。
いやおかわりなくていいですけど。
近藤淳也
あのそうですね柳瀬までずっと今通れるように。
素晴らしいで。
Kenshin Fujiwara
市街地はでもね実は撮ってあるんです。
僕のおまえテントが完成したらそれ持って市街地しようと思ってですね。
近藤淳也
あそうですか。
Kenshin Fujiwara
実は撮ってあるんですまだまだ。
近藤淳也
まあぜひ。
Kenshin Fujiwara
そうかでもそっちにはいはい。
近藤淳也
まあでもね安納京都近くに大和道さんもできましたし。
Kenshin Fujiwara
そうなんですよ。
近藤淳也
ちょっとそういうアウトドア系もちろんいぶきもそこでやってますんで。
Kenshin Fujiwara
そうなんですはい。
それがやっぱりここに来させてもらった僕の中では実は一番の理由でして。
あの京都もね今いろんなところでこういうシェアオフィスコワーキングスペースありますけれども。
それぞれこうコミュニティというかそこになんとなく集まる方のこうテーマ興味ポイントってあるじゃないですか。
で近藤さんのところは明らかにやっぱり近藤さんがこういう方なので。
なんとなくこう土臭い方がたくさんいらっしゃる。
近藤淳也
何臭い?
Kenshin Fujiwara
土臭い。
近藤淳也
土臭い?
土臭い土っていう感じなんですね。
Kenshin Fujiwara
土の匂いがする方が多いなと思ったんですね。
そうですね。
それで今回ここにちょっと用意してもらってるというところはありますね。
近藤淳也
なるほどね。
Kenshin Fujiwara
はい。
近藤淳也
確かに。
まあアンノンはそうですねリノベ系とアウトドア系とポッドキャストが好きな人が最近多いかもしれないですね。
Kenshin Fujiwara
ポッドキャストあるかもしれないですよね。
はい。
近藤淳也
こんだけ配信してればねやっぱりきますよやっぱりね。
Kenshin Fujiwara
ポッドキャストはどうですか?
ポッドキャストはちょっと一時期ちょろっとやり始めたんですけどもやっぱり継続するの大変ですよやっぱりね。
特に今またちょっと少し立ち上げじゃないですけど自分のまた製品作ったりとかしてるので言い訳にしちゃいけないんですけども定期更新するのがちょっと難しいなっていう感じはするんですけども
ただ一方で動画よりは圧倒的に敷居が低いなと思います。
近藤淳也
今のリッスンはブラウザから録音ボタン押したら録音できるようになったんで。
Kenshin Fujiwara
なんと。
近藤淳也
すっごい簡単で。
声日記っていうのが始まって毎日もうとにかくその日やったことをボソボソと撮るみたいなのも流行り始めまして。
Kenshin Fujiwara
自動的に文字を更新もしてくれるんですね。
近藤淳也
そうです。
Kenshin Fujiwara
その間にかバージョンアップされてますね。
近藤淳也
そうなんですよ。で結構声日記コミュニティみたいなのができてきて割と反応もくるようになってきてるんで新しいこと始められると思うんでその日々を。
Kenshin Fujiwara
そうですね。それ以後と聞きましたね。
近藤淳也
はい。発信していただいても面白いんじゃないかと思います。
Kenshin Fujiwara
じゃあトライしてみます。
やっぱりリススン僕も使ってみて面白いと思うのがコミュニティ人がいる感じがして他のところ配信できるんですけど人とか音のないんですよね。
ここは人がまず反応してくれるインタラクションがあるコミュニティがあるっていうのが使ってすぐにそれは感じられるのでそれは本当に近藤さんならではのサービスだなっていう急に褒め褒めモードに入るんだけど。
近藤淳也
いやもうちょっといろいろ指南していただきたいですわ。
いえいえいえ。
僕はその大企業に何年か入った経験もないしそのCEOと一緒に起業したこともないしなんかすごいいろいろ吸収されて今の成功があるんだなって思ったんで。
Kenshin Fujiwara
いやー。
近藤淳也
なんか羨ましいっていうかなんかやっぱいろんな経験するの大事だなって思いました。
Kenshin Fujiwara
いえいえいえ。逆にね近藤さんのキャリアもここまでも一本で上がってきてるんで逆に尖ってユニークだと僕は逆に思いますけどね。
近藤淳也
興味に任せて作るしかできないんでいつも。
Kenshin Fujiwara
いやいやいやそれが多分みなさんできないから困ってらっしゃると思う。
いやいやいや。
近藤淳也
逆にすごいと思うんですけどね。
なんかけんしんさんみたいに順番にこう経験を積んでいったらもっといろんなことができるようになったのかもなってちょっと聞いてて思いました。
Kenshin Fujiwara
いやーまあねこればっかり足の直前にどっちの人生が良かったかなっていうのは自分でしかわかんないですからね。
近藤淳也
そうですねどうしたらどうしたらいいですかねうちの会社とかって。
いきなり。
急に。
Kenshin Fujiwara
経営層だけ。
経営層なんすかね。
いやいやいやいや。
近藤淳也
なるほどじゃあこっからはそういうアウトドアというか山にみんながもっと行くようなみたいなことを当面結構力を入れてやっていかれるっていうテーマなんですか。
Kenshin Fujiwara
そうですねはい。
道具を作って売るっていうのはとはいえ時間かかると思いますんで。
それもね本当に製品デベロッパーに達してましてやちゃんと量産できるところを見つけていってやると思うと多分やっぱり2,3年はかかると思いますんで。
それまではベタですけど人を連れて行くような仕組みというかそれこそね一アイデアですけどちょっと心が折れかかってるキュウガさんをですね一緒に山に行こうよっつってですね。
なんかもうセラピーみたいなもんですけども山セラピーみたいなことをやったりとかですね。
そんなこともできるかもしれないですし。
何かしらその山とか自然にかかるようなことはしばらくやっていきたいなとは思ってますけど。
でもそれぐらいの流度ですね今のところは。
近藤淳也
なるほどそれを最初はお一人で仲間もいらっしゃるんですか。
Kenshin Fujiwara
そうです今まずは一人かなとは思ってますね。
近藤淳也
なるほど結構スタートアップ的な感じなんですかまたそれともちょっとゆったりというかもう少し速度を落としてみたいな感じなんですかそれは。
Kenshin Fujiwara
そうですね会社を登記するってことは今のところ実は考えてなくてですね。
個人事業っていうんですかね個人でやれる範囲でそれこそライフワークじゃないですけどもそんな感じかなと思いますね。
ただ一方で今個人でできることが本当に10年前と比べて増えてますしそれこそyoutubeのインフルエンサーでyoutubeだけで商売される方もいらっしゃいますしインスタグラムもそうですけども。
近藤淳也
個人でできる範囲と影響力ってのはもう本当にここ10年で変わってると思うので無理に会社にしなくてもできることが多いんじゃないかなっていうのも思いますね一方でね。
確かにリッスンの開発も下手に2,3人とかよりは一人の方が多分早いんで何か増やせないでいるんですよなかなか。
そうですねちゃんとGPTに聞きながら一人でどんどん作った方が何作ろうとか相談してるより早いなって思うんで。
Kenshin Fujiwara
そうですよね。