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スピーカー 2
今日の本題なんですけど、
今日もお便りをいただいている文があるので、
そちらを紹介してお話ししていきたいと思います。
では早速お便りを読みたいと思います。
シャンティーネーム、ひろさん。
いつも楽しく拝見しています。
質問は、自分がどのようにこれから練習を継続して深めていけばよいか、
アドバイスいただけると幸いです。
現在、週2、5、6日の頻度で練習して4年目を過ぎたところです。
今の練習の目標は、アスタンガイワの練習を通じて自分の幸せ、家族の幸せ、
できれば会社での人間も幸せになることができると良いなと思い練習をしています。
50歳から挑戦したアスタンガで、健康と自分の今までの価値観と違う世界観で、
新しい人生観も味わいたかったからです。
アスタンガも流派があって分かれていますよね。
正式指導者からの学びとオールドスタイルからの学びです。
私のアスタンガとの出会いは、コロナ禍でオンラインで他県のオーソライズの先生から教えてもらいました。
オーソライズの先生というのは、総本山の方から正式指導者ということで、
大古版というか資格をもらっている先生のことですね。
その先生からオンラインより対面の方がより練習が深まるから、
近くのアスタンガスタジオで練習する方が良いとお話しされたので、
少しして地元のアスタンガスタジオで練習させてもらうことになりました。
地元県ではオールドスタイルのアスタンガが全てでオーソライズの先生は不在です。
そのため指導方法や進め方が違うので、そのギャップで何年も悩んでいます。
オーソライズではアーサナは先生からいただくもの、
オールドスタイルはできなくてもフルプライマリーを練習することが大事とされているみたいです。
理解不足でしたらすいません。
現在のスタジオは先生・生徒ともにわきあいあいで練習途中に雑談したり、
生徒もアーサナ途中で小休憩したりで、
私個人的には厳格な厳しい練習が好きなので、
先生も巻き込まれないように練習に集中しています。
以前オンラインで練習させてもらった県外のオーソライズの先生のところには、
年に一、二回新幹線で通っていますが、
先日メールにてあれ相談しましたが、
私の今の先生に意見を聞くように話されましたが、
私はオーソライズの以前からの先生の指導方法が好きなので、
そちらの意見を参考にしようと思っていましたが、
先生曰く、現在はオンラインクラスも受講していなく、
年に一、二回しか通うこともできないこともあるのか、
指定関係はないと話されて、勝手に死と仰いでいた人と、
プツンと糸が切れた状態になってしまいました。
自分の環境でオーソライズの指導が受けられないと、
過去の指導スタイルの価値観で練習ができないこと、
アシタンガヨガの最終目標は幸せの探求なので、
流派のスタイルは関係なく、悩みすぎることなく練習することでしょうか。
どこの世界中でも、ドロップインでも、
気持ちよく受け入れてもらうアシタンガヨガは素晴らしいです。
長文、大変申し訳ありませんが、アドバイスいただけると幸いです。
アシタンガヨガの流派の狭間で困惑しています。
これアシタンガヨガやってない人とか、ヨガやってない人からしたら、
なんのこっちゃっていう話だと思うんですけど、
なので、興味がない方はね、ちょっと今日はここでね、
閉じていただいてもいいかと思うんですけど、
スピーカー 2
流派の違いっていうことなんですけど、
そもそもの話で言うと、
アシタンガヨガも流派があって分かれていますよね。
正式導舎からの学びとオールドスタイルからの学びですっていうことですけど、
これは捉え方にもよると思うんですけど、流派とかないですよね。
スピーカー 1
流派とかはないと思います。
スピーカー 2
ただ、僕もちょっとこれわからないんですけど、
オールドスタイルでね、ちょこちょこ聞くことがある、
皆さんも聞いたことある人いると思うんですけど、
っていうスタイルの指導と、今の混流というか、
SYC、シャラト先生ね、お亡くなりになりましたけど、
シャラト先生から直々に指導を受けている人たちの指導の仕方がちょっと違うと。
で、それはアーサナのやり方が違かったりとか、
進め方が違かったりとかっていうのがちょっとあるみたいですけど、
これオールドスタイルっていうのは何ですか、一体。
スピーカー 1
あの、パタビジョイス先生が直接教えた生徒、
最初の頃の生徒さんね、もう今年齢で言ったら70、80とかそのぐらいになるぐらいの年代の先生が
伝えている練習方法なんですけども、
それも先生によって違うんですよ。
要はパタビジョイス先生も生徒によって教え方がそれぞれ違うから、
その教えられたようにその先生たちは教えるわけですよね。
だから違うんですよ。
で、そのオーソライズ。
スピーカー 2
その細かい違いを言うと、じゃあオールドスタイルって何?っていう話になっちゃうんで、
一般的に言われているオールドスタイルと普通の本流の違いっていうとどういうところになる?
スピーカー 1
本流は、要はそういうふうにバラバラな教え方にならないように、
細かくきっちりやり方を決めて、それを伝えるようにしたのが、
サラッド先生がやってたオーソライズっていう意味のやり方だと思うんですよね。
スピーカー 2
オールドスタイルはこうだっていうのはないってこと?
スピーカー 1
オールドスタイルはこうだっていうのはないです。ないと思います。
違うもん、それぞれ先生によって。
スピーカー 2
端的に言って、厳格にやっているのが本流で、
スピーカー 1
結構ザックバランにやっているのがオールドスタイルっていう感じでいいかな。
スピーカー 2
そうだと思います。そういうふうに考えてもらっていいかなと思います。
スピーカー 1
という感じでね、別に流派っていうことではないんですよね。
スピーカー 2
そうですね。
流派って言ったら、アシュタンガイヨガそのものがヨガの中の流派の一つではあるので、
それ以上はない。ただ先生によってちょっと違うっていうことでしょうね。
で、まる子さん、これある程度考えはまとめていたみたいですけど、
ちょっとその話をしてもらってもいいですか?
スピーカー 1
そのやり方自体はあまり関係なくて、
どっちがいいとかね、そういうことではなくて、
このご本人が書いていらっしゃるように、
何のために練習しているのかっていう、その本質的な部分を失いさえしなければ、
どんな環境であっても、どんなやり方であっても、
間違った方向にはいかないと思うから、
そこを大切に練習していけばいいかなと、私は思っています。
スピーカー 2
じゃあ、アスタンガイヨガの最終目標は幸せの探求なので、
流派のスタイルは関係なく、悩みすぎることなく練習することでしょうか?
はい、そう思います。
スピーカー 1
もうわかっていらっしゃるから、
で、そういう自分の考えとか、
自分はこういう風な練習方法の方がいいと思うんだけどって思う、
そのやり方じゃない環境で今はしているわけじゃないですか。
で、多分いろんなことを考えると思うんですよ。
もやもやしたりすると思うんですけど、
だけどあえてそういう中でも、
自分は集中して自分の練習、
もう自分ではわかっているわけだから、
スピーカー 2
何のためにやっているのかということが。
スピーカー 1
だからそこを気にしないでやるっていう練習は、
ものすごく心を安定させていくための練習になるかなと思うんですよね。
だから今与えられた環境の中で、
自分ができる範囲で淡々と集中してやっていくっていう、
なんかすごくいい練習できてるんじゃないかと思いますけどね。
スピーカー 2
僕もそれは同じようなことを思いました。
いい練習ができているというか、
まさにちょっとこれは厳しめな言い方になってしまうんですけど、
やっぱりその正式指導者、前の先生のスタイルは良かった。
厳しめのスタイルがいい。厳格な厳しいのがいい。
今はそうじゃない環境になった。
そこに以前の厳しい練習、自分の好みですよね。
好みを捨てられないというか、
スピーカー 2
ちょっと執着しているところがあって、
だからこそ本当はこの最後に言ったように、
関係なく悩みすぎずに練習することでしょうかっていうことが分かっているんだけども、
やっぱりもやもやしてしまう。
自分がその執着を捨てきれないから、やっぱりもやもやしちゃってるんだと思うんですよね。
だからいい練習っていうのはまさにマリコさんそういう意味で言ったと思うんだけど、
すごく難しいことと向き合ってるんだと思うんですよ。
自分のその執着とか好き嫌いを超えて、
自分がやるべき練習をしていくっていう、
自分の信念に沿って進めていけばいいっていうことなんだけども、
それがこうやっぱり自分の感情が邪魔しちゃって、
こういうふうにもやもやして、
どうしたらいいですかってなっちゃってるっていうことだと思うので、
だからそこは理解した方がいいと思いますね。
その自分がなぜそういうふうに今こういうふうにもやもやになっているのか、
その原因は何なんだ。
それは今教えてもらってるオールドスタイルの先生のせいじゃないと思うんですよ、別に。
自分の心の問題だと思うんですよね。
そこに向き合ったらいいのかなとは思いますね。
あとはちょっと悩みすぎることなくっていうこととも一緒ですけど、
難しく考えすぎてるのかなっていう気はしますね。
このたぶん厳格な厳しい練習をしちゃって、
オーストラリアの先生もそうなんだと思うんですけど、
似てるところがあるんじゃないですか。
だってね、これちょっと話し反れてしまうかもしれないけど、
今はオンラインも受講していなくて、年に1,2回しか通っていない新幹線でね。
遠方なんでしょうね、通っていない。
それ自体すごいなと思うんですけど、通うこともできないこともあるのか、
指定関係はないと話されているっていうところ。
ずいぶん堅苦しい話だなってちょっと思っちゃいますよね。
そもそも指定関係って、それは別に生徒がね、誰かが先生の元を師匠って思って、
先生が生徒さんのことを愛すべき弟子って思う関係性は、
僕は誰にも否定されようのないものだけども、
そんなにこの指定関係みたいな伝統みたいなことにとらわれなくてもいいと思うし、
そもそも仮に指定関係って言葉を使ったとしても、指定関係ってそういうことじゃないですよね。
やっぱり自分が通っているとか通っていないとか、指導を直接受けているか受けていないかではなくて、
心からリスペクトして、その人の歩む道についていきたい、教えを追うっていうような対象であれば、
それは師匠だと思うし、逆に言えば、そういうふうに思ってくれている人、
師匠側が弟子って思うっていうのは僕はしっくりこないので、そこはちょっと定義していられるんだけど、
自分がそう思うんであれば、やっぱり師匠なんだと思いますよ。
スピーカー 1
そう、私もそう思う。私も会ったことない人を師匠だと思ってるもん。
スピーカー 2
それでもいいと思うんだよね。結局、自分の心の中の、それこそ寄り所というか指針というか、
そういうものになる対象かどうかっていう話だと思うので、
だから、そういう意味で大空島先生のことをそう思うんであれば、そう思っていたらいいと思うし、
でも師匠って別に、その人から教え、直接ね、
アスタンガヨガのアーサナプラクティスの指導をしてもらうかどうかって関係ないですよ、あんまり。
スピーカー 1
それは私もいろんな先生から習ってきて、自分も教える側になって、そう思うようになりましたね。
関係ないなって。
スピーカー 2
そうね。なおのことを僕最近思ってるのは、よく例えばさ、