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スピーカー 2
相模ということです。
ありがとうございます。
この間、僕がお話したことそのまんまですね。
この今、相模先生がおっしゃったことを、
僕らは生活という中に実際に見せていただいたというような感じだったと思いますけど、
僕はやっぱり相模先生のこういう自分だけが小さい考えに囚われていることに気づき、おかしく思います。
そしてしばしばまた囚われますっていうね。
この人間らしさっていうかね、
完全さっていうかね、僕は言う言葉ではないですけど、
そういうところがなんか親近感っていうかね、相模先生の大好きなところですけど。
スピーカー 1
飾らない感じね。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
ありのままの姿を見せてくれるっていうのはね、安心できますよね。
スピーカー 2
そうだね、そうそう信用できるよね。
やっぱり包み隠さず、等身大で見せてくれる。
それは決して完璧じゃなくても、僕らからしたら学ぶことばかりだし、
完璧じゃなくてもいいんだっていうこともね、学べるっていうところもあると思うんですけど。
なんかこの得たいものを守りたい、失いたくないという思い、
執着が結局自分を息苦しくすることがよくわかります。
本当そうだね。
これはだから作物の話が例で僕は出しましたけど、
やっぱりすべてのものに対してですね、何か物質的なものを得たいって思ったら、
得たら今度は守りたいって思うし、失いたくないっていうふうに思う。
これは本当に僕たちが抱える苦しみ、執着による苦しみの大部分を占めますよね。
スピーカー 1
そうですね。私も子供ができた時はね、やっぱりすごく苦しかったですね。
今はもうほら、娘も大きくなって頼りがいのある感じになってきましたけど、
赤ちゃんの時とかはもう守ってあげなきゃいけない存在だったじゃないですか。
それを考えるとすごくやっぱり苦しかったですね。
スピーカー 2
失ったら怖いっていう感じ?恐怖心とか。
そうね。人も一緒ですよね。
自分の赤ちゃんじゃないとまたちょっと感覚っていうか角度が少し違う気はするけども、
でも友達とか恋人とかってなると、
もう全く、人は物ではないけども、物に対する執着と全く一緒ですよね。
そうね。愛着、執着。
だからそれが息苦しくするっていうことは逆に、そこを執着しない、手放す、あるがまま受け入れるとか、
っていうところがやっぱり自由への道というかが開かれていきますよね。
あとちょっとこの獣の話と関連してなんですけど、
ちょっとこのお便りの話から少し離れますけど、
最近カガ出始めたじゃないですか。ヤブカガね。うちも出始めて。
昨日も刺されましたけど。
この間もマリコさんがスレッツであげてましたけど、
娘が高学年になって5年生になったんですけど、低学年の子とも仲良くしたりとか、
高学年の子とも仲良くしたりとか、
幅広く学校の中でお友達と付き合いができるようになってきたっていう中で、
すごく楽しんでるみたいだけど、違和感を覚えるところがあるっていうところで、
虫嫌いの子が多い。
虫嫌い、そこからさらに言うと虫を簡単に殺してしまうっていうね。
そういうのがすごい違和感あるんだよねっていうことを言ってたっていう話を聞いて、
娘もまだまだ子供なんで、わからないところもあると思うんだけども、
僕らがそういう話をよくしていたりとか、
特にここ最近数年は、僕らも顔を殺すのももう嫌だね、やめようかっていうようなスタンスになったこともあって、
娘もついついパチンってね、この間もやってましたよ。
やってしまうことあるんだけども、
多分その時に、やっちゃったっていうね、反射的にやってしまうけどやっちゃったとか、
できればそんなね、パチンってしなくても済むんだったら、しないでやった方がいいよねっていうことを感じ始めてるっていうか、
思ってるっていうところで、そういうことを思うようになってきたんだと思うんだけど、嬉しいですね。
やっぱり子供の頃って、子供大人は本当は関係ないとは思うんだけど、環境に一番左右されてると思うんだけど、
やっぱり虫とか生き物を兵器で殺してしまったりするじゃないですか。
だけど、まあ多分これはアヒムサとかの話と一緒だと思うんだけども、
本当はね、僕らって人間もそうですけど、誰からも傷つけられたりとか攻撃されたりとかしたくないっていう思いがあるじゃないですか。
思いっていうかもう本能ですよね、これはね。
だから防御本能みたいな、自分を守ろうとする本能もあるわけで、
それって逆に言うと、他の生き物も同じように誰からも傷つけられたくないっていうことを本当は知っている。
だけど、環境とかによってそういうことを考える。
スピーカー 2
学校教育ではね、そんな話するのかな。
まあすることもあるかもしれないけど、あまり重要視されてないよね。
虫とか生き物も大切にしましょうみたいな話あるかもしれないけど、
カモ殺したら良くないですよ。殺さなくて済むなら殺さないようにしましょうなんてことは多分先生も言わないと思うんですよね。
だからそういう環境の中で生きていくと、いつの間にか本来分かっていたことが薄れていってしまうっていうことだと思うんですよね。
だけど、どこかでやっぱり分かっている、本当はね。
だから、例えば何でカモ殺すんですかって言ったら、しょうがなくないっていう。
殺さないで済むに越したことはないけども、でも放っておいたら刺されるしみたいな話。しょうがない。
本当は良くないって分かっているけど、まあしょうがないよねみたいな、自分本位な価値観で考えてしまうんだと思うんですよね。
でも、僕も別にそういう人がほとんどだと思うので、全く責めるつもりはないし。
僕もパチンパチン普通に殺してましたから、あだこーでいつもないんですけど。
僕らそういうふうに殺さなくなったら、殺さないで済むんですよね。
その分刺されるリスクは増えるかもしれないけども、刺されてもたかがかに刺されるぐらいじゃないですか。
普通にパッと捕まえる。捕まえるのは簡単じゃないんですけど。
でも手に止まったらパッて払ったら、また止まるかもしれないけど、また止まったらパッて払う。
でも、それを殺さずに虫の気持ちも考えるっていうところまで言うとちょっと大げさかもしれないけども、でも摂取をしない。
自分の優しさですよね。優しい自分でいるっていうことは心地よさですよね。
バスとか電車に乗ってお年寄りとか不自由な方に席を譲ってあげたら、自分の気持ちは気持ちいいじゃないですか。
すべきこと、誰かに優しくできたとか、こうしたほうがいいってことをできた自分って誇らしいとまでは言わないかもしれないけども。
スピーカー 1
なんか嬉しいよね。
スピーカー 2
嬉しいよね。気分がいい、とても。
それと同じだと思うんですよ。顔をパチンと殺さずに逃がしてあげれたとかっていうことができると、それと同じなんですよね。
それがつまり自由になっていくっていう、解放されていくってことともつながってると思うし。
なので、もう時間ないんであれですけど、これからそういう時期ですから。
うちの場合はか取り選考、喫茶選考とかでなるべく蚊が入ってこないようにするっていうことと、どうしても入ってくることもあるし、
外にいたら、当然外の蚊はいるんで、なるべく払ったりとか、家の中だったら捕まえれそうだったら捕まえて、外に逃がすとかね、っていうふうにしてますね。
そんなこと考えられるのは、この環境、自然の中で生きてるからっていうのもあるんですけどね。
蚊なんて、くっさること、うちは竹やぶなんでいるし。
スピーカー 1
外に出たらね、必ず。
スピーカー 2
蚊だらけなんで、共存するしかないっていうのはあるからできることではあるし、
マンションとか都会でいたらね、そんなに変わって多くないじゃないですか。
スピーカー 1
特に上の方に住んでたら、全然蚊の心配なんてしてなかったりね。
スピーカー 2
そう、だから一匹見分けたら、もうそれだけで不快な気持ちになるのはよくわかるんですよ。
そう、だけどね、そういう人も本来はわかってるはず。
心のどこかでわかってるはずなんで、そういう自分になれる。