1. Om Shanthi ヨガで生きやすくするラジオ
  2. S2E128 苦しみや痛みは必要な..
2025-07-24 19:24

S2E128 苦しみや痛みは必要なのか?

アシュタンガヨガは運動量が多く、先へ進むと難易度が高いポーズもあるため、実践を継続していく中で苦しみや痛みが訪れることが多々あります。そういったものは本当に必要なのか?アクティブシリーズなどはそういった要素が少ないが、それでも心の成長は望めるのか?そういった話をしました。

・国宝 ・歌舞伎 ・苦しみ ・痛み ・開放 ・年齢 ・アクティブシリーズ ・成長 ・強さ ・優しさ ・苦行 ・ブッダ ・仏陀

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サマリー

このエピソードでは、苦しみや痛みが成長に必要かどうかについて議論されています。アシタンガヨガを通じて得られる学びや、苦しみを受け入れることの重要性が語られています。また、苦しみや痛みの必要性が自己成長や他者への共感にどう寄与するかが考察されています。特に、ブッダの教えとの関連を通じて、苦行と自己成長の違いが明確にされます。

苦しみと痛みの必要性
スピーカー 2
みなさん、おはようございます。YOGA LIFE smsuun ヨガティーチャーのまりこです。
スピーカー 1
夫のけんすけです。
スピーカー 2
この番組では、明日を生きやすくするをテーマに、
ヨガの学びを交えた、私たち夫婦のたーいまないトークを、福岡の山小屋よりお届けしています。
スピーカー 1
はい、Om Shanthi 明日を生きやすくするラジオ、オムラジ始まりました。
スピーカー 2
はい、よろしくお願いします。
スピーカー 1
はい、よろしくお願い申し上げたてまつりまする。
この番組は、学びに情熱を、生き方に和を、YOGA LIFE smsuunの提供でお送りいたします。
本日は7月の23日水曜日、時刻はお昼の1時過ぎです。
スピーカー 2
何ですか、突然。
スピーカー 1
何ですか、突然って白々しいですね。
歌舞伎ですよ。
歌舞伎ですね。
はい、私、歌舞伎役者ですから、歌舞伎役者を目指します。
先日ね、国宝を見てまいりまして。
スピーカー 2
はい、見ました。
スピーカー 1
歌舞伎かぶれになっております。
はい、面白かったですね。
うん。
皆さんは見られましたかね、歌舞伎、歌舞伎じゃないや、国宝。
あれ結局、バンド玉サブロがモデル。
スピーカー 2
ではない。
スピーカー 1
ではないの。
はい。
スピーカー 2
それはまりこさんの妄想。
スピーカー 1
妄想。
なんか、実話っぽい感じがね、なんとなく雰囲気的にあって、実話を元にしてるのかな、みたいな話をしたんだけど、
これで実話じゃないみたいな小説をしたんだけど。
スピーカー 2
そうですね、はい。
スピーカー 1
はい、歌舞伎役者の御曹氏と、役者の組長の息子で、両親を亡くして、
その歌舞伎の家庭に拾われて、拾われてってか、預かって。
スピーカー 2
そうですね、平子って言って、なんか弟子?弟子として入ったっていう。
成長のための学び
スピーカー 1
で、篠木を削ってね、切磋琢磨して、
で、その血筋と、その老いたちの剣でいろいろと、あと、芸能能力っていうの。
その中で揺れを動く人間ドラマみたいなね、感じの内容でしたけど。
3時間ね。
うん。
あっという間でしたね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
うん、あっという間ですけど、やっぱり3時間は長くて、僕は貧乳なので、
トイレがしんどいですね、休憩がないとね。
見どころはどんなとこでしたか?
見どころはもう、やっぱビジュアルですね。とにかく美しい。
ビジュアルって言うと、なんかその俗に言う顔みたいなイメージだけど、そういうことじゃなくてってこと?
スピーカー 2
顔もそうなんですけど、やっぱ動き?踊りっていうかね、仕草とか。
やっぱりなんか才能がないと、あんな動きできないんじゃないかって思っちゃう。
スピーカー 1
それは役者さんの話をしてるの?
スピーカー 2
役者さん?全般ね、歌舞伎の人たちもそうだろうし、歌舞伎の役をするあの人たちもそうだし、
とにかくすごかったなと思いますね。
スピーカー 1
まあ本当に映像がね、僕は美しいなと思いました。
それはだから踊りとかもそうなんですけど、全体的にその描写が美しいなっていう。
そういう意味ではとても見せられた感じの映画だったなっていうふうに。
そうですね。
歌舞伎、興味ない人でもね、多分見て面白いんじゃないかな。
その美しさというかね、が伝わるのかなとは思いましたけどね。
だけどやっぱり伝統芸能の闇みたいなところがやっぱり少し胸が苦しくなるというか、
そういう印象を受けましたね。
美しいだけじゃない、ドロドロした部分というか。
実際はもっといろんな裏の顔っていうかね、あるんだろう。
映画なんかではね、出せないようなところもあるんじゃないかなとは思うんですけど。
とても面白かったので、まだ見てない方いたらね、よかったらぜひ見てみてください。
ちなみに僕、見終わった後に、面白かったけども、かといって歌舞伎を見たいっていうふうにはならなかったななんて話してたじゃないですか。
でもなんか、この真似をし始めたら、本物を見たくなってきました。
スピーカー 2
そうね、興味は湧いてくるよね。
スピーカー 1
映画でっていうよりも、僕結構、自分がプレイヤーになりたいタイプなんですよ。
見てても面白くない。自分が体験したいというタイプなんで、ちょっと体験してみたら、より興味が湧いてきて。
博多は歌舞伎座でしたっけ?博多座。
歌舞伎の舞台ありますから、行けたら行きたいななんて思いましたけど、結構いい値段するみたいですからね。
うちの家系には厳しいなと思いつつ、機会があれば、もしくはこの人だって思うファンみたいな人がいれば行ってみたいなと思いますけど。
ということで、今日の話は全然関係ないんですけど、
昨日、うちの生徒さんに面談してお話したじゃないですか。
その生徒さんは、僕らより年が上の生徒さんで、50代かな?の方で、一生懸命されてて、もうそこそこしてるのかな?
4,5年くらいアシタンガヨガやってるのかな?
うちに行き始めてからは1年ちょっとで、頑張ってらっしゃるんだけど、
でもやっぱり体力の問題ももちろんあるし、怪我が結構ね、怪我っていうか痛みが結構あるみたいで、
この間もセイヤさんとアシタンガヨガの新しいアクティブシリーズっていうのについてお話させてもらいましたけど、
アシタンガヨガのアクティブシリーズっていうのは、アシタンガヨガのきつさとか大変さ、運動量っていうのをかなり軽減したもので、
5年配の方とかで体力的にちょっと厳しくなっている人とかにも結構おすすめっていうようなものだから、
それを昨日話した生徒さんも、ちょっとアクティブシリーズとかに切り替えてもいいのかな?みたいなふうに思ったりもしたみたいな話をされてたんだけども、
でも実際苦しさはなくて、練習は楽しいし、充実してるというか、アシタンガヨガ好きなんですよね、生徒さんもすごく。
ただやっぱり怪我とか痛みが多いから、無理しちゃいけないのかな?みたいな感じでアクティブシリーズも検討してたみたいなんですけど、
昨日も話しましたけど、僕としてはやっぱりそのきつさとか痛みもそうだけども、そういったところから学ぶことがたくさんあるから、
それが本当に苦しみになってないんであれば、逆に言えばそこから自分が学びがあることを実感していたりとか、
そういう環境で頑張りたいって思ってる人はそれでいいんじゃないかなって僕は思ってるので、そんなふうに話しましたけど。
ヨガと日常の関係
スピーカー 1
で、やっぱりそこについて改めて今日ちょっと、まりこさんと議論じゃないけども話したいなと思って。
なんかヨガって、聖夜さんなんかは痛いこと禁止って言ってね、痛いこと一切しないでくださいっていうふうに言うんだけども、
ヨガの流派でも、例えばアシタンガヨガはやっぱり運動量が多くて難しいポーズも多いから、難しいってことは一生懸命やろうとすればきつかったりとか痛かったりすることもあるじゃないですか。
だからそういう種類のヨガなんだけども、でもどっちかっていうとリラックスしたりとか気持ちがいいこと、うーんって伸ばしてあー気持ちいいっていうようなことをするヨガとかも結構あるじゃないですか。
先生によってはそういうふうにリラックスしてやりましょうみたいな人もいるじゃないですか。
で、どっちがいい悪いの話は全くするつもりないんですけど、でもやっぱりそのヨガが人として成長していくためにあるものだって思ったときに、
その人が成長するのに必要なものって何ですかって考えたら、まあいろんな要素があると思うんだけど、
でも欠かせないものとしてやっぱり苦しみとか痛みっていうことからしか学べないものとかそこからしか成長できないことってあるんじゃないかっていうのはやっぱり思うんですよね。
で、ちょうど数日前に聞いたごはみそでもちょうどそんな話してて、やっぱり苦しみからしか人は成長できないみたいな話をしてたんですよね。
で、まあそれってどっかでも聞いたことあるような言葉だと思うし、あとはほら昔の歌手で岡本真央さんって涙の数だけ強くなれるよ。
なーなーなーなーなーなーなーなーなーいらないね。上手にツッコめよ。上手にツッコめよ。
っていう風に言うぐらい、やっぱりそういう逆境とか苦しみから得られるものって、特に強さっていう風になると本当そこ大きいなって思うんですよ。
で、もっと言うとそれは人にもよるとは思うんだけども、自分にはそれが必要だって心のどこかで思う気持ちがあるのであれば、それはその人にとってその痛みとか苦しみは絶対成長に必要なんだろうなっていう風に思ったんですよね。
どう思いますか森本さん。
スピーカー 2
そうですね、まず前提として、生きていく上で苦しみから解放されるっていうことがまず第一というかね、生きていく上で大切なことっていうのがまず前提としてあって、
スピーカー 1
苦しみから解放されるってことが大切だったこと?
スピーカー 2
そう、苦しみから解放されるために私たちは学んでいく必要があると思っていて、わざわざ苦しむ方向に行く必要はないって私は思うんですね。
だけど自然と現れる苦しみは受け入れながら解決しようと努力する必要があると思うんですね。
で、普通に練習していて出てくると思うんですよ、そういう痛みとか苦しみとか。
スピーカー 1
それはでも何をやってるかによるよね。だからこの根本のところに戻ると、明日が良くあってそういう側面が必ずあるじゃない。
だからそれをチョイスするっていう話で言えば、それを苦しみとか痛みが伴うものをチョイスしてるってことだと僕は思うんですよ。
で、さっき言った話で言うと、それを回避しようと思ったらアクティブシリーズとかっていうのもまたそれを回避できるチョイスだと思うんですよね。
だからさっき言ったマリコさんが、そもそもあえてそのチョイスする必要はない。自然と起こるもの以外は別にチョイスする必要はないんじゃないかっていうんだとしたら、
その時点では僕がさっき思ったのは、じゃあ明日が良かったとかいらないんじゃないかっていう、そういうきつく感じるようなもの。いらないんじゃないかっていうふうに聞こえましたね。
スピーカー 2
はい。じゃあそれはちょっと分かりにくかったと思うんですけど、日常生活の話ですね、それは。
スピーカー 1
そもそもいいよいいんだけど、ヨガの話してたからね、今。
スピーカー 2
まず前提としてね、日常、人が生きていく上で苦しみってあるわけですね。普通に生きてってあると思うんですよ。
で、それを受け入れる練習として、明日がヨガっていうちょっときついこと出てくるよ、でもそれは練習のためだからねっていうものを使う必要がある。
スピーカー 1
練習のためだからね、日常のためだからねってことだよね。日常に出てくるそういう苦しみとかのための練習だからねってことだよね。
スピーカー 2
苦しみから解放されるための練習を、明日がヨガっていうものを使ってするためには、そこに苦しみがないと練習ができないっていう話で、
だからさっきけんくんが言ったみたいに、その練習する中で苦しみがないんだったら練習にはならない。
だからそういう意味では、アクティブシリーズっていうのはそういうための練習としてはちょっと使わないというか、使うものではないかな。
スピーカー 1
ごめんね、ありがとう。よくわかるし、全く同意なんだけど、別にアクティブシリーズがどうかっていう話じゃないからね、今日は。
練習にそもそもそういうエッセンスが必要かどうかっていう話。
練習にっていうか、生きていく上でそういうエッセンスが必要かっていう、成長していく上でね、っていう話だからね。
スピーカー 2
そうですね。練習台として、課題として。
スピーカー 1
でもさ、今、まりこさんが言ったことは全く同意なんだけども、自分がその日常の中でそういう苦しみとかと対峙したときに、
負けないとか乗り越える強さを身につけるとかっていうためにヨガで練習することが役立つよっていう話だと思うんだけど、
苦しみの理解と他者への共感
スピーカー 1
でもそれ以外でもさ、例えばさ、人の苦しみをわかってあげたりとかさ、共感してあげたりってこともそうじゃない。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
例えばだけど、一番わかりやすい話で言うと、そういう苦しいことを乗り越えようとしてる人。
ヨガで例えちゃうと元も子もないんだけど、ヨガで苦しい思いをして、そこを頑張って乗り越えようと思ってる人を励ましたかったりとか、応援してあげたかったりとか、見守るだけでもそうだと思うんだけど、
その場合って、それを自分が経験していたときに一番してあげられる自分になれるじゃない。
そうですね。ほんとそうですね。
だから自分が乗り越えるためだけじゃなくて、その人の痛みとか苦しみを知ったりするためもそうだし、そういう意味では強くなれるだけじゃなくて、人に優しくなれるとか、そういうことも含めて、やっぱり苦しみとか痛みっていうのを知っていることが大事ですよね。
そうですね。はい。
だからやっぱりどうしても今の世の中は、やりたいことを全部やるとか、自分が気持ちいいことだけ全部する、美味しいものは全部食べるとか、
とにかくしたい、得たい、やりたいっていう欲求にばかり目を向けて、それを得ていくことが正義っていうか、いいことだっていうふうに言われがちだけど、
でもやっぱり自分が成長のために欲しいとかっていう感覚は別として、単なるいわゆる煩悩というか欲求から得たいと思うもの以外のものを受け入れていくっていうことが大切なんですよね。
うん。
じゃあ、我々はそういうスタンスでやっていきましょう。
はい。
多分それをね、共感できる人たくさんいると思うんですよ。
うん。
僕が今言ったことと同じように、本当はきっと必要なんだと思う。
それが実践できている、実行できているかは別として、心のどこかではそういうふうに思っている人たくさんいると思うんで、そういう人は一緒に強くなっていきましょう。
うん。
あ、そうか。で、あともう一つだけちょっと付け加えたいのは、自分が弱っている人とか心身を疲弊している人、例えばだけど鬱で苦しんでいるような人とかが自分にきついことをしないといけないみたいなふうには思わないでほしい。
うん。
だから自分がその、それだけの心身が元気である、健康であるっていう人じゃないと、それは成長するものにはならなくて、ただ苦しみ、苦しむだけにね。
苦行と成長の違い
スピーカー 1
そうですね。
なってしまうので。
あ、もう一個そうだ。聞こうと思ったことがあった。
でもさ、ブッダはさ、苦行はいらないよって言ってたじゃん。
スピーカー 2
そうですね。意味ないって言ってました。
スピーカー 1
そことさ、どうしてもちょっと混同しがちなところあるんだけど、そこをちょっと説明してください。
スピーカー 2
苦行のその種類が違うから。
スピーカー 1
どう違うの?
スピーカー 2
痛めつけてるんですね、そのブッダが必要ないって言ってたのは、生き埋めになったりとか。
スピーカー 1
生き埋めはやりすぎだろ。
スピーカー 2
あの、トゲトゲの。
スピーカー 1
いばらみたいなね。
スピーカー 2
そこに横たわって耐えるとか、そういうちょっとおバカな感じの苦行ですね。
スピーカー 1
でもさ、きわどい気がするんだよね。
例えば、アスタンガヨガとかでさ、おバカみたいなと思えるような人からすれば、ポーズ、何そのポーズ、難解なポーズっていうかさ、あるじゃん。
で、そういうので、やっぱり痛め、痛みを伴うポーズってあるじゃない。
それって、人からすれば、痛めつけてるのと一緒じゃんって思う人もいると思うんだよ。
スピーカー 2
まあ、痛め的にってことね。
スピーカー 1
でも、本人は。
痛め的にもそうだけど、いやでもやっぱり痛いって思っても、もうちょっと頑張ろうっていう風にしたりとかさ。
だから、血が出る出ないみたいな線引きしたら、それはわかりやすいけど、でもそういうことじゃないでしょ。
だから、どういう線引き、そこにある線引きって何なのかなって。
スピーカー 2
そうね。
そうね、それ人にもよるだろうからね。
耐えられる限界っていうのがあるだろうから、苦しみが生まれるほどやらないでってことじゃないかな。
苦しみが生まれるほどやるものが苦行ってこと?
練習苦しいと思ってやってます?
スピーカー 1
苦しいと思ってやってたことはあるよ。
やったことあるし、そういう日もある。
きついけど、たとえば調子が悪くてきついっていうときに、そこでもちろん選択肢としては、もう今日やめたっていうのもあると思うんだよ。
でも、やっぱりやめれないとき。
あ、わかった。じゃあこれでいいや。これでいいやっていうのも変だけど。
不安とか恐れから選択した苦しみ。
だから、僕が今日きついのにやらなきゃとか、やったほうがいいって思っている心理っていうのは、今やらないとまた先に進めないかもしれないとか、そういう不安から来ているものだったりすることが多いと思うんだけど。
そういうものから来ている場合は、違うか関係ないか。
スピーカー 2
いやいや、そうだと思う。
そのエゴによって、それ我慢っていうことなんですけど、自分のエゴによって。
スピーカー 1
まあ、ネガティブな感情から来ているとそうなのかな。
スピーカー 2
そうだと思う。
スピーカー 1
で、ポジティブな感情なんかもっとよくなりたいとか、まあだから単純にやりたいって思えている状態で、
であれば苦行ではないのかもしれない。
スピーカー 2
そうかもしれない。で、ちゃんと受け入れられて、自分のことを見つめられて、そういう状態。
スピーカー 1
まあでも、この辺はすごく曖昧っていうか、
スピーカー 2
わかりづらいね。
スピーカー 1
わかりづらいと思うよ。難しいと思います。
だけど、そことも向き合うことって大事。これは何なのか、苦行なのかとかもそうだし、
自分がやりたいと思ってやれているのか、それから来ていることなのかっていう感情とか、
そういったものと向き合うこと自体が大切ですよね。
スピーカー 2
そうですね。そう思います。
スピーカー 1
こうだろうって決めつけて、これだからやるべきだとかやらないべきだっていうことじゃなくて、
タイミングにもよりますからね。
というわけで、ちょっと今日は練習に苦しみや痛みとかが必要かどうか、
それは練習だけじゃなくて、人生にっていうことでもあると思うんですけど、
それが何になるのかっていうことについてお話をしてみました。
よかったら参考にしてみてください。
今日はこの辺で終わりにしたいと思い、まつりまする。
何だそりゃ。
ホムラジではお便りを募集しております。
番組へのご意見・ご感想・リクエスト・ご質問などをぜひお気軽にお寄せください。
番組トップやエピソードの下の方に載せている専用フォーム、またはSNSのDMでも大丈夫です。
PortifyやYouTubeをご利用の方はエピソードに直接コメントもできますので、そちらもお気軽にご利用ください。
皆様からのお便りをお待ちしております。
今回も最後まで聞いていただきありがとうございます。
スピーカー 2
それでは今日も一日皆さんが心穏やかに過ごせますように。
せーの、ナマステ。
19:24

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