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スピーカー 1
はい。
はい、fujimonありがとうございます。
スピーカー 2
ありがとうございます。
スピーカー 1
はい、この、私はヨガは経験もなく始めようとも思っていませんがっていうのはね、いいね。
友達ならではっていうかね、はい。
でも精神世界や考え方にはとても興味があります。
これだけでね、嬉しいよね。
ヨガやってる身としてはね。
というかまあ、fujimonが言ってるのは、ヨガに興味はなくっていうのはこのアーサナヨガのことだもんね。
で、ヨガのこの精神世界って言ってる部分も、まあヨガのその中に含まれている部分なので、
まあそういったことを、まあ教えとかね、そのいろいろ感じていることがあるって言ってくれてるから、
例えばそれが自分の、fujimonの暮らしとか人生とかに役立っているなら、
まあそのヨガにもう触れているというかね、それを実践しているっていうことでもありますからね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
もうそうなったら陽気ですよ。
fujimonさんあなたは陽気です。
はい。
で、えっと、まあちょっと最後に質問のような感じのところがありましたけど、
私はランディングは趣味ですが、走りながら瞑想に近い感覚になることがあります。
何も考えず現実から離れ、無になるような瞬間です。
仏教で言う下脱みたいな感じですと。
これ、このまま文章を読み取ると、瞑想に近い感覚が、
下脱っていうものとほぼイコールみたいな言い方になってしまうと思うんだけど、
まあちょっと、あの少し誤解があるのかなっていうふうに思うんですけど、
まあ仏教で言う下脱みたいな感じってことなので、
あの仏教というキーワードが出てきたんで、
まりこさんにちょっとここ聞いてもいいですか。
スピーカー 2
下脱っていうのは、全ての苦しみの根源を取り除いて、自由になること。
で、私たちリンネ転生とか聞いたことあると思うんですけど、
そういう苦しみ、例えば執着とかそういったものがある限りは、
ずっと生まれ変わって、また人生を歩まないといけないっていうのはずっと繰り返されている。
で、そこからその全てのそういう欲だとか執着だとか、
苦しみの根源を取り除いたときに初めて、そこから抜け出せるっていうことを下脱っていうので、
ということを踏まえて考えれば。
スピーカー 1
まあ今言った瞑想に近い感覚とかランニングの時のその感覚的なことではないってことだよね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
まあ多分あまり深く知らずに言ってるんだと思うんで、いいと思うんだけど。
スピーカー 2
そうですね。瞑想状態っていうのも、ちょっと厳密に言えばそういう感じではなくて、
そのランニングの時に起こるような、いわゆるゾーン状態みたいな、無になるような感じっていうのは、
スピーカー 1
超集中状態かなというふうに私は思ってますよね。
あのゾーンよりもね、多分ちょっと僕少し前に、なんで調べたのか忘れたんだけど、
あの最近はねフローっていうみたいな。
スピーカー 2
はあはあ、聞いたことありますね。
スピーカー 1
ゾーンっていうのは、何をやってもうまくいくような、マリコさんだったらね、バスケットでゾーンの状態で、
どれだけシュート打ってもどんどん全部入るような感覚というか、
まあ実際に入ってしまうっていうような状態のこと。
あの全てが噛み合ってうまくいってるみたいな。
でもフローっていうのはちょっと違くて、その瞑想に近いのは多分フローなのかなっていうような感じはしますね。
まあ没頭している状態とも言えるとは思うんだけども、
まあそれで言ったらヨガでもありますかって言ったらもちろんありますよね。
多分なんでもあるんじゃないかな、フローの状態っていうのはね。
まあ過集中にも近いかなとは思うんだけども。
まあでもあまりその、なんていうのかな、意識が働いていないような過集中状態。
なんか何だろうね、夢中になっている、夢中になってしまっているような状態。
要するに自分の意識がもうないような状態っていうのはあんまりヨガでは好ましくないとも言えるかもしれないね。
そうですね、どっちかというと全て見えてるって感じですね。
スピーカー 2
全部わかってる状態というか。
スピーカー 1
そうね、集中して行き届いているみたいな状態だよね。
まあその藤本の言ってる感覚がどういう感覚なのかちょっと細かいこともね、わからないけど。
ちなみにちょっと話戻るんだけど、まあ仏教でもそうだし、ヨガ、ヒンドゥーとかもそうだし、ヨガのふるさとであるベーダの中ではその輪廻転生っていうものは同じくあって、
で、下達、まあヨガの言葉で言うともうくしゃっていうんだけども、下達っていうのが人が最終的に求めるものって言われてるんですけど、それどっちもそうなんですけど。
輪廻から抜け出ることっていうのがまたこれ面白いですよね。
別にね、僕らはどちらかというと、次は生まれ変わるなら何になりたいなとかっていう、生まれ変わりをちょっと楽しみにしてるっていうか、なんとなくそういう感覚あるじゃないですか。
スピーカー 2
そうね、生まれ変わってもまた一緒にいいよねとかね。
スピーカー 1
そうそうそう、そういうのもそうだし。決して生まれ変わることが悪いことではない。
スピーカー 2
そうね、苦しみってあんまり考えたことはないよね。
スピーカー 1
そうそう、苦しみ、そうそう、だね。
まあ、生まれ変わりがあるかどうかもどうかわかんないから、あまりリアルな話とはね、しては話さないけども。
でも、それこそ仏教の場合は、ちょっと僕も詳しくはないんだけども、生まれてくること自体がもう苦しみの始まりみたいな、そういう感じだよね。
一切、なんだっけ、なんとなく。
スピーカー 2
一切解く。
スピーカー 1
っていうんだっけ、それはどういう意味?
スピーカー 2
全てが苦しみ。
スピーカー 1
そうだね、生まれてくる、苦しむために生まれてきたと言っても過言ではないような考え方をするんだよね。
で、ベイダーでもゲダツリンネから、全てから自由になるっていう、リンネからも自由になるっていうことが、最終的なゴール、究極のゴールっていう風にね、言われてるんですけど。
それ自体がなかなか、学びとか概念っていうものを知っていかないと、あんまりピンとこないと思うんで、だからゲダツってね、こういったことを学んでる人以外にはあんまりピンとこない言葉ですよね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
どちらかというと悟り、悟りの境地とか悟りの状態の方が、まだその状態のことだから、概念というかね。