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スピーカー 2
若干その許容してるっていうのはあります。
なんか差別しちゃってますね、勝手に自分の中でね、イメージで。
でも生き物は生き物ですから。
スピーカー 1
今後はどう思ってるかなと思って。
スピーカー 2
今後は減っていくと思います。
だしとかもね、もうその動物性のだしは使わなくなってますし、
ちょっとずつ、徐々に減ってはきてると思いますけどね。
だから今後もそういうふうに少しずつ変わっていくんじゃないですか。
スピーカー 1
家は最近はなんかある?
前ほら、ぼくシーフードミックスもあんまりもう食べたくないかなみたいなことを話ちょっと言ったけど、
もう今多分買ってないでしょ?
買ってないしあんまり買うつもりもないでしょ?
そうね。
家ではある?今。
娘がね、食べる分は買ったりはしますけど。
例えば?
スピーカー 2
あの、ハムとか。
スピーカー 1
魚介の話してないよ。
今後自分たちの魚介は。
スピーカー 2
ツナっていうか、シーチキン、缶詰の。
スピーカー 1
あーそうね。
スピーカー 2
マグロかなよ。
スピーカー 1
そしたらもうぼくは家ではちょっとそれも、いやー食べたくないかなあんまり。
スピーカー 2
缶詰ね。
スピーカー 1
缶詰ってなったらまだなんか尚更ちょっと気が引けるところもあるし。
まあちょっとこれは別に収録員に載せて話すようなことでもないんですけど、
まあでもこうやってね、ちょこっとずつ進めてる感じですかね。
で、今日のお話なんですけど、
昨日面談した生徒さん、
今年の前半、春くらいからかな、来てる生徒さんですごく頑張ってる。
もともとね、アスタンガーが完全に初心者の方でしたけど、
すごく頑張ってるのももちろんそうなんだけど、
直接ね、練習が嫌だったりすることとかないですかっていうふうに質問したら、
全然なさそうだったじゃないですか。
で、まあ見るからにね、無理してる感じではなくて、
実際すごく楽しそうじゃないですか。
楽しんだなあと思って。
でも僕もそうだったけど、練習が苦しい人っていうか、
なかなかできない人、もううちの生徒さんでもやっぱりいるじゃないですか。
ついこの間もメッセージくれてる人なんかもいて、
その方はちょこっとバババッと頑張って、
でまた来れなくなっちゃって、またババッと頑張って来れなくてみたいな。
で、そういう時って、やっぱり自己嫌悪っていうか、
なんで自分はできないんだろうとかっていうふうに苦しんだりもすると思うんですよね。
同じことやってるのに、全然違うなと思って。
で、今の話でいうと、前者の生徒さんは楽しんでる生徒さんですね。
別に運動能力もそんなあるわけでもないじゃないですか。
だからアスタンガヨガとの向き合い方っていうか、
取り組み方、心の持ちようとかも含めたと思うんだけど、
それが違うだけなんだと思うんですよね、同じことやってるので。
何が違うのかなと思って。
みんな楽しいって思えたら、僕らもうれしいじゃないですか。
見てて、やっぱり思い悩んでる人見ると、なんとかしてあげたいなって思うので、
何が違うのかなと思います。
スピーカー 2
たまたまヨガがそんなに楽しめるものじゃないんじゃないですか。
それ言ったらあれですけど。
私だってヨガ以外のもの、例えばランニングとか言われたら、
いや、しないですね。
続かないですね。
きついし、嫌だって思うんですよね。
合う合わないってあると思うし、
スピーカー 1
それ言ったら、合わないってこと?
スピーカー 2
そういうきついことが合わない、きついことっていうか、
見いだせてないのかな、そのヨガが。
何のためにするのか。
スピーカー 1
何のためにするのか、わかってるかわかってないかじゃなくない?
純粋に楽しめてるか楽しめてないかの話で、
そこじゃないんだよね、テーマっていうか。
スピーカー 2
私自身があんまりヨガのアーサナの実践に対して、
なんか続かないとか嫌だとかきついとか、
また今日も練習だとかって思ったことがないから、
ちょっとわからないんですよね、正直。
その気持ちがね。
だからけん君の方がそれはよくわかってると思うから、
スピーカー 1
逆に聞きたいですね、何が違うのか。
何が違うのかね、そうね、何だろうね、
わかんないです、僕も。
何でそんな楽しいと思えるのかなって。
やっぱりきついこととか苦しいこと、僕は何でもそうですよ。
ランニングも続けてたけど、終わった時に気持ちがいいとかね、
そういうのはあるよ、もちろん、爽快感だとか。
あとはヨガで言えばできなかったことができるようになった時に嬉しいとか、
ランニングでも今まで走れなかった距離が走れるようになったとか、
今まで毎日走れなかったのが今月1ヶ月間ほぼ毎日走れたとかね、
そういう達成感やりがいっていうのはあるけども、
純粋に走ってて楽しいな、気持ちいいなっていう、
その瞬間もあるよ、瞬間的にはそれはあるけども、
でもやっぱりきついことやってるから、きついな、苦しいなっていう風に
思ってたし、その日始めようと思った時には、
やっぱり自分を奮い立たせるっていうか、
どうしよう、やりたくない、でもやらなきゃ、よし、頑張るかっていう感じでやってきたから、
何事においてもそうだよね。
だから、それを楽しめちゃう人、楽しめちゃうって言うと、
なんか乗り越えてるみたいな感じの言い方に聞こえるかもしれないけども、
きっとそうじゃないと思うんだよね。
そもそも、純粋に楽しいって思えちゃってる。
スピーカー 2
なんか私は、すごくやっぱり気持ちいい、気持ちよくて、
動き自体が単純に楽しかったり、
それがあるからだったと思うんですよね、最初から。
呼吸に合わせて動くとか、その呼吸をしている実感とか、
それがすごく心地よくて、
スピーカー 1
その心地よさのおかげで続いてたのかな、と思いますけどね。
今もそうですし。
なんか、始めたときのことを思い出せば、
その動きが、スタンガーが特に動き続ける感じ。
呼吸とともに、テンポをよくやればとてもリズミカルっていうか、
っていうようなね、動きの気持ちよさはあったし、
そこで僕もハマったっていうのはあるんですよ。
同じことをやるから、やっぱりその刺激ってなれますよね。
脳が楽しいって思ったことも同じことをやっていれば、
当然初期に思った感覚はやっぱり薄れていくわけで、
そうすると今度、きついとかつらいのほうが勝ってきちゃうっていうのがやっぱりあったんです。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
ただ、それでも続けてきたっていうのは、
僕の場合は必要だって思ったからなんですよね。
自分にとってこれが必要だっていうのもそうだし、
これが必要だっていうのは、ヨガ自体が自分に何をもたらすか。
まる子さんがさっき言った、何のためにやってるのかが分かっている。
分かってたからそのために続けなきゃって思ったりしたのと、
あともう一つは、やっぱり中途半端で後悔したことって今までの人生であるから、
この先熱中したりとか夢中になったり一生懸命できることがどれだけあるかなって思ったときに、
そう多くはないじゃない。
そうなったときにやっぱりやり遂げたいっていうか、後悔したくない。
やれるだけ自分が後でもっとやっとけばよかったなとか、
なんであの時できなかったんだろうっていうふうには思いたくないっていうのも動機にはなった。
続ける理由には十分になったっていうのはあるんですよね。
会う会わないっていうのがあるかもしれないですね。
会う会わないっていうか、性質ですよね。
この人のどういうふうに思うか。
スピーカー 2
そうね、そういう例えばきついものに対してきついけど楽しいとか、
きついを超える何かがあるのかないのか、そういうのによっても変わってきますよね。
だからきついからいいっていう人もいるだろうし。
スピーカー 1
まあそうね。ドMみたいな。
それもあるかもしれない。
スピーカー 2
ヘトヘトになって最後力が抜けるのが気持ちいいとかね。
スピーカー 1
大なり小なりみんなあるとは思うんですけどね。
まあでもその幅が結構あるんでしょうね。
今日最終的にただ言いたかったのは、言ってみれば向き不向きってあると思うし、
要はだから向いていない。
そういう同じことを淡々と継続していくっていうことが向いていない、
要するに苦手っていう人もいると思うし、
それはもうどうにもならないことだと思うんですよ。
だけどその人にとって必要かどうかっていうことは、
得意な人にとって必要ってわけでもないし、
苦手な人にとって不必要っていうことでもないっていうことと、
もう一つもっとそういう思い悩む人に伝えたいのは、
それは別にあなたのせいじゃないですよっていう話だと思うんですよ。
今だからどうにもならない、そういうもんだよねっていうふうに言ってる、
その原因って別にその人が作ったものじゃないじゃないですか。
思い込みとかね、そういうことはあり得るかもしれないんだけども、
でも生きてきた、これまで生きてきた環境で、
自然とそういうことができるような人になったのかもしれないし、
できない人になったのかもしれないし、
言ったらもう過去生からのカルマってことかもしれないしね。
そうね。
よく言われるのは、ヨガやってる人は過去生でもヨガをやってた人。
だからまたヨガと巡り合って、そうやって自分を成長させていくことができる。
そうなんて話しますけど、
もしかしたら、まりこさんみたいにとか、
昨日面談した生徒さんなんかは過去生でもヨガをやっていて、
ヨガの楽しさをもうわかってるのかもしれないし、
逆にそれがなかなかできない人っていうのは、
やっとヨガに根性でたどり着いて、
まだヨガの楽しみをまだまだ知らないっていうか、
これから知っていくタイミングなのかもしれない。
そう考えたら、もう別にだから、
今の自分にとってはできるできないっていうのは、
今の私、あなたのせいとか関係ないですよね。
まあ何でもそうですと思いますよ。
例えばイチローみたいな選手、
イチローがさ、よくほら、小学生の頃の作文とか、
昔、SNSとかでもあったりしてたけど、見たことあるでしょ?まりこさんもちろん。
作文?なんだっけ?
なんか僕は、小学校の頃書いてあるね、
中学生になったら、党首では道の効能で活躍して、
打率が何割以上になって、
公支援で道の効能して、その後プロ野球にドラフト1位で入団してみたいなさ、
スピーカー 2
具体的なね。
スピーカー 1
具体的かつ異業を成し遂げていく。
それ通りにやっちゃった。
それって、イチロー親はすごい人だし、素晴らしい人だと思いますよ。
だけどイチローのおかけじゃないじゃないですか、別に。
スピーカー 2
そうね。
スピーカー 1
もうそういう人として生まれてるわけではない。
だって小学生の頃にそんなこと言えるかって、努力とかじゃないじゃん。
決して親がそういうふうに育てようと思ったわけでもないだろうし、
そういうふうに育てようと思ったら、
逆にもっと子供が苦しんで失敗する可能性もあるだろうし。
だからその人が素晴らしい結果とかを出せるかどうかって、
もうその人の実力を超えてるわけじゃないですか。
だから結果が出せるのも結果が出せないのも、
もうなんていうか、その人の範疇を超えてるんですよね。
ヨガではね、よく行いは選べるけど結果は選べないって言いますけど、
結果って神様だけが知っているというか、神様が与えてくれるものだし、
実力とか才能とか素質っていうのもそうだと思うんですよね。
だからヨガはね、できるできないっていうのも、
そういう今のあなたの問題ではない。
だから苦しむ必要はないんですよね。
考えるのはいいと思う。
なんでできないんだろうって考えるのはいいけども、
でもなんでできないって、
なんでっていうのがあんまり理由ないと思うんですよね。
だからこうなりたい、ああなりたいって思うんだったら、
それに向けてできることはあると思うし、
でも今の自分にできることって限られてると思うんで、
それを続けていくしかないのかなって。
スピーカー 2
そうですね。目の前にあるものを見てっていう感じですかね。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
とりあえず目の前にあるものをやるのを積み重ねが、
結果、続いてきたみたいな感じになるのかな。
スピーカー 1
今話してて思ったけど、
なんでできないんだろうって思い悩むこと自体が、
できる人と比べてるからっていうのもあると思うんですよね。
例えば、3日坊主で続けませんでしたって言った時に、
いやいや、もうこのヨガめちゃめちゃ難しいから、
だいたいみんな3日も続かないんですよ。
もううちに来てる人ほとんど2日ぐらいでやめますよって言ったら、
じゃあ私できてるほうなんだって思うじゃないですか。
だから比較対象があるからね、そういう風に思ってしまうのかもしれないので、
それよりも今の自分ができることをやることで前に進んでいければ
それで十分かなって思いますね。
あとは前に何度も何度も話しましたけど、
やめなければ、どんだけお休み続いてもまた立ち上がって
進めばまたそこからスタートですからね。
自分を責めずに楽しめる日が来ると思って。
ちなみに僕はみんなに、ほんと僕も練習嫌だったって言うけど、
今は楽しめるようになりましたから、変わる日も来るんで。
スピーカー 2
よかったです。楽しめるようになって。