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スピーカー 2
皆さん、おはようございます。YOGA LIFE smsuun ヨガティーチャーのまりこです。
スピーカー 1
夫のけんすけです。
スピーカー 2
この番組では、明日を生きやすくするをテーマに、ヨガの学びを交えた、私たち夫婦のたんあいもないトークを、福岡の山小屋よりお届けしています。
スピーカー 1
Om Shanthi 明日を生きやすくするラジオ、オムラジ始まりました。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
スピーカー 1
この番組は、学びに情熱を、生き方にヨガを。YOGA LIFE smsuunの提供でお送りいたします。
本日は9月の9日火曜日、時刻はお昼の1時半ぐらいです。
まだ蒸し暑いですね。
スピーカー 2
そうですね。雨もね、結構、夕立というか。
スピーカー 1
9月入ってから雨多いね。
スピーカー 2
多いですね。
スピーカー 1
夏あんまり、今年ね、雨降んなかったけど、なんか9月入って、夏の終わりに梅雨みたいな感じでね、なんか毎日のようにじめじめしてて、
あんまり良くないですね。不快指数高いっていうか。
まあでも一気にね、涼しくなるんでしょうけどね。
僕はですね、また、背中の調子がちょっと良くなったかなと思ったら、また戻ってて。
とても辛いです。痛くて、練習もままならないし、何しててもなんか痛みは伴って、もう気になってね、握ってます。
ここまで1年間、あれかもしれない、今年一番ひどいかも。
もうね、残り3、4ヶ月ぐらいになりましたけど、まだこの後わかんないですけど、今ここまでの感じでいくと、結局痛めっぱなし、いろんなところ。
ちょっとこのまま、この感じでいくと、ちょっとまた少し考えないといけないかもしれないですね、自分の練習の仕方っていうか。
スピーカー 2
特に首とか背中、背骨に沿った部分を痛めた時っていうのは、やっぱり神経の流れが滞ることが多いので、
その気分がメイルっていうのは、物理的には、物理的にもこうでなるような現象なのかなと。
スピーカー 1
それもそうなのかもしれないし、常に痛みがあるっていうのは、どこの部位であっても、やっぱり気持ち的に嫌になっちゃうよね。
だから、動いてなければいいとか、何もしてなければ痛くないんだけどねっていう感じじゃないから、
一番嫌なのは、これはちょっとマシにはなったけど、寝るときでさえ痛んでるっていうね。
今度、睡眠に、その寝つきとかに関わってくるじゃないですか。
スピーカー 2
すごくよくわかりますよ。私も変頭痛持ちで、時々ずっと何日も頭痛が続くっていうことがよくあるので、
スピーカー 1
それのせいで寝れないとかもあるんで、その気持ちはすごくよくわかります。
たぶん、まりこさんの頭痛の方がひどいと思います。ひどいと思うし、慢性的っていうかさ。
だから、逆に言うと、その気持ちがちょっとわかったぐらいの感じかもしれないですね。
そりゃ、機嫌も悪くなるわみたいなね。
そうですよね。
僕は機嫌悪くなってないですよ。
スピーカー 1
今日のテーマなんですけど、ちょっと前にも話そうかなと思ったんですけど、
久しぶりに、まりこさんがスレッツで触れてたんで、肉食について話そうかなと思ってます。
この番組をずっと聞いていただいてる方は、我が家の肉食に関する歴史をご存知かと思うんですけど、
もともと、番組始めて今2年半ぐらい経ちますけど、そんなに気にせず、お肉は普通に食べてましたね、当初ね。
ただ、そもそも年齢もあるんで、脂っこいお肉はそんなに好んでなかったし、
もう焼き肉なんかね、全然行かない、行きたいともそんなに思わない感じでしたね。
家では、鶏肉と豚肉を、チョコという感じで、いつも食卓にあるっていうわけじゃなくて、
3日に1回ぐらいは、お肉が炒め物の中に出てくるかな、煮物の中に出てくるかな、みたいな程度の感じだったんじゃないかと思うんですけど、
だから、そんなに肉を好んではいなかった。
昔は、僕もそうでもなかったですよ。そんな感じだったんですね。
たぶん、この番組を始めて、わりと早い段階で、うちにいたにわとり、
まあ、いますなんて懐かしいですけどね、収録中にこうけこってよく言ってたんですけど、
にわとりをインドに行くときにね、自分たちの手で占めたんですね。
で、食べました。
普段はね、卵だけ食べてたんですけど、
僕はね、最初からにわとり飼ったときにはいずれ、それも経験のひとつっていうことで、
自分で占めて、さばいて食べるっていうことをしようと思っていたし、
漁をやってたんで、狩猟ですね。
獣を捕まえて、自分で占めて、解体して、お肉にして食べるっていうこともしてましたので、
なので、にわとりもそういうふうになったんですよね。
ただ、にわとりの場合は、やっぱり飼っていて、愛着がある対象だった。
狩猟の場合はね、飼ってるものじゃなくて、野生の動物を捕まえてってことになるので、
だいぶ違うなと思いつつ、その経験をして、
その経験をした結果、これ、久しぶりに貼っときましょうかね、そのときのエピソード。
にわとり占めて食べましたっていうエピソードあるんで、
僕もマリコさんも泣いているっていうね、とてつもない回なんですけど、
でも、非常にセンシティブではありますけど、とっても大事なことっていうか、そういう回なんで、
よかったら聞いてない人は聞いてみてください。貼っときますね。
うわっ、玄関前に座り込みやがった。
ヤギが玄関前を占拠してます。まあいいか。
で、そのときに、僕とマリコさんで全く同じだったかっていうと、
私たちも多少の差はいろいろ感じたことはあったんでしょうけど、
スピーカー 1
僕はなんかやっぱりお肉を食べるっていうことに、なんか抵抗が出たっていうよりも、
これはお肉を食べるってことは、すごく重たいというか、責任のあるというかね、
軽々しく食べるもんじゃないなっていうふうにやっぱり思ったんですよ。
だから、今の畜産業界のね、よくご存じの方もいるかもしれないですけど、
飼育の仕方というか、いわゆるアニマルウェルフェア、動物福祉、
動物の幸せをちゃんと考えて育てられたお肉ですか、みたいなところをすごく考えるようにもなったし、
だからそうではないお肉、もう言ってしまえばスーパーに売ってるような安いお肉なんかは全部そうだと思うんですけど、
動物にとっては非常に苦しい環境で育てられたお肉は食べたくないなって、そのとき思うようになったんですよね。
マリコさんは、そのときはどんな感じでしたか?
スピーカー 2
あのね、とにかくニワトリがね、死にたくないっていう感情を爆発させたのを目の当たりにしたというか、
スピーカー 1
それが、やっぱりそうだよなって思ったんですね。
スピーカー 2
だから、ごめんねっていう気持ちになりましたよね、その瞬間というかね。
スピーカー 1
あんまりニワトリ暴れたりとかギャーギャー騒いだりしてなかったと思うので、
たぶん自分が申し訳ないっていう気持ちが強かったんじゃないの?
スピーカー 2
私は抑えてたからね、体を動かないように。
そのときの力強さっていうか、もがく感じを手から感じたっていうかね。
スピーカー 1
それがやっぱりすごく残ってますね。
まあ、とりあえずそのあともお肉は一応食べてたじゃないですか。
食べてたというか、食べなくはならなかったと思うんですけど。
で、僕はそのあとから何がきっかけってことではないんですけど、
徐々に徐々にやっぱりお肉を食べることに後ろめたさみたいなものを感じるようになったんですよね。
だから、たぶんちょっともううろ覚えなんですけど、外ではもちろん僕は食べない。
自分から、たとえばお肉の入ってるものを注文したりみたいのはなるべくしないようにはしてたし、
家でも徐々に、特に自分が嫌だなって思う、何があって細かいことは置いといて、
ウインナーとかも嫌になったんですよ。
もうそういうのはもう僕は装わないでっていうふうに言うようになった気がするんですけど、
徐々にそういうふうに変わってった感じだったんですよね。
だから、食べながらも後ろめたさを感じつつ、その後ろめたさのせいで少しずつ減っていったっていう感じだったんですけど。
スピーカー 1
なんか、僕は、これはもう個人個人の意見なんで、別にマリコさんのことを否定するつもりもないし、僕は正しいってつもりもないんだけど、
全然そんな、理屈みたいなこと、ましてや、僕はエネルギーみたいな話って、どっちかっていうと苦手だから、
その肉にそういう負のエネルギーが、みたいなことは全くわからないっていうか、
なんかマリコさんよく、そのスレツにも返したけど、お肉を食べたくなって怒り、怒りっぽく、怒りがなくなったみたいなことを書いてあったけど、
そんなことは、僕はあんまり考えてないし、信じてもいないっていうか、その因果関係はもうわかんないって思ってるんだけど、
でもそんなことよりも、さっきマリコさんが言ったように、やっぱり相手が、それが動物であっても虫であっても、
命を奪うっていう行為、それをしていいっていうことは一つもないと思うんですよ。
でもまあ、僕ら人間生きてれば、生き物たくさん殺すじゃないですか。
それはわざとじゃなくても、何かの命の上に自分たちの命が成り立っていたりとかっていうことはね、ありますよね。
恋でしてることもたくさんあると思うし、恋でしてるけどもその実感がない、その事実をわかっていないというか、こともたくさんあると思うんですよ。
自分の選択とか、その事実がわかっているもので、チョイスができるものに関してはやっぱりすべきじゃないなって僕は思ったし、
それをすべきじゃないって思っていることをすると、やっぱり自分が苦しいですよね。
これはよくね、ベイダーベイダーアンタの勉強会とかでも先生から聞く話ですけど、やっぱり市内にこうしたことがないよねって思う人多いと思うんですよ。
動物を殺してるわけですから、例えばワンちゃんとか猫ちゃん飼ってる人たちたくさんいると思うんですけど、
牛と豚と鳥を殺していいのに犬と猫を殺したらダメとかってないじゃないですか。
ってことはですよ、できれば市内にこうしたことはないよねっていう前提があるわけですよ。
だけど食べるために、自分の手では殺してなくてもそこに賛同している。
で、なぜ賛同しないように、要するにそこから手を引けないかっていうと、やっぱり食べたいからっていう。
じゃあなんで食べたいのっていうと、おいしいからとか。
さっきまる子さん、栄養的にみたいなこと言ったけども、栄養って別に多分どうにでもなると思うんですよね。
そのお肉で取れない栄養素のことだけで言えば。
だから結局食べたいからっていう自分の欲求なんだと思うんですよね。
で、どうにかなる、自分がどうにかコントロールできる範囲のことができないと、やっぱり自分が自分のことを認めてあげられないっていうか、自分が自分にくつろげることができないとか言いますけど、もっと言うと自分で自分にOKが出せない。
だからつまりは、自分はそういうふうに思ってるんだけど、結局できない人間なんだよね。
自分なんて、所詮俺なんて、所詮人間なんてっていうふうになってしまう。
スピーカー 2
ずっとそんな感じでしたね。
だから自分をどっかでせめてた。
スピーカー 1
せめてたと思うし、やっぱり自分を低く見てるというか、自分に尊厳がない状態ですよね。
自己尊厳がない、足りてない。
で、僕はそれがやっぱり自分の良くないところだって思ったんで、変えようって思った。
あとはもう単純にね、やっぱり動物と暮らしてるし、ニワトリを自分の手でね、占めたっていう経験も含めて、それがさっきも言った、そういう認識があるかないかっていうと、僕らは認識があるんですよね。
例えば、そうだな。だからもっと間接的に他者の命を奪ってしまっていることになっていることってたくさんあると思うんですよ。
スピーカー 1
そうだな。
まぁ、あの、もうね、植物でもいいですよ。
木の製品使おうと思ったら木を切り倒してるわけじゃないですか。
それはまた一つの命を奪っていることでもあると思うんですよ。
だけど実感ないじゃないですか。木は喋らないし、木は苦しまないし、この話すると木も苦しんでいるんですよみたいなことを言い出す人いるんで、それ僕はわかんないです。苦しんでいるのかもしれないですけど、苦しんでいることが見た目に見えないじゃないですか。
だから実感もないじゃないですか。
でも動物を殺めることになったら、やっぱりさっきマリコさんが言ったように、苦しんだりとか血が出たりとか、虫を捕まえようとしたら逃げるじゃないですか。
殺されたくないからじゃないですか。
そういう実感があるもの。だからやっぱりそういうふうに思ったっていうことで。
今日話してるこれね、これ話すとやっぱり気分良くない人もたくさんいると思うんですよ。
ほとんどの人がお肉食べてると思うんで、決してそういう人たちにお肉を食べるのやめた方がいいよって僕は言いたいわけじゃないし。
ただ、なんでその実感がないのかっていうと、やっぱり流通の仕方とか、お肉がスーパーのバッグに入って並んでたらもうわかんないじゃないですか。
虎殺場ってあって、その家畜を殺す現場があるわけですよ。それに全く影すらないじゃないですか。
だからわからない。わからないってことは、その矛盾だったりとか、その苦しみを感じないわけですよ。
だからさっき言ったような、自分の尊厳にあんまり関連してないんですよね、たぶん。
僕らもそうだったし。だからそういうつもりはないんですけど、ちょっと話長くなりましたけど、僕らは今そういう感覚。
マリコさんと、僕が言ったことはね、マリコさんはたぶん同意だと思うんですけど、僕はそのエネルギーみたいな話が出てくると、それはちょっとよく言ってることはわかるけどね、その感覚はあんまりないって話になっちゃうんだけど。
スピーカー 2
その理由を言う理由の一つとしては、誰も責めない理由じゃないですか。
スピーカー 1
そういうことね。
だからたぶんそういうふうに言ってくれてるんだと思うんですよね、その人がね。
でもそれだとピンとこないっていう人もたくさんいると思うよ。
スピーカー 2
実践者だから、私はね。
スピーカー 1
責めてるんじゃないからね、その、責めてるんじゃなくて、でもやっぱり現実は知ったほうがいいだろうなっていう。
スピーカー 2
そうだよね。やっぱ、無知は最大の罪じゃないけど、知らないことが。
スピーカー 1
そうね、それと目を伏せているっていう現実もあるからね。
目を伏せているっていう現実もあるし、そもそもさっき言ったように、それが普通、都会に暮らしてたら見えないっていうのも事実なんだけどね。
だから、たとえばね、昔こんな話をごはみそのね、きょんちゃんも肉食の話とかしてたんだけど、きょんちゃんはこういうこと、こういう話、一切しないでね。
私は動物と仲良く暮らしたいからって、もうその一言だけにしたら、素晴らしいなと思うよ。
誰も責めない言い方っていうか。
だけどね、僕はそういう言い方、やっぱりできないな。
スピーカー 2
まあ、いいんじゃないですか。誰かが言わないとわかんないことだから。
スピーカー 1
そうそうそう。だから、それを知って、もし仮にね、だからSNSとかでもね、最近はあんま見ないけど、ビーガンの人とそれを責める。
ビーガンも過激な人がいるからね、あれだけど、その論争みたいのがあるじゃないですか、過激な。
別にどっちがいいとか悪いとかじゃないんだけど、ビーガンの人を責める人って、自分が責められてる気持ちになってるなと思うんですよ。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
責められること、は?責められることじゃないじゃんって思うなら、腹も立たないと思う。何言ってんの?で終わると思う。
スピーカー 1
だけど、動物愛護っていう観点から見て、その人たちにも動物っていうものに対する愛情とかそういう感覚があるからこそ、そこを認めたくない。
それとこれとは別でしょって言いたいってことになるんだと思うんですよね。
だから、今これを聞いてすごくもし嫌な気分になっちゃった人がいるとすれば、そういうふうにやっぱりどこか心の片隅でそういう気持ちがある人なんじゃないかと僕は思うんですよ。
だからそういう人は、ミートフリーマンデーとかね、前も話したことありますけど、今日はお肉は食べない日みたいのを実践したらいいんじゃないかなって。
で、別にそれ以上にならなくてもいいと思うし。
ただやっぱり、そこにもう一言ではっきり言ってしまえば、動物の犠牲があるってことですよね。
それは植物とはやっぱり違うと思いますよ。僕ら植物じゃないから。同じ動物なんで。
だから、そこを感謝の意味を込めて、1日食べない日がある。週に2日食べない日がある。でもなんでもいいんだけども、そこと向き合う日というかがあってもいいんじゃないかなって。
それは自分の、それこそね、心の浄化っていうかにもつながると思いますし。
でも、こないだ実家帰ったときにね、あんまりお肉食べずに済みましたね。
スピーカー 2
そうですね。他のものも準備してくれてたんで。
スピーカー 1
そうそう。もともと、実家帰ったらね、お肉たくさん用意してくれるんだけど、去年ぐらいまではね、出されたものは相手にもよるんだけども、実家では出されたものはなるべく食べるようにしてたんで、
お肉も食べてたんですけど、でも僕らもどんどん、より一層お肉は避けるようになって、今は極力食べないっていう風になってるから、
今年はね、お母さんに、それが娘がね、ちょうど話してたのもあったみたいで、少し気遣ってくれたみたいで。
いろいろ準備してくれてたって。
そうそう。餃子とかね、お肉はあったけども、でもそれ以外のもの、食べれるものをたくさん用意してくれてたから、
それを中心に食べて、ほとんど、ちょこっと僕、何か食べた気がするけど、お肉ね、ほとんど食べずに済んだというか。
スピーカー 2
本当に適量でおいしくごちそうさまあってできるぐらいの感じで。
スピーカー 1
そうそう、量もね、程よくて。ご飯はおいしいから、量が程よければ、もう満足の以外の何も、何ものでもないっていうか。
スピーカー 2
ありがとうございます。聞いてくださって。
スピーカー 1
聞いてくれてる可能性は高いので、ごちそうさまでした。
スピーカー 2
お母さんありがとうございます。
スピーカー 1
なので、そういう不都合もたくさんあるんで、それぞれができる範囲でそういったことを考えてたらいいのかなって思いますね。
というわけで、今日は久しぶりに肉食についてお話をしてみました。
もしかしたらちょっと嫌な気分になった人もいるかもしれないですけど、決してね、責めるつもりもないですし、責めることでもないですし、
心地よく生きていくために、僕らはそういうチョイスをしてますっていうことが伝わったらなと思ってお話ししてみました。