-
-
スピーカー 2
みなさん、おはようございます。YOGA LIFE smsuun ヨガティーチャーの有子です。
スピーカー 1
おっとのけんすけです。
スピーカー 2
この番組では、ヨガで明日を生きやすくするをテーマに、ヨガの学びを交えた、私たち夫婦の単愛もないトークを、福岡の山小屋よりお届けしています。
スピーカー 1
はい、Om Shanthi 明日を生きやすくするラジオ、間違えた。
Om Shanthi ヨガで生きやすくするラジオ、オブラジオ始まりました。
スピーカー 2
はい、よろしくお願いします。
スピーカー 1
はい、よろしくお願いします。この番組は学びに情熱を、生き方にヨガを。
YOGA LIFE smsuunの提供でお送りいたします。
本日は9月の30日火曜日。時刻はお昼過ぎです。
先日、うちはテレビが突然壊れまして。
スピーカー 2
そうね。
スピーカー 1
電源が入らなくなったんで、買い替えましたね。
で、テレビねえんじゃねえの?って思った人いると思うんですけど、テレビという機械はあるんですね。
うちは地上波がつながってないので、テレビでいわゆるアマプラとか、ネットフリックスとか、そういう配信系のものを見るための画面に使っているというか、という感じ。
ネット配信用ですかね。
に使っているんですけど、そのテレビが壊れまして、買い替えたんですけど。
で、もう地上波のチューナーいらねえんだけどなって思いながらテレビ探してみたんですけど、安いのを。
そしたらありましたね。チューナーがないやつがね。
だから、前だったらチューナーないと、いわゆるモニター?パソコンのモニターみたいな感じかなと思ってたんですけど、一応テレビという扱いの液晶のね。
うちはもうあんまり大きいのいらないんで、今までも40型で、今回も40型買ったんですけど。
そう、そのサイズでね。テレビがもう見れない。アンテナ繋いでも見れない。
アンテナ繋ぐ場所がないってことなんですけど、やつにしまして。
そしたらね、やっぱりちょっと軽くなりましたね、テレビがね。
で、Googleテレビっていう、GoogleテレビっていういわゆるOS?みたいなのが入ってる感じだと思うんですけど、普通にネット中心に使うという感じで。
で、これでますます地上波と語弁がなくなったっていう感じではあるんですけど。
なんか、もともとさ、地上波なんで見なくなったのって話になるとさ、
まあ、たぶん僕が先にこれを言い出したんだと思うんだけど、まあとにかくそのくだらないからっていうのもそうだし、やっぱりスポンサーがいて、
で、まあその情報自体偏っていたりとか、番組もそのスポンサー都合のものだったりとかね。
まあそんなこと言いながらもとにかくくだらないっていうふうに僕は思ってたんですよね。
特にバラエティ番組とかね、あとはワイドショー的な情報番組とかもそうなんですけど、と思ってやめたんですよ。
で、テレビがあると結構ついつけちゃうじゃないですか。で、つけっぱなしにするじゃないですか。
で、そうするといらぬ情報とか、しかもさっき言ったように偏った情報とかを垂れ流しでその情報のシャワーみたいなのを浴びるっていうのは本当に嫌で、
嫌なのにもかかわらずついつけちゃうみたいなね、っていうのがあったので、もうこれはもうなしにしようっていう感じで、今のね、移住してきてからなくしたのでしたよね、確かに。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
そう、と思うんですけど。
まあでももうネットがあまりにも進化しすぎて、あんまり変わんなくなってきましたね、最近。
そうね。
なんかね、僕ね、テレビを辞めるときに今言ったこと以外に思ってたのが、なんか自分が見たいものを見れないのもすごく嫌だったんですよ。
で、見たいものが見れないということよりも、その見たくないものなのについ見てしまう。
それは別に情報が偏っているのか偏ってないにかかわらず、興味のないものも興味があるのかないのかわからない。
だからそれを自分で選べる。
例えばYouTubeだったら選べるじゃないですかって当時思ってたんですよ。
自分が興味あるものを見る。
だからいらぬ情報を得る必要がないって思ったんですけど、でももうネットでも一緒ですね。
スピーカー 2
一緒ですね。
ね。
スピーカー 1
次から次にいろんな。
そう。レコメンド機能っていうのはかなり対等して、おすすめっていうのは勝手に出てきますからね。
おすすめだから自分たちが見ているものに基づいてやったりもするけども、当然それが全てじゃないし、ついそのいわゆるサムネイルとかが目を引くものだったらついタップしてしまって、
そしたらもう今度そのタップに基づいてまたおすすめがレコメンドされていくんで、もう全然そういう自分が欲しいものが見れるっていうところからやっぱり誰かの意図の中で操られてるというか、そういう状態にもうなってるからね。
難しいですね。
そうね。
だから結局、まあこれは当たり前の話ではあるんだけど、メディアっていうものは当然そのスポンサーなり、それを発信している側、作ってる側の意図というか目的、目論みがあるから、やっぱり受け手自体がどんなメディアであってもその受け取り方、メディアから発せられる情報の受け取り方っていうことを気をつけないと、
どんなメディアでも同じように。
特にそういう意味で言うとインターネットの方がひどいかもしれないね。
もっとそうなっていくかもしれないね。
テレビで僕がこれはもうひどいなって思った以上にひどくなり。
スピーカー 2
だって一般の人もできるわけだからね。
情報量はもっと多い。
スピーカー 1
多いし、一般の人ができるのはそれは僕はいいことだと思うんですよ。
やっぱりある一定の権力しか持っていない人しか発信ができないことよりも、僕は逆に一般の人、芸能人にそんなに興味ないですから、一般の人が発信している内容の方がリアリティがあったりとか興味があったりもするんですけど、
でも丸子さんが言ってるのは多分不確かな情報とかも多くなるっていう意味を含めて言ってるなと思うんですけど。
スピーカー 2
それとそれプラス単純に情報量が。
スピーカー 1
だからもう情報が、情報戦国時代だね。
受けて次第本当にどうにでもなっちゃう。
洗脳されることもできるし、誤解することもできるし、妄信することもできるし。
でもうまく使えれば本当にこんな便利なものはないんで、上手に扱いたいですね。
ここまで話してまだ本題に入ってなかったんですけど、
次の本題なんですけど、先週末僕はいつもの自分の趣味というか活動の一環でトレイルランニングの大会のお手伝いに行ってたんですけど、
そこで出会った方、その方もお手伝いしてる方だったんですけど、トレイルランニングとかアウトドア関係のショップをやってる方、お店をやってる方だったんですけど、
その方とちょっと話してて、僕は今もうトレイルランニングやってないんですっていう話を、自分自体が競技を。
こういうお手伝いとか裏方のことが楽しいんで好きなんでやってるんですっていう話をしてて。
今何してるんですかみたいな話をしてて、それは仕事の話とかも含めてね。
ヨガやってますって話をしたんですよね。
そしたらね、なるほどねって言って、ヨガやってたらそういう競争とか競技みたいなことに興味なくなるでしょうみたいなことを言われたんですよね。
ある意味最もなことじゃないですか。
やっぱり他人と比較したり競争したりするっていうことを悪としているというわけではなくて、そういうことに重きを置かない。
誰とも比較されたりとか比べたりもしようのないあるがままの自分っていうものを見つめていくことがヨガでもあるし。
だから僕はその人によくご存知ですねっていう話をしたんだけども。
でもそれと同時にふと思ったのが、もうここからその人の話は関係ないからね。
そういうイメージすらない人の方が多いとは思うんだけど、ヨガがただの運動とかスポーツだとかエクササイズと思っている人が最も多いと思うので。
ちょっと何となく何かを見聞きして知ってる人はそういうヨガの精神性について知ってる人もいると思うんだけど。
そういう人が思っているのは、ヨガをやっていたらとか自然とそういう感じになっていくって思ってる人も結構多いんだろうなって思ったんだけど。
全然自然になんてならないよねっていう話を今日したかったんですよ。
つまりその方がどういう経緯でそういうことを見聞きしたのかわからないけども。
当然ヨガのアーサナ、ヨガのアーサナプラクティスとかをやっていてもそんな話は関係ないじゃないですか。
基本的には体を動かしているだけなわけですから。
まあだけじゃないんだけども、アーサナプラクティスで一番クローズアップされるところはやっぱりポーズそのものだからね。
例えば内観するとかスピリチュアルな部分を考えても別に競争意識がなくなるみたいなところに別にたどり着かないじゃないですか。
それそのもの自体は。
だってよくあることですけど、例えば自分ができないポーズができる人がいるわけで、そしたらその人に追いつきたいとか、その人よりもできるようになりたいとか。
いわゆる比較とか競争っていうような言葉が出てくるような場面にはいくらでも直面するわけで。
だからヨガやってても、僕が今言ってるヨガっていうのはアーサナヨガのことね。
やってても自然にはそうならないよねっていうのは一つ。
で次の段階として多分ヨガ哲学とかそのあたりの入り口になっているアーサナヨガをやってる人がそっちの哲学とかそういうスピリチュアルなことにもっと入っていく。
第一歩となるのは山に山とかそういったところになると思うんだけど、そういったところで初めて、
例えばアヒムサでも自分を傷つけないとかね、そういう話になってくると人と比較することで自分を苦しめたりとかみたいなところでそういった意識も少しずつ生まれてくるかもしれないし、
ヨガ自体比べるものじゃないですよとかっていうような話を先生から聞いたりとかして、
競争っていうもの自体がなんとなく良くないものみたいな印象を持っていくと思うんですよ。
でも印象を持っていたとしても、印象を持つことが正しいかどうかは別としてね、持っていても自分自身のそういう意識がなくなるかどうかっていう話とだいぶ違うじゃないですか。
だからヨガやっててもやっぱり僕もそういう面は今もあるし、昔はもっとあったけども、あの人みたいにこういうふうになりたいみたいな、競争意識とちょっと違うかもしれないけども、手放せないものがあったりするわけですよね。
そう考えた時に、どうやってそういうふうになっていくと思いますかっていう話。
スピーカー 1
そういった競争意識がないとかだけではなくて、何事とも争わないっていう考え。
その軸のようなものが自分の中でしっかりとどうやって育っていくのかなっていう。
僕なりの考えもあるんだけど、まりこさんどう思いますかっていう、その話を今日したかったんだけど。
スピーカー 2
まずその競技というものに対しては、そのやる人の気持ちっていうか、すごく楽しんでいたりとか、過去の自分に挑戦、何て言うんだろう。
過去の自分を乗り越える挑戦とか、自分が成長していくための壁というか、そういう意味合いで競技に参加して、すごく楽しんでいらっしゃる方もいらっしゃるじゃないですか、たくさん。
で、同時にヨガもやっていてっていう方もいらっしゃると思うんですね。
だから、それだけを聞くと、別にあまり関係ないのかなと思って。ヨガと競技をやること。ヨガやってるから競技に興味がなくなるとかっていうことは、そういう人もいるかもしれないけど、必ずしもなることはないかなと思っていて。
で、ヨガをしていて、もう競争するのやめたとか、もうやだって思う人は、競争することによって自分の心の中にネガティブな感情がすごく強く出てくる人だと思うんですよ。
スピーカー 1
まあ、そりゃそうだよね。
スピーカー 2
だから、それが嫌だから、そういうのが出てくる競争はもうしたくない、やーめたってなるのかなって思うんだよね。
だから、その人の心が、その競争に対してどうなっているかによって変わるものかなと思います。
スピーカー 1
まあ、今、まりこさんが言ったのはさ、だから前者はもはや競争じゃないと思うんだよね。
誰とも競争していないっていう前提。
まあ、ただ自分自身、もしかしたら過去の自分とかと競争してるのかもしれないけど、だからあくまでもその向いてる方向が内側の人なんじゃないかと思うんだよね。
で、後者の場合はやっぱり外、外側との比較、競争。
誰かと競争しているっていうこと。
スピーカー 2
そうね。
スピーカー 1
だから、もしトップアスリートでもだよ、その一番になること、誰かよりも自分が優れているっていうことに重きを置いている。
だから、オリンピックで金メダルを取るっていうのも、誰かよりも自分が優れていることで金メダル、自分が一番だって目指すことでやってる人、たくさんいると思うんだけど、絶対苦しいと思うんだよね。
そうだよね、苦しいよね。
苦しみを乗り越えて、その金メダルを取れることは全然あると思うけども、それは素晴らしい努力の結晶だとは思うけど、まあ苦しみしかないよね、やっぱりね、そこにね。
取ったからなんなんだって結局なると思うよ。
もてはやされると思うけど、じゃあもてはやされてなんなんだってなっちゃう。
スピーカー 2
そうね。
スピーカー 1
だけど、もちろんその金メダルを取ってる人の中でも、やっぱり自分と向き合って、自分の中でいろんなことを乗り越えていくとか、自己実現みたいなところにフォーカスできてる人は、やっぱりより楽しめるっていうのがあるのかもしれないね。
スピーカー 2
むしろなんかその競技、そういう人の場合はそれがヨガ的な効力を持っているというかね。
スピーカー 1
そうね、それはそうかもしれない。
そう感じるよね。
結構昔から言ってると思うんだけど、ヨガじゃなくてもなんでも同じことができると思うっていう風に言ってるんだけども。
だけど、それについては体を使って自分と向き合う、精神性を高めていくというかっていう部分についてはそうだけども、ヨガについては学び、別のベーダー、ベーダンターとかもそうだし、知識っていう部分の学びがあるからね。
スピーカー 2
そうね、より緻密だもんね、ヨガの場合は。
スピーカー 1
そうだね。
細かい。
そこを学ぶことによって競争するっていうことを他者と競争していくっていうことの無駄な部分っていうか不要な部分っていうことは理解して、そこに重きを置かなくなるってことはあるだろうなって思うし。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
逆に言うと、だから結局さっきの話に戻るんだけども、そういうことの学びに入らない限りはなくならないだろうなって思うんですよね。
そうね。
僕は今、田口先生のところでね、聖典の学びを教わっているけども、そういう形で理解して変わっていくこともあるだろうし、それ以外にも別の、僕は先生からそういったことを教わったことはないので分からないけども、アプローチの仕方もあるかもしれないし、それは分からないけど、
ただ、朝のプラクティスやってます、自分と日々向き合ってます、心身鍛えてます、ヨガ哲学もたまに勉強したりしてますっていうぐらいじゃなかなかそういうことは、もともとそういう苦しみがある人はね、そんなものなく最初からそんなことに苦しまない人もたくさんいるから、やらないと無理だろうなって思ったんですよね。
だからそうじゃない限りは、ちょっと山に山ってこういうものですよって聞いたぐらいじゃ何も変わらない。何も変わらないは言い過ぎかもしれないけども、知ってるだけみたいな。自分の中に落とし込んで、自分のものになっていくっていうことにならないなと思って。
もう一つ思ったのはそうだ。その時にも思ったんだけど、そういう競技、真里子さんが言った話とも一緒ですよね。競技やってる人でも、トレーラーやってる人でも、全然そんなの気にしてなくてめちゃめちゃ楽しんでる人たくさんいるんですよ。
だからそう考えると、もしかしたらその話した方、その方もそういう競技的な思考で、嫌というか苦しみがあるのかもしれないね、そういうこと言うぐらいだから。もともとそれがない人だったら、そんなこと気にしてないよね、そもそもね。
その人の話、それを言われて、ふといろいろ思いを巡らせて、真里子さんだったらどう思うかなと思って、今日はちょっと話を聞いてみました。