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2025-11-06 23:08

応援できる人は、自分も充実しているマインドがあるのでは?

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サマリー

今回のエピソードでは、アイデアコンテストの入賞に関するSNS投稿を通じて、他者を応援することの心理的背景が掘り下げられています。特に、自己充実感や周囲の成功に対する反応がメンタルに与える影響について考察されています。このエピソードでは、他者を応援するためにはまず自分自身が充実したマインドを持つことが重要であるというテーマが語られ、努力する人が報われない社会や応援することの意義についても深く掘り下げられています。

SNSでの反応とメンタル
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。よろしくお願いします。
今回ですね、先回ですね、アイデアコンテストを優秀賞受賞ということで、その関連の話になってしまうんですが、これですね、SNSに投稿しまして、珍しくね。
そうしたらですね、もちろん知っている人なんですが、久しぶりの方からも、すごいですねとコメントいただきまして、ありがたがったですね。で、なんか不思議だなと思ったのが、
要は知っている人が、めでたいというか、いいことがあったっていうことじゃないですか。一応その入賞っていうことが。そういう時に、褒めれるというか、いいねって言えるかどうかって結構大事じゃないですか。
これなんか思うんですけど、深掘りすると、自分が上手くいっていない時とかに、誰かのこといいねって言いたくないとかってないですか。
とか、褒めたいんだけど、それが逆にプレッシャーになって、いいっすねって言えなかったり、ライバル意識みたいなのがあるかどうかわからないんですけど、そうやって上手くいっている人を見ると、嫉妬みたいな発想をして、いいねと言えなくなるとかね。
なんか色々ありそうだと僕は思ってるんですけど、リスナーのあなたはどう思いますか。で、知っている人が上手いこと言ってたらね、全員を別に褒めろとかそういうことじゃないんですけど、知っている人が、そこそこ知っている近い人ですよね。
が、何かやった時に、いいことを言えるかどうかってやつですよね。確かにこれはありませんかって言うのは、僕自身もそういうことを感じることもありますってことなんですよね。
つまり自分のメンタルとか状況っていうのが、上手くいっている上手くいっていないっていうのは客観的に見てどうかわかんないんですけど、主観的にどうかみたいなのもあって、そういう時に上手くいっている人を見ていいよねって正直言えない時もありますよね。
で、そういう時って無理に言わなくていいんで、休んだりね、自分のペースを整えていくしかないかなと思ったりします。今回はですね、そういう誰かが知っている人がいいよねっていう時に、褒めるっていうのはちょっとおかしいんですけど、いいねって言えるかどうか、そのあたりは少しだけ話していければいいかなと思います。
マインドセットというかメンタルな話としては。興味があれば引き続き聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、しごくりラジオおかしです。今回テーマはですね、アイデアコンテストの入賞ということをSNSで投稿したら結構いろんな方ですね、最近全然やるとしてない人ですよね、かなり長い方もいらっしゃるんですけど、素朴にいいねってすごいねとコメントをいただきまして、ありがたいなと思った次第です。
この話から得られるというかですね、一回繋がったりとかいうやり取りしたことがある方が多いんですけど、そうやってコメントをいただけるということはね、全然知らない人はコメントないと思いますし、逆に怖いからねそういうのね。
ラジオ聞いてるとかそういう人は別ですけどね、知らない人から言わないSNS聞いてるのはちょっと怖いですけど、まあでも知ってたらね、知ってますっていう人がいたらありがたいと思いつつも、まあまあまあ。
で、そういうところで、これってコメントをするっていうのは意外で、僕自身も別にそんなに出してないんですけど、出したところで、別に何なんだろうな、良くない人だと自慢かよみたいなね、ありそうじゃないですか、なんだよみたいなね、ありそうですよ本当に。
で、別に僕とね、直接知ってる人はそんな人じゃないってことなんですけど、とはいえそういう人でも、なんか別にね、いいんだ、いいなっていうふうにそういう結果を出してるわけじゃないですか一応ね、入賞っていうね。
別にそれがすごい、それでなんかね、それがやれるからなんかそれでご飯が食べれるとかそういうことではないと思いますけど、なんかそういう結果を出してることが羨ましいとかね。
まあ何でもいいんですけど、そういうふうに思われて、なんだよっていう人もいると思うんですよね。
知らないですよ、本当にいるかは。でもそれを見たときに純粋にいいねっていうね、言わない人がダメとかいうことじゃなくて、そういう状況があって、これ自分としてもそうで、なんか友人とかがなんかいいね、いいことやってるなっていうときに応援したいじゃないですか。
っていうのがなくなるとか、もしくはなんか違うなって思ったら、別に言わなくてもいいし、やらなくてもいいと思うんですよ。それはのちかしい人だからこそかもしれないですけど。
他者への影響と成長
そういうのはあるなと思いながらも、コメントをいただけたことが純粋に嬉しいなという素朴に思いました。逆に自分もそういうときに純粋に褒めるというかね、いいねって言ってるかどうかっていうのは反省ではないんですけどね。
僕としては素朴にやってるよってことを言ってて、結局なんだかんだ言ってやってるので、アイディアを出す考えでやってるんで、形にしていくってことにどんどんチャレンジしちゃいかなきゃいけないって言ってるんで、していくんです。
そこですよね。そうしていくってところで、さまざまな課題、壁、できるできない、熱量っていうのも変ですけど、やる気じゃないですけど、そういうのもあったりするんで、なかなか大変ではあるとは思いますけど、負荷をかけていかないとただ成長はないかなと思ったりするんで。
そのあたりは別に楽しんでいこうかなっていうところでした。いいよねって言い上げているような状況とか、そういうメンタルとか気持ちがあるときは、それでいいんじゃないかなと思ったりします。特に何も検証せずにいいよね、いいよね、もっとやっていこうみたいな。
だけどこれがですね、スパイラルというか循環としてですね、悪循環みたいな方に入ると、悪い分ばっかり目についたりして、人もそうだけど自分の方もですよね。なんかうまくいってない方ばかりは目についてしまって、それで空回りというかね、なってしまうということもよくあるんじゃないかなと思ったりします。
どうでしょうね、リスナーのあなたはどうでしょうか、そういう立ち回りみたいなものとかどうしていくのかというところが非常にポイントだと思うんですけど。
そのあたりが、別にないですよ、こうすればいいってことはないんですけど、少なくとも自分含めて周りの人が何かやったときにいいねって言えるような状況、もしくは状態っていうのが大事なんじゃないかなと思っています。
くどいというか繰り返しになるんですけど、それを自分がやられているかどうかですね。
思ったのは人のイメージってそんなに変わらないんだろうなっていうことも言いますね、改めて。
わかんないんですけど、僕がどう見られているかわかんないんですけど、とりあえず仕掛けて何かやるという役割というか認識をいただいているんじゃないかなと思います。
とりあえず、現状維持でいいじゃないですかとか、そんな何かもうやらなくていいじゃないですかみたいなね。
言っているときって多分ちょっと調子悪いか、あんまり頭回っていないときだと思うんで、これを取ったら僕もおしまいかなという感じもしました。
AIとかあるじゃないですか、散々言いましたけどAIがどうだと言ってましたけど、まあまあいいんだけど考えようよみたいなね。
自分で考えるの面白くないっていうところがつまらないみたいになっていったら嫌だなって僕に思いますよね。
自分考えなくてもいいぐらいの何かがあっているっていうのは多分僕は勘違いだなと思っているんですよね。
あと自分がこれをやっとけばいいみたいなふうに特化してやりきれるほど人って考えるのかというと、
そんな上手く自分がいいところだけ上手く使うっていうことはそんなにできないんじゃないかなと思います。
わかりますよ言っていることって。
例えばちょっと違うんですけど、山とかあるじゃないですか。
山があってその森林とかを木を伐採、間伐じゃないですけど切ったりしてそれでまた生えてくるというところで、
でも全部は切らないよねとか、自分だけがいいふうにするみたいなことって多分あんまりないんじゃないかなと思って、
それを誰かに売るとか何かのために役立てるようにするってことは誰かのためになっているじゃないですか。
で自分もそのために何かやったりすると。
だからその自分だけがいいっすねっていう、自分だけがいいっていう感覚っていうんですか。
もっと言えば自分さえ良ければいいじゃないですか。
自己中心的ってやつですけど。
それだと確かに自分でやってくださいとか、私がっていう話だけどそこからスタートしてもいいと思いますよ自分がいいふうにしたい。
でも自分がいいふうにしたいっていうのって、それでは人動かないですよねっていうのは当時に僕は思っちゃうんで、それはないですよね。
それこそ自分の自慢話を聞いてくださいと、そんな話聞きたくないですよねっていう。
ポッドキャストでも普段の会話でもいいんで、自分が何かやってるんで話を聞いてくださいじゃないけど。
いやっすよね。
自分のために何かやってくださいみたいな。
それが仕事でお金がもらえるからっていうので、やってる方いらっしゃるかもしれませんが、多分それだけだとちょっとしんどいですよね。
なりませんよ先に。
それだけを積み重ねていったら、なんかこれやってるけどなんだろうねってなるんだと思うんですよね。
考えたらねって感じです。
そこをあんまり考えずにこういうのだよねって割り切ったら意外にいけるかもしれないですけど、
なんか僕からするとそれってすごくたくわいじゃないや、なんていうんですか。
塵が積もってものすごい固いなんて岩盤になっちゃって、世の中ってそういうものだよねって決めつけたりしておりません?
わかります?言いたいこと。
例えば自分がやりたい夢とかやっていきたいことがあるんだけど、そういうのは叶わないよねみたいな前提で話す人っていうか。
つまんないじゃないですか。
叶わないというか、叶わないですねっていう風に本人が言ってどうかっていうのは知らないですけど、
その叶わない前提って何だろうなっていう。言ってることわかります?
自分がやりたいことなんでもいいんですよね。夢でも好きなことでもなんでもいいんですけど、そうじゃなくてもいいんですけど、
こういうことやってみたいって素朴に思ったことをそれはできないよねとか、やれないよねっていうのが感情をぶつければ腹が立つわけですよ。
僕がね。
そんな風に、まだやってもないこととかやろうとしていることに対してダメだダメだって言ったら誰でもやりたくなくなりたくならないですよね。やりたくない。僕もそうですよね。
そういう風に、やろうとしている人の気持ちとかを阻害と言いますかね、萎えさせることをするなと。
でもこれね難しいんですよ。何でかっていうと、萎えさせているとかそれを奪っているっていう風にやっている人は思わないですよね。
できないですよねみたいな。やめとけやめとけみたいなね。
冗談で言っているわけだな話もね。冗談ですらないというか。
努力と報われる社会
やっぱりそういうところが、なんていうんだろうな。真剣にそれをやろうとしている人が。っていう意味で、僕が大学生くらいにある人と話していて、お世話になった人がいたんだったからね。
何か真面目な人が損しないっていうことを言ったんですよ。大学生だけですよ。真面目な人が損しないみたいな社会。
真面目っていうのは、クソ真面目な人は僕は好きじゃないとかダメなんですけど。クソをつけちゃダメですよね。真面目すぎるというか。
そうじゃなくて、そういうことをやろうとしていて、もちろんうまくいかないのは当たり前でいいんですけど、うまくいかないのが当たり前じゃなくて、うまくいかないのが当たり前って誤解があると思うんですけど。
うまくいかないって最初からきれいにうまくいかないけど、それを繰り返していくことでうまくなっていったり、確率は上がっていきますよね。
もしくはそれを活かして次違うことでいきますよねっていうことを言いたいわけです。
だからそういうやっていく人を育てていって、もしくはそういう人がどんどんやっていく社会になっていった方がいいなっていうのが今では思いますけど、
当時はそういうちゃんと努力してちゃんとやってる人が報われないってちょっと嫌だなって思ったんですよね。
今でも思いますよ。だから真面目にやってると馬鹿みたいっていうのを出し抜くみたいなのって悪賢いんだけど、常に指示されるがちというかね。
容量がいいとかね、そういう話なんですけど。
容量がいいから別にそれがダメとか、すぐさまに把握する力が強い人を、適応する力が強い人を批判するってことじゃ全然ないですよ。
ないんだけど、ずる賢い方がいいよねみたいなね。ずるっていうやつですよね。ずるさ。
ずるいっていうのはまた表現が難しいんですけど、ちゃんとやってて何かやってる人が能力値が高くなってやれるのはずるくないですからね。
そのあたりですよね。出し抜いて何かやるっていうことばっかり考えてると、それもそれでどうかなって話ですよ。
真正面から行けばいいってことでもないけど、そうじゃない裏を描くことばっかりやってても、
さっき言ってたように、自分さえ良ければいいみたいな、がでん院水っていうことがありますが、水ってやっぱり共有座になるわけですよね。
自分だけがやってればいいってなるかもしれないけど、そんなことはございません。
社会っていうことをですね、これぐらいにしておきたいと思いますけど、なんでそんな風に言うかというと、やっぱり人一人で生きられないわけですよ。
社会主義を唱えてるわけじゃないですよ。だけど、生活する、生きていく、仕事する、何でもそうなんですけど、人じゃないですか。
それを分かっている人の行動と、それが分かっていない人の行動が違うわけですよ。
それでアウトプットが違う。クリエイターなら作品が違ってくる。
そこがね、なんで違うんだろうねっていう時に、やっていることが同じように見えても、実は違いますよねってよくありますよね。
その機微や細かい違いが分かる人は多分、いろいろ考えたり経験したりした人なんじゃないでしょうか。
それが分からない人ももちろんいると思いますよね。経験が下がったりして、なんでなんだろうねっていうのはあると思いますけど、
それもあるから面白いのかなと。そんなことを言いました。
今回ね、そうやって自分が何かやってよねっていうことを、友人なり周りの人に言っていってもいいんじゃないですかねって話なんですよね。
言っていった時に、そういう反応っていうのが、よくも悪くも、そのネタ見とかね、尊みっていうんですか、羨ましがれるみたいなところがちょっと違うと。
自分がやっぱり気持ちよくとか、自分が何かやってたり、いい気持ちでいられないと、人を応援することができないんじゃないかなって思ったんですよね。
応援も過度なのはちょっとまずいですけど、頑張ってっていうのは別に悪いことではないですよね。気持ちいいですよね、応援ってね。
応援をする立場もあれば、される立場もあるときに、純粋に応援いただいたらすると、何かもっとやってみようかなっていうふうに思いますよね。
自分のね、自分語りみたいになってますが、確かにそうだなっていうね。
じゃあ周りにそういうね、アイデアマンしかり、いろいろやっていくっていう人がいっぱいいて、自分がやらなくてもいいかなっていうふうに思ってましたよ。
思ってたんですけど、いや全然足りんなみたいな。僕でさえって思う感じもしますからね。
僕がですね、いろいろやってるっていう感覚が全然なくて、数字にしたものは数えるほどしかないと思うんですけど、
そういう中でも、僕でさえそう見えてるから、もっとね、やれる人はいるだろうし、僕が着火できる人もいっぱいいるような気がしてるんですよ。
諦めるところじゃないよねみたいなね。ちょっと早いよねみたいな。時間はまだあるというかね。
そんな速攻すぐ形にしなきゃいけないものってあるんですかねって。ちょっと深呼吸していただいて、僕の言葉が伝わるかわかんないですけど、
一旦ちょっと落ち着いて、一旦深呼吸しましょうかって。で、やれることをやっていきますかみたいな感じがいいんじゃないかなって思ったりします。
ちょっとね、そんなゆるゆる感じゃないですけど。そうやって一旦深呼吸して、やっておこうかっていうね。
休むって大事ですね。一旦、あまり詰めすぎたものを一旦緩めて、ほぐしてみるのもいいかなっていうそんな話になるかなと思います。
だから自分のイメージっていうのが別に前とは違いますよっていうこともないですし、関係性の中でいくと関わった人って関係性がある人の中でのイメージって、
確かにこの人はこういう関係値という感覚でいたから変わらないんだろうなとか、それこそ僕に対してポジティブに色々仕掛けてる人だよねっていうのは、
何やってるかわかんないけどとかね。全然いいんですけど。僕自身もわかってないんで。だけど性悪くないなと思ってるんですよね。
仕掛けていくぞみたいな人材は必要だと思ってますから。それが必要ないって言われたらもう色々見直さなきゃいけないですけど。
必要とされる限りはとか必要としてもらえる限りは色々やっていこうかなってしみじみ思ったそんな話です。
応援したり褒めたり、もしくは褒められたり、そういう関係を大事にしていきましょうと。そんな回となりました。
今回は以上となります。四国理ラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。
23:08

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