1. キャラクターズ~とある夫婦の個性談義~
  2. #20 多角的、批判的な観点から..
2024-09-04 35:19

#20 多角的、批判的な観点から 物事を捉える行為

【今回の内容】

・リベラルアーツ、なーみん流行語大賞ノミネート

・リベラルアーツの力って結構人生変える

・疑問を持ち続けることが大事


<毎週火曜 朝9時配信>

この番組は、「自分の個性を活かして活躍したい人」「人の個性を活かせる自分になりたい人」「個性を活かすことに興味がある人」に向けて、コーチングを仕事にしているなーみんの考察を元に「個性」をテーマに探求し、よりワクワクできる生き方を考えていく番組です。

なーみん、ふくみん夫婦が普段からシェアし合っている、日々感じている課題やモヤモヤや感動した話など、時には真面目に、時にはぶっ飛んでる、夫婦の会話をお楽しみいただければと思います。

▼パーソナリティ

なーみん(https://nami-coaching.studio.site/)

ふくみん(https://1staid-hp.studio.site/)

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#コーチング

#キャリア

#副業

#個性

#リベラルアーツ

#アンラーニング

00:02
こんにちは。とある夫婦の個性談義、 今日もキャラクターズ始めていきます。
パーソナリティの福民と
ナーミンです。
この番組は、個性を生かすことに興味津々な 言語家コーチのナーミンと、
サラリーマンをしながら副業に取り組んでいる 旦那の福民が、
普段からシェアし合っているテーマで語り合う 夫婦の個性談義です。
個性を生かすという考えに共感してくださる方や、 エピソードを聞いて、
面白いと感じていただけたら、 ぜひフォローをお願いします。
ということで、
20回目。
記念すべき。
イエーイ。始めていきたいと思います。
ちょっといつもと違う出だしで始まりました。
そうだね。タイトルコールって結構緊張するね。
ほんまに?
たまにめちゃくちゃツボにハマって、 タイトルコール読めなくなる時あるじゃん。
あの気持ちちょっとわかった。
20秒前のことよ。
20回目だから、
福民にタイトルコールやってもらおうという 表の理由の裏に、
ちょっと私がツボにハマっちゃって、
全然進まへんっていう感じになっちゃったので、
今日は大打でお願いします。
大打で。
あれ?番組違ってる? みたいな風に思った方は大変申し訳ないです。
今のリアルトーンがえーってなった。
いつも通りキャラクターズです。
よろしくお願いします。
今日はどんなテーマで?
今日は最近ナーミンがハマってることについて ちょっと聞きたいなと思ってて、
昔からよくこういう話をしたけど、
最近特にリベラルアーツについて厚く語るじゃん。
個人的流行語をノミネートしてる。
今のところ2024年の流行語大賞リベラルアーツじゃん。
大賞はポスト資本主義なのよ。
なんだけどノミネートはしてる。
ポスト資本主義とリベラルアーツは繋がってるの?
繋がって、なんか無関係ではないけど、
直接的に繋がってるっていうよりは、
どっかで関係してくるっていう感じかな。
じゃあ一旦ポスト資本主義はまた別の時に聞くとして、
今日はリベラルアーツについて色々と考えを伺いたいと思ってるんですが。
考えを伺うほどないんだけど、
アウトプットしてみるとどんなことが出てくるかはちょっと興味がある。
自分に。
じゃあ早速聞いていってもいいですか?
なんかこんな面接みたいな感じなの?
今日はそのテンションでいきたいと思います。
ナーミーさんにとってリベラルアーツとは何ですか?
リベラルアーツとは?
リベラルアーツとは何か?
そう。
03:01
リベラルアーツとは多角的、批判的な観点から物事を捉える行為のこと。
すごい難しい。
難しすぎる。
一般的な教養とか、簡単に言うとそういう感じでまとめられるじゃん。
日本語訳は教養。
それだと足りない感じ?
足りないっていうか、どう理解してるかみたいな感じかな。
別に教養でいいと思うんだけど、
教養って言われて教養って何ですかって聞かれたらさ、
教養は教養じゃんってなれへん?
なるね。
自分の中でどう理解してるかっていうのを今表現してみたっていう感じ。
多角的かつ批判的に物事を捉える行為のこと。
一個の物事があって、それをいろんな角度で見たりとか、
時には批判的に見たりとかっていうのをするみたいな。
そうね。
特に、なんで最近ハマってるか?
2024年の流行語大賞のノミネートに入ってるかっていうところで言うと、
私がすごい好きなポッドキャスト。
今はそんなに聞いてないんだけど、
社会人1年目の時とかぐらいにめっちゃハマった。
キングダムがその時めっちゃ好きやって、
おもろってなって、キングダムについて語ってるポッドキャストとか、
ラジオとかないかなって探したら、
古典ラジオという今はもう。
それが入り口だったの?
そうね。
もともとムックラジオっていうのを聞いてて全然違う。
日本史を語るラジオみたいな。
パーソナリティ男性2人で結構ゆるーい感じで、
1話完結とかあっても2話ぐらいまで。
ゆるーく歴史に詳しい人がフリースタイルで語るみたいな。
原稿を用意するとかっていうよりは。
っていうそのラジオはもともと聞いてて、
それはなんとなく聞いてるぐらいの感じ。
趣味ぐらいの感じやってんけど、
古典ラジオに関してはキングダムの解説が秀逸すぎて、
面白すぎて、しかもそのキングダムの解説は特別編、番外編みたいな。
あったっけ?
めっちゃ前にある。12話、エピソード12ぐらい。
真の始皇帝の話じゃなくて?
真の始皇帝の話をするきっかけになったのがキングダム。
タイトルにキングダムって書いてて、
たぶんちょっと記憶改ざんされてるかもしれない。
ちょっとマトリックスの世界かもしれない。
ちょっと混ざっちゃうけど。
最近マトリックスにもハマってる。
それまた次話そうじゃあ。
ラジオがあって、そのラジオのパーソナリティの方が、
リベラルアーツが大事だみたいなことをずっといろんなとこで言ってて。
06:01
今もずっと言い続けてる。
ずっと言ってる。
深井さんっていう人じゃないけどさ、
深井さんといえばリベラルアーツみたいなさ、
そういう節あるよね。
私的にはそれが言葉の出どころというか、
だから自分の言葉っていう感覚あんまなくて、
別に誰の言葉でもないんやけど、
でもずっと歌ってるのはその人だから、
その人が言ってることって確かに大事だよなみたいな。
どっかで話したアクション、リアクションっていうと、
自分が発信してるっていうよりはリアクションしてたって感じ。
その深井さんが言ってることに対して、
確かに大事、リベラルアーツ大事みたいな感じで、
特にそこに追求するわけでもなく大事だよなみたいな。
ただ思ってただけなんやけど、
最近いろいろ自分の活動コンセプトとか事業コンセプトとか、
根本的に自分のやってることって、
なんでこういう評価を得てるんだろうとか、
いろんな角度で分析していった時に、
論理的にフィードバックくれるみたいな人もおるんやけど、
私のセッションとかいいって言ってくれるところに対して。
すごいフラットだったりとか、
この人だったら本音を話せるとか、
ジャッジをしないみたいな風に評価をしてくれる人が結構多くて、
なんでなんやろうなって遡った時に、
私のリベラルアーツ原体験が、
やっぱり留学の時やって、
その時の留学の名前をよくよく見たら、
リベラルアーツ留学してたの。
大学って歴史専攻とか、
心理学専攻とか、
物理学専攻とか、
いろいろ専攻を決めて、
4年間そこを研究するっていう、
研究期間じゃん、大学って本来は。
だけど、私の行ってた大学って、
どっちかって言うとグローバル、イエーイ、
イエーイな感じで、
外国語でいろいろ学ぼうみたいな、
結構スタンスやって、
3年次の時にアメリカに留学行ったんやけど、
その時も別に、
この授業、こういう系の授業だけを取らないといけないっていうよりは、
いろんな幅の中で好きなやつ取っていいよっていう、
それに対してちゃんと単位が取得できてたら、
留学帰ってきたときに、
どっちかっていうと、
単位が取得できてたら、
留学帰ってきたときに単位の変換して、
それで卒業できる、
休学じゃなくて交換留学。
好きな学びたいものを学びな、
みたいな感じだったから、
心理学も取ったし、
ラテンアメリカ文化論も取ったし、
アメリカの大学でそれを取った?
アメリカでジャパニーズカルチャーみたいなやつも取ったし、
09:01
宗教学とかも取ったし、
いろんな文脈で学んだ経験があって、
哲学とかももちろん取ったんやけど、
そのときの経験って、
特に自分は日本から離れて、
アメリカで自分と全然違う常識を持ってる人とか、
自分と全然違う老いたちを経てる人と、
一緒にいろんなものを学ぶからさ、
すごい、はっ!はっ!みたいな、
発見の連続みたいな感じだし、
いろんな葛藤はもちろんあったんだけど、
手挙げるのが怖いみたいな、
そういう心理的なハードルはもちろん一つあったんやけど、
それを乗り越えたときに、
実際学んでるときって、
すごいいろんな視点があるし、
国際政治の授業とかは、
みんな手挙げて、
私はこう思う、私はこう思う、
みたいな、みんな言ってて、
それ、ちゃんとバトってんのよ、みんな。
お前間違ってるやろ、みたいな。
間違ってるやろっていうよりは、
僕はこう思う、なぜなら、みたいな感じで、
すごい主張をするみたいなのが、
目の前ですごい繰り広げられてて、
いうのを体験してるっていうのは、
今のスタンスにすごい繋がってるような、
気がしてて、
その時の経験がなかったら、
リベラルアーツされてなかったから、
いろんなものが、
常識がセットされた状態で、
そこから外れるって、
すごく難しかったんじゃないかなと思って。
確かにね、
いろんなバトルが発生してるのもさ、
多角的視野があるから発生してるだろうし、
さっき、ジャパニーズカルチャーみたいなところもさ、
日本人から見たジャパニーズカルチャーと、
外国の方から見たジャパニーズカルチャーと、
全然違うんだろうなと思うし、
そういういろんな概念みたいに取り入れると、
リベラルアーツみたいなところはさ、
進むよなって思うよね。
それをすることで、
結局何になるのかみたいな話で言うと、
さっきの多角的批判的な視点で、
物事を考えるとどうなるのかっていうと、
結局自分の思い込みとか、
自分の常識を結構簡単に破壊できるし、
その破壊し慣れてるから、
変化に柔軟になれるような気がしてて、
とともに、
自由になれるって言ったらすごい変な言い方なんやけど、
何か一つにすごい囚われにくくなる。
例えば私は女性だからこう洗わねばならないっていうのを、
思い込むとするじゃん。
思い込むのよ、普通に。
社会の中で暮らしてたら思い込むんやけど、
いや待てよ、みたいな。
そんなことなくない?みたいな。
なんでそう思ってたんやろ?みたいなのを、
疑問に持ち出して、
いろんな情報とかを吸収して、
12:01
ただの思い込みやったなーっていう結論を
自分で出せるようになったりとか、
それは一人だけじゃできないこともたくさんあるんだけど、
思い込みを外すってすると、
すごく自由になれることだなって思うから、
確かにね。
こう洗わねばならないっていうところから、
一歩引けるというか、
それってやり慣れてない人にとっては、
すごい怖いことな気がしてて、
もう自分はその常識で生きてきてるんだから、
何か言ってしまえば土壌というか、
自分の基礎になっちゃってる。
家で言うとその基礎のさ、
壁とか中身を作る前に、
自分の中身を作る前に、
壁とか中身を作る前に、
基礎があるじゃん、家にも。
あるね、あるね。
あれが常識で固まってるみたいな。
ってなると、
これを破壊されちゃうとさ、
地盤緩むやん。
なんたら家崩れちゃうやん。
だったら自分を保てなくなる。
っていうことが起こってしまうと、
もう動けないというか、
家ができてしまったら、
そこから帰れない。
屋根ちょっと色変えてみようかな、
ぐらいしかできない。
すごい自分で自分の首を締めちゃう
パターンとしてあるなと思うから、
あの時、大学でやってたことって、
結構リベラルアーツ実践したんかなっていう風に、
今更ながら思うっていうのと、
それと同時に、
自分が今セッションでやってることって、
ほんまに?って言い続けてる感じがしてて、
ほんまにそれって大事なんかなとか、
そもそもそれって、
その前提って思い込みじゃない?
みたいなところを、
結構セッションで、
自分がツッコミ入れてる感じなのね。
前提を破壊しにいってるってわけね。
破壊しようと思って、
言ってないねんけど、
クライアントさんは悩んだりってさ、
自分の中で、
頭では分かってるけど、
大事なのは分かってるけど、
でもできないみたいな、
ループにはまるってなった時に、
客観的に見てさ、
それ抜け出すにはどうしたらいいんだろうなって、
一緒に悩むんじゃなくて、
でもそもそもさ、
それやる必要あるんですか?
みたいなところとか、
なんでできないんだろうって考えるんじゃなくて、
そもそもどういう状態だったら
できてる状態って言えるんですかね?
とか、
そういういろんな問い、
角度からの問いが、
勝手に出てくるというか、
いいね。
今の話聞けて、
いろいろ思うところあるんやけど、
前提を壊さないといけない時代になってるんだなって、
今ちょっと感じてて、
そもそも、
またこれそもそも、
そもそも論ね。
そもそも、
昔はリベラルアーツとかって
必要なかったのかなって思って、
なんでかって言うと、
俺がまだ子供の頃とかって、
今の俺の親父の世代とかは、
自由な働き方、
みたいなあんまりなくて、
例えば、
就職して、
15:01
定年までずっとその会社にいるのが当たり前、
みたいな、
転職してステップアップみたいな考え方も
なかっただろうし、
変な話ちょっともうだいぶ前になるけど、
江戸時代なんかさ、
生まれで職業決まっちゃうだったりとかさ、
そういうのってさ、
前提がしっかりしてれば知ってるほど、
良いとされてる時代だったんだろうなって思うけど、
今はさ、
時代のスピードとかが目まぐるしすぎて、
そこに柔軟に対応していかないとうまく生きていけないみたいな、
時代にもなってきてると思うから、
なんかその前提がしっかりしすぎてると、
逆につらいみたいな状況になるんだろうなって聞いてた思って。
だからね、
よく頭良い人がさ、
アンラーニングが必須みたいなの聞いたことない?
アンラーニングは聞いたことある。
アンラーニングって言ったら、
学んだことを外す作業。
アンラーニングだから、
アンって否定なんよね。
今まで学んできた、
例えば、
会社内での立ち振る舞いの正しいあり方とか、
先方とのやり取りのマナーとか、
なんかそういうものを、
全部が全部ダメってわけじゃないんだけど、
それが正しいよねっていう前提で議論を進めても、
何も新しいものは生まれない。
だからそこを一旦外すっていうのがアンラーニングって言われてる。
それって言ってしまえば、
リベラルアーツでできることと一緒やなと思って。
確かにね。
おもしろ。
なんか普通のオーディエンスなんだけど。
いや今日はなんか、
純粋にさ、
俺もリベラルアーツって言葉は知ってるしさ、
その概念だったりとかも大事だよね、
とは思ってるけど、
なんか自分が実践しようみたいなところまでは全然行き着いてないし、
してるとは思ってないから、
なんかでも今ナーミーはさ、
それを軸にいろいろ立ち回ろうとしてるわけじゃん。
それって大事だよねっていう。
布教活動じゃないけどさ、
大事。
みんなもやっていこうぜみたいな、
実践してるわけだからさ。
経営者の集いで、
何のバックにもつながらんけど、
リベラルアーツ!
大事!みたいなことを、
ただ言うっていう。
最近は趣味でやってる。
いやでもほんまになんかね、
なんかやっぱ、
どの状態の人見ても、
今ってなんかこう、
なんかうまく言えないんだけど、
なんかポジショニング、
なんかイストリゲームに見えるのよね。
なんか私もあってんけど、
何者かにならなければいけない、
とかって思った時って、
何者かっていうポジションがあると思い込んでるというか。
はいはいはい。
だし、なんか、
息抜かなきゃいけないとか、
すごい社会って競争だし、
あ、そうやね。
なんか弱肉強食だし、
とかなんか、
勝つ人がいたら負ける人がいる、
みたいなのが当たり前で、
みたいな。
なんかそういう前提のもとをやってると、
やっぱなんか、
18:00
自分のことで精一杯になるというか、
自分がなんとかこう、
生き残るためにとか、
自分がなんかポジションを取るために、
みたいな風に、
誰かを蹴落として、
何か席を取るっていう、
なんか発想になりがち?
なるなる。
俺今日さ、会社の研修があったのよ。
はいはい。
あれって4話ぐらいまであるらしくて、
あ、そうなの?
わかんない。もしかしたら作り話かもしれないけど、
今日そんな話を聞いたの。
で、1話目は、
要はその、
ウサギは足早いからさ、
余裕でヒルルぶっこいて亀に抜かれましたみたいな、
亀がゴールしましたみたいな感じなんだけど、
2話目は、
普通にウサギはその反省を生かして、
もう普通に頑張って走り切ってゴールするの。
で、1勝1敗じゃん。
で、3話目は、
要は、
自分が亀だとしたら、
3話目で勝つためにはどうしますかって聞かれたの。
質問で。
なんか普通に、
ウサギがまだ寝てる間にスタートするみたいな、
なんかその、
フライング?
フライングして、スタートしてゴールするみたいな、
要は出し抜くみたいな考え方をしたわけよ。
でも、
本当かどうかわかんないけど、
3話目は、
亀は自分が有利になるように、
川とかがあるルートを選んで、
自分が早いスピードで進めるような、
ルート設計をしたみたいな。
はいはいはい。
4話目が衝撃だったんだけど、
ウサギと亀は協力して仲良くゴールした、
みたいなのが4話目らしいの。
へー。
なんか協力って大事だよねって文脈で、
その話を持ってきたんだけど、
3話目で、
そういう問いを投げられたから、
誰かを出し抜いてだったりとか、
ズルをしてゴールするみたいな、
話をした時に、
ふくみんさんは、
誰かを出し抜くみたいなのが好きなんですね、
みたいなことを言われたの。
やっぱり、
ずっと俺も、
この社会人生活で、
競争して育ってきたから、
そういう概念を知らず知らずのうちに、
身についているんだなって、
今の話を聞いて思った。
じゃあ、研修を受けている時は、
特に。
それはそうよって、
思ってたんだけど、
勝つためには、
何をしてもいいってわけじゃないけど、
できることはしたいって思うじゃん、
自分で。
それがフライングだっただけだって、
俺の中では。
でもやっぱ、
それは常識って思ってたけど、
今のリベラルアーツの概念で言うと、
破壊されたよね。
そうね。
そもそも、
なんで刀あかんねやったっけ、
みたいな、
問いが生まれるよね、
今ので言うと。
4話目で仲良く手を繋いでゴールした、
みたいなね。
その仲良く手を繋いでゴールするっていうのが、
なんでいきなりそうなったかは、
ちょっとよくわかんないんだけど、
作者の意図を感じるよね。
そうだね。
けど、
21:01
そもそも仲良くゴールするぐらいだったら、
レースとかいらんくない?
っていう話にもなってくるよね。
レースで表現するの適切じゃないよね、とか、
レースって、
何の比喩なんだろう、とか、
そういうことを考えたときに、
私たちは何のレースを走ってるんだろう、
っていう問いが生まれると、
確かにってなれへん。
なる。
今何に向かって誰と競争してるんだっけ、
みたいな。
競争せなあかんねやったっけ、
みたいなことを思えるようになってくると、
いろんなことが、
いろんな自分を焦らしていたものとか、
焦燥感とか、
何か絶望感だったり、
現実的に今、
何か不足があるわけじゃないけど、
何かどっか心のどこかである焦り、
みたいな、
何かやばい、みたいな気持ちとか、
何かポッカリ穴が開いた、
みたいな気持ちって、
結構その捉え方一つで変わったりする。
うーん。
何とか思うと、
リベラルアーツの力って、
結構人生変えるなあと思う。
確かにね。
思うっていう話。
そのさ、概念っていうかさ、
そのリベラルアーツ、
いいよね、みたいなさ、
ものはどうやったら身につくものなの?
どういうこと、どういうこと。
リベラルアーツをしたいの?
いや、したいっていうわけじゃなくて、
いや、したいのかもしれないけど、
何かやっぱ身についている前提があるからさ、
おい、それとそもそも、
みたいな思考に至らないというか、
身についている前提。
それは訓練で何とかなるものなの?
別にリベラルアーツをやろうと思って、
今に至ってるわけではないから、
そういえば、
大学の時やった留学って、
リベラルアーツ留学やったわ!
みたいな感じだから、
別にリベラルアーツを意識して取り組んできたわけではないよね。
一言で言うのは難しいけど、
ちょっと語弊が生まれるかもしれないけどさ、
どうしたら自分を楽にできるか、
みたいな観点は結構ずっと持ってて、
根性論とか嫌いなのね、私。
うん。
で、頑張るのが正しい、みたいな。
頑張ってる人が偉いとか、
例えばサービス残業してる人が偉い、みたいな。
めっちゃしててんけどさ、
めちゃくちゃサービス残業しててんけど、
でもそれは、
それが偉いからしてるっていうよりは、
仕事がシンプルに終わらんかったからやってたっていう話で、
そういう、
長く自分を犠牲にして働くとか、
自分を、
何だろうな、
卑下してというか、
犠牲にして誰かを救うみたいなものに、
結構違和感があって、
なんか楽して、
みんな楽できたら良くない?みたいな。
そんな苦しみに頑なくても良くない?みたいな。
っていうのは結構、
いろんな人の発言、
偉人の名言とか、
成功者を語る人からの言葉とかを聞いたときに、
24:01
啓発系の、
言葉を聞いたときに、
なんでそんな努力させたがるんやろうな、みたいな。
っていうのは結構、
疑問があったから、
ほんまかな、みたいな。
それってほんまなんかなっていうのは、
結構疑問を抱きながら生きてきた気がする。
なんかその疑問に思うって言ったところが、
リベラルアーツへ向かう第一歩みたいな感じってことか。
なんかこれっておかしくない?っていうのを、
無視したら、
その場で絶対答えなんか出ないのよ。
おかしくない?って思ったぐらいだったら、
自分だけかな?みたいな。
なんかこう、
なんとなく自分はしっくりきてないんだけど、
言われたことに対して。
でも、何か言い返せる、
論理武装をしてるわけでもないから、
とりあえず、
そういう考え方もあるよね。
私がおかしいんかな?みたいな感じで、
閉じちゃうと、
リベラルアーツができない。
なるほどね。
逆に、ほんまに?みたいな。
なんかそれは、
あなたが言ってることは一理あると。
確かに努力は大事だよね?とか、
確かに汗水垂らして食べるご飯美味しいよね?とか、
でも、それってやらされてやるもんじゃなくない?
って思ってる自分がいるとしたら、
なんかその、
なんでその努力は大切?って言う人がいるけど、
でも、あの人はすごく楽しそうに色々活動してて、
で、実際、なんか結果も出てる。
これは何なんだ?みたいな。
とかを、
目の前の情報とか言われたことに対して、
疑問に持ったものを持ち続けるみたいな。
なんか持ち続ける弾力みたいな。
なんか、鍛錬みたいな。
あー、確かにね。
なんか結構、なんで?とかさ、
どうして?みたいなことってよく思うじゃん。
生きてきて。
でも、そのままにしてるよね。
折り合いつけたらあかんよね。
うん。
その疑問を持ち続けて、
ちゃうって思った時に、
ちゃんと行動するかどうかみたいな。
なんか別に行動もせんでいいと思ってて。
思うことが大事。
そこを自分に言い聞かせると、
もう思考が止まるよね。
それで言うと。
もうそういうもんだよねっていう。
なんかそこの奥に、
なんか理由がないのよ。
だってそうじゃん。みたいな。
なんか、お箸は、
日本人はお箸だよね。
だって日本人だもん。みたいな。
そこで終わるというか。
でも、なんで
フォークとかスプーンじゃなくて
お箸なんやろっていうのを
思い続けてたら、
そういう情報を拾いに行くと思うね。
確かにね。
いや、これチャーハン、
お箸よりスプーンの方が食いやすいや。
そうそう。
なんで日本ってこのお箸が
スタンダードになったんだろうっていうのを
納得せずに、
だってあるもんじゃなくて、
なんでなんやろっていうのを疑問に持てば、
あー、なるほどな。
もう、なんか伝わった?今。
今、伝わった。
27:00
今、伝わった?
もう、なんか、ハッてなった。
で、そこを、
別に全方位にしなくていいと思うね。
そんな脳みそ焼け死ぬから、
全方位にしなくていいねんけど、
でも、自分が疑問に思うってことは、
納得いってない何かがあるから、
そこからリベラルアーツ、
自由になれるヒントがある。自分が。
めちゃくちゃいいまとめやん。
あ、ほんまに?
いや、すごくね、最後めちゃくちゃフに落ちた。
あ、ほんまに?
なんか、あの、そうなんやってなってるけど。
なってる。
よかった。
これを聞いてくれてる人がなってるかは分からないけど、
含みはなったのね。
これはなったから、もう満足。
でも、リベラルアーツのリベラルは、
リバティーっていう英語で言う自由。
スタチューオブリバティー。
自由の女神って。
リバティーって言葉。
これやろ?
分からんと思う。
手挙げてるけどさ。
リベラルっていう言葉って、自由。
だから、リベラルアーツをすると自由になれるよね。
なるほどね。
それは物質的なものとかっていうよりは、
どっちかっていうと精神的なものかな。
心が自由になるっていう。
囚われにくくなるっていうのは、
さっきの、どう始めるのかっていうとこで言うと、
納得いかないことをそのままにしない。
納得しないっていう。
頑固でいるっていう。
そうね。
のが結構大事。
なるほど。
じゃあ、エンディングに入っていきたいと思いますけども、
なんか今回は、俺的には、
結構リベラルアーツの理解、進んだ感じ。
ありがとうございます。
なんかもう、ぼーっと言ったけど、
リベラルアーツって教養のことだろ?みたいな感じだったわけよ。
で、概念としては大事なのも分かるし、
いろんなところに繋がっていくんだろうな、みたいな。
それこそ、SDGsと同じ文脈?みたいな感じの解像度だったんだけど、
今回の話を聞いて、
そういうわけではないんだな、みたいな。
SDGsとリベラルアーツ同じ横並びだったの?
横並びだった。
それさ、なんかあれじゃない?
日本語じゃない?みたいな。
ローマ字みたいな、そういうことじゃなくて。
いや、そんなもんよ、俺の理解度だって。
なんか、いろんなものを俺浅草、広くつまんでるからさ、
いろんなやつが横並びになってる。
なるほどね。なんか散らばってる。
そう、散らばってる。
子供部屋みたいな感じ。
今日、ようやくそれをちゃんと片付けたみたいな感じ。
なるほどな。
だから、すごく勉強になりました。
じゃあなんかさ、最後のコメントじゃないけど、
勉強になったっていう話やけど、
今日聞いて感想というか、
結構ずっと喋っちゃったからさ、今日は。
いや、今日は感想というか、やっぱり一番最後はっとなったのは、
やっぱ持ち続けることが大事っていう疑問を。
なんかこれ一番刺さったね。
30:00
なんかやっぱ、疑問って持ち続けるのめちゃくちゃ難しいと思うのよ。
やっぱストレスかかるしさ。
かかる。
なんでってなるのがずっと続くと、もういいわこれみたいな風になりがちだなと思うのよね。
ナーミンはそれをずっといろんなことに対してなんでってやってるから脳がやけ死んできてるんだろうな。
やめて、死んで生まれろ生まれろって。
やけ死んで、破壊と再生繰り返してるみたいな。
いや、ほんまにそれよな。
常に現状否定してるもんな。
今のままじゃあかんって何回言ってる?
なんか月1ペースぐらいで言ってる気するもん。
そうやね。
今のままじゃあかんねんって。
だから、それで成長を繰り返してきてるんだなっていうのが腑に落ちたっていうのもあるし、
なんかやっぱ自分は疑問に思うことあっても、その疑問は結構ほったらかしにしてるなって思った。
だから、なんかその疑問に対してまた同じようなことが起こった時にまた同じ疑問が湧いてくる。
そっから先に進んでないみたいな感じだなっていうのを聞いてて気づいた。
だからなんかね、これからは牛丼スプーンで食おうかなってちょっと思った。
置いてあるのよ、スプーンも。
絶対あっちの方がいいだろって思ってんの、俺は。
でも箸、いつも箸で食ってるからずっと箸で食い続けてる。
習慣の生き物やね。
これをスプーンで食うことによってまた新たなリベラルアーツがまた進むわけよね。
確かに、なんか違うことをやってみるっていうのはすごい刺激になるよね、脳に対して。
自分一人だとこの疑問を持ち続けるって難しいっていうのは、自分で言うのもあれやけど、周りの人見ててそうなんやろうなってすごい思うのね。
自分の中では常に通常運転なんやけど、どんどん進むねって言われるの。
どんどん変わっていくねって、ステップアップしていくねみたいな。
普通じゃないみたいな、むしろ結構ゆっくりしてる方なんやけどっていう感覚なんだよ。
そうやね、よく言うもんね、何もしてないって。そんなことないでって。
いろいろ理想が高いみたいなのはあると思うんやけど、周りの人より多分疑問に思う回数が多いから、
いろんなものを吸収しては角度を変え、自分の解釈を入れみたいなことを永遠にやってるから、
いろんなストックが今まで積み重なってきて、豚骨スープみたいな。
逆に今はそこへの疑問を持ち続けることが当たり前になってて、逆にそこが解消するまで向き合わないと気が済まないみたいな。
ちょっと哲学者じゃないけど、問いに向き合うみたいなのがスタンダードだから、そこの筋肉ってすごいあるのよ。
33:06
運動の筋肉マジでないねんけど。
けどそこの問いに向き合う筋肉すごいあるから。
すごいもんね、反射神経ね、問いに対しての。すぐ返ってくるじゃん、それってって。
口喧嘩とか絶対勝てないなって思うもんね。
喧嘩せんとこな。
だからそれは、私は健康とか、自分の体に対する筋肉がないから、筋肉っていうのは体力とか、体幹みたいなのと一緒で、スタミナみたいな感じで、維持力がないから、それは誰かに助けてもらわないとできないなってすごい思うのよね。
自分の体調管理とか健康管理とかって、一人じゃもういいやってなっちゃう、それこそ。
けど問いに対する向き合うスタミナはめっちゃあるから、そこって、自分一人じゃちょっと難しいなっていうんやったら、コーチを使う場面なのかなと思うっていうのを最後にちょっと言いたかった。
すごい、最後自分の宣伝も。
セッションお待ちしてますみたいな感じかな。
なるほど、ありがとうございます。
もうなんか吹かれてるやん。
ちょっとブレイクスルーじゃないけどさ、インプットが今吸収されてって、ちょっとほわって感じになってる。
ちょっと喋るのやめたら伝わらへんからさ、はいみたいな感じで最後。
なんか俺結構さ、いい気づきとかあるとさ、喋りながら考えちゃう癖みたいなのがあって、なんかぼーっとしちゃうんだよね。
感じてるんやな、今の気づきとかを。
全身で。
ありがとうございました、本当に。
じゃあ今日はそんな感じで終えていきたいなと思います。
この番組は毎週火曜日朝9時に配信しています。
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それじゃあ、またねー。
35:19

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