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スピーカー 1
1時間っていうのがあれなの?1時間で終わりなの?
そうですね。
続けてぶっ通してやるみたいなイメージだったけど。
スピーカー 2
休憩します。休憩して。
スピーカー 1
1時間したら休憩があるんですね。
スピーカー 2
はい。で、また戻ってきて、また座る。
スピーカー 1
なるほど。1時間以上ぶっ通してっていうのはないんだ、基本的に。
そうですね、ないですね。
じゃあ、家でやるときもそういうことですか?
スピーカー 2
そうですね。できる人はやってもいいんだろうけど、それが精一杯じゃないですか、最初はね。
スピーカー 1
なるほど。
で、それに10日間コース行って、この番組でもちょこちょこ話題にもなるし、一度生徒さんでビバサナ瞑想、昨年の年末に行った生徒さんのお話、ゲスト会でね、来てもらってお話ししてもらいましたから、
それ聞いていただいた方はよく知ってると思うんですけど、10日間スマホは預ける。
預けて。
はい。
で、他の生徒さんとかとも話もできない。
はい。
メモはせらんないみたいなね。
はい。
で、コミュニケーション取れるのが先生と。
スピーカー 2
と、コースマネージャーと言って、相談係りみたいな方がいるんですけど。
スピーカー 1
その人とその日の夜にお話ししたりすることが多少取れる時間があるというぐらいですよね。
だから、ひたすらもう社会と根絶した状態で10日間過ごすってことだよね。
スピーカー 2
はい、そうです。
スピーカー 1
それはつまり、自分と向き合うってことに他ならないというか。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
そうだよね、結果的にね。
それもあって、すごく厳しい修行っていうふうにね、イメージもしますし、
たぶん想像あんまりしたことない、できないと思うんですけど、僕もそうあったんですけど、
1時間っていうのもそうだし、その休憩してまた1時間っていうふうになるんだろうけども、
とにかく1日座っている、そして動けない。
例えば足とか組み替えたりしたらダメなんですよね。
スピーカー 2
そうですね。
基本的には。
スピーカー 1
本当に、なんかその社会と根絶していることとか、スマホ見れないとか喋れないとかっていうことよりも、
もう足が痛い、もう激痛みたいな、とかね、そういった意味でも本当に苦行っていうかね、修行中の修行みたいな感じなんですよね。
スピーカー 2
そうですね。
もう自分と向き合わずにいられない状態になるっていう感じですかね。
そういう環境でするっていう感じですね、最初は。
スピーカー 1
自分と向き合わなきゃいけないっていうのは、多分それやってる人の感覚であって、そう言われてもだからピンとこないと思うんですけど、ただひたすら痛いみたいな、
その感覚と向き合うっていうことが、自分と向き合うっていうことを言っているわけですね。
そういうことです。
痛みっていうのを自分と向き合うっていうふうな、なんていうの、言い方しないからね、普通に。
まあね。
スピーカー 2
とにかく痛みに耐える。
スピーカー 1
そうですね。
最初は多分そういうことになっちゃうでしょうね。
スピーカー 2
はい、そうですね。
スピーカー 1
まあそんなあれでね、厳しい修行ってことですけど、
まあその昨年のその生徒さんが行ったの、行くことになったのをきっかけに、
まりこさんもショコアスされてというか、また瞑想欲。
スピーカー 2
そうですね。
はい、そろそろ私も再会したいって思いました。
スピーカー 1
うん。
あれだよね、前行った時もまた行きたいって思ったでしょ。
スピーカー 2
うん、そう。続けて行くつもりだったんだけど、
妊娠したので、あ、これは無理だと思って、ちょっと諦めた、一旦諦めた。
はい、で、いつかまた会って思ってました、ずっと。
スピーカー 1
その日が来たと。
うん。
で、どうでしたか。
スピーカー 2
うん、あの今回行ったのは、
私、ビパサナ瞑想センターに行くの3回目なんですけど、
スピーカー 1
3回目?2回目じゃなかったね。
スピーカー 2
3回目です。
で、1回目、2回目は生徒として行ったんですけど、
今回は、奉仕者、奉仕者っていうのは、
ボランティアで生徒さんの食事の準備をしたりとか、
あとはお掃除とかですね、そういったお手伝いを、
生徒さんが瞑想に集中できるようにお手伝いする人として行ったんですよ。
スピーカー 1
ちょっと待って、2回目ってそれいつ行ったの?
スピーカー 2
最初に行った時の3ヶ月後。
ああ、そうなんだ。
はい、それは3日間コースに行きました。
スピーカー 1
ああ、なるほど、はい。
スピーカー 2
奉仕として、3日間のコースに行きました。
3日間のコースって、さっきは10日間の話をしましたけど、
10日間コースは初めての人から、経験者も含まれるんですけど、
3日間コースは、必ず経験者じゃないと参加できないんですよね。
しかも、普段から実演してる人じゃないと参加できないから、
環境がすごく良くなるんですよ。
みんな、やり方もわかってるし、
スピーカー 1
心得ているってことかな。
スピーカー 2
心得てる、はい。
だから、すごく素晴らしい3日間だったし、
奉仕としての仕事も、かなり私の中では、
本当に行ってよかったなって思いました。
スピーカー 1
それはどういうところですか?
スピーカー 2
やっぱり、1時間座って瞑想することだけが目的じゃないじゃないですか。
その瞑想をいかに日常に活かすかっていうことが、
最も大事なことなんですけど、
要は何のためにしてるかってことですよね、瞑想を。
それが、奉仕者も空いた時間で、一緒に座るんですよね。
一緒に瞑想するんですよ。
空いた時間は、ほとんど瞑想してるような感じなんですよ。
食事作ったりっていうような仕事をして、
合間合間に瞑想するから、
日常と瞑想のギャップがすごく少なくなって、
それが日常の中で、瞑想を取り入れていく練習になるんですよね。
運転免許を取るときに、最初は教習所内で練習するじゃないですか。
外で運転はまだできないですよね、一人で。
仮面取って、路上教習があるじゃないですか。
路上教習が、奉仕者として参加する感覚かなって思います。
先生の家の中で、ちゃんと決められたスケジュールがあって、
その中でやってみて、それを実際に日常に戻ってきたときに、
日常の中で自分でやるっていう、そのための練習。
スピーカー 1
要するにあれでしょ?結局、今その前に言ってた、
合間合間、奉仕のお仕事をして瞑想する。
で、また奉仕のお仕事をして瞑想するみたいな。
スピーカー 2
だから、究極は仕事しながらも瞑想してるみたいな状態が理想的ですね。
ずっと瞑想状態で活動してたらいいかなって思います。
スピーカー 1
日常と瞑想してるときの境目がなくなっていくってことだよね。
スピーカー 2
そうです、それが言いたかった。
サミ先生がね、プーチャーとか、朝のプーチャーとか、後はご飯食べる前に唱えたりするじゃん。
お祈りあるじゃないですか。
細かく、何かをするたびにやったりするでしょ、ああいうのでシュローカーとか唱えるのも。
寝る前のシュローカーとかいろいろあるじゃん。
それと似てるかなと思います。
常にそういう気持ちでいるようにするような感覚、細かく頻繁に。
スピーカー 1
そしたら、ずっとそういう気持ちでいられるというかね、頻度が多ければ多いほど。
瞑想がもし自分を整えるっていう作業だとすれば、常に整った状態でいられるってことだよね。
スピーカー 2
何かが起きたときに、この瞑想が役立つんですよ。
人との摩擦が起きたときに役立つ。
なんで役立つかっていう説明をしないといけないですよね。聞いてる人はわからないですけど。
スピーカー 1
どういうふうに役立つのか。
結局、全て移り変わっていくっていうことが言いたいんですけど、
スピーカー 2
例えば、人とコミュニケーションをとっているときに、なんかこうイラッとするようなことがあったとしますよね。
そうなったときに、自分の体の中に生体電気というか、化学物質というか、伝達物質っていうんですか、神経の。
スピーカー 1
電気信号。
スピーカー 2
電気信号みたいな。それがバッて出て、例えば体がカーッて熱くなったりとか、
なんかイライラとしたときにピリピリってどっかなったりとか、そういったことが起こってるんですよ。
でも普通の人は気づいてないんですよね、その起こってることに。自分の体の中で起こってることに普通は気づかないんですよ。
感じれないから。
で、それを瞑想の修行していくと感じれるようになるんですよね。
例えば鳥肌が立った感覚はわかりますよね。わかりやすいから。
そういうような体の変化、感覚に常に気づいていられると、
例えばイラってしたときにバッて体の中に変化が起きたっていう、その起きたことに意識が向けられるんですよね。
例えば今体が熱くなったとか、なんかピリピリっとしたみたいな感じで、
その相手に対しての意識じゃなくて、自分の体の中の意識に向かうから、ちょっと冷静になれるんですよね。
で、それを1分か2分かしたら、その感覚が消えていく。
あ、消えたな。
で、そこまでも冷静になって意識を自分の中に向けていくと、
でもさっき起こったこと、イラっとしたことも忘れるっていうか、何て言うんですか。
何事もなかったときのように戻れるっていうのがあって、
それを常に自分が感じ取れるようにしておく練習が、
そうやって座って1時間なら1時間ずっと自分の体の感覚を感じ続ける練習をするっていうことなんですね。
だから当たり前のように、その座って練習しなくても、
自分の体の感覚で起こっている変化に気付けるようになってきたら、
それはいつでもそういうふうに冷静にいられるっていうような理屈があるんですよ。
スピーカー 1
そのさ、今の一連のことっていうのは、それは微発作な瞑想の教えなの?
それとも、マルコさんがやってきた中で感じて、こういうものだっていうふうに私は使い方を、
私が何を見合わせるってことなの?どっち?
スピーカー 2
両方です。
常にそういう講話みたいなので、いっぱいそういうお話してくれるんですよ。
何のためにやってるのかとか。
スピーカー 1
日常でどういうふうに活かせるのか。
スピーカー 2
そうそうそう。そういうことも日を追うごとにどんどん詳しく段階を経て説明してくれるから、
だけどそれ自分の体で実感して気づかないことにはピンとはこないし、
多分何言ってんだろうっていう感じになると思うんですよ。
だけど私はヨガのアーサナーの練習をしながらずっと12年間、微発作な瞑想をベースにやってきたから、
それが多分またここ1年ぐらいの間で、はっきりと言葉で表せるぐらい、
自分の中で、そっか、こういうことなんだっていうのは感じれるようになったかなと思います。
スピーカー 1
ちなみにさ、今のね、コミュニケーションをとってる中で、
摩擦が生じた時、イラッとした時とかっていう話で言うと、
これは何度もこのラジオでも話してるけども、僕もそれに気づくようにはなったんですよ。
それはやっぱりヨガの練習の中で、自分自身の内側に意識を常に向けておくということをすることによって、
アーサナーの中で、例えば起こる感情とか、
いろんな、アーサナーやつだってイラッとすることはある。
うまくできない自分にイラッとしたりとか、きついとか、楽しいも含めてね、
いろんなわけ起こる感情を観察することがだいぶできるようになったんで、
それが日常的にイライラしてて、極端な話で言うと、一番その感覚が育ってない状態だと、
ちょっと怒んないでよって言われて、いや、俺、怒ってねえしっていうふうに、
絶対怒ってるし、怒ってないって本当に思ってるような状態。
それ一番気づいてない状態じゃないですか。
でもそういう、僕も多分そういう状態だと思うんですけど、
そういう状態だったところから、あ、俺、結構今怒っちゃってるとか、
その次の段階で言うと、あ、またこう言っちゃったってすぐ気づく。
さらにもう一歩行くと、言いそうになった時に、もう言いそうになってる自分に気づくとかっていうふうになって、
そこで深呼吸するとかね、そういう話、毎日だけども、そういうことができるようになったわけですよね。
それと同じように聞こえるんだけど。
スピーカー 2
あ、同じです、同じです。
スピーカー 1
でもそれで言うと、それがいわゆるできるようになったら、いらないっていう話になっちゃうよね。
だから今の話で言うと、僕が今勝手に想像だよ。
聞いてて想像したのは、それよりもさらに早いタイミングというか、
もう自分の体が例えば熱くなったりとかする前に、
もうそのビビッと電気信号が送られてくる感覚みたいなことに気づくと、
より早いのかなって思ったんだけど、それへんはどうなんですか?別に同じですか?
スピーカー 2
自分の感情がどうかっていうことだと思うんですよね。
その時の自分の感情が溶けていく。我慢じゃなくて、溶けていくようになるといいかなと思います。
要するに、あ、こうなってるって言って、本当はイライラしてるし、その我慢してるだけなのに、
言いたいことを言わなかっただけで終わってる場合は、まだ浅いかな、表面上かなと思うんですよ。
本当に心の底から自分がイラッとして、言いたいことを言わずに我慢してだけじゃなくて、
もうその感情すらが溶けていく。1、2分で溶けていくみたいな、もうすぐ溶けていくみたいな、そういう感じ。
スピーカー 1
だからずっと溜め込まないんですよ。
スピーカー 1
それが瞑想、ビパサナ瞑想、ヨガで得られることと、僕が得られたことと、
まりこさんがビパサナ瞑想でがくかまっていくことで得られているものがどう違うんですか?っていう話をしてるんだよ。
スピーカー 2
そうですね。だからヨガの方が表面上、表面だけ。
ビパサナ瞑想は心相心理、心相心理というか、身体の奥の奥。
スピーカー 1
そういう違いがあるってこと?
スピーカー 2
はい、違いがあるっていうことです。
スピーカー 1
そうなんですね。
それと身体の、さっきの感覚的に信号を築くって言ったのは納得がいくんですよ。
なぜならばビパサナ瞑想は身体の隅々まで感覚を研ぎ澄ますっていうか、
意識を抜ける、意識し続けるっていう話だから、そりゃそうだよねって思うんだよね。
でも今の話はあんまりピンとこないんですけど、境界していくみたいな。
スピーカー 2
そうですね。
ヨガで浄化していくってあるじゃないですか、自分の怒りとかいろんなもの。
確かにそれもできるんですよ、浄化の作用あるけれども、
やっぱ深い、一番奥の深いところまでは行かない、行けないっていう違いはあると思います。
スピーカー 1
それはやっぱりあれかね、身体を使ってする。
たぶんだけど、ヨガのほうは簡単で、
簡単っていう言葉はちょっと語弊があるかもしれないけど、ひとまずその言葉で言うけど、
簡単で、瞑想のほうがとても難しい。
自分の心の中とか意識とかそういうところに働きかけていくものだからっていうことですかね。
その違いっていうか。
スピーカー 2
そうですね。うまく説明はできないですけど。
スピーカー 1
なんとなくわかります。
スピーカー 2
そうですか。
スピーカー 1
で、今回はそういう、より深くなったってことかな。
スピーカー 2
方法がわかったっていう感じじゃないですか。
こうすれば深まっていくんだっていう。
だから、こんだけ座ってるのにあんまり変わってないなとか、
実際じゃポンって人とぶつかった時に、その瞬間にどう使えるんだろうとか、
そういうことが今回わかったっていう感じですかね。
だからそれまでは、ただ毎日1時間2時間座って、
自分が徐々に変わってきて、変わってきながら、
何かが起こった時にちょっとはましになってるとか、
そういう感じだと思うんですけど、
何かが起きた時にすぐ使うみたいな、すぐ使う技術みたいな、
そういうとこにつながってなかったんですよ。
スピーカー 1
それはさっき言った、法師と瞑想っていう形の今回のプログラムっていうか、
がそういうところに貢献したってことですか。
スピーカー 2
そうです。なぜなら、同じ法師者と仕事しながら、すごい忙しいから、
何か言い方がきつかったりとか、やっぱあるわけですよ。
初めてなのにとか、私初めてでよくわかってないのに、
何でそんな言い方するんだろうとか、やっぱそういうこと出てくるんですよね。
そういう時に、あ、そうかってすぐ立ち戻れる。
立ち戻れる。今私は瞑想しに来てるし、瞑想修行に来てるし、
何のためにやってるのかっていうことが、そういう摩擦が起きた時に、
あ、そっか今だ。今これを内側に意識向ければいいんだとか、