ナーラヨガと瞑想の両天秤
前回からの続き
クリック、同じこと聞いちゃってるかもしれないですけど、僕ならヨガはもう正座の形に最終的になるし、座禅は厳密に言うと正座じゃない座り方なのかもしれないですけど、
結果的に同じ 状態、心の状態を目指すんであれば、
なんかどっちかでいい感じを受けたは受けたんですけど、 それを並行してやるっていうのは、しゅらさん的には、なんかその並行してやる意味を感じていらっしゃったのかなと思って。
そうですね。
ナーラヨガにも、
中さんと私で一緒にやったのはアーサナって言われるとこなんですよね。 アーサナとか一部なんですね。
その、 ある意味先に
瞑想って言われるところがあって。 先?
さっき、ヨガって、
その、この前も言ったかもしれないですけど、心の作用、 思考とかマインドのこう、
を止めるのがヨガなんですよね。 だから別にそれが止まっていれば、
こう、 そういうアーサナの
ポーズだとか、瞑想だとかをやらなくても、 別にヨガの状態
には到達できるんですよ。 でもなかなかそれができないから、みんな
アーサナとか瞑想だとかを やって、その、最終的にはこう、
生活すべてが、 瞑想状態に入るみたいな。
鬼滅の刃の全集中じゃないですけど、 全集中、全集中、上中じゃないですけど、 めちゃめちゃ殺そうとしてますけどね、その瞬間。
殺そう。
でもなんかそういう、 はいはい。
本番はその、あれなんで、 生活のほうなんで、瞑想が特別な体験じゃなくて、
生活すべてが、 瞑想的な状態で生活できるっていうのが、
目指してやってはいいじゃないですか。
そうそう。で、それに、
しゅうさんの質問、違うことによって? そう、2種類を並行してやるっていうのが、
でも手法が違うだけで、同じとこを目指してる感じを受けたもんで、 どっちかでいいのかなと思ったけど、
2つとも並行してやるってことは、なんか目的地も違ったりとか、 なんかそういう感覚があるのかわからないですけど、
ナーラヨガの広め方
まだちょっとしゅらさんの、2つ同時に、 やり続けていることの、
目的っていうか、それがまだ見え切ってないなぁと思って聞いたっていう、 感じだったんですけど。
そうですね。
なんか、この、さっきも言ったんですけど、この欲求が、この伝えたい、広めたいっていう、
欲求が、俺は何に対してもあるタイプので、
その、さっき言ってた、いい食材?
ごま油、いいごま油とか、いいオリーブオイルとか、いい醤油とか、
いっぱいあるんですけど、そういうものに出会うと、
まず誰かに伝えたいって、他の人にも広めたいみたいなのが、 何に対してもあるんですよね。
何に対してもある。だから、ナーラヨガももちろん伝えたいですけど、
でも、ナーラヨガを、こう伝えるのって、なんかむずいなぁと思っている自分がいるんですよ。
あー、なるほど。
瞑想、ナーラヨガにも瞑想があって、
それも、一回受けたことあるんですけど、
ナーラヨガの瞑想?
はい、ナーラヨガの瞑想。
それは、ほんとシンプルで、簡単で、いいんですけど、
なんかね、こんな簡単でいいのか?みたいな。
はいはいはい。
っていうのがあったりして、
とか、
なるほど。
そう、だから伝えたいものは、何だろうなぁ。
自分が、本当にその、何だろうな、
いいことを伝えたいのか、いいと思っていることを伝えたいのか、
自分がこう、ある意味有名になったりとか、
承認欲求として認められたい、みたいなところから派生してくるのかは、
ちょっとわかんなくて、
でも、今話して思ったのが、瞑想とかに関しては、
どっちかというと、後者の思いが強いんだなと思ったり、思いましたね。
自分が認められたりとか、
多くの人に承認されるためには、
もっと、もうちょっとなんかメジャーな、
メジャーに、メジャーなやり方の方が、
いいんじゃないかってことで、
割と世間が認め、若干でも知っているような、
瞑想の手法に、
きっついてそれをやっているっていう感じかもしれないですね。
うーん、そっか。
手放そうとされた時には、
ちょっと僕の記憶が間違ってたらあれですけど、
ナーラーヨガと瞑想のうちの、瞑想の方をやめる的なふうにおっしゃってませんでしたっけ?
そうそう、あの、
最初は、ナーラーヨガの方をやめるないしは短くして、
瞑想の方に重点を置こうと思ったんですよ。
それでちょっとやってみたんですよ。
それ1週間くらいかな。
でも、全然なんかこう、
充実感がなかったんですよ。
ただやってるだけみたいな。
で、それで瞑想をやめてみて、
ナーラーヨガの体操、アーサナの方に朝やる、
アーサナの方に集中したんですよね。
そしたらそっちの方が、
なんかこう、充実っていうか、
追われてる感はなかったんですよね。
なんか、借り立てられるみたいな。
だからそっちの方が良くて、今に至ってるっていう感じですね。
うーん、そっか。
そうっすよね。
今なつぐさんも書いてくれたけど、
良いものを広めたいという利他的な行動と、
資格の問題
拡大による達成感を得たいという、
利己的行動の両天秤。
そうっすよね。
承認欲求とか広めたいっていうので言うと、
ナーラーヨガは難しかろう、みたいな感じ。
広げづらいっていうのを感じてるけど、
自分のその、なんか、達成感というか、
で言うと、やっぱナーラーヨガの方が良い、
っていうそこで、
そうなんですよね。
揺れてる感じが、受けましたね。
うーん、なるほど。
うーん。
そう、だからなんか、
ナーラーヨガを、
こういうふうに自分みたいに良いって思ってくれる人もいるし、
ちょっとなーって思う人も、
もうちょいいるじゃないですか、
もっと動きたいなーとか、
本当にこう、そんなに動力ないんで。
だから、自分みたいに良いと思ってくれる人に向けて、
やっていけばいいと思うんですね。
でも、なかなかそれが今、できてない状況で、
じゃあ、
ヨガ自体も全然全く分かんないって人が大多数のこの世の中で、
ヨガの中でも、
本当にこれヨガ?って言われるような、
感じのヨガじゃないかな、
動きも少ないんで、
一般的にイメージされるホットヨガとか、
そういう感じとは全く違うので、
そこに、
だから、さらにあれが狭まるなと思って、
ターゲットって言ったら、
まあ、はいはい。
それよりはもうちょっとこう、
大きなところにアプローチしていって、
やったほうがいいんじゃないか、みたいな発想が出てきて、
そっちに行ったけど、
でも、自分的にはあんまり苦しいから、
また戻ってくるんじゃないかって。
堂々巡りみたいな。
なるほど。
なるほどな。
自分的には本当にそれがナーラヨガは100%いいと思ってるんで、
自分自身にはやってるんで、いいんですけどね。
いやー、なんか感覚的にはよくわかる気がするんですよね。
それをうまく言語化は僕できないんですけど、
ちょっとせっかくなんで、僕のチェックインの方になだれ込んで行っても良ければなんですけど、
僕なんかちょっと時系列でこの1ヶ月間みたいに遡るのは苦手なもんで、
直近のところから行くと、
昨日までの3日間で、
サマータイムレンダーっていうアニメを見たんですよ。
しろろさんご存知ですかね。
見たいなーと思ってて見れてないんですよね。
あー、そうなんですね。
これネタバレあります?
いや、ネタバレはしないように気をつけようと。
見ようと思ってるんで。
見ようと思ってるんですか。はいはいはい。
僕も教えてもらって、別でやってる、しょうまさんと一緒にやってる、
シューとショーの道のりへの道のり、略して道のりの方でしょうまさんが教えてくれて、
意識のことをよく考えるきっかけになったみたいな話をされていて、
で、実際そうなんですけど、僕もそういう視点で見ちゃった。
まあそういうふうに言われてたのもあるんですけど、
見ちゃったっていうところがあって、
その意識ってなんだろうってみたいなことを僕も前々からよく考えてたし、
今回それ、サマタイム連打見てより考えたっていうところあるんですけど、
なんかそれこそ瞑想とかで、その意識みたいなものを自分でさらに俯瞰して、
意識してる自分を俯瞰して見られるようになるのかなーとか勝手にイメージしてるんですよね。
それできたことないんですけど、僕。
ほんと瞑想で、何も考えない状態に全然なれない。
ずーっと頭回転してるタイプで、常に考えてるもんで、できないなーって思いつつ、
興味がずっとあるから、そのナーラヨガも、そういう瞑想的な視点で思ってたから、
さっき、あ、瞑想とナーラヨガって違うんですか?みたいな感じのことを言ったのはそういうとこもあったんですけど、
ただでもナーラヨガは正座が苦手すぎて、結局あの後、またやってみますって言いながらやってないんですけど一回も。
っていうぐらいやっぱ正座がね、正座があれなんですけど、 そうっすよね、正座、俺も最初は全然あれだったんですけど、
今はもう結構慣れてきた。 うーんそうなんですねー。
正座のポーズは毎日やってないんで、朝やってる時は正座のポーズはないんで。
太陽礼拝っておっしゃってましたっけ? なるほどなるほど。
じゃあそこに早くたどり着いたほうがいいのかな?でも一旦正座が気にならないぐらいにならないと太陽礼拝は
踏み込めない領域なんですね? あーいやそんなことはないですけどね。
あ、そんなことないですか? はい、そんなことないですよ。 じゃあ太陽礼拝の方を教わりたいなーとか。
そうなんですよ、でもそこね、またね、資格がないんですよ、俺。 あ、資格がいるんだ。
そうなんですよ。 へー、なるほど、そっかそっか。
勝手にね、勝手に教えちゃいけなくて。 へー、なるほど、そういうことか。
そこが、そこの悩みで、 ヨガの界隈も、やっぱり資格ビジネスで、
いろんな資格があって、それぞれ結構なお金がかかるんですよね。
まあそう考えると奈良ヨガとしてはそんなに高くはないんですけど、
ただその今、ごめんなさい、なんかマイク奪っちゃって。 全然全然。
今一番有名な資格と言われているのがヨガの中で、有名というかポピュラーなのが、
多分全米ヨガ協会? 全米の、アメリカの資格で、
RITっていう、
RIT200とか、RIT500とか言われてる、 なんか資格があるんですね。
ヨガ講師の資格取得と達成感の悩み
へー、RITのその何の劣化はあんま気にしなくていいですか?
そう、俺もよくわかんないですけど。 とにかく全米ヨガ協会の。 そうそう、確か全米ヨガ協会の資格を持ってると、
スポーツクラブとか、そういうところのヨガの 講師として入れたりとか、
割とコロナで、
地域、地域というか一番最初の方って、 飛行機の需要がなくなったから、
キャビンアテンダントさんが、
リストラじゃないけど、 そこまで数いらないといったときに、
じゃあCAさんが、
資格取ってヨガ講師になりませんか? みたいなキャンペーンを売ってたりとか、
そういうのがあって、それが多分、 40万とか50万ぐらいするんですかね。
それなりに勉強もするんですけど、 ただね、その勉強って、
自分でもできちゃうんですよね。 ヨガ哲学と言われるものって、
我流になっちゃうんですけど、 それこそ、
ベーダー。 ベーダーってあるんですけど。
アイルベーダーのベーダーですか? そうそうそう、アイルベーダーのベーダー。
アイルベーダーのベーダーすら意味はわからずに、 聞いたことあるっていうだけで反応してますけど。
ベーダーとか、あとインドの、
インドで言う、古事記みたいな神話の本で、 マハーバーラタとか、
バガバットギーターとか、 響きだけ聞いたことあります。
そう、ギーターとか、ヨガスートラとか、 響きだけありますね。
そういうのが出てるんで、本で。 本で出てるし、なんだったら、
バガバットギーターなんて、 もう何千年前のものなんで、
サンスクリット語とか、パーリ語とか、 あ、パーリ語は仏教だからちょっと違うか。
まあ、もうすっごい前のものなんで、 だから、別に自分でも勉強できるし、
そのスクールに入ったからといって、
確かに、ヨガ、ぶっちゃけ初心者、
一回ヨガに行ってみて、面白いと思ったから、 その資格を取って、
ヨガの講師できます!ってなって、
まあ、できるんですけど、
なんか、それでどうなの? みたいなのが自分の中にあって。
うまく言語化できないんですけど、そこは。
だけど、何かしら選んでやってはいるんですけど、資格を。
自己の達成感と境地の関係
でも全部取るっていうのは難しいので、
2、3万とかだったらいいですけど、 10万単位なんで。
僕もそれこそ、 なるべくお金を使わない暮らしをしてるし、
しかも一切稼ぎ、普通の稼ぎはしてないっていう状態なんで、
そういう世界にまずは、 踏み込もうにも踏み込めないみたいなところがあるんですよね。
そういう世界っていうのももうざっくり、 有料なものには基本踏み込めない、みたいな。
そういう生き方をしてるっていう縛りがあるからなんですけど、 っていうのと、なんかずっと今日、
しらさんの話聞いてて感じてるのが、 なんていうんすかねー、
なんか、老いみたいなものも僕感じてきているし、 ぶっちゃけ自分の親とかも、
あれこれいつ行っちゃうかわかんないぞみたいなぐらい、 結構弱ってきてたりする、
みたいなのを考えると、 さっきしらさんが
おっしゃられたみたいな、 何かを達成する?的な?
ことっていうのが、そもそも、 なんていうんすかねー、
もちろん自分で設定して何かを達成する、 みたいなことはできるんですけど、
ある意味それって何か淡々と日々生きていくことと、 あんまり変わりがないような感覚になってきてて、
なんか前は違ったんですよ、淡々と日々生きることと、 何か目標を設定してそれを成し遂げることって、
どっちかっていうとその、成し遂げることの方が特別感があったり、 偉いみたいな感覚があったり、
するんですけど、でもそれを成し遂げた後はまた次の 目標を立てて達成っていう風に、
やっていく繰り返しっていう風に感じてきて、
同じような感じを今はちょっと印象として持っちゃってるんですよね。
なんかね、すごい上手く言えてないんですけど、 有料のものの時点でも僕はその、
諦めざるを得ない、みたいなところがあるわけじゃないですか。 目標だとしても基本的にはですよ。
よっぽどこう人に助けてって言ったらまた別ですけど、
なんかそう思うと自分には自分で日々自分の歩幅で歩くしか できねえんだなあっていう感覚があるもんで、
なんでしょうね、うまく言えないなあ。 全然うまく言えないなあ。
そう、
瞑想とかでたどり着ける境地みたいなのがあるかもしれないんですけど、
なんか途中でシェロさん言われたみたいに、時間が関係ないみたいなこともよく聞くんですよ。 僕の体験じゃないですよ、体感じゃないんですけど、
時間は関係ないだったり、なんか、
それこそ目標地点に達成するようなものじゃなかった、みたいなのも聞いたことあるんですよね。
その、なんか、
そういう悟り的なもの? 悟り的なものにも段階があるんでしょうけど、ある意味そのある地点に行ったみたいな感じの
ことを言われてるんですけど、 いやでもそれは行ったみたいなもんじゃなかったんだ、みたいなこと言うんですよ。
たどり着いた、みたいな、なんかを努力して瞑想をやっていけばそこにたどり着いた、みたいな感じじゃなくて、
そういうの全然関係ないんだっていう、もう何もない、自分なんてもう何もないんだ、みたいなところを、こう、
目標の成し遂げと悟りの関係
俯瞰してみれる自分、 みたいな状態だから、その、
見られてる側の、努力してる自分には全く関係ない世界だったんだ、みたいなことを言うんですよ。 だから、努力とか達成とかじゃなかったんだ、みたいに言うんですよね。
っていうのを聞いたことあるんですよ。 で、
そう考えると、
まあ、なんかある時ヒョンって行くようなものなのかもしれなくて、それまではただ、
あんま関係ないかもしれない、 ようなことを日々、
自分の 生命活動というか、生活を維持するために、
ただただ、テクテク自分の幅で歩いてたら、 もしかしたらある時そうなるかもしれないし、死ぬまでならないかもしれないし、みたいな、
感覚風に今はなっていて、でもまあ興味があるから、
瞑想したいなとか思いつつ、
みたいなことを思いました。
なんか全然言いたいこと言えた気はしてないんですけど。
いやでも、伝わってきたというか、
確かにその、シュウさんが聞いたこと?
その、なんて言うの、今言った後の、
どこかに行ったとかじゃなくて、
テクテク歩いてたら、なんか言ってたかもっていうか、それが、
別に行っても行かなくても、いいっていう、
境地が本来なら、
本来のそのあるべき、あるべきというか、ありたい姿ですよね。
それは結構どういう、いろんなとこでやっぱり言われてるし、
いろんな教えの中で、
その、前週の、引退集の中でも、
仏を殺せみたいなのがあるんですよね。
え、仏を殺せ?
穏やかじゃないですね。
例えばなんかその、俺が仏だみたいなことを言ってるやつがいたら、
それを殺せだったかな?
そんなやついないと。
俺が仏だ、俺が悟っててお前は悟ってないとか、
そういうやつはもう悟りじゃないと。
その教えの流派にもいるんでしょうけど、
誰も悟れないよっていう。
誰も悟ることはできないんだよ。
っていう。
上も下もないよみたいな。
うんうん。
次回へ続く。