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スピーカー 1
はい、ありがとうございます。
政子さん、久しぶりの提言ありがとうございます。
ありがとうございます。
結構ね、僕、昨日考えたんですけど、まりこさんもね、考えてくれたんじゃないかと思いますけど。
これ、まず最初にサットサンガのことから話を受けてっていうことですけど、そのサットサンガで話したのは、まず練習中、ヨガのアーサナプラクティスの練習中、特にアスタンガガのマイソールクラス。
マイソールクラスの場合は、生徒さんが自習練しているところを先生が必要に応じて指導する。
例えば、わかりやすいところで言うと、「あ、何々さん、そこはそうじゃないですよ。こうですよ。」みたいな。
とか、「こうしてください。」っていう指示とか指導とか信頼をしたりするわけですけど、その時に素直に聞けない。
自分はこういうふうにやっている。正しいと思ってやっているとか、これがやりやすいからとか。
自分なりの何かしら理屈とか理由があってとか、理由がないにしても、正されるっていうことが自分が否定されたような感覚に無意識的になってしまって反発してしまうとかっていうことに対する話がメインだったかと思うんですけど。
それについては、そこに今言ったように感情が混じっていることによって反発してしまうっていうのがあるから、
言われたことに対して感情を抜きにして、まず素直にそれを聞いて受け入れるっていうことをしましょうみたいな話だったかと思っています。
それとあと、これ主に家庭で夫とのいざこざ、子供へのしつけなどっていうことなんだけども、これに尽きるんでしょうね。
しつけかどうかは別としても家庭での話ですよね。
今朝子さんは育休中で家庭がもう生活のほとんどでしょうから、その話だと思うんですけど、その前提で考えたら、これは本当にごくごく一般的によくある話かなっていうふうには思いますね。
本当によくあるでしょうね。
家庭内だからっていうのももちろんだし、子育て中、特にまだ乳幼児とか、かなり幼い子、未就学、もしくは未就園児とかを抱えているようなお母さん、お父さんの間にこういう話は多いっていう気がしますね。
どうですか、まにこさん、まず思ったこととか。
スピーカー 2
まずですね、ちょっとこちらの多分説明の仕方がちょっと難しい話なんでね、あんまりうまく伝えられなかったんじゃないかと思うんですけど。
スピーカー 1
サットサンガの話ですか。
スピーカー 2
サットサンガの時点でね。
盲目的に言われたことに従う、言われたこと自体を受け入れないといけないっていう話ではなくて、言われたことに対して自分がどう感じているのか、反発しているのか、それともそのままスッと受け入れられるのか、その自分の心の状態を受け入れましょうという話だったんですね。
言われたこと云々が重要ではなくて、何かを言われたときに、あ、これを言われたときに私はちょっと、え、なんでって思ってる、こうじゃないのって思ってるとか、そういう、なんて言うんでしょう、反発している自分の心。
スピーカー 1
まあ感情だよね。
スピーカー 2
そういうものを受け入れましょう、気づきましょう、冷静に気づきましょうっていう話だったんですね。
スピーカー 1
なので、盲目的に従いましょうっていう話ではないっていうことをまず一つ。
そうですね。
まあちょっとその時にどういう話だったかちょっとよく覚えてないので、僕もあれなんですけど、まあ今まりこさんが言った通りかとは思います。
はい。で、あさこさんのこのメッセージから感じるのは、まず、まあその自分のそういうところに悩んでるというか、まあもやもやがすごくあるみたいなので、まあそれに対して言うと、さっき言った通りでよくあることだと思うんですよね。
まあよくあることっていうのは、夫婦でそういう感情が先に出てしまうっていうことはよくあるっていうことだと思うし、素直にできないってあさこさん言ってるので、つまり本当は素直にできた方がいいと思ってるってことですよね。
だからまあ、なんていうか、そもそもそんなにへこむことじゃないっていうか、素直にできた方がいいってわかってるんだから、それでいいんじゃないかなって思うんです。
とはいっても、それでじゃあ素直になればいいじゃんって話が終わっちゃうので、まあそういうわけでもいかないんですけど。
で、まず何でそういうふうに感情的になりやすいのかっていうふうに考えると、家庭内とか、まああとは家庭内じゃなくても、例えば親友とかね、距離の近い人とはそうなりやすいと思うんだけども、
根本的にそうではない人、自分が心を許してない人とかとは、まあなるべく人は摩擦を起こしたくないじゃないですか。
だから感情は出さないように極力してるんだと思うんですよね。
でも夫婦とか家族の場合は、心を許しているだけに、いちいちそういうことを気にする必要がないから感情的になって、その価値観とかそういうものが衝突しやすいんだと思うんですよね。
で、それはなんか家族とか親友だからこそ、自分の価値観を認めてほしいとか、理解してほしい、尊重してほしいとかっていう気持ちが強くなることだと思うんですよ。
例えば会社の上司とかにそこまで思わないと思うんですよね。
もうこの人はこの人、私は私みたいな感覚でいれると思うんですよ。
でもまあ家族だとはそういうふうに思うと。
で、それが満たされないと、自分は理解してもらえてないとか、大切にされてないみたいなことを感じて、それが怒りとかイライラみたいになったりすると思うんですよね。
スピーカー 2
そうですね。そういうパターンももちろんあるし、私も別のパターンとしては、お互いに自分の家、自分の家族、自分の〜みたいな、お互いに多分思ってる大事っていうかさ、すごく思うじゃない?
スピーカー 1
相手のことを?
スピーカー 2
相手というか、このコミュニティ、家族というコミュニティ、家っていうか、一つの共同体。これ自分のって思ってるんですよ、お互いがきっと。
で、ある程度やっぱ自分の心地よい状態にしたい。
自分の思うようにできればしたいじゃないですか、お互いね。
スピーカー 2
こういうふうに言ったほうがいいよとか、いろんな方法あると思うけど、それみんなに当てはまらないんだよね。
だから、一個一個そうやってどうしたらいいかっていうのを細かく言うのはちょっとできないんだけれども、
ただこれだけ抑えとったらいいんじゃないのかなって私が思うには、絶対争いは起こる他人同士だから。
だけどそれを大火事にならないように最小限に抑えるためには、どうしたらいいだろうか、どういう方法があるだろうかっていうことを冷静にまず考えるっていうこと。
で、それともう一つ、やっぱりそのあひむさ、傷つけないようにしよう、自分のその相手ね。
旦那さんであり、子供であり、傷つかないような方法を選ぼうっていうふうに思うと、あんまりわーって感情的に任せて言ったらダメだなとか、そこでちょっと冷静に考えられるじゃないですか。
みんなが心地よくそれぞれね、絶対こうじゃないといけない、正しくないといけないっていうことよりも、みんながリラックスした状態、そういう過ごし方ができるような方法を探していくっていうのが一番いいのかなと思って、
その中でいろいろやってみて、解決方法をみんなで見つけていくじゃないけど、それがなんかいいのかなと思いますね。
スピーカー 1
それはそうだと思います。
あとはただ今回の浅木子さんの疑問っていうかアドバイスが欲しいって言ってるのは、やっぱり反発心が出てしまうこととか、もちろん平和的に大火事になるような状態にはなってないんだと思うんだろうけど、
自分の心の中の小さな火事みたいなのが嫌なんだと思うんだよね。
それが出てきてしまうのがもやもやしちゃう。
だからそこに対しては、さっき言った通りかな、まずは受け取ること、条件に反発するんではなくて、まず一旦受け取ってみて、その中身をちゃんと理解するというか、
自分とは意見が違うけども、なんでそういうふうに思うんだろうっていうことをきちんと考えて、さっきの話で言えばだから聞いてほしいとか、子供のことを考えてそう言ってるとか、
子供のことを思ってそう言っているっていうことだったら、それはお互い理解っていう言い方は適してないかもしれないけども、一致してるじゃないですか。
だからそれであれば話し合う余地はあると思うんですよ。子供のためを思ったら私はこういう方がいいと思うんだけど、ご主人は僕はこういう方がいいと思うんだよね。
で、あさこさんだって人の話を聞けない大人になってほしいとは思ってないと思うんですよ。というかお父さんの話を子供にも聞いてほしいとは思うんですよね。
だけど話を聞きなさいって言って無視するの繰り返し、これじゃ意味ないじゃんって思ってるだけなんだと思うんで、だったらどういうふうにしたらいいんじゃないかっていう提案をするなり、一緒に考えるなりっていうことができると思うので、
で、多分そこにだから至ってないだけ。で、至ってないのはさっきも何度も言うけど感情が先に来てしまってるからっていうことだと思うんで、その辺を冷静に。
で、それが傲慢祭の取り組みをヨガや日常で行うようにしていますがって言ってますけど、まさにそれが練習というか訓練というかその取り組みはもう継続してやっていくしかないですよね。
スピーカー 2
もうめちゃくちゃ時間かかるんですよ、こういう心の問題に取り組むの。だからヨガやってるからってすぐにそれができるようになるわけじゃないから、
ほんと10年ぐらいのその今のこのモヤモヤが消えるのは10年ぐらいかかるんじゃないかぐらいの気持ちで取り組まないとどんどんイライラ増してね、さらにこうそういうネガティブな感情積み重ねてしまうから、
もう長い目で見て一つ一つできるだけ冷静になれるように日々の練習をやっていくしかないかなと思います。
スピーカー 1
長くかかるのもそうだし、ヨガでこれはあさこさんもわかってると思うけど当たり前だけどアーサナプラクティスを一生懸命毎日やってって解決する話じゃないんですよね。
それは例えば山に山の話だったりもそうだと思うんだけども、山に山をやるにしたってやっぱりそこへの理解っていうのは深まっていかないと強固なものになっていかない、自分の中で。
本当に言葉だけ知っている、理屈だけ知っている、解律みたいなことってルールがわかっても何のためにそうするのかがわからないと守れないし、何のためにそうするのかがわかっても心の底からそうしたいって思えながらやったらどっちにしたって守れないんですよ。
スピーカー 1
そう思えるようになるためには例えば苦行みたいな自分の体を痛めつけたりすることで解決することではない。
それだからアーサナプラクティスをきつくても苦しくても365日毎日やれっていうことをやればできるわけじゃないので。
だからそれはね、いろいろなことを日々の生活から学ぶこととか、もちろん座学みたいなことを学んでも、米大の学びとかでもそうだし、仏道でもね、何でもそうだと思うんですよ。
心を育てていくような学びが必要な場合もあるかもしれないし、だからそれも含めて本当に簡単じゃないんですよね。
スピーカー 2
簡単じゃないんですよ、時間かかる。
スピーカー 1
特に個人差がある。
僕なんかはやっぱりそういう意味ではもう完全に道半ばですし、まだ。
みんなそうです。
だから偉そうにっていうか、こうやって相談していただけるんで、僕らも思う範囲で答えてるけども、でも同じことを僕らだって起こってますからね、日常的に。
スピーカー 2
でもね、なんかちょっとずつそのヨガの学びがその日常と混ざって実体験として問題を解決したりとかしていくことで、またさらに学びが深まったりとかしていってますもんね、実際ね。
スピーカー 1
アーサーのプラクティスと一緒で、そういうこともなんか、昨日できたことが今日できなかったりするしね。
昨日素直になれたのに、今日はまた素直になれないとかもあるんですよ。
でもそれを何回も繰り返していくうちに少しずつなんか変わっていくっていう。
なので、アドバイスになったかどうかわかりませんけど。
スピーカー 2
だから一緒に見守りますから、本当に。
こういうふうにまたなんかあれば言ってもらえば。
一人で抱えないでいいからね。
スピーカー 1
そうそうそう。これで解決っていうのはないんですよ、本当に。
だからね、また別のことで問題が起きたらまた相談してもらってもいいし。
スピーカー 2
めっちゃ考えましたね、この議題を挙げてくれてそれぞれ。
何て言ったらいいんだろう?
スピーカー 1
何て言ったらいいんだろうというか、どこに問題があるかなっていうことはね、やっぱりでもこれって本当に冷静に見ないとわかんないんですよね。
そんなに僕らも今日すごいこと何も言ってないんだけども。
これは第三者がこうやって客観的に見て考えるからわかることで、本人はね、波中にいるとやっぱりなんでなんでっていう気持ちは強すぎて、
答えっていうか現実の状態がよく見えない感じになってしまうんでね。
こういうふうに相談してもらったらそれはそれでいいんじゃないかなと思います。
というわけで、でもね何にしろお便りありがとうございます。
お題をいただけた方が一緒に番組を作っていると思っているので、またお待ちしています。
今日はこんなところで終わりたいと思います。