なるほどね。
じゃあどういうアイデンティティとか自分であれると思うと一番頑張れるんですか?
なんかこれは結構、言葉にできしづらいもので、
なんか僕が言ってた、こう体の感覚にこそ豊かさが眠ってるであろうっていうのが、
まあ今自分があるし、こう人生で味わってきたことなんですけど、まさにこう、なんだろうな、
割と体で感じられることなんですよね。
しっくりくるとか、よく言われることだと、ガッツフィーリングみたいなことを言って内臓で正しそうって思えるみたいなことだと思うんですけど、
それになんか違和感がないっていう感情だと思うんですよね。
こう自然な自分だなとか、まあ偽ってない自分だなとか、なんかそんな感じなんですかね。
自然体であり、なんか無理もしてなくて、本当に流れてるような、自分のありのままでいれてる状態。
この状態を保ってる活動であり、環境であり。
なんかそのパラメータは結構ユニークなものだと思うんですよ。自分固有の。
なんかいろんな、なんだろう、ちょっと挑戦ゲージは70点みたいな、でも安心は100点とか、嫌じゃないは90点であるとか、
なんかそういう、みんなにそういう自分の違和感がない、しっくりくるパラメータの感情ってある気がしてて、
それを大事にしていけると、まさにこのテーマでいう、医者を目指して頑張る自分みたいな、丸々である自分。
これが要するにこの人にとってのアイデンティティみたいな話だと思うんですけど、
そこの解像度みたいなのが高くなると、やっぱり心地よく生きていけるんだろうなみたいな。
そういうざっくり仮説を持ってるってことですね。
ちなみに人生を振り返って、そのパラメータが大地さんの中で一番フィットしていて、
一番この状態は、このテーマに当てはめると、頑張れてたなっていうのは、どんな時でした?
はい。
なんかパラメータって結構こう、可変でもあって、ある種育っていくものでもあるので、
ある意味で、そういう意味で言うと、今はやっぱりそれが心地よいパラメータにある。
それはミッチーとかヤッキー君のおかげでもあるんですけど、こうやって身体っていうところに、
僕が探求したいテーマっていうのがちゃんと持つことができていて、
それにまつわる人と一緒に何かを作り出していて、
それを自分の言葉で語れるような気持ちがあって、みたいな、
そういう意味で言うと、今この1年とかは本当にありがたいことに、
なんかこう、自分らしくというか、
自分がこう、ありたい、あるいは目指すというか、
ありたいアイデンティティであり続け、
あれてるし、それをちょっとアップデートしたい自分もいるっていう状態にあるっていう意味では、
なんかこう、今が最もピュアにできてるなっていう感じがあるかもしれないですね。
うーん、なるほど。
じゃあ今なんですね、一番頑張れて。
こうやって人生で一番頑張ったことって言われると、
なんかいろんな質があるんですけど、
やっぱ中学校の頃サッカーやってて、
しっかり練習に励んで、チームの中でも上手な方になれてとか、
そういう頑張ってのも思い浮かぶものとしてはあるけど、
なんかこう、人生における頑張った感って何なのかっていう質感で言うと、
なんかこう、今こうしていられることが、
なんかこの人の言う、頑張るみたいなのには近いかなって感じですかね。
サッカーをやってた頃の頑張りと今の頑張りはなんか、
どんな違いがありそうですかね。
確かに、でももしかしたら、ミッチーの話じゃないですけど、
自分が頑張りたかったことじゃなかった説あるって話ですよね。
なるほどね。
サッカー選手になりたいって当時もちろん言ってたし、
めちゃめちゃ頑張ってたし、一応高校もスポーツ推薦で入って、
プロ目指してみたいなことを思ってたので、
自分のテーマだと思ってた瞬間だったと思うんですよね、その当時は。
けど、本当にそうだったのかっていうと、
別に自分で意思決定してなくないみたいなのあるじゃないですか、部活とかって。
してるけど、とはいえ選択肢なんか野球かサッカーかぐらいみたいな。
大会戦でサッカーの方を選んだってだけで、
かつ父親がサッカー好きだったし、いつも教えてくれてたしみたいな。
自分の意思で決着決めてなかったみたいなことなのかなって思いましたね。
頑張ったけど。
たまたま周りの環境とか、親とか部活とかいろんなものが噛み合って、
それを頑張るってなってたけど、果たしてそれを頑張った先に何があるかまでは、
分かってなかったっていう感じなんですかね。
頑張りたいと思わされる状況にあっただけで、
なんか幻想というか謎ですよね。
それで上手くいくパターンもあるから、
走り切るとサッカー選手になってたりしたと思うんですけど、
でも逆にサッカー選手になって辞めてみたら、
この人生、誰の人生だったんだろうって思うサッカー選手とか、
意外にいるんじゃないかなって思うんですよね。
確かに。
それは親の押し付けとかだったら、
親の人生を生きてるだけのサッカー選手かもしれないっていう。
例外ですもんね。
良くも悪くも、あんまり考えずにというか、
自然な流れでこうやってって上手かったからどんどん続けてってみたいな。
けどなんか振り返ってみると、
本当に僕が決めてきたことだったんだっけみたいなことを思ったら、
なんかそんなに決めてやってるっていうわけじゃないっていうのが、
意外に社会ってそういうふうにできてる感じがしますよね。
なるほどね。
本当の意味で自己決定してる感覚は振り返るとなかったなっていう。
そうですね。
そこも違いかもっていう。
逆にその経験からなんか得たものはあるんですかね。
その経験っていうのは、そう気づいた経験ですか。
気づいた経験の、気づく前のそのサッカー頑張ってた期間。
いやでも、めちゃめちゃそれで言うとあるんですよ。
でもこれはストーリーとして自分がそう思ってるのか、
本当にそうなのかちょっとわかんなくなるときあるんですけど、
それこそ大学でサッカー部入ろうと入学前は思ってたけど、
辞めて、1年生ぐらいからもう自分でサービスを作るとか、
なんかやらなきゃなみたいなことでインターンしたりとか、
なんか頑張ってる自分あったんですね。
そのストーリーとしては、ずっと高校3年までサッカー選手を目指した自分っていう、
頑張ってた自分がいたけど、
それがなくなったから何か新しい頑張ってる自分を見つけたいっていうストーリーを、
自分の中で作り上げて、結構大学生は頑張ってるというかなんか模索してたんですよね。
そういう意味で言うと、やっぱり同じで、
やっぱり何かに夢中に一生懸命になってる自分っていうことは大事だったというか、
サッカーっていうものが本当に自分のものだったかわからないとはいえ、
あのとき大会に勝つためとか、プロサッカー選手になりたいっていう、
結構自分にとってのわかりやすい目標があったっていうのはすっごく大きかったし、
学びになったし、でも同時に高校ではすごく挫折というか、
思うように高校サッカー人生にはならなかったので、
すごくデックされてたりもしたんですけど、
でもそうして僕がサッカーとか、今授業やってても思うのは、
上手いとか賢いとかあんま大事じゃないんだなっていうのはよく思いますね。
サッカーだと上手い人が大事みたいな、
ビジネスだと賢い人が成功するみたいなのって、
ざっくりとらえるとそういうふうに思われると思うんですけど、
サッカー選手とかも上手いからなってるというよりかは、
なんかもうちょっと本当にいろんな要素、
ただ上手くいれば大丈夫って思っている自分とか高校生とかいたんですよ。
そういう世界じゃないんだなというか、
組織の中で活躍するビジネスマンとかも別に賢いだけじゃなくて、
なんなら上司をうまく気持ちよくさせることができる人が出世したりとか、
なんかそういう要素があるじゃないですか。
その組織の中での役割とか。
なんかそこの、だろうな、
なんかこう、そういうところとかを築かされた経験だったなと思うんですけどね。
うーん、なるほど。
サッカーを突き詰めて練習したり、
まあね、水泉で高校まで行くぐらいのスキルを持っていた大輝さん、
だからこそ、まあそういうそれ以上の何かみたいなものが必要なんだなってところに、
この経験を通じて感じ取れたというか。
とりあえず魂がやっぱ大事だったなっていう。
編集的にはね、内側。
なるほどね。
まあみんなそれぞれありますね、頑張ってること。
やっきくんも気になるけど。
確かにね。