1. 聴くNIKKEIリスキリング
  2. 【異分野トーク】柔道金メダリ..
2025-10-15 28:48

【異分野トーク】柔道金メダリスト・角田夏実さんの「変わる力」と「学ぶ力」【ゲスト:柔道金メダリスト・角田夏実】[#065]

【異分野トーク】

さまざまなジャンルのゲストをお招きし、その活動や経験から学びのヒントを探っていきます。


<今回の内容>

  • パリ五輪から1年、生活は変わった?
  • 変わる力と学ぶ力
  • 元々はそんなに強くなかった?
  • 大きな転機
  • 結果が出ないときの乗り越え方


<出演>

桜井陽(NIKKEIリスキリング編集長)

曽田雄志(元Jリーガー)

角田夏実(柔道金メダリスト)


<メッセージフォーム>

各種メッセージは以下のフォームよりお送りください。

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://esf.nikkei.co.jp/kikunr_message/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

See Privacy Policy at https://art19.com/privacy and California Privacy Notice at https://art19.com/privacy#do-not-sell-my-info.

サマリー

女子柔道48kg級パリ五輪金メダリストの角田夏実さんが、競技を通じて得た「変わる力」や「学ぶ力」について話します。彼女は、オリンピック出場を目指す過程での努力や、若手選手との交流から得た学びを共有します。角田さんの経験を通じて、柔道における勝ち方や、若いビジネスパーソンの成果を求める姿勢が見えてきます。彼女の「変わる力」と「学ぶ力」が、柔道生活や社会人としての成長にどのように影響しているのかが探られます。また、階級変更という大きな賭けを通じて得た「変わる力」と「学ぶ力」についても語ります。角田さんの挑戦は、自分の限界を超える楽しさと成長の重要性を示唆しています。

角田夏実の紹介とテーマ
聴くNIKKEIリスキリング
こんにちは、NIKKEIリスキリングMCの桜井洋です。
この番組では、ビジネスに役立つ楽しいリスキリング情報を提供いたします。
今回は、様々なジャンルのゲストから学びのヒントを探る【異分野トーク】シリーズです。
ゲストに、女子柔道48kg級パリ五輪金メダリスト・角田夏実さんをお迎えしました。
前編のお話は、苦労日を取れたら辞めようと思っていた、と語る角田さんの変わる力と学ぶ力についてです。
学生から、結果を求められる社会人になった時の戦い方の変化などについても伺いました。
それでは本編をお聞きください。
はい、ではそういうわけで、お話をじっくり聞いていきたいと思います。
一緒にお話を聞いていくのが…
はい、コミュニティエディターの曽田です。
言えました。
言えましたね。今日は込まなかった。
調子がいいかもしれません。
調子がいいですね。
お話、女子柔道48kg級パリ五輪金メダリストの角田夏実さんに伺ってまいります。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
パリ五輪の、もう一年前ですよね。
そうですね、一年ぐらい経ちましたね。
一年ぐらい経ちましたよね。
だいぶそれから生活も一変されましたですか?
そうですね、だいぶ変わって、もう想像してなかった世界に今いる感じですね。
今回ね、キク日経リスキリングという、ザ・ビジネスパーソンのためのメディアでございまして、
キャリアを考えたいなとか、あるいは社会人としての学び直しを考えたいなという方々がリスナーですので、
リスナーさんのこれまでのキャリア等とも、いろいろ僕もYouTubeとかも、夜中までいろいろ見たりして、
面白くなっちゃって、前半後半でお話伺うんですけど、前半は変わる力と学ぶ力っていうキーワードがいいかなと、
これ勝手に僕想像したので、ひょっとするとここからあれですよ、全然違いますって話になるかもしれないんですけど、
全然違ったらそういうんじゃないですからって言っていただいて、
このキーワードってどうですか、そのリスナーさんの柔道キャリアを考える上で。
でもやっぱりこのオリンピック、パリオリンピックに出れたのは、結構マインドセットした部分もあって、
なんか一人で戦ってるってよりは、本当に柔道が好きな人と一緒にチームを組んで戦ってきたっていう感じになってから、
ちゃんと成績が出るようになったりとかもしたので、変わった部分は多かったと思います。
学ぶ力というのはどうですか。
やっぱり大学生の時とかはちょっと尖ってた部分とかあったり、尖るというか、プライドがあったりとかあるんですけど、
今は本当に全部に対して、小学生でも中学生でも、私に対して聞いてきてくれることの中で私が学べることもすごい多いなっていうのは気づくことが多くて、
本当に柔道最近若手の子が多いので、一緒に合宿をするタイミングとかでも、
本当にその意識の考え方だったり、そういうので学べることって多いなっていうのを素直に自分で認められるようになってから、ちょっと気持ちが楽になったりとか、
そういうのはすごいあったので、どこでも学ぶことってできるんだなっていう、どの環境でもっていうのはすごい感じたパリゴリンだったかなと思います。
柔道キャリアの振り返り
よかった、あんまり外れてなかったですか。
外れてないと思います。
閉めんのような素晴らしいアンサーをいただきましたね。
アンサーいただきましたね。
これまでのキャリアを少し振り返りながら、この2つのキーワードに沿ってお話を伺っていきたいなと思って、
もともと強い選手じゃなかったっておっしゃるじゃないですか。
そうなんだって。
そっからなので、まさにこれも変わる力、学ぶ力の賜物だなと思って。
そうなんですか、もともと強くなかった。
そうですね、本当にオリンピック出てる選手の中で一緒にいると、みんな小学生の柔道教室でやった時とかに、
この全賞の大会でみんな戦ったよねみたいな話をするんですよ、みんなで。
大体同じ年齢が近かったりもあるんですけど、みんなやっぱりその試合に出て、全国の小学校の大会に出て、そっからも決勝やったりとかしてたっていう。
私その大会にすら出てないので、この大会があったことすら知らないレベルだったので、
みんなそこで戦って、オリンピックで再会できてよかったねみたいになってるみたいな。
一緒に試合出れてよかったねってなってるのがなんか羨ましいなって思うんですけど。
いやー、でも本当に、逆に言ったらそこで別に勝ってない小学生たちには夢を与えられるかなっていう。
出たことない、全国出たことないっていう子たちも、まだ分からないよっていうのは言えるので、
本当そういう小学生柔道好きっていう子たちを見てるときに、その希望をちょっと与えてあげたいなと思いながら見てますね。
もともと強い選手はなかった、そしてあれですよね、JリーグでいうとみんなJユースあるいはジュニアユースで戦ってる中で、
いや、高校からあるいは大学からサッカー強くなったんで、昔の大会知りませんでしたけどみたいな。
よくありましたね。そこまでは気持ちは分かります。
気持ちは分かります。
そこまでは。
しかもサッカー上手い人って、嫌な雰囲気で言ってきたりする人も中にいるんですよ。上手いから、出てないんだみたいな雰囲気で。
それを悔しくも仕方ないなと思いながら、それが本当にいいなみたいな感じは僕も思ってましたね、当時は。
そこまでは同じでした。
そうですね、それこそ誰に言われたっけな、男子のオリンピック選手とかにみんなで表彰集まった時とかに、
俺この中でインターハイ優勝してないやついるっけ?みたいな感じで。
してないしてないとか、私取ってないみたいな。でもみんな結構取ってる人多かったりとかするので、あれこれ大丈夫かなと思いながら。
完全にその顔が浮かんでますね、今の宇佐野さんの中ではね。僕ら分かんないですけど。
分かんないけど。
言われたなーって思ってますね。
いやー、こっからですよ。こっからのところで、きっといろんな転機があったんだろうなと思うんです。
その転機、僕は勝手に想像したんですけど、ちょっと違うかもしれないんで。
いや、この2つはでも入ってるかな。
まあまあ後からの転機ですけど、その2017年の世界一選手権の議員とその後、階級を変えたというところってすごく大きな転機だと思うんですよね。
その変わる、学ぶっていうところ。でもきっとそのもっと前もあると思うんですけど、その前のあたりからちょっとこうどういうところが転機で変わっていったか強くなったか教えていただければ。
そうですね、一番もうやっぱり結構気持ちが弱くて、節目節目でやめたいっていうタイプの子供だったので。
子供だったんですか。
学校上がっても柔道いいかなとか中学ではやらないとか。
でもそこで中学のでもとりあえず続けてみようと思って、黒帯を取るまでっていうこの大きい大会で勝つっていうよりは、もう本当に黒帯取りたいっていう。
せっかく柔道小学生が続けてきたから黒帯取りたいなっていうところで柔道を続けて、そこで初めて階級が分かれて。
小学生の時はほとんど階級は一緒だったり男女も一緒だったりするんですけど、中学で階級が分かれて男女も分かれて、その中で勝てるようにちょっとなってきて。
で初めて県大会で優勝できた時に全国大会っていうのに出たんですね。
でめちゃくちゃ家族喜んでくれて、みんなで応援に来てくれて試合に行ったんですけど、その1回戦で本当に一瞬で負けちゃって。
一瞬で。
一瞬13秒でしたからね。
13秒ですよ。
何しに高知県まで行ったんですけど、13秒で終わって1回戦。
え?みたいな。もう終わり?みたいにやっぱ家族になっちゃって、姉とかもそうなってて。
それがすごい悔しくて、高校はもう本当もうちょっと強化してる。
学校に行って毎日練習したいって思って、ちょっと中学転校したりして、高校に受験し直して。
八丁高校っていうところに行って、まあみっちり3年間柔道をやろうと思って行ったのがまず転機1つ目だったかなと思いますね。
13秒から。
13秒から悔しい思い、負けず嫌いの角田が出てきたみたいな感じでしたね。
負けず嫌いの、そのフレーズももう僕10回くらいもいろいろYouTubeで、出てきた、負けず嫌い、また出てきたと思ってよく出るフレーズなんですが。
その自覚が出たってことなんですかね。
そうですね。
中学の時に。
中学の時は本当に悔しくて、どうにかしたい。自分の中でどうにかしたいって言って。
親はそこまで柔道、別に柔道のためだけに高校行かなくてもいいんだよっていう感覚だったので。
そっちだったんですか。
そうですね。本当にやるのみたいな。
中学も中高一貫校に行ってたんで、中学は公立に戻る、私立だったんで公立に戻る転校手続きとかが必要で。
なるほど。
やっと中学受験したのに、また高校受験しなきゃいけないのっていう親からしたら、え?みたいな。
っていう考えがあったりとか。このまま高校、今の私立一貫校で行っちゃえば、次は大学受験でいいんだよって言われてたんですけど。
いや、柔道したいって言って。
で、いろいろ手続きしてもらって、高校強いところに入り直したっていうのがあったので。
そこでやっぱり自分の意思がすごく強かったなっていうのは今でも覚えてますね。
その時の意思ってずっと保ったまんまなんですか。
いや、高校3年間で思いつきましたね。
早め。
意外と短い。
面白いな、もう。え?どういうことですか。
本当にコロコロ変わるんですね。
そうなんですね。
何か持ってる芯はあると思うんですけど、結構目の前のことに一生懸命というか、全力なんで。
もうダメだってなった時に、もういいかなってなりがちなんですね。
で、高校3年間一生懸命やって、もうこれが私の限界だなって。
それこそインターハイ取れなくて、私の限界なんだろうなって。
こんだけ毎日柔道して、柔道に捧げた高校生活だったのに。
で、会って、大学では柔道やらないっていうのを言って、大学に。
教合校とかには行かずに、本当に部員が少ない大学に行って。
学芸大ですね。
はい、学芸大学に行って。
本当にその時は1校上に女性の先輩たちが3人いたぐらいだったので、
本当に4人で練習していく。
あと男子選手が何人かいて、スポーツ推薦ではないので、
普通にもう学芸大に頭に入ってきた選手だったので、
本当にわけあいあいとした柔道部だったんですね。
で、それが楽しくて、っていうのもあったり。
でもやっぱり練習今までしっかりやってたのに、
急にやらなくなったらどんどん弱くなっていくんですよね。
最初はそれが全然気にしてなかったんですけど、
やっぱり試合とか出た時に、あれ私こんな動けなかったっけみたいな。
そこでまた負けず嫌いが出てきて。
また出たんですね。
出てきました。
久しぶりにですね。
久しぶりの負けず嫌いが出てきて。
柔道の熱意と挑戦
負けず嫌いの自分に再会して。
再会しましたね、そこで。
で、なんかこの柔道部の練習だけやっててもダメだなと思って、
ちょうどオービーの先輩に、柔道のオービーの先輩に柔術されてる方がいて、
その練習に参加するようになって、そこで寝技をすごい鍛えられて、
で、大学3年生の時にほぼ寝技で学生優勝することができたんですね。
もうそっからもう柔道楽しくなってきて、
やっぱり柔道っていうと立ち技で投げて勝つのがかっこいいって言われた時代だったので、
寝技で勝っても柔道じゃないっていうのはすごい言われてたんですね。
あ、言われるんですね。
言われてましたね。あれは柔道じゃないからみたいな、学生とっても。
でもそれはまた悔しくて、悔しいですね。
初めて日本一取ったのに、
なんかそうやって言われながら日本一っていうのはちょっと嫌だなと思いながら、
すごい複雑な気持ちだったんですけど、
でもまあ柔道は楽しいっていうのは感じてたので、
社会人でもやりたいなと思って、で、やり始めて。
で、社会人でやってた時には最初に怪我しちゃって。
1年手術してできなくて、
で、そっからもうじゃああと、やっぱり社会人になると成績が求められるっていうところもあるので、
もうどんな勝ち方でもいいからとりあえず成績を出さなきゃいけないっていうので、
もう寝技でもいいから勝つっていうのをそこで感じましたね。
そっか、いや社会人になって、Jリーガーになって、
本当に僕も新卒で日経新聞に入って、
ネタ取ってこい、点上げろ、防げ、勝てっていう、いきなりそのなんていうかシビアな。
そうですね、シビアになりますね。
格段に上がりますよね。
上がりますね、変わりますね。
いやこれ結構若いビジネスパーソンの皆さんも結構聞いてらっしゃるんで、
そういったところ、入社1,2年目、3年目ぐらいで来る、
本当に成果を求められるところをどう乗り越えるかって結構知りたいって方多くて、
いやーだから怪我しっていう制約のある中でどう戦うかって考えたってことですよね。
そうですね、最初入ったのは2年契約で入ったので、
2年間のうちに強化選手にならなきゃいけない、代表にならなきゃいけないっていう契約で入ってたので、
そういう契約なんですか。
1年目暴奮に言っちゃって、
そうなんですね、2年目にもうとりあえずここで勝たないと柔道ができない環境になってしまうってなったら、
成果を求める環境の中で
もう何だろうな、本当にひたすら練習が苦じゃなくて、
もう体を動かすことが苦じゃなくて、
もうできる時間があれば練習をしたい、トレーニングをしたい。
で、それを全力でやることでリフレッシュする休みの期間、オフも本当に大事だと思ってるので、
そのリフレッシュする期間も全力で楽しめるし、
全力で何かに打ち込むってこんなに楽しいんだなっていうのを感じたのがその2年目でした。
はー、いやここ面白いですね。
なんかいろいろ制約のある中で、かつその期間の制限もある中で、
焦ってどうしようって自分できるかできないかで動けなくなっちゃう若い人結構多いなと思ってて、
でもそうじゃなくて、もう全力でやっちゃった方が楽なんだっていうことですよね。
そうですね、もうこれだけやって、もうダメだった結果出なかったらしょうがないっていうのを思えるぐらいやって、
全力でやると、でその分全力で毎日というか平日5日間頑張れたら土日は本当全力で遊べる。
オフも大事だって言ってできるんで、そうするとすごく、
でオフを充実させると今度また月曜日からしっかり頑張れたりっていうのの切り替えはそこで学んだかなと思います。
これは若い人、きっとそうだなと思ってる。
深井さんこの辺りはどうですか?
いやー、そうですね。
若いビジネスパーソンにとってのこの仕事への向き合いって話でもあると思うんですけど。
なんか頑張り方っていうか、本当はもっとできるのになぜ頑張らないんだろうって、
見られる人とか僕ら目線から見ても思うことってあるじゃないですか。
なんで自分が好きでやってるのにもっと頑張らないんだろうとか。
なんか今園さんの最初の方のお話から聞いてると、
でも頑張れよ頑張れってただ言われても、やっぱりなんかいろんなことがあって頑張りきれないこともある。
でも例えば、おそらくですが小学校の時になんかあんまり楽しくなかったみたいな。
中学校行っても階級もなく男女も一緒であまり勝てなかったら多分それでもしかしたら辞めたかもしれない。
だけど階級別になって男女別になって、勝てるっていうご褒美があったから勝つ喜びを求めるみたいな。
でもそれも長くもたないからまたちょっと停滞するんだけど、また次の楽しさとかご褒美みたいなのがうまく取り合わさってきたから
モチベーションの元がずっと継続してあったのかなと思って。
で、大学とか社会人に入るぐらいでそういう経験したから、
改めて柔道って楽しいなとか、もっと掘り下げたいなみたいなことを感じたのかなってちょっと思って、
振り返り過ぎたかもしれないけど。
確かに、本当にそう思って。
何か自分に自信ができること、何か頑張って努力して、何か成果が出た時に自信を持てると、
その後ももう一回頑張ろうって思えたりすると思うんですけど。
私は結構人に話して、両親もそうです、友達もそうです、辞めたいとか言ったりとかすることで、
頑張り方っていうのを、たまに頑張り方がちょっとずれちゃう人がいるんですよね。
本当に一生懸命頑張ってるのに何で成果が出ないんだろうなって思う方とかいたりするので、
それは多分一人で頑張りすぎると、どんどん迷路に入っていっちゃうと思うんですよ。
それをいろんな人と共有しながら、じゃあどうやってこういう目標があって、そこにどうやって頑張っていくかっていうのを、
人と共有することで助けてもらいながらでいいと思うんですけど、
それをすると、何か本当に成果を得られやすいのかなっていうのは。
で、頑張りも人は見てくれてるので、そうするとご褒美ももらえるっていうのがあると、
何かどんどんステップアップできるなっていうのはすごい感じましたね。
本来自分で切り開くものだとも思うんですけど、若い人はとにかく頑張れと。
でも僕らみたいなおじさんたちが周りで見てて、この子の頑張りに対するちっちゃなご褒美を、
何かうまく設定したりとか見てあげたりとか、それこそ承認してあげるだけでも、
何かこの子の頑張りが浮かばれたりとか、このまま進んでいいんだとか、
何かそういう環境にもなり得るかと思うんで、若い人に対してもですけど、
ちょっと管理職的な方の、そういう頑張っている人をどう育むかみたいな観点もすごく深まれるのかなと思って聞いてましたね。
本当ですね、これ頑張り方も結構、昨日わかったんですけど、行動力がないなっていう人が頑張るためには、
言うっていうのがすごく重要だなと思って、いろんな人に。
できないんですも含めて、こんなことやってるんです、わかんないんですって言うと、結構世界は優しいので。
本当に助けてもらいます。
助けてくれるんだなと。
本当そう思います。
思いますよね。
そう、だから行動力がなくても、言う、助けを求める。
そうですね。だんだんそうすると、何か行動していいんだなっていう気持ちになれると、どんどん行動ができたりするので、
私は本当に今まで出会った人に、全ての人に感謝して生きてるなってぐらい、
もう手取り足取り皆さんに助けてもらったなって、本当によく言われるんですけど、
本当に何か良い人に出会ったねって。
良い人に出会ったね。
言ってもらってます。
そうか、この話で前半全部押していってもいいんですけど、もうちょっと天気のところのお話を伺いたいと思うんですよね。
変わる力と学ぶ力っていうところ。
どうでしょうね、その次の、まさに今社会人になってからのお話をしていただきましたけれども、
なかなか階級の中でその結果が多分思うようには出ない部分も結構長かったりして、
そこをどうやって突破していったのか、階級変更も含めてですね、そのあたりをぜひお話いただきたいと思います。
そうですね、やっぱりちょっと52キロ級で世界選手権で2位になった時に、
階級変更の決断
満足しちゃう自分とここの成績取れるなんてっていう初めての経験だったので満足しちゃう自分と、
あとその世界選手権の銀メダリストだっていうラベルを張られてる気がしちゃって、
自分がどう動いていいか分からない。そんな人間じゃないのにな、どうしようっていう。
すごく肩身が狭いというか、なんか動きづらい実機があったんですね。
だからどうやって練習してもいいか分からないし、どういう柔道を求められてるんだろうとか、
すごいいろいろ考えすぎて。
求められてるんですか?
そうですね、なんか練習とか見られてる気がするとか、試合も見られてる気がするみたいな。
今まで何も肩書きがない状態で試合出てる時は、ほんと誰だっていう感じで見られてるので、
勝ったらラッキーみたいな感じなんですけど、
今度はもうそこまで行ってたら次の試合も勝てるだろうっていうのを言われちゃったりとか、
そういう風に見られてるなって。勝って当たり前っていう風に見られちゃうっていうのがすごい、
自分の中で初めての経験で、もうどうしていいか分からなくて、
ちょっとそこで柔道が好きじゃなくなるというか楽しくなくなる時期があって、
やっぱりそこがスランプになってたなっていうのもあって。
で、そっからまたちょっとコーチと話して切り替えて、自分の柔道をやろう、楽しくやろう、周りは関係ないよっていうのを言ってもらって、
でまた52キロ級で少しずつ勝てるようになったんですけど、
もうその時に結構東京オリンピックが近くて、
その辺の前の成績が足引っ張って、代表になれなくて、
その時にこのまま52キロ級でやっていっても来年は、
オリンピックは出れないけど、ワンランクしたぐらいのグランドサムだったり、世界大会には出れる。
強化選手には残ってられるっていう状況か、
もう一か八かで48キロ級のまだ代表が決まってない状況だったんで、
そっちに賭けてみるか。
柔道って52キロ級から48キロ級に階級変える時に、前の成績を持ち越せないんですね。
そういうときはキープができないんですよ、52キロ級。
48キロ級で出ちゃったら、もう52キロ級の成績が全部抹消されちゃって、
48キロ級で強化選手になれなかった、その試合で予選で勝てなかったら、
もうまた一番最初からやり直しっていうぐらい、
その成績を捨てなきゃいけないかったので、今までの。
なので、ほんとちょっとギャンブルじゃないですけど、賭けに出たんですね、そこを。
挑戦と変化
今は52キロ級でぬるっと試合してても、結局オリンピックっていう部分には出れない。
一番上には出れない可能性がない、その辺までしかない試合をずっと生活をしていくか、
もうほんとに賭けてみるかっていうところだったら、やっぱり賭けてみたいってそこで私は思って、
もうすっごいいろいろ悩んでコーチとも話して、
いや、賭けた方が面白いんじゃないかっていう人生、後悔しないんじゃないかっていうので、
そこまで思いっきり賭けてやれれば、ほんとにその後そこに負けたとしても、
自分は全力を尽くしてここに勝負を賭けたっていうところで、後悔はしないなっていうのはあったので。
変更するからには全力で頑張ろうって思って、階級変更48にしたんですね。
なんか調べたら、やっぱり世界的にもそれで成功した、ほんとに金メダルを取るまで行った選手ってほぼ男女ほぼいないですね。
そうですね、階級を変更してというか下げて。
下げてでいないんですね。
いないですね、なかなか。
全くいない。
やっぱり4キロなんですけど、よし5キロなんですけど、柔道家が全然階級によって違うので、戦い方だったりとか、
体を作る部分も大変ですし、そこからまた階級の柔道スタイルにマッチしないといけないっていうのもあって。
賭けじゃないですか、でもこれ面白いかなっていう、ものすごい賭けなんだけど、でも面白いかなっていう、
ギャップっていうか、そこもまた変わる力のなせる技だなと思って。
でもその決断ができたのが、最初は結構基本的にはビビリな性格なので、安牌を取りたくなるんですけど、
52キロ級で、1回48キロ級に下げて1個国内大会の試合を出た後に、国際大会に52キロ級で出たんですね。
その時に48キロ級減量もきつくて、体の筋肉も落ちちゃってっていう中で試合して優勝はできたんですけど、
このまま私は世界大会に出れないなっていうのを思っちゃったんですよ、48キロ級出た時に。
その後52キロ級でやろうと思って52で出た時に、減量もあって体重が戻らなかったりとか、筋量が落ちちゃったりとか、
あと多分気持ち的にすごく中途半端で52キロ級に出ちゃったんですね。
結局オリンピックはないけど、まあこういう国際大会に出れるしやっていこうみたいな感じで多分出ちゃってて、
その試合は負けたんですよ。優勝できなくて3位だったんですね。
それで帰ってきた時に、こうやって目標が上の目標がない試合に出た時に、なんか頑張りきれないなっていうか、
っていうのを感じちゃって、だったらもう本当にこの目標に向かって頑張るって決めた方が、
なんか頑張ってて楽しいなっていう、努力する価値があるなっていうのを感じたので、
だったらもう変えて、このまま52キロ級でずっとぬるっとやってるよりは、
もう目標決めてパッとやった方が後悔ないかなというか、頑張れるなっていうのは思ったので、
そこでその試合が決めてでしたね。
これは本当ビジネスでもそうですよね。こっちのいろんなクライアントがいたりして、
あるいは営業先がいたりして、こっちでなんとなく今までビジネスはできてるって、
今後もそのビジネスはできていくだろうけど、あんまり発展しないよなとか、
大きくならないよなって時に、これを違う方向に変える。リスクはあるけど、
大きなビジネスになるかもしれないっていう選択で、やっぱりいろんなビジネスパーソナルもしてると思うので、
その時の判断基準を、多分それぞれだと思うんですけど、なんかヒントになりますね、今の話もね。
自分が本当に、自分を奮い立たせる方がいいなっていうのを思ってて、
この目標を達成したら気持ちいいだろうなみたいなのを思えたから、
多分回帰変更できたんだなっていう。しかも変更した後に頑張れたなっていうのはありますね。
自分で決めて、この目標を達成したいと思って決めたから。
で、その目標は達成できなかったんですけど、東京の48kmは出れなかったので。
でもその時にはなんかスッキリしてて、頑張ったし、もうやれることはやったと。
でも達成はできなかったっていうので、すごく成長できたなっていう部分があって、
それがあったから本当にそこから3年間また頑張れたんだろうなって思いますね、パリまで。
成長とキャリアの追求
その辺りを後半、そこから始まって、
自分らしいキャリアとは何かというところを後半伺っていきたいと思います。
ではですね、ポッドキャストの詳細欄にリンクがありますので、
今日聞いていただいた感想とかをぜひお寄せください。
はい、では今日のお話は一緒に曽那佑史さんとお話を聞いていきました。
ゲストは津野高澄さんでした。また後半もよろしくお願いします。
ありがとうございます。
28:48

コメント

スクロール