00:05
スキーを仕事にした女性たち。 この番組は様々な分野で今を生きる女性たちにインタビューし、たくさんの選択肢があると知り、
正解のない人生をどのように楽しむか、 インスピレーションを得るきっかけになればいいなと思い始めました。
ひとりひとりが輝ける世界へ。 今回はスタンドFM、ポッドキャストでも配信中のキクバレー
ミキゾーはそれでも踊りたいという番組から、オーストリアザルツブルクの劇場でバレーダンサーとして働く
ミキゾーさんにお越しいただきました。 昨年、全十字人体を負傷し今年9月の復帰に向け
トレーニングしている様子や、バレーダンサーとして海外で働くことについてお話を伺います。
ミキゾーさん今日はよろしくお願いします。 よろしくお願いいたします。
今そちらに行って何年くらい経つんですか? 今はヨーロッパは10年くらい経って
ザルツブルクは次で8年目になりますね。 長いですね。
どうですか?振り返ってみて、あっという間でしたか? あっという間でしたね。
10年じゃないかも。11年だったかも。 ちょっと自分の年齢を。
分かんなくなりますよね。 分かんなくなるくらい長くいました。 本当ですよね。そんなの問題じゃないって感じですよね。
バレーダンサーとして働くって、職業として成り立たせるにはやはり海外だったんでしょうか?
そうですね。もちろん日本でプロのバレーダンサーとして働いていらっしゃる方もいるんですけれども、
すごく受け皿が小さいというか、すごく狭きもんなんですね。
やっぱり国立のバレーダンも1個しかないし、そこの人数もやっぱり限られてるし、
なかなか生活が、やっぱりバレーダンサーとして成長させていくのは日本では難しいなって思った時に、
やっぱり海外に出るしかないなというふうに思って出てきましたね。
バレー経験20年以上というふうにおっしゃっていましたが、 いつの時点でそういうふうに志したんですか?
バレーダンサーになりたいっていうのは、本当に小さい頃からぼんやりと思ってて、それこそ小学校3年生ぐらいですかね、から思ってたんですけど、
03:01
具体的に海外に行きたいと思ったのは、高校入ってからですかね。
それまでじゃあ、子供の頃のバレーダンサーになりたいっていう夢が、途絶えたりすることはなかったんですか?
途絶えたりっていうか、自分でこう、なんとなく無理だろうなって思い始めたのが、中学の終わりから高校ぐらいまで、
受験とかもあったし、高校生活とかもあったので、周りはやっぱりもっと、
なんて言ったらいいんだろう、現実的なお仕事を高校生ぐらいから目指す子が周りに多かったので、
なんか海外にまず一人で住んでっていうことが、自分にはちょっと想像できないし、
一人っ子なので、あんまりこう、なんていうのかな、一人で暮らした経験とかもなかったし、
一人で何かあんまりするっていう経験も全然なかったんですね。
なんで、まずそれが無理そうって思ったのと、なんかやっぱりまずバレエダンサーになるって何?って思って。
へー。
他の子がね、例えば教員になるとか、医学系を目指すとか、公務員になるとかいう中で、
バレエダンサーになるって何?ってちょっと思い始めて。
確かに職業というよりもアーティストみたいな、何だろう、そういう感じもしますしね。
そうです、そうです、そうそう。
憧れのダンサーとかいらっしゃったんですか?
私は子供の時はずっと森下陽子さんっていう日本で、本当に一番有名である伝説級の女性のダンサーがいらっしゃるんですけれども、
その方のビデオ、当時VHSだったんで、ビデオもう擦り切れるぐらい見て、っていう感じだったので、
彼女ですかね、憧れ。生で見たことは残念ながらなかったんですけど、結局。
あー、そうなんですね。
彼女はちょっと世代的にはだいぶ私の上の方なんですけど、
今同世代にいたとしても彼女が一番だろうなっていうぐらいの、
なんかその正確な技術力と表現力というところがやっぱりすごいなっていう、子供ながらに思っていて繰り返し見ましたね。
そんなでもダメだろうなと思いつつ、周りとも違うなと思いつつ、バレエダンサーに向かったっていうきっかけは何だったんですか?
きっかけはやっぱり、自分の中でなんかダメだろうなって思う自分と、でもやっぱりやりたいっていう自分がいて、諦められないっていう自分がいて、
で、ちょっと思春期もあったんで、親と喧嘩したりとか、先生と喧嘩したりとかもあったんですけど、
06:08
その時に結構その親先生以外の第三者の大人で結構話を聞いてくれる人がいたりとかして、
で、それでなんかもうちょっと冷静になって考えて、やっぱりバレエを頑張ってみたいなっていう結論になったので、
留学したいですっていう風にそっから先生にもお話しして、海外を目指し始めたっていう感じですかね。
なんかもうぐっときますね。
もちろん親も先生もたくさん助けてくださったんですけど、きっかけって思いつくのは、
たまたま知り合った大人の方で、女性だったんですけど、すごい話を聞いてくるんで、
たぶん第三者っていうのがすごい良かったんだと思うんですよ、当時の子どもの自分には。
なんかその親とか先生だとやっぱこう反抗しちゃうから、
ある意味他人の距離感で大人として接してくれる人がいて良かったなっていう感じですね。
本当ですね。大事ですね。ちょっと離れた、俯瞰してみれるような存在がね。
そうですね。
両者にとっていいですよね。
先生、親、ちょっとやっぱ心配っていうのが全部逃げちゃうと思います。
大人になるとね、なんとなく分かりますけど。
そうか。運命的な出会いというかきっかけですね。
そうですね。
それまで。
ありがたかったです。そうそう。
ありがたいですね。本当ですね。
そうか。今の職業について、子どもの時はそんな感じで。
昨年ですね、大きな怪我をされましたよね。
左足前十字腎体損傷ということで。怪我された時。
もしお話したくないということであればおっしゃってください。
全然全然話せます。話せますとか言って。
やっぱりね、これまでのプロセスで困難いくつもあったと思うんですけれども。
異国で生活するにあたりとか、言語の問題とかあると思うんですけど。
やっぱり体を使って表現している以上、そこを怪我してしまうっていうことは、私たちが想像する以上の衝撃だったんじゃないかと思うんですけど。
三木蔵さんは、どんなふうに受け止めましたか?
どうだったんですかね。
自分の場合、もう完全に切れちゃってて、人体が。
もう手術するしかないっていう、その選択肢しかなかったので。
09:03
これが例えばちょっと傷ついたとか、何割か切れただったら、
例えば手術しないでリハビリして保存療法っていうんですけど。
ケアしながら手術なしで続けていくとかいう選択肢もあったかもしれないんですけど。
全部切れちゃってたので、もう手術するしかないっていう、ある意味その選択肢がない中で、
あんまり自分で迷ったりとかしなくてよかったなっていうのが正直なところで。
例えば、ちょっと痛いけど頑張れば踊れるみたいな時の方が割と、
無理すれば踊れるけどでもみたいなそういう葛藤があったりするので、
そこの気持ちの迷いみたいのは全くなかったので、それはよかったんですけど、
やっぱある程度落ち込みましたね。
そうですよね。
でもそっか、まずどうするっていうところなんですね。
気持ちよりも。
そうですね。
何すればいいんだろう次みたいな感じで。
その時点で、じゃあもうバレーダンサーは諦めてないですよね。
ケガした方ダメだとかじゃなくて。
それはなかったですね。それはなかったかな。
それは選択肢にそうですね、なかったですね。あんまり考えなかったですかね。
どうなんですか。でもすごい大ケガだと思うんですよ。
また舞台に立てるのかってなんかよぎりそうですけど。
それは今でもよぎりますけど正直まだやっぱり完全に治ってないので、
前のクオリティでパフォーマンスを維持していけるかっていうのはかなり疑問なんですけど、
まあでもそこを自分がやっぱりちゃんと信じてあげないといけないし、
そうですね。
でもたぶんいきなりこうバンと昔のコンディションに戻ることはたぶんないので、
ちょっとずつ自分でもわからないぐらいの変化でたぶん進んでいくんだろうなっていうふうに思ってますね。
なるほど。
でもその中で落ち込んだりして、その時って何が支えになりましたか。
どんなふうに保っていたというか、リカバリーをどんなふうにしていったんですか。
やっぱり一番は自分のパートナーがいるんですけど、その人がやっぱり本当にあらゆる面で支えてくれて、
もちろんその松葉杖だったりしたときはこう全部やってくれたりとか、そのごまごましたことも。
で、やっぱり話を聞いてくれたりとか、やっぱなんだろうな、支える側も結構大変だったみたいで、
12:07
こっちもメンタルボロボロだけど向こうもメンタルボロボロみたいな感じの時期も。
でも、やっぱ献身的にやってくれるんですけど、向こうもリミットがあるというか。
疲弊してしまうんですね。
そうですね。そういうことがありながらも、たぶんこんなこと、このリハビリの1年って僕たち何回もあるから、
これに負けないで2人で乗り越えていこうねって言ってくれたのがやっぱりすごい支えになりましたね。
すごいですね。2人ごとなんですね。
そう、それが嬉しかったですね。
ちなみに差し支えなければダンサーとかそういう関係のご職業の方ですか?
関係ない。全然ダンサー、ダンスのことを一切わかんない人。
そうでしたか。素敵。やっぱりパートナーとか人間関係って大事ですね。
そうですね。あと、彼の家族もすごいいっぱい支えてくれて、こっちで自分はあんまり身寄りがいないというか、
感じなので、全部家族の方々が助けてくれたりとか、すごい恵まれてるなっていうふうに思います。
あとやっぱり同僚ですかね。同僚たちがやっぱり一緒にリハビリ付き合ってくれる人もいるし、
ちょっと遊びに行こうよって言って誘ってくれる人もいるしって感じで。
すごいみんな優しくて。
優しいですね。なんかちょっと映画だとバレエダンサーのいがみ合いみたいな。
ニュースにもあったじゃないですか、ロシアの方の方たちとか。
ありましたね。それはでもうちのバレエダンはなくて、本当にみんな助けてくれるので。
人間関係はやっぱ恵まれてるなっていうふうに思いますね。
そういった良好な人間関係を保つ上で、三木造さんご自身が気をつけていることはありますか?
気をつけていることか。
ナチュラルに。
あんまり思いつかないですね。
私、お話伺ってると本当に恵まれているとか、感謝の気持ちがすごい伝わってくるので、
やっぱりそうした姿勢なのかなとか思うんですけど。
でも一つ自分で選んだことはあんまり大きすぎる集団に属しないっていう感じですかね。
今のバレエダンスすごいちっちゃくて、16人なんですけど、バレエダンサーだけで。
あとスタッフとか入れても本当に20人ちょいとかなんで。
15:04
すごい小さいグループの中で、やっぱ自分の付き合える人数って限りがあるというか。
そうですね。
と思ってるので、その中でやっていくっていう感じですかね。
そうか、じゃあアットホームな雰囲気なんでしょうかね。
もう本当にそうです、まさに。
私ヨーロッパ、ザルツブルクは行ったことがなくて、
どんな雰囲気ですか?お国柄とか、あと言葉に関してはいかがでしたか?
そんなカルチャーについて聞きたいです。
オーストリアってよくちょっとドイツとごっちゃになるんですけど、
ドイツ語しゃべるし、やっぱりすごい隣なので、
でもドイツよりももうちょっと柔らかい雰囲気というか、
よく言えば柔らかいんですけど、ちょっとルーズな感じだったりだとか、
建物とか、やっぱりザ・ヨーロッパっていう感じがしますね。
美しい。
あんまり多分戦争でダメージ受けてないんじゃないかな。
結構古い街並みとかが残っててすごいきれいですし、
自然とかもね、山とかすごい好きで有名だったりとかするので、
自然もそういうレジャーも楽しめるし、
言葉は普通のドイツ語に比べたらすごい生まれてるので、
若干やっぱり山っぽいのかなっていう感じですね。
山っぽい。
勉強されてから行ったんですか?
いえ、こっち来て2年目にやっと勉強し始めて、
それまではずっと英語だけしゃべってたんですけど、
やっぱりみんな英語上手なので、こっちの人。
なのであんまり苦労せず1年目を過ごし、
2年目になって、これはそろそろさすがに長くいるんだったら
勉強しないとダメだろうと思って始めたって感じですね。
三木蔵さんが学生で、じゃあヨーロッパでバレエダンサーになりたい。
じゃあヨーロッパだって言って、
最初はザルツブルグじゃなかったんですよね?
最初はスイスの学校に留学っていう形で行かせてもらって、
そのまま今度ハンガリーに就職して、
そうでしたか。
はい、そうですね。
じゃあずっとヨーロッパにいるっていうことですね。
そうですね、一時帰国以外は基本的にはずっとこっちで過ごしてました。
あら、一人1個だった三木蔵さんがもう何十年そちらにいるっていう決心は、
やっぱりバレエが好きっていう気持ちからですか?
そこが強いのかな?
そうですね、バレエが好きだし、
こっちに行った方が自分にとって面白いことがすごい起こるなって思って。
18:05
じゃあ最も嬉しかったことは何ですか?
嬉しかったことはいっぱいあるんですけど、
一番嬉しかったのは、自分が一番尊敬するダンサーの人と一緒に
作品を作って踊ったことがあって、
それが一番嬉しかったですね。
えー、そっかー。
何か言葉とか交わしましたか?
そうですね、なんかすごいやっぱ濃い時間で、
男性ダンサーなんですけど、
本当に自分が尊敬してて、その人の考え方もそうだし、
踊りに対する考え方がすごく自分もそうありたいなっていう感じで、
その人が一緒に作品作ろうって誘ってくださって、
それだけでもすごい光栄だったんですけど、
作品の作り方、基本的に私がどう動くかをすごい観察してくれて、
自分がどう思ってるのか、どう感じてるのかっていうのをすごい観察してくれて、
それに沿って、自分の一番気持ちいいようにやらせてくれたっていうか、
動かさせてくれたみたいなところがあって、
なんかその観察感がまたすごくて、
自分が気づかないようなこともズバッと言われたりとか、
そういう風に動いたよね、今みたいな感じで言われて、
そうですか、みたいな感じのこととかもあったりとかして、
とにかくその期間ですごく自分も成長したし、
お互いにとってすごい良かった時間だったんじゃないかなと思って、
周りの人にもすごい良い作品だったって言ってもらえたので、
すいません、ちょっとまとまらなかったんですけど、
今思い返しても嬉しかったですね。
素晴らしい体験ですね、憧れの人と。
そうか、でも対等ってことですね。
対等とは私は思ってないんですけど、
私の方が全然後輩なので、
でもそれを対等に扱ってくれる彼の大きさというか、
がすごいんだと思いますね。
そうですね、人としての素晴らしさというか、
エネルギーの循環が起こらないと良いものってできていかないと思うし、
私先日、情熱大陸とかご存知ですか?
知ってます。
情熱大陸とかプロフェッショナル仕事の流儀っていうNHKかな、あるんですけど、
その番組のディレクター兼プロデューサーの方とお話しする機会がありまして、
21:01
私ナレーターを職業としてこれからも行きたいんですけど、
何が求められるかとか、そういう話をしてた時に、
これについてあなたはどう思うかとか、
そういう考えがあるかどうかっていうのを交換したいっていうことをおっしゃってて、
気づかない視点とか、
やっぱり仕事をするってなんだろうな、
新しいもの、違うものを作り上げるとか、良いものを作り上げるとかで、
みんなの力がきっと必要なんですよね。
そうですね、それは本当にそう。
いろんな形態があるかもしれないけど、
一人の人が引っ張ってってみんなが従うとかいう形態もあるかもしれないけど、
何だろう、参加した人全員が感動体験を得られるようなものであったら、
自然的に良いものが出来上がるような気もしますね。
何だろうな、自分の方が偉いからとかだと視野も狭くなるだろうし、
本当にフラットに、だからこそ気づきにくいところも見えるのかなとか、
素晴らしいですね。
本当にそう思います。
でも交換したいっていう言葉はやっぱり素敵ですね。
その通りだなって今ちょっと思いました。
その上で他者貢献するんであれば、やはり自己成長が必要だなっていうふうに思うし、
そうするとまた頑張ろうっていうか、いい気持ちになりますね。
素晴らしい。
ちょっと後輩になってきたので、何だろうな、
俳優の命とか失敗から得た教訓とか、
何かそういう何か言葉として何か持っているものありますか?
なければないで大丈夫。
でも印象に残ってるのは、
1個あって、ここで辞めたら失敗、続けたらただの経験っていうのがあって、
好きなイラストレーターさんのイラストの横にちょこちょこって名言みたいな書いてある本っていうか、
そういうイラスト集があって、そこに書かれてた言葉で、
それがすごい自分的に印象に残ってて、
なのでなんかダメだった時というか、ダメだった時があっても、
それで辞めちゃったらもうそれで失敗なんだけど、
そのまままた続けたら経験だからって思って進めるようにはしてますね。
24:02
なんか陣としちゃう、本当に。
大切にしたいですよね。
私ね、なんかインタビューして次聞かなきゃとか、
そういうこと書けないですごいどっぷりね、感じに行っちゃうの。
聞いていただいてる方も、私もそっちの方が嬉しいです。
いいのか、なんかいいのか、自分がすごい楽しんじゃっていいのかなって、
ふと思う時とかあるんだけど。
そっかそっか、なんかね、やっぱりもう怪我が何よりもどうなるんだろう、どうするんだろうっていう、
なんかご自身が一番ショックだと思うんですけど、
その時の出来事があまりにも衝撃的で、
今こうしてね、トレーニング、ここまでできた、ここまでできたっていう風に配信でもおっしゃってて、
自分でメンタル強いなとか思います?
全然思いません。
メンタル弱いなーって、常日頃思ってますね。
でもピーンと張ってるものって折れやすいですからね。
弱いなーぐらいのほうがいいのかな。
そうかも。
よく泣いちゃうので結構。
え、かわいい。
でも私もそれね、自分で話しちゃうんだけど、やっぱその発声が私ダメで、
上手な方本当にたくさんいらして、本当にプロで、皆さんこう名前言ったらわかるような人、
テレビとかで言ってる人と一緒にやってたりするんですけど、
目尻から流れてるんですよ涙が。
でも声出すでもなく、感情も無に等しいんですけど流れてて、
でももうやるしかないっていうか、泣いてることにとらわれてる暇はないみたいな感じなんですよね。
わかります。
わかります?
わかります。
出したくて泣いてるわけじゃないんですけど。
そうそうそう。
プロセスだからね、続けて経験にするんだ。
なんか本当にいい番組。
あとは、無くてはならないもの、お気に入りの仕事道具教えてください。
仕事道具はやっぱり基本的にトーシューズなので、
なんかチューニングというか、なんか調整は頑張ってますね。
なんかあるんでしょうね、なんかよくシーンとかで見ますけど。
はい。
いっぱい貼ったりしてたような感じで。
27:02
あれってどのくらいで消耗するんですか?新しいのと。
私は半月くらいですかね。
早い。
半月。その時踊ってる作品にもよりますけど、
でもなんか本当1日から3日で潰しちゃうみたいな人もいて。
え、待ってでもトレーニングとか練習って1日何時間くらいするんですか?
5、6時間ですかね。
もうじゃあその後、ジムとかもなしで。
それはなしで、一応仕事自体は普通のフルタイムの時間なんですけど、
準備したりとか、休憩とか入れて、そこ削ると6時間、ずっと8時間動けないので。
そうですよね。
無理なので、リハーサルでちゃんとやってる時間っていうのは多分6時間、年後6時間じゃないかなって。
それでもやっぱ体使って、ちょっと無理なっていうか、私じゃ到底キープできない姿勢でいるから。
えー、そうですね。半月。
短い。
じゃあ食べ物とか体型キープとかで気をつけてることってありますか?
ちょっと答えになってるかわかんないですけど、私、肉を食べなくなると太るんですよね。
感じがして、逆にちゃんとしっかりお肉とか食べたほうが、多分栄養バランスが整うのかな。
でも炭水化物も減りますもんね、多分ね。
肉食べたほうが相対的に。
これぐらいですかね。
あとお菓子、お菓子でも好きなんで。
ありますか?ゾルツブルク。
あ、ありますあります。なんかチョコとかすごく美味しくて。
チョコレートを好きっていう風にね、言ってらっしゃいましたね。
そうなんですよ。だから食べちゃうんですけど。
えー、大丈夫なんですか?なんかバレエダンサーの食事とかね、よく、ボーグだったかエルだったかで私動画見た気がするんだけど、独特な。
独特っていうほどそこまでのことは正直やってなくて。
でもなんかやっぱりストレスとかそう動くし、ストレス食べるとどうしてもやっぱり太っちゃうし、肉食べなくなっても太っちゃうので、結構がっしりなので私ダンサーとして。
あんまりストレス食べないようにっていうのと、あとちゃんとお肉を週に何回か食べるみたいな、そのぐらいですかね。
あー、そうなんですね。
いやーでも私身近にバレエダンサーいないので、すごい新鮮です。なんか嬉しいです、話で聞くと。
ありがとうございます。
こちらこそ嬉しいです。
30:01
では最後に生き蔵さんにこれからの抱負について伺いたいと思います。
はい。これからの抱負っていうと、まずはやっぱりちゃんと復帰することですね。
膝を直して復帰していくことと、やっぱりできるだけ長く踊りたいっていうこともありますし、
あとは、あとはとか言ってすごい欲張りなんですけど、
いろんなやっぱり自分が人間としてのステージを進んでいく中での、また別の表現者としての一面を発見できたらなっていうふうに思いますね。
なんかその、やっぱり年齢を重ねるにつれて、自分のカンパニーの中でも立場が変わっていくだろうし、
プライベートの中でもいろんなことがきっとあると思うんですけど、そのそれぞれの時期でまた違う表現ができるようになったらいいなっていうふうに思ってます。
本当そうですね。
バレエダンサーの寿命ってどのくらいなんですか?
人それぞれかと思うんですけど。
人それぞれですけど、だいたい女性は40前に辞めちゃう人が結構多くて、
今45までやってるって人はすごい少ないと思いますね。
やっぱり少女の役はできなくなるし、グループに混じってもやっぱり周りがすごい若かったらね、
目立つしっていうのがあるので。
そうか、全体の中でってことですもんね。
そうですね。だからそういう時に人とどういう違う表現をするかがすごい大事だと思いますね。
みんなと同じになろうとしても多分なれないので、その頃になると年齢になると。
どうやって自分にしかできない場所を探すかっていうか、表現を探すかっていうのがすごい大事だし、
やっぱ素敵だな、そういうことをしてる先輩方とかを見ると素敵だなって思いますし。
感動してちょっと涙が出てきちゃいましたよ。
自分にしかできないっていう表現が本当に言葉以上に響きますね。
ありがとうございます。
そうですね。これからもみきぞうさん楽しみです。
ありがとうございます。
じゃあ、最後お知らせなどありましたら、みきぞうさんの方からお願いします。
はい。キクバレーみきぞうはそれでも踊りたい、ポッドキャストとスタンダイフMどっちもで配信させてもらってます。
もしよかったら聞いていただけると嬉しいです。
33:02
今日はキクバレーみきぞうはそれでも踊りたいという番組からみきぞうさんにお越しいただきました。
どうもありがとうございました。