1. それでもメディアは面白い
  2. 炎上のあとに残るのは、丁寧さ..
炎上のあとに残るのは、丁寧さだけ
2026-09-07 18:56

炎上のあとに残るのは、丁寧さだけ

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▶話した内容

本田由紀氏のX投稿をめぐる騒ぎを入口に「権威とは何か」を考える/9月1日朝の引用リポスト投稿にコミュニティノートが付与された/9月3日J-CAST報道で学会が対応検討と回答し本田氏自身が同学会の会長/東大本部は「人権を尊重し、高い倫理観を持って行動」の原則を提示/9月5日夜に本田氏がA4画像2枚で解説を公開し遺伝的要因の意味を釈明/解説では麻生氏の行為を指す語であり血縁者と代替可能だと説明された/大学ジャーナリスト石渡嶺司氏の記事では朝日新聞の取材は拒否と報道/常見陽平氏の「批判はするが辞めろとは言わない」に同意しキャンセルに反対/古市憲寿氏も言論の問題はまず言論で決着をつけるべきだと書いている/三浦瑠麗氏の「権威を箔付けに使ってきたメディアが問題」にも同意/権威は人の属性ではなく受け手が結ぶ関係だという捉え直しから始める/専門性を認めるのは大学と学会で4マス時代の肩書きは選別コストを束ねる装置/今回の発言は教育社会学のど真ん中で専門性は揺らいでいなかった/同じメディアが取材という説明責任の回路も兼ねていた二重の構造/今回は元投稿も本人の解説もマスメディアを通らず直接読者へ届いた/元投稿800万回超に対し解説は1300万回超で朝日も学会も大学もその下流/本田氏は朝日新聞コメントプラスのコメンテーターとして収録時点も掲載/肩書きを載せる側は残り問い直す側の土台だけが抜けたという非対称/事後の追認しかなく判断コストを各自が払うのは道徳でなく設計の問題/解説冒頭の「投稿者は解説する責務を負っていない」という一文の象徴性/作り手の丁寧さは根拠を示し誤解に再説明で応じ批判と処分要求を分ける/X上の解説は届く量では正しいが一方向で往復が起きないという限界/受け手の丁寧さは肩書きで信じることも肩書きで叩くこともやめること/なめらかさは権威でなく送り手と受け手が一往復ずつ引き受けて作るもの


▶ソース一覧

[1] 本田由紀さん Xポスト(引用リポスト) / 2026-09-01 JST / https://x.com/hahaguma/status/2094561002574770529

[2] 「東大・本田由紀教授、彬子さま巡り『遺伝的要因のおそろしさを感じる』 日本教育学会は対応検討」 / J-CASTニュース / 2026-09-03 / https://www.j-cast.com/2026/09/03517670.html

[3] 三浦瑠麗さん Xポスト / 2026-09-05 JST / https://x.com/lullymiura/status/2096060532339986711

[4] 「本田由紀・東大教授『遺伝的要因のおそろしさを感じる』投稿を弁明〜ひろゆき氏は本田氏過去投稿から皮肉」 / 石渡嶺司さん(Yahoo!ニュース エキスパート) / 2026-09-06 / https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/15cacb2554559ed4b961b91fe3a23fb44a4c516d

[5] 常見陽平さん Xポスト / 2026-09-06 JST / https://x.com/yoheitsunemi/status/2096422438485762093

[6] 本田由紀さん Xポスト「X(旧ツイッター)への投稿に関する解説 1/2」 / 2026-09-05 JST / https://x.com/hahaguma/status/2096200053732016491

[7] 本田由紀さん Xポスト(同 2/2) / 2026-09-05 JST / https://x.com/hahaguma/status/2096200633301017075

[8] 古市憲寿さん Xポスト / 2026-09-04 JST / https://x.com/poe1985/status/2095840354016879102

[9] コメントプラス コメンテーター 本田由紀さん プロフィール / 朝日新聞デジタル / 2026-09-07 JST 実測(一覧に掲載を確認) / https://www.asahi.com/comment/commentator/honda_yuki.html


▶松浦シゲキのプロフィール

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サマリー

本エピソードでは、東京大学の本田由紀教授のX投稿を巡る騒動を入り口に、「権威とは何か」について考察する。投稿への批判が広がる中、本田教授は自身の見解を画像で公開し、遺伝的要因という言葉の意味などを釈明した。しかし、メディアの取材を拒否したという報道もあり、キャンセルカルチャーへの反対論や、権威は受け手が結ぶ関係性であるという捉え直しが示される。最終的に、発信者には根拠を示し誤解に再説明で応じる「丁寧さ」が、受け手には肩書きで信じたり叩いたりせず、発言そのものに向き合う「丁寧さ」が求められると結論づけている。

はじめに:ウルトラクイズと炎上の話題
松浦シゲキの、それでもメディアは面白い。
この番組、それでもメディアは面白いは、メディアコンサルタントで、コミュニケーションプランナーの松浦シゲキが、ありとあらゆるメディアの器をこねくり回しながら語り尽くします。
さて、今回のテーマは。
はい、えー、皆さんこんにちは。松浦シゲキでございます。
今日はですね、何の話をしましょうかね。
はい、あのー、まあ、結構ね、いろんなネタがございます。
まあ、貯金で言うと趣味的なネタで言えば、あのー、ウルトラクイズですね。
えー、無事、0次予選を通過しまして、1次予選の会場に行けることとなりました。
はい、でも結構、X状とか見てると、あのー、落ちて、なんか、いろいろと、あのー、ね、批判みたいなものが見えたりとかなんだりするんですし、
まあ、結構ね、落ちてる数も多いので、思ったより多いかなっていう印象もあるので、まあ、そこら辺の話とかもしようかなと思うんですけど、
何せね、放送前ですし、何せこれから次予選みたいな話なので、そこら辺の話もしてもしょうがないかなというところもあるので、
今日は普通にXで延長している話をしようかなと思います。
何の話をするか。えー、そうですね、切り取り方、いろいろあるんですけど、私はあえて、権威の話をしようかなというふうに思います。
はい、えー、何の延長の話か。えー、きっかけはですね、東京大学の本田由紀さんのX投稿をめぐる、この1週間ほどのね、騒ぎです。
ただ、まあ、最初にお断りしておきますが、あの投稿が差別に当たるかどうか、本田さんが何か役職を下りるべきなのかどうか、そこを裁く会議はしません。
えー、自分自身はね、その、倫理委員会でもないですし、参拝、裁判所でもないですし、えー、そこを語りたいわけでもないです。
本田由紀氏のX投稿とその波紋
えー、この件で自分が考えたいのはですね、コミュニケーションプランナーとして、権威って一体何だったんだろうという話です。
さてさて、えー、まず何が起きたのかというところを改めて整理させてください。
9月1日、火曜日ですね、えー、本田由紀さんがですね、ある投稿を引用リプレイストする形で、えー、この人たちを目にするたびに、えー、遺伝的要因の恐ろしさを感じる、露出の増加が逆効果になるかもしれないと投稿しましたと。
で、引用元はですね、三笠宮家のね、秋子様のね、後続期が倍増するという東京新聞の報道を受けて秋子様と麻生家を強い言葉で批判し、えー、功績離脱を求めるような内容の題材書の投稿ですね、それで言うと。
えー、この投稿にはコミュニケーションノートが付きましたと。多くの国際条約や国連の人権勧告において、まあ特定の家系や出生、遺伝的要因を理由に排除や恐怖を煽る表現は、選別的取扱いを助長するものとして禁止または懸念の対象とされているという趣旨のものです。
あのー、まあ最初にあの差別に当たるかどうかというふうにみましたけど、あの、私個人で言うんだったらダメですからね、完全にね、完全にアウトですよ、はい。
で、まあ、えー、そこから批判が一気に広まりましたと。えー、9月3日にですね、えー、まあ、Jキャストニュースさんが報じておりますと、えー、日本教育学園事務局の現時点において本件について、学会としての権限を決定しておりません。論理委員会において対応検討中ですと回答したと。
で、まあ、ここも結構大事なところなんですが、えー、本田さんご本人がですね、その日本教育学園の会長さんなんですよね。で、そこから、あのー、東京大学のね、本部も本学では構成員は人権を尊重し、高い倫理観を持って行動しなければならないと定めてますという原則を示しましたと、同じ記事で報じられておりますと。
で、えー、9月5日ですね、土曜日の夜に本田さんご本人がですね、A4のページを画像にする形でXAの投稿に関する解説というものを2つに分けて投稿されましたと。
えー、固執転搬の改正の経緯とか、麻生太郎さんと三笠宮家の血縁関係をかなり、まあね、ちょっとここはやゆって言いますけど、長たらしく説明する内容ですと。
えー、その中で、遺伝的要因という言葉は麻生太郎さんの行為の問題点を指したものであって、血縁者や親族と置き換え可能な意味で使ったものだと説明されていますと。
で、表現が最適だったかは見当の余地があるとしつつ、それが差別や優先額をね、含んでいるわけではないと。
一方で、大学ジャーナリストのね、石渡玲司さんがですね、翌日ですね、ヤフーニニュースのエキスパートに書かれた記事によると、本田さん騒動の後、朝日新聞の取材などは拒止したと。
取材の場ではなく、エキス庁で説明されたということですと。
ここまでがまあ、いまいま、分かっている事実関係というか、一番小さい流れですね。
専門家たちの見解とキャンセルカルチャーへの反対
いろんな人があれこれあれこれ言ったりというところがあるんですけど、まあ、ベースの事実関係というところを、こういう形になっていますと。
で、私の立場というかですね、考えを先に置きますと、先ほどあった通りですね、基本的に差別だと思っています。私も。
その上で、津波雄平さんがですね、9月6日の日曜、昼前に書かれたエキスのポストに、私同意でございます。読み上げますと。
で、本田由紀先生はこれまで批判してきた政治家と全く同じ事をしているわけですよと。
取材に応じない。自分の誤りを認めない。分からない方が悪いという。そして威圧的だと捉えかねられない言動をする。
あ、別に東大はやめろなんて言ってません。キャンセルカルチャーには反対しますと。
これですね、批判はする。でもやめろとは言っていない。自分もキャンセルカルチャーは好きではありませんという感じです。
でね、ちなみにその本田さんのゼミにかつて出入りされてたというね、社会学者の古市さん。
長い批判文を書かれていますと、発言そのものにはかなり厳しいこと書かれているんですが、その中でですね、
大前提として僕は昨今のキャンセルカルチャーを全くいいとは思っていない。言論を巡る問題はまず結局をぶっつけるべきだとも書かれていると。
批判って言うんですけどキャンセルには反対する。ここ共通してますね。
で、さらにさらに三浦理事さんがですね、9月5日にも書かれたことも多分そうなんでしょうと思ってますと、三浦さんはこう書かれています。
まあ逆にこれまで東大教授の意見はあたかも正しいかのように、新報したりハーク図鑑に使ってきたメディアが問題などであって、
今はいついかなる時に誰のどんな意見を参考するかという見聞きが問われているということですと。
言論を職業とするならば権威を利用することはやめた方がいいというふうに言っております。
でですね、ここからが私の今日のオピニオン的な話かなと思います。
権威と専門性の違い、そしてメディアの役割
まあね、権威なんでしょうかという話ですと。
自分の理解ではですね、権威というのはその人の中に埋め込まれている性質ではありませんと。
この人の言うことはいちいち検証しなくてもとりあえず聞くに値するという、受け手の方が思ってくれるその関係性のことだと思いますと。
関係だから誰かがその関係を担保しなきゃいけないんですよね、それで言うとね。
私もメディアコンサルという立ち位置、それは何かしらのね、今までやってきた経歴その他もろもろ、コミュニケーションプランなどそうです。
それをもって喋っているというところですね。
自己担保というところももちろんしながらですけど、これに何かしらの客観性が留まらないと何言ってんだという話になると思うんですよね。
というところかなというふうに思いますが、今そんなことを喋っておきながらここで一つ切り分けておきたいんです。
権威と専門性は別物です。
その分野を本当に知っているかどうかを認めるのは、ある意味、大学とかね、学会とか、科学とかっていうところではあるんですよね。
でも専門性があるからといってそれが自動的に何百万人の企業に値するに変わるわけではないと。
専門性と権威という関係に変化する装置がある意味間にいるところがあるかなと思います。
そういう意味では私ですね、大学、学会その他諸々みたいな形の部分で専門性、メディア学を私が大学で学んでいるかというとそんなことはございませんというのがあるので、
その一点における話で言うとちゃんとメディアメディアで学もありますから、そっちの方が専門性ですよ。
そういう言い方もありながら、実際今回コンタさんは専門の装置に出たわけではないんですよね。
教育社会学っていうのは何によって人の地位が決まるのかを扱う分野ですし、
努力や業績なのか、それとも生まれや血縁なのか、接種と血縁の話はですね、むしろど真ん中かなと思うんですよ。
専門性の方は一体値に揺らいでないんですよね。
それでもある意味、こういう炎上を起きましたという話です。
話を戻すと権威。じゃあ誰がその権威を担保していたのか。
4マスの時代、新聞、テレビ、雑誌、ラジオの時代、それを担保していたのはまさにメディアでした。
東大教授の本田幸さんという肩書に、意味があったのはその肩書を見て、
この人にコメントをもらおうと決める編集者やディレクターが間にいたからです。
肩書というのは本来なら受けて一人一人が払うはずだった。
この人の話は聞く価値があるのかという選別のコストを、
メディアが代わりに払って束ねて下げてくれる装置だったんですよね。
だからこそ便利だったし強かった。
いろんな番組において、そのメディアが担保する形でこの人が、
みたいな形の意見を紹介するわけじゃないですか。
かつ、ここが一番大事なところなんですが、
同じメディアが説明責任の回路でもあります。
何か問題が起きたら記者が取材に行くコメントを求める反論があればそれもノール。
つまり権利を与える回路と権利を問い直す回路が同じ土台の上に載っていた。
持ち上げる場所と詰める場所が同じだったんですよ。
その上で今回の件をもう一度見てほしいんですけど、
X時代の情報伝達と説明責任の変容
最初の投稿、これ喋っている時代で800万回を超えて表示されています。
本人の解説の方は1300万回を超えていて、
元の投稿よりさらに多く読まれているような状況です。
読まれているというかインプレッションだからね。
読んでいると理解もまた違うんですけど、それを言い始めるときがないので言いませんけど、
そのどちらも特段のマスメディアを一度も取っておりません。
誰かが編集して選んで載せたわけではございません。
まっすぐとXのユーザーには届いております。
特段の何かしらのメディア、朝日新聞とか、
その他もろもろも全部その後に来ています。
これがめちゃくちゃ象徴的だと思うんですよね。
常見さんが指摘されている取材には応じないという話と、
三浦さんが指摘されているメディアの権威をはくづけに使ってきたという話は、
一見すると別々の方向を向いた批判に見えるんですけど、
でも自分には同じことの表と裏に見えるんですよね。
しかもね、この二つ、同じ一緒の中でも起きているところがありますと、
本田さんは朝日新聞のコメントプラスというコーナーのコメンテーターでもいらっしゃいますと、
注目記事に専門家が一言プラスして解説、視点、提案の三つの切り口で
ニュースを分かりやすく伝えるという趣旨のコーナーです。
収録時点でもコメンテーターの一覧に、
東京大学大学院教育学研究科教授という肩書きで掲載されておりますと、
その一方でさっきの石渡さんの記事によれば、
その同じ朝日新聞の取材には応じていないと、
肩書きを載せる側は残っていて、問い直す側だけが外れていますと。
同じね、マスメディアという同種の上の中でです。
メディアが権威を配っていた土台と、メディアが権威を問い直していた土台が、
もともと同じ一枚の板だったんですけど、
取材に応じなくてもね、自分で何百万に何千万に届けられると、
その時点で問い直す側の土台がもう抜けてるんですね。
ところが配る側だけが習慣として残っていると、
肩書きを載せる作業はそのまま続いていますと、
三浦さんが剥付に使ってきたメディアが問題と書かれているのは、
この状態だと私は思いますと。
土台が抜けた後に残った肩書きはもう何にも対応していませんと、
それでも配られ続けているんですよね。
剥付やめようといった瞬間に、
あれが問い直すんですかっていうところも一緒に浮くんですという話です。
じゃあ何が来たのか、何が代わりに来たのか。
権威の崩壊とコミュニケーションコストの増大
この後で言うのであれば、正直に言うとまだ何も用意されてないんですよね。
もちろんXという板の上で言うとコミュニティノートという機能はありますけど、
あれも投稿された後に付くので、
結構いろんな炎上とかいろんなポストについて、
ある意味、権威性というところの部分をちゃんと評価するという、
誰からでも評価できるという仕組みが残っているんですけど、
あれがね、やっぱりスタートした悪いには、
どこまでワークしているかどうかっていうところはね、
あるんですけどね、ないよりあった方が全然いいんですけどね。
これがね、正直しんどい状況ですし、
ある意味におけるコミュニケーションコストが高いかなと。
権威というのはですね、ある意味みんなが共有していた省エネ装置だったので、
それが壊れたら各自が自分の分のエネルギーを払うしかないですよね。
この人の意見は大丈夫なのか、みたいな形で。
そこがどうしましょうかって話でもあるんですよね。
何が効くのかというと、私はこういう時にですね、
発信側においてやっぱりね、最後に残るのは丁寧さかなというふうに思います。
発信者と受け手に求められる「丁寧さ」
作り手側の丁寧さというのはですね、
まず何を根拠にそう言っているのかを示すこと。
そして誤解されることもあるんです。
発信はですね、基本的に誤解されるものです。
どんなに丁寧にやったところで誤解されます。
その時に受け手側の責任しないこと、
分からない方が悪いで終わらせずに、
もう一度別の言い方で説明できること。
さらに批判された時に批判と処分要求みたいな形をね、
ちゃんと切り分けて批判の方に答えるという話だと思うんですよ。
ただ単にあれこれダメだ、その他のものとか、
そんなの聞かなくていいんですよ。
批判は批判として受け止めるという話だと思うんですよね。
今回の件で言うと、
本田さん説明はされました。解説されました。
4人前分、かなり長く。
その解説ですよ。冒頭にこういう一文あります。
本来、XQツイッターへの投稿に関して解説する責務を投稿者は負ってませんが、
局階があまりに広がっていることから、
ここがね、
4マスの時代はね、
この責務、外から来てたんですよね。
それで言うと、ある意味、
マスメディアが担保してました。
4マスが。記者が来るから答える。
答えなければ取材拒否と挙がれる。
でも今は答えるかどうかも、どこで答えるかも本に決められるんですよ。
言ったら、インターネット上の世界観で言うとね。
実際、短い文で誤解が広がるリスクについては、
Xプラットフォームの限界と双方向性の重要性
本田さんご自身も、解説の中で認めていらっしゃいますと。
ただ、それを取材の場ではなく、X上でやりました。
Xというプラットフォーム上でやりました。
届く量だけ見ればね、圧倒的にね、Xの方が広がっちゃうんだな、これがな。
ただ、Xだと往復が起きないんですよね。
すっごい数のリポスト、すっごい数のコメントがついたところで、
本田さん、ビタイチぶれませんでした。
ね。
一方的に何千万回届いても、それは対話になってないんですよ。
ここがね、Xとかその他の発信の一番難しいところだと思います。
受け手側の丁寧さと滑らかなコミュニケーション
で、そういう意味で、今作り手側の丁寧さの話をしたんですけど、
今度、受け手側の丁寧さもいると思うんです。
それで言うと、一文だけ切り取って断罪しないことはね、私大事だと思います。
肩書きがあるから信じるというのをですね、私はやめた方がいいかなと思うのと同時に、
肩書きがあるから叩くっていうのもまたちょっと違うかなというふうに思うんですよね。
批判するのはいいんですけど、その人のそこを奪うと話は分けて考えることは大事だと思います。
これは常見さんが書かれていたことそのものかなというふうに思います。
あのですね、道徳の話をしているつもりは全くなくて、設計の話です。
多様な意見がね、フィルターなしで同じ場所に流れ込んでくるっていう環境なんですよ。
そういう環境で、権威という共有音、省エネ装置がないんです。
だとしたら、送り手と受け手がそれぞれ少しずつコスト払うしかないんですよね。
その払い方の作法が、丁寧さと呼ばれているものなんじゃないかなというふうに私は思うんです。
自分はですね、別の考えと言うと、お互いに多様性を認め合うことで滑らかなコミュニケーションができるようになるといいなとずっと思ってやってきております。
これは別に自分はというふうに主語をつけましたけど、主語を大きくしていきたいなというふうに思うんですよ。
今回の件を見ていると、その滑らかさがですね、権威が上から与えてくれるものではなくて、送り手と受け手がですね、一報復ずつ引き受けることでしか作れないものになってくるんだなという形になるんですよ。
これである意味における本田さんの払わなかったコストで何が起きるのかというと、その周辺領域でやっぱり彼女の現実その他諸々というところは本当は多くの人に聞いてもらって学問なんだから、それを受けて伝播してほしいはずなんですけど、
これだと伝播するものも伝播しない?それすごくもったいない話だと思うんですよ。本田さんがやられてきたことで、見るとね、どうかなというのも私の視点からするとあるんですけど、とはいえ別にその活動その他諸々、学問その他諸々を否定するものではないんですよ。
やっぱり多くの人の考える何かしらの礎にならなくてもヒントになればいいと思うんですよね。私は意見というのはそういうものだと思います。言論というものは。っていう形になってきてほしいというところがあるので、お互いそういうところは丁寧にやろうよっていう話だと思うんですよね。
もちろん今今回の作り手、この倍流本田さんの作り手っていうところは丁寧性に思いっきりかけてるし、受け手側はですね、積善反射でそういう意味での丁寧性にかける言動っていうところを繰り広げられると、なかなか前に進まないかなという感じかなと思います。
もうね、肩書きみたいなものはもう誰も担保してくれなくて、担保するのはその人の発言の方かなっていうふうに私は思ったりします。
もちろんね、こういう強い言動がなかったらなかなか伝播していかないっていうところもあるんですけど、でもちょっとずつですけど、私はいろんな意味にですね、丁寧さのコミュニケーションっていうところが最終的に大事になってくるものだと深く信じて活動しているものでございます。
なので、極力丁寧に話してみたという次第ですね。
まとめ:それでもメディアは面白い
それでもメディアは面白い。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。また来週です。松浦しげきでした。
18:56

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