1. それでもメディアは面白い
  2. メディアの「接点」をめぐって..
2025-12-29 20:08

メディアの「接点」をめぐって考え続けたこと

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▶話した内容

接点から考えるメディアの現在地 / 市場と物流の変化が示す本当の問題 / 熱量をどう測るかという話 / 漫画誌が果たしてきた役割 / デジタルが担うべき週次接点 / 紙が引き受ける正史と結末 / 生成AI時代の避けられない現実 / 二次創作と一次性の線引き / 日本で炎上が起きやすい理由 / フィジカルイベントの強さ / ローカルコンベンションという答え / グローバルで日本発が消える瞬間 / ポケモンが到達したIPの形 / 小説はどこまでいけるのか / オーディオという入口の可能性 / ハイコンテキストをどう扱うか / それでもメディアは面白い / 接点という言葉を言い換えると / 私にとってのコミュニケーション / これからの関わり方について


▶行ったイベント

【特番・会場参加有】2025年下半期の出版ニュースを振り返る ―― HON[.]jp News Casting / 大西隆幸×菊池健×libro×古幡瑞穂×西田宗千佳×鷹野凌

https://honjp-newscasting-special2025sh.peatix.com/view


▶松浦シゲキのプロフィール
https://my.prairie.cards/u/shigekixs


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サマリー

ポッドキャスト『それでもメディアは面白い』で、松浦シゲキは年末に行われた出版ニュースイベントを振り返ります。彼はデジタルメディアと紙の出版の関係性、生成AIによる著作権の問題について考察します。特に、メディアがどのように人と出会い、関係を育むことができるかが重要視されています。彼はメディアとイベントにおける接点についての考察を深め、偶然の出会いやIPの世代継承の重要性について語ります。また、グローバル展開と日本性の関係、音声メディアの特徴についても触れ、コミュニケーションを基点にした関係性の重要性を強調します。

年末の出版ニュースイベント
松浦シゲキの、それでもメディアは面白い。
この番組、「それでもメディアは面白い」は、メディアコンサルタントで、
コミュニケーションプランナーの松浦シゲキが、ありとあらゆるメディアの器をこねくり巻きながら語り尽くします。
さて、今回のテーマは、
はい、松浦シゲキでございます。
年末ですね、収録日12月29日ということもありまして、
はい、お仕事自体はね、先週金曜日でほぼほぼ閉まっておりまして、
まあとはいえ、今日ちょっとまだもう1本ミーティング仕事ありましたし、
あと、決済系ですね。
いろいろな請求書とか、そこら辺とかも実のとこ少し残ったりとかしてるのがあるので、
それをこなしておりますが、まあ今日で完全に終わりかなという感じでございます。
で、それでもメディアは面白い、ポッドキャストをやっていきたいなと思うんですけど、
年末のですね、まとめでしゃべろうかなと思ってたんですけど、
先週12月26日にですね、イベントに行ってきまして、
2025年下半期の出版ニュースを振り返る特番というイベントがありましてですね、
そこに、あれこれ、とてもとても面白いイベントだったので、
それについてですね、感想戦みたいな形でできたらいいんじゃないかなというふうに思います。
まあ、あのね、恒例のニュース特番、出版ニュース特番という形で、
出版に関わるニュースをまとめて配信し続けている方々、
おにひさんとかキクスさんとかね、お世話になっております。
はい、リブローさん。
で、フラザーさんはですね、ご挨拶しようかなと思ったんですけど、
ちょっと会場がすぐ出なきゃいけないみたいな感じだったんで、ご挨拶できなかったんですけど、
あとたかのさん、そして司会の西田宗近さんがいまして、
2025年の下半期をですね、振り返り掘り下げますという形で行ってきました。
はい、現場、日比谷のですね、コンベンションホールに行ってきて聞いてきました。
とってもね、本当、メディアの情報をやっぱり得られるという形でとても良かったし、
私自身もですね、いろいろな答え合わせのつもりで聞きに行ったというところもありましたので、
イベントを聞きながらですね、考えていた内側の声みたいな形でちょっとお聞きいただければというふうに思います。
はい、でですね、このイベントではですね、紙の出版式場の縮小、
電子書籍の動向、雑誌の休館、出版物流の限界、
生成AIと著作権、そしてIPのグローバル展開についてですね、
とっても冷静で実務的な議論が展開されていたかなという感じで、
私としてはですね、どれも正しいしどれも納得感がある、さすがプロの皆様方というところがあるんですけど、
私としてはですね、問いの焦点という意味においてで言うと、
紙が強いのか、デジタルが強いのか、出版生き残れるのかっていう、
そういう問いではなくてですね、結局聞いてるとですね、
なんていうか、結局メディアはどこで人と出会えているのか、
そしてその出会いはね、関係にまで育っているのかどうかっていうこの問いがですね、
ずっと頭の中でなっていた次第ではございます。
接点の変化とデジタルメディア
でね、いくつかポイントに分けてしゃべれればと思うんですが、
まず、手錠や物流の話がなぜ接点に聞こえたのかという話があるんですが、
イベントの前半ではですね、紙の市場規模がいよいよ1兆円を割り込むかもしれない、
コンビニ配送の終了を含めて、出版輸送が構造的に立ち行かなくなっている、
そんな話がですね、語られていました。
一見するとこれ、コストや効率の話に聞こえるんですけど、
ただまあこれはどちらかというと、接点の話の方に持ってった方がいいのかなと、
雑誌がコンビニから消える、書店の棚が縮む、物流の前提が崩れる、
そういうのはですね、これまで当たり前だった、ある意味偶然の出会いというところが
消えていくというところの方が大きいかなと思うんですよね。
偶然の出会いの接点がめちゃめちゃ増えた。
コンビニじゃなくたって、書店じゃなくたって、なんだったら気軽にですね、
もともとそれで言うと、テレビとかラジオとかが接点というのもありますし、
新聞も接点なんですけど、ネットって気軽な接点、お手元で見れる接点というところがあるので、
そうするとなかなか、もっともっと楽な接点というところができてくるという話になると、
どうしてもそういう偶然の出会いみたいな接点が消えていくのはしょうがないかなと。
どこで初めて名前を知ってもらえるのか、どこでふと手に取ってもらえるのか、
物流はその後の話ですからね、物流の話はそのまま、
接点が壊れていく話に聞こえたかなという感じでございます。
あとね、次のポイントで言うとですね、これね結構、デジタルメディアやってる身からしても、
もうそうだそうだみたいな話でございますが、熱量とはですね、感情ではなく継続であるというところが大事かなと。
イベントの後半の議論でですね、ページビューとかユニークユーザーではなく熱量を見ているという話がありましてですね、
これ何かというと何度も戻ってくるっていうのをね、継続性みたいな話なんですけど、
継続性以外もそうなんですよ。更新された瞬間に反応するかどうかっていうのがあるんですよね。
更新するっていうタイミングで必ずね、その更新がすぐ行われるか、後から読めばいいやってるところなんですけど、
とにかく更新された瞬間見に来る方々がいるんですよね。
次を待っている人がどれぐらいいるか。これがね、とても大事なポイントで、
感情じゃなくて熱量っていった、熱量という行動でですね、考えてきた方がいいと思いますし、
熱量をですね、ごまかしが効かないような感じで継続させるかどうかっていう話なんですよね。
これ出版流通に落とし込むんだったら、これ昔の漫画誌で言えば読書アンケートとね、ほぼ同じですよね。
毎週買う、次号待つ、話題にする、それで読みたいっていうのがあるからアンケート書きますみたいな形で、
熱量継続率という言葉はですね、とてもしっくりくるところだと思いますし、
今のデジタルメディアがですね、そこができているのかどうか。やっぱりね、
アテンションエコノミーにね、慣れすぎちゃってるね。それで言うと。
そこに慣れすぎちゃってるっていうところがあるから、この熱量っていうところがちょっとね、
誤解されているところがある。アテンションの熱量じゃないんですよね。継続の熱量っていうところが、
改めて大事なんだなというふうには思ったりとかしましたね。
はい。で、あとね、紙とデジタルの関係性なんですよね、それで言うと。
あの、なんて言うんですかね。これ、ことここまで来るとですよ。
先ほど言った通り、お手軽、手元にスマホにですね、
そういう更新やら何やらかんやらって接点のところに生まれちゃうっていうところがある。
だったらですね、デジタルはですね、毎週、毎日、まあ秒でもいいんですけど、
接点作る場所かなと。更新されて、熱量試されて、みたいな形。
なんで、まあ、そういう意味では未完成でもいい。むしろ未完成だからこそ関係が続くっていうところだと思うんですよね。
一方で、この形で言うんだったら、ある意味、紙は違う。更新されませんからね。
言ったらね。はい。もちろん、半を重ねることに直していくっていう作業があるんですけど、
その半を重ねるだって、やっぱり初版の良さみたいなのがね、
実際それで値が上がったりとかするって漫画でもありますからね、それで言うと。
なので、今までは物流って形の部分で紙が更新性があるものみたいな形でやってたんですけど、
結局このところパッケージの繰り返しですからね。
それで言うとですね、紙はですね、改めてなんですけど、
結末を引き受けられるパッケージという風に思った方がいいのではないかなと。
単行本だったりとか、総集編だったりとか、愛憎版だったりとかね。
っていう形で言うんだったら、それらはですね、なんか媒体っていう意味ではないと思うんですね。
情報媒体ではなく。
なんていうか、これがある意味の一時情報となる結果だみたいな。
固定する装置だみたいな感じに考えた方が良くて、
そうすると、なんかこの紙の配送で言ってる話で言うと、
なんていうか、届けるっていう入り口の改めじゃなくてですね、
エンディング出口のためにですね、やっぱりこの物流っていうところを使っていくべきなんだなっていう風に考えると、
とにかくすぐ配送だみたいな形にすると、
てんやわんやな事態になったりとかするので、
あくまで完成品、パッケージ、アウトプットの出口っていう風に考えてあげることが大事かなという風には思います。
生成AIと著作権の課題
あとね、やっぱり避けては通れないところの話で、
生成AIの話もありまして、生成AIと二次創作みたいな話なんですけど、
今年ソラ2出てきまして、著作権とか学習データとか海外での和解事例とか色々ありました。
バンバン日本のIPの漫画とかね、出てきちゃうような、作れちゃうような感じではあると思うんですけど、
このイベントでも色々と議論を重ねられたっていうところがあるんですけど、
私はですね、ある意味この点においては模拟感です。
だいぶぶっちゃけたところがあるとするとですね、
生成AIによる二次創作はですね、もう止めようがないかなと思うんですよね。
技術的にも文化的にももう不可逆なんですよね。
守るべきとこそこかなみたいな話。
二次創作を縛ることが、一次創作を守る手段なのかなっていう話かなと思うんですよ。
私としては一次創作をですね、きっちりと区別して置けるような環境化を作ることが大事なんじゃないのという話ですね。
どれが本当に始まり、一次創作としての始まりで、どれが公式で、
どこからがある意味その一次創作を基にした遊び場なのかみたいな話だと思うんですよね。
こうなってくるとですね、私はなんか早いところですね、
ブロックチェーンみたいなですね、認証する技術がですね、
ブロックチェーンね、陶器で語られることも多いんですけど、
一時性を記録する台帳としてですね、ちゃんと意味持ち始めるような形で公式っていうところがちゃんとなされていればいいんじゃないかなと思うんですよね。
さっきあった紙がパッケージって言いましたけど、デジタルもパッケージですからね。
それが変えられないパッケージみたいな形の部分で、改作版でどう流れようがですね、
結局一時コンテンツとしてそこがちゃんと担保されている。
二次創作がある意味を持ってちゃんと一時創作にですね、歓迎されること。
私からすれば二次創作でじゃんじゃん遊んでもらって、
延々と例えばドラゴンボールが語り継がれるとかスターウォーズが語り継がれるんだったら、
それはそれでいいんじゃないのっていう気がするんですよね。
ウルトラマンもそうだと思いますしね。
それで言うと、ちょっとだけ話が横にずれますと、
スーパー戦隊私大好きですけど終わっちゃうんですけど、
これがある意味で言うとですね、1年ごとにガンガンガンガン世界線が変わっちゃう。
もちろん繋げてきてるっていうところもあるんですけど、
ここの一時創作のラインっていうところが二次創作しにくいラインだったから、
だからそうなかなかIP、全体IP、スーパー戦隊っていう名称でのIPとして、
なかなか継続しがたかったんじゃないか、しづらかったんじゃないかなっていうふうには思ったりとかするんですね。
それ考えるとやっぱり一時性というところがある意味企業、プロデュースする企業だから、
ある意味しっかりと作り上げることで、二次創作で、
先生でも何でもいいんですよ、手段ですからね。
っていうところになっていった方法の方がよりいいんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
どうしても炎上起きやすいんですよね。
作品よりも先に作者を見ているところがあるのかな。
創作は人格の延長線上で、努力や自家へのリスペクトというところが強いというところがあるので、
だから生成愛は便利な道具であるまいに、誰かの尊厳を踏み越えてないかという問いを呼び起こすかなと。
これは拒否ではなく、望遠反応というところなんですけど、
ものづくりの国としての日本みたいなところで、家庭重視その他、そういうのはわかるんですけど、
イベントと偶然の出会い
その尊敬みたいなところをちゃんと精度に落とし込むかどうかだと、私は実のところ思っているので、
わりとこの手の会話についてでいうと、私は悲観的な立ち位置を取る人間ではあったりとかします。
あと、それでもメディア面白いシーズン1でもシーズン2でもちょいちょい言ってますけど、
フジカラの接点ですね。
イベントでは、そこら辺の周りの話でいうと、アメリカのコミコンの話があって、
日本だと文振りとかジャンプフェスタ、ウルトラマンフェスティバルみたいなのがあると思うんですけど、
やっぱりね、わざわざ行く必要というところがあるかなと、
移動コストがある意味熱量の証明になると思いますし、
行ったら行ったでそこに偶然の出会いがある。
書店ならではの機能の一部ですよね。
本の機能の一部というか、書店の機能として偶然の出会いという機能があるとするんだったら、
イベントってやっぱそこだと思うんですよね。
私もイベント好きです。
偶然の出会い好きです。
割とちょいちょいちょいちょい行きます。
っていうのがありますし、
文振りがここから新規IPの発芽装置になってくればいいかなと思うんですけど、
ウルフフェスとかね、私行きます。
ウルトラマン大好きなんで行くんですけど、
毎年出てくる新しいウルトラマンもそうだし、
既存のIPの更新とかも含めて世代継承というところも同時にやってるっていうところはですね、
やっぱり富士からのイベントっていうところ、熱量のところからさらにデジタルに実感されていて、
いろんな物流に乗っていく。
いろんなコミュニケーションに乗ってくることが大事なんじゃないかなと思うんで、
やっぱり伝える一点においてで言うとイベントっていうところは、
もうちょっとだからね、アメリカのコミコンみたいなところはですね、
グローバル展開と日本性
今ちょっと行ってみたくなったなっていう気持ちになりましたね。
昔々ね、ロンドンでね、ジャパンフェスみたいなやつが行って、
これがなんか海外の人からした時の接点っていうところで盛り上がるっていうのがわかるんだなっていう肌感を取れたのはすごくいい経験だったんですけど、
逆に日本初っていうのであるんだったら、
お仕事で関わってるツバメさんとの皆様方も先日スペインとかに行ってきてね、
ジャパンフェスみたいなのに参加したらしいですけど、
やっぱり自分もそういうのに行ってみないとわからないことがあるなというふうには思った次第ですね。
あとね、海外で言うとね、グローバル展開の話もあったりとかしたんですけど、
やっぱり印象に残ったのは、成功しているIPほど日本初であることが前に出てないなというふうに思ったりとかしましたし、
ポケモンなんてね、まさにそうですよね。
日本のコンテンツっていうよりかは世界のルールみたいな感じでやっぱり受け入れられているところもあったりとかするので、
日本初っていうと日本性を捨てた結果じゃないかなと、日本性を前提にしなくてよくなるほど、
ある意味そういう意味で海外も含めてグローバルの国境がなくなった。
少なくともデジタル上においてはほとんど国境みたいなところが少なくなってきたっていうところがあるから、
前はやっぱりそこの接点っていうところがなかなか行き渡らないっていうところがあったと思うんですけど、
それが海を越えやすくなったっていうこと自然だったらね、
あんまりそこまで日本初って意識しなくてもいいんじゃないのみたいな話があるのかなというふうにありました。
コミュニケーションの重要性
あとね、このイベント出版っていうところもあるんで小説はこの構造に乗れるかみたいな話もありました。
小説やね、オーディオブックの話題ですね。
もちろん色字リスの問題とか、ハイコンテキスト文化の問題とかっていうところがあるんですけどね、
オーディオはね、色字の壁は越えやすいと、文字じゃないコミュニケーションっていうところは越えやすいんですけど、
なんていうんですかね、日本語は日本語ならではの日本的な行間とか余白っていうところはそのまま運べないところがあるので、
これはこれで難しいところあると。
だからまあ音声はある意味輪郭を示す入り口みたいな形にして、深さはテキストに残すみたいな形にしてあげればいいんじゃないかなというふうに思うんですよ。
なのでまあそういう意味でのやっぱり小説IPモートみたいな形で言うんだったら、
完成品として売るっていう考えよりかは、なんか世界観を固定するためのですね、OSみたいに考えてあげた方がいいんじゃないかなっていうふうにも私も思ったりとかしました。
でね、まあこのイベント全体通じてあの強く感じましたのは、誰もがね終わりだとは言ってなかったということは大事かなと思います。
物理は効率とある、高校モデルは限界があるみたいな話ね、検索ね弱くなってるみたいな、
生成エアは秩序を揺さぶってるかなっていうところがあるんですけど、
まあそれでもメディアがね扱ってきた本質っていうのは、人と人との間に生まれる関係性だったという確信がですね、
やっぱあってのことなのかなというふうに思うんですよね。
あのイベントの中で西田さんがですね何度もね先転という言葉を使ってたんですけど、
まあこのイベントの最中映画館とか配信とかイベントとかテーマパークとかソーシャルメディアとかね、
IPはどこでユーザーと触れているのかという問いがですね、たくさんありました。
で、まあ私からするとですね、この接点っていうのがまさにコミュニケーションかなという言い方をしています。
私自身はですね、一度見られることではなくて一瞬でバズることでもなくてですね、戻ってきてもらえるか話し続けられるか関係性が更新されているか、
こういう起点からですね、私はコミュニケーション起点からやっぱりいろんなこのイベント、テーマパーク、配信、
まあいろいろメディアの流通その他諸々というところは考えるべき話なんだなというふうに思いますし、
それがなんていうんですかね、今年いろいろと変わってきましたけど、
根本の部分では変わってこないんだなというのはこのイベントで聞いてて良かったと思えたことではございます。
まだアイカイブ買えるのかな、ぜひですね、PTXからですね、お買い上げいただいてですね、
イベントの動画とか見ていただければというふうに改めてお勧めしてみる次第ではございます。
来年もですね、私はコミュニケーションプランナーという肩書とメディアコンサルタントという肩書でですね、
来年もまた頑張っていければいいかなと思います。
今年も頑張りました。
そんな振り返りができたイベントに行ってきたよというお話をさせていただきました。
今年の放送はここまでとなりますね。
やっぱりあんまり喋ってないからね。
神々いつものことではございますけどね。
でもちょっと長らく喋っていきたいです。
それでもメディアは面白い。
今年は今日で放送としては最後です。
年始はですね、収録したいなとは思ってるんですけど、
1月5日収録できたら嬉しいかなという感じでちょっとやってみようかなというふうに思ってます。
なんでかというと年始で何喋ろうというのが全く思いつかないというのがありますけどね。
何かしらPotifyでもYouTubeでもいろんなところでお聞きいただきありがとうございました。
それでは今年もありがとうございました。
なんか締めがちょっときつくなってきたな。
また来年もよろしくお願いいたします。
20:08

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