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2022-02-26 11:06

「話し手の気持ち良さ」と「聞き手の面白さ」は相反するのか

なんでも「そのとおりですね」だと、退屈なコンテンツになってしまいそうです。
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メタ音声配信ラジオ、こんにちは、いわみです。
日付はもういいかなと思うんですが、一応、今日は2月26日の土曜日。
今日も自宅からの収録で、今日は普通に家に家族がいる状態なんですけど、
こういうのも鳴らしていかないといけないなと思って、朝から撮っています。
割と今日はこのぐらいの時間しかないので、あまりしゃべることは思いつかないんですが、撮ってみました。
一応しゃべってみたいことはですね、音声配信についてちょっと思ったことなんですけど、
最近割とコラボ収録というか、そういう一人じゃない対話形式の収録をさせてもらうことが増えてきて、
その中で自分で考えたことですね、タイトルをつけるとするならば、
批判する姿勢と聞いている側の面白さみたいなのは相反するのかなっていうことを思ったので、そんな話をします。
これは簡単に言うとですね、何でも相手の話に、そうですね、その通りですねって言っているだけだと、
しゃべっている方はいいのかもしれないけど、楽しいのかもしれないけど、聞いている方はあまり面白くないんじゃないかっていう、そういう話ですね。
まあ別にお笑い芸人とかではないので、そんな、もしくは朝まで生テレビみたいなそんなですね、
とにかく相手の上げ足を取ってやろうって、そんなことする必要は全くないし、そのつもりもないんですけど、
でもまあ今僕はわりと週1でタダノブさんと対談のポッドキャストをやらせてもらったりして、
自分で聞き返してみると、結構相手の話に、僕の第一声はほとんどそうですねが多いなっていうことを自分で気づいて、
口癖でもありますけど、でもなんかわりと反射的に言っている部分もあるなと思っていて、
これは音声配信に限ったことじゃなくて、普通にたぶん日常の会話、受け答えとかでも、たぶんそうですね、口癖なのかなって思うけど、
でもまあ配信するポッドキャストとしては、あんまり面白みに欠けるよなっていうのを思ったので、
すぐにどうこうしようとは思わないけど、なんか考えてみたくなったっていう話です。
批判する姿勢。何が何でも批判することはないけど、何となくその割合的にですね、
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8回か9回批判したら、肯定したら、1か2はですね、あえて批判してみるぐらいでいいんじゃないかなと、
その方がちょっと面白みが出るんじゃないかなって思ったんですよね。
肯定9、批判1、もしくは8対2ぐらいですね。
それ以上いくと、ちょっと朝まで生テレビ要素が強くなるので、これ朝まで生テレビって普通に言ってますけど、知らない人ももしかしたらいるかもしれません。
たぶんあれまだやってる?田原壮一郎さんってまだ生きてるのかな?たぶん生きてると思うんですけど。
この辺もあやふやな情報ですが、朝は周りがやかましいですね。
一応今日、自作防音ボックスにですね、スマホを放り込んでそこに向かって喋っているんですけど、
これで周りの音が録れてなかったら、僕の工作は成功ということになりますけど、まだわかりません。
それで聞いてる側の面白さっていうことなんですけど、批判的な姿勢があった方が、基本的には面白くなりやすいっていうのはあると思うんですよね。
それは何でもそうですね、そうですね、その通りですねよりは、本当にそうかなっていうのがないと面白くないっていうことですけど。
かといって、別にそうだと思っているのに、それは違うんじゃないかっていうのも違うというか。
バランスといえばバランスなんですけど、それはそうとして。
でも対談のポッドキャストとかで、その批判を普通に織り込んでいくときに必要なのはですね、相手との信頼関係もそうだし、
自分の中、メンタルじゃないけど、自分の中、精神系とは切り離してそういうことを話すっていうのがですね、僕はいいんじゃないかなと思っていて。
だいぶ前にディベートっていうことについて触れたことがあるんですけど、ディベートってアメリカとかだと事業でも用いられているような議論の手法で、
まず先生にテーマと賛成か反対かっていうのをですね、勝手に振り分けられるっていう。
例えば核兵器とか原発に賛成か反対かみたいので、自分の思想信条とは関係なくイエスかノーに振り分けられて、
それで逆側の意見のチームと言論によって対決するみたいな。要は言論ゲームみたいなことで。
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そこで必要になるのはそういう情報を集めたりとか、一応観客みたいなのがいるわけだから、その観客に対していかに説得力のあるスピーチができるかみたいなところで。
その中の一環で、批判されても別にあなたの人格を批判されているわけではないっていう、そういうスタンスみたいなのが大事だよっていうのをどこかで読んだことがあって。
これはディベートだけじゃなくて、こういった音声配信とか対談とかでも割と役に立つ考え方なんじゃないかなと思ったんですよね。
つまり自分が何かの意見を言って、相手がそれに批判的な態度を取ったときに、
それが自分と深く結びついていると腹が立ったりとか、もしくは傷ついちゃったりすることはあるかもしれないけど、
そんなに深く考えることはなくて、別に僕はこう思うんですよって言って、それは違うんじゃないですかって言ったら、
それは別に自分とは切り離されたものとして、
例えば、全然自分の興味のないことに自分が物を言って、それはそうじゃないですよって言われても別に気にならないじゃないですか。
例えばが思いつかないですけど。
自分と全く興味のない事柄に対して自分が批判されても別に心にダメージを受けないように。
あらゆることに対してそういう姿勢でいると議論は進みやすいし、議論じゃなくても雑談みたいなことでもいいんじゃないかなと。
だからこそ話題を選ぶっていうのは逆に言うとアリなのかもしれないというか、
自分がそれほど深く入り込んでいないテーマをあえて選んで、それについてあれやこれや喋るっていうのが、
ただ普通に会話を純粋に滑らかに回していくっていうのではアリなのかもしれないなと思います。
だから例えば何人かで雑談をしていて、一人だけその話題に対して並々ならぬ思い入れを持っていると、
たぶん話ってうまく回らないというか、熱量が違いすぎると噛み合わないと思うんですよね。
そういうことなのかなと思いました。
それで最後に話をひっくり返すようなんですけど、
別にポッドキャストとかスタンドFMとかそういうところで話すときにそれを聞いている人ってことですけど、
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そんなに面白さを求めている人っていうのはいないのかなというのも思いますね。
例えば自分がプロじゃない人の配信とかポッドキャストを聞いているときに何を求めて聞いているかっていうと、
別に面白さを求めているっていうよりは学びとか気づきみたいなのを求めて聞いているわけですから。
そう考えると別に肯定ばっかりしている対談が悪いとは思わないけど、
肯定ばっかりしていても面白いポッドキャストっていえばあるなと今しゃべりながら思いましたね。
超相対性理論っていうポッドキャストがありますね。
コテンの深井さんとか荒木さんと渡辺なんとかさんかな、3人でやっているポッドキャスト。
すごく人気なので知っている人も多いと思いますけど、
あの3人の対話って基本的には全部相手の言っていることを肯定してさらに話を膨らませていくっていうスタイルで、
聞いている側としてはそれがすごく面白いし気づきもあるしっていう、
割と理想的な話なんじゃないかなと思うけど、
あれができるのはおそらく3人がですね、すごい深い知識と話す技量を持っているからっていうのはあるとは思います。
誰しも簡単に真似できることではないと思うけど、
一つの理想として置いておくのはいいのかなと思いました。
僕この後ちょっとリモートで仕事じゃないけどあるので、
それにも参加しなければいけないけどその前に喋ってみたくなったので撮ってみました。
今日は土曜日ですが、良い週末をお過ごしください。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。さようなら。
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