松浦シゲキの、それでもメディアは面白い。
この番組、「それでもメディアは面白い」は、メディアコンサルタントで、
コミュニケーションプランナーの松浦シゲキが、
ありとあらゆるメディアの器をこねくり巻きながら語り尽くします。
さて、今回のテーマは、
みなさんこんにちは、松浦シゲキでございます。
まずは近況報告ですが、
先週の放送でノイズの話をしたかと思うんですけど、
私にとっての動きのノイズみたいなイベントとして、
東京ゲームショーにすごく久しぶりに行ってきました。
10年ぶりぐらいなんじゃないかなと思いますね。
たまたまご招待いただいたというのがありまして、
本当はビジネスデーに行く予定だったんですけど、
木曜日、金曜日がですね、とても忙しくて、
結局日曜日のパブリックデーに大勢のユーザーがいる中で見てきました。
あまりにも大勢だったんで、とりあえず全部回ってきたんですけど、
一周するのに2時間ぐらいかかったという感じですね。
直近ゲームのお仕事をしていないんですが、
日本のビジネスにおいて、対グローバルで言っても、
ITビジネスとしてゲームはものすごく強いジャンルの一つです。
手リンクすることはそんな考えづらいので、
日本文化のベースの一部にもなりつつあるゲーム産業というところを、
作るところも含めてちゃんと見ておいたほうがいいかなと思って、
見てきた次第です。
スクエアインクス、カプコン、その他もろもろ大きいブースがね、
ドンドンドンという感じでありましたし、
それ以外の著名なゲームのブースとかもありました。
10年ぶりぐらいに言って印象的だったのは、
ゲームの専門学校の方々も若い時からのプレゼンテーション、
人材育成、その他もろもろ込み込みで、
ブースを出していたことかなというふうに感じた次第です。
やっぱりクリエイター、作り手を育てていかなきゃいけないというのは、
どのジャンルでも一緒ですし、
今、生成AIができている中で、0から1を生み出す部分、
企画力をどう磨いていくのか、サイトも含めて育てていかないと、
全部枯れてしまう状況があるかなと思うので、
だからそこに対して力をかけているんだなというふうに見た次第です。
一方で、作り上げていくフェーズ、
1から9のフェーズにおいては、
生成AIのパワーがどんどん入ってきて、
もっともっと面白い作品が、例えば続編作るとか、
そういう時間を短縮できるんだったら、
それに越したことないかなと。
そういう、0、1を生み出してくれる、
そことなる、専門学校のパワーというのは、
もっともっと大きくなっていくんだろうなというふうに思いました。
あと、国外からの出展も結構見受けられまして、
イタリアとかフランスとか東南アジアなど、
いろいろありましたと。
なんとなく印象深かったのは、
日本のゲーム表現によっているんじゃないかなというふうに思いました。
海外ゲームのバタ臭さみたいなのがあるじゃないですか、
そんなにたくさん私はゲームをやっているわけではないですけど、
ヨーロッパ圏も含めて、東南アジア圏も含めて、
どちらかというと日本の表現によっているんじゃないかなと、
あくまで個人の感想ですよ。
逆なのかもしれません。
日本の表現が海外によっていっているのかなと思いながら見ていました。
グローバル化されつつも、日本国内では
ザ・ジャパニーズみたいなテイストはまだまだ残っているなというのは、
一方で感じていましたけど、
来ているお客さんも、20%いすぎですけど、
10%はいたんじゃないかな、海外の人だったんじゃないかな、
というふうに思いました。
私にとってみれば、あらためてノイズを体験してくるということは
大事だヨーロッパという感じで、
東京ゲームショーに行ったわけで、
金曜日には久々に文化放送に出演しまして、
Aが仕事に与える影響みたいな話を15分くらい
しゃべってきたんですけど、
そこでもフィールドバック大事ですよという話をしてきました。
いろんな事実をちゃんと取ってこれるか取ってこれないか、
これが結局、人の仕事において肝になってくるかなと。
自分の知識のベースが、
オンラインでネット上に転がっている情報だけだと、
精々AIに負けますからね。
体感で得られた情報じゃないと、知識、経験としてAIに勝てるわけないです。
だから、行けるんだったらどんなイベントでも行ってみようという精神で、
東京ゲームショーに行ってみた次第となっております。
今週末はですね、
お仕事の一部でもあるんですけど、
新潟はツバメサンジョで行われる広盤祭典に行ってきます。
去年も一昨年も行っておりまして、3年連続の参加になるんですが、
まさにクリエイターの皆様がたくさんいらっしゃるようなイベントですので、
放り込まれたネタみたいな感じで広がっているんですが、
このソードに対してちょっと言及していきたいなと
いう風に思います。
まずですね、第一にメディアコンサルティングをしている身として
またお仕事としてですね、
インターネット上のテキストをあれこれ
20年近く見てきた人間として言いますと
ここね、最近テレビの総視聴時間と
インターネットの総利用時間がひっくり返った3年くらい前から
インターネット上のテキストの表現において
いわゆる対応的な表現がどんどん通じづらくなってきてるなぁ
という印象があります。
実際、数字でもですね、いろいろ見るとそんな感じかなという風に
私は思っております。
いろんなコミュニケーションの場で行われているテキストをですね
ベースにしたインプレッションとかクリックとか様々な数字をですね
たくさん浴びるように経験している身からするとですね
本当にこの3年で
本当に関与句は数字なくなってきているかなと
関与句ってある意味知識がないと使えませんからね
ハイコンテキストですよね。
無言の帰宅って何を意味しているのかわからないとそもそも通じませんという話ですから
これね、昔テレビの視聴時間が長かった頃
新聞がたくさん読まれた頃、雑誌がたくさん読まれた頃
読ませる時間の制限
紙面の制限がある中でこういう遠回し的な表現とか
関与的な表現ってある意味コミュニケーションの時短
文字数の時短になるんですよね
だからよく使われていたというのもあるかなという風に思います。
そういう知識大全体の表現が
テレビ、新聞読まなくなった
雑誌は読まなくなった、テレビ見なくなったみたいな形で
継続的に使われていくと
コミュニケーションの橋渡しとなるような言葉も
使われなくなってくるから忘れられるわけですよね
その関与表現の共有基盤というところが
この3年くらいで一気に抜け落ちてきているんだなという実感が
すごくあります
いろいろ起きているコミュニケーションの中で
知らない人をバカにするとか、しゃかすとか
やっちゃうような話もあるんですけれども
そもそもダメですね、論外ですね
知らない人がいる前提でやるべきです
知らない人をバカにしちゃいけないです
もちろんこういう状況に対する嘆きはわかりますよ
関与表現とか日本語の言い回しが
通じなくなってきているという嘆きは
でもそもそもで言うなら
私的には直接的に
伝えなければいけないようなローコンテキストで
より多くの人に情報を伝えるのであるなら
ローコンテキストを意識するのは当たり前の話
なのではないかと思うんです
ハイコンテキストで前提知識で
情報が無言で伝わっていると思わない方がいいです
コミュニケーションプランナーとして言うなら
基本的にコミュニケーションミスの延長線上ですからね
なぜコミュニケーションミスが起こるかというと
大抵が知識の差なので
コミュニケーションプランナーのプロトコルが合っていない
これが原因だと思うので
大前提で考えた方がいいです
私クイズを趣味にしている一人だったりするので
クイズで知っている知らないゲームだったりします
特に早押しクイズ競技クイズと言われているのは
ある一定の知識量を
いかに早く答えにたどり着くか
断片的な情報からどういう形で答えにたどり着くかという競技なので
そうなったら早押しボタンは押さないわけですよ
ただインターネットがなかったような
20何年前
大学時代に私は
メインの趣味がクイズだったりするんですけど
そこで知らないことでバカにされたという経験がありました
本当に
お前そんなこと知らないのかとバカにする人がいたんですよね
そういうのが
ある程度強くなってきているんですけど
とはいえまだ知識に
穴があるような状況でそこが強くなりきれない
ところでもあったりしたんですけど
ちょこちょこバカにされる時期が続きまして
細かい知識でボロっと抜けているところがあったり
私の弱点で言うと漢字の読み方が若干
適当に覚えていることがあるので
適当に答えて
軽減な顔される
みたいな感じで言われる時がありまして
それが続いて実のところ大学卒業して2,3年くらいで
一回フェードアウトしちゃったようなこともありました
本当に知らないことをバカにするなというのは
本当にそこで
思いまして
結果そこからメディアの世界に入ってきて
ローコンテキストというところを
私なりには意識してきたところがあります
みんなが知っているんだという前提で
全てのコンテンツを組み立てない方がいい
極力ローコンテキストだというのは
常日頃意識しているところはありますけど
もちろんクイズという競技でいるんだったら
たくさん知っている方が楽しいというのはあるので
今もそういう意味では情報収集力をもとに
いろんな情報を知るというのは個人的にはやっていますけど
コンテキスト的な部分
ローコンテキスト的な部分はずっと気にかけてやっております
自分が出すクイズも基本的には答えてもらいたいな前提で
極力コンテキスト
つまり前提知識をどれくらい最大公約数で
うまいこと引っ張ってきて知識をつけるかという
このバランスを意識しているのは正直あるかな
というふうに思っています
改めてですけど
その議論の中で言うと
とはいえ語彙力低下している世代間ギャップあるみたいな
議論もあるわけですよ
テレビになくなった新聞読まなくなった雑誌もなく
読まなくなったみたいな形で
でも私からするとそもそも