近況とテーマ紹介
松浦シゲキの、それでもメディアは面白い。
この番組、それでもメディアは面白いは、メディアコンサルタントで
コミュニケーションプランナーの松浦シゲキが、ありとあらゆるメディアの器を
こねくり混ぜながら語り尽くします。
さて、今回のテーマは。
はい、松浦シゲキでございます。2週間ぶりでございます。
先週はですね、おやすみ、おやすみですよね、それで言うとね。
シルバーウィークなんて言葉がありますが、
慶応の日ということもありまして、ちょっといろいろと用事もありましたというか、
なんていうかですね、先週、北海道、11日から14日までですね、地図のところ出張行ってまして、
14日から15日にかけてですね、フェリーで北海道から東京方面に帰ってきたということもありまして、
15日のお昼にですね、フェリーが、茨城は大原以降に着きまして、
そこから、なんでそうやって帰ってきたかというと、夏のツーリングでバイクで行ったんですけど、
バイクを持って帰ることができなかったんですね。フェリーの帰りのチケットが取れなくて、
というのがありましてですね、どうしようもなかったんで、せっかくこの時期に9月に出張があると分かったので、
実家にバイクを置いてきまして、今回バイク一緒に帰ってきましたという感じです。
15日、月曜日ね、先週。戻ってきたというのはあるんですけど、当たり前ですけど、ヘルヘルだったんで、
あと経路の日ということもありましてですね、許してくださいみたいな感じですいません。
どこにも何も書かず、先週はお休みしてしまいました。こういうのが緩いからいいのかな、みたいな話もなかないですけど、
すいませんでしたという感じです。はい、そんな近況でございました。明日もね、終盤の日ということでお休みではございます。
ノイズ炎上の背景
お休みではございますが、私は明日クイズの趣味がありまして、その関係でですね、
クラシックオープンという大会がありまして、そのお手伝いをしに、明日多摩地の方に行ってくるというような感じでございます。
そんな近況報告でございますというところですかね。はい。さて、今日のですね、本題ではございますが、
一つの言葉が大炎上を引き起こした話から始めようかなというふうに思います。
ネットでも見ている人いるかと思いますけど、人気アニメボチザロックのですね、脚本家さんがですね、原作の描写をノイズと呼んだことでですね、
大アレになりました。はい。本当、この報道から見えてくる、現代のコンテンツ政策が抱える、ちょっとね、問題じゃないですけど、問題じゃないっていうか何て言うのかな、
ちょっとそういうところについて話したいなというふうに思います。まず事実から整理しますと、8月のイベントで、その脚本家の吉田さんが、
原作のニューヨークシーンなどは、作品テーマを邪魔するにノイズだと流行らせて削ったと発言。これがですね、ちょっと煽るような形で、見出しで拡散されまして、
9月に入ってから大炎上しましたみたいな感じですね。はい。私もですね、実はノイズという言葉をですね、全く違う文脈で過去にインタビューとかでも使って、今でも使ってるっちゃ使ってるんですけど、
私的にはですね、情報、インプットする時に目当ての情報以外の情報、情報に付け加えられたらちょっと自分の興味ないような情報、
それがノイズみたいな形の部分で、100%じゃなくて110点のその10点部分はですね、求めてはいなかったんだけど入ってくる。
それがまあなんだかんだいった新しいアイデアの源になるみたいな話をしたことあって、つまり私にとってはノイズは価値ある偶然の出会いみたいな話で、
そういうのは大事だよみたいな話をですね、ちょいちょいするんですけど、吉田さんにとってみてはですね、作品を邪魔する不要な要素みたいな形で、
同じ言葉なんですけど正反対の価値観みたいな感じで話されたなぁという個人的な話はともかくとしまして、
改めてですね、この問題を理解するにはですね、創作プロセスというところでちゃんと分けて考えた方が、今一度ね、分けて考えた方がいいかなと思ってて、
私はここ最近情報発信の3段階みたいな形で整理しております。0から1、1から9、9から10、それぞれ0から1がアイデア、ソースの部分、インプットの部分ですね。
1から9、編集、構成、ミキシングという表現しています。9から10、最終調整、ここがですねアウトプットの部分ですね。
原作漫画としてはすでに90のアウトプットまで完成している作品ですと、それをアニメ化する際に脚本家はですね、それを0から1のフェーズにし、
1から9の編集作業という形で行っていると脚本家さんは。つまり完成品に対してですね、再編集をかけているという構造ですね。
ここにですね、やっぱり問題の本質というか、燃えた本質があるかなと思ってて、1から9とか、9から10の8、1から0、1の中、何かしらの要素のことをノイズと言っちゃうのはですね、
言葉を扱うプロとして、私的には不適切だったかなというふうには思ったりとかしますし、最終的にその作品の受け手の皆様方に原作消しだ、
01消しだと映って当然なんじゃないかなとも思ったりとかするんですよね。この問題というのはですね、生成AI時代でもですね、
起こり得る話でもあったりとかして、AIはですね、01の荒削りのアイディアが、人が作ったアイディアがあったとしても、1級でですね、結構綺麗に整理しちゃうんですよね。
ある意味、先ほど言っていたノイズの部分が綺麗さっぱりなくなって、1から9でですね、丸く綺麗に整理してくれる。これね、本当に荒削りなしゃべり台本とか、何かいろんなアイディアノートとかそういうところとか出したら、
荒綺麗に整理してくれたらありがたいなというふうになるんですけど、これね、結果としてはぬるいんですよね。これそのまま9をそのまま10に持っていくと、尖った個性削られちゃって、
誰もが納得するけど、誰もが興奮しないようなアウトプットになってしまう。作品になってしまうというところがあります。
創作プロセスの重要性
だからこそね、9、10の最終調整が最終的に必要になります。もうこれはね、はい、テキストだろうが動画だろうが何だろうが全部そうです。
はい。で、完成度100%の作品にあえて適度なノイズを加えると。ただし、まあそういう意味では原作を尊重した上でっていう形ですね。
はい。まああのね、ボッチザロックだって、そもそも論で言うとアニメ化してね、多くの人方に楽しんでもらったわけで、はい。
その言われてた入浴シーン、水着着用に変更したことで、別にそれ自体はね、ギャグの面白さを保ちつつ、気まずさを軽減したみたいなところもあると思うんですよ。
はい。90の私からすると絶妙な調整だったかなというふうに思うんですけど、
だからこそその調整にあたっての、まあ言葉選びの失敗っていうところが際立っちゃったんじゃないかなというふうには思うんですよね。
正しい判断だと私は思います。ただ間違った言葉で説明したんじゃないかなっていうふうな感じですかね、それで言うと。
はい。まああの現代のね、クリエイターっていうか、こういうような情報発信その他も論に関わる人方の最大の敵は炎上への恐怖ですよね。
はい。もうソーシャルネットワークでちょっとした表現が瞬時に拡大されてですね、大騒ぎになっちゃうと。そうすると、まあ安全な表現しかつけられなくなっちゃってね、クリエイターとしての個性が失われてしまうと。
でもまあ炎上を恐れすぎるとですね、誰の心にも刺さらない作品になってしまうというところがあるんですけど、私ね、こういう時はもうとにかくですね、解決策は一つで、誰のためのコンテンツかっていうところをね、改めて明確にしていきましょうというふうに思います。
ね、原作者ファン向けなのか新規視聴者向けなのかっていうところ、作ったものをどのような形で伝えていくのか、全てミスターソードすれば結局誰も満足しない中途半端な作品になるかなというふうに思うんで、私は何がどうなっても
ターゲットを絞って、とにかく新たな接点というところの部分を重視しながらもですね、もちろん既存ファンも満足するというところなんですけど、かえって多くの人に愛されるような形になればいいかなというふうに思うんですよね。
その時に自分、発信する人自体の何て言うんですかね、注目浴びたいみたいなところが入ってきちゃうと間違えちゃうみたいなところなんですよね、それで言うとね。
とにかく何かしらの調整するときで言うんだったら、誰のためのコンテンツかっていうところを明確にして、そこに対して動かしていくことが大事かなと思います。
あとね、ノイズにも2種類あるかなと思っていて、区別することが重要かなと思うんで、それで言うとさっきちょっと言ったような話で言うと、それは不要なノイズだと思うんですよ。
話題性だけを狙った表面的な刺激みたいなものはですね、短期的には注目を集めても作品の価値を高めません。必要なノイズっていうのは作品の世界観と深く結びついた要素なので、
私的には一見邪魔でも、実は作品の魂そのものだったりとかするので、これ削ると作品死んじゃうっていうところがあるんで。
そういう意味では、そういう性的なところの部分とかっていうのは別に必要なノイズではなかったのかなというような感じかなとは思うんですよね。
クリエイターのジレンマ
創作にはですね、コンテンツを作る上には避けられないジレンマがあるかなと。そういう01のね、本当クリエイターが生み出す生命力と90の完成度みたいなところがあって、両方必要なんですけど、
時として対立するときはありますと。私どちらかというと90の人間だったりとかするので、ディレクションプロデュースの人間だったりとかするのでね、それはすごくわかるんですけど、
ここでもうね、さらに大切なことはですね、その判断をどういうふうにしたのかっていうのをね、ちゃんと説明できること。ここがですね、なんか
僕的にはこの方がいいんだよねみたいな感じのふわっとした表現。その90のプロデュースディレクションの完成でやっちゃダメなんですよ、今どき。
それで言うとちゃんと説明できること。説明できた上で、そして何より創作者への経緯を忘れないこと。これがね、とてつとっても大事なポイントだと思います。今どき。
何かしらね、プロデューサーディレクションという言い方は、クリエイターみたいな言い方がする時もあるんですけど、今求められるのはそこはある程度の再現性を持った
やっぱりプロデュース力、ディレクション力かなっていうふうに思うので、そこをね忘れちゃいけないかなというふうに思うんです。
私もですね、今回の報道で言うのであれば、より良いコンテンツを作るための建設的な対話の元ネタになってくれた方がいいかなというふうに思いますしね。
このノイズという言葉一つからこれだけ深い問題が見えてくるところもあると思うので、こんな感じで建設的な議論になればいいかなというふうに思って、私は今日ちょっと
喋ってみた次第ですし、それもまだ言葉の持つ力の証明かなというふうにも思ったりします。こんな感じでメディアにまとわる話をですね、毎週ちょっとずつ喋っていこうかなというふうに思います。
概要欄にお問い合わせフォームみたいなところがありますので、感想その他とか、こんなネタについて喋ってほしいみたいなのもぜひぜひお待ちしております。
そんなこんなで松田茂樹でございました。来週はちゃんと喋る時間が取れるかなというふうに思いますので、来週はちゃんとお送りできると思っております。
それではまた来週お目にかかりましょう。松田茂樹でございました。