ささきるさんの情熱
おはようございます。2023年6月20日、水曜日、ささきるです。水曜回帰ファイル始めていきたいと思います。
今回は、今回もですね、2週連続お便りをいただくことができました。
ジェームズ・セメダインさんからのお便りです。
はじめまして。話すことや作ることへのささきるさんの情熱というか、それを突き動かしているものって何なのだろうなぁ、すごいなぁって思ってます。
何がささきるさんをそうさせているんでしょうか。よかったら聞かせてください。
余談ですが、栗城ではなく栗木さんだと認識しているのですが、本当は栗城さんとお読みするんでしょうか。何か意図があるなら差し支えなければ、それもお聞きしてみたいなぁとも思いました。
はい、お便りありがとうございます。
まずね、余談の方からなんですけども、これは先週お話しした登山家と言っていいのか、言っていいんだと思うんですけども、一応ここではそういう風に呼ぶんですけども、
栗木信一さんのことを私が栗城さんと繰り返し呼んでたことに対しての優しい質問なんだと思うんですけども、これは単純に呼び間違いですね。
呼び間違いというか、何回も呼んでるんで一回間違えたわけじゃなくて、そもそも栗城だと認識してたってことですね。
はい、これはなので対はございません。
人の名前をね、あえて間違って呼んで落としめるというかね、バカにするみたいななんかそういう表現ありますけれども、全くそういう意図はありませんで、あの知りませんでした。
思えば何でかというと、私テレビもYouTubeもほとんど見ないというか、特にこの時ほとんど見てないので、2010年前後ですね。
だからその時有名なものとか名詞は音として認識してない、目でしか認識してないんで、こうやって急に喋る機会が来ると違う風に呼んでたっていうことがわかったというね、あのことですんで。
先週聞いてくださった方、なんか変なこと言ってるなと思う方いらっしゃると思うんですけども、それ大変失礼いたしました。
落としめるような意図は全くございません。不特のいたすところでございます。
それはいいんですけどもね、話すことや作ることへの情熱、確かにこうやって聞かれたことはないですが、確かにこんな正面から質問されたことないんで答えの準備がないんですけども、
実際今事実として週に2本以上のポッドキャストをやっている。ニュースレターも気まぐれで発行する。小説はペースまちまちですけども書いている。
あとは仕事で、仕事とはいえもう一体化しているので、仕事で作っているゲームがあるとか。なんか作ってますよね。なんか作ってますよねというか。
そうですね。これメディアヌップ始めた序盤の方で喋ってたと思うんですけども、私1980年生まれなんですけど、子供の時ですよね。
ティーンエイジャーより前。8歳とか9歳とか10歳の時。その時すでに何かを遊ぶことが、何かを作ることだった世代なんじゃないかと思っててですね。
例えばですけど、私ドラゴンクエスト初めてやったのが3かな。まともにやったのがドラゴンクエスト3なんですけど、もうそれをやった後にはもうロードストー戦記のTRPGのルールを読んでお話とか設定とかを作る方を思いやり始めているとか。
でもそれなんか特別なことじゃなくて、RPGって自分が主人公になって成長していったり、お話を発見していきますよね。だからもうそのプロセスの中に作り手として参加してるっていうのが組み込まれてると思うんですけど、もうすぐ自分でゲーム作っちゃう方に行くんですよね。
あとボードゲームもそうで、あれなんだっけな。昔SDガンダムって二刀身みたいなガンダムのボードゲームがいっぱいあったんですよね。ボードゲームってあれどういうやつだろうな。今流行ってる、ヨーロッパから来たボードゲームじゃなくて国産のオリジナルのSDガンダムのアレンジしたボードゲームいっぱいあったんですけど、それも買ってきて遊んだ次の日には自分でルール作ってやってたんですよね。
あとは6年生の時によくやってたのは、トランプの新しいルールを考えて近所の友達でやるみたいなことをよくやってたんですけど、それだんだん話が逸れてきたな。
栗木さんとの呼び間違い
それが長じてメディアヌープの序盤の方で喋ってたのは、ユーザージェネレーデッドコンテンツみたいなインターネットが接続されると、最初からコンテンツを受け取ることとコンテンツを作ることが一体化してるっていうかね。
コンシューマーじゃなくてプロシューマーとかって言ったりする時期もあったんですけど、そういう道具っていうかシーンが広まっていった時に自分にすごくなじんだんですよね。
なぜかというと子供の時からやってることとほとんど一緒だから、受け止めることと作ることは一体化してるみたいなね。
だから、ポッドキャストなんかもほとんどそうですよね。よく聞く人がよく作るし、よく作る人がよく聞くしみたいな感じで、自分にとってはとっても自然なことだったんで、すごく情熱を燃やしてるっていうよりかは自然とやってるっていう感じですね。
情熱燃やしてるっていうと、情熱なくなっちゃったら辞めちゃうような気がすると思うんですけど、燃えてなくなるようなもんじゃなくてすごい普通にやってますね。
でももしそれが外から見てそう見えるとしたら、私が会社を辞めたから自分が普段やってることが割と外に全部オープンに言えるようになってるので、急にいっぱい発表するようになったなと見えるかもしれないんですけど、
それより前は会社勤めをしてて作ってるものがあんまり外に出せないとか、思ってること自由に言えない時があったりして、アウトプットにムラがあるように見えるってことはあると思うんですけど、やってることほとんど変わらなくてですね。
今はやってることがほとんど全部外に出せるんで、急にたくさんやってるように見えるみたいな、そういうことなんじゃないかなと思いますね。
これいい質問。会社のワンワンみたいな。っていうのが一時的な回答。ほとんど反射で喋ってるもの。
その反射で喋ったものを今反数してもう1回メータ的に捉えると、自分の中に何が起こってるかっていうと、2つのことが起こってそうだな。
1つは、いろんなことで掘り下げていた興味がある程度まで深いところまで掘り下げたら、地下水脈で繋がっていたみたいなことが自分の中に起こっているんですよ。
さっきポッドキャストとか小説とかゲームのルール作ってるとかってバラバラなことを言ったんですけど、その中で共通なモチーフを掘り下げているのがあるんですね。
これもメディアヌップでよく出てくるんですけど、「塔の物語」っていう民間伝承が残されている本があるんですけど、その本の中にいろんな可能性があって、まだ発芽してない可能性、なんだかよくわからないものがいっぱいあって、
これ面白いのは不思議だなと思って掘っているうちに、まだ誰も見たことのない角度での見方みたいなものが発見できるようになってきて、そうすると各々別々でやってた、表現方法は別、ゲームのルールとか小説とかポッドキャストとか別だったものが途中で繋がってきて、
なんか一個のまとまりのある宇宙として形が見えてくる地球儀みたいに、まとまった一個の単一の形が見えてくるみたいなことがあって、これはね、でも若い時は全くそんな風に見えないんですよね。
とにかくたくさん本を読まなきゃいけないとかっていうのがあって、僕たくさん本読むというか、本読むことを貸してたんですよね。働きながらですけども年間100冊か200冊は読むっていうのを20年間くらいやってるんですけども、そうするうちにある一個のテーマが見えてきてるっていうのがここ数年起こっていることで、
なんかそれには夢中になってますね。情熱っていうか。その自分が発見したもの、発見しつつあるものを何とか形にしたいと思ってるんですけど、発見したものっていうのが全く今までないものなんで伝え方が難しいんですよね。
新たな発見と人間関係
伝え方が難しいっていうか、今難しいじゃないですか。今うまく伝えられてないんだから難しいんですよ。で、私ね、こういうことじゃないか、こういうことじゃないかと思うことがあって、将棋のコマありますよね。
将棋ってまともな体制になるまでに、序盤のコマ組みを終えるまでに20手とか30手とかかかりますよね。王を囲って陣形を作っていくのに、布を動かしたり、棋者や角が通る道を作ったり、金銀の重なり合いが逃げやすく守りやすく、そういう形に作るのに交互に何かやりますよね。
そのいろんなコマをちょっとずつ動かして、2,30手経つとやっと戦えるようになるっていうのはあると思うんですけど、今それに近くて、ちょっとずつ調べてわかったことをポッドキャストにする。なんかきらめいたアイディアを小説にする。
今度やるのはトークイベントとウォーキングイベントとかやるのもあるんですけど、それもそのうちの一環なんですけど、ちょっとずつ動かしていることが全体の陣形になっていくみたいなのをやっている途中なんですよね。
だから、月を動かしているものは何ですかってご質問いただいたんですけど、自分が見えてきらめいているものがあって、きらめいている世界があって、それをその全体像をコマ組みみたいに一個一個やっている。
でもそれが20点も30点もたくさんやることがあるみたいな、そんな感じなんですけど、それが2段階目に考えたことのその1で、2段階目に考えたことのその2で言うと、そういった似たようなことが人間関係でも起こっていて、
これは意図的に起こそうとしているんですけど、誰しも学校とか職場とかそういうところでそれぞれの人間関係が出てきますよね。大学生のときの友人、高校生のときの友人、中学生のときの友人、最初に勤めた会社、次に勤めた会社、あるいは趣味の集まりみたいな、そういう人間関係バラバラだと思うんですけども、
私が2年くらい前から意図的にやろうとしているのは、人間関係をなるべく一つに重ねていく、どういうことかというと、例えば自分の小学校の同級生と今の職場の同僚が同じ飲み会にいたらすごい奇妙な感じがしますよね。
いや、すると思うんですよ。すると思うんですけども、そういうことが自然に起こるようにしようと思って、思うようになったってことですね。
でもそれどうやるのってことなんですけど、いや簡単じゃないんですよね。だって小学校の友人と職場の同僚って関係ないですからね。
でも何か自分の好きなものを通じてとか、好きな機会を通じて、そういう機会があれば一緒にお呼びしたりみたいなことをやるわけですけども、やるとやっぱり感覚反応があるんですよね。
それは僕の友人間にも感覚反応があるのもそうだし、自分の中にも2つの文人、小学校の同級生と付き合っている文人と職場で顔を立てている文人が喧嘩したり溶けあったりすると自分の中に刺激があるというかね、そういうことが起こってますね。
興味が深ぼって大きい宇宙が見えてるみたいなのと、バラバラだった文人を統合していくみたいな。こういうことをあと20年やって60歳ぐらいになったら、何て言うんだろうな、また違う人間を向けるっていうんじゃないかな。
もう一個スケールの大きいパーソナリティーになれそうだなみたいなのは予感はありますね。興味の意味でもそうだし、興味とか勉強の意味でもそうだし、人間関係の意味でもそうだし。
その中で言うと、話すっていうこと?語りかけるみたいなことっていうのがいいメディアですよね。文章とか。映像よりも僕いいと思うんだけど、結局一人一人に語りかけるしかない。大勢に語りかけることはできない。
でも一度話し始めたら、一旦は最後まで聞いてくれるような関係とか聞きやすい状況があるみたいな。なのでその興味を掘り下げたり、人間関係とか文人を統合したりっていうことをする道具として、この話すこととか語りかけることとか、語るってこととかね。
声を。声って二つの意味がありますよね。人間が発する声っていう声と、あとは本当に思っていることみたいな。その人の声を聞くっていうときは、音としての声じゃなくて、その人の思っていることって意味になりますよね。
その声とか音を聞くとかね、語りかけるとかっていうのってすごくいいあれだなと思うことありますね。
やばい。17分ぐらい喋ってるような気がするが、まずくないか。
そうですね。こんな風に自由に、自由で良いんですね。
ちなみに水曜回記ファイルでニュース紹介しようと思ってたんですけど、一個一個説明する時間全くないと思うんですけども、ニュースレターの方にはリンク載っけようと思うんですけども、今週はいくつか気になったニュースがありまして、最後はその見出しだけ読み上げて終わりたいと思います。
ランプと新宿三井ビルのど自慢大会
まず一つが、ランプはどのように海外で人気になったのか。海外で今絶賛人気の日本のポップグループランプなんですけれども、それの海外で人気になった電波のヒストリーみたいなものをすごいまとめてる記事がありまして、老作です、力作です。
来月、ついに5年ぶりのニューアルバムが出るってことなんで、これはですね、これはもうランプ大好きなんで、メディアヌープ本編で特集しようかなと思っています。
これランプってバンド知らなくても、最近のサブスクとかTikTokとかYouTubeとか、そういうメディアに関心ある方は、一つの代表的な事例、一発屋じゃなくて、本当に力のある音楽家がどのように世界に発見されていったかっていう歴史としてすごく面白い内容なので、お勧めしたいなと思います。
あとはですね、会社員のカラオケ大会に、RG綾野康二翔ら著名人も熱狂、新宿三井ビルのど自慢大会に魅了される人が続出する理由ということで、これもし知らない人がいたらですね、ぜひ調べてみてほしいんですけど、新宿三井ビルのど自慢っていうのがね、すごい面白いイベントなんですよね。
新宿のフジロクフェスティバルと呼ばれている、そのビルに入っている会社員がのど自慢をするってやつなんですけども、驚きのクオリティとローカリティに腰抜かすことになると思うんで、これはぜひね、調べてみていただければと思います。
あとは、追悼テラサーV1、これはですね、コブラの作者、カラス天狗兜とかね、悟空とか、これは私、最も影響を受けたエンターテインメント作品の一つなので、ちょっと簡単に振り返れないんですけども、
ちなみに私は今コブラの本とアニメをね、読み返して追悼しているところなので、全部終えたらですね、ちょっとメディアンループ本編でコブラで一本撮りたいなと思うぐらい好きな作品です。ご冥福お祈りいたします。
あとは、強奥夏彦の新刊が出ました。これはね、今読んでるんですけど、これもメディアンループで一本撮ります。もう喋りたいことがありすぎて止まらない。もう最高ですね。これはちょっと好きな方はね、お楽しみいただければと思います。
あと最後ですね。これは大塚伊豆さんのツイートなんですけども、この微版とに限らず考察をオンライン上に誘発管理する参加型批評がコンテンツ系のマーケティングになっている事例、半分過論と書いている研究者はきちんと論文を書いておいてください。
批評管理動員する技術がいかに危うい延用が可能かという問題系と書いているんですけども、これだけ見ると何を問題視しているかちょっと分かりづらいかと思うんですけれども、大塚伊豆さんはその戦前中のこのプロパガンダの問題なんか、そのプロパガンダにエンターテインメントの作品がいかに使われたかという問題を度々発言される方なので、
昨今のですね、この考察を誘発するのみならず、それをうまく管理、コントロール、それでヒット作品を生むみたいな手法がいかに危うい技術に近づいているか、そういう可能性があるかということにもちょっと自覚的になろうねということを言っているんですけどもね。
私これなんで取り上げるかというと、ネット上の考察ってあんまり好きじゃないんですよね。好きじゃないっていうか、いや、ちょっと待って、これ長くなるな。やめます。いつかやります。
はい、というわけで今週はここまでです。水曜かきファイトは引き続き皆様からのお便りお待ちしております。それでは良い一日を。