2024-04-03 13:18

エピソードごとにアートワーク変えるの、意味なくね?論

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#声日記 #ポッドキャスト

ポッドキャストのエピソードごとにアートワークを変えるってのをずっとやってきたけど、不毛じゃない?これ、って話をしています。

サマリー

エピソードごとにアートワークを変えることが面倒で意味があるのかについて話します。アートワークの変更による利点と問題点、著作権法上のグレーゾーンなどについて考えます。ポッドキャストのアートワークの意味について考えることが最近増えてきていますが、アートワークの変更が必要かどうかは疑問が残ります。また、ポッドキャストの音源と文字起こしの関係についても考える必要があります。

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皆さん、こんにちは。この番組を配信しております北海道在住の米野岡にして、ココアのポッドキャスターのジョンと申します。よろしくお願いします。
アートワークの変更の流行
今回は、アートワークをエピソードごとに変えるのは面倒くさいし、もうそろそろやめにしないっていう風な話をね、ちょっとしていこうかなと思っております。
あと、エピソードのアートワークを毎回変えることの悪いことっていう風なことについても、ちょっと話をしていこうかなと思っております。
このエピソードのアートワークを変えるっていう風なことをコチャコチャやり始めたのは、誰が最初なんでしょうね。
ただ、この辺を一番最初にやり始めて上手くやってたなーっていう風な感じがするのは、それこそあの墓場のラジオとかトッキンマッシュさんあたりだったかなって思ってはいるんですけどね。
あれどうだったかな。なんかトッキンマッシュはトッキンマッシュで、変わってないやつもあるし、毎回変わってるやつもあるしっていう風なのがあるんですけども。
ちょっとこの辺はですね、普段から聞いてるわけでもなく、すごく好きなわけでもない番組なので、ちょっとよくわからないなっていう風な状況にはなってるんですけれども。
けれども、なんかその辺だったなっていう風なフワッとした印象論でちょっと今回は話をしておこうと思います。
一時期、このアートワークを毎回変えるっていう風なのが流行ってたなっていう時期があったかなと思います。
むしろ今も流行ってるかもしれないなっていう風に思うし、あとここ最近ね、スポティファイとかそっちの方は昔から早かったんですけども、
なんかアップルの方でもですね、ちゃんとエピソードのアートワークを変わったら変えたものを出すとかっていうようなことをやってたんですね。
なんかちょっと前まではですね、スポティファイ4ポッドキャスターズで配信をしているポッドキャスト番組の場合は、アートワークが変更したのにも関わらず変更されたものが出ないという風なことが結構頻発してたんですけどね。
けれどもそれをどうにかしてアプリ上でも変わったアートワークを見れるようにするっていう風なぐらいには、多分一般的にそういう風なことをやられるようになってるんだろうなーっていう風な気がしてます。
ただこれがですね、ここ最近面倒くさくねっていう風に思うようになってきてるんですよね。
撮ってる側の面倒くさいであるんですけども、聞き手にとってプラスになってるかどうかっていう風なのがね、怪しいなっていう風な気もここ最近はしてたりするんですよね。
例えば、アートワークを変えていいことっていう風なのは、うーんとそうだな、例えばこの映画の話をしてるんだなっていう風なのが一目でわかるようになるっていう風なのは、いいことかもなっていう風に思うんですけども。
大抵の場合、例えば特定の映画について調べたいっていう風になったら、その映画のタイトルで検索をして引っかかったものについて聞いていくわけじゃないですか。
それで大体のエピソードのタイトルにそういう風なのがついてたりするから、別にエピソードのアートワークをいろんなところからリスクを犯して引用する必要なくないっていう風な感じがするんですよね。
こんな風に話すのはですね、私の番組でよくやってることなんですけども、自分がトークテーマに選んだような作品に関してはですね、アートワークを釈要というか引用してることが多いんですよね。
これは引用っていう風に言ってるのはですね、それについて話をしているっていう風な引用っていう風なのが著作権法上認められておりますというか、黙認されているような状況になっております。
正当な引用の範疇であれば、その書評やら何やらについて、ネット上に落ちている画像を釈要させていただくっていう風なのにでも、
釈用したところで、それについて話されている映画やら何やらの人々は目くじら立てないでしょっていう風な建前のもとに引用やら何やらっていう風なのを私のポッドキャスト番組にはやってたりするんですけどね。
ただこれがですね、結構どうなんでしょうね。著作権法上では結構グレーだったりしております。
例えば漫画とか書籍に関してはハンモト.コムっていう風に言われているところで、それであの著作権的には広告とかそういう風な目的であれば好きなように使ってもいいよっていう風な感じで、
書影をダウンロードできたりするっていう風なのがあって、そういう風なところは気軽に使えたりするんですけども。
けれどもそういうようなのを歌っていない映画の、例えばポスタービジュアルとか、そういう風なものって使っていいのかなっていう風なのがね、ずっと悩ましいところだったりするんですよ。
で、だいたいそういう風なことを結構細かく気にされている人とかはですね、例えばイラスト屋で似たようなイラストをいっぱい運用してきて、それであの映画のようなシーンを再現するみたいな涙むぐましい努力とかをされてたりするんですよね。
アートワークの意味と問題点
あとここ最近あの生成アイとかを使ってね、まあいろんな画像を作ったりというようなこともやられたりするんですけども、けれどもそんなことをして果たして何になるのかなっていう風なことをそろそろ考えた方が良くないっていう風な時期に差し掛かってきているのかなと思っているんですよね。
これは私のこのポッドキャストを作りながらポッドキャストについて考えたことという風な声日記の方で前にも話したことではあるんですけれども、藤井誠二さんのトークの教室の方で書かれていた、そもそもその話がどのような着地に至るのかどうかっていう風なことはトークの事前提条件として話さない方がいいよねっていう風なところにこのアートワークを変えるっていう風なことで定食するんじゃないかなっていう風な気もするんですよね。
例えば映画とかゲームとかの感想を話しますでそれを引用しますだったらトークの内容とかはつながっていかないかなと思うんですけども、でもそれが例えばこのお話とこのお話をしていく過程上こういうような絵面につながるようなアートワークなんですっていう風な使い方をしてたとするとですね、結局のところこの話ってこういう風に落ち着くんでしょっていう風なそんなような見られ方もしてしまうんじゃないかなっていう風な気がするんですよね。
あと一個懸念として大きくあるかなと思うのがエピソードのアートワークを毎回変えるとその番組のものかどうかがわからなくなるっていう風なことがあるかなと思うんですね。
一応私も毎回そのことを気にして自分の番組のアートワークAノートサブカルっていう風に書かれているアートワークをバッチのようにいろんなところに貼り付けるっていう風なことをやるんですよね。
大体の話をしているサブカルについての画像が大きくてその次ぐらいに大きいのをバッチみたいな感じで貼り付けるっていう風な感じにあるんですよ。
なんですけれどもそうやっててもですねやっぱりあのポッドキャストのアプリとかで見るとすごくその自分のアートワークの画像部分という風ながちっちゃくなっちゃったりするので
誰の番組のやつなのかっていう風なのが再生している時にわかんないっていう風なのをね時々反応としていただいたりするんですよね。
だからタイトルでそういう風になっているという風にわかるんだったら自分の番組のアートワークはそのまま使った方が良くないという風に最近思うようになってきてたんですよね。
一時期はこの毎回毎回エピソードのアートワークを変える方が例えばのそれだけ丁寧に番組を作っていますよねっていうね。
なんかのアレに似た感じそうポッドキャスト番組で独自のドメインを持って配信をしていますっていう風なのを行っていく意気っていう風なのがですね。
ネットラジオとか昔のポッドキャスト配信者にはあったんですけどね。今はそんなのどうでもよくねっていう風になってて。
でこのアートワークを毎回変えるっていう風なのもそういう風な感じでどうでもよくねっていう風な感じになっちゃってるんですよね。
で意味のある毎回エピソードアートワークを変えることがあったかっていう風に言われるとですね。
なんか今考えてみるとあんまりねえなーっていう風な気がするんですよね。
それこそ時魔術の話に戻りましょうか。
すいませんねあの特に調べもしないで印象で話をしてて恐縮なんですけども。
私は特勤マッシュ系列の番組のどれかが確かのエピソードアートワークを細かく毎回変えるっていう風なのをやってたなっていう風に記憶してるんですよ。
でこれをやって意味があったという風なのは特勤マッシュの渋さんがイラストレーターだったんだよな。
ほとんど聞いていないから分かっていなくて印象論で話しているのはどうかってダメだなと思うんですけどね。
個々の番組アートワーク
イラストレーターさんなので例えばの自分のイラストとかそういう風なのをエピソードアートワークごとに書いてあげるという風なのができてそれは多分意味があったことなんだろうなっていう風な気がするんです。
毎回毎回そういう風なイラストも楽しめるっていう風なところで毎回ちょっと聞いてみようかなっていう風なのになるのかもなぁと思っております。
同じようなことをされている人とかも時々おられましてね。
ディグドリオかディグドリオとかもあの人名前があと忘れした方とかが書いてたりするのでそういう風なのは確かに意味があるのかもなーっていう風なのをね。
そういえばこの間のポッドキャストウィークエンドの方でも見ておりました。
アートワークのねなんかシールのガチャみたいのやってたそうなんですけどね。
ちょっと中に入ってられたり挨拶も一切してなかったので全然わかんないですけど。
まあでもそういう風な使い方もできるっていう風なので確かにそういう風にできるんだったら意味があるんですけども。
けれどもあの画像を切り張りしたり引用したりするぐらいだったら別に変えなくてもいいんじゃねえかなっていう風な気が最近しております。
で、それであのその辺のことを考え始めると例えばの概要欄でどこまで書くかとかあとはのタイトルにどこまで細かく書くかとか。
そういう風なことまで結構いろいろとやってて思うんですけど打足なんじゃねえかなっていう風な気がしてしまうんですよね。
でそれこそ自分であのリッスンの方でも文字起こしを配信されるように設定をして自分のポッドキャスト番組の配信とかを結構してたりするわけなんですけども。
それも実はやらねえ方がいいんじゃねえかなとすらここ最近はちょっと考えることが多くなってきてたりはするんですよね。
でこれねあの読んでいただいたりそういう風な文字起こしを見てもらうという風なのもあったりするんですけども。
けれども番組を聞かれないで文字起こしだけ読まれるという風なのは果たしてポッドキャスターとして嬉しいことなのかっていうね。
あのいろいろとBGMとかそういう風なものとかあのフィラーを切ったりとかいろいろと頑張ってやってたことという風なのが全部文字起こしだと意味がなくなるじゃないですか。
だからなんかあの実はその辺のこととか考えるとポッドキャストを真面目にやるとか頑張ってやるという風なことを考えると。
まあそっちのポッドキャストの音源という風なのは文字起こしをしない方がいいのではないかとかね。
まあそんなことをここ最近はちょっと考えるようにはなってきてたりするんですね。
なんですけどねなんかあのせっかくだったら文字起こしをするんだったらねそういう風に読んでもらいたいなという風なのもね。
まあせっかく作ったんだったらありますしという風なのがありますのでそんなことをここ最近は思って一応配信をしてるんですけどね。
で自分のポッドキャスト番組ねあのそんな感じですねここ最近あれなんですよすごーく読まれてる記事という風なのがあります。
聞かれてはいないんですけどね。
あのまああのとサブカルの方であげたコーヒーインク2という風なアプリゲームの完全攻略について話している回という風なのがあるんですよね。
でこちらの方は全然再生はされないんですけれどもリスン上ではあの過去見たことがないぐらいの数字上数字で読まれているような記事となっております。
それだけあの皆さん攻略情報に飢えていらっしゃるイコール経営ができないでいるんだなっていうね。
そう日経新聞とかそういう風なのでなんかのこの経営とかそういう風なのが楽しめるガチの経営ゲームですとかっていう風なので紹介されたりしてあのコーヒーインク2はすごく人気になってるみたいですけどね。
日経新聞読んでるような人が初めて結局のところ攻略詐欺と当たってるような感じなのでね。
あのまあ我々日本人は大半経営ができないんだなっていう風なのそんなようなのをちょっと見ながら思ってた次第だったりするんですね。
でそういう風に読んでもらったりするのはいいのかなとは思うんですけどね。
でもなんかなんとなくあの自分がポッドキャストとして作ったものをただ読まれているという風なのは釈然としない部分があるし。
であとそれがねあの果たして話したとして幸せなことなのかっていう風なこともちょっと考えないといけないことかなーっていう風なのね。
ここ最近は思っていた次第でございます。
なんか話があっちゃこっちゃいって恐縮なんですけどね。
やっぱりあのアートワークというんでちょっとあの概要とか文字起こしとかそっちの方まで話が進んでしまったんですけれどね。
話の内容を予感させるようなものっていう風なのは実は廃した方がいいんじゃないかっていう風なのが。
ここ最近私が考えていることだったりしております。
でもそうなってくると毎回毎回同じアートワークを見ることになるのでアートワークにお金をかけないといけないのかなという風なのね。
ポッドキャストの音源と文字起こしの関係
ちょっと思ってたりするんですね。
今までずっと私はあの自分の手でアートワークを作ってきてたりするわけなんですけどね。
あのデザイナーでもなんでもないような農家のおじさんが日用大工的に作ったもんなんですね。
あんまり見栄えが良くなかったりするのでね。
なんかそろそろお金をかけた方がいいのかなとかっていう風に思ったところで今回のお話は締めさせていただきたいなと思っております。
であとですね。
あの当番組ちょっとあのご言及いただいたポッドキャストっていう風なポッドキャストというか恋日記があったのでそれの返事を取らないとなーっていう風には思っちゃいるんですけどすいません。
あの今日はこんな話をさせてもらいました。
そのうち研究し返すようなことをねやれたらと思っておりますのでお時間いただけたら幸いです。
というわけで今回も長々とお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。
では次回もお楽しみに。
13:18

このエピソードに言及しているエピソード

コメント

ご存知だったらすいませんが、こちらの記事を参考にみんなアートワークを変えているみたいです。 https://note.com/narumi/n/n92293490c0bb 私はそのエピソードの写真でパッと分かるからいいかなぁ、と思います。どの番組かは声などでわかりますね。 最近の私の考えは、「ブログを書く手段として声およびLISTENを使っている」という感覚で声日記を配信しています。またLISTENで文字起こしされていると、「ポッドキャストを聴きたいけど今手元にイヤフォンがない!」とか「周りがうるさくて音声が聞こえないけど文字なら読める!」といった状況があって便利、という声を聴いています。文字起こしされることでリーチは広がると思います。大事なのは「推している人の情報を取得したい、方法は声でも文字でもいいから」といった考えもあるなぁ、と感じております。 これらは絶対的な正解がないので、悩ましいところではありますね。

そのnote記事でインタビューを受けているのが、私が言及してた人です。面倒くさいことを流行らせてくれたもんだなぁって、思いました。 意味があるアートワーク変えなら良いんですが、周りもやってるからウチも…とさせられるのは癪ですね。 また、脱線して話してた「ポッドキャストの文字起こしは実は良くないんじゃないか」論。 私の中では、リクエストがあったりリーチが伸びたりするから、やるけど、やだな、って正解が出てます。 私にとって間違ってても、文字で読みたいリスナーがいるのであれば、そこに応えれるなら応えたいので。 ポッドキャストが音声コンテンツ(この言い方はいつも、しゃらくせぇなぁ、って思います)足り得るのは、文字起こしすると抜け落ちるものがあるからだと、私は考えてます。 たぶん、推しも、ひとの声日記も、読むと聴くでは印象が変わることがあるのではないかと思います。 極端な例を挙げると辛口コメントや軽口があります。聴いた時には問題がなかったのに、文字起こしされた結果、とてもひどいことを言っているように読めてしまって炎上なんてことが、放送局のラジオではちょいちょい起こってます。 放送局の例は、文脈がぶった斬られて一部抜粋文字起こしだったりするたりするらせいもあるでしょうが、話した時のニュアンスの欠落も要因の一つだと思います。 自分の声日記であれば、ニュアンスも含めて話したことを思い出せるでしょうけど、それがひとに読まれたときに、聴いた時と読んだ時でそれぞれどう受け取られるか、は意識したほうが良いと思います。雑談だと特に。 文字起こし、便利なのですが、文字起こしAIが間に入ってる伝言ゲームなので、変質は避けられないです。

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