フリッツ・ハーバーの人生と友情
いちです。おはようございます。このエピソードでは、フリッツ・ハーバーの想いについてお届けをします。このポッドキャストは、僕が毎週メールでお送りしているニュースレタースティームニュースの音声版です。
スティームニュースでは、科学、二術、工学、アート、数学に関する話題をお届けしています。
今回のエピソードは、2025年10月12日に収録しています。スティームニュース、STEAMfmは、スティームボート乗り組みのご協力でお送りしています。
このエピソード、最初に個人的なお話をして恐縮なのですが、1月ぶりに収録をしています。
1月と少しの間、エジプト調査に行っていまして、ようやく日本、長崎に帰ってきたところです。
今回のテーマなのですが、ドイツ人科学者、化学の方の科学者、フリッツ・ハーバーについてお話をしていこうと思っています。
ぜひ、最後までお楽しみいただければと思います。
1911年、首都ベルリンに引っ越したドイツ人科学者、フリッツ・ハーバーは、この地で出会ったもう一人の天才ドイツ人、アルベルト・アインシュタインと親友になりました。
アルベルトはフリッツの息子の家庭教師を務め、フリッツはアルベルトの離婚に助力しました。
二人はすぐにお互い支え合う関係になったようです。
しかし、1914年に二人の祖国ドイツがベルギーに侵攻すると、二人は対立し始めます。
フリッツ・ハーバーが祖国を守ることを宣言し、従軍を志願した一方、アルベルト・アインシュタインはドイツの政権を嫌い、やがてドイツを去ります。
窒素からアンモニアの合成
フリッツ・ハーバーとアルベルト・アインシュタインは、それぞれ人類史を永遠に変えた科学者たちです。
フリッツ・ハーバーは空気中の窒素から肥料を作ることを可能にし、当時のドイツ人のみならず、全人類をキングから救いました。
一方でフリッツ・ハーバーの発明した方法は、無制限に弾薬を生産することも可能にし、人類をそれまで体験したことのない大規模な戦争へ突き落としました。
これはアルベルトの発見が、現在多くの工学の基盤になっているものの、かつてなかった大量破壊兵器へと繋がったことと似ています。
ユダヤ系であったフリッツ・ハーバーは、よりドイツ人らしくあろうとドイツ政府に協力し、戦時中の食糧難を解消するために農作物向けの殺虫剤の開発を行い、また毒ガス兵器の開発にも手を出します。
しかしそのせいで妻を亡くし、またついにはユダヤ系であるという理由だけでヒトラーに疎まれ、ドイツを去ります。
彼はヨーロッパを転々としますが、ついにドイツ人であることを諦め、ユダヤ人コミュニティへ参加します。
この時、アルベルトはフリッツを歓迎する手紙を書き寄っています。
このエピソードでは、そんなフリッツ・ハーバーについてより詳しくお話をしていきたいと思います。
人間、いや僕たちが生物と呼ぶものは、突き詰めれば水素、炭素、窒素、酸素の詰め合わせです。
水素は元素記号でH、炭素は元素記号でC、窒素は元素記号でN、酸素は元素記号でOなので、H、C、N、Oの詰め合わせというふうに生物をみなすこともできるわけです。
生物は周囲の水素、炭素、窒素、酸素、H、C、N、Oを取り入れて、分解して、組み立て直して、排出してを繰り返しているんです。
これらの元素はどれも地球上ではありふれた存在ですが、とりわけ窒素は生物が取り込むのにかなりの手間がかかるんです。
窒素は大気中に窒素分子N2として大量に存在しますが、窒素分子は大変に分解しにくく、生物にとっては利用しにくいものなんです。
窒素が、もし窒素分子N2ではなく、アンモニア、NH3の形をしていたら、生物にとっては好都合なんです。
窒素原子同士の結合はとても硬いんですが、窒素原子と水素原子の結合は緩いんです。
しかし、地球上にアンモニアはほんのわずかしかありません。
その上、地球で自然に生成されるアンモニアの量は、人類が消費する量に到底追いつきません。
窒素二項からなる窒素分子N2はいくらでもあるのに、その窒素分子を半分に割って窒素原子にすることがなかなかできないんです。
窒素分子を断ち切ることができるのは、自然界では雷と大規模な山火事と一部の能力を持った細菌だけです。
地球上にあるアンモニアは、空気中の窒素がこのようにわずかずつ分解され、他の物質とくっついて小石の形で堆積したものしかなく、19世紀末には枯渇が予測されていました。
21世紀の我々から見ると、例えば、細菌は枯渇する、枯渇するというふうに言われながら、全然枯渇しないじゃないか、みたいな印象を持たれるかもしれないのですが、この19世紀末に予測された小石あるいはアンモニアの枯渇はより深刻で、
これ本当に人類存亡の危機というアイデアが、考え方が科学者の間で共有されていたようです。アンモニアがなければ植物が育つこともできず、したがって動物も人間も飢餓を迎えざるを得ないんですよね。
ここでもどかしいのは、空気中には窒素はいくらでもあるわけです。ただしそれは窒素分子N2としてあるわけで、アンモニアというのはN単体ですね。Nの周りにHが3つくっついているんだけれども、それは簡単に外れるのでN単体。空気中にあるのはN2、Nが2個くっついている。
だから空気中のN2を何とかばらしてNにできれば人類は救われる、地球上の動物たちは救われるんだけれども、その方法がわからない。自然界にはほとんど生じないし、人工的に大量にN2からNを作る方法がわからないというのが19世紀末の科学者たち。
ひいては人類全体の悩みではあったわけなんですね。
そんな空気中の窒素分子からアンモニアを工業的に生産すること。これが人類が生き延びるためにどうしても必要な技術だったわけです。
それを発明したのがフリッツハーバーで、工業化に成功したのがカール・ボッシュというもう一人のドイツ人でした。2人の方法はハーバーボッシュ法と呼ばれ、現在でも使われています。
この2人はハーバーボッシュ法の発見によってノーベル科学賞を受賞しています。
戦争と個人的悲劇
フリッツハーバーが窒素分子N2からアンモニアを作ることに心血を注いだのには、科学的な探究心以外にも理由がありそうです。
フリッツハーバーは1868年12月9日にドイツのブレスラー、現在のポーランド領ブロツワフで生まれています。
彼の誕生後すぐに母親ポーラが亡くなり、失意に落ち込んだ父親ジークフリートは息子を試みなくなります。
フリッツ少年は何とか父親に振り返ってもらおうと努力を続けるのですが、ハーバーボッシュの関係は父親が亡くなるまで改善しませんでした。
父からの愛情に飢えたフリッツハーバーは必要以上に祖国ドイツに愛を求めたようです。
今の言葉で言えば承認欲求の鬼になったのかもしれません。
ハイデルベルク大学で科学者ロベルト・ブンゼンと知り合ったフリッツは、化学に夢中になるもの、学問の世界ではなく化学の力で世界を変えたいと望むようになります。
1898年にイギリスの化学者・物理学者ウィリアム・クルックスが、地上のアンモニア不足による大量禁岩を予測し、
回避する唯一の手段は大気中の窒素分子N2からアンモニアNH3を作り出す方法だと述べると、
当時の化学者たちは、この空気からパンを作るとも言われた夢の技術に取り組み始めました。
特に成績が取れないドイツにとっては死活問題で、フリッツ・ハーバーは誰よりも熱心にこの問題に取り組みます。
1904年、フリッツ・ハーバーはどうにかして空気中の窒素から非常に少量のアンモニアを合成することに成功しました。
彼はこの成果を論文発表するのですが、重鎮化学者ヴァルタ・ネルンストに告表されてしまいます。
ネルンストはこういうふうに言ったと言われています。
ハーバー教授にはこれからは間違いなく正確な答えを出せる方法を使っていただくことをお勧めしたいと思うが、
こんな言われたらもう泣いちゃいますよね。フリッツもかなり応えたんじゃないかなと思います。
フリッツ・ハーバーはその後、新たな助手ロベール・ロシニオールと組んでアンモニアの合成法を改良します。
また資金提供もしていた化学メーカーBASF社の研究主任カール・ボッシュも開発に参加し、
ついにアンモニアの実用的な合成方法を完成させます。
この業績によってフリッツ・ハーバーはついにベルリンのカイザー・フィルヘルム物理科学・電気科学研究所の所長に迎え入れられました。
彼はやっと祖国に認められたと感じたんじゃないでしょうか。1912年のことでした。
1914年、第一次世界大戦が勃発すると愛国心の強いフリッツ・ハーバーは従軍を志願します。
しかし軍は従軍の代わりにバルタ・ネルンストが取り組んでいた毒ガス兵器の開発を引き継ぐように命じます。
フリッツは毒ガスの使用が国際法に抵触することに気づいていましたが、
ひょっとしたら愛国心が優先したのか、それともここでもネルンストを見返したいと思ったのか、毒ガス開発をやめませんでした。
実際フランスとの戦線で塩素ガスが使用され、後にホス原ガス、マスタードガスも使用されました。
フリッツが指揮した毒ガス戦で100万人以上が被害を受け、2万6千人が死亡したとされています。
一説によると、自身も科学者であった妻クララは夫の毒ガス兵器開発を苦に自殺したとされています。
一方のボッシュはアンモニアから農業用の肥料を生産していた工場をアンモニアから火薬を生産できるように作り変えました。
そのためこの工場は空気から血を生む場所、空気ルフトから血ブルートを生む場所というふうに呼ばれました。
このようにして第一次世界大戦は科学者の戦争、化学者の戦争と呼称されることになったんですね。
戦争中に起こったもう一つの問題が害虫の問題でした。
フリッツ・ハーバーの苦悩
当時、兵士を悩ませたチフス菌は白身によって伝染するものでしたし、小麦につく害虫も特に戦時中の食糧難にあっては深刻な問題でした。
フリッツハーバーは害虫苦情技術委員会の委員長に就任し、殺虫剤の開発にも取り組みます。
1918年にドイツは対戦に負け、1933年にアドルフ・ヒトラーを首相に選びます。
すでにノーベル賞を受賞していたフリッツハーバーもユダヤ系であることを理由に徐々にヒトラーから遠ざけられていきます。
65歳になっていたフリッツは、自らカイザービルヘルム研究所を辞職することを選びます。
辞職後のフリッツハーバーはヨーロッパを転々とするのですが、毒ガス兵器の開発者とあってどこでもあまり歓迎されなかったようです。
愛する祖国に裏切られ居場所もなくしたフリッツは、ある日ユダヤ人科学者ハイム・ヴァイツマンと出会います。
ハイム・ヴァイツマンは後に一部がユダヤ人国会スラエルとなるイギリス隠人統治領パレスチナへフリッツを誘います。
この時初めてフリッツはユダヤ人としてのアイデンティティを強く感じたようで、アルベルト・アインシュタインへ和解の手紙を書き送っています。
残念ながらフリッツ・ハーバーはパレスチナへ向かう途中に亡くなりました。
アルベルトはもう少し穏やかな空の下での再会を望んでいたのですが、それは叶わぬ望みとなりました。
第一次世界大戦中にフリッツ・ハーバーが開発を進めた殺虫剤は、戦後の1923年にゼクロンBとして商品化されました。
彼はこのあまりにも強力な殺虫剤が無臭なことを危険視し、警告用の匂いをつけることにしました。
しかしアドルフ・ヒトラーとナチスは臭いなしのゼクロンBを生産させ、それを用いて100万人以上のユダヤ人を殺害しました。
犠牲者の中にはフリッツ・ハーバーの身内もいました。
食糧難を解決しようとして、そして何より愛するものに愛されたいと願って開発したエアモニアの製造方法と殺虫剤が、同時に戦争と虐殺の道具にもなってしまったのです。
科学と倫理のつながり
アメリカ人医学者・作家のポール・A・オフィットは、フリッツ・ハーバーの人生を振り返って、
すべてのものには代償があり、ただ一つの問題はその代償の大きさだけだとくくっています。
フリッツ・ハーバーの功績は、科学技術の発達が人類にもたらす恩恵と、その裏に潜む危険性の両面を僕たちに強く示しています。
彼が開発したハーバー防止法は、世界の食糧生産を飛躍的に向上させ、数十億人の命を救ったと言われています。
一方で、その技術は火薬の生産にもつながり、彼の開発した毒ガスは大量虐殺の道具にも転用されてしまいました。
この歴史は、善意や科学的好奇心から生まれた発明であっても、その使い方次第で人類に大きな災いをもたらすことがあるという、現代にも通じる教訓を与えてくれます。
科学技術は中立であり、最終的にそれをどう使うかは人間の選択に委ねられています。
だからこそ、科学者や技術者だけでなく、社会全体が新しい技術の倫理やリスクについて考えつける必要があるのです。
フリッツ・ハーバーの人生は、科学の力と責任、そして人間の複雑な動機や社会との関わりについて、僕たちに深い問いを投げかけています。
現代のパンドラの箱を開けるとき、僕たちはその中身と向き合う覚悟と知恵を持たなければならないというのが、このエピソードの結論です。
というわけで、今回はスティームニュース第251号からフリッツ・ハーバーの思いについてお届けをしました。
科学というのは、使われ方、使い方によって以下用にもなるわけです。
まさにフリッツ・ハーバーが発明したハーバー募集法、空気中の窒素分子N2からアモニアNH3を作る。
有機化学者たちはHを省略してしまうので、N2を2つにパチンと切って、Nを2つ作る技術になるんですが、この技術によって人類をキガから救いました。
この技術がなければ、地球上の現在80億とも言われる人口、とても地球だけではまかない、切れないと言われている人口が生きていけているわけです。
その代わり、窒素、原子、Nは火薬の製造にも使われるわけで、第一次世界大戦、そして第二次世界大戦では、ハーバー募集法を用いて作られた火薬が大量に使われました。
現在でも、ハーバー募集法を使って火薬が大量に作られています。
弾薬、爆弾等々、ほぼすべての爆弾がこのハーバー募集法を経て作られていることになります。
科学者というのは、科学の探求だけではなく、方向性もいつも考えなくてはいけないものだなと思っています。
この一月、古代エジプトの遺跡調査に行ってきてはいましたが、その間少しお休みをいただいて、アイルランドで開催されたヨーロッパの科学者の集まりに参加して、僕もモデレーターとして参加させてもらいました。
そこで、科学の方向性について議論をさせていただいたのですが、おそらくこのSteamFMのリスナーの皆さんもご関心がある科学の方向性について、あるいは科学者の責任について、僕なりに貢献しようと思っているところです。
そういったご報告もまた、このポッドキャストでもお伝えしていきたいなと思っています。本当に聞いてくださってありがとうございます。市でした。