はじめに:ラヴォアジエとマリー=アンヌ
いちです。おはようございます。今回のエピソードの音は、化学を作ったひとアントワーヌ・ラヴォアジエの幼妻マリーアンヌについてお届けをします。
このポッドキャストは、僕が毎週お送りしているニュースレター、スティームニュースの音声版です。
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というわけでですね、このエピソードを2026年2月12日に収録しています。
このエピソードでは、スティームニュース第267号から化学、これは化学のほうですね、化学を作ったひとアントワーヌ・ラヴォアジエ、そしてその幼妻マリーアンヌについてお届けをしていこうと思います。
彼女は異人の妻という立場で見られることも多いのですが、それを超えて化学史に名を刻んだ妻女ということになると思います。
改めまして1です。このエピソードではですね、アントワーヌ・ラヴォアジエとその妻であるマリーアンヌについてね、お話をしていこうと思うんですが、
アントワーヌ・ラヴォアジエ、おそらく高校時代に化学の化学学のほうですね、理科の化学を選択した生徒さん、学生さんは名前は聞いたことがあるんじゃないかなと思います。
近代化学の父というとアントワーヌ・ラヴォアジエなんじゃないかなと思うんですが、その陰でですね、このラヴォアジエが世に出た理由というのは、実はその幼き妻であったマリーアンヌの功績なんですね。
そのお話をここでは掘り下げてお届けしようかなと思います。
ラヴォアジエの科学的功績
メールでお送りしているニュースレター、スティームニュースの方ではトップにですね、1枚の肖像画を掲載しています。
ラヴォアジエ夫妻の肖像というね、若い結構イケメンな男性とそして美しき妻が掲載された油絵肖像画なのですが、これ描いたのはジャック・ルイ・ダビットというね、ナポレオン一世の肖像画で有名な画家なんですね。
これだけの画家がラヴォアジエを描いたということも一つのメッセージにはなっているかなと思います。
この絵画、現在ではニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されています。
このアントワのラヴォアジエなんですが、科学史、サイエンスのヒストリーに多大な功績を残した人物であり、化学、ケミストリーの方では近代科学の父と呼ばれるぐらい著名な方でいらっしゃいます。
ただ、ラヴォアジエが科学史に功績を残せたこと、そして後世の人々がアントワのラヴォアジエの名前を永久に覚えた理由、これは彼の妻マリー・アンヌの貢献というよりは死闘、命がけの戦いによるものなんですね。
今日はマリー・アンヌ、本名を言うとマリー・アンヌ・ピエレット・ポールズなんですね。このマリー・アンヌ・ピエレット・ポールズについてお話をしたいと思います。
科学者アントワのラヴォアジエは、1743年8月26日にフランス王国のパリに生まれました。
アイザック・ニュートンを近代物理学の父とするならば、ラヴォアジエは近代化学の父と呼んでも差し支えないと思います。
彼は、化学反応の前後で物質の質量は変わらないという質量保存の法則を発見しています。
例えば、木を燃やしてしまえば灰になって軽くなったかのように見えますが、木から出た煤、煙、炭酸ガスなどをすべて回収すれば、元の木と同じ重さになるんです。
この法則は、アルベルト・アインシュタインの特殊相対性理論による少しの修正を除けば、現代でもまったく正しいものです。
また、ラヴォアジエは、燃焼、燃えることが酸素との結合であることを発見した最初の科学者でした。
この発見は、想像以上にインパクトのあるものです。
当時、一般人に信じられていた深淵素説、すべてのものは、火、空気、水、土から構成されているという説は、ラヴォアジエの発見によってとどめを刺されたのです。
火は酸素の化学反応、空気は窒素と酸素の混合物、水は酸化水素、つまり水と酸素の緩和物、土の主成分は酸化系素と酸化アルミニウム、
つまり四大元素すべてに酸素が関わっているのです。
ラヴォアジエは、このように多数の文献と多大な実験を通して、科学の基本原理を発見していたのですが、実は語学や実験の準備は苦手だったそうです。
そんなラヴォアジエの弱点を補ったのが、ラヴォアジエ夫人のマリアンヌでした。
マリー=アンヌの才能と結婚
またラヴォアジエは絵が下手だったそうなんですね。
それでラヴォアジエ自身の発見を出版する際に、マリアンヌに写真を描いてもらっています。
マリアンヌの絵画の腕前の方なのですが、冒頭で二人の肖像画を描いた画家ダビットの話をしましたが、
彼女自身ダビットに弟子入りをしています。
ダビットというのはナポレオン一世の肖像を描いた著名な画家だったのですが、
そのダビットから弟子入りを認められたということはかなりの腕前だったということですね。
メールでお送りしているニュースレタースティームニュースではこのマリアンヌの写真絵もご紹介していますが、
これめちゃくちゃ上手なんですね。
これは声を大にして言いたいんですが、当時の印刷技術、ハーフトーン印刷とかないんですよ。
グレーが出せないんですよ。
白黒も中間調が出せなくて、本当に0%の白と100%の黒しか印刷できない時代に写真を描いていた。
なので相当腕が良くないと描けないです。
漫画家でいうと、漫画家じゃないかもしれないですが、
宮崎駿さんぐらいのテクニックが必要です。
本当に白と黒だけで中間調、グレーなしで描けるかということですよね。
めちゃくちゃ上手です。
そのマリアンヌがラボアジェと結婚したのは、彼女が13歳の時でした。
ラボアジェは15歳年上の28歳になっていたんですね。
これは幼妻と呼んでもいいんじゃないでしょうかね。
現代的な価値観から言うと犯罪ですよね。
当時としても28歳と13歳の結婚というのは珍しかったようです。
ラボアジェは調勢請負人という高級官僚で、実家も資産家でした。
そしてマリアンヌの父親はラボアジェの上司調勢請負組合の組合長で、やはり超資産家だったようなんですね。
この結婚がマリアンヌに当時女性としては難しかった最先端の学問を授けることになりました。
なおこの結婚についてもちょっと紆余曲折はあったようなんですね。
王族同士の政略結婚とまではいかないものの家と家とのつながりを強化するために、親が決めた稲付けみたいなものはあったようです。
ただそれに反発してマリアンヌとラボアジェは結婚をしました。この結婚自体はハッピーだったようです。
実際、科学者の結婚というと、時代は少し違いますが、アルベルト・アインシュタインの最初の妻であるミレーヴァーであったりとか、フリッツ・ハーバー。
人類を救ったともいえるハーバー母子法のハーバーの妻クララとかですね。やっぱり不幸な結婚というのは科学の世界ありがちではあるんですが、
ラボアジェとマリアンヌに関しては、当初は幸せな結婚だったようです。当初はというのは、二人の責任ではなくて時代に翻弄されていくわけですね。
フランス革命とラヴォアジエ夫妻の悲劇
科学の歴史を作ったラボアジェ夫妻なのですが、その世界は思いもよらぬ歴史的転換を迎えます。フランス革命です。
民衆の憎悪は王権だけでなく、その手下とみなされた朝政受け負い人にも向かいました。公平な朝政をしていたラボアジェと女子であるマリアンヌの父親は民衆に対して自ら出党するんですね。
自分たちは民衆の味方だという意識もあったのかもしれません。しかし彼らはギロチンによって処刑されてしまいました。
フランスの数学者、物理学者、天文学者、ジョセフ・ルイ・ラグランジュはこういうふうに嘆いています。
彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つ者が現れるには百年かかるだろう。このラグランジュの嘆きというのは実際にそうなったかもしれません。資産家であり高級官僚であったことがあだとなったのかもしれません。
また調整受け合い組合の組合長の娘であったマリアンヌとの結婚をラボアジェの処刑理由に挙げる説もあります。
同じく高級官僚でマリアント・ワネットの家庭教師を務めたラグランジュは革命を生き延びているので、ラボアジェは特に運が悪かったと言えるのかもしれません。
ラボアジェが処刑されたのは1794年5月8日、フランスが恐怖政治の真田中にあるシーズンでした。
ラボアジェの妻マリアンヌはフランス革命のサナカー夫ラボアジェの女名を求めて奔走します。
相手は恐怖政治の中心、革命裁判所です。
彼女の行動は命がけだったはずなんですね。
実際マリアンヌは財産を没収され投獄されてしまいます。
しかしテルミドール9日のクーデターがあり彼女は解放されます。
そしてまた彼女は忍耐強く夫の資産の返還を要求し、そしてついに取り戻しています。
マリアンヌは亡き夫ラボアジェが獄中で後世を続けた最後の論文集、科学論集、馬献学論集の出版までこぎつけています。
そして科学革命の意義やラボアジェの功績をアピールするための序文、注釈、そして自作の差し絵を加えました。
彼女は夫の書簡や資料の管理、保存も行い、科学史におけるラボアジェと自身の遺産の確立に努めました。
ここはもう名プロデューサーという風に言えるのかもしれません。
マリー=アンヌのその後と遺産
その後のマリアンヌですがイギリス出身の著名な科学者ベンジャミントンプソンと再婚しています。
ベンジャミントンプソンについてもスティームニュース第47号で取り上げている優秀な科学者ではあるんですが、
結婚実質3年、書類上も4年で終わっています。
実験に集中した方、夫ベンジャミントンプソンと社交好きなマリアンヌのすれ違いが原因だったようです。
結婚前に気づけようとは後からは思うんですが結婚前って気づかないものなんですよね。
マリアンヌは独立独歩の人生を送り、知識人サロンを主催し、知的交流の場を築きました。
女性として厳しい時代に生きながら、マリアンヌは単なる偉人の妻にとどまらず、科学史に自らの足跡を残しました。
彼女は1836年2月10日にパリの自宅で亡くなっています。78歳でした。
マリアンヌはパリ東部ペールラシェーズ墓地に眠っていて、もうすぐ没後190年を迎えます。
彼女が生きた時代というのはフランス革命があり、だから生まれた時は王政ですよね、フランス王政で、
その後バスティ韓国襲撃というのをリアルタイムに体験して、まさにフランス革命始まるというところを体験して、その後の揺り戻しですよね。
恐怖政治の時代もあり、そしてナポレオン一世による帝政も体験しています。
それから王政復興であるとか、ナポレオンの百日天下もね、フランス革命のリアルタイム世代という意味で、
現代から見るとなんて羨ましい、もう全部それ見たんでしょって思うんですが、当事者としてはたまらないですよね。
ましてね、夫がギロチンで処刑され、本人も投獄され、全財産募集され、
そんな中で夫の業績に自分自身の注釈であるとか、冊子を加えて出版したわけですから、もう地獄からのプロデュースということになりますよね。
しかも貢献したのがまさにこのケミストリーの歴史であるので、本当ね、彼女が化学に貢献したというのは人類の幸福だったのではないかなと思います。
そういうすごい女性がいたというのを教科書には出てこないけれども、どうしてもラボアジェの名前の方が残るけれども、
2人で一つの歴史を作ったということを僕たちは記憶しておきたいなと思って、このエピソードを撮らせていただきました。
ラヴォアジエの業績再確認と今後の展望
もう一つは酸素ですよね。ラボアジェ自身が酸素を発見したわけではないのですが、それを整理して酸素という名前をつけたというところがラボアジェの業績になるのかなと思います。
というのは当時広く信じられていた4原素説、火、土、水、空気、これすべて酸素が関わっているんですね。
火は酸化反応ですし、土は酸化物の混合物、水は酸化水素、空気はまさに酸素分子が主要構成物ということで、酸素の存在を学術的に証明してみせたということ。
これは非常に大きなインパクトがあったと思います。質量保存の法則についても、厳密に言うとこれは成り立っていないのですが、
今の9の数は適当ですが、実質上100%質量が保存されているというのもラボアジェが見つけた大発見だと思います。
木とか紙とか燃えたらなくなっちゃうわけですよ。当時ヨーロッパでは紙は高級品ですから、紙を燃やす実験というのは難しかったかもしれないですが、木を燃やしたら灰になっちゃう。灰になったら辛くなるって誰もが当たり前と思っていたところを質量保存するという風に主張したこともラボアジェの大業績だと思います。
その実験をイラストにしていた、発表していたというイラストレーター兼プロデューサーをしたオサナズマですね、マリアンヌの業績というのも僕たちは忘れちゃいけないんだろうなというふうに思ってこのエピソードをお届けしました。
というわけで今回のエピソードをスティームニュース第267号からお届けしたのですが、スティームニュースではですね、少しこの化学のネタが続きました。第268号ではラビンチコード発見というタイトルで、これもいずれね、ポッドキャストでもお届けしようかなと思っているんですが、
レオナルド・ダ・ヴィンチのものとされている、これ本当かどうかわかんないですよ。レオナルド・ダ・ヴィンチのものとされている絵画から化学的生物学的手法によってレオナルド・ダ・ヴィンチのDNAが見つかったんじゃないかというお話。
あるいはスティームニュース第269号ではですね、この化学と物理学の実験カルチャーの違いなんかもお届けをしています。こちらもね、お楽しみいただければと思います。
というわけで、このエピソードも最後まで聞いてくださってありがとうございました。スティームFMの一でした。