住信SBIネット銀行が社長になって、3回IPOを経験し、社長としては2回。
仕事が本当にできない銀行でしたから、多くの人が不可能だと思うけども、
自分だけは絶対に成功できるっていうスイートポットを見つける。
ネオバンクなんて言葉もなかったし、APIを使って銀行サービスを提供するなんてアイテムはどこにもなかった。
30年前にミルゲイツが言ってた、金庫という機能が必要だけども、今ある銀行は必要ない。
銀行は究極のインフラ産業になればいい。
どんなビジネスをやるにあたっても、ユニークである。シンプルである。競争しない。
周りが反対することしかやりたくないです。
みんながいいっていうビジネスモデルは決して良くない。
僕自身が大事にしていること、たった一つで、正しいことを正しくやって正しく儲ける。
世の中の歪みを見つけてそれを正す。そして勝つ。
おねっからの起業家だと思いました。
よくそんな人がファーストキャラ銀行入ってますよね。
ほんとね。
声で届ける起業家の物語。スタートアップナウ。MCのお稲荷です。
本日のゲストは、すみしんSBIネット銀行株式会社代表取締役、社長、CEOの丸山塗明さんです。
丸山さん、本日はよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
なかなかこれまでスタートアップナウでお招きしたことがない方でお招きさせていただいておりまして、
その理由といたしましては、今回のアルファの田中さんにもお越しいただいてるんですけども、
田中さんが今、丸山さんとご一緒されているというところをお伺いしておりまして、
簡単にアルファさんの意思は、田中さんの自己紹介、そして丸山さんとの今のご関係性だったり、
そのあたり簡単にまず田中さんからいただけますでしょうか。
ありがとうございます。改めまして、アルファの田中です。
もう丸山さんとは、私がSBI入ってから以来なんで、もう18年、19年ぐらいの付き合いになります。
本当に横目に見ていて、すごい僕は起業家だなっていう印象なんですね。
丸山さんが新規の新しいプロジェクトを支援されていると、力を入れていくということだったので、
今回アルファから出資をさせていただいて、テミックスグリーンという会社なんですけども、
今ご支援させていただいている、そういった関係性で、今回丸山さんに特別に来てもらったというところでございます。
テミックスの話はまた後ほどご覧にお話しできればなと思っています。
ありがとうございます。
本当に丸山さんは、すみしんSBIネット銀行さんの中である意味、連続起業家的にいろんな事業をされてきたということかなと思うんですけど、
ちょっとそのあたりも含めて、ぜひ丸山さん、簡単なご自身の自己紹介だったり、
すみしんSBIネット銀行さんの事業についても簡単に触れていただけますでしょうか。
はい、改めまして、すみしんSBIネット銀行の丸山でございます。
本日はお招きありがとうございます。
私の経歴を簡単にご紹介しますと、
私は平成元年に今の三菱UFJ銀行ですね。
当時は東海銀行という都市銀行に入行しまして、11年間銀行員をやっていました。
最後は企画をやっていたんですけども、当時、皆さんも知っている方もいらっしゃる、あまりいないかもしれないですけどね、バブルがはじけて、
そして銀行の、都市銀行の再編が起きたんですね。
これが2000年頃から始まったんですけども、ちょうどその頃に僕も企画にいて、
いろんな新しいビジネスを当時企画時代に考えたときに、もうそれどころじゃないと。
会社はどんどん銀行同士が合併して、下手したら銀行が潰れるかもしれないという時期に僕は企画をやっていました。
なんですけど、僕の役割というのは、海外の先進的な銀行や金融業を研究する部署にいたんですね。
ずっとそういうのを研究してたんだけども、日本はそういう状況だから、とてもじゃないけど日本でイノベーションなんかできないと銀行ではと。
と思ってた時に、インターネットという新しい波が来て、そしてソフトバンクが新しいインターネットファイナンスに参入するという発表があって、
たまたまそのタイミングで、ある方から、あれもさんもソフトバンクで金融事業一緒にやらないかって誘いがあって、
それが全部のタイミングが揃ったので、このまま銀行にいるよりもソフトバンクに行って新しい金融事業をやった方が、
自分の将来の成長につながるんじゃないかと思って、34歳の時にソフトバンク、当時のソフトバンクファイナンスに転職しました。
ちょうど2000年です。インターネットはこれから伸びるぞというタイミングでしたね。
そこから最初にイーロンという、アメリカのイーロンというベンチャー企業ですね。
今はフィンテックという言葉ですけれども、当時はまだフィンテックという言葉はなかったんですけれども、
インターネットファイナンスのベンチャー企業とのジョイントベンチャーを日本で作り、その立ち上げに最初参画しました。
それをいくつかの会社と合併して2003年にまず1回目のIPOを行いました。
その時僕は取締役だったんですけれども、IPOをし、その過程の中でSBAモーゲージという日本で初めてのモーゲージバンク、
これは実は銀行時代に海外の金融業を研究した中で、世界で最大の住宅ローンを提供しているのは銀行ではなくて、
カントリーワイドというモーゲージバンクが提供しているということを知ったんですね。
なのでこれを日本でやりたいと。日本にはモーゲージバンクという制度もなければ、それに基づく法制度もないし、
じゃあこれをインターネットで日本で初めてモーゲージバンクを作るというビジネスモデルをやったら面白いんじゃないかと思って作ったの。
ちなみにモーゲージということが全く知らなかったりもするんですけど、簡単に説明していただくと。
モーゲージというのは住宅ローン専門の金融機関で、銀行といえば普通は預金を集めてそれを貸し出す形で住宅ローンを貸すんですけれども、
モーゲージバンクは市場から調達をして住宅ローンを貸すんですね。
もっと言えば先に住宅ローンを貸してから市場でローンを売却して資金調達、逆の動きをするんですけれども、
ある意味インベストメントバンカーとリテールバンカーを同時に行うのが実はモーゲージバンクというビジネスモデルで、非常に先進的なビジネスモデルなんですね。
これは日本になかったので、これを日本にまずやろうというのをやりました。
うよ曲折だってその会社は私は社長になって、自分で創業したんですけども、2012年に上場しました。
その間にリーマンショックで会社が潰れそうになったこともありましたしね、何回も死にそうになりましたけど、なんとか生き残ってIPOC。
その間にも実はたくさん会社を作ってました。
同時に3社ぐらい会社作ってたので、先ほど田中さんからね、起業家のイメージだっておっしゃっていただいたんですけども、
僕も実は起業するためにソフトバンクに来たので、サラリーマンとしてソフトバンクに来たつもりは全くなくて、
もっと言えば最初の3年でソフトバンクで起業の経験ができれば独立しようと思ってましたから。
だからたくさん会社を作ってたんだけども、なかなか独立するよりもSBIの中の方が社会にインパクトのある大きなビジネスができるし、たくさん起業できる。
さっき連続起業家と言ってもらいましたけども、連続的にたくさん会社を作れるなと思ったので、結果SBIに長くいたというだけですね。
その後に先ほど2012年にSBIモビリという会社が上場し、実は2014年に僕はその会社のMBをしようとしたんです。
本当にもう独立しようかなと思ってたんですけども、いろいろな縁というか株主の問題等もあり、会社は売却することになったんですけども、
僕個人は今の隅市SBIネット銀行の社長に就任し、この銀行をIPをするというミッションで、またもう一度転身することになりました。
どっちを選ぶかはその時はだいぶ悩んだんですけども、今となっては結果的に正しい選択だったと思ってますけども、隅市SBIネット銀行の社長になって、これも2023年ですね。
私としては3回IPを経験し、社長としては2回、自分で作った会社は1回、雇われ経営者としてIPをしたのが隅市SBIネット銀行という意味で、いろんなタイプのIPをこれまで経験してきているということになりますね。
ありがとうございます。外の人間からしても今の自己紹介聞くとものすごい経歴だなと思いますけど、田中さんはある意味一時的には同じ会社にグループの中にいらっしゃることもあるかなと思うんですけど、
当時田中さんからどう見えてたのかとか、そういう話とかっていうのはいかがですか?
本当は起業家?
本当に自分のやりたい事業をしっかり見つけて、本質的なものを考えて、よくもある程度周りの人の意見を聞きすぎず、突き進んでいく方っていうすごい印象があります。
本当にSBIグループのいろんな役員から、丸山は特別だというような話をたくさん聞いてましたし、本当にそんな感じでしたね。
あとすごく僕の印象の若者を育てるのがすごい上手い方だなというふうに思っていて、丸山さんの組織から何人も起業家が配置されているっていうのもあってですね、
すごいグループの中で珍しい結末だなというふうに僕は見てました。
ありがとうございます。その理由だったり、当時どんなことを思われたのかっていうのもどんどん深掘り聞きをさせていただきたいなとは思うんですけれども、
なかなかそういった方がいかにしてそういったマインドセットだったり、持ちになってくるのかというところをかなり遡る形でも深掘りもさせていただきたいなと思っていて、
それこそ、丸山さんのご家族とか幼少期ってどんな感じだったのかなみたいなところからもぜひ少しずつ聞いてみたいなと思ったりするんですけれども、
老いたちだったり幼少期だったり、何かご記憶に残っていることとか、そういったところを少しいただいてもいいですか?
私は実はとても田舎で育っているんですね。生まれは福井県の阿波羅温泉の近くの小さな村なんですけども、
いつもこれ言うと驚かれるんですが、同級生は6人しかいなかったですね。小学校。
全校生徒でも49人しかいない仮想地域で、実はもうその小学校もないですというぐらい仮想地域で育ってました。
実は実家はお寺でありまして、浄土神宗のお寺でございまして、
僕は23代目の住職だと言われてましたけども、家業はお寺をやってまして、
僕も幼少期といいますか大学生ぐらい、社会人になってからしばらくはお寺の仕事を手伝ってましたので、
実は僕徳土してますから、お経をあげてお金をもらう資格は持ってましたけど、そういう家庭で育ちましたね。
そういった家計でいらっしゃって、
真良さんも将来お寺を継ぐっていうことも幼少期のことはよく考えていらっしゃったりもしたってことですか。
そうですね、子供の時はそうだろうなと思ってましたし、大人になってからも継がなければいけないと思ってました。
ただし心の中ではずっと反抗心があって、お寺の仕事はしたくないってずっと思ってましたね。
生意気な子供でしたね。
学校では先生に間違いを常にしてきてましたし、そういう生意気な子供でしたので、
やはりこういったお寺みたいな超保守的な業界っていうのは自分にはすごく合ってないと思ってました。
合ってないと思ってましたので、そうじゃない生き方をするためにどうしたらいいかはずっと考えてました。
そのためには勉強して仕事で成功して、お寺をしなくても良いようなキャリア、人生を作らなきゃいけないなと思っていたので、
当時からほとんどのお寺の家系の人たちはみんなお寺関係の大学に行くんですね。
宗教大学ってやっぱりあって、そこに行くのが普通で、
僕は大学、実は神戸大学なんですけども、学力でちゃんとした大学に行って、
近くの僕の住んでる地域のお寺の中では初めてと言われてたんですけども、そこからすでに僕はアウトローだったんです。
長いものにはまかれるんじゃなくて、自分の人生は自分で開きたいとずっとその頃から思ってましたね。
その頃っていうのは小学生とか、それとももっと前とか、厳密には何かいつぐらいからそういう精神って芽生えてきてそうだなとか、
ないしは大きな出来事があってそれが芽生えるようになったのかとか、何かそういったのってありますか?
いや、特に出来事ないですね。昔からそうだと思います。
生まれた時からぐらいで。本当に生意気な子供でしたし、親の言うことや周りの大人の言うことを聞かない子供だったので、
多分ヤンチャな子供だったとよく言われます。
全く違和感ないです。
納得感。そうじゃないとこうなってこない。
今、結構ご家族だったり親たちの部分をお伺いしましたけど、逆に小学校、中学校、高校とか、
いわゆる普通の学生だと部活に熱中したりとか、この遊びにはまってましたとか色々そういうのも聞いたりもするんですけど、
丸山さんはそんなあたり、ご記憶ある部分とか、ご自身を表すようなエピソードじゃないですけど、そういったものとかってあったりしますか?
小学生ぐらいまでは、大体5月から10月ぐらいまで長い期間はずっと毎日海に行って泳いでました。
中学とか高校になるとやっぱり部活がありますから、でも部活もあまり僕長続きしないタイプで、昔から性格秋っぽいので、
バレー、剣道、サッカーみたいな感じで1年ごとに部活を変えたりとかいう感じで熱中するというよりは熱しやすく冷めやすいタイプですね。
これ多分僕の基本的な性格だと思います。何でもそう、秋っぽいんですよ。
だからさっき言ったように連続起用化って言ってくれるのは良いイメージなんですけど、逆に言えば飽きるんですよ。
同じことをずっとやっているのが飽きるタイプなので、常に何か新しいことをやっていないと落ち着かないというか。
多分それも変わってないと思います。ずっと子供の時から。何か一つに熱中するという瞬間熱中するんですけども、ある程度これでできたなと思うとすぐ冷めちゃうんですね。
次にやりたくなっちゃうんですね。チャレンジするのが好きだし、未知のこととか経験したことがないことにチャレンジするのがとても好きな子供の時もそうですし、多分今でもそうだと思います。
そういう新しいことを始めるにあたって、ご自身の仮説が一定手応えを得て立証できたぞって感覚になると、それこそゲームクリアじゃないですけど次に行くみたいな話なのか、
アドレナリンなのか、その連続してチャレンジする理由という背景ってもう一段どんなところにございますか。
今は仕事でいうと、多くの人が不可能だと思うけども、自分だけは絶対成功できるっていうスイートスポットを見つけるってことをずっと実はこの30年間意識してるんですね。
子供の時は別にそこまでは思ってないですけども、自分なりの成功の方程式があって、それをクリアした瞬間に、じゃあまた次に行こうって思うタイプだと思いますから、
さっきおっしゃっていただいたような、ゲームをクリアする感覚なんでしょうね、多分。何か物事の課題を見つけて、でも多くの人は簡単じゃないと思うけども、
自分だったらこれは簡単にこうやればできるっていうものがあると、それを試して結果を出したら、またじゃあ次をって思うタイプだと思います。
ちなみにその時っていうのは、周りの方はできないだろうとか難しいだろうって思われて、丸井さんはできるって思われてると思うんですけど、そのできるの度合いじゃないですけど、
丸井さんとしてもチャレンジングな感覚なのか、いやできるでしょうみたいな感じで思われてるのかでいくと、どの温度感ってどんな感じなんですか?
半々でしょうね。何でもそうですけども、プランできた段階で半分は成功だと思ってはいるんですけど、ただ何でもそうですけども、
実行するのがやっぱり難しいので、実行も伴って成功するかどうかやっぱりやってみないとわからないので、やっぱり半々だといつも思ってますね。
毎回半々だと思ってます。ただ正しくやれば絶対できると思ってますから、正しくプランニングをして正しく実行するという、計画を立てることと実行するプロセスはすごく重視してますね。
結果はついてくると思ってますから。
ありがとうございます。このあたりまた事業の立ち上げの連続の話の中でももっと聞きたいなと思います。
そして大学は神戸大学に入られて、計画部、それはどういった選択だったんですか?
これははっきり言うと偏差値社会なので、教通一致という同時に今でいうセンター試験みたいなのもあって、自分が行ける中で一番いい大学に行こうって言ったら結局そこになったってことなので、そこはあまりこだわりがあったわけじゃないですね。
それこそ東京に出てくるとかそういう考えとかはあられなかったですか?
そうですね。東京は一応滑り止めで私立の大学を受けましたけども、関西と思ってましたね。なぜか。
関西の方がやっぱり自分の学歴のレベルに対してちょうど合う大学が多かったんですね。東京よりも関西だったっていうだけだと思います。
ここで1年前に大きなイベントがあって、実は高校3年生の時に受験1回失敗したんですね。1年浪人してました。浪人した理由は勉強が足りなかったってことであるんですけども、試験の1週間前に突然視力が0.01以下になったんですね。
それまで普通に両目1.5だったのが、両目とも0.1を切るぐらいに急に下がったんですね。
これはずっと原因がわからずに試験を受けてたんですけども、当然見えないので、問題をしか見えないから解けないから試験落ちるみたいなのは1回経験したので、それだけは理由じゃないですけども、やはりすごく挫折を経験してます。
それは結果的には塩水隔膜という難病で、突然目が、隔膜が塩水系に尖って視力が出なくなるという病気で、だからそれはもうハードコンタクトで抑えつける以外は視力を矯正する方法はないという病気なので、当時その診断もできなかったので、今はそれで抑えてますけども、基本的に視力はないです。見えないです。今でもそうなんですけど見えないです。
という中で結果1日数時間しか、当時は10時間でしたけども、10時間しか目が開けていられないという状態だったんですね。限られた時間で成果を上げるということをしなきゃいけない。
ここでまたひとつスイッチが入って、先ほどの話とちょっと戻るんですけども、多くの人が不可能だと思ってるけど、自分だけは成功できるというスイッチスポットを見つけるっていうのを強烈意識し始めたのはその頃ですね。これが一番大きなきっかけです。要は人と違うことをやらなければ、自分は絶対に受験競争にも勝てないし、当然社会に出ても勝てない。だから人と違うことをしなきゃいけない。
人と違う方法で勝つ方法を見つけるということを強烈意識し始めたのはその頃ですね。もともとそういう性格であったんですけど、それが一番大きな天気です。
納得感がありますね。
すごい。
ちなみにその天気が訪れて、無事に1年浪人をした上で神戸大学に入られたと思うんですけど、そうすると大学時代はどんなことをされるんですか?
大学が一応ゴールだったので、そこからバブルに入る、日本経済が絶頂期を迎える時期だったので、普通に遊んでました。
普通に遊んでましたね。
そこまで頑張ったから、一旦とりあえず休もうって感じでしたね。
ムラトリアムは4年間でしたね。
4年間まるまる。
4年間まるまる遊んでました。
いわゆる就職活動はそれで入れるものなんですね。
当時はバブルだったので、OBからの声がかりがすごく多いので、普通に内定が別にそんなに努力しなくても、みんな10個ぐらいもらえるんですよね。
僕もそんなに活動してなかったんですけども、普通に積もってもらえてたので、就職活動をちゃんとしたって記憶がないです。
じゃあ、もしかしたら本当に銀行側としても、特に丸山さんはこの人優秀だから引っ張り上げようというよりかは、いっぱいいられる内定者の中の一人。
たくさん、もううちの大学だけでも神戸大学だけでも十数人その銀行にいましたし、都市銀行だけだともうどうでしょう。
当時学部が300人近くいましたけど、合計学部。そのうちの3分の2は金融に行ってましたから、もう200人ぐらいが金融でしたから、都市銀行や保険会社や証券会社というところに大量に行ってましたから、ほとんど金融にみんな行くみたいな感じでしたね。
ちなみにそれをじゃあみんながその道に行くから、丸山さんはじゃあ別のところに行こうって、そこではさっきの施行法とかは発揮されず、どちらかというと中で違う動きをしようみたいになったってことですか。
そういう意味ではバブルになって学生いた4年間モラトリウムで遊んじゃったので、もうそういった意識が一瞬なくなってましたね。社会に出るまではほとんど忘れてました。その考えを。
いつぐらいから取り戻していくんですか。
銀行に入ってやっぱり自分って仕事できないなって思ったのと。
できないんですか。
できない。僕銀行員としてはおそらく落台生だと思いますね。仕事が本当にできない銀行員でしたから。さっき言った目の制限は当時当然あったので、1日やはり10時間とかそれぐらいしか目を開けていられないので、でも当時の銀行って長時間労働って最も僕に合わない仕事だったんですよ。
だからもう泣きながら仕事してました。目が痛いから。別に辛いからじゃなくてね。単純に目が痛くて開けてられないから泣きながら仕事してるっていうのが最初の銀行員時代だったので、もうこんなん絶対仕事なんかできるようにならないわってことでした。
ともぐらいもはや半ば諦めてるような感情に聞こえますけど。
それがもう最初の2年3年ぐらいそんな感じでしたね。
そっからでも変わっていくんですか。
そうですね。変わった原因は何かっていうと、これも別に強烈な理由があったわけじゃないんですけども、たまたまで会った上司がとても素敵な人だったんですね。
当時から僕変わってたので、変わったことするのは得意でしたね。
人と同じことはすごく苦手で、銀行員としてはイマイチだったけども、新しい新規の法人を獲得するだとか、今までうまくいってない法人との環境を良くして売り上げを上げるとかっていうのは実は得意で、
さっきの話、やっぱり元の話に戻りますけど、多くの人が不可能だと思ってるけども僕ができるってことを見つけるのはやっぱり得意だったんです。
だから結果的に成功することがあった、いくつか。
それをちゃんと評価してくれる上司にたまたま出会ったのが3年目でしたね。
その時の上司が言ってくれたのは、仕事は楽しくなきゃいけないから、自分の得意なことだけをやりなさいって言ってくれたんですよ。
そうだなと思って、今までは苦手なことがいっぱいだって銀行員としてはダメだから、人と同じくらいにならなきゃいけないと思って無理して頑張った。
それやっぱりやめたんですよね。
やめたら結果がより出やすくなった。
自分の得意なことだけに集中して、苦手なことは周りに頼るってことを普通にできるようになって、
みんなと同じ競争をしないって決めたら、やっぱりうまくいき始めましたね、結局。
なかなか銀行員で周りの方と違う動きをするって結構リスクというか評価のされ方、見られ方あると思いますけど、
本当に上司に巡り回れたというか、そこで本当に丸山さんの強みもガチッとはまって成果まで始めたってことなんですね。
そうですね。ただやっぱり多くの周りの人たちからは、やっぱり言われますよね。
あいつはアホだなとかね、バカじゃないのとかね、やっぱりアホだバカだっていうのは結構言われてましたね。
それは気にならないようになった。
それを気にしなくなったのが良かったですね。
そうしないとやっぱり勝ち残れなかったですね、銀行時代は。
いわゆるその企画部に移動になられるっていうのは、多分それもそんなに簡単なルートじゃなかったりされるわけですか。
そうですね。僕は別にそんなにそういう意味では優秀ではなかったですし、
ただ一部、法人の新規だとか特定の分野については結構評価が高かった。
地域ではナンバーワンだったりもしたので、そういうのもあって多分企画部に推薦してもらえたんだと思いますけれども、
その時の人事はどういうイメージでしたでしょうね。
ただ仕事はできなかったんですけども、銀行に入った1年目からいつも人事部には文句ばっかり言ってました。
銀行のこの戦略はおかしいとか、人事制度はおかしいとか、インセンティブの付け方もおかしいとかね。
お客にとって正しいことをやってないとか、青臭いことをずっと言ってました。
それを上司にも普通に言ってましたし、多分変わったやつだとは思われてたんですよね。
いつも人事に行ったのは、だから僕を企画にしろっていつも言ってました。
あ、しろとまでセットで。
銀行を変えたいから企画にしろと言ってました。
なるかどうかは別としてね。仕事もできないくせにずっと言ってました。
ただ単に不平不満を述べるというよりかは、ちゃんと構造が欲しいと、システムが欲しいとって話をちゃんと言い続けてってことであったんですね。
自分としてのプランとかビジョンはあったので、こうした方がいいっていつも言ってたので。
社内でそれを言っても誰も聞いてくれないし、いつも上司に言われてたのは、
そんなにお前が正しいって言うんだったら、早く偉くなって俺に命令しろっていう上司がいて、
あ、それもそうだなと思いました。
だから早く出世しなきゃなと思ってましたし、
それがさっきの話と少し絡んできて、自分の得意なことに集中して成果を上げて、
早く出世をして企画に行ったら偉くなって銀行を買えるっていうのが、
やっぱり暴動っていうかね、そうしなきゃダメなんだろうなとは思ってましたね。
そこまで来ると、じゃあそのままどんな波があっても、
当時の東海銀行さんで上り詰めていくっていうキャリアプランもあられたと思うんですけど、
それを覆すインターネットの波だったんですか?
インターネットの波がそこまでと実は思ってなくて、
どちらかというと銀行が本当に大変な冬の時代に入るっていう方が大きかったですね。
結局不良債権がものすごく膨らんで、単独では生きていけるかどうかもわからない。
これから合併しなきゃいけないと。都市銀行の大合併が始まると。
そうすると偉くなるというよりも、そもそもポジションがなくなってきますよね。
普通に考えたら。
合併合併になったら自分のキャリアって今までと同じような考えでは多分いけなくって、
また新しい組織体制の中で多分人事制度も変わっていくでしょうし、
ポストもおそらく減っていくでしょうし、そういうチャンスがますますなくなってきますよね。
そういう意味では自分の人生を自分でコントロールできなくなってきたということですね。
どこまで頑張っても自分の思い通りになるというか、
自分が期待する結果になる絵が描けなかったんですね。
当時の上司にも同じことを言いましたし。
当時の上司にソフトバンクに転職するって言った時に、
企画部で転職したのは僕が初めてだったんですね。
東海銀行企画部で転職当時は第一号だったんですけども、
みんなに、100人中99人が反対してましたし、
そんなに転職したいんだったらITやりたいんだったらNTTを紹介してやるっていう上司に言われたぐらい、
ソフトバンクは当時はまだ点灯公開したばかりで、
どうなるかわからないっていったような状況だったので、
銀行の人たちからすると、そんなにITだったらNTTだろって、
いくらでも紹介してやるぞって逆にそっちは言いましたよね。
今はNTTグループになりましたけど、結果。
でも当時のソフトバンクで、
金融を掛け合わせて相手をやることは決まっていて、
そこで入られたってことですか?
そうです。なので、別に僕はITの会社のソフトバンクに入るつもりはなくて、
単にe-loanというジョイントベンチャーを立ち上げるタイミングで、
ファーストメンバーで入れるから僕は転職したんです。
まさに企業の経験をしたかった。
自分の人生を自分でコントロールするためには、
自分で経営するしかない。
でも僕には経営のノウハウも経験も何もない。
一から独立して成功する自信も当然何もない。
今みたいにベンチャーが当たり前の時代でもないですし、
ベンチャーキャピタルもほぼなかった。
誰も支援してくれない中で、
どうやってベンチャーをやるんだっていうのも全く分からない。
当時ベンチャーという言葉すらほとんどなかった。
ということを考えると、
当時はベンチャーらしくて有名だったのはソフトバンクぐらいで、
ソフトバンクに行って経験積むしかないなと。
どちらかと言うとそっちだったんですね。
IT企業に入るというよりは、
企業の経験をするためにはソフトバンクが最高だった。
それがたまたまe.loanというアメリカのジョイントベンチャーの
立ち上げに参画するタイミングに巡り合えた。
多分そうじゃなかったら、
多分転職しなかったでしょうね。
別に転職しなくても銀行の中ではそれなりに出世はしてたので、
無理に転職する理由はなかった。
それをチャンスがなければ多分なかったでしょうね。
e.loan参画直後というのは、
ソフトバンク側も丸山さんも、
常に何かあるので。
ここまでの打率しか、
今スタートアップと当時の丸山さんとって
ゲームは違うかなと思ったりするんですけど、
田中さんから見られるとどうですか?
ここまでの話と。
いやでも、改めて、
私は2007年以降の丸山さんしか知らないんですけど、
思ってた不思議な点とか違和感が
だんだん答え合わせができてる感じがして、
すごい楽しく聞いてました。
ぼっちぼっちあれですかね、
田中さんが入られた頃の話も出てきたりもするんですかね。
厳密にはどういうタイミングでしたっけ?
僕がSBAグループに入ったのは2007年なので、
SBAモーゲージが一定の組織になったぐらいですかね。
僕の同期とかが何人も
丸山さんに推移を寄せられて入って、
途中から幹部になっていって。
最初の頃ってSBAって中途採用ばっかりだったので、
新卒採用やってなかったんですね。
田中さんの時がたぶん2期生。
そうですね。
だからその前の年の1期生ぐらいから
僕らも新卒が配属されるようになってきたので、
それまでは自分たちのことで精一杯で、
若手を育てるなんてとてもじゃないけど、
ただ2006年、2007年ぐらいからは、
若手が入っても育てられるぐらいの組織になってましたね。
そこから2007年で、
今からでもあと20年近く分あるわけですけれども、
その中でどこをピックアップしていきましょうかね。
特にこの事業は肝入りだったとか、
逆に大きな失敗したとかでもいいんですけど、
どこで話されると良さそうですかね。
田中さんとは仕事って直接は1回もないですよね。
そうですね。
たぶん1回もないけども、
彼は結構新卒の中では有名人だったので、
よく名前も聞くしよく会議でも会ってました。
若いのに頑張ってるなっていうのと、
もう一つはこんな若いのに任せて大丈夫なのか。
新卒の2年目くらいから社長やってましたからね。
こんな若いやつに社長やらせて大丈夫なのかと思って、
っていうぐらいSBIはなかなかアグレッシブというかね、
若手に抜擢して任せる会社だったので、
それはすごくいいなと思って。
だから僕も同じようにやってましたし、
もっと言えば、
僕がSBIの北尾社長からたくさんチャンスをもらって、
いっぱい僕も失敗もしてるけども、
それでも何度も何度もチャンスをくれる人だったので、
同じことをやっぱり若い人に含めて、
みんなに同じチャンスをあげたいんですよね。
常に僕もギブばっかりされてもね、
テイクしないとと。
でも北尾さんに返す必要ないので、
もっと若い人たちに返さないと思って、
若い人たちをどんどん抜擢して、
チャンスを与えて。
そういう意味で、
その人たちの中から何人か、
企業家になる人が生まれてきたのも良かったなと思う。
そういうふうに僕もチャンスを与えてきた。
そうするために。
企業家である、投資家の趣向でもありみたいな感じですね。
自分がしてもらって嬉しかったなと思うことを、
みんなにしてあげたいんですよね。
それが自分の一番最初の銀行自体は、
残念ながらそうではなかったので、
せっかくソフトバンクみたいな会社で、
ベンチャーにいるんだったら、
理想的な会社にしたいなと。
そういう意味でSBIというのは、
かなり理想に近い会社グループではあったと思いますね。
ネット銀行、そっか。
何年くらいになるかなんでしたっけ?
2014年でしたっけ?
ネット銀行の社長になったのは2014年ですね。
2014年。
先ほど言ったSBIモゲージは2001年に創業し、
2012年に韓国のコスピーという市場に上場して、
これ日本で初めてコスピー上場だったんですけど、
上場して2014年に銀行に来たということなんですけど。
その間にもリーマンショックがあって、
潰れそうになった経験もしながら、
なんとか上場にこぎつけたというのは一つ、
自分としては達成感もありましたし、
やり遂げた感もありました。
株価も幸いね。
東日本大震災の直後だったので、
住宅のビジネスなんて本当に大丈夫なのかって、
散々投資家に言われながら、
最低の株価からスタートして、
2年で4倍になってエクジットできたので、
結果上手くいったなと思ってます。
全ての投資家がハッピーになったと思います。
そうは言っても韓国に上場していたので、
やっぱり国内で上場したいと思ってたんですね。
SBIグループにとっては、
なかなか国内の親子上場って当時はとっても厳しかったので、
難しいという中で、
いろんなプライバティクリティのファンドとかの話をしながら、
スピンオフして、SBIから独立して、
MBをしたほうがいいんじゃないかって話がいくつかあって、
実際それがうまくいきそうだったので、
MBをして、国内でもう一回最上場するというトライをしようと思ってたんです。
実はその2013年から2014年の頭までは。
突然SBIグループの様々な事情の中で、
スミシエスペイネット銀行の社長が、
私にやってくれないかっていうオファーが来まして、
当時は北欧には3回断りましたけど、
もしこのMBオフとしてのSBIモゲージがSBIから独立して、
国内で再度IPOできるってことが一つできる前提で、
僕が銀行に行ってもなんとかなるってことであれば、
最後はこれは運というか運命かなと割り切ろうと思って、
結果全ての環境が整って、
全てがうまくいってしまったというか、
僕としては100%保育家というとそうではないですけども、
この銀行の社長を受けることにした。
それも一応この銀行を上場させるというミッションがあったので、
IPOをすることについては個人的には得意だと思ってます。
会社をゼロから一応立ち上げるのも得意ですけども、
ゼロ一のアイデアを出して成功させるのも得意ですけども、
IPOをするのも実はすごく得意なので、
自分が作った会社ではないけども、
引き継いだ会社をプロ経営者としてIPOさせるというのは、
あと一つのキャリアにもなるし、
本当にやりたい仕事ではないかもしれないけども、
自分のキャリアパスの一つとして、
これはやってもいいかなと思って受けました。
3年ぐらいでIPOできると思ったんですけど、
9年ぐらいかかりましたね。
とっても大変でした。
とっても大変でした。
込められないすごい時間がありますよね。
ここに語られていない部分も含めて。
すみません、ネット銀行に関して言うと、
ネオバンクが上場氏のエクイティストーリーでも
だいぶ重要な話になっていたかなと思っていますし、
あとマリアマスがすごい力を入れていらっしゃったのも
すごい印象的だったんです。
結構銀行員じゃない人をどんどん幹部として招聘されていって、
銀行らしくない経営をされていたというふうに
僕は畳から見て思っていたんですけど、
ネオバンク構想の発端とか、
うまく活かせるための試行錯誤みたいなところを
少し教えてもらえますか。
もともとSBIモーゲージという日本で始めたモーゲージパンクも
アメリカのビジネスモデルを日本に持ってきて
そのまま成功したかというのはそうではないんですよ、実は。
全く違うビジネスモデルになりました、結果的には。
法律も違いますし、国としての環境、国民性も違う。
だから結局、eローンもそうだったんですけど、
海外で成功しているものを日本で持ってきたら
必ず成功するかというのはそうじゃないんですよ。
日本流にローカライズする必要があって、
そこにユニークネスが生まれると思っていまして。
さっきのeローンについて言うと、
アメリカはオンラインモーゲージブローカーとして
立ち上げた会社です。
結果その会社はダメになりましたけども、
日本では比較サイトとしての、
広告事業としてのeローンの事業として成功しました。
SBNモーゲージについても、
モーゲージバンクというビジネスモデルではあるんだけども、
証券化を前提としたビジネスモデルと
全然環境は違うので、単純ではなかった。
日本はほとんどは銀行が住宅ローを売るのが当たり前で、
モーゲージバンクやモーゲージブローカーという
第三者が住宅ローを売るという土壌は日本にはなかった。
これを作り上げなきゃいけなかったので、
どうしたかというと、
すでに保険業界で成功している大典というビジネスモデルがあるので、
じゃあ銀行も同じように大典でやればいいじゃないかということで、
貸金業の大典というビジネスモデルを作り上げて、
全国にフランチャイズ展開を200店舗やったんですね。
実はこれで日本一になったんです。
その時に考えたのは、
全て大典は素人の保険大典や携帯ショップ屋さんや
普通の人たちを大典しました。
要は住宅ローンは銀行員がやらなきゃいけないというものを、
いや銀行員じゃなくても別にこんなのできるんじゃない?
という発想で仕組み化したということですね。
セブンイレブンがコンビニエンスストアとして
フランチャイズ展開して成功してるんですよと。
働いた人たちはほとんどアルバイトの人たちですよと。
住宅ローンもそれでいけるんじゃない?と思って。
さすがにアルバイトまではいかなかったけども、
でも銀行員でやる必要ないと。
この仮説はその当時成功しました。
同じことを銀行に来たので、
同じことをやろうと思っただけですね。
銀行も同じように銀行代理業という仕組みを使って
フランチャイズの大典展開してます。
だから銀行員じゃないですみんな。
銀行なのにお店で働いてる人たちは銀行員じゃないです。
もう大典の人たち。
携帯キャリアの人だったりとか保険代理の人だったりとかね。
ということをまずやってました。
で、先ほど田中さんの話があったネオバンク。
これは偶然ではあったんだけども、
もともと当時、2012年ぐらいから
アメリカではフィンテックという言葉が出てきていて、
日本でもそろそろフィンテックが
2014年、15年かな?
2015年の日経の長官に
フィンテック元年という言葉が出たんですよ。
あ、いよいよフィンテックが日本にも来るのか。
そのタイミングで僕はこの銀行の社長になった。
これは何か意味があるなと思ったので、
ここからは絶対フィンテックなんだと。
単なるネット銀行じゃないんだと。
ネット銀行というのは2000年から
ジャパンネット銀行、今のPayPay銀行がスタートして
この銀行は2007年にできてましたけども、
僕が社長だったのは2010年。もうだいぶ経ってます。
ネット銀行が日本に登場したのは14年も経ってる。
経ってるけども全然進化してない。
それで僕は銀行に行くの嫌だった理由の一つなんですけど、
銀行大嫌いで辞めてきたのにまた銀行やるのかと思ったのもあるし、
当時見てたネット銀行なんて
単にリアルでやってることをネットという媒体でやってるだけでしょ。
何にも進化してないと思ってた。
そんな銀行の経営なんかしたくないと思ってました。
だから受けるからにはもう改革したい、変えたいと思ってました。
その答えが何か分かってなかったんだけども、
フィンテックだなと当時それでピンときたので、
これからはテクノロジーに集中投資だと。
ネットじゃないと。
モバイルでありクラウドでありオープンAPIであり
AIでありブロックチェーンというこの5つのテクノロジーに
集中的に投資すれば勝てるかもと思ったので、
2015年からこの5つに集中投資を始めたんです。
まだフィンテックという言葉が一般的じゃなくて、
当時なんでそんなのに投資するんだってみんな言われてます。
それは儲かるなんて誰も思ってない。
実は世界で初めてネオバンクという事業を作った
ブレッドキングという人がいるんですけど、
これはムーブンという会社なんですけど、
これ大分かりで結局潰れてたんですけども、
アメリカではネット銀行全て失敗してます。
今でもアジアで成功してる銀行いくつかあるし、
ヨーロッパでも成功してる銀行いくつか出始めてるけども、
当時はネット銀行で成功してるのって全然なかったんです。
テクノロジーで成功する銀行なんて世の中にないって言われてたんですね。
APIであろうが何であろうがモバイルであろうが成功する理由がない。
僕もそう思ってました。
ただテクノロジーの可能性は絶対あると。
それは歴史が示してると。
電話が発明されたり、自動車が発明されたり、
インターネットが発明されたり、LINEが発明されたり。
新たなテクノロジーによってマーケットが作り変えられたり、
競争関係が変わったりするってことはたくさん起きてるので、
テクノロジーで変化が起こる。
ただどういう変化が起こるかは誰も分からない。
その成功の方程式までは分かってないけども変化が起きる。
ただその波に乗らなければいけない。絶対に。
だから最初に乗ろうと思った。
ネオファンクは単に偶然閃いてます。
今言ったいつものテクノロジーに集中して投資した結果、
たまたま2018年、2017年だったかな。
日本航空さんがたまたまプリベイドカード、
タツーカプリベイドカードという海外でエクスチェンジが簡単にできる
便利なプリベイドカードを作りたいからパートナーを探してるって話があって、
20社以上の金融家にオファーを出してた。
その中の一つに僕らにも、
たまたまホームページから日本航空さんから相談があるんですって来たんですよ。
でも日本航空さんだよなと。
これ断るのもったいないよねと。
なんかないかなって思った時に、
そういえばオープンAPI僕ら結構投資してきて、
APIでつなげられるね。
モバイルも結構うまくやってるし、クラウドもちゃんとやってるから、
このインフラ、AIもちゃんとやってるんで、
このインフラを使って日本航空さんとなんかできないかなと思った時に、
さっきのムーブンとか海外で失敗してるネオバンクのことを調べた時に、
なんで彼らは失敗したんだろうと。
それをよく考えてみたら、
結局彼らはテクノロジーだけで成功しようと思ったから。
彼らが失敗した理由はたった一つ。
マーケティングコストに勝てなかった。
顧客獲得コストが高すぎて投資を回収できなかった。
しかもほとんどは決済だけとか、
預金だけっていうモノラインのビジネスだったので、
モノラインだと収益性がとても限られていて、
かつマーケティングコストが高すぎるので、
どう考えてもマーケティングコストに対して
モノラインの収益構造が悪すぎて、
常に赤字の状態だった。
日本航空さんと組めば、
顧客獲得コストはゼロだよね。
しかも儲からない決済とか預金だけだったら、
当時マイナス金だった。
預金集めても、口座集めても儲からないので、
これだけじゃ多分ダメだよね。
じゃあ住宅ローンだとか、カフェだとか、
あらゆるサービスをフルバンクで提供したら、
モノラインと違って収益性は一気に高まるよね。
獲得コストがゼロで収益ゲインの対応化ができれば、
これは投資を回収できるんじゃない?
って思ったのが、実はネオバンクの発想なんです。
なので当時、日本航空さんには、
プリペイドカードを一緒に協力するのは構わないけども、
ネオバンクを一緒にやってくれって言ったんです。
こういうアイデアがあるから、
これを一緒にやってくれるんだったら、
僕らは協力するって言って、
結果コンペで僕らはそのアイデアで勝ったんです。
当時ネオバンクなんて言葉もなかったし、
ネオバンクのフルパンキングでAPIを使って
銀行サービスを提供するなんてアイデアはどこにもなかった。
そのときのコンセプトが、
あらゆる産業を銀行業に変える。
昔30年前にミルゲイツが言った、
銀行という機能が必要だけども、
今ある銀行は必要ないって彼は30年前にそう予言したんですね。
それが何となく頭に残っていて、
さっき言ったブレッドキングが2012年に書いた
バンク3.0という本の一節に書いてあった言葉で、
なるほどなと思ったのが、それが全部繋がった瞬間なんです。
全部繋がったと。
これがミルゲイツが言ってたことだと。
銀行なんて特別じゃないと。
銀行のインフラを開放して、
あらゆる産業を銀行業に変えてしまえば、
世の中はもっと良くなるし、
顧客にメリットが大きくなるし、
収益が多分確保できるようになるはずだと。
銀行が究極のインフラ産業になればいいと。
自分たちのブランドで顧客を集めるのをやめると決めたんです。
これがネオバンクの発想で、
結果第1号の日本航空さんがうまくローンチして、
苦労しましたけどね。
これがきっかけになって、
多くの企業も30社以上の企業とネオバンクをやってますけども、
日本航空さんのような大企業が、
我々のインフラを使って銀行業に参入できるんだったら、
自分たちもできるんじゃないか。
たくさん問い合わせがいただけるようになって、
今30社近く提携してますけども、
最初の提携先は日本航空だったから。
日本航空さんの話が、
全くネオバンクとは関係ない話だったんだけど、
そこに持っていけたから。
相手もたまたまそれに共感してくれたから。
これがうまくいったから、
今、成功したと思ってますけども、
まさに多くの人は不可能だと思って、
誰も思いつかなかったこと。
でも自分だけは絶対成功できるって、
その瞬間に閃いた。
やったら結局うまくいって、
結果的にマーケットを総取りできた。
ピーター・ティールがよく言う言葉ですけども、
ビジネスで成功する方法は、
とにかくマーケットを作り上げて独占することだと。
悪くても過剰化することだと彼はよく言ってるんですけど、
僕もそうだと思っていて、
これが一番勝ち筋なんですよ。
さっきのモーゲージバンクもそうだったし、
代理店ビジネスもそうだったし、
今回のネオバンクもそう。
絶対に自分たちだけが勝てるっていう、
マーケットを見つけて、
そこに集中して、
とにかくビジネスはシンプルでユニークであること。
この2つだけだと。
余計なことはしない。
これはあらゆる事業において、
僕は常にそれを意識してますね。
どんなビジネスをやるにあたっても、
とにかくユニークであること。
シンプルであること。
競争しないということ。
これがさっきの子供のときの原体験からもそうですけどね。
人と競争しない。
同じ努力をしない。
銀行に全く限らず、
あらゆる産業に言えるし、
しかも多分このご時世、
余計に大事になってくるようなエッセンスですね。
実は丸山さんがどういうふうに事業を見てるのかとか、
選んでるのかっていうところ、
今日実は一番知りたかったんですけど、
今のが集約されてるなって思ったのと、
それが幼少期の原体験。
とマッチしてるなと。
みんなね、頭ではわかってるけど、
本当に心から納得してそう動けてるかっていうと、
そうでもなかったりすると思うんで、
丸山さんはその辺が一貫してるなっていうのは、
今すごく感じましたね。
できない理由を多分みんな並べるし、
多分絶対周りはやらない方がいいとか
止めてくるわけじゃないですか。
それでも今いくんですね。
もっと言えば、
周りが反対することしかやりたくないです。
だからSBIでブックスボードした時、
よく北折も思います。
多分僕一番怒られてると思いますし、
そのぐらいみんながノーっていうことをやる方が
いいと思ってます。
みんながいいっていうのは大したアイディアじゃないんですよ。
だってみんながいいっていうことは、
もうみんなわかってるんでしょ。
同じ競争が起きるし、
やっぱレッドオーシャンになるんですよ。
簡単にみんな真似するから。
でもみんながそれ絶対無理だとかね、
そんなの成功するわけない、
やめた方がいいっていうものは、
どんなに僕が成功したとしても、
簡単にはすぐ真似しない。
何年か経って、
5年くらい経ってから、
あっ、こんなに成功してるんだったら
やらなきゃいけないかもって思い始めるんですよ。
その頃にもう勝負がついてるんですよ。
そういうビジネスだけが成功すると思います。
みんながいいっていうビジネスまでは、
決して良くない。
根っからの清香だと思いました。
よくそんな人がファーストキャラリー銀行入ったな。
そうだね。
ほんとね。
でもそういう人が少ない中銀行に入ったっていうのが一つ。
その通り。
それは後付けなんだけど、
僕も今でこそそう思う。
規制が多い業界だからこそ、
僕みたいな個性が生きたんですよ。
これが普通に競争が当たり前のようにあるIT業界だったら、
僕みたいな人山ほどいると思いますよ。
僕みたいなクレイジーな人だってもっといる。
もっとクレイジーな人がいるから、
多分そこでは僕は勝てないと思う。
ただこういう規制の強い、
ある意味保守的な業界だからこそ、
僕の個性が生きて勝てるんですよ。
だから自分がどこにいるかって、
ポジショニングってすごい重要だと思うんですよ。
ビジネスで成功するためには今言ったような、
ユニークネスって大事なんですけど、
もう一つ前提としてはポジショニングかなと思ってますね。
自分はどこにいるべきか。
だからそういう意味では、
結果銀行だとかSBIとか、
そういう保守的とかインターネット企業だとか、
比較的自分のライバルがいなさそうな、
自分のユニークネスが生きるような、
ところにあえて自分を置くようにしてます。
だからその代わり圧力があるんですよ。
多くの人には煙たがられるし、
だけどもそこが一番いいポジショニングなんですよ、結果。
みんなが同質化してる組織って良くないんですよ。
自分だけは異分子っていうのが一番いいんですよ。
お話をお掛けさせていただいた中で、
相当新しく参入する領域に関しては、
かなり厳選されて、
意思決定されてるんじゃないかなと思うんですけど、
その意味では直近テミックス・グリーンさんの取り組みがあると思うんですけれども、
ここはどんな背景、どんな意思決定で、
今参入されてらっしゃるのかというところも教えてもらえますか。
これは多分コロナ禍の2020年ぐらいにアイディアを思いついたんですけども、
もともと僕もスタート銀行だったんですし、
この銀行は基本リテールの銀行です。
法人融資、法人ビジネスは基本やってないですね。
ただいつかは法人ビジネスをやらなきゃいけない、
法人融資をやるべきだと思ってます。
トランザクションレンディングみたいなAI融資は一部やってますけども、
全然広がらないので、
本格的な法人融資をやるためにはどうするべきかってずっと考えてました。
次のテーマとしてね。
IPOの次の成長ストーリーとして。
その一つがサプライチェーン・ファイナンスだったんですよ。
サプライチェーン・ファイナンスをするためにはサプライチェーンを作らなきゃいけないと。
なので当時ネオバンクで提携している山田電機さんとか高島屋さんとか、
その他あらゆる業界のパートナーの人たち、
パートナーじゃないところもそうですけど大企業さんにサプライチェーンの話、
サプライチェーン・ファイナンスの話をずっとしてきてました。
多くの産業において、業界において、
総論は賛成ですね。
それはあった方がいいと。
業界横断的にこういう仕組みがあったらコストは下がるし、
また末端の中小企業や零細企業に対してのファイナンスが流れる仕組みっていうのは
みんな資金繰りクロースしてるので、それはいいよねってみんな言う。
ただし、総論・賛成・格論になると反対なんです。
なぜかというと、それぞれの企業には多くのシステムベンダーが入っていて、
そのベンダー間の調整でサプライチェーンをやるためには、
みんなそれに合わせるために膨大なコストをチャージしてくるんですよ。
そうするとどんなに安く便利な仕組みを作ろうと思っても、
結局コストに負けてしまって導入するにみんな二の足を踏んでしまうっていうのが
もう2、3年やって分かったんですね。
何回やっても何回やっても、総論・賛成・格論反対を崩せなかった。
これを何とか突破する方法がないかと思ってずっと考えていたときに
たまたま閃いたのが、そんなにシステムベンダーに邪魔されるんだったら
システムベンダーがいない業界に行こうって決めたんですね。
そんな業界あるのかと思ったときに、
農業、林業、水産業という第一産業は、
そもそもほとんどが国の補助金がないと成り立たないような産業であって、
まずシステムベンダーが入ってない。
なぜかというと大企業がないから。
資本を投下してくれる大企業が第一産業にいないから、
結果としてそこにはシステム化が遅れているという業界だったんですね。
ここだったらいけるねと。
それとどこの川上から川島までどの分野に話をしても、
総論も格論も賛成。ぜひやりたい。やってほしい。
みんな言ってくれたんですよ。
ただ、お金がないという。
お金がない。どこからお金持ってくるんだみたいな話があって、
当時その頃、カーボンクレジットというのが日本でも認められるようになってきて、
カーボンクレジットだなと。これで収益を生み出すような仕組みを作ろうと。
それいいね。これまたみんな賛成。
次に来たのが、カーボンクレジットを作るのはいいんだけども、
カーボンクレジットを作るために、
行政の手続きが複雑すぎて、ほとんど紙出し遅いし、
そのコストが高すぎて、クレジット発行しても儲からないことがわかったので、
そうかと。行政のシステム。単なる業界のサプライチェーンだけじゃなくて、
行政までつなげたサプライチェーンしないと、これはできないんだってことがわかったんですね。
じゃあしょうがないと。
行政のシステムを作ろうということになって、
なぜか行政のシステムを作るビジネスに入ってきました。
これがテミックスグリーンという会社ですね。
銀行とあまりにも違いすぎるので、ブランドも違うブランドにして、
テミックスというブランドにして、テミックスグリーンという会社を作ったんですけども、
これがとてもうまくいき始めまして、多くの自治体で採用されまして、
このままいくと、おそらく基礎自治体1,700個ありますし、47都道府県ありますけども、
3分の1から半分ぐらいの市は取れるんじゃないかぐらいのイメージができてきました。
そうするとたくさんまた自治体からはいろんな困りごとを相談されるようになってきて、
あれもやってほしい、これもやってほしいみたいな相談がたくさん来るようになってしまって、
それ全部できますよ、やりますよって言いたいんですけど、
ここにまた銀行法という大きな壁が出まして、
銀行の子会社でやるともう業法違反でこれ以上できないっていうようなことが頻繁に起きるようになってきました。
ニーズは顕在化している。やれば成功する。
分かっている。
法律だけは壁。銀行法だけは壁。
しょうがないなと。銀行からスピンアウトするしかないねみたいなのが今回、
銀行からスピンオフすることになったきっかけであって、
そのとき田中さんにも支援していただいて出資をいただいたんですけども、
僕もそういう意味では創業者でもありますので、個人的にも株主で出資をしてますけども、
そうやって銀行からスピンオフさせて今成長し始めてますね。
これはたまたま偶然が重なってこうなったんですよ。
もともとやりたかったのはこの林業や農業のDXをやりたかったわけでもなく、
カーボンクリフトをやりたかったわけじゃなくて、サプライチェーンファイナンスをやりたかったんですよ。
これがもともとスタートだったんですけども、何回も言いますけど、
チャンスの女神は前髪しかないので、もうやるって決めたら、
これがチャンスだと思ったらもう辞めるっていう選択肢はないですね。
それが銀行の中でやるのか外でやるのかだけの違いであって、
必要だったら外に出てもやるというわけですね。
この描かれているストーリー、内緒はベンチャーキャピタルとして田中さんは投資されたということだと思うんですけど、
それはどんなふうに見られてらっしゃったのかとか、なぜ投資されたのかみたいなところ、
VCの目線でも改めていただけますか。
一番面白いなと思ったのは、誰も見てないニーズというか、
課題解決をされているなというところでしたね。
一見ニッチに見えるんですけど、その先に面白い広大な広くな土地がありそうな可能性が広がっているところ。
あともう一つは国としても、林業だったり自治体のDXだったり、
中長期的に力を入れなきゃいけないという追い風もあって、
様々な制度が変わってきているというところで、
一見VCがあまり投資しない領域ではあるんですけども、
すごく面白い、私は個人的に好きな領域だなと思ってご支援をさせていただきました。
きっかけはサプライチェーンなんですけど、今はだいぶ自分の考えも変わってきていて、
自然資本ですね。自然が資本になっていくというのがこれからの時代だと僕は思います。
この業界に入って深く知れば知るほど、勉強すればするほど、
多分自然の価値がより大きくなる。
これは実は当社も今AIに銀行としても周知的に投資をしていますし、
AIの進化ってすごいのは皆さん知っている通りだと思いますけども、
これで大きな変化が起きるんですね。何が起きるか。
まず人口が増え続けているので、確実に食料基金になります。
資源が枯渇する。CO2が増えることによって気候変動も大きくなるので、
必ずここに対する価値が上がってくるんですよ。
なのでカーボンクリーツみたいな価値も上がるでしょうけども、
自然に対する価値自体が上がってくる。
農地だとか森林というもの自体の価値が、
これからおそらく5年、10年で数倍、10倍以上に跳ね上がる。
世界の富裕層は農地とか山を買いまくっているんですね。
日本はまたそこまでなんですけども、多分そうなってくる。
これから自然が大きなキャピタルになってくる。
これがまず一つの大きなトレンド。
もう一つは、AIの進化によってホワイトカラーの仕事がどんどんなくなっていく。
仕事がなくなっていくんですね。
ホワイトカラーがなくなっていっちゃうんですね。
そう、働くところがなくなっていくんですよ。
生き残った人たちは、ひょっとしたら数千万の収入を得られる人が増えてくるかもしれない。
一方で普通の人たちがいなくなる。
その人たちはどうやって生きていくんだろうって思うと。
地方に行って農業をやればいいんじゃない、林業をやればいいんじゃないって僕は思うと。
そのための受け皿を作っておくべきだと。
そこに価値を作っておけば、地方でも農業や林業をやっても
普通に年収が1000万、2000万稼げるようなビジネスにするべきだと。
国の補助金がなくても。
これ、社会的な価値がある仕事だと思うんですね。
よく地方創生創生って言うけども、
地方にあるのは豊かな森林だとか豊かな農地なので、それから水産業なので。
これを生かすことが一番重要なの。
この価値を上げることなんです。
人口大移動が起きると僕は思ってます。
そのための仕組み作りをしたいなと。
AIにも投資をするけども、一方で第一産業の農業や林業にも投資をする。
これは僕の投資家としてのスタンスですね。
これを両方うまく組み合わせることによって、
将来うまく人口移動が起きるような流れを作れるんじゃないかなと僕は思ってます。
労働人口の大移動が起きると思ってます。
そのための素敵を売っているんだと思ってます。
そうするとまた銀行とはまた違ったような、おそらく今組織構成だとか、
今後採用されていく中でも求めてる方々って結構今までと違ったりするんじゃないかなと思ってるんですけど、
この辺りも少し教えてもらえますか。
今まで銀行もそうでしたし、その前のモーゲージパンクの時もそうでしたし、
常に素人、異業種の人たちを巻き込んでビジネスを成功させてきました。
そういう意味ではその業界に詳しい人たちがいるよりも、異分子の方がいいんですよ。
自分もそうですけど。
そういう意味ではテミックス、グリーンも同じで、
農業や林業や水産業があるから、農業経験者とか林業経験者がいいんじゃないかとかね、
農林集金とかのそういった関連の人たちがいいんじゃないかとか、
いう人が結構いるんですけど、
違うなってやっぱり思いますね。
全く関係ない人の方がいい。
全く関係ない人の方がいい。
どちらかというとこの分野は今までのものと少し違う部分もあって、
金融はそうはいってもイメージが湧く仕事なので、
なんとなくわかるけども、
テミックス、グリーンってとても複雑で、
テクノロジーの知識も必要だし、行政のノウハウも必要だし、
林業や農業、水産業といった大地産業の知見も必要。
複雑な知識、経験が必要なので、できる人なんて誰もいないんですよ。
ってことは、学習能力が高くて、ゼロから1ができる人であれば誰でもいいなってぐらいです。
だから未経験で全然問題ないと。
キャッチアップして自ら動ける人であればってことですね。
学習能力の高い人ってだけですね、単純に言えば。
それこそ若い方々でも全然いい?
若くても新卒でもいいし、若い人たちもいいし、
全く未経験でも経験のある人は誰もいないので、
学習勇気の高い人、自分でゼロから1ができる人。
ゼロから1というのは、自ら考えて行動できる人ってことですね。
決められた仕組みの中で頑張る人じゃなくて、
仕組みを自分から作り出せるような人ですね。
大したことではないです。
大したことではありますね。
わかりました。
もし今までまでの話を聞かれて気になる方とか、
ぜひトライしていただけるといいかなと思いました。
そろそろ時間にもなってきまして、
ここまでお聞きくださった方への最後残したいメッセージとかがありましたら、
丸山さんと田中さんからも最後少しいただければと思いますけども、
ぜひお願いいたします。
皆さんに何かこうした方がいいですよってアドバイスするような
偉そうなことを言うことはないんですけども、
僕自身が大事にしていることってたった一つで、
正しいことを正しくやって正しく儲けるっていうことだけなんですね。
もっと簡単に言うと正しく勝つってことですね。
ビジネスなんで勝たないと意味がないから、成功することは絶対です。
ただ正しくなければダメですね。
これだけは僕は意識しているので、
それができるんだったら何でもいいかなと思っています。
業界業種関係なく。
世の中に歪みがあってその歪みを正すことができる。
それによってビジネスとしても成功する。
これが一番ベンチャーとしてあるべき姿かなと思っているので、
世の中の歪みを見つけてそれを正す。
そして勝つんだと。
これがずっと心情ですね。
めっちゃかっこいいですね。
どうですか田中さん。
本当に僕は尊敬する大経営者なんで、
あとテミックスの経営人も本当に100戦連覇の経営人で優秀な人たちが多いので、
ぜひちょっと関心持っていただいた方は本当にカジュアルな話で構わないので、
いろいろご連絡いただけるとありがたいなと思っています。
ありがとうございます。
関連する情報も概要欄とかに置かせていただきますので、
ぜひ確認していただいて、
この配信も気に入っていただいた方はぜひ一緒にコメントとか添えて
拡散していただくだとかいただけるとよいかなと思っております。
それではお聞きいただいた方もまゆまゆさんも田中さんも本日ありがとうございました。
終了です。
ありがとうございます。
だいぶ長くなったね。
話しすぎたかな。